第13幕 招かれざる客
焼き払った町を再建させたり、降った将兵の処遇を決めたりと、戦に勝つということは負ける以上に大変だ。
いつもは元気にお忍びで外に出て町を歩く彼女も、この時間ばっかりは机に向かい、事務仕事をしていた。
「ふぅ、これで北地区の処理は終わったな」
「お疲れ様、お茶淹れてあるよ」
「すまんな、お主にもやることがあるだろうに」
「ハハハ、俺の隊の事は皆がやってくれてるから俺だけ暇なんだよ」
この時代にえんぴつやペンの類は無い。
筆を硯に置いた少女は隣に居る男を見た。
「なぁ、この仕事が終わったら今日は出かけないか?」
「だーめ、仕事が終わらないことくらい知ってるぞ」
「むぅ・・・我だって遊びたいのだ!毎日グータラしている貴様のようにな」
「俺だって好きでグータラしてるわけじゃないぞ!」
「どうだか、ひよところ。最近じゃ詩乃まで侍らせておるではないか」
少女は顔を膨らませて抗議の意を示す。
男は苦笑いを浮かべるだけで反論できなかった。
そんな和気藹々とした雰囲気の部屋に、慌ただしく走って来る音が聞こえてくる。
「く、く、久遠さまーーーーー!」
遠くから近づいてくる声の主を2人は知っている。
「和奏だね」
「どうしたというのだ、あやつは・・・入れ」
ガラガラと襖が開き、和奏と呼ばれた少女が部屋に入ると共に1通の書状を久遠と呼ばれた少女に手渡した。
「久遠さま、長尾家より使者が!」
稲葉山城を落とした翌日、長尾家からの使者が来たという知らせを受けたのは、彼らがまだ戦後処理でバタバタと忙しい時だった。
数日後 春日山城
美空は長尾の主だった将を集めて評定を開いていた。
緊急のものではないため、集まれる人だけ集まってというもののため、忙しかったり来る気のない将は来ていない。
「さて、こんなもんね」
集まったのは秋子をはじめ柘榴や松葉、剣丞の他に数人の将だ。
その中には包帯を巻いた北条の姿もあった。
「この前送った同盟の提案の返答があったわよ」
「ということは、織田からの回答ですか?」
「ええ、内容は一通り読んだから読みたい人は読んでいいわよ」
美空が出した書状を受け取る秋子。他の将も彼女に集まるように書状を覗き込んだ。
唯一剣丞だけはその輪に入っていなかった。
「なぁ美空。俺はまだ字が読めないからさ、簡単に説明してくれないか?」
「あんた・・・事務仕事どうするつもりよ」
「そこは隊の頭の良い奴にやってもらったり、秋子さんに手伝ってもらってだな・・・」
「人に迷惑かけてんじゃないわよ!」
「滅相もございません!」
怒る美空だったが、仕方ないわねと言うと剣丞にもわかるように噛み砕いて説明してくれた。
「大雑把に言うと、同盟の申し出はありがたいけどそっちの意図が読み取れないから美濃まで来いってことよ」
「ええっ、どうするんだ?」
「もちろん行ってやるわよ」
美空自身も今の織田は美濃の統一で忙しいだろうと知っていたため、この要求には応えるつもりでいた。
それに織田信長という人物を一目見てみたいという気持ちもあった。
「御大将、誰を連れてく?」
「そうね・・・必要最小限でいいだろうから、私と護衛役の七刀斎。あとは秋子ね」
「えーっ!何で柘榴は連れてってくんないっすかー!」
「戦に出るわけじゃないんだから、あんたの出番はないでしょうが」
「柘榴はスケベさんに抱き付かないとウズウズがー!」
剣丞は柘榴に上着を返してもらった日からずっと1日1回は抱き付かれていた。
最近は抱き付くだけでなくボディタッチもあるので剣丞も気が気でない。
それを下心無しでやってしまうのだから剣丞は柘榴に何も言えないでいた。
「うだうだ言わないの!明日の昼には出るから準備するわよ!」
「うぅー!」
「柘榴、諦める」
松葉に宥められ、柘榴もようやく納得してくれたようだった。
