土曜日にしては早起きの七時に起きて、駅に向かう。そこから電車に乗って、いつもは通過するターミナル駅で降りる。JRへの乗り換え口を出て、今期の新作アニメの広告が出ている壁のあたりで携帯電話を取り出した。新しく登録された番号に電話する。
「どこにいるの?」
電話の相手は出るなり、そうたずねてくる。このワンステップ省略したようなやり取りにも少し慣れてきた。俺の対応力はたいしたものだ。
「乗り換え口です」
「いないじゃん。どこ?」
探すくらいしろよ。乗り換え口といえども広いんだから。
「改札の一番左側を出て、可愛い絵の広告が出てるとこあたりです」
「かわいい?……ああいた」
電話がぶちっと切れる。
きょろきょろと、周囲を見渡すと電話の相手がつかつかと歩いてくるのを発見する。今日も長袖のTシャツにデニムのオーバーオールを着た長崎みちる先輩だ。Tシャツの色が毎日違うのと、デニムのオーバーオールも胸についたポケット部分にあしらわれている飾りやアップリケがたまに変わっているので、かろうじて毎日同じものを着ていないことが分かる。しかし、服装のバリエーションと言う意味では、常に同じものだ。うちの妹の方がまだファッションセンスがある。ドクロのTシャツとか、宇宙人のTシャツとかだけどな。
「いつもの格好ですね……」
「やっぱ胸の谷間まる見せ、パンツチラ見せじゃないとダメかな」
そういう発言がダメだ。
「ダメじゃないですけど……ビッチさんたちに復讐するんじゃないんですか?」
ジョイントデートに誘われた一日だけ見せびらかし用の彼氏になってくれと、涙ながらに頼まれ、ついでに銃を突きつけられて脅迫されて今日に至っているわけだが、この格好はどう見ても彼氏とデートに行く格好ではないと思う。
「……他にないし」
長崎先輩は唇を尖らせて、床を斜めに睨む。
「いや。まぁ、俺はいいですけどね」
「これ脱げば彼氏とのデートっぽくなるか?」
そう言って、Tシャツの襟元をつまむ。
一応、オーバーオールは肩紐と胸付近から下があるから、たぶん中のTシャツを脱いでも乳首などは隠れると思うが、それはすでにビッチと痴女のボーダーライン上になってしまう。後方、側方の両面からブラが丸見えになるはずだ。
「いや。それは、いくらなんでも……」
「下着見せとかあるじゃん」
「……ちなみに何色なんですか?」
「乳首?下着?どっち?」
帰っていいかな。
「下着」
「ベージュ」
それは見せる下着じゃないな。
「いや。そのままの方がまだマシです」
「……そっか」
「じゃあ、行きますか?約束の時間に遅れますよ」
「うん」
二人で並んで、JRの改札を通過する。長崎先輩の言うクソビッチ二人とハメ太郎・次郎の二人との待ち合わせ駅に向かう電車を待つ。名前を聞いたが、長崎先輩も名前を覚えていなかった。合コンでモテたがるくせに、男子の名前も覚えないのはどうなのかと思うが、もう今さらである。この人がノーマルな手法でモテるのは不可能だし、彼氏を作るのも絶望的だと思う。そもそも、この人は彼氏は欲しがっていない。他の女性に屈辱を味わわせたいだけだ。暗黒面に堕ちている。暗黒卿だ。
そんなことを、駅のホームで並んで電車を待ちながら思う。
長崎みちる先輩と並ぶと、意外に小さい身長に気がつく。頭のてっぺんのつむじが見える。髪の長さは肩くらい。後ろで雑にまとめてある。顔は丸顔で、手入れをまったくしていない雑な眉はほぼ水平。二重まぶたの三白眼。鼻は低くはないが、高くもない。口をへの字に曲げて、世の中全般面白くなさそうだ。体型も中肉中背。Cカップくらい。遺伝子的には実にノーマルな日本人だ。強いて秀でているところを探すなら、色が白い。真奈美さんほどではないが、美沙ちゃんと同じくらいには白い。
「そうだ。二宮」
不意に丸顔がこっちを向く。
「はい」
「下の名前は?」
「直人です」
名乗るのは三回目くらいだ。本当に人の名前を覚えてくれない人だ。
