劉備軍の将は有能であった。
軍神関羽は、その一騎当千の武と共に、千単位の兵を戦場で上手く扱えたのだった。
豪快な張飛は、兵を率いるのには少々向かずとも、関羽と互角以上のその力と武は大陸の中で頂点を狙える程であった。
竜の如き趙雲は、高速の槍と指揮能力、そして人望も兼ね備える有能であり、才能を遺憾なく発揮していた。
臥龍諸葛亮は、知は大陸の全てを超え、未来を見据え、的確で迅速な策を練る天才であった。
鳳雛龐統は、その身を不幸に巻かれながらも、諸葛亮と互角であると言わしめるこれまた天才であった。
そして、その下に居る表舞台には出ないが、上記の者と互角の才を持つ天才はまだ居る。
当たり前だ。
国は少数の者で治めれば欲も出るし、不満も溜まるし、仕事も溜まる。
だが、歴史に名を残すのは彼らだけだ。
様々な遺産で自分の名を残そうとするも、残るのは僅か。
後は捏造されるだけ。
確かに、上記の有名な者も捏造など当然の如くされていただろう。
その引き立て役になる者は、更に捏造されるのだ。
別にそれは当然であるし、歴史というのはそういうものだ。
古代に戻り、実際に眼に焼きつけ、それを周りの者に信じさせねば、本物など分からない。
自分が生まれると同時に死んだ人。
その人がいかに有能であり、天才であったとしても、それは何かと比較され、捏造されたものであり、信じられた事ではない。
だから現代から三国時代、ましてや将全員が少女になっているなど本人しか信じていないのだ。
創作でも、本当でもその事実は変わらない。
例えそこで何か約束をして、何かを信じ、何かを信じさせ、友を作り、敵を作り、生き、殺し、悲しみ、喜んだとしても、周りの者はただの嘘だと笑うだけ。
当たり前であり当然なのだ。
生物は冷たい。
親や子、愛する人、嫌な奴、関係ない。
信じたと言っても、その信じた事を本当に信じているかは本人しか知らない。
結局、何が言いたいか。
こう言いたいのだ。
北郷家の一人の老人。
一時期謎の失踪をし、彼は警察になんと聞かれても暗黙を貫き、開放されると本家の書庫に篭った。
その膨大な量の捏造された情報と、真実の情報。
彼は探した。
必死で探した。
あいつの名前を。
あいつの救い方を。
あいつの殺し方を。
探した。
そんな時、失踪前から自分に懐く孫二人が、書庫の戸を開けた。
自分の背後から日の光が差し込むのに気付いた時、自分の手の皺を見た。
年老いて、徹夜して。
それと同時に必死なのに気がついた。
約束をしたのだから。
絶望に浸るあいつを、希望を求め、救いを求め、死を求めたあいつを。
白く濁る髪は疲労と共に抜け、目には黒い隈が張り付き、身体はだんだんと油がきれた機械のように悲鳴を上げる。
そんなのは関係ない。
死に物狂いな彼に、孫は言った。
一体何を探しているのか。
彼はその言葉に、あの夢のような捏造のような幻覚のような、そして現実のような日々を思い出した。
彼はその時、人生という物がほんの少し、一欠けらほど分かった気がした。
だから、彼はその疲れた顔をニッコリと笑わせ、孫に話したのだ。
絶対に信じられない、絶対に笑われる、絶対に変人として扱われる。
そんなのを投げ捨て、孫に言う。
それはアメリカンヒーローのようにパワフルで、それは少女マンガのように純情で、それは戦争のように馬鹿馬鹿しく、それは今まで人類が歩んできた歴史のように壮大だった。
孫二人は呆けるだけ。
明日になれば新しい玩具にその記憶は釘付けになるかもしれない。
それでも彼は笑って語ったのだ。
歴史という果てしなく荒れた何もない道について。
どんな物も所詮、友達の友達から聞いた話のように信憑性に欠けていた。
ましてや、それは男の妄想駄々漏れの下らない話。
その話にある、人の心という物について彼は孫に教えたかったのかもしれない。
何とも言えず、何とも表せず、そうかと思いきやただただ単純な話。
彼があいつにあげた奏という名前についても。
彼は皺皺の手を必死に振るって様々な事を表現する。
言葉とはなんとちっぽけな物なのだろうか。
世界とはこんなにも広く、人生とはこんなにも無駄に複雑で、無駄に色鮮やかなのだと。
絶望や挫折など、白いキャンバスの上にほんの数ミリのゴミと見間違えるほどの小さな点。
あいつに、今この気持ちを伝えたい彼は、孫に八つ当たりのように語る。
分かる訳ないのに、ただただ楽しそうに、語る。
空高く上った太陽が、赤く恥ずかしそうに山の間に逃げていく。
孫達も彼の元気さに驚き、話に驚き、笑って帰っていった。
彼はまだ書庫に篭る。
死期を早めるような無謀な徹夜。
捏造された蔵書に押しつぶされそうになりながら、真実を探していった。
彼はその真実が明るいものだと信じていた。
装は街を歩く。
もう直ぐ袁術軍と呂布軍が戦という病を持ち込むという報告を受け、慌しく人が歩く街を。
その一人一人の目は明日を見つめ、生きていられると信じていた。
それは彼の行った政策の賜物なのか、劉備の異常な程の人望なのか。
それを嬉しそうに見たのは装ではない。
装の隣を歩く北郷一刀だった。
子供が無邪気に走り回り、大人はその面倒を笑いながら見る。
戦という不毛な物の合間の幸せ。
