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混沌王は異界の力を求める 21

布津さん

第21話 死の舞姫

2014-06-20 21:07:38 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:4049   閲覧ユーザー数:3945

「はっ!」

 

トーレは右の肩から指先までの間接を、全駆動させ瞬発の貫手を発射した。端から見れば、彼女の右腕が一瞬ブレ、次の瞬間に貫手の形になっていたように見えるだろう。

 

「遅いな!」

 

それをオーディンは意図も容易く回避する。まるで通行人を避けるがごとく、自然な動きで向きを微かに変えるだけで受け流す。

 

「そら!」

 

そして回避の動きのまま僅かに仰け反り、そして頭を振り下ろす、ヘッドバッド、判りやすく言えば頭突きだ。快音が鳴り響く。

 

「っつ!」

 

前頭部に文字通り殴られたような衝撃を受け、トーレは一瞬ふらつく、ただのヘッドバッドとはいえオーディンは兜装備だ。骨同士とは訳が違う。

 

「先ほどまでの威勢の良さはどうしたトーレとやら。そんなものではなかろう? こんな速度ではないだろう? 先ほど我の前から標的を奪ったあの速度を見せてみろ!」

 

眼前の敵悪魔が何か言っている、本気を見せろと。だがそれに答えることはできない、とトーレは衝撃に揺れる脳で思考する。

 

ドクターから言われているのだ、敵にナンバーズの固有技能や固有武装、の情報を出来る限り流してはならないと。管理局側の人間や悪魔に、自分達ナンバーズの姿を見せたのも、今回が初だろう。自分は完全主義者だと、トーレは思っている。ならば出来る限り、と言われたならばそれは、するな、と同義だ。

 

(だが……)

 

この悪魔は予想以上の強敵だ。アグスタの一件でこいつ等の戦闘データは入手出来ていた。だが、明らかにそれを遥かに上回っている。手加減していれば間違いなくやられる。そうなれば捕虜として捉えられ、技能武装以外の情報も流れてしまうだろう。自分が口を割るわけがないが、混沌王は予想不能だ、記憶を読み取るくらいの能力はあるだろう。

 

(よく考えろ……!)

 

逃走を選択するにしても、自分一人では、結局は最大速度を出さねば、風の速度で移動するオーディンからの逃走は不可だ。

 

(無様なものだな……)

 

クアットロとディエチにあれだけ叱責しておきながら、自分はこの体たらくか。

 

(逆に考えろ、漏れなければ良い)

 

ここでこいつを仕留める。

 

「うむ、良い顔になった。戦場に相応しい」

 

「抜かせ」

 

唾を吐き、姿勢を低く突撃の構えをとる。

 

「———」

 

それを見てか、オーディンが何か言葉を作った。だが聴かない。戦闘中だ、言葉よりも手が先に出る方が自分らしい。

 

高速機動(ライドインパルス)ッ!!)

 

自が固有技能を持って、一瞬でオーディンの背後へ回り込む。高速機動は文字通りの超高速の機動能力だ、全速を出せば、人の 視認速度などは遥かに超え、レーダーや探査機に残像すら気取られること無く移動が出来る。混沌王や『女王』の速度にすら追いつけるだろう。

 

エネルギー翼(インパルスブレード)!)

 

回り込むと同時に固有武装を展開。発現するのは手首、腿、脹脛、足首から生える計八本の青紫のブレードだ。名前が少し気に入っていないが、それを除けばこれほど使いやすい武装も無い。

 

(穿て――!)

 

オーディンは背を見せたままだ。そこに放つのは平拳、だが攻撃点は手首のブレードだ。無論放つ速度も高速機動だ、だが、眼前でオーディンの背が一歩前に進んだ。放った平拳が空を切る。

 

「背後か?」

 

疑問系でオーディンはそう言った。

 

(こちらに気づいていないのか!?)

 

それなのに何故一歩進んだのか? そう思った瞬間に眼前に、顔面狙いの石突きが飛んで来た。

 

「―――ッ!」

 

ぎりぎりでそれを左に去なす、石突きは頬を擦過し、一筋だけ赤の飛沫を散らせた。

 

「やはりか」

 

そこでやっとオーディンがこちらを見た、視線が合う、それに危険なものを感じ、高速機動で一気に背後に下がる。その瞬間、先ほどまで居た位置の地面が爆砕していた。

 

『テラジ』

 

(厄介な相手だ……!)

 

停止と同時にそう思った。オーディンはこちらを確認するよりも先にこちらに攻撃を放った。ということは完全に感で攻撃を放ったということだ。意味が分からない、普通は敵を見失えばその姿を探す。しかしこの敵は感を優先し、それを当てた。どれほどの戦闘経験を積めばそんな真似が出来るのか。

 

「手を止めるな」

 

穂先が突き込まれて来た、思考を一時中断、高速機動を再開、高速の薙ぎ払いで槍を大きく外に弾き飛ばし、胴体をガラ空きにさせる。そこに右足首のブレードを回し蹴りの応用で叩き込む。だが

 

「おしかったな」

 

止められた。放った足首のブレードがマントを纏わせた腕で阻まれている。

 

「防刃繊維か!?」

 

「ああ、ケプラーやアラミド繊維とは比べ物にもならんほどのな。サムライソードでも傷つかんぞ」

 

驚愕を禁じ得なかった。普通に行動していたのであれば、高速のこちらの行動を見て防ぐことは出来ない。追いつけるわけが無いからだ。ならば、槍を放った際、既に腕にマントを巻き、用意していたということだ。

 

(どういう先読み能力だ!)

