No.666367 神次元ゲイム ネプテューヌV ~WHITE WING~ (11) 平和の象徴2014-02-26 21:30:03 投稿 / 全3ページ 総閲覧数:1389 閲覧ユーザー数:1311 |
プラネテューヌ――東門
あの凄惨な事件から、早くも三週間が過ぎようとしていた。
いつもと寸分変わらぬ日常。あきれ返るほど退屈な毎日。相も変わらず、欠伸がこぼれ出るような平穏がプラネテューヌには流れていた。
そんなゆるやかな時の流れの中にも、少しづつだが、変化が訪れ始めようとしていた。
「別に今日じゃないとダメってわけじゃないんでしょ~?」
プルルートが心配そうにノワールを見ている。
その視線の先には、よっこらせっ、という掛け声と共にノワールがぱんぱんに膨らんだ巨大なリュックサックを背負っていた。山のような手荷物に押し潰されそうになりながらも、働きアリのように懸命に歩き出そうとしている。
「いいえ。今日じゃないとダメなのよ。ほら、思い立ったが吉日ってやつ」
じゃないと決心が揺らぎそうだから、という誰にも聞かれることのない小さ呟きがもれた。
ノワールは旅立とうとしていた。長年抱き続けていた自分の夢を叶えるために。今こそ自分だけの国家を創ろうとしていた。
今日はそのお見送りにプルルートが来ていた。
しかし、そこにいつもの四人の姿はなかった。ネプテューヌとイヴは何故かどこにも見えない。
「みんなどうしたんだろうね~」
腕を組みながらちょっと怒ったように言うプルルート。二人とも今日が何の日か知らないはずはないからだ。
「ネプテューヌは何してるか分からないけど……イヴはあの魔物襲撃事件のこと、引きずってるんじゃないかしら」
「リンダちゃんのこと?」
「ええ……ほら、あの二人ってすごく仲良かったからさ」
ノワールはうつむきながら重々しい声で言った。
今からちょうど一週間前のこと。
西の遺跡から帰ったノワールたちに、イストワールが告げた。
魔物襲撃事件――バーチャフォレストにて大量発生したワーウルフが東門を襲撃した事件があったという。
理由はお腹をすかせて凶暴化したワーウルフの群れが、食料となる草食動物を根絶やしにしたことで空腹に陥っていたらしい。そのため腹を満たすために罪のない人々を襲ったとされている。
この事件で総勢六名もの犠牲者が出た。東門を監視していた兵士数人と、学校帰りに遊びに来ていた幼い女の子が命を落としたという悲劇である。
プルルートたちが留守にしていた隙を狙うようにして起きたこの事件を、イヴはたったの一人でワーウルフの群れに立ち向かったのだという。
結果、決して少なくはない犠牲が出た。プラネテューヌは不幸な事件に涙し、国民たちを震撼させた。
そのことに誰よりもイヴが胸を痛めていたのだった。
「あいつってさ、家で一日中寝てばかりいたり、そのくせ偉そうな口調で説教垂れているくせにさ……ときたまよく分からないところがあるわよね」
「うん。イヴちゃんはあたしにもよく分からない」
「分からないといえばさ……そもそもプルルートはなんであいつを受け入れたのよ?」
あれは大体三ヶ月前くらいのこと。三人が初めて会ったのは打ちつけるような雨の日のこと。プラネテューヌの郊外に、身元不定の少女が迷い込んできたという連絡を受けて、二人が駆けつけたとき。
そこには目を惹くような白い少女がいた。全身がボロ雑巾のように汚れていて、着ている衣服もところどころが破れていてほとんど裸同然だった。
風が吹けば折れてしまうのではないかと心配になるくらい痩せ細っていて、誰の目から見ても空腹なのは明白で、動けるだけの体力もほとんど残されていないくせに、まるで自分以外の何もかもが敵だというような眼差しで、何者も寄せ付けないように全身から殺気を漲らせていた。