評定の後、柘榴がその分の抱き付きを剣丞に実行したのは言うまでもない。
翌朝 剣丞の部屋
出発前、美空は剣丞の部屋を訪れていた。
「剣丞、起きてる?」
「ああ、バッチリだ」
剣丞はいつもより早起きをし、入念に選択をした一張羅の制服をしっかりと着込んでいた。
「気合十分ね。と言いたいところだけど、その服は着て行っちゃだめよ」
「なんでだよ!俺を俺たらしめる唯一の物だぞ?これが無きゃ俺は俺じゃないじゃんかよー」
「あんたが新田剣丞だとわかったらまずいから脱げっつてんでしょーが!」
美空は剣丞に手に持っていた物を投げつけた。
「うわっ、って・・・服?」
「報告によると織田の新田剣丞もあんたと同じ白く光る服を着ていたらしいわ。だから昨日作らせたのよ」
美空が持ってきた服は、黒い和服のようなものだった。
上に着る七分丈程の袖のが1枚と、袴を改造したズボンのような動きやすい下が1枚。どれも薄い生地で出来ていた。
(なんか、昔見た漫画のキャラそっくりな服だな・・・なんだっけ、比古清十郎だっけ?マント無いけど)
上下とも黒を基調とした色に、袖口や襟などには赤いラインが入っている。
「あとこれね」
続けて美空が手渡したのは、赤いマントだった。
そこには黒く刺繍が施されている。
「あ、これって」
「・・・フンッ、畏れ多い長尾景虎と同じ装束を羽織れることをありがたく思いなさいよね」
そのマントは、いつも美空が羽織っている龍の文字が走るマントの色違いだった。
「あれ、じゃあ俺の今までの服は?」
「隠して持っていけばいいでしょ。あとその刀の装飾も向こうの新田剣丞と被ってるみたいだから外しなさいよ」
「ええー!流石にこればっかりは・・・!」
剣丞の持つ刀は普通のものとは違う。
条件はわからないが、光ることにより切れ味が魔法のように増す刀なのだ。
そんな摩訶不思議アイテムをおいそれと装備しない訳にはいかないのだ。
「代わりの刀も用意したから!長刀が1本と刀、脇差、小刀が2本ずつだったわよね」
美空は小姓を呼び、言った通りの物も持ってこさせていた。
「城の蔵を漁って出てきた物よ。その辺で売ってる物よりかは良い業物ばかりだから代わりにはなるでしょ」
小姓が1本1本丁寧に剣丞の前に七刀斎の所以たるフルセットを並べる。
華美な装飾は無く、簡素な鞘や鍔であったが、美空が言うなら刀は見た目じゃないのだろう。
小姓を下がらせてから、美空は廊下をチラリと見て小声で話し始めた。
「どうしても気になるんなら刀も隠して持っていけばいいじゃない。とにかく、向こうにあんたが新田剣丞であるとバレちゃマズいんでしょ」
田楽狭間の天人としてのネームバリューのある織田の新田剣丞を前に同じ名前は名乗れない。
そのことを念頭に置いてくれていた美空に、剣丞は思わず礼を言っていた。
「ありがとうな・・・俺の事、そんなに思ってくれて」
「バッ、なにその甘い言葉!そんなんじゃないわよ!?」
突然のことに慌てふためく美空。
剣丞にはわからなかったが、彼女の頬は少し紅に染まっていた。
「と、とにかく!もうすぐ出発だからとっとと着替えて大手門まで来なさい!」
美空は勢いよく振り返り、乱暴に襖を開けて部屋を出て行った。
「急に怒り出した・・・難しいなぁ」
とはいえ着替えて受け取った刀を装備しなければ始まらない。
部屋着程度ならまだわかったが、剣丞は慣れない和服に戸惑いながらもいそいそと着替えを終えた。
「うおっ、制服の時より動きやすいなー!しかも軽いし」
試しにその場でピョンピョンと跳ねてみる。
いつもは感じていた制服の重さも、この服だと一切感じなかった。
美空から受け取った刀をホルスターに差す。その後でマントも羽織り、最後に仮面を着ければ新しい新田七刀斎の出来上がりだった。
制服と外した刀を、干した蔦や藁などの植物で作った大きなスーツケースのようなものに入れる。