 

だがもはや止められたからといって、動きを止めることはしない。動き続ける、無論、もう彼の先読み能力で止められることは承知の上だ。だから攻撃の手は一度や二度ではない、何度でもだ。

 

「―――――っ!!」

 

無駄は最低限に、高速機動は最大に。放つのはブレード八本に四肢、そして肩や肘をもフル駆動。攻撃するのは敵の前後左右上下全てから。連打、連撃、連斬、そんな言葉では表現きれないほどの攻撃を、呼吸もする間も無く叩き込み続ける。

 

「良いぞ! その速度だ!」

 

だがオーディンは、こちらの半分以下の速度しかないというのに、攻撃を全て受け、捌き、去なしている。使っているのは槍と、空いた腕に巻いたマントだけだというのに。

 

舌打ちをしたくなる衝動を必死に抑え、それを攻撃の手に転ずる。

攻撃にパターンを作らぬよう、意識的に、ときにランダム性も織り交ぜ動く……つまり適当ということだ。辺りは自分の巻き起こした風圧と衝撃で荒れ狂っており、その中心でクルクルと回るオーディンはまるで嵐の中心だ。

 

(いや、嵐の神だったのだな)

 

自身の”固有悪魔”から得た情報を思い出しより一層攻撃の手を増やしてゆく。

 

「もらった!」

 

不意にオーディンに隙が出来た、槍の石突き辺りを持ち、薙ぐような軌道で振るったのだ。それが故意に作られたものなのかどうかは判らないが、この高速戦闘状況下で乗らずにはいられない。

 

「はっ!」

 

太刀打ちに上から左のチョッピングで大地に叩き付ける。相手は防刃マントを片腕にしか巻いていない。槍を叩き付ければ、一瞬とはいえ、衝撃で身動きは取れなくなるうえ、攻撃を防ぐ手段も片腕のみとなる。即座に動く、放つのは右の貫手、そしてそれに随伴するブレードだ。

 

「―――!」

 

だが、放った腕は空を貫く、オーディンの姿がそこになかった。何故かと思った先、こちらの胴に軽く当たるものがあった、攻撃ではない、ゆっくりと触れるように当たったそれは、先ほど大地に叩き付けた槍の柄が垂直に立ったものだった。

 

「!?」

 

何が、という思いは直後に叩き付けられた衝撃で、強制的に理解させられた。こちらの水月に爪先がめり込んだ。

 

「ふっ……!」

 

リズムを崩され、意図せずに攻撃の手を止めてしまう。脚がふらつき、後ずさりをしてしまう。

 

「良い速度だ、並大抵の敵ならばそれで片がつくだろう。しかし同等以上の者とぶつかったときには、もう少し、先を読んでみせろ」

 

浮いた身を着地させたオーディンは、くっく、と僅かな笑いを浮かべて言う。先ほど槍を叩き付けたときに、既にオーディンはそこにはいなかったのだ、穂先や太刀打ちを叩き付ければ、当たり前に石突きは浮く、オーディンはそこを掴んでいたのだ。そのまま槍の軌道に任せて、オーディンは跳ねたのだろう。結果、槍は垂直に立ち、オーディンはこちらの攻撃を回避、そして空からの蹴撃でこちらを打撃したということだ。

 

「く……はははは!」

 

思わず笑いが出た。

 

「くくく……すまなかった、どうやら私はまだ貴様を見くびっていたようだ」

 

「そうか、で?」

 

「ここからは、本気で往かせてもらう。もはや貴様を仕留めるのには、情報の機密などを気にしている場合ではない」

 

構えを変える。低く構えたものから、脚を開き仁王立ちに近いものをとる。腕は前ではなく横に広げ、全てのエネルギー翼を、最大の長さまで伸張させる。

 

「往くぞ―――魔神召喚!!」

 

『悪魔召喚』

 

己の背後の空間が歪む。だがそのとき、自分の意図せぬ現象が起こった。姿勢を低くしていないにも関わらず、目線の高さが下がったのだ。

 

「おや?」

 

眼前のオーディンも首を傾げた。自分でもオーディンの意思でもない現象が起こったのか。足元、否、もうそれは胸下まで来ていた。黒い大穴が空いていたのだ。

 

「ルーお嬢! 貴女の仕業か!」

 

周囲、若しくは地下に彼女の悪魔が潜んでいたのだろう。

この大穴はルーテシアお嬢の使う大型帰還魔法だ。この魔法はかつて、ホテル・アグスタへ襲撃を仕掛けたセインやディエチの悪魔を帰還させた魔法でもある。あのときは向こうでトラブルがあったのかやや遅れたが、今回は早すぎる。

 

「何故だ!? まだ私は戦っているだろう!?」

 

(ご免、トーレ。でももう時間切れ)

 

「何がだ!?」

 

(アリスが遊び始めたの。そこにいたらトーレも死んじゃうよ?)

 

「!?」

 

次の瞬間、目線が一気に下がった。オーディンの姿も無くなり、視界は都市部から暗闇へと移動し、何も見えなくなる。

 

「くそが!!」

 

その中で、ずっと吐きたくて仕方が無かった悪態を、思い切り吐き出した。

 

「荒れているな」

 

そのとき、召喚のタイミングを逃した自身の相棒が口を開いた。

 

「当たり前だカーラ! あんな生殺しのタイミングでの帰還など!」

 

「それは自分にも言えることだがな……次の襲撃は自分を初めから出せ」

 

「ああ、カーラ、私もそのつもりだ」

 

 

「なっ!?」

 

空中から三隊長はそれを見た。眼下に広がるすべてが死に飲み込まれたその姿を。

 

闇色の濁流は全てを染め上げるように、一瞬で街を覆った。だが濁流は、建造物に触れても欠片一つ落とすことなく、何の影響も与えずそれをすり抜ける。だが影響を受けないのは無生物だけだ。濁流が与えるのは純粋な死、それに触れたものは植物から細菌に至るまで全てが死に、後に残るのは無菌室よりもクリーンな空間だ。

 

「エリオ! キャロ!」

 

本能で濁流の危険度を認識したのか、フェイトが真っ先に降りたとうと、高度を一気に下げた。そしてそれに続き。なのはとはやても地上に向かおうとした。

 

