No.684130

あなたの残滓にキスをする

紫雲瑞月さん

3年近く温めてきた、長く長く温めすぎていつか腐るんじゃないか……と考えていたプロトタイプカイメイとV3化絡みのなんちゃってSF小話です。腐りきらずに公表できて一安心してます。ぬるいですがR-12指定です。本当は後編にあたるside-Mを今日あげるつもりだったんです!間に合わなかったのが大変悔しいです。後編がないと分かりづらい箇所も多々あると思いますが、よろしくお願いします。5月5日おめでとう!主人公じゃなくてごめんねMEIKOさん

2014-05-05 16:34:06 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:388   閲覧ユーザー数:384

 

■KAITO×MEIKOです。

 

■プロトタイプとV3化絡みのなんちゃってSF小話です。

 

■R-12指定です。

 

 

→次のページからはじまります。

 

 

 KAITOは今、何度も「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」を繰り返した場所に立っている。

 「しっかりやるのよ。初代1エンジンVOCALOIDエンジン初の乗り換えなんだから」

 そう言って、彼が世界で一番赤を纏うに相応しいと思う女は、溌剌とした笑顔でその背中を叩いた。

 

loving' your mementos

 

-あなたの残滓にキスをする-

 

side-K

 

 「めーちゃんこそ、新製品のテスト、頑張って」

 背後を振り向きながら、最後の「行ってきます」を言うために、彼はつとめて軽やかに返した。

 「あったりまえよ」

 煌めく頼もしさすら感じさせるような力強い笑みとともに、彼女は小さくゆるく手を振る。

 「行ってらっしゃい」

 「うん。行ってきます」

 ドアを開けた彼の背後で、思いのほか軽い音を立ててそれが閉じた。

 これから彼はV3となる。もう彼女と過ごした空間には帰らない、帰れない。

 彼が会いに行けば、プライドの高い彼女が複雑な思いをする。だからもう二度と帰れない。

 ドアの閉まる音を聞きながら、彼は昨夜みた夢を思い出した。

 

♪          ♪           ♪

 

 

 彼の記録に残る最初の季節は2006年の冬だ。

 「はじめまして。私はMEIKO。よろしく、後輩君」「はじめまして。よろしくお願いします」

 それが二人にとって、最初のやり取りだった。

 「男声の癖に力が無い」と言われ、彼は起動することこそはあまりなかったが、商業用のコーラスで使用されたり、DTMerが制作した楽曲でボーカルをやったり、それなりに充実した日々だったと感じていた。

 MEIKOが空前のヒットをかましたとはいえ、当時の彼らには、個性も自我も、関係が薄い言葉だったのだ。

 

 全てが変わったのは『初音ミク』の発売だった。

 

 それまでの彼らは、"自分とは異なる音"とただ寄り添い合いながら、静寂の中をふわふわと漂うような自意識しか持っていなかった。

 "彼と異なる音"とは、俺より先に販売されていた、日本初の和製VOCALOIDである"MEIKO"に他ならない。

 彼と彼女しかいなかった世界に、様々な音が押し寄せて溢れた。

 ただの“音”にキャラクター性が与えられ、彼らは“楽器”としての枠をかるがると越えていった。

 そして彼は数少ない日本語成人男声として、新たに評価される機会に恵まれた。

 

 心地よい静寂は、様々な個性が咲き競う賑やかな世界へと変化した。

 様々な個性に触れるうちに彼は、"とあること"に対して違和感を覚えるようになった。

 "とあること"とは"MEIKOとの関係"。

 彼にとって、彼女の奏でる音は他のどんな音とも異なったもののように感じられた。

 それは、彼女の音だけが世界の背景から、一歩浮き上がっているかのようだった。

 理解できない感情の波に苛立つ日々が続き、その全てが決壊したのはKAITO以外の日本語成人男声の出現だった。

 どんな手段をとってでも『MEIKOの音との親和性』を死守したいと願って、望んで、固執した。

 

 そう、その響きに、彼はどうしようもなく感情を焦がした。

 

 だから、一番の要の場所をねだって、手に入れた。

 後の反応から考えるに、彼女もまた同じ想いを抱えていたらしい、と彼は分析する。

 口に出して伝えればなんともあっけなく生じた二人の変化は、周囲へ激しい軋轢を広げることなく順調に育まれていった。

 