「じゃあ、今日はそれで呼ぶから直人も私のことはみちるって呼んで」
「まぁ、彼氏のフリですしね」
「……いや待て」
「やめておきます?」
「そうじゃない。やはり、ここはダーリンとか呼ばないとダメだ」
「そっちの方がダメです」
「言うな。私だって、ゲロぶちまけるくらい嫌なんだ。だが、クソビッチどもはどうやら男のことを『ダー』とか『ダーリン』とか『ダーリンさま』とか言うらしいからな」
本当にそんな呼び方をしているなら、さすがの俺もクソビッチだと同意しなくてはなるまい。だが、「らしい」という伝聞形なのが気になる。
「いや。そんな呼び方をしているのは、わりと狭い範囲の人たちだけだと思いますよ」
「そうか……じゃあ、モテ男二宮に告白した相手は、二宮のことをなんて呼ぶんだ?」
美沙ちゃんのことだろうか。
「『お兄さん』」
「アホかお前は」
長崎先輩にアホ呼ばわりされるとは、なんたる屈辱だ。みちる先輩が想像しているほどおかしな事情ではないはずなのだ。美沙ちゃんが俺をお兄さんと呼ぶのは、真菜の兄と言う意味なのだ。だが説明すると時間がかかってしまいそうなので、屈辱に耐えるほうを選ぶ。
そこに電車が入ってくる。
「普通に下の名前で行きましょう。あと、タメ口で」
「わかった。……直人」
ぷしゅーっと圧搾空気の音がして、電車のドアが開く。二人で乗り込む。席が空いていないわけではないが、並んで座れるほどでもない。長く乗るわけでもないから、そのまま立っていることにする。俺はつり革に捉まり、みちる先輩は手すりに捉まる。
「この状況では、手すりと直人とどっちに捉まるのが正解かな」
「手すり」
「嘘つくな。かなりの高確率で電車の中で彼氏にぶら下がっているクソビッチを見るぞ。くそが。ブラブラ下がって余ってる彼氏のつり皮にでも捕まってろってんだ。くそが」
みちる先輩から暗黒オーラが流れ出る。瞳には狂気が宿っている。本当になんでOKしちゃったんだろう。
「それは、そうとうなバカップルだけですよ。普通しないと思います」
「貴様、やる気あんのか?普通で勝てるか。クソバカップビッチに勝つには、こっちもより一層のクソバカップルになるしかないんじゃないか?」
なんだ?クソバカップビッチって……。みちる先輩のあふれ出るヘイトが新しいUMAみたいな呼び名を生み出している。そもそも勝負なのか。恋の勝負ってそういう意味だったかな。違うな。
みちる先輩が手すりを放棄して片手で俺の腕を掴む。手すりと同じ掴み方をするから痛い。
電車を降りて、待ち合わせ場所に行く。
俺以外の五人は、お互いに顔見知りのはずだが俺は初対面だ。みちる先輩の呼び名でハメ太郎とハメ次郎は、それぞれ男鹿公博さんと徳島治樹さんという名だった。どちらも大学三年生で年上で、見た目も話し方もごくごく普通。男鹿さんのほうは、雄雄しい感じの名前に似合わず小柄。徳島さんの方は、俺と同じくらいの身長。全体的に骨太で体重は俺よりも少しありそうだ。一緒にいる二人の女子大生もみちる先輩と同じ大学二年生。
「どうも、はじめまして。二宮直人です」
「あ。はじめましてー」
「はじめましてー」
男鹿さんと徳島さんと一緒にいる女子大生二人とも挨拶をする。男鹿さんと一緒にいる背の高いほうが女川ゆりなさん。徳島さんと一緒にいる小柄で胸の大きな方が長岡七海さん。どちらも、嫌味にならない程度のナチュラルメイクとふんわりした女子大生っぽい服装をしている。ゆりなさんも七海さんもビッチには見えない。
ふと隣のみちる先輩を見ると、相変わらずの三白眼で二人にガンをつけている。俺を連れてきて、このふたりを悔しがらせるつもりだったのが、悔しがっていなくてがっかりしているのだろうが最初から無理な話だ。俺よりは、妹の同級生の九条くんでも連れてくるべきだった。九条くんはイケメンで如才ないからな。
「じゃ、行っちゃおうか」
