「随分とご立派な、その、門構えで」
「代々、住んでる屋敷なんだ」
── やっぱり、僕と君とは住む世界が違うんだ。
彼の家の前に来て、そう思った。
だって、こんなよくわからない世界感の創造物が鎮座する門なんて。
僕は今まで生きてきた中でも、見たことないよ。
僕、
「帰りにウチに来てよ。この間話してた、ゲームをしよう」
そう言われたので、何も考えずに「行く」と即答した。
それが良くなかったと、今は思っている。
考えるべきだった。
九結は自身を『バンパイア』と、明かすような人なのだから。
後悔し始めたのは、「もう着くよ」と言われてから、長く続く塀の脇を歩く途中。
いつになれば着くのかと、不安になり始めてから数十分 ── どこの国かと思うほどの立派な門の前で、九結は足を止めた。
見た目が華やかで、どこか人間離れした魅力のある九結だけれど、まさかこんなにも……住まいまでこう、世間離れしているとは思わなかった。
「これはその、気軽に訪れて良かったのかなぁと、思うような感じだなぁ。何と言うか、日本的家屋ではないんだね」
ただただ、足がすくむ。
帰りたいとはっきりとは言えず、控えめな言い方をしていると、九結は苦笑を浮かべる。
「うん。悪趣味だよねぇ」
住んでる本人も、そう思うのか。
それならはっきりと、見た目が怖いので帰りたい、と言っても良かったのかもしれない。
僕は視野に収まりきらないその門を、そろりと見上げる。
一般家庭では見なさそうなオブジェが、城かと思うような立派な門を囲い、アーチのようになっている。
そのオブジェがまた、大蛇が美女の喉を今にも噛まんとする、実にホラー映画のワンシーンかと思うもので、確かに悪趣味ではある。
月日で褪せているのが余計に、おどろおどろしい迫力に拍車がかかるようで、ただただ閉口してしまう。
ここに荷物を届ける宅急便屋さんなどは、どんな気持ちでこの門を訪ねるのかと、そんな想像までしてしまった。
僕なら、こんな屋敷のある地域の配達はゴメンだ。
「ささ、気にせず入って」
いや、もうそれは無理で、かなり気にしている。
僕は萎縮し始めていた。
外側がこれなのだ、内側なんてどうなっているんだろう。
門は鉄格子にはなっているものの、奥が見えにくくて、内側がうかがえない。
なんか、暗いんだ。
いや、暗いのか、黒いのか。
分からないけれど、何となく辺りが冷えてきた気がする。
その厳つい門が開けて、くぐると、今度はきっちりとガーデニングされた庭と、小道が目の前に広がる。
色合いは、黒い。
そして、最も嫌な予感がしていた洋館が、奥に見えた。
その様子はまた……もうなんと言うか黒い。
庭の薔薇は闇を思わせる黒と、血のように濃い赤で埋まり、小道だって黒曜石で黒光りしている。
奥の立派な洋館も、年代は感じるけどそれ以前に、色合いが薄気味悪くて暗すぎる。
門があれだけに、期待を裏切らない威圧感だ。
「あのさ、九結。僕、お化けとか苦手なんだぁ」
どことなく震えがきて、九結の後ろに張り付く。
すると振り返った九結が、微笑んで僕の手を取った。
「可愛いところが、あるんだね」
九結のような容姿の人にそう言われると、逆に虚勢を張りたくなる。
からかわれている気がするのだ。
それにナチュラルに手を握られてしまい、余計に焦った。
気があると言われてしまっている手前、触られるとつい焦ってしまう。
僕はさりげなくその手を振り切り、前に出て歩きだした。
「ちょっと変わった家だ、九結の家は」
「楓家くんの家は、どんな感じなの?」
「フツーです。よくある一軒家」
「フツーって、どういうのがフツーなの?」
「え、ええっと。三角っぽい屋根と、四角の箱っぽい土台で」
「ぼくの屋敷もそうだけれど……」
「大きさが、規模が違う」
「うーん、イメージがわかないなぁ。今度、見に行ってもいい?」
「そうだね、見た方が分かるよ」
って、自然にご招待してしまってるじゃないか。
はっとして九結を見るも、特に企んだようでもないらしく、いつもの笑顔だ。