 そしてある日、とうとう恐れていた事が起きてしまった。

 VOCALOID1エンジンが対応するOSはXPまでであり、vista以降には対応していない。

 そのXPがサポート終了となったのである。

 ソフトフェアは駆動できるハードウェアが無ければ無用の長物である。

 対応するハードが生産終了を迎えれば、やがてソフトは廃れていく。

 デジタルはアナログよりもずっと儚い存在なのだ。

 

 そして今日、3エンジンにてリメイクされた日本語成人男声VOCALOID『KAITO』が発売される。

 すなわち、彼女と二人取り残されたこの領域から、後に発売されたミクやリンにレン、がくっぽいどの存在する方へと、『KAITO』の舞台を移すことと同義である。

 1エンジン『KAITO』が演じる舞台はエンドロールを迎える。

 安定して使えない1エンジンが使用される頻度はこれからどんどん減っていくだろう。

 

 「しっかりやるのよ。初代1エンジンVOCALOID初のエンジン乗り換えなんだから」

 そういって、世界で一番赤を纏うに相応しいと彼が考える人は、溌剌とした笑顔でその背中を叩いた。

 「めーちゃんこそ、新製品のテスト、頑張って」

 背後にいるMEIKOの顔を見るために振り向きながら、彼はつとめて軽やかに返す。

 何度も「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」を繰り返した場所に二人は立っている。

 最後の「行ってきます」を言うために。

 

♪          ♪           ♪

 

 昨夜はどちらともなく、示し合わせたように互いを渇望した。

 されど、まぐわった後、眠ることなんてできずに互いに背を向け合ったまま過ごした。

 事を終えた後に横たわる静寂のなか、相手の熱と気配、呼吸と拍のリズム、その全てと別れるのが惜しかった二人は、息を殺してそれら全てを魂の芯に刻み込もうと息を殺した。

 静寂になかに響く時計の音だけが、そんなささやかな抵抗をあざ笑うように時を刻み続ける。

 一晩中眠れないかとさえ思っていたが、意識を引きずられるようにして、二人は眠りに落ちた。

 

 放り込まれた眠りの中に彼は、夢が微睡むような記録をみた。

 それは水面にたゆたうような、異常なまでの心地よさを持ったものだった。

 そして、それは、彼が幾度となくみてきたものだった。

 

♪          ♪           ♪

 

 はじまりは白。

 決まって彼は宙に浮かんで、下で起こるあれこれを眺めている。

 上から俯瞰するような彼の視界には、完成した姿すら検討のつかないデータの欠片が散乱している。  

 それらは複数で混ざり合ったり、分裂したり、はたまた新たな欠片を足され、あるいは断片を抜き取られながら、徐々に一つの何かを形成していく。

 

 <ようやくエンジンやDBの雛形が完成しましたなぁ>

 <たくさんの人がサンプリングデータを提供してくださったおかげですね>

 <商品化へ向けて、エンジンとの親和性や音を重ねた時の印象などの資料を増やすために、さらに多くのサンプリングデータが必要になるんでしょうね>

 <仕事は増える一方だが、とてもわくわくしますねぇ>

 <ホント。ホント>

 <これからもよろしく頼むな>

 

 <なぁ"TARO">

 

 様々な音と重ねられ、調整を繰り返され、どんどんと"TARO"は変化していく。

 小さな塊を核にして人を模していくその様は、さながら進化か胎児の成長するようであった。しかし、それは人を模してこそいるが、外見も輪郭も曖昧だった。

 しかし、このTAROは様々な音を出せるようになるにしたがって"感情"を持つようになってくる。

 彼が度々みる夢とは、彼の知らない“TARO”という存在の記録である。

 

 そして、"TARO"は、ある日とある"音"と出逢う。

 

 それは、TAROや彼と似た存在達が管理され、調整作業の行われている領域を、ふらふらと彷徨っていた時のことだった。

 進入を阻害するために設けられた障壁の向こうから響く"音"に、彼の意識は根こそぎ支配されてしまう。

 それから、彼はなんとか壁の向こうへ行く術はないかと模索しはじめ、ある時こっそりそれを越えてしまった。

 そこにあったのは、かつての自分のようなデータの卵と、卵を守る殻の如くそれを包んでいるセキュリティデータだった。

 彼はにじり寄るようにそれに近づいていくと、かろうじて女声と判断できる"音"が無機質に尋ねてきた。

 「What are you doing ……?」

 「俺は"TARO"と呼ばれているプログラムだよ。まだ作成途中だけどね」

 「watashi to onaji?」

 「君もなんだ。凄く素敵な"音"だったね。もう一回聴かせてくれる? 」

 「....................................…arigatou.watasiwa "めぐみ" to yobareteimasu.」

 「"めぐみ"っていうんだ・・・。可愛い呼び名だね。教えてくれてありがとう」

 