空いた時間を使って作ったこのケースは、それなりに強度も高く、水にも強かった。
「っよし、行くか!」
ケースを持って部屋を出る。
廊下に出た瞬間、たまたま通りかかった空がその姿を見て気絶したのはまた別の話だ。
春日山城下町 南門
出立組の美空、剣丞、秋子の3人が柘榴と松葉ら諸将に見送られていた。
「御大将、頼みましたぞ」
「我々越後の安寧のため、よろしくお願い仕る」
各地の豪族も、越後のこれからの命運をかけた同盟の行方が気になるのだろう。挨拶に来ている者も多かった。
「ええ、私達に任せて」
普段は天邪鬼な美空も、営業スマイルを浮かべて胸を張っていた。
「ところで・・・この人誰っすか?」
「不審人物」
柘榴と松葉が一斉に指をさす。
その先にいたのはもちろん剣丞だった。
「いや俺だって!何度目だこのやりとり!」
「おおー!スケベさんだったっすか。まぁ柘榴にはわかってたっすよ!」
「・・・・・・私もわかってた」
「嘘こけ!」
「ちょっと七刀斎、早く行くわよ」
美空が剣丞を呼び寄せ、たった3人の織田への使者は出発準備を整える。
「にしてもお揃いの羽織とは・・・まるで夫婦っすねー」
「バッ、なに言ってるのよ!?」
「御大将、顔が赤い」
「確かに七刀斎さんの羽織、御大将との色違いですね」
「ああ、これは美空がさっきくれてな」
「わーーわーー!とっとと出発するわよ!!」
ブンブンと手を振る美空に釣られ、馬が歩き始める。
「スケベさん!御大将をよろしく頼むっすー!」
「お土産はお金でいい」
徐々に遠くなるその声に、剣丞は苦笑いしかできなかった。
道中
馬に乗った3人は雲1つ無い青空の下をゆっくりと進んでいた。
「なぁ美空。どうして織田に行くのは俺達3人なんだ?護衛部隊を付けた方がいいんじゃ」
今回は七刀斎隊はオフだ。ただ、まだ愛想のいい人を空の護衛とさせているが。
「この同盟はまだどこにも知られてないわ。通る道的にもこの話を武田に知られちゃマズいわけよ」
「ふーん。まぁ同盟を邪魔されたくないってことで武田に知られちゃ嫌ってのはわかったけど、通る道って?」
「ああ、私達は信濃(現在の長野県)を通って織田信長のいる岐阜城ってとこに行くからよ」
「え・・・」
「ええええええぇぇぇぇ!?」
美空の言葉に驚いたのは秋子だった。
「信濃って、た、武田の領地じゃないですかああぁぁ!何でそんな真似を!?」
「何でって、そっちの方が早く着くからよ」
「昨日は越中と飛騨を通って行くって言ってたのにいぃぃぃ」
「気分よ気分!それに今は戦争状態じゃないから、関ごとの検閲もやってないでしょ。私達3人はただの旅人よ」
「にしては怪しすぎだけどな・・・」
旅人にしては美空は威厳はありすぎる。
「なによ、不審者」
「こんな格好させたのはお前だろ!」
ただ目立つという点では剣丞の格好も相当なものであった。
「ま、まぁまぁ。七刀斎さんは今日の服装なら前と違ってうまく周りに溶け込めてますよ」
「それって前まで違和感ありまくりだったってことですよね?」
「・・・おほほ」
目を逸らされてしまった。
「まぁ、初めて見る人なら仮面を着けて剣をたくさん持ってる人としか認識されないでしょうから・・・前の服ほど物珍しくは見られないと思いますよ」
「そういうのは目を合わせて言ってもらえませんか」
「あ、御大将ー予定はどんな感じですかー?」
今度は逃げられ、剣丞は諦めて手綱の操作に集中した。
「路銀があるとはいえ、3日で美濃まで行かなきゃいけないんだし」
「そうですね。宿は上田と高達でとるとして、向こうには昼に着きたいですしね」
秋子は長尾家の大事な文官だ。
普段事務仕事を手伝ってもらっている剣丞はその能力をよく知っていた。
(そんだけ今回の同盟が重要ってことかね)