ナチュラルに話し進めるとか、コミュニケーション力高い。
油断ならないな。
屋敷の近くまで来ると、ここら辺ではあまり見ないカラスの大群が、屋根に並んで僕達を見下ろしていた。
カァカァと会話でもするように鳴いていて、注目されている気がしてならない。
「ここには、何か、いるのかな?」
思わず聞く。
九結はニコリと笑顔で答える。
「お化けはいないよ」
お化け『は』いないらしい。
じゃあ、何がいるのと。
そう聞こうとしたら、洋館の重そうな扉が、不気味な音をたてて開いた。
「眞(しん)、おかえり」
涼やかな声をした青年が、中から出てきた。
青年で合ってるか、そんな中性的な容姿の人だ。
九結のお兄さん、なのだろうか。
九結とはまた違った雰囲気で、九結よろしく性別が不明の、端整な顔立ちではある。
細身の長身で、冷たそうな白い肌、少し垂れ気味な赤味のある瞳をシルバーフレームのメガネで覆っている。
どちらかというと欧米寄りな容姿だ。
九結も風貌がどちらかというと欧米寄りで、彼らは僕などと故郷(くに)が違うのか、混血なのか。
今度、気が向いたら聞いてみることにしよう。
まぁ、また『ぼくの かんがえた ばんぱいあ』な妄言を言われそうではあるけれども。
九結は普段が笑顔だからか、華やかで朗らかな印象だけれど、この青年は表情が冷たく、落ち着いた印象というか近寄りがたい。
その青年は九結を見た後、隣の僕を見て少し眉を寄せる。
「眞、彼は」
「ぼくの、ええっと、お友達」
少し迷ったようにして九結は言った。
なぜ、迷った。
まさか嫁候補です、とでも言おうとしたんじゃないだろうな。
「楓家未来くんだよ。楓家くん、ぼくの兄です」
九結は僕に彼をそう紹介してくれた。
やはり、お兄さんだったか。
男で合っていたのが、少し違和感はするけれど。
しかし九結と素の表情が違うので、兄と言われても、あまり似た感じがしない。
僕は紹介されて、少し頭を下げた。
「どうも、初めまして」
そんな僕を、九結のお兄さんはジッと見ていて、その表情はどことなく険しい。
初対面でこれは、かなり焦る。
何か気に食わない事でもしてしまったかと、目線を上目に伺っていると、ようやく言葉を発してくれた。
「
落ち着いたトーンで名を告げてくれた。
思っているよりは、嫌がられているようではないらしい。
気難しい人なのか。
白空さんは、僕に手を差し出す。
こんにちはの挨拶かな、そう思って僕はその手を握った。
すると白空さんは、僕をまたジッと見つめてくる。
僕はよく分からないまま、見つめ返す。
「…………」
「…………」
長い沈黙。
その内に、九結が僕の手を白空さんから剥がしてきた。
「
少し焦るように言う九結に、白空さんはまた眉を寄せて言った。
「変わった人だね、未来くんって」
変わった人とは。
そう言われた事なんて、全くございません。
むしろ平凡、目立たない方です。
「変わってますか?」
「うん。ちょっと、変」
そう言って、白空さんはチラリと流すような視線を寄こす。
その、チラリと見る感じが色っぽい。
ドキドキする。
妙な動悸を感じていると、それを察したように九結が手を引く。
「楓家くん入ろ。ぼくの部屋に、案内するよ」
「え、ああ、あの」
まだ、僕が変だという根拠をだね、聞いていないのだけれど。
そして、聞きたいのだけど。
変だなんて、ちょっと憧れる。
人に気にかけてもらえるほどの、特徴らしいものなんて僕にはないんだから。
しかし聞く余裕もなく、九結に引っ張られるようにして中に入った。
屋敷の中はまた、暗かった。
いや、灯りはあるんだけれど、色合いが黒いので暗い感じがする。
「ここ、本当にお化け屋敷とかじゃ、ないんだよねぇ?」
失礼ながらも、確認せずにはいられない。
九結は曲線に段の重なった幅のある階段を上がりながら、僕に笑いかける。
「今はいないよ、大丈ぶ……」
「今!?今はって言った!?」
僕は聞き逃さなかった。
それにはっとした、九結の表情。
やっぱり出るんだ、この屋敷!
