第8幕 介入
飛び加藤がこちらに仕官してきたのは渡りに船だった。
国境付近の豪族の事を知り尽くしていて、尚且つ優秀だ。
長尾が彼を手放したのはこの時期では愚か極まるだろう。
(まぁ、あの胡散臭さなら仕方ないさね。私は大丈夫だったけど)
豪族の調略も、
農民の武器も、
絶妙な奇襲も、
(み~んな私の策だよ。楽しんでおくれ、長尾景虎さん)
長尾勢
「なるべく前の馬について行って!先頭の人は槍を長く持って道を開いてくれ!」
「皆こいつの言うことを聞きなさい!生き残りたいでしょ!」
剣丞が指示を出し、美空が指揮をする。
武田の騎馬隊がすぐそこまで迫っていることもあり、美空の騎馬部隊は数列になって農民の軍団に突撃しようとしていた。
「全員準備は済んだわね?意地でも抜けるわよ!」
まだ馬に慣れていない剣丞は美空の後ろに乗る。
遥か後方に砂塵を確認した彼らは死にもの狂いで馬を駆け出させた。
「な、なんだぁ!?」
「急に突進してきたぞぉ!」
突然の強襲に農民は慌てふためき、道を開けた。
その間を縫うように長い騎馬の列が通って行く。
中には恐れずその列に立ち向かう者もいたが、そうした者は等しく槍に突き刺されていった。
「もう少しで柘榴たちに合流できるわ!集合の鏑矢を!」
美空の指示により、甲高い音を立てる矢が天高く昇っていく。
その音に気付いた柘榴たちはようやく農民の軍を突破してくる味方の姿に気が付いた。
「あれは・・・御大将!?」
「抜けてくるには早すぎるっすねー」
「集合・・・行く」
農民たちの軍は彼らの奮闘により、未だ1500ほどの軍を維持できている。
時期尚早と思われるその突撃に首を傾げた長尾の諸将は、その理由を知る間もなく美空の道を反対側から切り開いた。
「見えた、松葉の足軽隊が出口を開いてくれてる!」
「見りゃわかるわよ!」
必死になった騎馬隊が農民の壁を抜けて味方に合流する。
副将に隊を任せた武将たちがすぐさま駆けつけてきた。
その様子は、走り切りゴールテープを切った走者とそれに駆け寄るトレーナーのようにも見えた。
「御大将ーいくらなんでも早すぎるっす」
「何かあったのですか?」
「時間が無いわ、強制軍議よ!」
美空の指示により主だった将が馬に乗ったまま集まる。
事情を説明すると、他の者は凍り付いていた。
「そ、そんな!何故武田が!」
「多分、全部仕組まれてたんだ」
焦りに声を上げる秋子の声がおそらく全員の総意だろう。
それに対応したのは剣丞だった。
「この辺の豪族は既に武田に取り入ってたんじゃないかな。だからあの農民たちも武器を持っていたわけで・・・」
「そんな!我らが越後の地でこのようなことがあるなど・・・」
「うーん、でもなんでそいつらは武田に付いたっすか?長尾もいいところなのに」
剣丞はかつて教わった知識をフル動員させて答える。
「えーっと、裏切りって色々な理由があるでしょ?その主だったのが主君を見限るか、新しく付く側においしいところがあったとかなんだ。だからそのどっちかだと思うだけど」
「ウチは武田に負けてる所なんて無いわよ!」
「じゃあ美空の政のどっかが気に入らなかったとか?」
「それも無い・・・ハズよ!」
そう言いながらも美空は顎に手を当てて考える。
そこで秋子が声を上げた。
「確か、あの人ならウチの事を知り尽くしてましたね」
「あの人?」
皆が一斉に秋子の方を向く。
「あの人ですよ、加藤段蔵!」
「ああぁーっ!!」
剣丞が誰かと聞くと、美空はバツが悪そうに答えた。
「ウチの忍衆の頭で、そいつがいたんだけど・・・この前追放しちゃって」
「加藤さん、確か武田に付いたって噂が一時期流れてたからもしかしたら・・・」
「もしかしなくてもソレだよ!」
長尾家の中枢にいた人間の言うことなら、いくら嘘をついても人は騙せる。
加藤段蔵という者が武田に付き、国境付近の豪族に「長尾家はこれから悪くなるから武田に付いた方がいい。自分もそうした」とでも言えば簡単に調略が済むだろう。
「何でそんな重要人物を野放しにしたんだよ!」
「だって胡散臭かったんだもん!」
「御大将、スケベさん!そんなこと言ってる場合じゃないっすー!」
見ると武田騎馬隊はもう遥か向こうに姿を確認できるほどに近づいていた。