「私はイヴが怖いと思った。あのときのあいつは今にも飛びかかって噛み付いてきそうだった。獣みたいで近寄りがたくて、目の前で隙を見せようものなら喉笛を食い千切られるんじゃないかって。だけど、プルルート……あなたは違っていたよね」
彼女は今でもそのときを鮮明に思い出せる。
硬直して動けないノワールとは対照的に、プルルートは導かれるようにして歩み寄っていった。
‘プルルートっ、何してるの!? そいつは危険よ!‘
不安に駆られるノワールをよそに、プルルートと白い少女の距離がどんどん近づいていく。
敵意を刃のように尖らせているイヴに、プルルートは何を思ったのかそっと抱きしめたのだ。
「あたしもどうしてそんなことをしたのか、よく覚えていないんだ。でもね、とにかくああしなきゃって思った。あのときのイヴちゃんが……なんだか泣いているように思えて――とても見ていられなかった。そう思っただけなんだけどね」
ホントは自分でもよく分からないんだぁ~、とプルルートははにかんだ。なんだか少し寂しそうな笑みだった。
「それで、イヴちゃんと友達になったら少しは分かり合えると思ったんだけどね。……でも、実際はよく分からないことだらけだった。近づこうとすればするほどイヴちゃんはどんどんどんどん離れていってるような気がして……いつまでたっても本当の顔が見えてこないの」
「そうね。あいつって自分のこと話してくれないし、今でも出会ったときとそう変わらないのかもしれない。――変わったといえば、せいぜい、獣みたいな牙を引っ込めてくれた程度かしらね」
ノワールも睫毛を伏せて、哀しそうに吐息を吐いた。かと思うと、「あー、もう! こんな湿っぽい空気やめやめ!」と重たい空気を吹き飛ばすように首をぶんぶん振りながら、
「全く、あいつらときたらっ、新しい女神様の船出にすら付き合わないだなんてね。こんな怠け者だらけじゃ、プラネテューヌの行く末が心配ね。まあ、いいわ。どうせこれが今生の別れってわけでもないしね。私の国が出来た暁にはたっぷりとお返ししてもらうんだから覚えておきなさいよ!」
そう言うノワールの声には少し覇気がない。やっぱり色々と不安なのだろう。これから始まる新生活に。まだ先行きの見えない未来が待っている。
「ノワールちゃんったらホントに寂しがり屋さんなんだから。無理しなくていいんだよぉ~」
「誰が寂しがり屋ですってぇ! わ、私は別に、寂しくなんてないんだから! もう!」
むきになって肩をいからせるノワールに、クスクスとプルルートは笑い声を上げた。
恥ずかしさを紛らわせるように、背を向けると、ノワールは一目散に東門をくぐり抜けていった。
「いってらっしゃい、ノワールちゃん。たまにはプラネテューヌに遊びに来てね」
プルルートが手を振った。
「そ、そっちこそ、いつでも気軽に遊びに来ていいんだからね。私の国は――ラステイションはあなたたちをいつでも歓迎しているから!」
ノワールは何度も何度も振り返りながら、顔を真っ赤にして声高に叫んだ。
何度目だっただろうか。
いつしか振り返ることもなく、自分の夢に向かって旅立っていった。
その勇ましくも、どこか頼りない姿が豆粒大ほど遠ざかってから、
「本当に行っちゃった」
ぽつりと人知れず漏れる吐息。
「いつかネプちゃんもイヴちゃんも……どこかに行っちゃうのかな?」
消え入るようにそう呟きながら、天を振り仰いだ。
空はどこまでもどこまで大きく、広い繋がりを見せていた。
プラネテューヌ――墓地
イストワールは町の外れにある墓地に足を運んでいた。
そこはちょっとした丘のようになっていて、山頂に行くためには溜息の出るような階段を登る必要がある。