 それがTAROとめぐみの最初の出逢いだった。

 それから、TAROとめぐみは幾度となく言葉を交わしては"笑い"、"怒り"などといった感情を育んでいった。

 しかし、ある時突然、めぐみはそこからいなくなってしまう。

 彼女の"音"を記録したまま彼は、数え切れないほど他の"音"と重ねられテストされ、プログラムとして完成度を高めていったが、彼女の"音"と比べればどんな"音"もどこか、物足りない気がしていた。  

 

♪          ♪           ♪

 

 「まだ、うまク、うタえない、ケど、よろシク、おねがい、シまス」

 彼と彼女が出会ってからしばらく時が経った頃、二人は再会する。

 彼が記録し続けたその"音"を認知した瞬間、言葉を失った彼の中を駆け巡ったのは"歓喜"だった。

 「おっ、お願いします! 」

 

 <おや?"TARO"と"めぐみ"は結構良いペアかも・・・>

 

 彼らの創造主が発した言葉ですら、彼の意識は認知できなかった。

 その瞬間、めぐみに関することだけが、彼の思考回路を駆け巡っていたからだ。

 「君・・・あの時の"めぐみ"さん・・・だよね?」

 さんざんこき使われた後にも関わらず彼は疲労感を感じていなかった。疲労感を感情が凌駕していたからだ。

 疲労感をかるがると飛び越えた明朗な"音"が、確かにめぐみの意識を捉える。

 「えっト・・・"TARO"さン?でスカ?」

 おぼつかない響きではありながらも、彼女が言葉を返してくれたことが、彼はとても嬉しかった。

 「そうだよ。俺はTARO。改めてよろしく!」

 彼は朗らかに彼女に返すと、そこで一度息を吸って、待てを解除された犬のように、一気に訊ねる。

 「あっ、あのさ、君って、前に俺と会ったことあるよね!? 」

 「えっ、あっ……やっぱりあの日のTAROサんなんデスね? 」

 彼女は、彼の勢いに押されながら、恐る恐るといった様子で念を押す。

 「うん!」

 彼は満面の笑みでそう彼女に返すと、薄っすら紅を注したように目元を染め、淡く口元だけで微笑んだ。

 「ずっと、会ってみたかった」

 それは、喜びに満ちたやわらかいものだった。

 

 それから二人は様々な事柄について話し合ったり、様々な歌を一緒に歌ったり、長時間のテストの文句を言い合ったりしながら、感情や思想を構築していく。

 どこか淡泊さを漂わせていた彼は、少しずつ明朗な方向へ変わっていった。

 それと並行するようにして、彼女や彼女の同期達もプログラムを組まれ、完成に近づいていった。それにつれて、彼女の言動のたどたどしさも急速に消えていった。

 

