真恋姫無双 幻夢伝 第四章 2話 『白装束』
涼しい、というのがアキラの徐州に対する第一印象であった。川に沿って海から上ってくる風が、湿気が多い寿春に慣れていた体に心地よく吹き抜ける。しかもちょうど山を越えて汗だくになったところだ。彼は自然とこの土地に好感を持った。
山の上からふもとを見れば、田畑では収穫期を迎えた麦が見事に実っていた。農民から皇帝までのし上がった男、劉邦を生み出したこの地は、平地や大きな河川が多い。その収穫量は水害に常に悩む寿春から見て、とても羨ましい限りだった。
そんな風景を楽しんでいると、伝令がこちらに走ってくる姿が見えた。
「李靖様。近隣の住民から酒と食料が献上されました」
「これをやるから乱暴しないでくれ、ってことだな。分かった。食料だけ貰っておけ。それと『手荒なことはしない』と彼らに伝えろ」
「はっ」
民は弱い。しかし賢い。民に手厚い施しを行うと聞く劉備に恩義を感じているはずの彼らが行ったことは、極めて合理的であった。血を流さない。それは疑いようも無く正しいことだ。
彼の頭の上で飛ぶ鳥は、戦い続けるしかない彼を嗤っているようだった。でも、やるしかない。
「もう少しだ。油断するな!」
全軍に、そして自分に活を入れて、彼は前に進む。
「城を出た?!」
曹操軍の駐屯地に着いたアキラは、華琳がいる本陣に入ってすぐ素っ頓狂な声を上げた。後ろに控えていた華雄も驚きの表情を浮かべる。彼らは曹操軍からもたらされた情報に驚かされたのだ。
劉備軍が下邳の郊外に陣取っている。
「その情報、本当か?」
「本当よ。秋蘭が見て来てくれたわ」
「劉備の大将旗もあった。ほぼ全軍が出ている」
秋蘭の言葉を聞いて、信じられない、というようにアキラは首を振る。華琳も頷いて同意を示した。
「華雄。お前は築陣の指揮を執ってくれ」
「お前は?」
「俺も実際に見てくる」
「私も行くわ。相手の陣形を実際見たいし。それと」
華琳がにやりと意地悪そうな笑みをアキラに投げかけた。
「護衛二人を付けてね」
アキラは首をかしげつつ、なんとなく嫌な予感がした。
「兄ちゃん!!」
「兄さま!!」
「ぐふっ!」
いきなりだった。弾丸のように飛んできたものを腹に二つ食らって、アキラは意識が飛びかける。そしてそのまま地面に仰向けに転がった。
(て、敵襲?!)
まだ曹操の陣営内である。ただ、これほど強烈な攻撃を受けたのは久しぶりだった。腹の激痛を抱えながら、とりあえずこの矛盾を解消すべく、起き上がろうと考えた。
彼はまだ混乱している頭を抑え、ゆっくりと上半身を持ち上げた。そして腹にくっついている二つの“頭”を見て、「アッ」と声を上げる。
「季衣!流琉!」
二人は顔を上げ、その泣き顔をアキラに見せた。久しぶりに会う彼女たちの髪型は変わっていないが、その顔は少し頬がこけて大人びていた。おそらく背も伸びているのか。アキラの腰ぐらいまでしかなかったのに、下腹の位置に頭があった。
「お前たち、元気だ「兄ちゃんのバカ!」「兄さまのウソツキ!」
涙目で迫力なくにらむ二人。唐突の別れを思い返せば、当然の反応であろう。
困り顔のアキラが華琳の方を見て助けを求めた。しかし華琳は知らんぷりを決め込み、傍らについていた秋蘭はくすくすと笑っていた。
「兄ちゃん……」
「兄さま……」
まだアキラの身体にくっついて泣きじゃくる二人を見て、アキラはため息をつき、そして優しい笑みを浮かべて、ポンポンと二人の頭を撫でた。
「久しぶり。季衣、流琉」
愛馬をゆっくりと歩かせながら、華琳はぼつぼつと話し始めた。
「あなたが二人を置いていってから、ずいぶんと落ち込んでいたのよ。それを春蘭と秋蘭が小さい妹のように接してあげて、やっとやる気を取り戻したのよ」
「すまなかったな」
「まったくよ。そして私の護衛兵として育てたのよ。今回は彼女たちの初陣。やっと使えるようになったから」
「う~ん、これで使えるか?」
華琳の後ろで、こちらも馬に乗っているアキラの前後には、彼をひしと掴んで離さない季衣と流琉がいた。もう逃がさないというように口を真一文字に閉めて、小さい手で彼の服を掴んでいた。振り返った華琳は「ふふふ」と声を漏らした。
「兄ちゃん」
「ん?」
「なんで置いていったのさ」
「………」
前で抱っこの形になっていた季衣が顔を上げて尋ねてきた。アキラは答えない。
「十常侍を倒すのに、私たちが足手まといだったからですか」