長い長い階段を越えた先に、彼女の目指している場所がある。イストワールの人形みたいに小さな身体では一段登るのも骨が折れる。まるで天国に続いているんじゃないかとさえ思えてくる。
誰もここには滅多に訪れることなどない。勿論、この気の滅入るような階段もその理由の一つではある。特別な用事がない限り、来たがらないというのが正しいだろうか。
ここは墓地――
こうして階段を登っている最中でさえ目につく景色はお墓。数多くの死者が眠っている。
たくさんの墓石が星のようにいたるところにずらりと並んでいる。かつてこの地上で生きていた者の名前が一つ一つ丁寧に彫られている。生きていた頃の証を、ちゃんとそこにいたことを、しっかりと刻み付けるかのように。
そうした見慣れない雰囲気が、自然と人を遠ざける要因となっているのかもしれない。
生者と死者を選び分けて、その間に境界線を引いているかのように。ここでは目に見えない存在が息づいているような気さえしてくる。
そして、気が遠くなるような段数の途中に、イストワールの目的のモノがそこにはいた。
「イヴさん……ここにいたのですね」
イストワールの呼びかけに、白い肌をした少女が、ちょっと驚いたように目を見開いていた。
「なんだ、イストワールか。驚かすんじゃない」
どこか居心地が悪そうにぽりぽりと頬をかいている。
その反対側には青く腫れ上がった頬があった。数日前、リンダの母親からぶたれた痕が未だに生々しい。
「で、わざわざ私を探すためだけにお前が出向いてきたんだ。何か話でもあるんだろう?」
「はい。ですが……」
イストワールの視線がついっと落ちる。気まずそうな目線の先には、まだ出来てまもない墓石があった。新しく刻まれた墓碑名に、否が応でも目が惹きつけられる。
「ああ、別に構わないさ。今日の分はもう済ませた。どうせ聞き耳を立てていられたとしても、ここに語るべき口を持つ者はいないさ。私とお前を除いてな」
「……」
三週間前の凄惨な事件――黒の教団が侵攻してきたあの惨劇。
表向きでは凶暴化したモンスターの襲撃事件ということでプラネテューヌの国民に公表されているが、真実を知るものは数少ない。
本当のことを知るのはプラネテューヌでもほんの一握りの人間だけである。
もちろん、ネプテューヌとノワールとプルルートには真相が知らされていない。
その必要がないと判断したのはイヴである。
「しかし、解せんな」
イヴが眉根を寄せながら難しそうな顔で言った。
「死体が一夜にして全て消え失せるとはな……」
馬鹿らしい。そう思いつつも口に出さずにはいられなかった。
そう――全てが終わったあの日。
嵐が沈静化したあと、プラネテューヌからすぐに調査の兵が派遣された。全てを隠蔽するために。
だが、帰還した兵士が告げた報告は、誰にとっても予想外なものであった。
何も無かったと――
そいつは半信半疑な表情でそう述べた。そもそもそんな奴らがいるのかと、平和ボケした顔で。
結果は単純明快でありながら、事態を更にややこしい方向へと導くことになった。
「全てが大嵐で流された、なんて都合の良い解釈では流石に納得が行きませんよね。本当に不可解な事件です」
「仮にそうだったとしても、死体が一つ残らず、その痕跡が綺麗さっぱり消えるなど常識的に考えてもありえないことだ」
イヴはその報告に激昂した。調査の兵に詰め寄り、胸倉をつかみ上げた。イストワールになだめられるまで我を忘れていたのだという。
当然それを信じるイヴではない。何故ならあの地獄を体験した張本人なのだから。
戦いの余波であちこち痛む身体を無理やり引きずりながら、無我夢中でプラネテューヌの東部を駆け巡った。
しかし、何も見つかりはしなかった。草の根を分けても、木の根っこをひっくり返そうと。
どこを探しても死体は一つとして見当りはしない。調査の兵がもたらした報告に虚偽はなかった。