【はいストップです】

 

だがいきなり、その三人の眼前にセトの顔を映したモニタが現れ、行き先を阻む。

 

【残念ですけど、貴女方がそこから先に進むことを認可できません】

 

「っ———! 何故ですか!? あそこにはエリオとキャロ……それにスバルやスルトさんも居るんですよ!?」

 

フェイトは普段の様子からは考えられない程に取り乱し、モニタ越しではあるが、セトに噛み付かんばかりに捲し立てる。

 

【それでもです。私は無駄に死体となることを推奨しません。あの場に降りるのはあの死の濁流が消えてからです、それなら安全ですから】

 

対して、普段通りの眠たげな龍眼で、セトは淡々と述べる。

 

【あれは恐らく魔人アリスの作り出した呪殺の空間です】

 

「やっぱりアリスちゃんがここに!?」

 

【はい高町なのは。あの規模の呪殺空間は、最上位クラスの悪魔しか発動できません。ベリアルとネビロスが居たことも合わせれば、間違いなく魔人アリスかと。あの中へ生身で突入すれば、貴女達程度なら一秒以下の時間で死にます。フェイト・T・ハオラウン、死ぬ際には貴女のその前髪のように全身が白になるでしょうね】

 

言われ、フェイトは未だに少しだけ残っている、以前アリスによって色を奪われた前髪を見た。

 

「それでも! あの子達が危険なのに、助けに行かずに指を咥えていて何が部隊長ですか!?」

 

「フェイトちゃん落ち着いて!」

 

「これが落ち着いていられると思うのなのは!?」

 

【じゃあ静かにしなさい、フェイト・T・ハオラウン。貴女が行っても無駄に死体が増えるだけです。何も出来ないのは知ってますから、取りあえずイライラするのやめません? 貴女の激昂で呪殺が消えるわけじゃないんですから】

 

セトが表情を変えずにそう言ったとき、いきなり眼下の濁流に変化が起こった。闇の中から、それを祓うように火炎が吹き上がったのだ。それを確認した三隊長は、もはやセトの言葉も聞かず、フェイトを先頭に火炎の元に向かった。

 

【ねえ、何で私がこんな役なの? 疲れた、寝てていいかな、ダメ? ねえ?】

 

そして真面目という概念を、一瞬で消失させたセトに答える声はなかった。

 

【あーあ、先走っちゃって】

 

とセトは眼を擦りながらそう言い、ふと何かに気づいたように呟いた。

 

【報告ではホテルにいたアリスはあの三人が手を抜いて戦ってもなんとかなる程度の相手だった。でもこの規模の攻撃は、スルトやトールですら無理。それこそ私が全力を出してなんとかなるレベル。これほんとにアリスなのかな?】

 

モニタの中で首を捻っていたセトはしばらく考えるように眼を瞑っていたが、不意にそのまま崩れ落ち寝息を立て始めた。

 

 

「レーヴァテイン!!」

 

闇色の濁流に、炎の大声が逆らった。炎の魔王の雄叫びに業火の太刀は、押し寄せる闇に逆らうように炎を爆発させ。

 

「ぐっ……!」

 

だがしかし炎は死に逆らいきれずに、一瞬の拮抗の後、徐々に喰われ始める。

 

「どーん!」

 

すぐさま死は炎をも殺し、全てを闇色に満たした。

 

「おー!」

 

そして死が徐々に薄れ始め、その生の一切ない空間をさらけ出した。

 

「すごいすごい! 誰も死んでないのね。頑張ったじゃない!」

 

そこに初めて響いたのは、楽しげに手を叩く音と、無邪気に歌うような童女の声だ。

 

「みんな死んじゃってると思ったのに! どうやったの? 魔王の貴方には特別に別のも混ぜておいてあげたのに!」

 

その鳥のさえずりのような声を鳴らすのは、今までどこに潜んでいたのか、踊るようなステップで歩く死の少女、魔人アリスだ。彼女が問う先に居るのは、その巨体を持って、背後の全員を守りきったスルトだ。

 

『食いしばり』

 

「ス、スルトさん……」

 

「声を出すな、アリスに興味を持たれる」

 

しかし、死んでいないとはいえ、スルトは満身創痍だ。右腕と左脚、そして右脹脛から先を死によって喰われ、機能を失っている。左手のレーヴァテインで何とか全身を支えている状態だ。しかしスルトはそれでも毅然とした態度を崩すことなく、アリスに対応した。

 

「我が全て耐え、背後に全員下げた、それだけだ」

 

「でも凄いじゃない!」

 

楽しそうにアリスは天使のような笑みを見せる。そしてはっ、と何かに気づいたように眼を開くと、うれしげな声を出した。

 

「あっ! さっき街の中でぶつかっちゃった子達だ! 大丈夫だった? あのときどこか怪我とかしてない?」

 

視線の先にいるのは、スルトの背に隠れるエリオとキャロだ。

 

「あ!?」

 

「え!?」

 

二人も眼前にいる少女が、あのときぶつかってしまった少女と同一の存在という事に今気づいたのか、驚愕に意図しない声を発していた。

 

「我等が背後に居たのだ。負傷などあるものか」

 

「そう、でも守れたのはその子達だけだよね?」

 

「何?」

 

「はいこれ!」

 

と言ってアリスは足下に転がっていた何かの残骸を、両手で持ち上げると、それをスルトに示して見せた。

 

「な!?」

 

「いつのまに!?」

 

それを見て思わず、スルトの背後に潜んでいたスバルとティアナは、禁じられていたにも拘らず声を発した。残骸に見えたそれは、本来ならばそれが自然なのだろうが、彼女達にとっては異常に見えた。死僧だいそうじょうの無惨な姿だった。

 

「……いつだ?」

 

「何がかしら?」

 