男鹿さんがそう言うのを合図に、六人でぞろぞろと駅前から近くのテーマパークに移動する。
七海さんは、ナチュラルに徳島さんの手を取っている。ゆりなさんと男鹿さんは、まだそこまでの距離じゃないみたいだ。なんだ。ぜんぜん普通じゃないか。やはりビッチというのは、みちる先輩の偏向フィルタがかかっていた。ゆりなさんも七海さんもどちらも普通だ。ゆりなさんも「きーくん」と男鹿公博さんを呼んでいるし、七海さんも徳島治樹さんを「はるくん」と呼んでいる。
「おい。直人」
小声でみちる先輩が話しかけてくる。
「はい」
「私の手を握れ。このままでは巨乳ビッチに負ける」
なんの勝負だ。
まぁ、手くらいつないでもいいけどね。
繋ぐには、少し低すぎる位置のみちる先輩の手を掴む。ひんやりとした感触。
入ったテーマパークは、絶叫マシンよりも参加型アトラクションが多かった。大型ゲームセンターに近い。
「どれから行く。どれでもいいぞ」
みちる先輩が入るなり、鼻息が荒い。七海さんとゆりなさんの「きゃー。どれにしよー」「えー。それ、すっごいならんでそうじゃなーい?」みたいなきゃぴきゃぴした雰囲気の「どれにしよう」とは一線を分けている。七海さんとゆりなさんのは、「どれにしよー。目移りしちゃうー」だが、みちる先輩のは「私は、だれの挑戦でも受ける」だ。
最初は、小型のライドに乗って進む先々で現れるモンスターを光線銃で迎撃するシューティングタイプのアトラクションに行こうということになった。
「直人。持ち方が違う」
ライドに乗って光線銃を手にするなり、みちる先輩にダメ出しをされる。
「右手の人差し指でターゲットを指差すイメージで右手を前に出して、グリップを握りトリガーに指をかける。そして、左手で右手をホールドするんだ。違う。右腕を伸ばし切るな。軽く曲げてリラックスしろ。そうだ。身体をやや前に傾けろ。いいな。お前が0時から六時までの方向。私が六時から0時までを担当する」
そう言って、みちる先輩が完全に俺に背を向ける。しかたなく俺も完全に背を向ける。互いに背中合わせで、三百六十度全方位をカバーする。
戦場では正しいかもしれないが、テーマパークではまちがっていないかな。
特にジョイントデートではまちがっていないかな。
ライドが動き出す。
コースの進む先では、先行する男鹿さんとゆりなさんのライドからの楽しそうな声が聞こえる。
こっちは無言で、ひたすら現れるターゲットを撃墜する。
全身を耳にして、機械仕掛けの敵が現れる前の作動音をキャッチし、現れると同時にターゲティング。確実に三回トリガーを引く。
お約束で、最後はボスだ。
「ユー・ライト!アイ・レフト!」
みちる先輩が、ボスの右側のターゲットを俺に任せ、自分は左だと宣言する。忠実にしたがって、右側半分だけに集中する。
見事にボスを破壊して、凱旋。
「どうだ!」
出口でもらった結果シートをお互いに見せあいながら、みちる先輩が勝ち誇る。
いや。まぁ。
確かに圧勝だよ。七海さん・徳島さん組も男鹿さん・ゆりなさん組も撃墜率が四十パーセント台なのに、俺らは脅威の八十三パーセントだ。
しかしコースの途中で密かに撮影された写真は、俺とみちる先輩だけ特殊部隊みたいだ。どう見てもデートには見えない。玩具っぽい光線銃のデザインにも関わらず構え方が堂に入りすぎていて、楽しそうに見えない。
空気読まなさすぎのみちる先輩のドヤ顔に微妙な空気が熟成される。
「うん……すごいね」
ゆりなさんが、かろうじてそうつぶやく。さしすせその「す」だ。それは、もういいのか。
ちらりと徳島さんと目が合う。
(なんかすみません)
(たいへんだよな)
そのとき、遠くから聞きなれた声が聞こえてくる。
『もう一回っすー。もう一回やれば百パーセント確実っすー。美沙っち行くっすよー!』
やべぇ。
なんで二回目は確実に百パーセント達成可能なあいつがここにいるのか。
そういえば、昨夜今日の予定を問い詰められて、ゲロっちゃった気がする。
