ひな×ひな
◇
「ここ、どこだろう」
そう呟いた少女の名は、滝川一益。通称を雛という。織田家に使える武士の1人で、田楽狭間に舞い降りた天上人・新田剣丞の愛妾の1人でもある。
昨日も剣丞の寵愛を受けて一緒の布団に入って眠りに就いた。
だが、目覚めるとそこは布団の中ではなく、森の中だった。しかも、身に付けている物は戦に出る時に纏う服と、2本の小太刀。
誰かがここまで運んだのかと考えたが、雛はその考えを即座に振り払う。
織田家の人間を攫うという命知らずがいるとはまず考えられないし、織田家の誰かが『イタズラのお仕置き』としてどこかへ運ぶにしても、寝ている人間を着替えさせてまでこのような森まで連れて行く意味がわからない。
「あ、もしかして……」
雛の頭に1つの考えがよぎった。
日ノ本一の女たらし・新田剣丞も突如田楽狭間に舞い降りたのだ。もしやこれは、自分にも同じ現象が起きてしまったということなのではないか。
「困ったなー」
剣丞でさえ、元の世界にはどうしたら戻ることができるのかわかっていない(帰すつもりなどさらさらないが)のである。雛自身が帰ることができるかどうかは全くわからない。
とはいえ、何もせずにじっとしているのは性に合わない。ひとまず情報収集をするため、歩き始めるのだった。
◇
「おや?」
森の中を歩き始めて半日ほど経過しただろうか。前方から騒がしい声が聞こえてきたので、一旦足を止める。
水も食料もない状態で今まで誰にも出会わずに歩いてきたので、助けを求めるためにすぐにでも声をかけようとした。しかし、話しかけた相手が賊だった場合面倒だ。そう考えて様子を窺うことにしたのだ。
どうやら、その判断は正解だったらしい。
視線の先には、少女を取り囲む3人の男。
「ヒヒッ。もう逃げられねぇぜガキ。観念しな」
と、下卑た笑みを隠しもしない小さな男。
「諦めてくれると嬉しいんだな」
と、気弱そうな太った男。
「お嬢ちゃんだって、コイツで斬り殺されたくねぇだろ? 事が済んで、有り金全部いただいたら立ち去るからよぉ。クックックッ」
と、剣を抜いて少女を脅すチョビヒゲの男。
なるほど、いかにも賊といった連中だ。
賊達の脅しを受けた少女は涙を流し、身体を震わせる。おそらく、賊達の言葉は既に聞こえていないだろう。
「……」
先にも述べたが、雛は半日の間飲まず食わずの状態で森の中を歩いてきた。疲労は限界に近い。
だからといって、理不尽な悪意を受けている少女を見過ごすわけにはいかない。弱き者を助けずに自分だけが逃げ出すなど、織田家の臣として許されることではないし、剣丞達に顔向けができない。
「ではでは、いっちょやりますかー」
そこからの行動は速かった。
滝川家お家流《
続けざまにデブの両足の
チビとデブはそれきり動かなくなり、そこでようやくチョビヒゲ男は自分達が襲撃されたことに気付いた。
「チビ!? デク!? テメェ、よくもやりやがったな!!」
「それはこっちのセリフだよー。こんな小さい子を襲うなんて、君達もしかして童貞だったの? だから弱そうな娘しか標的にできないんでしょー。カッコ悪~い」
息を整えるついでに挑発してみたが、効果は覿面だったようだ。男は激昂し、剣を振り上げる。
「こんな見え見えの挑発に乗るなんて、和奏ちん以下だね。それじゃあさよ~なら~」
雛は再びお家流を使い、男の後ろへと回りこむと、頸を斬り捨てる。男は何が起きたかわからぬまま、再び目を覚ますことはなかった。
◇
「もう大丈夫だよ。終わらせちゃったからー」
チビに刺さったままの小太刀を引っこ抜いて少女へと向き直る。
「あわわ……。あ、ありがとう、ございましゅ……」
少女は、とんがり帽子のつばで顔を隠しながらボソボソと感謝の言葉を述べた。だが、まだ落ち着いていないのか、最後は少し噛んでしまった。
「立てる?」
返り血が付着した手を拭き取り、手を伸ばす。少女は『ひゃい!』と可愛らしい声を上げながらその手をとって立ち上がった。
「まずは自己紹介からだね。雛の名前は滝川一益。通称は雛。雛って呼んでねー」
「通称? 通称とは、なんでしょうか?」
通称というものが聞き慣れないのか、少女は首を傾げる。
「通称っていうのはね。真名とも言って、その人を表すものなんだよー」
「あわわ!? 真名でしゅか!?」
今度はわたわたと慌てる。はて、自分は何か変なことを言っただろうか?