この時代なら写真付きの指名手配なんてものは無いため、正体がそうそうバレるようなこともない。
剣丞は気を抜いて、美濃があるであろう方向へと顔を向けた。
美濃 岐阜城
政務をしていた少女のもとに、緑色の服を着た女性が話しかける。
「久遠様、長尾より早馬が届きました」
「そうか、なんと言っていた?」
久遠と呼ばれた少女が女性に続きを促す。
「本日出発したため、3日後の昼にはそちらに着くとのことです」
「ほう、反応も早ければ着くのも早いな」
「越後から美濃まで3日ですからね・・・兵を連れてこないのでしょうか?」
「さぁな。麦穂、もう下がってよいぞ」
「はっ」
麦穂と呼ばれた女性が下がり、執務室に久遠1人きりとなる。
「長尾景虎か・・・その意図も気になるが、我が他にやることも考えねばな」
久遠は机の中から地図を出し、広げる。
その地図には、堺と京に赤く丸がされていた。
道中 高達の町
高達とは、今の長野県の下の方に位置する地名だ。
武田家にとっては織田、松平との領地に隣接する重要な拠点だけあって、道中通って来た上野(現在の長野県の上の方)よりも兵の緊張感も高かった。
その怪しさから関で兵に声をかけられたりしていた剣丞だったが、今のところなんとかこの高達の地も通ることができる。
逆に剣丞が目立つあまり、美空の方にあまり警戒が行かなかったことは剣丞にとって複雑な気分だった。
「なんとか高達まで来ましたね」
「ええ、ここを明日の朝に出発して、昼には岐阜城に着くわよ」
「その前に今日の宿だな」
路銀があるとはいえ、あまり高い宿は選べない。
そこそこのクオリティの宿を探すことが今回の旅の重要ポイントでもあった。
宿を探そうと歩き出した時、前をよく見ていなかった剣丞はすれ違う人と肩をぶつけてしまった。
「いたっ」
「あっ、すいませ・・・あ」
もし不良みたいな奴とぶつかっていたらどうしようかと思って相手を見た剣丞は一瞬言葉に詰まった。
「すまないね、よそ見をしてしまっていたよ」
剣丞がぶつかった相手は、以前森の中で会った旅人と思われる女性であった。
「あれ、確か・・・」
「ん?」
確か名前は一二三だったか。彼女は自分のことを知っている素振りを見せるぶつかった男を見て、少しばかりの時間を費やしようやく理解したようだった。
「ああー!君は確か、新田七刀斎じゃないか」
「やっぱりそうだったか!えっと、一二三・・・だっけ?」
「そうだよ。1ヶ月ちょいぶりかな?」
一二三は目の前の男が新田七刀斎と気付くと、瞬時に以前会った時のことを思い出し、当時作っていた設定をまた始めていた。
もちろん、武田の領地であるこの町に何故いるのかという疑問が浮かんだが、その事は後で聞くとしてまずは世間話でどこかの店に誘おうかということを一二三は画策していた。
だが流石の一二三でも、剣丞よりも驚くべき人物が近くにいることはわからなかった。
「七刀斎、あんたなに遅れて・・・げっ!」
「2人とも、早く宿を探さないと・・・ああっ!」
「ん?連れかい・・・ッ!?」
戻って来た美空と秋子は一二三を見て、一二三は2人を見てこれまでにないほどの驚愕の表情を浮かべていた。
「ん?あれ、どうしたの2人とも」
剣丞を中心とした3人が数秒の間固まる。
傍からみたらかなり不思議な光景だった。
「む、武藤昌幸!」
「長尾景虎に直江景綱!?何故ここに!」
「え?え?」
未だに状況を理解できてない剣丞はただ両者をキョロキョロと見るだけだった。
「ちょっと七刀斎、あんたソイツが誰かわかってるの!?」
「え、一二三って旅人で・・・」
「何を言ってるんですか!その人は武田晴信が自らの片目と信頼する人物、武藤一二三昌幸その人ですよ!」
「武田・・・えぇっ!?ひ、一二三って武田の!?」
慌てて一二三を見る剣丞。