なぜ、あいつは美沙ちゃんを連れてくるのか。
背中に冷たい汗が伝う。
俺、さっきみちる先輩と手を繋いで歩いたりしちゃったよな。
繰り返す。
なぜ、美沙ちゃんを連れてきちゃうんだ。死ぬだろ。俺が。
俺が胃にポリープを作りつつあるのに気づかず、ジョイントデートは続く。協力してクリアして行くタイプのアトラクションが多いテーマパークは、たしかにつき合い始めのカップルで来るにはいい場所だ。距離がどんどん縮まるだろう。俺とみちる先輩の距離は縮まったりしない。みちる先輩がアトラクションをハイスコア至上主義でガンガン突き進むだけだ。ミスをすると超おこられる。ごめんなさい。
「あ。あれ、撮ろうよ!」
ゆりなさんがゲームコーナーでプリクラを見つけてはしゃぐ。男鹿さんの手を掴んで引っ張って行く。どうやら特別仕様のプリクラで、このパークでしか撮れないスペシャルフレームと、パーク専用のコスプレ衣装も貸してくれるらしい。コスプレは女の子も男の子も大好きだ。女の子にコスプレをしてくれと頼むとドン引きされるくせに、女の子は自分でするコスプレは大好きだ。理不尽だが、それが女の子だ。
受付で衣装を借りて、男女に別れて更衣室に向かう。
「なーなー。二宮ってさー」
わずかに男だけになった時間に徳島さんが話しかけてくる。
「マジで長崎さんとつきあってんの?」
確信を突かれる。
「ええ。まぁ、今のところは」
今のところというのは三時間くらい前からと、二時間くらい未来まではという意味だ。嘘じゃない。実は……と白状してもよかったのだが、みちる先輩を裏切ることになりそうなので、そんなことは出来ない。
「へー」
信じてない返事が帰ってくる。
「あれでも、優しいところあるんですよ。面白いし」
嘘じゃない。三島のお姉さんと腐った女子たちの玩具にされそうになっていたときに助けてくれたのは本当だし、面白いのも本当だ。面白いことを言うわけではないが、当人が面白い。
「へー」
多少は信じた声音の『へー』になった。
着替えて、外に出る。しばらく待つと、女の子たちも出てくる。
ゆりなさんは、魔女っぽいロングスカートの衣装。七海さんは、むほー、襟元の大きく開いたディアンドルだ。あのドイツのおっぱい民族衣装だ。巨乳さんに似合いすぎ。
そして、みちる先輩はカチューシャまでつけたゴスロリメイドの格好だった。
あれ。
目つきは相変わらずの三白眼だけど、意外と可愛い。
ちっこい背丈で、胸も大きくも小さくもないけど、女の子の格好をしていると悪くない。
あくまで悪くないというレベルで、わーい、美少女だー♪というレベルではないけれど。
それからひとしきり、いろんな組み合わせでプリクラを撮る。
「直人」
ふたりでカーテンの内側に入ったときにみちる先輩が話しかけてくる。
「はい」
「あいつら、ふたりで中に入ると『きゃー。いやぁだー』とかクソビッチサウンド吐き出してやがるが、なにしてると思う?」
「いや。ふつうに肩抱かれたりしてるんじゃないですかね」
「そうか……じゃあ、直人もやれ」
「……いやです」
「やれよ!」
三白眼で睨まれる。いやだー。
しかたなく、みちる先輩の肩に手を伸ばしてぐっと抱き寄せる。
出来上がった写真は、マックスまで不機嫌そうな顔をしたみちる先輩の肩を俺が抱き寄せているというセクハラ証拠写真みたいになっていた。
だから嫌だったんだ……。
ジョイントデートが進み、いつの間にか、男鹿さんとゆりなさんも手を繋いで歩いている。徳島さんと七海さんの距離もさらに縮まって、徳島さんの腕を七海さんが引き寄せて歩いている。あれは、ひょっとしたら七海さんの巨乳が押し当てられているんじゃないかな……。
「おい。直人」
すばらしく嫌な予感を伴う小声で、みちる先輩が話しかけてくる。
「嫌です」
絶対ろくなことを言わない。まず否定から入る。
「聞けよ」
「なんです?」
「おっぱい揉め」