「あれ? 雛、何か変なこと言った?」
「えと、その。真名は神聖なもので、親しい人以外が呼んだりしたらいけないものでは……」
どうやら、彼女にとって真名は自分が考えている以上に重要なものらしい。こうした文化の違いを認識して、ますます見知らぬ土地に来てしまったのだと実感する。
「えっとねー。雛が住んでいるところではそこまで深刻なものじゃないんだなー。知り合った人なら基本的には教えてるよ。むしろ、『一益』っていう
「そ、そうなんですか……。
では、こちらからも。姓は鳳、名は統。字は士元。真名は雛里です。
命を助けて頂いた上に、真名を預けてもらったお礼です。私の真名を雛さんにも預けます」
名前を聞き、雛に『おや?』と思う。鳳統士元と言えば、伏龍鳳雛のうち、鳳雛の方だったはず。
1000年以上も前の人間の名前が出てくるということは、剣丞と同じように過去に飛ばされてしまったということか。
「うん、わかった。それじゃあ、ひなりんって呼ばせてもらうねー。かわいいし」
「ふぇ? か、かわいいだなんて……」
まともに話せるようになったかと思いきや、またもや目を伏せてしまう。
これは、『2人合わせて「ひな×ひな」だねー』とは言わない方が良さそうだ。
◇
「ところで、ひなりんは何でこんな森の奥で襲われてたのー?」
「そ、それは……」
雛里は親友の諸葛亮(この名前にも少し驚いた)と共に、水鏡塾という私塾で学んでいた。その中で、暴政や賊に苦しむ民を救うために天の御遣いと呼ばれる男の話を聞き、共に乱世を治めるために馳せ参じようとしていたらしい。
その途中で先程殺した3人の襲撃に遭い、離ればなれになってしまったのだという。
話に聞いた地名・人名から推測した結果、ここは1000年以上前の
聞き終えた後、雛も雛里に対して事情を説明した。ただし、海を超えて旅をしていたところ、道に迷ってしまったという少しの嘘をついてだが。
「じゃあ、雛がその娘を一緒に探してあげるよー」
「え、いいんですか!?」
「もちろんだよ。どうせ雛はどこに行けばいいのかわからないんだし。ひなりんのお手伝い、喜んで引き受けちゃうよー」
「あ、ありがとうございます……」
それから2人は仲良く水と食糧を分けあいながら、諸葛亮を探し続けた。
雛里は雛が使ったお家流に興味津々のようで、道中連弩の如き質問を浴びせられた。そのお陰で会話が尽きることは無かった。
なお、2人の外見は少しだけ変化していた。
雛里は、雛が持っていた小太刀を1本腰に差している。身を守る武器の1つくらい持っておくべきだと雛が忠言したからだ。
一方雛は、雛里が身に付けていた帽子を被っている。こちらは大した理由ではなく、ただ可愛いから被ってみたかったためである。
◇
歩き始めてどれ程の時間が経っただろうか。月が昇り、そろそろ休もうかと考えていた頃。
森の奥から雛里の名を呼ぶ少女の声が聞こえてきた。
「この声、朱里ちゃんだ……!」
声がする方向へ顔を向けると、遠くに雛里と同じくらいの背丈の小さな少女を確認できた。話に聞いていた諸葛亮の特徴そのものだった。
――良かったね、見つかって。
そう声をかけようとした。
何故、と考えて自分の身体を見てみると、
――もしかして、ひなりんの目的が達成されたから?