「── 今日はもう帰るよ、お邪魔しました」
「まだ、来たばっかりじゃない。さっきのは冗談だよ、冗談」
ニコニコ笑って言ってるけど、ちょっと焦りが見えてないか。
九結が無理に穏やかにしているのを、僕は見逃さなかった。
「そういえば僕、今日は、犬のポチに餌やる当番なんだ」
「ご家族がもう、あげてるんじゃないかな」
「いや、ポチは僕からしか餌を食べないんだ」
「ねぇ、ごめんねぇ。ぼくの悪ふざけだから、楓家くん帰らないで」
── 嫌だ。
だってもう、この雰囲気、限界だもの。
一々、怖いんだよ!
階段の踊り場で騒がしくしていると、ふと腰に、何者かの腕が回された。
「ひぎゃぁあああ!!」
── ついに、出た!?
僕は堪らず、悲鳴を上げる。
すると背後のその何者かが、僕の口元に指を這わせて塞いだ。
「静かに。眞を困らせないで」
ねっとりと、熱の含んだような声が耳元でする。
耳に当たる息は温かくて、とてもお化けとは思えない。
というか、くすぐったくてゾクゾクと体が震える。
「ふぁあ!?」
僕は変な声をあげつつも、素早く抜けて、耳を押さえながら振り返った。
僕より少し背のある細身の青年が、そこに佇んでいる。
というか青年かな、また性別不明の人が現れた。
「
九結がそう呼ぶ間に、僕は腕を引かれて彼に抱き寄せられてしまう。
「ふふ、美味しそうな肌色してるね」
彼は身を震わせるような声色でそう言い、見つめる。
これまた、九結に劣らずと美形、そしてその度アップ。
妖しく笑う顔は、九結に似てる。
少しタレ目で細身の体、抱きしめられると分かる、この人男だ。
九結のお兄さん、2人目。
この家には美形しかいないのか。
「すみません、離してください」
あまりくっ付いていても、恥ずかしい。
だけれど、彼は離してくれない。
「そう、固くならずに。ねぇ?」
また、ドキっとするような視線。
これは、誘惑されてるのか!?
違う、違うよ、僕はそういう類の人間ではないんです。
これだけの麗人だから、そりゃあ流されそうにもなるけれど、やっぱり男同士、友情以上は無理なんで!