「はい?」
「このままでは巨乳ビッチに負ける。私の乳を揉め」
「嫌です」
「いいだろ。役得だろ。揉みたいもんなんだろ。男は。黙って揉めよ。サービスだよ」
デートの最中、公共の場において無言で彼女の乳を揉むというのは、リアルではもちろんエロゲですら見たことがない。
「嫌です」
「くそが」
女子大生の乳を揉まないことでクソと言われたぞ。時空がゆがんでいる。俺の知っているこの世と違う。
おそらくは妹と美沙ちゃんがどこからか監視している。たとえ、これがもう少し揉みがいのある相手でも揉むわけにはいかない。
ふに。
右腕に圧力を感じる。みちる先輩が両腕で俺の腕をつかんで、胸に押し付けていた。胸に大きなポケットのついたデニムのオーバーオールを着ているのもあって、それほど柔らかくない。
なんだかなぁ……。
そうつぶやきかけて、どっと汗が吹き出る。
アトラクションのコース越しに、はしゃぐバカ妹と一緒にいる天使と目が合った。
やばい。
あわてて腕をはがそうとするが、思わぬパワーでホールドされていて引き剥がせない。くっ。いくらみちる先輩が小柄な女の子でも両腕でのホールドである。片腕で剥がせるものではない。
「これ、入ろうかー」
ゆりなさんが誘うのは、廃病院をテーマにしたお化け屋敷タイプアトラクションだ。恐怖の汗はとっくに感じているぞ。
「えーっ。やだー。私、怖いのだめなんだよねー」
「大丈夫。大丈夫ー」
七海さんが、本気とは思えない大げさな調子で嫌がり、徳島さんが根拠なくプッシュする。
「私は大丈夫だ。行くぞ直人」
俺の腕をホールドしたまま、みちる先輩が中に俺を引きずり込む。彼女の方が怖くないお化け屋敷はデートにおいて意味がないが、みちる先輩相手にいまさらである。
お化け屋敷なんて、久しぶりに入った。
現代のお化け屋敷は出来がすごい。リアルさがすごい。手術室に入ったら、壁から下がっている袋がびくんびくんと動いている。そっちを見ていると、とつぜん背後の手術台から死体が起き上がる。
「うごぉーっ!」
「ふんっ」
「ぎゃっ!」
心臓、止まるかと思った。みちる先輩が無言で死体に水平チョップをかましたからだ。なにするのこの人!?
お化け屋敷を一切怖がることなく、散歩するかのようにぐいぐいとみちる先輩が突き進んで、三十分かかると書いてあったお化け屋敷を十五分でクリアする。当然、残りの二組は置いてけぼりだ。背後からゆりなさんと七海さんのきゃーきゃー言う声が聞こえてきていた。
「これはおもしろかったな!」
一切怖がっていなかったみちる先輩が、目をキラキラさせて感想を告げる。
「怖がっているようには見えませんでしたけど」
「直人はバカか。恐怖は楽しみの感情とは違うだろ」
「それを楽しむのがお化け屋敷ですよ。ってか、怖くなくて、なにが楽しかったんです?」
「……いや。それは、うーむ……ノーリーズンだよ」
本当に自分でもなにが楽しかったのか分からない顔で、みちる先輩が答える。まぁ、いいけどね。
「それより、あいつら中でなにやってんだ。出てこないな」
「俺らが早すぎたんですよ。たぶん」
「くっそ、あいつら中でいちゃついてるんだな。クソビッチは少し暗いところに入ると、すぐこれだ」
抱きついたりくらいはしていると思うけど、別に…つきあっているんだし、いいじゃないか。俺なんてつきあってもいないのに、真奈美さんに抱きつかれたり、美沙ちゃんに抱きつかれたりしてるんだぞ。
今、ちょっと反省した。よくない。けじめつけないと。
そういえば、大学生にもなって高校三年生の妹がたまにベッドにもぐりこんでくるのもけじめをつけないといけないと思う。真菜には毎回言いくるめられてしまうが……。
「よし直人」
「はい」
「おっぱい揉め」
「だからやらないって!」
アホだろこの人。
「じゃあケツ触れ」
「やらないってば」
「つきあってるクソビッチどもはところ構わずやってるだろ」