彼女の眉間に皺が寄っているのを見て、剣丞は素早く一二三から離れた。
「まさか甲斐の片目がこんなところにいるなんてね・・・織田か松平の偵察帰りかしら?」
「そっちこそ、越後の総大将が敵の真っただ中にいるなんてね・・・随分な度胸じゃないか」
ピリピリした雰囲気が漂う。
ここで一二三に兵でも呼ばれては美濃に行くどころかこの町でお陀仏だろう。
いっそ剣丞にに一二三を拘束させるか。美空がそう考えた時、一二三はスッと肩の力を抜いていた。
「ま、今日はいいか」
「え?どういうことよ・・・?」
「そこの仮面の男を今日1日貸してくれたら、ここは見逃してあげるよ」
一二三は剣丞の手を取ると美空達から引きはがした。
「うわっ、えぇっ?」
「ちょ、ちょっと!なんですかいきなり!」
「彼には少し恩があるからね。その恩と今日1日で今見た長尾どのに直江どのの事は無かったことにするってことさ」
「ふーん・・・ねぇ七刀斎」
美空は敢えて一二三ではなく剣丞に質問をした。
「な、なんだよ。それより助けてくれよ!」
「あんたって武田の密偵?」
「ハァ?んなわけあるか!」
「そう、ならいいわ。武藤、1日だけよ」
美空はそう言って一二三を睨みつけた。
「お、御大将!?」
「ちゃんと返してくれるんでしょうね?」
「ああ、約束するさ」
「じゃあもう聞くことは無いわ。七刀斎、私達は宿を探すから。集合は明日の朝にあそこのデカい屋根の建物の前ね」
美空が指をさす方向には、何かの集会所なのか他より大きな屋根の建物があった。確かにあれなら待ち合わせ場所としては最適だろう。
「なんだよ美空、行っちゃうのかよー!」
「あんたを1日貸せば兵士に囲まれなくて済むんだから安いものよ」
白状者ー!と言いたい気持ちをグッとこらえて美空を見つめる。
「ただ・・・」
そこで美空の表情に影が差す。
「ちゃんと帰って来なさいよ?」
そう言うと美空は顔を逸らしてしまった。
「ぷっ、あっはっは!天下の軍神も、惚れた男の前では形無しかい!」
「ち、違うわよ!!」
一二三が笑い飛ばすと、美空は顔を真っ赤にして反論した。
だがその反対の意も、まったく説得力を持っていない。
「まぁ確かに、柘榴を落としたその手腕は認めるところだけど」
「ほう、あの柿崎景家もかい」
「ええっ!柘榴が俺のことを!?」
「しまったああぁぁぁ言うんじゃなかったああぁぁ!ていうか剣丞、あんた気付いてなかったの!?」
「七刀斎さん、それはいかがなものかと・・・」
「私もそれはどうかと思うよ」
柘榴もそれを自覚していない分ノーカンな気がしないでもないが、気付かない剣丞に3人はジト目を送ることしかできなかった。
「とにかく!私達はもう行くからあんたらもとっととどっかに行っちゃいなさい!」
「そうさせてもらうさ」
ヒラヒラと手を振り背を向ける一二三。
そこで美空は剣丞に声をかけた。
「剣丞」
「ん、なんだよ」
「・・・蕩して帰って来るんじゃないわよ」
「誰が蕩すか!」
「あっはっは、私も男の人と町を歩くのは初めてだから何をしていいかわからないし。龍さんは安心して爪を砥いでいればいいよ」
2人は今度こそ高達の雑踏の中へと消えてしまった。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ!」
「お、御大将・・・」
「別にあのバカを連れて行かれたから怒ってるんじゃないわ。アイツは信用できるし」
「はい?」
「でもあのスカした女に私の心の中を見透かされるのが我慢ならないだけよ!ムキー!」
「さっきのこと、否定はしないんですね・・・」
「さっきのこと?」
「あ、いえ!」
秋子は心の中で、長尾景虎陥落という言葉を呟いた。
美空と別れた剣丞は一二三に連れられて高達の町を歩いていた。
歩いて横目に見える露店の商品は、越後とはかなり違っていて新鮮だ。