高校生という発展途上の彼の心は癒される。
装「随分と嬉しそうですねぇ」
装は怪訝に一刀を見る。
戦前の街。
幾ら人々が生を信じ、幸せそうであったとしても一歩間違えればその笑顔どころか、首から上がなくなりかねない状況。
騙される様に笑う彼らを見て、一体何が幸せなのか。
何千という時を生きた装も、その一刀の笑顔については知らなかった。
一刀「だってさ、楽しそうじゃん」
理解できない。
いや、理解しない。
人間はなれる生き物だ。
平和に慣れれば、その平和に苦痛を感じ、命を捨てる。
自分とは違った価値観を持つ一刀に、何も思わない。
何時もと変わらない。
ただただ部下を装っているだけ。
装「……それよりも、いきなり部屋から連れ出し、息抜きというのはどういう事ですかねぇ?」
対袁術用の策を文官一同で練り、斥候も反正の力で寝返らせ、偽の情報を流させた。
曹操のような者の陣営には、見破られるだろうが袁術ならば大丈夫。
呂布の軍師、陳宮にはばれるかも知れないが、袁術はどうせ必要な情報を呂布に回さぬであろう。
そして、文官としての仕事が一段落着いた時、突然一刀が現れた。
「息抜きに行こう」
そんな一言を文官に言ったが、唯一暇なのが装のみ。
戦前なので暇なのが少ないほうが当たり前だが、装は様々な者に教える立場である為に、常に目標とならねばならず、より効率的に仕事を進めたための結果であった。
男と街に出かけるなど嫌がるだろうと考えたが、一刀はまったく気にしなかった。
義兄弟であり、仲が良い男友達であるからという事もあるだろう。
多分、安康ならば多少引きつった笑みを零したと予想できる。
一刀「ほら、鬼ごっこ。あの時の事件で有耶無耶になってしまってたけど、今やらなかったら、今後一体何があるか分からないからさ」
一刀は横の空き地を指差す。
そこには以前、公孫讃の治める街で鬼ごっこをした子供達がいた。
正確に言えば、鬼ごっこの後の事件で死んでしまった少女を除いて、だった。
公孫讃は例の事件で信頼を失った。
ガタッと一気に失ったわけではないが、少し本当に少し失った事で、理想を語る劉備がより強調されたのだった。
鬼ごっこをした子供達の親は、子供をつれてでも劉備軍についていく事を決意。
黄巾の乱、反董卓連合と様々な事が起こったが、彼らはいまだに生きていた。
以前と変わらぬやんちゃそうな顔に、何かを想う装。
鬼ごっこ四天王と名乗る子供達。
一番が装で、二番が一番やんちゃな少年玄で、三番が事件で亡くなった未来で、四番が法という明るい子。
一刀「よーし!!今度こそ負けないからな!!」
玄「へーっ、どうせまた一刀兄ちゃんが、鬼をやり続けるんだろー?」
法「この間だって、鬼ばっかやってたからもう見学でいいんじゃない?」
一刀「ひ、酷いな。でも!!俺だって毎日早朝に修行してるんだ。前の俺と一緒にしてると後悔するぞ?」
仲良さげに笑う一刀と子供達。
早朝に修行しているなど装は知らなかった。
ならば、昼に行われる装の授業の時、グデーッとやる気なさげにしていたのは、疲れていたからだったのだろうか。
知らぬ間に努力をしていた事を知った装。
ここで、もし装が劉備勢の女性だったならば、恋に落ちたかもしれない。
だが、装はその一刀の後姿を見て、拳を握り締めた。
何もかもあいつそっくりだった。
見た目は年老いていても、心はガキのように無邪気で、何も考えていなくて。
理想ばかり語って。
修行はむしろこの時代で生きるためなのだから、当たり前なのかもしれない。
それでも、それを語るものと語らぬものとは大きく違う。
奴の口からは、苦労ではなく理想。
夢物語のように最期には主人公が勝って。
平和が訪れて。
奴は消えた。
物語はそこで終わった。
だが、装は終われなかった。
終焉を迎えず、また始まった。
遠くから聞こえる一刀の「こっちへ来いよ」という声に、装はあえて笑顔で答えた。
コイツもまた、全てを終えて、満足して変えるのだと。
自分はただの人形でしかない。
奴らを盛り上げ、引き立てる名も残らず、捏造で固められる存在。
だから、装はその真実を壊したかった。
捏造されるくらいなら、名など残すのではなかったと。
終わって気付く。
装はその真実は暗いものだと信じていた。
もう、彼と装は相容れないだろう。
唯一、名を知った未来の彼。
捏造された本来の装ではなく、作られた物語の装の名を知った。
反正も安康も。
その彼の甘い言葉に騙され、希望を持って終わった。
そして、終われなかった。
だから、壊して終わらないようにする。
ずっと壊れた物を動かす。
元々は、劉備のように甘い人間だったかもしれない彼らは、既に信頼など忘れていた。
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昔の死神の毒を見直すとやはり……恥ずかしいですな……
随分地の文も増え、台詞の最後に。を付けるのを止めた進化の過程。
台詞の最後で。をつけるのはダメらしいですね。
どっかで見たので信憑性は0の捏造の可能性アリです。
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