それだけではない。イヴが拘束した数名の兵士たちも姿をくらましている。あのハザウェイの死体すらも見つからなかったという。
真相は全てが闇の中。
訳が分からなかった。イヴはあまりのことに気が狂いそうだった。
あれだけの騒ぎがこんな形で終わるだなんて誰が納得できようか。あまりのことに腰が抜けてしばらく立ち上がれなかった。
けれども、その事実を認める以外にないのもまた事実であった。
戦争の痕跡は跡形もなく消え失せていたのだと――
「どうにもスッキリしない。胸の奥がモヤモヤとする。まるで狐に化かされていたかのようだ……」
たしかに偽装工作に奔走するだけの手間は省けた。それだけは都合が良かった。けれど――
「あれが嘘だというなら……夢幻だというのならば――リンダはどうなる! あいつは何故死んだ! いっそ全部が夢であればいいのに!」
叫びながら、地面を思い切り殴りつけた。殴りつけずにはいられなかった。
じんじんと痛む拳が、これは紛れもない現実であると冷酷にも告げてくる。
(この嘘つき――)
引き始めてくる手の痛みと共に、女性の甲高い声が脳裏に響き渡った。
ばちん、という何かを叩くような鈍い音。
叩かれたのは自分の頬だ。
そして、目の前で顔を真っ赤にして泣き腫らしているのは、リンダの母親であった。
「あなたが娘のために頑張ってくれたのは分かります。でも、何故かあなたが娘のことで嘘をついているように思えて、こうしてやらないと気が済まないの。どうかお願いです。悪く思わないで下さいね――」
そうして更に掴みかかって来ようとするのが分かっていてもイヴは動こうとしなかった。避けようとも思えば簡単に避けれた。だけど、それでも身体は動かなかった。動こうとも思わなかった。
リンダの母親を止めたのは父親だった。後ろから羽交い絞めにして力づくで止めにかかっている。
「あなたっ! 放して! 放してちょうだい!」
「やめろ! その人は何も悪くない! その人を責めるな!」
父親は懸命に零れ落ちる涙を堪えながら、
「娘を守ってくださって、ありがとうございました」
感情を押し殺した声で頭を下げた。他には何も言わなかった。何かを言おうとして、それをすんでのところで押し殺して――
その後ろには幼い子供がいた。泣き叫ぶ両親と、立ち尽くすイヴを――きょとんとした顔で交互に見比べている。
あれがリンダの言っていた妹なのだろう。
おそらく理解しきれていない。
全てを理解するにはまだ幼く、あまりにも無知だった。
何故、自分の両親が泣いているのか。姉の身に何が起こったのかも。
「お姉さんを守れなかったことが、辛かったんですね」
イストワールが放った言葉で、イヴははっと我に返る。
「ごっ、ごめんなさい。今のは失言でした」
イヴの面食らった表情を見て、イストワールはすぐ謝罪した。
けれどイヴは気を悪くしたふうもなければ、
「妹……」
ぽつり、とイヴの口から言葉が零れた。ずっと頭の隅っこで栓抜きみたいに引っかかっていた何かに気づいたかのように。
「え?」
イストワールが呆気に取られたような顔をした。
「リンダと初めて話をしたとき。あいつは家族のことで悩んでいた。妹のことで両親とケンカをしていたんだ。生まれたばかりの妹につきっきりで、自分は構ってもらえないって――愛されていないんだって言ってた。それで家出同然に家を飛び出してたいたんだよ」
頬にうっすらと出来た青あざを、イヴはそっと撫でつける。
「馬鹿だな、あいつは。親に愛されていない子供なんて普通の家庭にいるわけないだろう。そりゃ私の家は変わっていたかもしれないが……お前のことは、こんなに愛してくれていたんだぞ」
リンダの母親につけられた傷自体は大したことない。黒の教団やレイとの戦闘でついた傷に比べれば。一週間も経たない内に腫れは収まってしまうだろう。
