儂の放った矢が黄祖の眉間に突き刺さる。
敵大将を討ち取った報は、戦場全てに一斉に広まった。
袁術軍の勝ち鬨が聞こえ、儂ら孫策軍からは嗚咽が聞こえる。
戦の途中から降り出した雨は更に強くなり、他者から儂の顔を隠す。
・・炎蓮、仇はとったぞ。
長い事、待たせてしまったな。
お前の娘達は立派に成長した、次代を担う若者達もな。
もう、儂がいなくても大丈夫じゃろ。
許されるなら儂はお前の所にいきたい、じゃが、お前は許さんじゃろうな。
儂はこれから、孫家への最後の奉公をする。
お前の好みではないじゃろうが、儂の出来る最後の務めじゃ。
「真・恋姫無双 君の隣に」 第25話
益州を出発して荊州に差し掛かったところに劉表からの早馬が来た。
文の内容に驚きを隠せん。
「五日で江夏が陥ちたとは、本当ですか?桔梗様!」
「うむ、守将の黄祖は討ち取られ、劉表の元に御遣いから降伏の勧告状が送られてきたそうだ」
「それでは、御遣いは既に劉表の居城である襄陽に進軍してると?」
「いや、進軍せず江夏で統治を行っているとある。その為、わしらに江陵に向かって欲しいとの事だ。長沙の孫策も領土に侵攻してきており、武陵が交戦中らしい。どうやら劉表は武陵を見捨て、荊州の要所である江陵の死守に走ったようだ」
そうなると桂陽、零陵も孫策の手に落ちるな。
「なっ、我等は御遣いとの戦いという事で援軍に来たのです。孫策に備えろとはおかしいでしょう」
「まあ、そう言うな。江陵の守将はお前も知ってのとおり、わしの旧友の紫苑じゃ。劉表の面をみるよりよっぽどいいわい。娘の璃々も大きくなとっるだろうしな」
紫苑や璃々に逢いたいのは本当だが、御遣いとの戦は本心を言えば避けたい。
情けないが、万に一つも勝てやせん。
劉璋軍、劉表軍、共に黄巾の乱から大陸中で戦が起こっていた状況でも碌に戦っていない軍。
実戦を重ねていない軍なんぞ、いくら練兵を重ねても取るに足らん。
賊相手の経験なぞ無いに等しい。
間違いなく大陸最弱な軍よ。
何よりも兵たちの顔が全てを物語っとる、まるで緊張感がないわ。
戦の恐ろしさを理解しておらぬ、だが今は何を言っても無駄よ。
弟子の焔耶もな、益州の中で少々腕が立つくらいで自分が強いなどと思っておる。
事実に気付く前に死んでは何の意味も無いというのに。
「分かりました。桔梗様がそう仰るのでしたら先ずは孫策を叩きのめして、その後に御遣いなどという胡散臭い輩を葬ってやりましょう」
焔耶の軽々しい言葉に情けない気持ちになる。
馬鹿者が、わしは弟子の育て方を誤まったわ。
「桔梗、よく来てくれたわね。焔耶ちゃんも久しぶりね」
「久しぶりだな、紫苑。お主が嫁いで荊州に出向いて以来か。夫殿の事は残念だったの」
「もう、何年も前の事よ。夫の任を引き継いで悲しみに浸る暇もなかったわ。それに璃々がいてくれるから、私は幸せよ」
そう、璃々は私のすべて、あの子が大きくなって好きな人と添い遂げるまで、必ず私が護ってみせる。
それまでは死ねない。
何としても、この江陵を守らないと。
「紫苑様、お久しぶりです。桔梗様直伝の此の武で、必ずや敵を倒して見せます」
「頼もしいわ。よろしくね、焔耶ちゃん」
焔耶ちゃんの言葉は頼もしいけど、桔梗の表情から未熟なのが窺えるわね。
仕方のないことよ、私や桔梗もあれくらいの年の頃は、世の広さが分からなかったのだから。
「焔耶ちゃん。案内の者をつけるから兵を休ませてあげてくれるかしら?」
「分かりました。桔梗様、失礼します」
焔耶ちゃんが退出して二人になったところで、私は桔梗に頭を下げる。
「ごめんなさい、桔梗。今回の同盟と援軍の件、私が劉表様に進言して成立した事なの。どう考えても勝ち目が無くて、頼れるのは貴女しかいなかったの」
そう、勝ち目なんて無いわ。
それなのに漢帝国が出した追討令を恐れ、御遣いが反董卓連合の戦の時に劉表様を謀って領土を通過した事を理由に、蔡瑁や黄祖が御遣いに戦を仕掛けてしまったわ。
陶謙とも手を組んだけど敢え無く返り討ちで、逆に向こうに侵略の理由を提供してしまう始末。
「紫苑よ、気に病むことは無い。わしとて同じような立場になっていたらお主に助けを求めていたわ」
「・・ありがとう、桔梗」
「そうじゃ、璃々はどこじゃ?赤子の頃に会って以来だが、大きくなっとるだろうな」
私は何も言えなくて、桔梗が察したのか低い声で更に聞いてくる。