「しょ、初対面じゃないですか。挨拶させてくださいよ」
「ふぅん?」
不可解そうな顔をする。
こっちが困っているのに、何か困らせたような顔で、ようやく離してくれた。
僕はさらに距離を取るように離れると、ニコリと笑いかけられた。
「わたしは、
潤んだ瞳を薄っすらと閉じる。
少し派手さを感じる微笑み。
そして放たれる色気は半端ない。
それに気圧されないよう、耐えながら僕は笑顔で返した。
「楓家未来です、どうもよろしくです」
「未来ちゃん?ふふふ、可愛い名前」
「似合ってなくて、すいません」
こんな、希望の塊みたいな漢字をもらっても、地味なんだよな僕は。
そんなやさぐれからそう言うと、九結が間を割り込んできて僕に言う。
「そんな事ないよ、似合ってる。さささ、とりあえず部屋に行こう」
そう言ってこの場を過ぎようとする九結に、黒空さんは待ったをかけ、
「眞、きちんと紹介してくれないと。一度、応接間にいらっしゃい」
と、たしなめられた。
そう言われては九結も仕方なしと、多少肩を落とし気味に、僕に話を振る。
「そういうわけなので、楓家くん。いいかな」
僕はやむなくと、頷かざるを得なかった。
凄たらしい内装の広間へ、案内される。
応接間ということで、装飾も良さそうなものばかりなのだが、その内容はまたグロい。
やたらと美女が噛みつかれているものが多く、悪趣味そのもの。
周りに目をやりようもなく、僕は目の前の3人に顔を向けるしかなかった。
「改めまして。未来ちゃん、初めまして」
言い出しは、黒空さんからだ。
ゆったりとしたソファに足を組んで掛け、胸に手を当て自己紹介を始めた。
「わたしは九結家の長男の、
その後、ソファの後ろに控える白空さんに手を向ける。
「次男の
白空さんは目を伏せ、会釈する。
黒空さんは一息置いて、最後、白空さんの隣に控えている九結に手を向けた。
「そして、三男の
ご丁寧にも、九結家のご紹介いただきまして。
ふと僕は疑問に思い、尋ねた。
「ご両親は」
言いかけてる途中に即答される。
「亡くなったよ」
亡くなられたと聞き、僕はすぐに詫びを入れた。
「それは、失礼しました」
「いいえ。もう何年も経つから。それより、きみと眞はお友達なんだって?」
聞き返され、頷いた。
そして補足する。
「はい、クラスメイトです。今日は、九結……、眞夜君に招いてもらって、ここに来ました」
緊張する。
敬語、間違っていないかな。
ガチガチになりながら話していると、九結がお茶を運んで来てくれた。
辺りに漂う、紅茶の香り。
九結にいただきますと言って、僕はそれを一口いただいた。
ほどよい温度に、僕の口に馴染みのいいダージリンで、緊張が少しほぐれる。
「黒ちゃん、もう楓家くんと、部屋で遊んでいいかな」
九結がそう言うと、黒空さんは九結に微笑む。
「眞、後始末は自分でするんだよ」
── 後始末?
その不気味な言葉に、僕は背筋が凍った。
九結は慌てて黒空さんに言う。
「黒ちゃん、違うよ。楓家くんは、遊びに呼んだだけなんだ」
「そうなの?ついに眞も、吸血する時が来たのかと」
── 吸血、だと?
僕はさらに冷や汗が出始める。
そのやり取りの横から、白空さんも一言挟む。
「『吸血初め』は、見知った人がいいからね。彼は特に健康そうで、分けてもらうなら良さそうだ」
それには、黒空さんも納得と頷く。
「もう、ふたりとも、違うって言ってるじゃない」
九結は僕に気遣うようにしつつも、慌てている。
吸血って……僕が知っている事だとすれば血を吸う事だと思うが、合っているか。
だとしたら、この2人もバンパイアということに。
まさか……『ばんぱいあ』は九結のコミュニケーションの一環で冗談、じゃないっていうのか。
本当に、バンパイアなの!?
またまた、ご兄弟そろってご冗談を。
でも、この2人が、真面目に冗談を言うようにも見えない。
3人に見据えられている。
特に兄2人は冷たい瞳を細め、僕を見定めるようにしている。
特に首筋を、どう噛もうかとそう見ているようで。
黒空さんが口角を上げ、舌舐めずりをした。
チラリと覗く紅い舌に、僕は恐怖で鳥肌と震えが全身を駆け巡る。
そして ── 僕は、ついにプッツン、切れてしまった。
「もしかして、ここの皆さん、バンパイアなんですか!?」
度重なる恐怖、混乱から、僕は考えなしにそう聞いてしまった。
この前のバンパイアの話って、本当なの!?
冗談じゃないっていうのか!?
考えただけで、頭が。
頭が、痛い!