だけど、その頬に浮かび上がる青あざは身体中のどんな傷よりも根深く、痛ましい光景だと感じた。こんなイヴはとても見ていられない。
「ああ、そうだ。お前の言うとおりだよ、イストワール。たしかに私はリンダの中に――姉を見ていたのかもしれない。同時に、リンダは私だった。かつて家族のことで思い悩んでいた私そのものだった。家族のことで一生懸命悩んでるあいつに、昔の自分を見ているようでなんだか無性に放っておけなかった。今度こそ守れると思ったんだ。どうしてそんなことを考えたんだろうな、私は。はははっ――こんな馬鹿げたことがあるなんて、とんだお笑い草だよ……本当に」
リンダを守ること――それが自分にとっての罪滅ぼしだった。
そうすることで、あの日果たせなかった約束を守ろうとしていたのだ。
そう思うと、不思議なほど納得がいった。
自分がリンダに入れ込んでいたのはそれが理由なのだと。
「イヴさん……そんなに自分を責めないで下さい」
イストワールの痛ましそうな声に、イヴは何も答えず、ゆっくりと背中を向けた。
同時に、小さな墓石からも目を背けていた。
「私には分かる。おそらく黒の教団の後ろに何かがいる。そいつらは直接手を下さない。自分の手を汚そうともしない。他人を操り、全ての責任を押し付ける。とんだ卑怯者たちだ。私は断言しよう。背後から操っていた何者かが――全てを仕組んだ黒幕がいると! 私はそいつを探し出す! こんな下らないことを考えたやつをしめあげて報いを受けさせてやる! 絶対に! 絶対にだ!」
その背には何か力強い確信じみたモノがあった。
憎悪、怒り、復讐――
それらに後押しされるようにして、イヴは階段を下りていく。
「イヴさん。どこに行くんですか?」
おそるおそると言ったふうにイストワールが言った。今のイヴは何をしでかすか分からないと不安に駆られたような声だった。
そんなに自分はひどい顔をしているのかと内心傷つきながら、
「ちょっと気分転換に散歩でも行きたくなってな。なに、心配するな。今更、私はどこにも逃げたりはしないさ」
安心させるようにそういった。
イストワールは何かを言いたそうな顔をしていた。けれど結局、出かかる寸前のところで言葉を飲み込んだ。
おそらくは自分も一緒についていきたいとでも言おうとしたのだろうか。
努めて平静を装いながら、イヴは階段を下っていった。
墓地から出た頃にはとうに陽が落ち始めていた。
燃えるような夕焼けにすっかり染められた空の下を歩いていると、
「――イヴ?」
ふいに聞き慣れた声がかけられて、はっと振り返ってみれば――そこにはネプテューヌがいた。
イヴが通りかかるまで、草むらの影に身を隠していたらしい。
「なんだ、ネプテューヌか」
あえて何をしていたかを追求したりはしなかった。
「なんだとはなにさー。すごく心配してたんだよ。最近、元気がないみたいだからさ」
ネプテューヌは口を尖らせる。
その仕草に、途方もない懐かしさが胸を突き上げてくるのを感じた。なんだか、ネプテューヌと久しぶりに会った気がしたのだ。
これまで幾度もプラネテューヌの教会で顔を突きあわせているはずである。
にも関わらず、こうしてまともに顔を合わせたことはなかった。相手の顔をまともに見ることさえしなかったことにイヴは気づいた。
表向きでは、プラネテューヌを魔物が襲撃したことになっている事件が起こってから一度も。
イヴはネプテューヌの仕草に苦笑しながら、
「ちょっと話をしないか?」
そう言った。それは紛れもない本心からきた言葉だった。
ネプテューヌは黙ってうなずいた。
それから二人は夕陽に照らされながら、ゆっくりと歩き出した。
「今日さ、ノワールがプラネテューヌから旅立ったんだよ。どうして見送りに来なかったの?」