このまま農民の軍と合流され突撃されれば、苦戦は必至だろう。
「美空、春日山へは?」
「もう増援の要請は出したわ」
「よし、じゃあ撤退だ。一刻も早く春日山城に逃げるんだ!」
剣丞が指示を出したことに、美空以外の全員が驚く。
「な、七刀斎さん?」
「こいつは軍師よ。戦いの方針は決められた事に従う」
美空の言葉に、皆納得はしないまでも理解はしたようだった。
「にしても軍師って・・・急場凌ぎにもほどがあるぞ」
「でもこれでいいんでしょ?」
「まぁありがたいんだけどさ」
剣丞と美空はヒソヒソと話を終わらせると、指示を出し始めた。
「一丸になってすぐ撤退しよう。そのためには殿が必要だと思うけど・・・」
「それについては松葉がやるわ。できるわね?」
「容易いこと」
松葉が眼鏡をクイッと上げ、表情を引き締まらせる。
「じゃあ早速撤退よ!皆駆け足!」
長尾勢はすぐさま松葉の足軽隊を残し、方向転換をした。
足軽隊も引き換えし、駆け足で撤退を開始する。
「なんだぁ?戻ってくぞぉ」
「追え追え!」
「おい列乱すなぁ、言われた通りの形を保つんだぞぉ!」
農民の中でその声が上がると、彼らは壁の陣形を保ったままのろのろと前進を始めた。
「追ってきてるわね」
「農民たちはさっきと同じ陣形で来てる分、動きは遅いようです」
「馬鹿の一つ覚えみたいにあの陣形・・・さすが農民を使ってるだけあるわね」
美空が言いながらニヤリと笑う。
「どういうことっすか?」
「私たちを誘って奇襲をかけるところまではよかったけど、これは武田の失態ってことよ」
「??だからどういうことっすか?柘榴にもわかるように言ってほしいっす!」
「面倒だから七刀斎、頼んだわ」
「ええっ、俺!?」
美空は手綱の操作に集中し、剣丞に後の説明を押し付けた。
「スケベさん、頼むっすー!」
「もーわかったよ。さっき柘榴たちが戦ってるとき、農民が壁みたいになってて邪魔だったでしょ?それは多分武田からも同じなんじゃないかなーって」
「???」
「向こうにとっても農民が邪魔、ってことですよね?」
「そうそれ!ありがとう秋子さん」
「いえいえ」
秋子の噛み砕いた説明で柘榴も納得したようだった。
長尾勢が見えたのと同時に、彼らが撤退しようとしていることは確認できた。
そのことに一二三は少しだけ驚く。
「おや、あの龍のことだから怒ってすぐこちらに突撃してくると思ったけど・・・意外と冷静だね」
「もしかして、この策が読まれてたとか!?」
「いやそれはないよ。それにしては撤退が遅すぎる」
長尾景虎は武田の事になると感情的になる。
それを利用し、彼女を誘い出そうとしたが・・・
「あちらさんに優秀な指南役でもついたのかもね」
武よりも知で戦うことを好む一二三としては、この展開はむしろありがたい。
自然と笑みがこぼれていた。
武田騎馬隊が農民の軍と合流する。
しかし、そこである障害が起きていた。
「武藤さま、山本さま!農民たちが壁になって・・・!」
柘榴たちの進行を妨げていた農民たちは、未だ壁のような陣形を保っている。
それがかえって武田の進行をも妨げる形となっていた。
「一二三ちゃん、どうするの?」
「農民ごと敵を討つ」
「ええっ!?」
一二三の顔色をひとつ変えずに言った言葉に、湖衣は馬から落ちるのではないかという勢いで驚く。
「冗談さ。迂回して進むよ、少し時間はかかるけどね」
現在長尾勢は足の遅い松葉の足軽隊が殿をつとめている分、他の隊が先に撤退中であった。
「報告!敵が迂回して迫って来たみたいです!現在敵先鋒と甘粕どのが交戦中!」
松葉の隊の副将が美空のもとに報告に来る。
予想よりも速い進行に長尾勢は舌を巻いた。
「流石は武田ってところか・・・どうするんだ?美空」
「それを考えるんでしょ?軍師さん」
「今そんなこと言ってる場合かよ!」
抗議するも、美空は何も答えない。
こうなったら自分で案を出すしか道は無いのだろうと、付き合いの短い剣丞でも察していた。
(撤退戦か・・・桃香姉ちゃんたちがそういうの経験豊富だったな)
子供の頃はまさか経験談だとは思わなかった話を必死に思い出す。
(狭い橋で、1人残って立ち塞がる・・・無理だろ!)