「だいそうじょうを仕留めたのはいつだと聞いている」

 

「いつって、そんなの決まってるじゃない、さっきよ。だってあなたとこれ、呪殺が効かないんだもの、だから先にやっちゃったの。あなたは大丈夫だったけど、これはダメだったの」

 

得意げにアリスはそう言った。

 

「そ・れ・と」

 

だいそうじょうだった物を、無造作に放り投げたアリスは、言葉でリズムを作り、踊りながらアリスは人修羅が時折見せる、虚空に手を突っ込むというあの動作をし、やはり人修羅と同じく何かを取り出しだ。

 

「あったあった、これこれ……よいしょっ……と」

 

ずるりと、両手どころか両腕で引っぱりだしているところをみると、かなり巨大なものを取り出しているらしい。

 

「ねえ、これってつい死なせちゃったけど、貴女達のお友達?」

 

それは先ほど、ボロ屑に見違えただいそうじょうよりも、見知った姿だった。居るとは言われていたものの、どこにも見当たらないその姿は今の今までアリスの空間に収納されていたのだ。

 

「トールさん!?」

 

「やっぱり貴女達のお友達だったのね。あんまり弱いから違うのかと思っちゃったわ」

 

一同は愕然とした。トールは、限定状態とはいえ、ヴィータ副隊長を一蹴できるほどの実力者なのだ。それをこのアリスという悪魔だいそうじょうを伸すよりも先に、既にトールを傷一つなく撃破していたというのか。

 

(勝てない……)

 

唯一闘志を失っていないスルトも含め、全員の思考が一致した。魔人アリスから感じる威圧は尋常のものでは無い。自分よりも幼い少女の外見をしているが、その気配は人修羅が時折見せる、あの紅瞳の際の気配と比べても遜色ない。

 

「そうか、トールといきなり通神が途絶えたのも貴様の仕業だったか」

 

絞り出すようにスルトは声を吐き出す。その声には若干の怯えが混ざっているようにも感じた。

 

「そうよ、アリスは何もする気は無かったのに、いきなり来るんだもの、驚いちゃった。でも何でかしら? これ、アリスに何もしないでこうなっちゃったのよ? 何でか判る?」

 

「あのバカが……! また金の長髪に見とれたか!」

 

「? 何、どうしたの?」

 

「いや、つまりトールはお前に見とれていたということだ」

 

「やっぱり、そうよね!」

 

満面の笑みを浮かべたアリスは、じゃあ、とそのままの顔で言った。

 

「そろそろ、死んでくれる? その後ろの子達も」

 

「——!」

 

キャロが恐怖か怯えか、身を震わせ小さくなった。

 

「恐怖を得るな。魔人にとってその感情は絶好の餌となる……我が時間を稼ごう、貴様等はさっさと逃げろ」

 

「あら? まともに動くのが左手だけで、後ろのその子たちを逃がすだけの時間が得られるのかしら?」

 

「……仕方ないか」

 

「?」

 

スルトが業火の太刀を大地に突き立て、左手て柄頭を捻るように回す、すると柄頭が外れて取れた、そこに指を突っ込んだスルトは、中からビー玉大の球体———宝玉を取り出した。

 

「あら?」

 

そして奥歯で宝玉を噛み砕く、快音と共にそれは砕け。

 

「あらあら?」

 

同時に、スルトの五体が復活する。

 

「一度きりだ、非常用だったのだがな」

 

柄頭を付け直し、スルトは溜め息混じりでそう言った。

 

「女性が居る時は男はいつでも非常時になるものよ。レディに対して危機的意識が足りてないわ」

 

それを見たアリスは、何故か笑みを強くしてそう返す。

 

「エリオ! キャロ!」

 

「む……」

 

「あら?」

 

そのとき、声と共に新たな人影が三つその場に降り立った。

 

 

「エリオ! キャロ! 無事!?」

 

フェイト、はやてと共に地上に降り立ったなのはは、スルトの正面で佇んでいる少女がこちらを見て、微笑むような笑みを浮かべたのを見た。そしてその笑みと結びつけるのに難しいほどの威圧も備えていた。

 

「————!」

 

「っ!」

 

スバルやキャロを心配していたフェイトとはやてもアリスを見、そしてその威圧感に押されたか、身を低くし、それぞれのデバイスを構えた。

 

アリスは以前と服も身長も、アグスタで出会ったときと変わらない姿でそこにいた。ただし、背の中程までだった髪は、腰ほどにまで伸びている。

 

「魂の記憶かしら? 貴方達三人の事は覚えているわ。こんにちは、なのはお姉ちゃんにフェイトお姉ちゃん、はやてお姉ちゃんもご機嫌いかがかしら?」

 

そしてなによりも口調が違う。ホテル・アグスタで出会ったときのような、少女特有の幼さは殆ど見られず、独特の言い回しで妙に人を喰ったような喋り方をする

 

「……先ほどから疑問だったが、貴様本当にアリスか? その気配、通常の魔人アリスのものとは思えん」

 

スルトもそう思ったのか、業火の太刀を腰元に構えたままアリスに問うた。

 

「あら、殿方に知られたくないような一面は女なら誰でも持っているものよ。アリスだって女の子だものね」

 

口元に手を当て、品の良さそうに笑うが、どの仕草からも幼さよりも妖艶さが湧くように感じられた。

 

「そういえば……忘れてたけど、お兄ちゃんは居ないの? さっきお兄ちゃんの気配を感じて出てきたのだけど」

 

かと思えば外見相応の動作を見せるときもある。アリスは誰かを探すようにキョロキョロ辺りを見回した。

 

「……何を言っている? 我が主は貴様達がこの戦場から除外させたのだろう?」

 

「え? 何の話?」

 

「惚けるな!」

 

スルトが自身の三分の一程度しかないアリスに吼えた。だがアリスは全く動じず、顎に軽く右人差し指を当て、首を傾げて見せた。

 