「なにっ、あいつが発つのって今日だったのか? あいつが出発するのって、たしか明日じゃなかったか?」
イヴの慌てふためいた様子に、
「あれ? 勘違いしてたの?」
ネプテューヌが意外そうな顔をした。
「ああ……どうやらそのようだ。私としたことがこんなミスを犯すとはな」
はーっと溜息を吐きながら、しまったとばかりに顔を手で覆い隠した。
たしかにここ三週間、いずこかえ消え去った黒の教団の死体を見つけることしか頭になかった。
血眼になってプラネテューヌの外れを歩き回ってばかりいた。
他にどんなことをしたかも全く覚えていない。
それに気を取られてばかりで、そんな大事なことすら忘れていたとは。余程、自分は余裕がなかったらしい。
そんなイヴの葛藤をよそに、ネプテューヌが可笑しそうに言った。
「まあ、ノワールがぼっちなのは今に始まったことじゃないし。別にいいよねー」
「ああ、ノワールだしな」
「大体さー、ノワールったら女神になった瞬間のはりきりようときたら大変だったんだよ。ついに夢が叶ったー、とか今まで以上に意気込んでてさー」
「それがあいつにとって長年の夢だったからな」
なんだかそのときのことが容易く想像できて、ついつい頬が緩んでしまう。
ノワールが女神になってからの三週間とは、自分の国づくりのための有意義な時間だったのだろう。
「しかし、あいつが本当に女神になろうとは。」
「私はある程度、その展開は予想できていたかなー」
「ほう?」
「だって、私が元いた世界では、ノワールは女神だったんだよー。でねでね、こっちに来たばかりの頃、ノワールが人間だって聞いたときはさすがに驚いたけど、いずれこうなるだろうなって思ってたんだー。なんせ、ノワールだしね」
ネプテューヌは懲りることなく、「元いた世界」とか相変わらず訳の分からないことを言っている。
こいつの意味不明な言動は今に始まった話ではない。
だけど、イヴにはなんとなく分かった。
「ああ、ノワールだしな」
うなずいた。ネプテューヌはネプテューヌなりに、ノワールのことをちゃんと理解しているのだ。
たった数ヶ月の付き合いだが、イヴもイヴなりに、ノワールのことを知っている。
例えば、ノワールの夢について。
何故ノワールが女神になりたいのかということについて。
彼女にとって、女神になることは夢の第一歩でしかない。
まだまだ始まりに過ぎないのだ。
女神の庇護下に置かれていない人たちは厳しい環境の中で暮らすことを強いられている。
一人でも多くの人々に賛同をもらえるような国を作って、たくさんの人間を助けたいのだと。
どこの国にも属していない人たちを助けられる国を目指す。
たくさんの人にとって理想の国家でいたい。
私はそんな女神になる。
ノワールはそう言っていたではないか。
夢を語るときのあいつの眼差しはとても真剣で、だけどなんだかそういうことを話すのがちょっと恥ずかしそうで、けれど誰よりも国の在り方や女神とはどうあるべきかを自分なりに一生懸命考えていた。
多分あいつなら良い国家を築き上げることだろう。きっとその内、大国ルウィーを超えることが出来るかもしれない。そんな確信めいた予感があった。
(やつらは少しでも自分達の気に召さない政策があろうものなら、すぐに手の平を返します)
ふいに、イヴの脳裏にけたたましい女の叫びが甦った。
それは一万年前の悪鬼。暴君として名を馳せた女神のモノだった。
(一人では何一つ考えられない家畜共は、革命という大儀に則って武器を取り、女神に仇名す反逆の使徒と成り果てる。何のための平和だ、誰が為の平穏だ。安息が約束されていた恩義すら忘れ、私の信者を名乗る価値などない! そんな愚かな民衆に裏切られ、踊らされる気持ちが分かるか!)