「その羽織・・・さっきは言わなかったけど、夫婦みたいだったよ?」
「それ他の人にも言われたよ」
「ふむ、1組の夫婦とお付きの侍女・・・って設定と周りに自然に思わせるための策かな」
森の中で出会った時と違う、奥底に知性を色濃く秘めた瞳が剣丞を射抜く。
剣丞自身も考えていなかった可能性を言ってきた目の前の彼女に、ただならぬ恐怖を感じる。
「まぁいいか。今の君はただの旅人だものね」
「いいのか?君の主君は美空と仲が悪いんだろ」
「確かにそちらの棟梁とこちらの棟梁の仲は悪い。だがそれを部下に持ってこなくてもいいだろう?」
のらりくらりと躱される気分だった。
「何で俺を連れてきたんだよ。これじゃ見逃してくれても誰かに見つかったら・・・」
「なぁに、君のことはお屋形様以外誰も知らないさ。それに、君を連れてきたのは1つ頼みがあるからさ」
「頼み?」
すぐさま一二三はクイッと剣丞のマントを後ろに引っ張り、歩く速度を速めた。
「うおぉ、待ってくれよ」
「尾行されている。このまま歩くよ」
彼女の表情から、からかっているのではなく本当に誰かに尾行されているのだろうと信じられた。
ふと後ろから足音が聞こえ、マンハント訓練を思い出す。
≪いいですか剣丞。自分が尾行されていると思ったらまず歩く速度を変えてみてください。そうすれば自然と自分に合わせようとする足音が聞こえるはずです≫
≪生ぬるいぞ明命、こやつにはもっと厳しくだな≫
≪もう!そういって思春さまはこの前剣丞を泣かせたじゃないですか!≫
≪むっ・・・ええい!剣丞、今度遊園地に連れて行ってやる≫
剣丞は耳をすまし、自分達のリズムに合わせようとする足音を探した。
(・・・・・・いた!数は1人か・・・)
雑踏の中から目的の足音を探すまで10秒弱。
思春姉ちゃんに怒られそうなタイムだな、と剣丞は思った。
「一二三、この辺に人気が無くて開けた場所はある?」
「おや、なんだいいきなり盛って」
「そんなんじゃない!」
「はっはっは、冗談さ。この角を右に曲がってずっと行くと林があるよ」
一二三も気付いていたようで、更に足を速めて角を曲がった。
後ろの足音も更に速まる。
通りを抜け、人影もまばらになり木々の間に滑り込む。
足音もまた、2人を追って林に入り込んだ。
「武術の心得は?」
「護身程度ならね。けどそちらは見るからに強そうだし、今回は任せたいね」
「わかったよ・・・」
2対1に持ち込みたかったが、ここは頼まれた身だ。
剣丞は木々の間から来る殺気を受け止めた。
「強いな・・・忍としては今まで会った中でもトップクラスだ」
どうやら追っ手もまずは剣丞を標的としたようだ。
持ち慣れない刀を両手に持ち、攻撃を待ち構える。
「きたっ!」
殺気が四方八方から降りかかることも厭わず一気に前に駆け出し、木もろとも前方を薙ぐ。
すると剣丞がいた場所には無数のクナイが突き刺さっていた。
そして、剣丞が切り倒した木の向こうには1つの影。
「忍者は広い所は嫌いだろ。これで小手先の術は使えないぜ」
「・・・・・・」
姿を現したのは、長いマフラーのようなものを首に巻いた白銀髪の少女だった。
「この私を武田の武藤喜兵衛一二三と知ってのことかい?」
「・・・お命頂戴仕る」
少女は低く呟くと今度は一二三へと突進する。
常人では到底見えないようなダッシュを、剣丞はギリギリ目で追っていた。
瞬時に小刀を投げ、少女の首に巻いてある布を木に縫い付ける。
小刀を抜くために少女の動きが一瞬だけ止まったのを確認すると、剣丞は一気に少女と一二三の前に立ちはだかった。
「俺を忘れてもらっちゃ困るな」
舌打ちにも似た息遣いが聞こえ、先程少女に投げた小刀が剣丞に飛んでくる。
刀の峰で飛んでくる小刀を弾くと、前にいた少女の姿は既に消えていた。
(消えた・・・わけじゃない!)