「まいっか。お兄ちゃんならすぐ戻ってくるよね。じゃあね、その間アリスと遊んでくれる?」

 

『絶対零度』

 

ノーモーションだった。一切の予備動作なくアリスは極寒というのも生温い極限の冷気を、滝のような勢いで殺意無くぶちまけた。

 

「おおおおおお!」

 

即座に冷気に反応したのはスルトだった。ミッド式やベルカ式の魔法と違い、ノーチャージで即座に放つ事の出来る悪魔の魔法の利点が運命を分けた。

 

『プロミネンス』

 

スルトは冷気に対して、蒼く音の無い大火炎の球体を業火の太刀から放った。こちらも予備動作無し、だが放出の量が違った。スルトの放ったものは着弾と同時に破裂する鉄をも溶かす火炎、だが、所詮は魔法の範疇だ。対しアリスの放った冷気はもはや災害といってよい規模のものだ。そもそもの桁が違う、拮抗したのはほんの数秒、すぐに蒼の火炎は冷気に消し飛ばされた。稼げた時間はせいぜい数秒、だがその数秒で行動を可能と出来る者達が動く。

 

「エクセリオンバスタ———ッ!!」

 

「トライデントスマッシャ———ッ!!」

 

「クラウ・ソラスッ!!」

 

息を合わせたように、三隊長が動いた。桃色の砲撃と三叉の雷撃、そして薄青の直砲が、火炎を喰い尽くした冷気と激突する。

対都市級の魔法と激突した冷気は、流石に耐えきれなかったか、魔法三つを道連れにその寒波を霧散させた。

 

「やっるう♪ 今のがよく返せたね!」

 

アリスはパチパチと可愛げな拍手を鳴らして笑みを浮かべる。

 

「たった一発の魔法に四人掛かりか、化け物め……一つ確認したい、高町、テスタロッサ、八神。貴様等は、先日にあの魔人と遭遇し、我が主が介入するまでの間、あれ相手に手を抜いておれたのだな」

 

「ええ」

 

「せやけど、前はここまで無茶苦茶やあらへんかった」

 

「そうか……拙いな」

 

スルトは六課の面々の前では初めて見せる苦悶の表情を作り、言葉を続けた。

 

「数分前ならば、貴様等の援護とともに何とかあの化け物を撃破しようと思っていたが、事情が変わった。高町、テスタロッサ、八神。貴様等は一刻も早く部下を連れてここを離れろ」

 

「え?」

 

「スルトさんは!?」

 

貴様等、と言ったスルトにその言葉の裏に嫌なものを感じたスバルはほぼ反射的にスルトに尋ねた。

 

「無論、我があれの足止めだ。貴様等が逃げるのを、何もせずに眺めているほど、魔人という者達はやさしくはない」

 

そう言って言葉をきったスルトに、納得のいかないなのはは食い下がる。

 

「私達も残ります、アリスちゃんとは話したい事もありますしね。全員で共闘すれば……行けると思います」

 

「だろうな、しかしアリス一人を仕留めるのに、何名死ぬと思う?」

 

「………」

 

言葉を詰めたなのはの代わりのつもりか、アリスが声を発した。

 

「きっと全員じゃない?」

 

「………だろうな」

 

スルトはそれを否定しなかった。

 

「我が主が手透きならばなんの問題も無かった。が、生憎と主は忙しいようだ。往け、我とてあの魔人相手では時間を稼ぐのが精々だ」

 

「で、でも……!」

 

「早くしろ、貴様達に何かあったら我が主から何を言われるかわからんのでな」

 

「でもスルトさん」

 

「さっさとしろ!! 今の貴様では力不足というのが分からんか!!」

 

視線を向けぬまま、スルトが吠える。

 

「貴様があの警備任務の際、あの魔人と対話したということは聞いている。なにか思うことがあるのだろう。だが、今は無理だ。闘争の気配の中で言葉を交わしあえるほど、我々悪魔は優しくはないぞ」

 

「そうそう。あ、でもなのはお姉ちゃん、死んでくれるならお話ししてもいーよ」

 

無邪気に邪気のある言葉を言うアリスに、その場に居たもの達全員の背に冷たいものが落ちる。

 

「さっさと引け貴様等。今よりここは悪魔の戦場だ、人の居る空間では無い。ついでだ、無駄だとは思うが、ピクシーに通達を頼む。我が主を除けばこの魔人とやり合える者はあいつしか居ない……オーディン!」

 

「承知!」

 

今までどこに居たのか、不意に疾風とともに姿を現したオーディンは、腕の一薙ぎでスルトを除いたその場の全員を一カ所にまとめると素早く唱えた。逃走のための呪文を。

 

『トラポート』

 

「スルトさん!」

 

姿が消えながら、なのはは叫んだ。

 

「幸運を」

 

「縁起でもない」

 

去り際に魔神と魔王はそれだけを交わし、そしてその後にはスルトとアリスのみがその場に残った。

 

「あれ? 居なくなっちゃった……つまんなーい!」

 

「我では不服か? 死の少女よ」

 

「あたりまえでしょ、だって弱いもん!」

 

『殺神』

 

前動作無しでスルトはアリスにレーヴァテインを突き込んだ。普段のシグナムとの手合わせでやっているような手抜きではない。一歩目から全力だ、震脚で大地は粉砕し、背から爆炎を噴射し更に加速、そして剣先に乗った威力は最早、生物に向けるものではない破壊力、例えるなら列車砲並みの速度と威力を持っていた。

 

「はずれー」

 

だがアリスはそれをふらりと身を半身にし避ける。そしてそのままのステップでスルトに迫り、無手と言う名の凶器を振りかざした。

 

『デスタッチ』

 

「―――っ!」

 

寸でのところでスルトは発射したレーヴァテインを手元に戻すことに成功し、その手を防ぐ。だがアリスは止まらない。

 