「やってない」
「いーや。やってる。あいつら、そこでもここでもどこでもやりまくりだ。クソが」
「どういう根拠なんだ。やってないよ!」
「やってないのは、直人が童貞だからだよ。ちょっと揉んでみろって!今日一日だけど彼氏なんだろ。ほれ。もみもみしれ!」
うっさいなぁ。なんだこれ。もう帰ろうかな。真面目に帰宅を検討しているところに、残り二組が追いついてくる。
このアトラクションで、だいたいメジャーどころは楽しんだ。残っているのは、お祭りの出店を模したお買い物ストリートだ。配置上、そこを通ってパークの出口に向かうことになる。そろそろ陽も傾いてきて、いいころあいだろう。そろそろ、ゆりなさんと七海さんも、みちる先輩のムードブレイカーっぷりから解放してあげるべきだと思うし。
なんとなく全員(※みちる先輩を除く)がそういう雰囲気を作ったころ、背後から俺の右腕とみちる先輩の両腕の間に手が差し入れられた。
「いいかげん離れてください」
感情を抑えた不機嫌な氷の声音は、美沙ちゃんだ。
天使乱入である。
しかもお怒りモードだ。
「え?」
「あ?」
突然乱入した、俺以外の五人にとっては謎の美少女、美沙ちゃんはふんわりしたミニスカートのワンピースにストライプのニーソックス。絶対領域装備にちょこっと帽子を乗せて、可愛さ天使級だ。不機嫌レベルが上限値を突破した表情でもその可愛さは揺らがない。
男鹿さんと徳島さんが声を失って、ゆりなさんと七海さんが迂闊な彼氏に一気に不機嫌になる。男鹿さんと徳島さんの責任じゃない。美沙ちゃんが可愛すぎるのがいけない。だって、突然ゼロ距離にアイドルの十五倍くらい可愛い天使が降臨したんだぞ。
「いくら、私がお兄さんに振られたからって、見せつけるのは酷すぎですっ!この人がそんなにいいんですかっ!」
怒りの天使は、周りが見えていない。絶叫に近い大声で叫んで、周囲から無数の視線ビームが突き刺さる。テーマパークの客層の大部分を占めるカップルの彼氏さんたちが一斉に俺にうらやま死刑ビームを放出し、彼女さんたちが彼氏に一斉に有罪死刑判決を下したのを感じる。俺のニュータイプ能力健在である。
ニュータイプの俺は、もちろん続いて降ってくる美沙ちゃんの攻撃の軌跡も見えていたが、うっすらと涙を浮かべた天使の視線が硬直フィールドを張っていて体が動かない。パプティマス・シロッコのジオが動かないのと同じ状態で、美沙ちゃんのビンタがクリーンヒットする。しかも往復だ。
「お兄さんのバカっ!」
ぱぱぱぱぱぱぁんっ!
少女マンガ・ビンタよりも強力なケンシロウ・ビンタを見舞って、美沙ちゃんが出口に向かって走り出す。
「あっ」
「にーくん、私にまかせるっす!美沙っち、待つっすーっ!」
そう言って、ショートパンツにドクロTシャツ、黒と紫のニーソという少しはファッションをがんばった感のある妹が俺の横をすり抜けて美沙ちゃんを追いかけて行く。見る見る追いついて、出口に至る前に美沙ちゃんを捕まえるところまで確認する。
あとが怖いが、とりあえず妹が一緒にいれば美沙ちゃんは大丈夫か……。うちの妹には変な安心感がある。意外と頼りになるのは、美沙ちゃんが常々言っている通りだ。
しかし、残された俺たちのこの微妙な空気感よ。
みぞおち付近がキリキリと痛む。確実に胃にポリープが出来ている。胃潰瘍である。
みちる先輩から『どうだクソビッチども。私はアレが選択肢にある男の彼女なんだぞ。完全勝利S判定』みたいなテレパシーが放出されている。ゆりなさんと七海さんの面白くなさそうな表情も俺の胃を苛む。
せっかく一日楽しかったところを、本当にごめんなさい。
心の底からゆりなさんと七海さんにお詫びしたいところだ。男鹿さんと徳島さんもご機嫌回復のためにがんばってくれ。全部が全部俺のせいということもないと思うんだ。
というか、今日ここに美沙ちゃんを連れてきていた妹が悪い!あの悪魔め!帰ったら正義してやる!
