ずっと憧れていたクラスの女の子に思いきって告白した。一度も話したことがなかったのでふられる覚悟だったけれど、なぜかイエスの返事をもらった。
付き合いはじめて三日目にどうして付き合ってくれたのか聞いてみたら、面白そうだったからと満面の笑みで返されて拍子抜けした。
それから半月が経った。毎日駅まで一緒に帰る道中、彼女は必ず夕飯の話をする。彼女には下に妹と弟が一人ずついて、親が共働きしているため家事はほとんど彼女がやっているらしい。今日もスーパーのちらしを見ながらコロッケやキャベツの話をしている。ちなみに付き合うまでの彼女は高貴で気品があって、どこぞのお嬢さまかと思っていたのでギャップが激しい。そこがまたいいんだけど。
「テレビが欲しい」
彼女がスーパーのちらしを眺めながら呟いた。
「え、ないの?」
「あるけど妹がアニメ観たりお母さんがドラマ観たり」
「あ、自分のね」
「うん。ニュース番組が観たい。あるいは新聞」
彼女は知識を頭につめ込むのが大好きらしい。だからテストはいつも満点だし、授業中に話しかけると鬼の形相で睨まれる。
駅が近づいてきたので俺は慌てて話しかけた。
「そういえば、高野さんってあした誕生日だよね」
「ああ、そうだっけ」
「…」
駅前は会社や学校から帰宅する人達で賑わっていた。
「なんかプレゼントしたいんだけど、何がいい?」
「え、くれるの? じゃあテレビ」
「無理」
「じゃあパソコン」
「無理」
「スマートフォ」
「無理」
変な間がながれる。ちょうど駅に着いたので立ち止まった。
「何ならいいの?」
「高校生の小遣いで買えるもの」
彼女はしばらく考えた。ものすごく考えていた。そしてひらめいたように顔を上げた。
「じゃあ辞書! 国語の辞書ちょうだい!」
「え、そんなんでいいの?」
「うん! 天国!!」
よく…いや、全然分からないけど、辞書ひとつで天国ならそれでいいか。俺は彼女と別れると、大きな本屋さんに寄って四千円の国語辞典を買った。それが地獄のはじまりとも知らずに。
次の日、学校で彼女に辞書をあげるとすごく喜ばれた。そして辞書の一ページ目を開いて黙々と読み始めた。
「え、読むの?」
彼女は無言になった。それからずっと、授業中も休み時間も辞書を読み耽った。友達とお弁当を食べている時も読んでいた。帰り道も夕飯の話は一切しないで辞書を読んでいる。俺はおそるおそる話しかけた。
「あの、えっと…面白い?」
彼女は辞書に目を落としながらうなずいた。その後はずっと沈黙のまま、駅に着いて別れた。なんだこれ。
そんな日々が一週間続いた土曜の夜、俺は親から映画のチケットを貰ったので彼女の家に電話してみた。
「はい、高野です」
すぐに彼女が出た。
「あ、俺だけど…いま大丈夫?」
「ああ、どうしたの?」
そこで辞書をめくる音がした。やっぱり読んでる。
「えーと、よかったら明日、映画観に行かない?」
「無理」
「なんで」
「忙しいから」
「辞書で?」
「うん」
「…」
「…」
「…」
「…」
ペラッ
辞書をめくる音がした。なんか無性に腹が立った。
「あのさぁ!」
「んー」
「俺と辞書、どっちが大事なの!?」
思わず怒鳴ると彼女がキレた。
「辞書に決まってるでしょ!!」
ガチャンと勢いよく電話がきれた。俺は呆然とした。もう知らない。あんなやつもう知らない。俺は映画のチケットをビリビリに破いて捨てた。
彼女の誕生日から一ヶ月が過ぎた。学年末テストもやっぱり彼女が一位だったけれど、何も話さなかった。いつの間にか一緒に帰る習慣はなくなっていた。春風が吹くなか、真っ青な空を見上げた。自然消滅……か。
「へっくしょーい!」
後ろで大きなくしゃみの音がしたので振り向くと、彼女がこちらに向かって走ってきていた。
「沢村くーん、ぶぇっくしょい!!」
「え、高野さん?」
「ごめんごめん、花粉症がひどぐで」
ちり紙で思いきり鼻をかむと、鞄からボロボロになった辞書を取り出して俺に見せた。
「これ、ありがどう! すごいおもしろがっっ、ひぃっくしょーい!!」
「え…あの」
「あーもう、春きらい」
辞書を鞄に戻すと目薬を取り出した。そして器用に目薬をさしながら呟いた。
「次も同じクラスになれるといいね」
俺は思わず彼女に抱きついた。彼女は驚いてうるんだ目をまんまるにした。大好きって言おうとしたら、また豪快にくしゃみされたので変な間がながれた。でもそれが無性におかしくて笑った。彼女はわけが分からない様子だったけれど、俺は彼女を抱きしめたまま笑い続けた。
おわり
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短編小説です。