「まだまだいくよ!」

 

アリスは無手だ、だがアリスの動きは速い。スルトに体格で圧倒的に劣る彼女は、スルトが速度を乗せる前に動き、行動前に動きを阻害することで、徒手空拳にも拘らず、体格差をひっくり返し、スルトの動作を無手で潰していく。

 

「ぐっ……」

 

「あはっ♪」

 

しかもレーヴァテインの火炎は出力全開で、その余熱だけで路肩の標識ポールやガードレールが曲がり、アスファルトは溶けだしている程だというのに、アリスは意にも介さず素手でレーヴァテインに触れてくる。

 

「『火炎無効』かっ!?」

 

「いいえ、『火炎反射』よ? 貰うだけなんて寂しいじゃない、お返しもしなきゃね」

 

そう言って軽い動作でレーヴァテインに頬擦りさえして見せた。スルトはそんな隙を作ってはいないというのに。

 

更にアリスはその小さな体躯を生かし、確実に懐に入り込んで来る。いかに自分のの攻撃範囲が広かろうと、素の膂力がアリスを上回っていようと、刃が届かないほどの近距離に詰められれば押される。そしてアリスが狙ってくるのは剣の根本。刃を叩き折ることを考えれば、最も負荷のかかる切っ先を狙うのがセオリーだ、が押し込みの打ち合いなら鍔元を狙ったほうが良い。刀剣類の武器は振るう武器だ、故に最も威力が乗る部位は切っ先、そして最も弱い部分が鍔元だ。そこをアリスは集中的に狙ってくる。常に後退しながら戦っているような状況だが、正直かなりギリギリだ。レーヴァテインは悪魔武装の中でも、かなり高位の神格を持つ武装だ。並大抵のことでは刃こぼれ一つ無く、曲がる事もない。ありとあらゆる戦闘負荷に耐えるだけの格がある。だが相手がまずい、小さすぎるのだ。

 

(セトのように刹那に人型になれれば……)

 

という考えも浮かんだが、即座にその考えを破棄した。変化に不慣れな身では無理な話だし。そもそも設定した姿は長身痩躯。大龍から少女にまで縮むセトと違い、リーチが多少短くなるだけで状況は変わらない。むしろなれない身体で戦うことでさらに不利になるかもしれなかった。

 

(いかん!)

 

不意にアリスの身体が更に深部へと入り込んで来た。ふるった業火の太刀を潜るように抜けて、二の腕に髪が触れる程の近距離にまで接近を許した。

 

(やむを得ん!)

 

もはや刃を届かせることは出来ない。判断の直後に口を開き、アリスのいる真下へと火弾を放つ。

 

『地獄の業火』

 

放った火弾は着弾とともに爆発するもので、普段は雑魚を一掃する際に使用する事が多い。しかし今回の狙いはそれではない、アリスは『火炎反射』持ちだ。破裂する火弾を放てば、反射防壁に触れた瞬間に破裂する。しかし火炎と衝撃波は全て反射しこちらへ戻ってくる。自分は『火炎吸収』持ちだ、返ってくる火炎は全て己の中に内包してしまえる。そうすれば残るのはこちらを吹き飛ばそうとする衝撃が二倍の勢いで叩き付けられ、一気にアリスから離れることになる。

 

「おお!」

 

硝煙の向こうでアリスが驚きと感嘆の声を同時に漏す姿が遠ざかる。追撃は来なかった。

 

「……余裕だな」

 

忌々しいことに、アリスに一発の斬撃も入れられていない。普段のシグナムの気分がよく分かった気がする。確かにこれは歯がゆい。

 

「当たり前よ。と、でも、あなたに付き合うのはもうお終い。さて、ここからはわたしに付き合ってもらうわね」

 

「何……?」

 

と思った先、アリスが身体を揺らし始めた。格闘術の前動作ではない、ただ単に揺らしているだけだ。だがその動作に先ほど攻撃の連打よりも嫌な予感を覚える。

 

「貴様! 舞踏者(ダンサー)か!?」

 

「そうよ。今まであなたのペースに合わせてあげてたけど、ここからはあなたが合わせるのよ。しっかりエスコートしてね?」

 

舞踏者———格闘士(ファイター)剣士(セイバー)のように数多く居るわけではないが、舞踏者も戦種の一つだ。

 

舞踏者は踊り子とは違う。踊り子は舞いを持って、戦闘のサポート等を行う戦種で、単一での戦闘能力は総じて低い。舞踏者はその真逆の存在だ。舞踏者は舞いそのものが戦法なのだ。踊り子にも剣舞と呼ばれる類いの戦術を持つものが居るが、舞踏者のそれはそんなちゃちなものではない。

 

シヴァやアメノウズメのように、仲魔の内にも数名舞踏者は居る。だがスルトほどの戦闘経験を持つものであっても、出会った舞踏者の数は片手で数えられる。舞踏者は絶対的に数が少ないのだ。恐らくは、糸使いなどとも呼称される曲弦師(ワイヤー)よりも数は少ないだろう。理由としては曲弦師と同じく、技能の習得に尋常でない時間と労力を使用する点。そして最も重要なのは曲弦師と違い、先天的な天性のバランス感覚と身体の軸の位置、そして高い歌唱能力と空間把握能力、瞬間的アドリブ、その全てを最高値で求められるからだ。

 

「la―――♪」

 

アリスが口を開く、そこから出るのは言葉ではない。舞いと歌唱の開始を告げる音響だ。

 

(来る!)

