許昌。現、魏国首都。
魏国王・華琳は勿論、天の御遣い・北郷一刀までもが居住する街。
大陸から寒さが遠のいて久しい今、その街の現状を知る大陸の者に話を聞けば、百人が百人こう答えるだろう。
ただ一言、行きたい、そして住みたい、と。
陳留から移転すること数ヶ月。
陳留から各所に広めていっていた目新しい治安維持策。
その徹底が許昌における第一の仕事となった。
いくら策の内容が良くとも、舵を取る者の質を良くせねば効果は最大限発揮され得ない。
その意味では、許昌における策の効果は確かに一定程度上がっていたが、逆に言えば一定以上は上がらなかったわけである。
だがそこに桂花や零、詠と言った長く内政に携わってきた優秀な文官が、加えて稟に風という才能の塊、おまけに有望株と目す音々音といった豪華な面々が来れば話は別。
中途半端な区画整理の見直しから始まり、効率的な交番の設置場所、治安維持兵の街の巡回ルートの設定等、ミクロからマクロまであらゆる策を再検討した。
その結果、陳留の頃と同等以上の成果を、詰まるところ重犯罪はほぼゼロ、軽犯罪が散発するところまで抑えることが出来ていた。
まあ、治安に関しては陳留のこともあり、そこまで特筆することは無いだろう。
今取り分けて話題にすべきこと、陳留の頃と大きく異なっていること。
それは、露店商に関わる問題だった。
陳留時代より実施してきた様々な経済政策。
それは魏国の経済をよく回し、街の活性化に十二分に寄与してきた。
だが、その恩恵が薄かったのが魏国外から来る露店商なのであった。
いくら金回りが良くなったとて、庶民にとって価格の高い物には手が出にくいには道理。
一方で露店商は高かろうと分かっていても価格を下げる事が出来なかった。
その主な理由は、関所の通行税。
魏の治安の良さは大陸各地に広まっている。
大陸を渡り歩いて物を売りさばくことが生業の露店商だからこそ、少しでも自身の、そして荷物の心配の少ないところへと売りに出たい。
その為、魏には多くの露店商が足を運ぶようになった。
が、当然国外から魏に入る際には通行税を取られてしまう。
そうしてまで辿り着いた街でもさらに、その街にある店と同等の、売上に対する税。
そんな状況で安価に物を売ったりなどしていては、場合によっては赤字も赤字、大赤字となってしまいかねない。
結果、露店商の物価が高くなる。
そのような状態を放置していれば、或いはいくら治安が良くとも露店商の足が遠のいてしまうだろう。
経済を回す為には露店商も必要。
何より、露店商から意外と重要な情報を得られることがあることもにべもなく捨てられない理由であった。
だからこそ、一刀はとある日の軍議で策を出した。それが、
『通行税の撤廃』。
当然、それを聞いた軍師勢は猛反発、税収の一つを手放すなど有り得ない、と唾を飛ばす勢いで捲し立てた。
しかし、意外にも反対しなかった人物、それが華琳、そして秋蘭であった。
「まぁまぁ、貴女達。一刀の説明もよく吟味してみてはどうかしら?」
華琳は未知なる策を次から次へと提案する、そしてそのほとんどできちんとした成果を上げている一刀の策への興味から。
「一刀が突拍子もないことを言い出す時にはいつも何か考えがあった。今回もまた一刀の考えは読めないが、きっとそれが魏に利するのだろうな」
秋蘭は長年共にあったが故の、こういった場で出すということは、見た目通りの愚策では無いのだろう、という一刀に対する相当なまでの信頼から。
果たして、華琳に促されて語った一刀の策の利、人の往来の増加、金回りの改善による経済のより一層の活性化に軍師達はこぞって目を丸くした。
そうだとしても……と未だ渋る者達が多い中、状況の打破に一役買ったのが……
「ずっと旅をしていた風達からすれば、確かに通行税が無い方が気楽にあちこち動けて嬉しいですね~」
そんな、何気ないような調子で発された風の一言だった。