刀を上に向け横向きに構える。
すると間を置かずして脇差ほどの直刀――忍者刀が構えた刀にぶつかった。
「・・・!」
少女が驚いたように目を見開く。
振り下ろした忍者刀が受け止められたが予想外だったのだろう。
「俺でも驚いてるよ。昔は霞姉ちゃんや恋姉ちゃんの攻撃は見切れないし受け止められなかった」
反撃を予想したのか、後方に跳んで距離を取る少女。
実際に動きが止まっている今がチャンスだと思っていた剣丞には少しばかり残念だった。
「けど、今は違う!」
平時では見えないであろう少女のスピードを捉えきれるということは、自分の何かがいつもとは違うのだ。
以前の本庄との戦いと同じ感覚が目に起こっていると、剣丞は自覚していた。
「そっちから来ないんなら、こっちから行くぞ!」
一気に踏み込んで少女に近づきながら刀を振る。
少女はクナイや忍者刀で剣丞の猛攻を凌いでいたが、優劣は明らかだった。
「クッ・・・!」
「殺しはしない、ちょっと大人しくしてもらうぞ!」
刃を返し、峰で少女の腹部を狙う。
完全に捉えたと思ったその時、目の前から少女は消え、刀は空を斬った。
「ッ!」
恐らくは跳んで逃げたのであろう少女の代わりに目の前に置かれていたのは、花火の一尺玉のような物を野球ボールサイズにしたものだった。
玉の端にはジジジと歩を進める導火線。
「この臭い・・・火薬玉!ヤバイ!」
慌てて刀の峰でその玉を思い切り下から叩き、遠くに飛ばす。
玉が飛んでいった方の林では、赤い光と共に爆発音が響いていた。
「あ、危なかった・・・」
「どうやら相手は退散したようだね」
大きく息を吐く剣丞の背中に声をかけたのは一二三だった。
「はいこれ。君のだろう?」
「あ、小刀・・・ありがとう」
差し出された小刀を受け取り、腰の後ろにある鞘に収める。
他の刀も全て収めたところで、一二三は顎に手を当てて言った。
「あの忍は私を武田家臣と知って命を狙ってきた・・・どうやらどこかの手の者だろうね」
「どっかのか・・・あ、ウチじゃない、と思うぞ」
「わかっているよ。長尾どのの性格からして、こんな草で暗殺を謀るような手段はとらないだろうし、織田か松平かからの刺客だろうね」
「織田・・・」
「・・・ほう」
剣丞の呟きを聞いて、一二三は合点がいったかのように笑っていた。
「な、なんだよ」
「今君は松平ではなく織田と言ったね」
「それがどうかしたのか?」
「複数のものを用意した中の1つを口に出すということは、それを前々から気にしていたということ」
一二三が剣丞を中心に円を描くように歩き始める。
「ということは、君が織田を気にする理由があるんだ」
数秒遅れて、剣丞は背中にどっと汗が吹き出るのを感じた。
今自分に回り込むように歩いている女性は、自分の心の中に入り込もうとしているのだ。
いや、もしかしたら全てを見透かされているかもしれない。
「それは何故かなぁ~?」
「い、いや・・・織田家って最近破竹の勢いだろ?だからちょっと気になってだな」
「ふーん、それで同盟かい」
「ッ!?」
反応してしまってから気付いた。カマをかけられていたと。
「あっはっは、君はわかりやすいねぇ」
目が笑ってないということはなく、本心から笑う一二三。
そのことが逆に剣丞には恐ろしかった。
「ちょっと好きになりそうだよ」
1歩近づかれ囁かれる。だが動かない。
「好きならこれ以上聞かないで欲しいな・・・」
「それはできないさ」
飄々とした雰囲気を出し尚且つその奥には刃のような鋭さが見える。
一二三の尋問はそんな印象だった。
「もし長尾と織田が同盟を組めば、更に松平と浅井も加わった4つの国の同盟が出来上がる。それはどんな手を使ってでも阻止したいものだねぇ」
「別に俺達が美濃に行く道中にこの町に立ち寄ったわけじゃないとは思わないのか?」
「観光かい?こんな前線に?」
どうやら言い逃れすら許されないようだ。
(クッ、どうする?口先でごまかせるような相手じゃない・・・なら)
『刀を抜け』
(七刀斎?)