 

という思いと同時にアリスが動いた。

 

『London Bridge is broken down♪』

 

マザーグースを声奏でながら、アリスが舞い始めた。舞いの初めに来たのはステップだ。緩やかに、そして軽い動きでアリスは踊り始めた。

 

『勇奮の舞』

 

『天上の舞』

 

『Broken down, broken down♪』

 

バフ、と理解したときにはすでに剣先を突き込んでいた。

 

『イノセントタック』

 

次に何が起こるのか把握していようとも。放置しておけば余計に手がつけられなくなる。

 

『London Bridge is broken down♪』

 

だが突き込んだ剣先が、舞いを進めるアリスに弾き飛ばされた。アリスはステップを回転の動作に移行し、その流れで腕を振り、剣先を外へと飛ばしたのだ。その衝撃で互いの距離が離れる。

 

『腕の一振り』

 

バランスが崩れる。だがこちらが崩れていようとアリスは止まらない。舞踏者は一度舞い始めたら止まらないのだ。舞踏者の厄介な点はそこだ。普通の戦種、格闘士や剣士は、大まかに言ってしまえば攻撃、回避、防御、補助の四つの選択で戦闘を進めて行く。たとえ曲弦師でもそれは変わらない。だが唯一の例外がある、それが舞踏者だ。この戦種だけはこの四つを同時に行う。そのため他の戦種と違い、敵と自分の攻防のリズムではなく、己のリズムのみで戦闘を行う。そして更に厄介なのは、舞踏者は絶対に受けに回らないことだ。敵が攻撃をしてくれば、回避か、防御の選択を迫られる。だが舞踏者は回避と同時に攻撃を放つ、舞いの内の一動作としてそれを処理してしまうのだ。すると必然的に攻撃を放ったにも関わらず受けに回らねば攻撃を貰ってしまう事になる。そして舞踏者の攻撃は舞いだ、つまりすぐに終わる事は無い。一度の攻撃は数秒になる他の戦種だが、舞踏者の攻撃は分単位から始まるのだ。

 

『My fair lady♪』

 

『スクラッチダンス』

 

崩れたこちらの背に、アリスが何をしたのかは分からなかった。ただ直後に、背部全てを無数の切断の力が駆けずり回ったのは分かった。

 

「!?」

 

だがその痛みに顔をしかめる暇さえなかった。更にすぐ、切断とは違う別の痛みがこちらの肩と膝、そして足を押さえた。氷塊だった。

 

『氷の乱舞』

 

舞いによって発生させた冷気を持って、こちらの四肢を完全に封じに来た。無論、砕くのは容易い、自分の体温は人間では考えられない高さなのだ、砕くのも溶かすのも容易だ、だが。

 

『Build it up with wood and clay♪』

 

歌詞が二番に入ったと思った瞬間、歌のテンポが上がった。それはすなわち、アリスの攻撃速度が上昇するということだ。それはこちらが氷塊をどうにかするよりも速いもので、

 

『コキュートス』

 

四肢を捉える氷塊とは別の氷圧を視界に捕らえた瞬間に、氷塊を破壊する選択を放棄、それを防ぐことに全力を注ぐ。しかし、四肢は何の役にも立たない、脚は地面と一体化するように氷付かされ、先ほどの衝撃波を使った回避は出来ない。ならば使うのは口だ。

 

「レーヴァテイン!」

 

己の愛剣の名を叫ぶ。トールやオーディン、ロキ等。同じ世界樹(イグドラシル)の世界出身の悪魔ならば知っていることだが、あの世界の武具は微かに意識がある。トールのミョルニルとオーディンのグングニルもそうだ。レーヴァテインはもう一人の自分と言ってもよい程の剣だ。自分の考える通りに動く事が出来るし、自分の意志もレーヴァテインに通じる。己の手からレーヴァテインがすっぽ抜けた。だがそれは意図したことだ、レーヴァテインはそのままの動きで飛び、こちらの口に柄を当てた。

 

「むんっ!」

 

柄を噛み、首だけの動きで、向かってくる氷圧を一気に切り払う。無論、それだけでは切り払いの角度が足りない、そこはレーヴァテイン自身の働きだ、切り払いと同時に口の中でレーヴァテインの柄が九十度回り、こちらの期待通りの結果がもたらされる。氷圧は切り払われ霧散した。

 

『Wood and clay, wood and clay♪』

 

だがそのとき、いきなり視界がグラついた。思考がたわみ、足元が覚束なくなる、脚は凍り付いたままだが。

 

「何……!?」

 

という思いが即座に来た。神経、精神に係わる魔法は、上位の魔王である自分には効果は無いはずだ。ならばなんだというのか。

 

『Build it up with wood and clay♪』

 

気づいた、歌声が近い。剣を弾き飛ばされたとき、距離は離れた筈なのにだ。『コキュートス』に気を取られ、アリスの接近を許していた。喰らったのは状態異常ではない、己のマガツヒを奪われたことによるものだった。

 

『エナジードレイン』

 

アリスはこちらのゼロ距離と言ってよい距離に来ていた。腹部に直に触れられる柔らかく冷たい感覚が、いやに感覚を刺激した。

 

『My fair lady♪』

 

『絶対零度』

 

回避の手段が存在しない、災害級の冷気がぶちまけられた。そう思ったのは、身体が動かなくなり、感覚も無くなる直前だった。

 

 

「Wood and clay……あれ? もうお終い?」

 

舞いの途中でアリスはやっと気づいた。相手が既に動いていないことに。

 

「まだ半分なのに……つまんなーい……何でこんなに弱いの?」

 

アリスは頬を膨らませ、不満げにそう言っていたが、すぐにまいった、と呟くと眼前の氷の像に近寄った。

 

「クスクス」

 

笑いながらアリスが氷の彫像となったスルトを指先で軽く押した。氷漬けのスルトの身体へ、アリスの小さな指先が触れた瞬間、僅かに傾きそして倒れ、ガラス細工のように一切の抵抗なく、スルトは砕け散った。

 

「ふふっ……あはははっ Humpty Dumpty sat on a wall♪ Humpty Dumpty had a great fall♪」

 

スルトだった物を踏み砕き、踊りながらアリスは歌う。

 