身の毛もよだつ悪鬼の言葉が甦る。
わけもなく身体が震え上がった。妙な粘り気を持った汗が止まらない。
あのときは生き残ることに必死で、よく考える暇もなかった。
だが、こうして生き残ってから改めてその言葉についてじっくりと頭の中で反芻してみると……悪寒が止まりそうになかった。
まるでこれから起こり得る出来事を暗示する、不吉な予言のように思えてきて――。
「イヴ? どうしたの。顔色が悪いよ」
気づけば、ネプテューヌの顔がすぐそこにあった。
心配そうにイヴの顔を覗きこんでいる。
「そ、そうか? まあ、私の顔色が悪いのは生まれついてのものだしな」
「ううん。顔色とか肌の色だとか、そんな単純な話じゃない。イヴが……なんだかよく分かんないけど、今にも泣き出しそうって感じしてる」
「私が泣きそうだって? そんなことあるわけないだろう。冗談は休み休み言え」
「それならいいんだけど……」
二人はしばらく無言で歩き続けた。
太陽が傾きかけて、暗闇が世界を覆い始めようとする頃――プラネテューヌの中枢が見えてきた。
きっと教会ではプルルートが待っている。みんなが帰る、温かい家がそこにある。
だが、イヴは強いて背を向けた。プラネテューヌとは別の方角に向かって歩き出そうとしていた。
ネプテューヌがびっくりしたように振り返った。
「どこに行くの、イヴ? そっちはプラネテューヌじゃないよ」
「ちょっと散歩に……」
足が止まった。なんだか自分が後ろめたいことをしているような気がして、つい口ごもってしまう。
「私も一緒に行くよ。もうそろそろ夜になるし、なんだか放っておけない」
なんだかネプテューヌの言葉に、ひどく苛立ちを覚えている自分がいた。
そこで、多くの者にそう言われていることに思い当たった。
今日だけでネプテューヌとイストワールにも言われている。
(一人で……置いて帰れるわけないじゃない)
唐突にリンダの言葉が甦った。
誰よりもボロボロで、身も心も傷だらけのくせに、イヴのことを懸命に気づかう姿。
その結果が、取り返しのつかない咎を背負うことになろうとも。
なんでこんなときにリンダのことを思い出したのか――
自分でも分からなかった。
「……」
ネプテューヌの申し出を、しかしイヴは静かに首を振った。そちらを見もせずに。
「悪いが、考え事をしたい気分でね。――……すまないが、一人にさせてほしい」
あえて語調を強めた。自分の本気を伝えるために。相手をより拒絶し、遠ざけるために。
「うん……分かった。ねえ、イヴ。一つだけ訊いてもいい?」
「なんだ?」
「ちゃんと帰ってくるよね?」
「ああ……」
イヴはもう立ち止まらなかった。暗闇に閉ざされた道を何かに憑り依かれるようにして歩み出した。
決して振り返ることだけはせずに。
ネプテューヌと別れてからしばらく、イヴは草原地帯をぼんやりと歩いていた。
行く当てなどどこにもない。とにかく行けるところまで行こう。そんな気分だった。
かと思えば、いつの間にか目の前が開けてきて――波の音が聞こえてきた。
ざあん、ざあん、と穏やかな波が岸辺に打ちつけている。
「海……」
びっくりしたようなつぶやきが口から漏れ出た。何よりも、ここへ来た自分自身の行動に一番びっくりしていた。
意図してこの場所へ来たわけでもない。目的も定めずに、足が趣くままに身を任せていたら海に出ていた。
ただそれだけのことである。
夜の海はとても静かだった。あれだけ大きな嵐が数週間前にあったこと。それ自体が嘘のような静けさに満ちていた。
どうして自分はこんなところに来てしまったのか。静かな波の音に耳を澄ましながら、その理由を考えていた。
呼吸するたびに、潮の香りが鼻腔にしつこく絡みついてくる。
絡みついてくる海の臭いと共にかつて、リンダに海に行こう、と言ったときのことを思い出していた。
プラネテューヌの南端に海があるんだ。水も澄んでいて、とてもキレイな場所だ。
そう教えてあげたときのリンダは、度重なるストレスで心身ともに衰弱しきっていて――それでも穏やかな笑みがそこにあった。
自分は紛れもなく、幸せの只中にいるのだと確信しきったふうに。
(だってイヴさんは……イヴさんは、わたしの大切な――……)
あのとき、リンダは何を言おうとしていたんだろう。あの後、イヴに何を伝えようとしていたのだろう。
それも今となっては分からない。語るべき口を持つ相手はどこにもいない。
真相は闇の中に包まれたまま。
(それが戦争の醍醐味ってもんだろう? 違うかァ?)