『ここにはお前とその女の2人だけだ。抜いて脅しゃあ口封じくらいできんだろ』
(俺はそんなこと・・・)
『したくないってか?じゃあオレに代われ。すぐにブチ殺して口を封じてやるからよ』
(ッ、ちょっと待て!わかったから!)
長い逡巡の後、刀を抜く。
そのままキッと一二三を睨むと、彼女は満足そうに笑みを浮かべていた。
「正解さ」
そう言って一二三は歩みを止め、言及を止めた。
「話術は私の方が立つが武術の腕は明らかに君の方が上だ。そうやって刀を突き付けられれば私になすすべは無くなってしまうね」
「力ずくは好きじゃない・・・」
「だろうね。君はなんとなく甘ちゃんそうだから」
けど、と続けられる。
「この時代だ。袖擦り合った仲だから助言しておくが、君はもっと非情になった方がいいね。君、人を殺したことはあるかい?」
その質問に、剣丞はなにも答えられなかった。
別に人を殺すことが自慢となるわけではない。この時代で生き残る手段としての殺生は当然のことだ。
だが現代に生きてきた故に剣丞は未だに人を殺せない。
道徳や人道などではなく、もっと根本的な部分で剣丞は未だに殺人を否定していた。
「まぁ絶対そうしろとは言わないさ。君の優しさは非常が不要なくらい強い。が、優しさだけでは生きていけないというのが今の戦国乱世なのさ」
「俺は・・・」
「っと、もう日が沈みそうだね。じゃあ行こうか」
「お、おい!一応俺は脅してるんだぞ。兵を呼んだり武田に報告したりは――」
「ん?何を言っているんだい?」
一二三がとぼけたように剣丞を見た。
「ただの旅人が美濃に行ったなんて報告、したところで何になるってんだい」
「・・・え?」
「君は頼みに応じて私を守ってくれた。だからお屋形様への報告はしないことにしてあげるよ」
要は貸し借り無しにしようということだった。
だが敵国の同盟を防ぐなど、かなりの手柄なのではないか。それをみすみす見逃すという意図が剣丞にはわからなかった。
「どうしてだ?」
「どうしてって、言ったろう?守られた恩返しとして君に不利になる状況は作らないってことさ」
「そんなうまい話・・・」
「まぁ、あと1つ理由があるけどね」
その理由を聞こうとしたが、まぁついて来いと言われ剣丞は黙ってついていくことになった。
川原
すっかり日は沈み、今は月と闇の時間だ。
林の中は月明かりさえも遮られていたが、川原に出ると遮られることのない月と星の明かりと、それを反射する水面でかなり明るかった。
「こんなところに連れて来て、なんなんだ?」
「君に会わせたい人がいてね」
「俺に?」
「あ、ちょっと違うな。その人に君を会わせたいのさ」
一二三の後について川に沿って歩く。
しばらく進んでいると、やがて石を椅子代わりに座って川を見つめる1人の少女がいることが見えた。
「お待たせしました」
「一二三・・・」
一二三の声に、その少女がこちらを向く。
その髪は燃えるような赤い色をしており、その目は髪と同じく赤く、静かな炎をたたえていた。
「言われた通り、新田七刀斎をお連れしました」
「・・・大義」
少女と目が合い、剣丞は硬直する。
吸い込まれそうなその綺麗な目は、剣丞の心に瞬時に入って来るような感じがした。
一二三も人の心に入り込もうとするが、彼女は道の無い森の中で手さぐりに進む感じだったが、目の前の少女は獣道を見つけたようにスイスイと入り込んでくるようだった。
「君、は・・・」
「紹介しよう」
一二三が少女に近づき、剣丞の方に向き直る。
「このお方は武田光璃晴信。武田家の現当主さ」
「よろしく・・・」
ペコリと頭を下げるその姿に、剣丞はただただ驚くことしかできなかった。
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どうも、たちつてとです
早く剣丞君同士を会わせたいのになんか書いているうちに寄り道してしまいました・・・!
でもキャラを出せたのでいいかな?と思っています
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