No.676618

標の桜

さん

春。僕は大好きな桜を見に行く。

2014-04-06 02:06:03 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:363   閲覧ユーザー数:363

 春がきた。

 待ちに待った春だ。

 僕は思わず走り出す。

 

 この大きな公園の、坂の上のてっぺんに、とても大きな桜の木がある。ほかの桜はまだ咲いていないけれど、あの桜はきっと咲いている。

 だって、あの大きな桜はこの公園でいちばん最初に花が咲いて、春が来たことを教えてくれるから。ずっとずっと、大昔からそうだったんだって。

 もう、春だから。きっとあの桜は咲いている。

 僕は息を弾ませながら坂道を走っている。

 もうちょっとで、あの桜の枝が見えるはず。

 もうちょっと、もうちょっと……見えた!

 高い、高い空から細い枝がたくさん降りてきている。その枝に、うすい、うすいピンク色の、とってもきれいな花が咲いている。あと何日かすると、枝が見えないくらいに花が咲いて、もっときれいになるんだ。

 僕は、走る速さをぐんと上げた。桜の木の下に、会いたいひとがいる。きっと、ひとりで立っている。

 息を切らしながら坂を登り切った僕は、ものすごく嬉しくなった。

 だって、やっぱり会いたいひとがひとりで立っていてくれたから。

「あ、桜のお姉ちゃん!」

 僕はお姉ちゃんのもとへ駆けていく。よかった、また会えた。

「僕、忘れなかったよ! もう二度と会えないなんて言うから、去年僕はものすごく悲しかったんだ。でもそんな事はなかったね。よかった、会えて。また一緒に遊ぼうよ!」

 このお姉ちゃんは桜の妖精さんだ。そう、去年言っていた。

 人と桜の妖精さんが会って、話ができるのは一生に一度くらいだって、だからもうお別れだけど、桜は見に来てくれって、去年そう言っていた。

 でも僕は覚えていた。そして、また会えたんだ。

「……えーと、どちら様でしたかの?」

 きょとんとしてお姉ちゃんは言った。

「いやだなぁ。僕が忘れるんじゃなくて、お姉ちゃんが忘れるなんて。それじゃ、あべこべじゃないか。覚えてないの?一緒に遊んだじゃないさ。そう、ほかの桜が咲いていない、ちょうど今くらいの時期だったよ」

 僕がそう言うと、お姉ちゃんはポンとにぎりこぶしで自分の手のひらを打った。

「おお、おお。あの時の子供か。いやー、悪い悪い。つい忘れておったわ。でも今思い出したぞ」

「よかった。思い出してくれて。忘れられたままだったら、僕はもっと悲しくなるところだったよ」

「いやー、悪いのう。して、今日は何をしにここに来たのだ? もしかして、私に会うために来てくれたのか?」

「その、もしかして、だよ!」

 僕がそう言うと、お姉ちゃんはにっこりと笑ってくれた。とってもきれいだ。僕はなんだか、胸の内がわが変な感じがする。どきどきして落ち着かないんだ。

「そのために、他の桜が咲いていない、こんな時期に来てくれたのか?」

「そう!」

「ふむ、そなたの真っ直ぐな気持ちは素直に受け止めよう。私も、嬉しいぞ。ちと面映ゆいくらいにな。桜冥利に尽きるのぅ」

 そういってお姉ちゃんは照れ笑いをした。なんだか、僕の方が赤くなりそう。

「む、そなた、照れておるな」

 もう赤くなっていたみたい。

「てれてれだよ!」

「うむ、照れ照れのようだ。だが照れることはない。そなたは日本人として極めて正しい感覚の持ち主であるぞ。誇るのだ。うんうん」

「ほこるのだー!」

 僕は恥ずかしかったから、お姉ちゃんと同じ、腰に手を当てて胸を張るポーズをマネしてみた。でも、やっぱり恥ずかしかった。

「まァ、せっかく来たのだ。他の桜は咲いとらんし、私もまだ咲き始めで見栄えがせんが……ゆっくりしていけ。お相手つかまつろう」

「ありがたきしあわせー」

 僕はおおげさに、おじぎをしてみせた。

 今年はけっきょく、お姉ちゃんの花がなくなるまで、僕はずっと桜の妖精さんのことが見えていた。だから、去年会えなかったほかの桜の妖精さんにも会えて、みんなととても仲良くなった。