「璃々はどうした?」
「・・璃々は襄陽に、劉表様の元にいるわ」
「人質かっ!おのれ、劉表!それが臣下に成す事かっ!」
劉表様も以前はこのような無体な事はされなかったのだけど、病や後継者問題で弱っていたところに亡国の危機で、以前の度量が失いつつあるわ。
御遣いの進攻は止まったけど、荊州国内の人心は混乱の極みにある。
降伏の条件が、余りにも常識外だったから。
今日も美羽様は子供達のところに向かいます。
「七乃~、子供達に字を教えたいのじゃが、墨と紙を持って行っていいかの?」
「大丈夫ですよ~、私もご一緒しますから待っててくださいね~」
以前なら墨も紙も高級品だったのですが、今では生産量が跳ね上がって誰にでも手に入れやすい値段になってます。
以前の値段で売れば大儲けになるんですが、一刀さんが「誰でも使えるようになることに意味があるの」と言って、格安で世間に広まってます。
まあ、それでも充分に儲かってますが。
一刀さんの考えって、本当に先を見てますよねえ。
美羽様の準備が整って、さあ出かけましょう~、と執務室から出ようとしましたら、
「待て、七乃、仕事はどうした」
凪さん、やっぱり見逃してもらえないんですね。
「美羽ちゃん、沙和が一緒に行くの、丁度街の警備所に戻る予定だったの」
ああ、沙和さんずるいです、サボりも兼ねてるでしょう。
「ウチも行くわ。襄陽攻略に使う投石機の最終調整をしようと思うててん。美羽、明日で良かったら試験するとこ、子供達に見せたるで」
「ホントか、皆も喜ぶのじゃ。真桜、大好きなのじゃ!」
くう~、真桜さん、妬ましいです。
美羽様は沙和さんや真桜さんと一緒に行かれました。
「さあ、七乃、仕事の続きだ」
うう、一刀さんなら逃げられるのに。
遠征中の一刀さんが、凪さんに私の見張りを頼んだんです。
そもそも遠征の随行者を他国の人達にして、主力の凪さん達を置いていくなんて非常識にも程があります。
勿論全員で反対しましたが、結局は一刀さんの説得に折れてしまいました。
それにしても、認めてしまう私達はもう駄目ですね、どれだけ私達は一刀さんが好きなんでしょうか、ハァ。
「どうした、七乃、疲れたか?」
「いえ。それよりどうですか、凪さん。将として使える者はいまいしたか?」
「残念だが将としては無理だ、兵は二万の精兵が増員できたが」
各地から訪れてきた流民は、今では様々なところで新しい生活を始めていて、領土中が活気に溢れてます。
ですが首脳陣の人材不足は相変わらずです、月さんのところも忙しそうで応援を求めるのは厳しいでしょう。
荊州で人材を補強したいところですが、どうですかねえ。
それに一番の問題は、一刀さんの提示した降伏条件です。
一、荊州在民全てに対し、私有地は一定以上から、及び人的財産は全て没収する。
一、生命と金品財産は保障する。
一、任官を求める者は才を見計らった上で、才に見合った役職を与える。
一、荊州在民全てに対し、土地と家を与え所有権を認める。
ようするに力を持ってる名家や豪族を潰して、奴隷や貧しい人たちを保護するって事ですね。
こんなの劉表や重臣は認めるわけありません。
でも荊州中の民はこの事を知ったら、どう反応するでしょう。
一刀さんの噂は意図的にも自然にも既に広がってますから。
実際どう転ぶか、私も予想がつきません。
今後の他国への姿勢。
一刀さんがこの考えを洛陽で話してくれた時は、翠さんと蒲公英さんが流石に問い返してましたし。
お二人は話を聞いた後に納得してくれましたが、欲深な者達には無理でしょう。
そして豪族の多い孫家も。
明日、長沙に戻る孫策軍。
礼を述べようとしたら、黄蓋殿に先に告げられた。
「御遣い殿、儂を今後も使ってくれんか?」
「それは、襄陽攻略もお手伝いしていただけるという事ですか?」
とても有り難い話だが、雪蓮も武陵攻略を行っていると聞いてるし、早く戻るべきだよな?
「違う、儂を袁術殿の陣営に加えて欲しいという事じゃ」
「祭様っ!」
「祭殿、正気ですかっ!」
「無論、正気じゃ。堅殿の仇を討った儂は、最早孫家に未練は無い。自由にさせて貰う」
陸遜と思春が黄蓋殿の言葉に絶句する。
俺は額面通りに言葉を受け取ってはいない、赤壁での黄蓋の最期を思い出す。
・・苦肉の計か、だが戦になってない今の段階から行うというのか?