あまり参考にならない話であることも思い出してしまった。
「御大将ー!」
その時、早馬が美空たちの馬に前方からやってきた。
すぐさま合流し、状況を伝える。
「春日山城の宇佐美どのが5千を率い援軍に来る模様です!」
「合流時間は?」
「強行軍で行くと仰っていたので、あと一刻もすれば合流できるかと」
「大義!」
早馬は報告を終えると、来た道を戻って行った。
「だそうよ?剣丞」
「一刻か・・・ならごまかせるやり方があるかもな」
「ほー?」
寡勢で戦うやり方はどの姉からも教わって来た。
勝つには難しいが、時間稼ぎならいくらでも方法はある。
「美空、防御の陣形は敷けるか?」
「私を誰だと思ってるのよ、そんなのお茶の子さいさいだわ」
「ならもう少し行ったら武田の騎馬隊に対してそれを敷いてくれ」
「軍師の言葉よ!皆準備して!」
「応!」という声が周りから聞こえてくる。
長尾勢はキビキビと動き、数里先のところで防御陣形を敷いて武田勢を遠くから見据えた。
「松葉の隊がまだ時間を稼いでくれてるな。美空、柵は作れる?」
「森が近くにあるから作れないこともないけど・・・どうするの?」
「騎馬隊の弱点を突く。柵の間から槍を突き出して足を止めた所で柘榴の騎馬隊が突撃するんだ」
「なるほど・・・時間稼ぎにはなりそうね。わかったわ」
すぐさま指示を出し、美空と秋子の隊が馬から降り、木を伐採し始める。
ある程度の数を作り終えたところで、松葉の隊が戻って来た。
「御大将、足止めはしたけどこれ以上は無理」
「ご苦労様。戻ってきてすぐに悪いけど、すぐ防戦よ。時間を稼ぐの」
松葉の足軽隊は足止めの為とはいえ、半分の5百に減っていた。
「よくも私の兵隊を・・・七刀斎、これで勝てるんでしょうね!?」
「目的は勝つことじゃない、逃げることだろ?援軍が来れば相手も退くはずだ」
「その背中を攻めたてるのね、やってやろうじゃない!」
その血気盛んな言葉に反応したのは秋子だ。
「違うでしょう!そんなことをしたら武田との全面戦争は避けられません!ウチにそんな余裕あるんですか!?」
「この長尾景虎と知って突っ込んできたのよ!?その時点で戦争に決まってるじゃない!それに武田相手ならいつだって臨戦態勢よ!」
「そんな最初からクライマックスみたいに言わなくても・・・」
美空の武田に対しての敵意は尋常ではない。
それを見越しての今回の奇襲であろうが、敵の真意が見えなかった。
(全面戦争にするならこの時代ならもっとちゃんと宣戦布告するだろうし・・・なんだ?)
「報告!前方より武田勢!」
物見の報告に一気に緊張感が奔る。
興奮していた美空も、1度頭を冷やしたようだった。
「美空、援軍が来て向こうが退いたら俺たちも退く。いいな?」
「・・・わかってるわよ」
砂塵が近くなり、先頭の馬首が見えてくる。
それを確認し、美空は指示を出した。
「柵の間から槍を突き立てて!兵ではなく馬を倒すのよ!」
その号令により、木で組んだ簡素な柵から槍が飛び出した。
「おや、待ち伏せかい。どうやら腹を決めてるようじゃないか」
「戦うには時期が遅いし、数の差もある。援軍が来るのかな・・・」
「だろうね。そこで私らが退いて向こうが追って来れば、伏兵の粉雪たちが一網打尽にしてくれるさ」
先頭の部隊が次々と柵にぶつかっていく。
隊の中腹にいた一二三たちにもその様子は十分見てとれた。
「おや、向こうも考えなしじゃないねぇ」
柵にぶつかった騎馬が倒れていく様子を見て、一二三にはそれが敵の戦術によるものだと瞬時に理解できた。
「報告!敵部隊は柵の間から槍を突き出し、馬を狙っているようです!」
「時間稼ぎだね。湖衣、陣頭指揮よろしく」
「ええっ!?一二三ちゃんはどうするの?」
「敵情視察さ」
そう言って数騎を連れた一二三は隊から離れていった。
「御大将、敵騎馬隊の足止めできました!」
「よし、柘榴!」
「了解っす!総員突撃っすー!」
秋子と松葉が率いる部隊が足止めをし、柘榴の部隊が突撃する。
それを繰り返すヒットアンドアウェイ戦法で時間は稼いでいたが、それだけではやはり足りない。