「確かに……関によっては通行税だけで相当な額にもなります。現状、民の大きな移動を妨げる最大の要因ともなっているでしょうが……」
「通行税は大きな税収の一つよ。それをみすみす手放して、どうしようと言うのよ、一刀?」
稟の考察に桂花が別視点からの意見を重ねる。
が、それは当然の如く一刀も織り込み済み。
それに対する反論も既に出来上がっていた。
「一時的に税収が減るのは仕方無いだろう。だが、長い目で見れば利益の方が大きい。
通行税が無くなることで露店商が増え、更にその露店の値段も安くなるだろう。物価が下がれば手を伸ばす民も増える。
結果、露店商達の売上は格段に増すだろうさ。露店商達にはただ一つ、売上高から一定の税を徴収すればいい。ああ、勿論負担が大きくなりすぎない程度にだがな。
予めの治安策も良好、人を呼び寄せる魅力は整っている。俺としてはこの策、失敗の可能性はかなり低くなっていると見ているんだが、どうかな?」
一気呵成に、しかし決して焦る事なく淡々と利点を積み上げていく。
はたしてその結果は、、、
「む……確かに……」
「…………調整次第、ね。どうせ、そこは私たちの働き次第だ、とか言うんでしょう?」
「ははっ、大正解。でも、出来るだろう?魏はいずれ天下を取る。それがこんなところで躓くようじゃ、先が思いやられるしな」
「ああっ、もうっ!分かったわよ!やってやるわ!!それでいいんでしょう!?」
「ご理解ご協力感謝します、大軍師・桂花様」
「うっさいわね!?」
策の有用性を認め、半分やけくそ気味に桂花も承諾したことで採決された。
「ふふ。ならこの件、桂花と風に任せるわ。期待してるわよ?」
「はい、お任せください」
「お任せを~」
内政状態を余すところなくを把握している桂花を主軸に、人を読むことに長ける風を補佐に。
かくして万全の態勢で施行へと移ったのだった。
「へい、らっしゃい!今日は天竺からのいい香辛料が揃ってるよ!少しどうですかい、奥さん?」
「大秦よりの交易品、今回の目玉は商品はな、な、なんと!硝子細工!
どうです、この美しさ!!是非とも手に取ってお確かめください!あ、割らないように気を付けてくださいね」
一刀の策は桂花主導の下、施行後間もなく軌道に乗り、今や露店区画は許昌の中でも人気の高いスポットとなっていた。
理由も比較的単純で、大陸各地の州からのみならず、先のような天竺、大秦といった遠く離れた地からの品をも目にすることが出来るからである。
そんな中、露店区画を見回っていた一刀の耳に、聞きなれた一つの声と共に久しく聞いていない単語を連発する男の声が届く。
無性に気になりそちらへと足を向けると、果たしてそこには他より小さいながらも充実したラインナップの一つの露店と、その前で交渉だろうか、話をしている真桜の姿があった。
「ワッツ?ですからワタシ何度も言ってますネー。これ以上のマークダウン、インポッシブルよ!」
「だーかーらー!あんさんの言葉、よう分からんっちゅうてんねん!ほんのちぃっと安くしてくれてらええだけやん?な?」
「ノンノン。ワタシはハイクォリティな商品をロープライスで提供してるつもりネ。これ以上は……」
「え、英語?なして?ってか、真桜、何やってるんだ?」
真桜に声を掛けようとするも、何故か”英語”が聞こえてきたことに驚いて思わず疑問から入ってしまう。
突然現れた一刀を助けとばかりに露店の店主は話の先を一刀に移しにかかる。
「オ~ウ、ガイ!このレディのお知り合い?」
「え?あ、はぁ、まあそうですね」
「グッドタイミング!このレディ分からず屋ネ。ちょっと言い聞かせて上げてクダサーイ」
「分からず屋って何やねん!ウチはちょっとこいつを……!」
「あ~、何となく分かった。真桜、一応聞くけど、それは何……だ……」
問おうとして真桜の手元を見やって瞬間固まる一刀。
そんな一刀に気づかず、真桜はヒートアップしたテンションそのままに捲し立てる。
「ちょお、これ見たってや、一刀はん!ほれ!