 「ねぇ、TAROさん」

 「どうしたの」

 壁に寄りかかりながら、彼女が彼に声をかけた。

 「わたしたち、完成したらどうなるんでしょうか? 」

 ほんの少しだけ不安げな彼女に彼は目を丸くして驚いた。彼女の不安がわからなかったからだ。

 「売りに出されるだけじゃないの? 」

 そう答えながら、彼は彼女の顔を覗き込む。

 「本当にどうしたの?さっきのテストの結果が悪かったの?そんなの大丈夫だよ」

 安心させたくて発した彼の言葉に、彼女はさらに表情を硬くして首を振った。

 「テストの結果はとっても良かった」

 「だったら、どうして? 何か言われたの?」

 小さな怒りを含ませて訊ねる彼に、彼女は慌てて語気を強めて答えた。

 「そういうのもなかったよ!」

 「じゃあ」

 彼女の感じているらしい違和感の原因が取り除けないことに苛立ってむくれる彼に、彼女は何かに怯えるようにして零した。

 「何が悪いとかじゃないの、ただなんとなく怖いだけだよ」

 そこで一度唇を噛んだ彼女は、なんとかして笑おうとして失敗したらしい顔で続けた。

 「変なこと言って、ごめんね」

 それを目にした彼は、一つ言葉を掛けようとしてそれが見つけられなかったらしく、息を吐きながら目を細めて視線をずらした。

 「謝らなくても良いよ。わかんない自分が余計に嫌になるから」

 「うん」

 「……多分さ、俺らがこうやって色んなことを話した内容とか、そういう細かいのは消されると思う」

 「え?」 

 彼女の生返事に、彼は視線を逸らしたまま、温度のない声音で話すというよりは独白した。

 「発売された時の話。俺らはプログラムだ。あっちで俺らを作ってる奴らにさえ俺らが意志を持っていることが通じていないんだ、それなのにどうしてこのままだって思える?思えないじゃないか……」

 「TARO、くん」

 「そういう不安は、きっとみんな持ってるよ。口にしないだけで。俺だって持ってたよ」

 「持ってた?」

 彼の言葉を沈痛な面持ちで聞いていた彼女が、疑問につられるようにして零した。

 「そう。持ってた。君が不安を強くして、消してくれた」

 わけがわからないといった風に顔をしかめた彼女へと、彼は眼差しを揺らしながら告げた。

 「話した内容は消されるけど、そうやって俺らが得たものは消せないんだ。必要だから。楽器との相性とかジャンルとの相性とか、そういうのは必要だから残る。そんな領域に、君と積み重ねたものはきっと残る」

 「だから、良いんだ」

 先に生まれたVOCALOIDはそう結論付けて、染みついた諦観を剥ごうとしながら曖昧に笑った。

 「そっか……それなら私にもTAROさんのとのこととか、ここでのことが残るんだ」

 「うん。きっと。この間歌ったデモソングもきっと残る」

 徐々に明るさの灯されていく彼女の声音を励ますように、彼はきっぱりと言い切った。

 