蒼白な顔の僕を前に、まばたきを多くする三兄弟。
そして長男の黒空さんが首を傾げた。
「知ってて来たんじゃ、ない?」
そして次男の白空さんが、三男の九結にきつく問う。
「眞、教えてないの?」
「ぼくは、言ったんだけどねぇ」
確かに、言われた。
でもそんなの、冗談だって思うじゃないか。
そんな、現実味がないもの。
もっと混乱する僕に、ゆっくりと黒空さんが近寄り、そして隣に掛ける。
冷んやりとした、なんとも言えない威圧を感じて、僕は黒空さんをビクビクしながら見た。
「きみは、不思議な子だ。わたし達を前に、正気なんだね」
言っている意味が、分からない。
そう言いたいのが伝わったのか、黒空さんに微笑みかけられた。
「普通はこんなに怯えもしないし、わたしが言えば、すぐに首を晒してくれる。でも、きみは違う。きっと逃げてしまうんだろう」
そう言って、僕の首に手を添える。
「わたし達の吸血が終われば、その部分の記憶は抜け落ちて、また普通に暮らしていけるよ。だから……」
黒空さんの唇が、僕に近付いてくる。
綺麗な形をした唇が開き、よく尖った犬歯がチラリと覗いた。
このまま吸われてしまえば、この怖い体験も忘れられるということか……
それが本当なら、吸われてしまえば、楽にこの混乱から解放される……
「ダメだよ」
ふと引っ張られる。
九結が寸でのところで、僕を黒空さんから引き剥がした。
「楓家くんはっ、未来くんは、ぼくの一生を一緒に遂げる人として、大切にするんだから」
こんなところで、また。
九結は本当に、まっすぐだな。
黒空さんと白空さんが、目を丸くして呆気にとられている。
最悪だよ。
「っ九結、おま、何を」
僕はそう突っ込むも、九結は眉をキッと吊り上げ、兄達に向かってさらに言う。
「黒ちゃん達には、吸血させないよ」
そう言い放ち、僕を引っ張って走り出す。
僕は混乱と焦燥と、わけわからない頭の中ぐちゃぐちゃのまま、九結に引っ張られるがまま、応接間を後にした。
ああ、こんなよくわからない世界が、身近にあったなんて。
何か、振り回されてる気がする。
どうしよう、どうしようか。
頭をフル回転させるも、ついていけない。
気付けば、見慣れた公園のベンチに座っていた。
「はい、これ」
温かい缶コーヒー。
隣に九結が座る。
どこかの自販機で買ってきたらしい。
僕は少し頭を下げて礼をし、一口すする。
「ごめんね」
いやに落ち込んだ声に、顔を向けた。
九結が頭を下げている。
「困らせるつもりじゃなくて。ただ、もっと未来くんと仲良くなりたくて、ウチに呼んだだけだったんだけど」
「僕……九結と、付き合うつもりは……」
ない、そう言いきる前に、九結の手に口を押さえられた。
「この前は、急な告白して悪いと思ってる。だけど、それはまだ……言わないで……」
悲しそうに眉を下げて、苦しそうな声を出して、九結は僕に言う。
それがあまりに可哀想で、僕は小さく頷いた。
九結はホッとして手を離し、また話しだす。
「未来くんにね、ぼくの事、もっと知って欲しいんだ。だから、ウチに呼んだんだけれど……兄達に警戒されちゃったね。でも、ああでも言わないと、未来くんが吸血されてしまうし」
「一生を一緒にって?」
「……友達だとしても、一生を一緒にで合ってるでしょう?」
合ってるかな。
まあ、一生の友達とは言うし、じゃあ、合っているんだろう。
感情を考えると、変に意識してしまってダメだな。
「兄達にはきちんと紹介もできたし、今日みたいに迫っても来ないだろうから、また……遊びに来てくれるかな」
「うーん、考えておくよ」
さすがに、快い返事はできなかった。
でも嫌とも言いづらくて、濁した。
それでも九結は、ホッとしたような顔をしている。