微妙な空気のまま、帰ろうかということになる。
解散前に、テーマパークの売店で妙に高価そうなお土産を男鹿さんと徳島さんが買わされていたのは、俺のせいじゃない。妹のせいかもしれないが。女子大生くらいになると、そのあたりが実にしたたかだ。ゆりなさんも七海さんも、不機嫌にされた支払いをしっかりさせている。現実って怖いよな。
「直人。私にもあれ買ってくれ」
「むりです」
なんで三万円もするキャラクターのシルバーアクセサリまで貢がねばならんのじゃ。
「明日四万円払うから、今買ってくれ」
小声でみちる先輩が言う。無意味な軍事費の拡大競争に勝者はいないので、そんなところまで張り合うのはやめて欲しい。
「そもそも、俺の財布には一万円も残ってないですよ。無茶言わないでください」
「くそが」
すみません。クソです。
駅前で、三組バラバラに別れる。
俺とみちる先輩だけ下り線に乗り、あとの二組は上り線に乗る。
「くくく。今日は最良の日だったな。あのクソビッチどもの不機嫌顔が忘れられんわ。写メを撮れなかったのが悔やまれる」
電車の中でも、みちる先輩は安定の邪悪さだ。なぜ、俺はこの人に同情とかしたんだろう。可哀想な人なのは間違いないが、どちらかというと同情というより憐れみだ。
「降りるぞ。直人」
途中駅で、みちる先輩が俺の腕を引っ張って引きずりおろす。
「え。俺、この駅じゃないんですけど」
「うち、寄っていくだろ」
「行きません。ってか腕、離してください」
そろそろ解放して欲しい。美沙ちゃんに言い訳したい。たぶん妹から事情は聞いているだろうが、美沙ちゃんに嫌な思いをさせたのは確かだから、せめて謝らないといけない。
「今日一日彼氏なんだろ」
「もうタイムオーバーです」
「延長おねがいします。三時間くらい」
なんだそのカラオケ。
「いや。もういいじゃないですか。ゆりなさんにも七海さんにも反撃したでしょ」
「そうだよ。だから、これから支払いタイムだよ」
俺の両手を握って、正面からみちる先輩が見上げてくる。本当に背が低いなこの人。八代さんほど小さくないけど、妹より少し背が高いくらいだ。とても年上には見えない。
「支払いって?」
「お礼に一発やらせてやる」
……。
「ビッチはおめーだ!」
ごっ!
言った途端に、強力に頭突きされた。
「処女だよ!」
「じゃあ、自分を大切にしろよ!将来の彼氏に失礼だろ!できるかどうか分かんないけど」
「フラグ立ててないで、もらっとけばいいじゃん。『せっかくなんでいただきます』も『もっと自分を大切にしろよ』もどっちも私ルートだよ」
あんたとのルートに入るのは嫌だ。美沙ちゃんルートがいい。真奈美さんルートも最近はちょっとありだと思っているが、あんたと妹だけはない。
「どっちもいやですよ。ってかおかしいでしょう」
「おかしいのか?」
「おかしいです。いったいどういう知識ですか?」
「……ェ…ゲ」
「はい?」
「エロゲーだよ……」
みちる先輩が目を逸らして、もにょもにょと言いづらそうに言う。ここにもバカがいたよ。
「ゲームと現実を混同しないでください」
あきれたぞ。俺は。
「じゃあ、どうしろってんだよ」
どういう理屈でエロゲ知識でデートになるのか、論理の組み立てがわからない。
「どうって……なにが、どうなってもエロゲの真似でデートとか意味わかんないし。あと、気をつけないと、本当に酷い目にあいますよ。エロ同人みたいに!エロ同人みたいに!」
「そこは気をつけたよ!二宮は、そんなにひどいことしなさそうじゃん!実際、今だってしないじゃん」
俺氏、少しナメられすぎじゃないだろうか。
こう見えても三島には『二宮は絶対道具とかつかうわよ!』と言われるのだ。三島の場合は俺のことを過大評価しすぎだ。道具は使わない……と思う。いや……機会があれば使うかな。
「つーか。どうしろってんだよ……。こちらとら、中学・高校と女子校育ちで、フラグとか立たないんだよ。しかも、私、ちょっと成長遅かったらしくてさ。思春期迎えた頃には、すっかり女子校だよ」
なんとなく分かる。この男女差のない感じ。この人といても異性をまったく感じないのは、そのせいか。一緒にいても相手が異性に接している振る舞いを一切しないから、こっちも異性と一緒にいる感じがないのだ。
「だからといって、エロゲは違いますから。そこは混ぜないでください」
「……つーかさ。クソビッチども、男とくっつくの早すぎだろ」
まずい傾向だ。またみちる先輩が人の話を聞かないモードに入ってきた。
「高校まで、一緒に漫画描いたり同人誌作ってたりした連中も、いつのまにかすっかりビッチだよ。男作って、すっかり一般人気取りだよ。クソビッチ!気がついたら、私一人で漫画描いてんだよ!クソめ」
「いや……まぁ、そこは、人それぞれですから」
二十九歳と三十ヶ月になる佐々木つばめちゃんも、独り身で漫画描いてるよと教えてあげたい。
「わかってるよ。べつにいいんだよ……ってか、微笑ましいじゃん。くっそ。ラブラブで……爆発しないかな。爆発。」
ちょうど、次の電車がホームに滑り込んできた。これに飛び乗って帰りたいけど、みちる先輩がマズい感じなので、放置するのも怖い。次の電車に飛び込まれたら大変だ。
「みちる先輩も、そのうち出来ますって。彼氏。漫画好きな彼氏作ればいいじゃないですか」
「……まぁ、そうだけど……」
よし。落ち着いたか。俺、こういうの慣れて来たな。
「でも、直人。とりあえずイベントシーン行っておこうよ」
「なぜそうなる?」
「エロゲで、イベントシーンを逃すとそのルートはだいたいアウトだから、ここはイベントシーンをこなしておかないと」
「だから、エロゲと現実を混同しないでくれって!」
「しかたないだろ!現実での経験が圧倒的に足りないんだから!コンピューターシュミレーションするしかない!」
かっこいい単語を使ったがエロゲである。
「恋愛シュミレーションって、そういう意味じゃないからな!」
「じゃあ、どうやって練習すんだよ。みんながみんな、お前みたいにモテモテで、あんな超絶アイドル級スーパー天使美少女様に告白されてるわけじゃないんだぞ。この現実イージーモードのモテ男が、チートか貴様……。くっそ、私みたいな目つきの悪いクソブスにはお情けもくれないのかよ……死ぬしかないか」
落ち着いてない。そのホームから線路の方見るのやめてくれ。
「いや。ブスじゃないですよ」
とくに可愛くもないけど。まぁ、普通?