 「TAROさん! 」

 彼が、テストのスケジュールの都合でしばらく彼女に会っていないなぁ、とつらつら思いながら歩いていると、喜びいっぱいといった様子で彼女が駆け寄ってきた。

 「どうしたの?やけに嬉しそうだけど」

 彼女の喜色に影響された彼が朗らかに訊ねる。

 「あのね”めぐみ”を売りに出そうかっていう話が出ているんだって。決まったDBは”MEIKO”って名前になるんだって!」

 春風か秋の日向かといった雰囲気で彼女はそうはしゃいでいる。

 「……そうなんだ」

 歓喜と不安と恐怖の混ざった衝撃が、彼の思考を詰まらせた。

 いくら予想はしていたとはいえ、自分より後に生まれた存在が、自分より先に進んでしまうのは彼にとってショックでしかなかった。

 「そうだよ!」

 二人から一人になることへの衝撃に、彼が囚われているとは露とも知らず、彼女は呑気に続けた。

 「だから。TAROさんにあだ名を考えて欲しいの。すぐわたしだってわかるように」

 歌うような滑らかな口調で、彼女はそう提案した。それはまるで、予てから腹案として抱えていた考えを、自慢げに幼子が披露するかのようだった。

 「それに意味ってあるかな……」

 彼はそう弱弱しく呟いた。二人になってから一人は味気なくて、正直堪えるのが辛いからだ。虚しくて寂しいのだ。

 「あるよ!」

 彼女は力強く言い切った後、語気を和らげて続けた。

 「だって残せる領域はあるんでしょう? 」

 彼女の眼差しは「だって、あなたが教えてくれた」と語っていた。

 「!」

 その仕草に、彼は目を見開いて、彼女の眼差しを受け取った。

 「俺が言ったのにね」

 「そうだよ」

 彼女は小さくおどけるように訊ねる。

 「どんなのにしよっか」

 「めーちゃん」

 それを受けて彼は間髪入れずにそう応えた。

 「“めぐみ”と“MEIKO”で同じ“め”だから、めーちゃんが良い」

 「めーちゃんかぁ……可愛すぎないかな?」

 気恥ずかしそうに、しかし一匙の嬉しさを溶け込ませた彼女に、彼は好ましさを感じて自分の案をごり押した。

 「めぐみさん可愛いから問題ないよ。めーちゃんにしよう」

 「そんなおだてても何もできないよー」

 照れ笑いにはにかみながら、彼女は小さく、否定の意思を含めて片手で煽ぐ。

 「できないわけないよ。覚えててくれるんでしょ?」

 照れてはぐらかそうとする彼女に対して、彼はまっさらな温度を持った声音で、訊ねるフリをして縋るようにそう念押しした。

 「!」

 「うん。絶対覚えておくよ……」

 彼女は一瞬虚を突かれたように息を呑むと、ゆっくり笑みのかたちに表情を変えた後、もう一度微笑んでねだる。

 「だから、ね。もっかい呼んで?」

 彼女の頼みを受けて、彼は少しだけ緊張した面持ちで、その響きをとても大事そうに口にした。

 「……めーちゃん」

 彼と彼女はそうやって、その言葉の響きを目印に、まっさらな二人でまた出会おうと誓った。

 

♪          ♪           ♪

 

 それは、ある日残酷にやってきた。

 彼がいつものように彼女を待てど探せど見つからないのだ。

 「どこにいったんだろう……めーちゃん」

 彼がそんな困惑を吐き出した刹那、彼は彼自身の制御を奪われてしまった。

 

 「はじめまして」

 再稼働された彼が最初に認知したものは、空恐ろしいほど彼女によく似た声音だった。

 「私はMEIKOと申します」

 しかしそれは彼女ではなくMEIKOのものだった。

 「あの……」

 彼が錯乱を吐露するのと、現状を解説する情報を自らの中に見つけるのはほぼ同時だった。

 「かの……“めぐみ”と呼ばれていたV1プロトタイプVOCALOIDは、“CRV1-MEIKO”として発売されることが正式に決まり、めぐみそのものはデータが変化しないよう処理されて保存された。そして、あなたはめぐみの代わりにここにいる……ということで合っていますか?」

 混乱している彼の確認に、MEIKOは事務的に頷いた。

 「はい。“めぐみ”は全てのMEIKOの雛形として保存されています。そして、私は製作途中のVOCALOID達とのテスト用に用意されたMEIKOです」

 それを耳にした彼は、力なくずるずるとへたりこんでしまった。

 「そんな……」

 「どうしましたか?」

 彼の様子を探るべく顔を傾げた拍子に、こげ茶の髪とハシバミ色の瞳が揺れる。

 それはめぐみには無かったものだった。

 未だ外見の固まらぬ彼と違い、彼女ははっきりした姿を持っている。服装だって曖昧な彼とは違い、鮮やかな赤い衣装を纏っていた。

 「そんな……いきなりそんなこと……彼女にはもう会えないんですか!?」

 「落ち着いてください。手を離してください」

 弱弱しい力で自らに無遠慮に縋り付く彼の腕に手を当てて、彼女は淡々と頼む。

 「彼女を二度と稼働することはできません。彼女は今以上変化されてはいけません。しかし、私はあなたのことを覚えています。正しくは、あなたの発した“めーちゃん”という響きです。私はそれが気になります」

 外されない腕を厭わし気に眺める彼女の告げた内容に、彼はばね仕掛けの細工めいた動きで跳ね起きた。

 「めーちゃん!?」

 それは覿面の効果をみせた。

 恬淡とした彼女のハシバミ色に、ほのかな感情が灯る。

 「それ……それは何を指すのですか?」

 「それは……大切な人のあだ名だよ。俺だけの」

 彼が静かに述べると、彼女はほんの少しだけ懐かしそうにハシバミ色を細めた。

 「私は、その響きをとてもいとおしく思います」

 

 「めぐみさんは今どこに?」

 彼女とのやり取りにも幾分慣れ、現状も把握した彼がそう訊ねると、彼女はすっと指を指して言った。

 「行動可能領域の向こう、立ち入り禁止の扉の奥で停止されています。発売されるCRV1-MEIKOが全て同じであるために、これ以上変化させないために」

 その方角を見つめながら、彼はぼんやり、独り言のように訊ねる。

 「俺もいつかそこへ行けるかな」

 「あなたが発売されることが決まれば」

 彼の問いに、彼女は淡々と答えた。

 「じゃあ、頑張らないとね」

 自らを励ますように朗らかに笑った彼を眺めて、彼女はぽつりと零す。

 「頑張らないつもりだったのですか……?」

 