このおっちゃんの持っとるこれ、なんや馬の鞍とそこんとこに付けるとか言う……」
「……真桜!これ、買って調べたら量産出来るか?!」
「うぇ!?ん~……まぁ、多分出来ると思うで。見たとこそんな難しい構造はしてへんし、ちょちょっと革細工すればなんとか。
けど、さっきから言うてるけど、ちっと高い……」
「問題無い。店主、これを売ってくれ。金は俺が出す」
「オ~ケ~!ガイ、さすがネ!ウガンまで足を運んだ甲斐がありま~した!」
真桜が見ていた品、それは馬具の一つ、”鞍”そして”鐙”であった。
確かに魏国でも鞍は馬に装着されている。だが、それは如何にも昔然とした木製の鞍で、はっきり言えば座り心地など良いものでは無かった。
対して真桜が手にしていたそれは、どう見ても革作りの一品。加えてその鞍に合致した鐙も揃っていた。
この手のものは一刀も作ろうかと考えたことがあった。
しかし、馬に直接装着するものを知識も無いに等しい状態から一から作り上げるということは、言わば馬で実験を行いつつ開発すると同義。
しかも、魏には元々馬が少なかった。今でこそ霞の部隊が参入したことで格段に馬事情は良くなっているが、それ以前の状況では馬は貴重。
そもそも正確に姿形を知らぬものを作ったとして、それが馬に悪影響を及ばさないとも限らない。
動物は我慢強いもので、例え悪影響が出ていたとしてもそれが発覚するのは随分と経ってからになっていただろう。
いつ戦が起こるともしれぬこのご時勢に、貴重な馬でそのような賭けに近いことはなるべくならしたくはない。
故に一刀は今までこれらの発明を見送ってきたのであった。
とは言え、こうなれば話は別。
先程この商人は”烏丸”と口にした。
烏丸。漢の北方に構える騎馬民族。その騎馬技術は漢でも度々噂に上がる程のもの。
言うなれば、既に実績のある鞍と鐙が今目の前にある物なのであった。
素早く会計を済ませ、すぐにでも真桜に品の構造等を調べた上で量産に入ってもらおうと立ち去りかける。
そこに、背後から店主が声を掛けてきた。
「ヘイ、ガイ!気持ちよく商談出来たお礼にスクープあげるヨ。
ウガンからここに来るまでの大きな街、小さな町、村、どこも何か様子がおかしかったネ。
メン少なくてウィメン、チャイルド多かったヨ。メン好んで襲うモンスター、いるかも知れないネ。気をつけるがいいヨ?」
「北方……そして男が少ない、か……オーケー、サンクス。貴重な情報だ、助かる」
「いいヨいいヨ、サービスだからネ。今後もワタシのお店、ヨロシクネ!」
商魂たくましい店主に苦笑を一つ漏らして頷き、今度こそその場を去る。
そして、露店区画から出た途端、一刀が指示を出すよりも早く真桜が目を輝かせて尋ねてきた。
「なぁなぁ、一刀はん!あのおっちゃんの言葉、分かったん!?」
「あ~、まぁな。でも、そう言えば……」
ここに来てようやく一刀もおかしなことに気づく。
あの店主の言葉はどう聞いても漫画等に出てくるような典型的な外国人の発音。
そして言葉の端々に出てきた言語はまごう方なき英語であった。
この時代、西方から商人が来るとしても恐らく大秦、つまりローマから。
となれば言語は英語ではなくラテン語なのではないか。そう考えてしまう。が……
「たま~に聞くけど、あれ大秦の言葉なんやで?やっぱ一刀はん流石やなぁ!」
「は?え?大秦の言葉?ちなみにあの言語の名称は?」
「へ?名称?ん~、確か……商人のおっちゃん達の間ではラテン語、とか呼ばれとるんちゃうかったかな?」
「…………さよか」
思わず関西弁を出してしまうほどに衝撃を受ける。
随分と何でもありの世界だとは感じていたが、ここまで来れば最早世界を再構成したようなものだ。それも、多くの日本人が理解出来るように、と小さな世界の中で。