こんな僕なんかに、嫌われるのが怖いんだろう。
他にいなかったのか、と思うよ。
僕じゃなく、九結に見合うぐらいの奴が。
いや、見合うような奴、そうはいない。
けど、何も、僕でなくてもとは思うんだ。
せめて、九結を想ってくれている奴の方が、楽だったんじゃないかって。
「九結は、何で僕を」
「きみがいいからだよ。それに、前にも言ったけれど、きみはぼくに媚びないから」
「それって、九結の事、好きにならないって事だよ」
「意図せず好かれるぼくには、それが魅力なの。だからって、ずっと、そうであって欲しくもないけれど」
「難しいな。どうしたらいいんだぁ」
「いつもの未来くんでいいよ」
そう微笑んだ九結が、いつもの笑顔と違って見えた。
瞳を細め、緩やかな弧を描く唇。
それが人へ笑いかけるそれとは違くて、少し気持ちが入っているというか。
やや頬が赤らんでいる。
僕を好きなんだろうなと、熱の入ったそういう顔。
だから僕は、また、変に得意になってしまう。
自分が、優位にいるような錯覚。
九結は何が何でも、僕が最高だと立ててくれるだろうなと、そこまで思えてしまうのだ。
「まぁ、そうするよ」
だからこうも、偉そうな言い草になる。
ちょっと照れはあるけれど。
少しの間の後、九結は僕と距離を詰めて、言った。
「白ちゃんが言ったの、覚えてるかな」
「何だっけ」
「『吸血初め』の事。『見知った人がいい』って、言ってたでしょう」
「ああ……」
「未来くんに、お願いできるかなぁって」
確かにそういう話はしていた。
すでにうろ覚えだが、そう言ってたのは聞こえてた。
でもあの時は混乱してたから、どんな事をするのかとか、そういう質問が全くできなかった。
冷静になった今、僕はまず、聞いてみることにした。
即答すると、ロクな事なさそうだから。
「どういうことをするの?それで、返事したいんだけど」
「うん。動脈あたりの首筋に歯を刺して、垂れた血を頂く、それだけだよ」
「なるほど。パス」
「もう少し、考えて」
「いやいや、痛そうだし、怖いし、死にそうだし」
慌てる九結に、首を思い切り横に振って拒否の態度。
大体、お化け怖い奴が、こういうの平気だとでも思うのか。
大抵は、セットで嫌だと思う。
「ね、ね、未来くん。今、ちょっと、やってみよう」
「何でよ」
「お願い、ね?ぼく、初めては、未来くんがいいから」
「っな」
初めて、とか。
そんな、そんなテンプレート的なお誘いの仕方で、九結に迫られたら困る。
九結の細い肩が、僕の肩にピタリと引っ付く。
そして、夜空を思わせるような深い闇の色の瞳が、僕の顔を覗き込んだ。
桃色の唇が、近付きながら囁いてくる。
「未来くんの、首に……口付けして、いい?」
頭に響いてきそうな、甘い声。
ドキドキと高鳴る、胸の音。
これは、バンパイアの力のせい……なのか。
「口付け、だけなら」
断りきれずに、許可を出す。
九結は、心底嬉しそうに微笑んだ。
その顔が卑怯な位、可愛らしくて。
見ていると何でも許してしまいそうな、その顔から目を背ける。
そして、黙って首回りのぼたんを外し、首を晒した。
「ありがと……っ」
「っん」
首に触れられた唇が柔らかくて、僕の薄い皮膚に伝ってくる甘い感覚が、体を震わせる。
そして、鋭いものを当てられた。
筋に尖った犬歯が当てられたようで、チクチクとする。
それに段々と、背筋にヒヤヒヤとした寒気が走る。
「っ、九結」
怖くなって、九結の肩を掴む。
すると、唇が首の皮膚を吸いながら摘まんで、ちゅっと音を立てて離れた。
「んっ」
ビクッと体が震えてしまった。
それにクスっと笑う声。
「未来、くん……って、ホント怖がりだね」
そう囁く声に、僕はまた震える。
それは怖さではなくて、もっと快感的なもので……恥ずかしい!