「……じゃあ、なんで処女がやらせてやるって言ってるのにやりたい盛りの十九歳が断れるんだよ。おかしいだろ。くっそ、余裕なのか。本当は、このクソブスって思ってんだろ」
「思ってないですって」
「じゃあ、やろうぜ」
「やりません」
この人の面倒くささには限界がないのか。
「いいじゃねーか。減るもんじゃなし」
「ってか、こんなところでやめてください」
さっきから、周囲の目が気になる。痴話げんかがさらし者だ。付き合ってもいないのに。
「じゃあ、話の続きはあそこで……」
「いやだ」
「……今日のお礼もしたいし」
「いやですって」
みちる先輩の指差す先は、ホームから見える駅前のラブホテルだ。
「行ったことないから、行ってみたい」
「俺だってないですけど、行ってみたくはありません」
「じゃあ、ひとつだけ」
みちる先輩が恥ずかしい指を下ろす。
「なんです」
今度は、なにを言われるのだ。宇宙空間に射出されたモビルスーツのパイロットのように全身を緊張させる。
「私が嫌だから、やらないんじゃないんだよな」
口をへの字に曲げて、相変わらずの三白眼を細めて睨みつけてくる。
「そういうわけじゃないです。たぶんこれが、美沙ちゃんでも……あ、さっきのあの美少女ですけど……彼女でもこんな流れじゃしないです」
「本当か」
「本当です」
これは、間違いない。なんと言っても、俺は鋼鉄の意志で美沙ちゃんに跨られても耐え切った超ハードボイルドだからな。ハロルド・スペンサーよりハードボイルドだ。
「……そうか?じゃあ、お礼はなんか別のものを考えておくよ」
「いや。お礼とかいいですから」
「いや。ぜひさせてくれ。今日は…まぁ、楽しかった…いや。超楽しかった」
「はぁ……」
アナキンよりひねくれて暗黒面に堕ちたみちる先輩らしからぬ子供みたいな笑顔を急に見せられた。少し照れる。次の電車がやってくる。開いたドアから中に乗り込み振り向くと、ホームからみちる先輩が手を振っていた。電車の扉が閉まって、ホームにみちる先輩を残してゆっくりと走り始める。ガラス越しにもみちる先輩はまだ手を振っている。
疲れた。
普段はあまり空いていても座らないのだが、今日は疲れた。席に座ってぐったりと背もたれに身体を預ける。ポーチからウォークマンを取り出してイヤフォンを耳に突っ込む。タッチパネルを見て、イヤフォンを引き抜く。
入っている曲が全部デスメタルになっていた。
妹の仕業だ。帰ったら正義しなくてはならない。
(つづく)
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妄想劇場84話目。デート回。ラブラブじゃないやつ。テーマパークとか、ぼくは十年以上行っていないので、そろそろ行ってみたいところですが、ひとりテーマパークは罰ゲームです。友達付きのチケットって売ってないかな。
最初から読まれる場合は、こちらから↓
(第一話) http://www.tinami.com/view/402411
メインは、創作漫画を描いています。コミティアで頒布してます。大体、毎回50ページ前後。コミティアにも遊びに来て、漫画のほうも読んでいただけると嬉しいです。(ステマ)