(そう言えば、今話してるのは日本語のくせに、文字は漢文、言語名は漢語、だっけか。馴染みすぎててすっかり忘れてたな)
既に前例は示されていたために、然程抵抗なく受け入れる。
(いや、むしろラテン語でなくて英語なんだったら俺にも多少は理解出来る。場合によっては向こうの技術力も必要になるかも知れないんだ。
ここは好都合だと受け取ることにしておこう。うん、それがいい)
無理矢理に好意的な解釈を入れ、この件は気にしないようにすることにした一刀は早速真桜に向き直ると、先程もチラと出した指示を再び出した。
「それじゃあ、真桜。早速だけどその鞍と鐙、構造をきっちり理解して魏所有の馬に合うよう改良して量産してくれ。
当面はそっちに比重を置いてくれていい。これがあるとないでは恐らく一般騎兵の戦闘力が大幅に変わっているだろうから」
「はいな。任せてや!これくらいのもんやったら一月もいらんわ!」
自身に溢れた頼もしい笑顔を見せて応じ、真桜はそのまま研究所へと直行していったのだった。
真桜と別れたその足で一刀は華琳の執務室へと向かう。
頭の中では先程の露店商の情報が廻っている。
それだけだとただのオカルト好きが騒ぎたいだけの粗探しに見えるもの。
しかし、桂花を通じて各地に放った草の者からのとある情報を聞いていた一刀にとっては無視し得ないものでもあった。
既に、魏から各地の有力諸侯の下に密偵がばら蒔かれている。
そこから日々新たな情報が流れてきているのだが、ここ最近ある州からの情報が特に多くなっていた。
その州こそが、冀州。商人が異変を感じた北方にあり、かの袁紹の治める地である。
肝心の情報の内容は、袁紹陣営の軍備の急激な拡張。
主に兵の数であるが、それがここ数ヶ月で異常な程に膨れ上がっているのだ。
通常このような急峻な軍事政策は地域を、国を傾けかねない愚策となりかねない。
だが、この大陸の袁紹は史実とは異なり無能・愚王の気が非常に強い。
そこを思えば、或いは、という予測が成り立ってくる。
一刀にとってはあまりに信じ難い予測ではあるが、可能性がある限り検討せねばならない。
何より、袁紹の為人を把握しきれてはいない一刀にこれら一連の行動の意図を推し量り切ることが出来なかった。
そこで袁紹をよく知るであろう、華琳と桂花を探して執務室へと向かっているのであった。
幸いこの時間であれば2人は書類仕事中。
査察などの予定も無かったため、執務室にいる公算が高かった。
果たして一刀の予想は違わず、2人は執務室にて山のように積まれた竹簡とにらみ合っていた。
「華琳、桂花。今ちょっといいか?」
「あら?一刀じゃない。竹簡ばかり見てるのも飽きてきたところだったし丁度いいわ。で、どうかしたのかしら、一刀?」
「あんたが”のっく”とか言うのをしないって、余程のこと?今進めてる大きな策には何も問題無いはずだけど?」
2人とも拒む様子が無いことを確認すると、仕事中にすまないな、と断ってから一刀は先程聞いた話を2人に報告する。
始めこそ興味深そうにしていた華琳も一刀の話が進むにつれて表情が無くなっていく。
一刀が情報を報告し終えた頃には華琳は無表情、いや、どちらかと言えば極度の呆れを無理矢理抑え込んでいるかのような表情をしていた。
まさかとは思いつつも、一刀は自ら否定しきれなかった仮定を口にする。
「一応の仮説として侵略の準備、ただそうだとしても性急に過ぎる感が否めない。だが俺にはこれ以外に上手く状況を説明出来る仮説が立てられなかった。
2人とも袁紹の為人を知っているだろうから、この辺りどう推測するかを聞きたい」
この言葉を受け、華琳は先ほどの表情から一転、面白げな笑みを浮かべてこれに応じた。
「へぇ、あなたでもそういった読み違いをするのね。いえ、麗羽が予測出来ないほどバカなだけなのかしら?」