「………」
そのアキラに追い打ちをかけるよう後ろにいる流琉も尋ねてくる。彼女たちもあの事件を知っているのだろう。そしてアキラがやったことも。
アキラはぽつりと答えた。
「復讐っていうのはむなしいだけだ。何の利益にもならない暗殺など、俺の我がままと言われても仕方のないことだ。そんな汚い仕事にお前たちを巻き込みたくなかった」
二人は黙ってアキラの言葉を飲み込んだ。そしてギュッと彼に抱きつく。
「ずるいよ。兄ちゃん」
「ずるいです。兄さま」
二人の熱いぐらいのぬくもりを感じる。馬に揺られながらアキラは、三人で同じ布団に寝ていたあの日々を思い出していた。
しばらく移動した彼らはやっと下邳の城が見える場所に辿りついた。彼らは大きな木の下に隠れながら、そしてすぐに逃げられるように馬に乗りつつ様子を伺った。
「確かに劉備の将旗が見えるな」
アキラやまだ体にへばりついている季衣と流琉は、目を凝らして下邳の郊外に出ていた敵陣を見た。将旗は軍を鼓舞することが目的で、通常、全兵士が見えるように高い位置に備え付けられる。今もここから見えるほど、『劉』の文字が高い場所ではためいていた。
彼は華琳に疑問を呈した。
「あそこに劉備がいない可能性は無いのか」
「おとりってこと?それは無いわね。この兵士の数から考えると、全ての劉備軍が出張ってきているはずよ。城は空のはず」
「確かに。あと一つ、気になるのが陣の形だ」
目の前に見える劉備の陣形は、二つに分かれている。それも均等では無く、大・小と言ったように分かれているのだ。
「ふむ……」
「迷ってもしょうがないわ。こちらの方が圧倒的に数は多いもの。押せば崩れるわよ」
「『大軍に兵法なし』か。分かっている。寿春で助けてもらった借りは返そう」
「頼りにしているわよ」
二人の会話は終わり、帰路に就く。それ以上、二人は話さない。そばにいた秋蘭や季衣、流琉は気が付かなかった。この二人はこう言いつつも、劉備軍に対して、言いようもない不気味さを実は感じていたのだった。
翌朝、決戦の時が訪れた。曹操と李靖の軍隊は下邳へと進軍し、劉備軍はその進路をふさぐように対峙した。劉備軍は昨日と同様に二手に分かれていた。それに合わせるように、劉備がいる大部隊の方を曹操軍が、小部隊の方を李靖軍が受け持つ配置となった。
今日の空は、少し雨の降りそうな曇天だった。
「かかれ!!」
大将の掛け声、そして彼らが鳴らす銅鑼の音で、双方の兵士たちが一斉に駆け出した。戦場が少し狭かったために、矢合戦はあまり行われなかった。すぐさま矛と矛がぶつかり合う音が各所で鳴り響く。
当初から劉備軍は苦戦を強いられていた。兵数も兵士の練度も曹操軍や李靖軍の方が上。じりじりと後退する。各武将の統率力で辛うじて陣形を保っているように見えた。
そして一刻もしないうちに各所にほころびが見え始める。それは小部隊の方、李靖たちが受け持っている方から始まった。華雄の騎馬隊が相手の薄い歩兵部隊の層を打ち破り、中央の部隊まで差し迫っていた。
必死に抵抗する敵をなぎ倒す華雄の前に、一人の武将が立ちはだかった。
「趙雲子龍。お相手つかまつる!」
「ほう。虎牢関以来だな」
「いざ!!」
星が華雄に向かって駆け出す。そして彼女の龍牙を華雄目がけて一気に突く。
「あまい!」
ガンッと鈍い音が響く。華雄が薄笑いを浮かべて星の龍牙を受け止めた。星もこれで終わるとは最初から思っていない。次の攻撃をすぐさま繰り出す。
「はっ!」
「やっ!」
ガン、ゴン、と互いの矛がぶつかり合う。その度に周囲の空気が震える。彼女たちは馬を曲芸のように操り、敵の死角を狙った。が、勝負がつく様子は無い。
その一方で、周囲の様子は段々と変化していった。星が気付いた頃には、前線がほとんど崩壊していた。彼女の周りでも逃げ出す兵士が増えるばかりだ。
「これまでか」
彼女は華雄の一撃を振り払うと、馬の顔をよそへと向けた。
「勝負は預けた!さらばだ!」
「待て!」
一目散に逃げる星。それを追おうとする華雄。
しかし華雄の行動を銅鑼の音が止めた。集結命令の銅鑼だ。華雄はいかにも「邪魔をするな」と言うような視線をアキラのいる本陣へと向けた。
「申し上げます」
その殺気ばんだ華雄の元へアキラの伝令が来た。
「追撃許さずとのこと!」
「理由は!」
「これから曹操軍の援護に向かうと。劉備本陣が最大の目標であります」
彼女は「チッ」と吐き捨て、星を追いかけることを諦めた。