そうこう考えているうちに、徐々に身体が透けていく。
雛は声を発することができず、わけがわからぬままその場から消えてしまった。
◆
黄巾賊に襲われて、朱里ちゃんと離ればなれになって、本当にもうダメかと思った。
そこへ現れた不思議な女の子、雛さん。もしも彼女がいなければ、私は女としての尊厳を失い、命を落としていたかもしれない。
雛さんは、《頑張って足を早く動かせば、速く動くことが出来るの術》という凄い力を持っていて、とっても強い。もしも私達の仲間になってくれるのなら、心強い味方になってくれるはず。
そんな彼女と一緒に朱里ちゃんを探し初めて、そこそこの時間が経過した。
月が高く昇り、そろそろ休もうかと考えていると、ふと私を呼ぶ声を聞こえた。
私は居ても立ってもいられなくなり、朱里ちゃんの声が聞こえた方向へと駆け出した。
朱里ちゃんもこちらに気付いたようで、私に向かって駆けて来る。
「雛里ちゃ~ん、無事で良かったよぉ~!」
朱里ちゃんは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら抱きついてきた。私と違って1人で森の中を彷徨っていたのだから、不安で仕方無かったんだと思う。私は彼女のギュッと抱きしめる。いつもと立場が逆の行動をとっている自分に少し驚いた。
「私は大丈夫だよ、朱里ちゃん。助けてくれた人がいたから」
「え、そうなの?」
「うん。雛さんっていう人で、向こうに…………あれ?」
雛さんが立っているはずの方向へ振り返る。だが、そこには誰もいなかった。
朱里ちゃんの静止の声を振りきって元いた場所まで戻ると、やはり雛さんの姿が見えなくなっていた。
なんで? どうして?
「ひ、雛里ちゃん。いきなり走りだしてどうしちゃったの?」
もしかして、さっきまでのは夢? 黄巾賊の人達に追い詰められたのも。雛さんに出会ったのも。
「ところで雛里ちゃん、腰に差したその剣はどうしたの? それに、帽子も無くなってるみたいだけど」
朱里ちゃんの言葉にハッとして、頭と腰に手を伸ばす。そこには、あるはずだったものが無くなっていて、無いはずのものがあった。
それは、さっきまでの出来事が夢ではなかったことを示す証明。
だとしたら、雛さんはどこへ消えてしまったのだろう?
私の頭の中では、疑問が竜巻の如く渦巻くのだった。
◆
「あれ、この帽子は……」
雛と共に閨を共にした翌日。今日は俺が先に目を覚ましたのだが、隣で寝息をたてている雛は、昨晩とは少し違っていた。
彼女の頭に、俺がよく知る人が被っている帽子が乗せられていたのだ。
寝る前はこんな帽子は無かったはず。それがどうして?
「ふみゅ……。ひなりん…………」
「ひなりん、か」
『ひなりん』とは、俺の姉の1人、雛里姉さんのニックネームである。
何故それが雛の口から出てくるのだろうか。単なる偶然だろうか。
「まあ、考えても仕方ない。今日はいつもより早く城に行かなきゃならないからな。さっさと起こさなきゃな」
そうと決めたら行動は迅速に。
俺は、愛しい女の子を起こしにかかるのだった。
◆
「こんなところにいたのか、雛里」
「あ、ご主人様」
雛里は夜になると、城の庭に立って月を見上げる習慣がある。その手には、彼女が肌身離さず持ち歩いている小太刀が握られている。
戦場に出ない軍師としては立派なそれを何故もっているのかと聞くと、『危ないところを助けてくれた友達に頂いたんです』という答えを貰った。
詳しい話を聞くと、俺達の元へ来る途中、雛里と朱里は黄巾賊に襲われたらしい。そして、途中で朱里とはぐれた雛里は、彼等に追い詰められた。そこへ『滝川一益』という女の子が現れ、助けてくれたというのだ。
滝川一益といえば、織田信長に仕えた戦国武将の1人。諸葛亮や鳳統といった人物が女性になっているのだから、滝川一益が女の子になっていても不思議ではない。だが、何故この時代・この場所に1日足らずとはいえ現れたのか。
俺は雛里に対して、『彼女も俺と同じく、天の御遣いだったのかもしれない』と言おうとして、やめた。
俺の予想が正しければ、彼女は雛里を助けるという目的を達成したから元の世界に戻ったのだろう。
ならば俺は? 乱世を治めるという目的が達成されてしまった時、俺は元の世界に帰ってしまうのではないか。
そんな不安が頭によぎったのだ。我ながら情けないと思う。だけど、ちゃんとした確証が得られるまでは、まだ秘密にしておきたかった。
今夜は満月。鳳統と滝川一益。2人の雛が出会った日と同じ月だという。
あとがき
雛ちゃんの壁紙は家宝です。
雛ちゃんの声を初めて聞いた瞬間、作者の理性がワンキルされました。
ひなりんは雛ちゃんと出会い、その後は短剣使いとして大活躍! ……するなんてことはないです。
次が「戦国†恋姫 短編集」の書き溜め分のラストです。
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戦国†恋姫の短編その7。
元々は雛祭り記念に投稿したもの。
雛里と雛が交差する時、作者の理性が崩壊する!
ハーメルン様とのマルチ投稿です。