 桜の妖精さんたちはみんなそれぞれきれいで、かわいくて、うらやましいくらいだったけど、僕はやっぱりお姉ちゃんが大好きなんだなって、気がついた。だって、お姉ちゃんといる時だけどきどきするんだもの。

 これって、やっぱり恋ってやつなのかな。僕にはちょっと早すぎるかな? お父さんやお母さんに聞いてみたら、なまいきだなんて笑われちゃうかも知れないな。

 

 それから、僕は毎年あの公園に行っている。

 そして、気がついたんだ。お姉ちゃんは、ときどき寂しそうな顔をすることに。

 それがずっとずっと気になって、ある時僕は勇気を出して聞いてみたんだ。だって、寂しそうなのが、なんだかかわいそうだったから。

「そなた、なかなか鋭い観察眼をしておるな。……うん、どうしようかのう。まァ、私とそなたとの間だから、教えてやろうか」

 もしかしたら教えてくれないんじゃないかって思ったけど、お姉ちゃんは僕に教えてくれた。

「わたしゃぁ、ずっとここに居るであろ? だから、時々むかーし昔の事を思い出すのよ。桜もほれ、たーんと咲いとるが、私と同じに咲いて、同じに散るやつはおらんのだ。まァ彼岸桜と染井吉野の差なんだが……昔は私と同じ桜が結構居たのだがな。そう考えると、私はひとりだと思ってしまう時がある。そなたが見た顔は、たぶんそんな時の顔であろう」

 僕は、なんだかお姉ちゃんがかわいそうでたまらなくなった。

「そんな顔をするなや。……心底ひとりだ、と感じている訳ではない。ただ、時々、昔の良い時代を思い出しているだけだ。年寄りの思い出浸りよ。気にするな」

 でも、やっぱり。やっぱりかわいそうだ。ひとりは、寂しい。だから、僕は今まででいちばん勇気を出して、言ってみたんだ。

「ひとりじゃないよ! 毎年、僕がぜったい会いにくるから!」

「ふふ、嬉しい事を言ってくれるの。まるで恋人みたいだな」

「……。……だよ」

「ん?」

「恋人、だよ! 僕は、お姉ちゃんが大好きだよ。だから、恋人になってよ!」

 でも、そう言ったら、お姉ちゃんは急に悲しそうな顔をしたんだ。

「……気持ちはありがたいがな。私とそなたは恋人にはなれん」

 何だか、僕はすごくガッカリしたような、悲しいような、寂しいような気持ちになった。僕はしばらく下を向いたまま。顔を上げられない。お姉ちゃんの顔を見られない。これが失恋ってやつなのかな。

 そんなことを思っていたら、僕はお姉ちゃんにぎゅっと抱きしめられた。どきどきしたまま固まっていたら、お姉ちゃんが頭を撫でてくれた。なんだか、とっても落ち着く。

「そなたと私は……仲間だからな。恋人じゃあないのだ。それに、ほれ。この長い髪」

 お姉ちゃんは僕の頭のてっぺんから首のあたりまでゆっくりと何度も撫でる。え? 髪?

 まったく気がつかなかったけれど、僕にはお姉ちゃんのような長い髪の毛が生えている。いつの間にこんなに長くなったんだっけ?

「まあ、人によっては男の子と見ないことも無いだろうが……大抵は女の子だと見るであろうな」

 僕が、女の子?

「それに、ほれ」

 お姉ちゃんは、僕の頬をゆっくりと撫でた。悲しいような、ほほえんでいるような顔をしながら。

「私にも似ておる。白くて、小さな花。ほれ、思い出すのだ。いや、気がつくのだ。そなたは、あの子供ではないであろう」

 春がきた。

 待ちに待った春だ。

 僕は思わず走り出す。

 

 何でこんなに気持ちが逸るのかはぜんぜん分からないけれど、てっぺんの桜が見たくってしょうがないんだ。

 

 僕は、待ちきれなくて走り出す。

 

 ――そこへ、トラックが来た。見通しの悪い曲がり道。スピードの出る下り坂。歩道の信号は「赤」だった。

 

 

 両親が、ちょっと目を離した隙の出来事だった。「僕」は、死んだことにすら気が付かなかった。

 両親は嘆き悲しみ、悲観と絶望に明け暮れたが、「僕」の埋葬に関して一つの希望を見つけた。あの公園からそう遠くないところに墓園が新しくできたのである。樹木葬を中心にした墓園で、しかもシンボルツリーにはシダレザクラが植えられるという。