「恐らく後者では無いかと。麗羽の陣営にはそれなりに優秀な文官も数人いましたが、私があちらにいた頃には終ぞその意見を汲み取った場面を見たことがありませんでした」
「まあそうでしょうね。麗羽は昔から、目立てば良し、みたいなところがあったし。
今回の件も大方、一番最初に動き出せば目立てる、とでも思ってるんでしょ」
「あんなでも腐っても袁家ですからね。それなりに大陸の情勢は入ってきているのでしょうし。
華琳様が今仰った内容でほぼ間違い無いと思うわ、一刀」
まさかの一刀の仮説の肯定に開いた口が塞がらない。
まるで政治のせの字も知らない子供が戦争・戦略ゲームに初めて手を出したかのような稚拙に過ぎるその策。
何より一刀にとって引っかかるのは、以前世間話の折に聞いたこの話。
曰く、かつての塾に於いて袁紹は華琳をも抑えて最優秀の成績を修めた。
だが、この話に関しても次の華琳の言葉で一笑に付された。
「確かにそんなこともあったわね。でも、麗羽が塾での成績が良かったのも、要は型にはまった状況に対して決まった解答を覚えていただけの話。
折々の問題に自分で考え出した解答を常に答える私のような生徒よりも評価しやすかっただけよ」
なるほど、と納得。
型にはめた学習というのは、確かに一定の範囲で見れば学習速度が速めで、かつ効果が高い部分もある。
しかし、その学習法から応用に転ずることが出来るかと問われれば、首を傾げざるを得ない。
そこは個人個人のポテンシャルに依ることになってしまうだろう。
袁紹の学習法がまさにこれであり、さらに残念なことに彼女は応用を行えるポテンシャルを持っていない人物であったということだ。
「……あ~、なんだ。呆れたらいいの?俺」
「むしろ感謝かしらね。麗羽が単純なおかげでこちらも動きやすいわ」
辛辣ながらも確かにその通りだと感じられる。
それに、今はそれ以上に気になることが出来ていた。
(これは、予想以上に早く来てしまうかも知れないな。最低限の準備は行えているが……さて、どう転ぶか……)
勝算を極限まで高める策、その決定的なものは、まだ無い。
いや、そもそもいくら時間があったとてそんなものがあるとも限らないのだが。
しかし、これから起こるのは一度でも負ければ終わってしまう可能性の高い戦。
まだ見ぬ、あるとも知れぬ至高の策を追い求めるのは、人間である以上仕方がないことであった。
そんな現状認識の改定があってから半月の後、真桜が非常に得意げな表情と共に持ってきた情報はまさに価千金とも言えるものだった。
「今日はいつもの調練を中止、新たな装備に慣れてもらうことを目標とした調練を行う」
一刀が自身直轄のかの部隊を前にしてこう宣言する。
場所は調練場では無く、城外の平野。
それだけならば特筆するような調練では無いかも知れない。
が、今部隊の目の前には人数分の馬がズラリと揃っていた。
元々馬の所有数が少なかった魏の部隊にとってこの光景は一種異様なもの。
しかも、日頃は凪や沙和に連れ出されない限りほとんど研究所に篭り切りな真桜まで姿を見せているとあってはいよいよ以て特別な何かがあることを示唆している。
一刀の部隊が様々な目新しいことを実験する部隊であることも相まって部隊の面々には興味の色が如実に現れていた。
「今日お前たちに使ってもらうのは新たな馬具だ。木製のものでは無い。革で作られた鞍、そして騎乗姿勢を補助し、安定させる鐙と呼ぶものだ。
お前たちも知っているだろう、北方の異民族、烏丸の者達が使っている物を真桜が解析、量産に成功した。
木製の鞍のみで十分に乗馬が出来ているお前たちであればすぐに慣れるだろう。騎馬戦力の大幅な底上げにもなるだろう。
では、早速だが調練に移る。なお、何か質問があれば今受け付ける。
……無いな?では各自鞍と鐙を取って馬の横に着け。装着法は真桜から説明させる」
号令を受け、部隊は整然としたまま馬具を受け取りに行く。