むしろ、埋伏の毒、か。
黄蓋殿を思春が詰りはじめ、言い返す黄蓋殿の雪蓮達への批判が耳に痛い。
本心ではないと分かっていても、聞きたくない言葉だ。
「分かりました、俺から話を通します」
「一刀、貴様っ!」
「うむ、礼を言う。よろしく頼むぞ、では儂は休ませてもらう」
黄蓋殿が退出し、剣呑な空気の中で陸遜達に改めて援軍の礼を言って、俺も退出した。
明日の帰国の準備を終え眠ろうとするが、眠れるわけが無い。
やはり一刀に問い質す、何故に承知したのか。
答えによっては、私はお前を斬る。
一刀の部屋に向かう渡り廊下で、欄干に寄り掛かって夜空を眺めている一刀を見かける。
周りに警護の者が居ない、あの馬鹿!ここは敵の城だったんだぞ。
いつ刺客が来るか分からないのに。
急ぎ駆け寄る。
「一刀、ここが何処かわかっているのか。無用心にも程があるぞ!」
「ああ、思春。まだ休んでなかったのかい」
「ふざけるな!眠れるわけが無かろう。どうして祭殿を受け入れた、貴様が断れば良かった筈だ」
長沙に戻れば、蓮華様達と話せば思いとどまってくれた筈だ。
「あの場には両軍の兵達がいた。断れば黄蓋殿には行き場が無くなっていたよ」
「だから自軍に、これ幸いと取り込むというのか。お前もお前だし、祭殿も祭殿だ。蓮華様達の気持ちはどうなる、残された者の気持ちを考えられないのか!」
私の言葉に一刀が俯く。
震えている?
それに、どうしてそんな悲痛な顔をしているんだ、お前は。
「思春、黄蓋殿は死ぬような目にあっても孫家を裏切る人じゃない」
「何を言ってる。実際に裏切ったではないか」
「違う。俺と雪蓮がいつか戦うことが分かってるから、其の時の為に自らを人柱にするつもりで此方の内部に入り込もうとしたんだ」
「何だとっ!」
そんな馬鹿な、だが、祭殿ならありうることかもしれない。
そうだ、祭殿が孫家を裏切るわけが無い。
孫堅様亡き後、孫家を支えてきたのは祭殿だ。
そうだったのか、・・いや、待てっ!
祭殿の事は納得できた、だがそれでは?
「・・ではお前は、いつ寝首を掻かれるか分からない者を受け入れたというのか?」
返事は無い、しかし私を見る顔が物語っている。
ふざけるなあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!
私は一刀の襟首を掴み上げ、
「何故お前が背負わなければいけない。お前は元々戦に向かない男だ。そんなお前が、何故全てを受け止めて血を流さなければいけない」
我慢できなかった。
蓮華様や亞莎の心を救い、周りにいる者達を幸せにする優しい一刀が、どうして苦しまなければいけない。
「・・受け止めたいんだ。俺の道は血に塗れる事だから、せめて」
「うるさい!私は認めない、蓮華様も亞莎もだ。そんな弱々しい顔でなく、いつもの能天気な顔でいろ!」
私は、私はいつものお前の笑顔が良いんだ。
「いいか、お前が死ぬことは絶対に認めない。お前には蓮華様の責任を取って貰うのだからな」
私の怒りを受けて、一刀は笑顔になった。
優しく私を抱きしめる。
「ありがとう、思春」
「フン、種馬が。だが今回は許してやる」
一刀の顔が私に近づく。
私は眼を瞑り、愛する男を受け止める。
廊下の曲がり角でお二人の会話を聞いてましたが、
「やっぱり見抜かれてましたね~」
「・・そのようじゃの」
私も祭様も、策が見抜かれてる事よりも御遣いさんに対して言葉が出ません。
ですが敢えて出すとしましたら、
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」
小人物に大人物の志は分からない、ですかね~。
冥琳様、取り込まれるなんて見当違いもいいところでした。
劉表への降伏条件は、他の諸侯に対しても御遣いさんは一貫するでしょう。
それは孫家に対しても同じ事で。
新しい時代を築こうとしてる御遣いさんには、最初から全てを受け止めて戦う覚悟があったんです。
私達の方こそ、覚悟が足りなかったんです。
「穏、時が来るまで儂は全身全霊で御遣いに尽くす。・・そう伝えてくれ」
そして例え敵であったとしても、あの人に好意を持ってしまうのは自然な事なんだと思います。
祭様や、私のように。
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亡き主の仇を討ち取った祭。
厳しい戦に挑む桔梗に紫苑。
彼女たちは未来のために戦う。