「All the king's horses and all the king's men♪ couldn't put Humpty together again♪」

 

そしてスカートの裾を持ち上げ、一礼。

 

「However, if the devil?」

 

そのとき、下げられた彼女の首をギロチンが落とすが如く、上空から切断の力と声が降ってきた。

 

『ギロチンクロウ』

 

しかしアリスは見上げることをせず、踊るようなステップで一歩後退。三本の切断の力は彼女の金髪を僅かに撫で、大気を断ち切る音を鳴らした。

 

「Or if God?」

 

アリスは降ってきた眼前の存在に、笑みで一言返した。

 

「Its been a long time. それとも初めましてなのかしら? 混沌王のお兄ちゃん」

 

切断の力を放った者、人修羅は右腕を軽く振るい、『ギロチンクロウ』の残滓を払う。

 

「俺にとっては久しぶり、お前にとっては初めましてだ。別段、会えて幸いではないがな」

 

「そんなこと言わないでよ。アリスとお兄ちゃんの仲じゃない」

 

「お前との関係はそれなりに長いが、友人と思ったことは一度も無いね。残念だが」

 

人修羅はアリスと同じように凶悪な笑みを浮かべ、深紅の瞳を弓に細める。そして人修羅は傍ら氷の残骸に手を向けると、一瞬で唱えた。

 

『サマリカーム』

 

その瞬間、砕けていた氷の残骸が蠢き固まり、集まると熱を取り戻していく。そしてそれはすぐに巨人の形を作り出し、数秒経過する頃には、魔王スルトがその姿を取り戻していた。

 

「ぐっ……手間をかけた、すまん我が主」

 

「気にするな、魔人相手に時間を稼げたんなら十分だ」

 

スルトを見ずに人修羅は言う、視線はアリスから一切ずれない。

 

「お前、ただのアリスじゃないな。ナイトメアか?」

 

「ええそうよ。お兄ちゃんに殺された前の私を、赤おじさんと黒おじさんが今の私に蘇らせてくれたの。だからお兄ちゃんのことも覚えているわ、魂は同じなんだもの」

 

再びアリスが一礼。それに向かい、人修羅は無表情に言った。

 

「じゃあもう一度だ。あいつらがもう一度お前を作らぬよう、お前を死気の杖に飲み込ませる」

 

「そんな顔しなくても良いじゃない。また私が何かしたのかって思うでしょ?」

 

「俺の前に敵として立つ、それ即ち罪だ。殺す理由はいくらでも」

 

その言葉に対し、アリスは大振りな動きで崩れ落ちた。

 

「ああ恐ろしいわ。怖い殺人鬼が私を殺そうとしているの。真っ赤な眼をして、手に刃物を持って、殺人鬼が襲いに来るのよ」

 

芝居がかった動作でアリスが悲痛さを演出する。だがすぐにその表情には笑みが戻った。

 

「でも御免なさい。今日はもう時間なの、お兄ちゃんがもう少し早く出てきてくれれば遊べたのだけど……まったく、誰がお兄ちゃんを閉じ込めたのかしら? 私も残念だわ。だから今日はこれでさよならなの」

 

「逃がすと、否、逃げられると思っているのか?」

 

「当たり前でしょ?」

 

言うが否か、アリスが動いた。彼女は崩れ落ちた姿勢のままに、やや下げた位置に下げられていた左の五指を開くと、人修羅が動くよりも素早く唱える。彼女の黄色の瞳が一瞬で深紅に飲まれた。

 

『万魔の煌き』

 

瞬間、破裂するように広がったエメラルド色の魔力の光と、それによって砕かれたアスファルトの残骸が人修羅へ襲い掛かった。

 

「ちっ!」

 

舌打ち一つで人修羅は眼前の光圧に対応する。右手を引き正拳を作ると、それを光圧に打ち込んだ。

 

『万魔の一撃』

 

光圧は中央に打撃を受け、割れ、人修羅とスルトを避けるように左右に分かたれ、轟音と破砕が走り抜けた。そして全ての生物が消滅したその空間から、今度は全ての無生物が消滅した。

 

「はっ!」

 

人修羅は強く腕を振るい、煙幕となった砂煙を散らす。だが既に前方にアリスの姿はなかった。

 

「っち!」

 

「我が主『心眼』で追えぬか?」

 

スルトの問いに、人修羅は首を振って応じる。

 

「無理だ。スルト、あいつは戦闘を遊戯と称した。殺意も敵意も無ければ『心眼』の探知には引っかからん……スルト、トールとだいそうじょう回収して来い。都市の後に蘇生する。それが終わったら保護されたとかいう人間の確認に行くぞ、詳しく見てみたい」

 

御意、とスルトが消えるように去るのを見送った人修羅は、一度深く溜め息を掃き出し、苛立ったように頭皮を掻き毟ると、爪先で大地を蹴った。遮るものが何もなくなり、見通しの良くなった周囲に舌打ちをすると、苛立ち交じりに唱えた。

 

『メディアラハン』

 

回復魔法であるディア系統は厳密に言えば回復では無く、修正魔法なのだ。故に知るものは少ないが、ディア系は生物だけでなく無生物にも効果を発揮する。音を立てて修正されていく都市を見ながら、人修羅は思った。

 

「…………誰だったんだ」

 

影の世界で光を背にしたあの女の事だ。

 

「久しぶり……ねえ」

 

そう言われた。だが自分は世界を渡り歩く存在だ。再開の言葉を自分に向けて言える者など存在しないはずだ。しかし、彼女の声はどこかで聞いた覚えが有る。だがどこでいつ聞いたのかが分からない。こちらが覚えていない程度の人物ならば、それでもいいのだが、頭の中ではその声がそんな小さなものではないと無意識が言っている。スルトがトールとだいそうじょうを持ってくるまでの間、人修羅は彼女のことのみを思考していたが、結局答えは出なかった。


 
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