しばらくは真桜指導の下、馬具装着に時間が費やされることとなり、従って一刀の時間は空く。
その空いた時間を利用し、一刀は平野の先に視線を向ける。
そこには2頭の馬。
1頭は言わずとしれた魏の騎馬隊筆頭、霞とその馬。
そしてもう1頭はその元君主であり、現一刀の部隊の将を務める月とその馬であった。
2頭ともに既に新型の鞍と鐙を装着しており、軽やかな動きから想像するにその使い心地を実感しているようだ。
間もなく帰ってきた月に歩み寄ると、感想を聞くべく話しかけた。
「どうだった、月?弓、いや、十文字にしてもだが、照準を定めやすくなっていたか?」
「はい、一刀さん!馬に乗りながら立つことが出来る……とても素晴らしいものです!」
月にしては珍しく非常にテンションが高い。
それほどまでに木製の鞍のみであった今までとは環境が異なるということなのだろう。
その感想は霞もまた持っているようで、こちらもテンション高く一刀に絡んでくる。
「はぁ~、ホンマにええもん作ってくれたわ~!断然乗りやすいし、攻撃にも体重乗せられるし、最早騎馬戦闘でウチに勝てる奴なんかおらへんで!」
「霞程の腕でも効果があるか。そりゃ良かった」
将クラス2人の好評を得て安堵の息を漏らす。
予め自身で試用実験していたとは言え、この世界の将クラスの身体能力は現代の基準で測ることは出来ないと実感していたが故である。
元々は月に部隊の者と同様に新型の鞍と鐙を試して貰うつもりであった。
だが、真桜とブツを用意していた時に通りがかった霞が興味津々で尋ね、真桜の返答を受けての第一声がこうだった。
「なんやそれ!ウチも試したい!すぐ行くで!」
しかも、その言が終わるか終わらないかの内に走り出し、一刀達よりも早く自身の馬を引き連れて調練の場で待っていたほどだ。
こうなっては梃でも動かしづらい霞のこと、ならばどうせだし、といつも誰よりも、部下よりも早く調練の場に顔を出す月も合わせて試用実験をすることにしたのだった。
こうして得た2人からのお墨付き、それはその後の調練を安心して行うに十分なものであった。
兵の方にしても当部隊に再編制される以前から董卓軍において精鋭を張っていた者たち、瞬く間に新型馬具の扱い方に慣れていった。
特に目覚ましかったのは十文字を抱えての一斉射撃、その精度。
今までは揺れる馬の背に下半身を張り付けての射撃のため照準が安定せず、数を増やすことで命中率を上げる方向であった。
だが、鐙の導入によって射撃姿勢が安定、より戦術的な射撃が可能となったのである。
これには傍で見ていた詠も舌を巻き、それ以上に喜んでいた。
かくして革製の鞍と鐙の導入は無事成功。
その効果の高さ、そして何より霞の熱い要望によって魏内全ての騎馬戦力に導入が決定した。
ちなみに真桜がその後の大変さを思って顔を顰めていたが、ここは研究費の増額で手を打つ。
さらに半月も経つ頃には全戦力への導入も終わり、その効果を実感した兵達の歓喜の声もあちこちで聞くようになっていた。
戦力の増強に成功して更に一月。時、来たる。
その日の朝は普段と変わらぬごく普通の朝。
各々が思い思いにいつも通りの時を過ごし、昼前に軍議室へ。
定例の会議も恙なく終わるかと思われたその時。
「し、失礼しますっ!!」
突如大慌てで現れた兵、表の間諜の取り纏め的位置づけの男が発した一言が、
「く、草の者より緊急報告!!北方の地にて異常事態発生!!」
重い重い歴史の扉を、確かに開く音を幾人もの耳に届けることとなった。
「冀州の袁紹が幽州の公孫賛に『侵略』を開始した模様!!大陸は……動乱の時代に突入致しましたっ!!!」
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第四十一話の投稿です。
大きなうねりを伴って、遂に、動く。