「華雄隊集結せよ!これから劉備本隊のどてっ腹を衝く!」
そこからは一方的な様相を示した。曹操軍の猛攻を防ごうと前線に注力していた劉備本隊の側面を、李靖軍は襲撃した。あっという間に左陣が崩壊。その影響は前線にも伝わり、動揺した兵士は次々と曹操軍の餌食となった。
「そろそろかな」
アキラは大きく軍配を振った。そして銅鑼がまた響く。疲労した前軍に代わって、本陣が出張るためだ。銅鑼の音に素早く反応した前軍の兵士が波のようにサッと引き、間髪入れずに本陣の兵士が攻撃に参加する。
アキラも馬に乗り、前線へと駒を進めた。そこへ鎧に血をこびりつけた華雄がやってきた。
「お疲れ。兵をまとめて後方で待機してくれ」
「ああ……」
彼女らしくも無く歯切れの悪い返事。アキラは彼女の顔を覗き込む。
「何かあったのか?」
「いや、たいしたことではないのだが……」
そう言いながらも、ちらりとアキラを見る。彼は促すように頷いて、その視線に応えた。
「もろかったのだ、非常に」
「もろい?」
「ああ。戦おうとする気がない者もいた。先ほど戦った小部隊の方が強硬に抵抗していたほどだ。普通なら劉備本隊に精鋭を置くはずなのだが……」
首をかしげる華雄。その言葉を聞いたアキラの背中に冷たいものが伝った。
「ちょっと行ってくる」
「おい、どこへ!」
「劉備本陣へだ。自分の目で確かめる」
そう言うなりアキラは、華雄の返事を待たずして、馬を駆けだした。
アキラが劉備の将旗が立っている付近に向かうと、李靖軍や曹操軍の兵士に対して孤軍奮闘している武将がいた。愛紗だった。
「お前が関羽か」
「誰だ?!」
「李靖薬師」
その名を聞くや否や、愛紗はアキラに突っ込んでいく。ブンッと青竜刀が振り下ろされる。アキラはさらりと剣を抜き、その矛を受け止めた。大分疲れているのか、彼女の攻撃は軽かった。
「ここで討ち果たす!!」
肩で息をするほど愛紗は消耗していた。そんな攻撃が彼に通じるはずも無く、簡単に受け流される。
「関羽。降伏しろ!」
「だまれ!!」
ブン、ブン、と青竜刀を振り回す。限界が近いことは明らかだった。アキラは的確に守りながら、視線を護衛の兵に投げかけ指示を送る。ここは手を出すな。捕らえる準備だけしておけ、と。周囲の兵士たちはその意をくみ、しっかりと網を用意していた。
ふと、彼は彼女の服装に違和感を覚えた。虎牢関の時とは異なっている。
(死に装束?)
戦場には似つかわしくない。そう思うほど全身真っ白に彩っている。彼女の攻撃を軽々受け続けていたアキラの目は、彼女の服に釘付けとなっていた。
その時、愛紗の背後から鬨の声が上がる。愛紗がそちらに目を向けると、劉備の将旗が横倒しにされるところだった。本陣が落ちたのだ。
呆然とした様子で、青竜刀をだらりと地面に向けて、愛紗は体に溜めていた力を抜いた。その機を逃すことなく、アキラが合図を送る。
「あっ!!」
愛紗に網や鉤づめが投げられ、地面へと投げ出される。彼女にはもう抵抗する気力もないのか、李靖の兵士たちになすがままに捕えられた。青竜刀は取られ、地面に体を押さえつけられたまま手が縛られる。
その様子を見ていたアキラに、慌てた様子で兵士が駆け寄った。
「りゅ、劉備がいません!!」
「なんだと!?」
キッと愛紗を睨み付ける。地面に転がる愛紗は振り乱れた綺麗な髪に覆われた顔に、不敵な笑みを浮かべた。
「見たか、李靖!我らの策、成れり!」
アキラはハッと気が付いた。自分たちが最初に破った小部隊。あの中に劉備と一刀はいたのだ。そして潰走するふりをして、そのまま国外へと逃げた。そういうことだったのだ。
『捨てがまり』。これは関ヶ原の戦いで島津軍が見事に撤退を果たした際の戦法だ。大将を逃がすために、おとりとなる部隊が捨て身の覚悟で敵の攻撃を食い止める。アキラは今の状況がまさしくそうだと感じた。もう追っても遅いだろう。逃げ道も確保しているはずである。
雨がパラパラと降り始めていた。愛紗は最後の力を振り絞って周囲の兵士を振り払い、真っ黒な空へ叫んだ。
「桃香さま!ご主人さま!どうか、どうか!お達者で!」
徐州は曹操の手に落ちた。しかし劉備は逃げおおせた。アキラは永遠と続く戦いの運命を、この雨の中で、ジワリと味わっていた。
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徐州攻防戦。劉備・一刀と再び戦います。