 両親は一も二もなく、「僕」をそこへ埋葬することに決めた。埋める場所も本来は抽選だったのだが、事情を汲んで最も根に近い場所に埋めて貰った。

 

「あの子が大好きだった、シダレザクラに抱かれて眠れるなら。きっと、きっと向こうでは幸せになってくれるに違いない」

 ――ボクは。シダレザクラの、花の精。

 

「……ようやく、気が付いた様だな」

「ボクは。……そう、だった、のか」

 お姉ちゃんは、遠い目をして言った。

「まァ、こういう事はあまりないのだが……あの子供、よほど思いが強かったのであろうな」

「その、強い思いが、ボクに受け継がれた」

「あの事故は何年前だったか……本当に一瞬の事での。本人はまだ生きているつもりだったのだろうて。……私は、そなたと話せて、あの子供とまた会えたような気がして嬉しかった。楽しかった。だが、そなたのつとめはここに来ることではない」

 そう、それはもう、分かっているんだ。

「お墓の、桜」

「そなたの下に眠る者たちはもちろん、残った者たちの思いも、記憶も受け止めて咲かねばならぬ……墓守よ」

「ボクは……ここにきちゃ行けないのかな」

「行けないという訳ではない。だが、墓に植えられた桜は死人とその家族を慰める定めを持たされる」

「……」

「つらい、であろうな。だが……その花を見に来る者は、また強い思いで来る。慈しむ。感謝する。……どうだ、そなたにはできそうか」

「わからない。だって、ボクはさっきまで小さな男の子だとばかり思っていたんだもの」

「泣きそうな顔をするな。そんな気の弱い事を言っていては、たちまち枯れてしまう。咲け、咲くのだ。桜は咲いてこそ花。泣くな。笑え。花とはほころぶものだぞ」

「でも……」

「枯れるな。私がさっき言ったことを忘れたのか? 我々は『仲間』なのだぞ。同じ枝垂れ桜の、彼岸桜の淡い花」

「……同じ桜」

「そう、同じ桜だ。そなたが枯れたら、私は悲しい。一緒に居てくれる、と言った気持ちは嘘だったのか?」

「嘘じゃない。本当の気持ちだよ。でも、それはあの子供の気持ちであって……」

 ボクの気持ち、それはどこにあるんだろう。

「いんにゃ、そうとも限らん。確かにあの子供は良く懐いておったが、あくまでもう一度会いたい、という気持ちであろう。そこから先のことは、そなた自身の経験したこと。……自分の意志、記憶、その蓄積はもう始まっておる。そしてそれは全部そなたを形作るものだ」

「……そうなのかな」

「そうだ。安心せい。そなたは空っぽではない。記憶が少しばかり混同しただけで、ちゃんとそなたはそなただ」

「……うん」

「よし、では行け。墓に戻り、記憶を刻むのだ。……そして、時々はここに遊びに来るのだぞ」

「……ありがとう。きっと、ちゃんとした墓守桜になる。それで、堂々とお姉ちゃんのとこに遊びに行くよ!」

 

 ボクは墓の、桜樹のところへ戻っていく。墓のシダレザクラは順調に生長し、墓地を抱きかかえるかのように枝を張っていた。すっかり忘れていたけれど、ボクはこの幹から、枝から生まれたんだ。あの子供が埋められた時と比べて、ずいぶんと立派になっている。

「わぁ、綺麗ね。こういうお墓もいいわねェ」

 墓園の見学者だろう。年寄りの夫婦が花を見てそう言った。今はちょうど満開の時。つまりはお彼岸だ。続々と見学者とお参りの人が来る。皆口々に花の美しさを褒め称えた。中には涙している者さえいる。あぁ、こんなに綺麗な花の下にいるんなら、あいつもきっと満足だろう、桜よ、ありがとう。咲いてくれて、ありがとう。そんな声や気持ちが伝わってくる。

 ああそうか、お墓の桜っていうのは、こういう事なんだな。お姉ちゃん、何とか、ボク、咲いていけると思う。たぶん、きっと。

 

 咲いて、咲いて、きっと笑える。笑顔にできる。でも、やっぱり時々はお姉ちゃんに会いに行こう。桜として、仲間として。

 ――大好きなひとに。


 
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