「甘粕どのより伝令!柵がもう持ちそうにない、とのことです!」
「七刀斎、どうするの?」
「替えの柵は?」
「現在急いで作っていますが、間に合いそうには・・・」
ある程度作った後、柵の製作には数百人の部隊を回しているが、敵の攻撃力の方が高い。
突破されるのは時間の問題だった。
「伝令!右翼突破された模様!」
「クッ・・・」
「伝令!直江どのの隊、戦線を維持できないとのこと!」
「まだなのか!?」
剣丞の声にも焦りが生じる。
「伝令!宇佐美どのの軍、後方2里まで辿り着きました!」
次々と味方の苦境が知らされる中、やっと届いた光明。
美空たち長尾勢は息を吹き返したかのように敵を押し返し始めた。
「やった・・・!」
剣丞の口から嬉しさと達成感の籠った息が零れ出る。
それは皆も同じだった。
「味方との合流後、敵の撤退を待ってこちらも退くんだ!」
剣丞の頼もしい言葉は、美空を介さずとも兵たちを突き動かした。
「わわわわ・・・敵の援軍!?まだ一二三ちゃんも帰ってきてないし・・・どうしよう」
ひとり指揮を任された湖衣は、撤退の指示を出す予定だ。
しかし一二三がまだ帰ってきていないだけに、そのタイミングも難しかった。
戦場脇の森
木々の間に隠れながら、一二三は供を連れて長尾勢の陣近くまで訪れていた。
「武藤さま、これ以上近づいては気付かれる恐れが・・・」
「なぁに大丈夫さ。それに、向こうの頭脳も1度見ておきたいし」
長尾家のお家事情は加藤を通して最近の事まで知っていた。
戦になると、長尾景虎と柿崎景家が突出し、甘粕景持と直江景綱がその援護に回る。
前に出たがる総大将を味方内の誰も御しきれないというのが、長尾の戦だった。
特に武田と当たるときにはより感情的になって突撃をしてくるため、故につけこむ隙があった。
しかし、今回は今までの長尾と違っていた。
奇襲されるとわかればすぐに本体に合流。
その後は防御陣形を敷き、援軍を待っての防衛戦。
これが今までの戦いであれば合流はあってもその後は確実に突撃であっただろう。
長尾家に軍師又はそれに準じる人間が新しく加わったことは容易に予想できた。
「ここからなら長尾の陣が見えるね」
「武藤さま、あの馬!」
「ああ、遠目だがよくわかるよ。長尾景虎だね。その後ろに乗ってるのは・・・男?」
「ここからだと詳しくはわかりませんね」
辛うじて見えたのは、その男が仮面を着けているということまでだった。
だが、一二三は確信する。
あの男こそ、長尾景虎を御し、冷静な判断をさせている者だ。
「けど加藤の情報にあんな男はなかったね・・・」
今回のキーパーソンも確認できたところで、一二三は踵を返そうとした。
「まぁいいか、そろそろ戻ろうか。馬のところに行って・・・ってあれ?」
振り返ると、ついさっきまで一緒に喋っていた供がいない。
それだけでなく、周りを警戒していた者たちまで忽然と姿を消していた。
戦場の音は遠く、辺りは耳が痛くなるほど静かだ。
不気味に思った一二三は身構え、木を背にした。
(長尾の方の忍にやられたか?いや、軒猿は加藤が抜けて使い物にならなくなってたはず・・・)
その思考を断ち切るように、目の前の木からドシャッという柔らかい音がする。
何かが落ちてきたようだった。
「!?」
それは、真っ赤に染まっていた。
その瞬間、辺りは異様な殺気に満ち溢れ、目の前の茂みからガサガサという音が聞こえてきた。
誰かの悪ふざけであってくれ、一二三はそう強く願った。
やがて、木々の間から血に濡れた何かが姿を見せる。
「嘘・・・」
その場に固まるしかなかった。
目の前にいる何かは、人にしてはあまりに巨大で、人にしてはあまりに鋭かったのだ。
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どうも、たちつてとです
今回は話の区切り上少し短いかもしれません(書いててそう思っただけで本当はいつもと変わらないかもしれませんが・・・)
いつも本作品を呼んでいただき、誠にありがとうございます
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