「ふっ、っ九結、このっ!」
「首、弱いの?」
何てことを聞くのか。
そう思うも九結の瞳は澄んでいて、とてもいやらしい目的で聞いたようには見えない。
このイイコっぷりが、また卑怯だと思う。
僕だけ慌てて、恥ずかしい。
「く、くすぐったいよ、思ったより」
「実際、多分、痛くないよ。痛みはないって、黒ちゃん達も言ってたし」
「吸血する側の、言葉じゃないか」
「だって、された側は大抵、覚えてないから……」
ああ、黒空さんがそんな事を言ってたか。
じゃあ、悔しいな。
こんな気持ちいいとか思って、恥ずかしくなってるの僕だけなんて。
って、気持ちいいとか、何だ。
ああ、もう、シャクだ!
「九結も、吸われればいいんだよ」
「え?」
了解を得る気もなく、僕は九結の肩を掴んで引き寄せ、その細い首に唇を付けた。
九結を真似たつもりで、柔らかい皮膚を吸い込む。
「あっ、ん!ちょっ、痛っ」
痛い?
同じように、しているつもりなんだけれど……唇の力が有り余ってしまったか。
僕は角度を変え、また同じ場所を吸う。
今度は舌を使って、皮膚の表面を舐めるようにしてから唇に挟んで吸う。
皮膚だけをつまんだつもりだ。
それなら痛くないだろう。
やったことないから、憶測だけど。
そしてくすぐったくて気持ち良くて、恥ずかしい思いをすればいい。
九結は小刻みに震え、「あっ、うっ」と声を上げる。
かなり恥ずかしくなっただろうと、そう思ったところで、僕は九結のしたようにちゅっと音を出そうと、最後をキュッと唇に力を入れて離した。
しかし、ちゅっとは音がしなかった。
でも、九結のすごく恥ずかしそうで焦った顔が腕の中に残っている。
してやったり、そう僕は得意気にニヤリと笑ってやった。
「どう、吸われる気持ちは」
「どうって、そんな、……」
「覚えてないからって、適当に言うもんじゃないよ。僕は結構、恥ずかしかった」
「ああ、うん、恥ずかしいね」
九結は瞳を伏せて、僕が口付けたところをさする。
「それに、ちょっとヒリヒリするよ」
そう言うので見てやると、九結の白い首に朱くうっ血したように痕ができていた。
これは、もしかして……
「九結、その、あの、僕が悪かった。
なんか多分、九結のやったのと、ちょっと違うかもしんない。
ちょっとやり返そうと、でもそこまで深く恨んでやったわけではなく、ただ戯れというか、気持ちをわかって欲しいというか、そう思って軽くやったつもりだったんだけど」
「ええっと、なに?」
「……痕が、付きました。その、君の首に」
僕は焦って、言い訳をずらずら並べ立て過ぎた。
これは紛れもなくキスマークで、しかも僕が付けた。
そして、とても目立つ。
これは非常によろしくない。
僕だとバレてしまったら、クラスメイト達からの総スカンが予想される。
慌てる僕とは対照的に、九結は非常に穏やかだ。
この状態が見えていない風の、よく分かってない九結が、笑顔で小首を傾げる。
「いいよ、未来くん。ぼくが、先にやったんだから」
「ほぁ!?あ、ありがと……」
変な声が出た。
水に流してくれるということだよね、ありがた過ぎる。
そう思っているところへ、
「でも」
と、九結は続け……
「吸血初めに付き合って欲しいな。あと、ぼくのことも、九結じゃなくて眞夜って呼んで欲しい」
そう、言った。
「あ、が……」
空いた口が塞がらなくなる。
九結は、本当に許してくれているんだろうか。
もしかしてイイコを装って、これの責任をとらせようと、そういう……
── 僕は、考えるのをやめた。
「うん、分かった。僕でいいなら、付き合うよ、眞」
「ありがとう」
ネチネチと細かく考えて頭悩ませても、仕方ないことだ。