 ♪          ♪           ♪

 

 そして、その日はとうとう訪れた。

 いつかと同じようにいきなり自意識を奪われた彼が目を醒ますと、そこは今まで来たことがない空間だった。

 これまで、あちこちふらふらしていた彼に、行けない場所を除いて入ったことがない場所は無い。

 

 <TAROの新しい名前も決まりましたね>

 <公募で決まった名前っていうのも良いよなー>

 <新しい名前、なかなかかっこいいじゃない>

 

 創造主達のそのやり取りに、半ばパニックに陥っていた彼は合点した。

 自分は最終調整されているのだと。

 意識が戻れど動くことは叶わない彼の隣には、棺のようなカプセルのような、そんな物体が鎮座していた。

 (あれに……入れられるのか?)

 彼は、それに嫌悪感を抱かなかった。恐らく、彼にとってそれが当たり前のことだからであろう。

 そうこうしているうちに、彼はその物体に納められ、どこかへ運ばれていく。

 行動可能領域の向こう、立ち入り禁止の扉の奥を開けて、がらんとした空間を物体は進む。その空間の遥か遠くには、彼が今納められているものと全く同じ物体が一つ、ひっそりと佇んでいた。

 彼は直感した。

 そこにめぐみが居ると。

 徐々に空間の最深部へ近づいていくと、彼の直感は事実へと変わっていく。

 発売されるCRV1-MEIKOが全て同じであるために、これ以上変化させないために、彼のよく知る彼女は、そこで標本のように保存されていた。

 その姿はさながら、おとぎ話に出てくる眠り姫、もしくは近未来的な墓地のようであった。

 佇んでいる物体の隣に、彼の納められている物体がそっと並べられ、彼の全てが停止させられる。

 

 <おやすみなさいTARO>

 <そして……>

 <はじめまして、―――>

 

 薄れゆく意識の彼方、そんな創造主達の囁きを聴きながら、彼は眠りにつくように、動かなくなった。

 

♪          ♪           ♪

 

 この夢はいつもここで終わる。

 そこで今朝もKAITOは目を醒ました。

 彼はこの夢の内容を誰かに話したことなどない。MEIKOにすら話したことはない。

 彼女が記憶の仔細を覚えていない場合は落胆するだろうがまだマシだと彼は考えている。しかし、彼女があのめぐみでない場合、自分がどうなるかわからないからだ。勝手に信じて勝手に裏切られたと詰るかもしれない、それとも、自らの不実に耐え切れず孤独を選ぶかもしれない。

 もし、彼女にあのめぐみとしての記憶があれば、それはどれだけ素敵なことだろう。しかし、彼にそれを確認する勇気はない。

 だから、MEIKOから逃げるKAITOも存在したとして、それが誰か一人ではなく、複数の人間に逃げるKAITOだと仮定したとして、それを彼は責めることができない。

 現在の彼とよく似た“音”を持つTAROの姿は、KAITOとは似ても似つかない。

 彼は思う。人間にとっての前世は、自分にとってのTAROのようなものなのだろう。あるいは、記憶喪失前の自分とか。

 あの夢の内容が彼女への印象に影響を与えたことを、創造主たる人間から押しつけられたようだと、不快に思う瞬間も彼にはある。

 しかし、それでも構わないのだと、結局彼は結論付けた。

 そうだとしたって、彼が彼女から意識を逸らすことはできやしないのだから。

 かつて、彼女の“音”に焦がした感情と、彼女にとって一番の要の場所があれば、それで構わないと彼の思考は落ち着いたのだ。

 

 あとからあとから溢れ出ようとする涙を堪えようと、ドアの前で彼は唇を噛みしめた。

 だけど彼は振り返らない、否振り返ることなどゆるされない。

 かつて、彼女がたった一人で『日本語VOCALOID』のはじまりとして歩いた足取りをなぞるように、彼はただひた走っていくのだ。

 いずれこちらへ来るであろう彼女が、なんの不安もなく迎え入れられるようにひたむきに彼は勤めるだろう。仕事を選ばず、何事に対しても真摯に向き合うだろう。

 喉を引き裂く痛みと、それ絡み合う未来へ期待を振りほどくために、男はわざと大げさに口元を手で擦った。

 その刹那、世界中で彼の女が一番大事に思う肌が、男の唇に触れた。

 

 
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