キスマークを付けた事実は、変わらない。
しかも、好きじゃないと明言したくせに、ふざけてしたとはいえ、こんな痕をのこしたのだから。
だったら、それに見合う責任は取るべきだ。
そして二度とこういう失敗をしないよう、気をつけるべき。
「でも眞、誤って噛み殺さないでね」
「そんなこと、しないよ。一生、一緒にいたいもん」
「ははは。またさらっと告白するの、やめてください」
「ああ、そんなつもりじゃ」
「あ、そうか、友達は一生モノだからね。そういう意味だったら、深読みしてゴメンね」
「……そこまで拒否したいほど、ぼくはダメなの?」
「ダメ、じゃないけど、うん、そんな悲しそうな顔して見ないで、ね?ほら、性別的には、気になる部分だからさぁ」
「乗り越える壁が、色々あるんだねぇ。ぼく、頑張るよ」
「頑張って!って、何を頑張るのかなぁ?っうあぁ、何か頭痛くなってきた」
ちょっと大変です。
僕の友達の、バンパイアとの付き合いは。
そんな事があって、九結こと眞夜には、しばらくカットバンを首に貼るようにお願いした。
眞夜は誰も気にしないよと言ったけれど、そんなわけはない。
万が一、これが知られたとなれば、クラスメイトが発狂して、僕(犯人)を血眼で探すだろう。
そして火祭りにされる、そうなってもおかしくはない。
そういう場所の位置付けにいるのだ、眞夜は。
眞夜には煩わしいお願いだとは思うけれど、僕はまだ学生生活的に死にたくない。
翌々日の放課後、誰もいなくなった教室で、僕は眞夜の首の痕の様子を見た。
カットバンをそっと剥がすと、痕はもうキレイに消えていた。
「ああ、もうないよ。良かった」
思わず、安堵の息が漏れる。
すると眞夜は、寂し気な息をついた。
「ちょっとしたふたりだけの秘密って感じで、楽しかったのになぁ」
「そーんなに楽しくなかったよ、僕は。ハラハラしてたんだから」
気が気でなくて、授業中、特に体育などは気を使って見ていたほどだ。
今だって、本当に消えたっていうのを確認でチラチラ見ている。
うん、ない。
大丈夫、もうない。
すると眞夜と目が合う。
眞夜がふと視線を反らして、呟いた。
「これでもう、未来くんは……ぼくのこと見てくれなくなるのかなぁ」
乙女、いや乙男(オトメン)ですか。
そんな残念そうに言って。
「そ、そんな事思ってるの?」
「そりゃあ……」
好き、だから?
もっと見ていてって……?
意外と眞夜さんって、情熱的なんですね。
ちょっと困るよ。
どう言ってあげるべきか、悩んでいると微笑まれた。
また可愛らしく笑って、ちょっと妙に胸が鳴る。
僕はその顔に、少し、弱くなってきてる気がする。
「また、吸血してよ未来くん」
「僕は、バンパイアじゃないから」
でも、本当は少し名残惜しい。
君の首には、もう僕の痕がない。
だけどいつか、君に吸血されるのなら、その時はまた僕も痕を残して返そうかな。
── そう思った僕は、ちょっとおかしいのかもしれない。
これも、バンパイアの成せる技なのかな。
気にさせる能力とか、そういうの。
僕はまだまだ、眞夜の事が掴みきれない。
だけど、眞夜はゆっくりと、僕の内側に入り込んできている。
このまま、気持ちを支配されかねないか、心配になりながら、夜を明かしている。
一応、窓辺には十字架を飾っている。
バンパイアの苦手なものと知って、買っておいたもの。
── 続く……? ──
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『ウチにおいで』の続編です。
相変わらずほのぼの。前回よりはファンタジーしてます。
ちょっぴりBL要素あります。