そのときだった。
ハザウェイの言葉――戦いにとりつかれた野獣の息づかいが思い出された。
胸の奥にひときわ激しい怒りが湧き上がり――
ふざけるな――思わずそう叫びたい衝動に駆られた。
あのときのイヴを衝き動かしていた感情の正体。
それは憎悪の鼓動。純粋なる殺意の波動だった。
我を忘れ、怒りに身を任せ、ただただ相手を無茶苦茶にしてやりたいという破壊衝動に支配されていた。
思い出すだけでも、胸糞悪かった。
しかし、あの男の言葉を否定できないのも事実。
自分は戦うことに快感を覚えるケモノであることには変わりないのだから。
だが、レイと戦うと決意したあの瞬間――
あれだけは違うと断言できる。
狂気に呑まれてではない。自らの意思で一万年前の悪鬼を殺すと決めたのだ。
きっと自分は怒っていたのだと思う。
両親を躊躇いもなく殺したあの悪鬼を。
その存在を消し去ってやりたいと、心の底から願ったのだ。
唯々諾々と誰かの言いなりになるばかりで、自分の意思がまるでなかった両親。
与えられたルールを守ることばかり必死になって。女神の言いつけを守ることが一番の正義だと信じ続けていて。
そして、姉から何もかも奪い続けた張本人。
両親がもっとまともな人で、妹だけでなく姉を平等に愛することが出来ていたら。
惜しみのない愛を与えていたら――
憎かった。身体の奥から湧き上がる憎悪を抑えることが出来なかった。何度も何度も殺してやりたいと思った。
それでも、あんな最低な親でも――
完全に憎むことは出来なかった。殺意はあっても、どうしてもその一線を越えることは出来なかった。
理由はイヴにも分からない。
自分勝手な都合で娘の人生を振り回してきた人間のクズ。およそ正気を疑うような理由で、実の娘をゴミのようにポイ捨てする両親を憎まずにいられた日はない。
だけど、そんな人間でも、生みの親であることには変わりない――
きっとそこに理由とか理屈なんて存在しないのだと思う。
だから、平然とした顔で、両親を殺害したレイはもっと許せなかった。
純然たる殺意で、レイを殺すと決めたのだ。
いや、レイに対してだけではない。
あんな悲劇の世界を作り出した自分に――
守りたいものを守れなかった、弱い自分に一番激怒していた。
守れると思っていた。リンダの笑みを――姉の笑顔を、遠ざけようとする何もかもから。
今の自分ならば、全てを救えるのだと信じていた。
その結果がこれだった。
守りたいと思ったものたちは全て、手の平から零れ落ちていく。
あれほど自分の無力を痛感した日はない。
何も出来なかった自分が、ただただ情けなかった。
一瞬、自分は泣いているのかと思った。
だけど、涙は出ていない。
きっと自分は平気なのだと思った。
何気なく目線を頭上に上げたそのときだった。
ふと、目の前を何かが横切った。
鳥――それは一羽のハトだった。
「ハト……?」
ただのハトではない。
平和を象徴するといわれる――白いハトである。
こんな真夜中にハトが飛んでいるのはとても珍しいことだった。
そんなこともお構いなしに、白いハトは気持ち良さそうにイヴの頭上を飛びまわっている。
「平和……か」
たしかにプラネテューヌには平和が訪れた。
だけど、こんな仮初めの平和を掴むまでに、決して少なくはない命が失われている。
犠牲の上に成り立ったものを平和というならば、きっと生者の立っている土はたくさんの血に塗れているのだろう。
死者を踏み台にすることで、人々はかろうして安息を保っている。
皮肉なものだった。
その事実をプラネテューヌに暮らす人々は知らないのだから。
イヴは静かに、首を振った。
きっとそれでいいのだ。自分の住んでいる国から死者が出たと聞けば、誰もが心穏やかではいられないだろう。
もしかしたらパニックのあまり暴動が起きる可能性だってある。
そうなったときプラネテューヌが平和でいられるという保障はもうどこにもない。
だから、イストワールには発表を控えさせた。
この世界には、何も知らない方が幸せなことがある。そんなことばかりで溢れているのだ。
現実とはどんな物語よりも過酷で、不条理に出来ている。
きっと平和とは、そんなものなのだ――
イヴはゆっくりと空を見上げる。
頭上では、白いハトの姿がいまだにあった。
風がとっても気持ち良さそうだった。
まるで自分の身軽な身体を見せつけるかのように、広大な空の旅をあてどもなく楽しんでいる。
それは風変わりなうえに、珍しいハトだった。
イヴが白いハトの姿を目で追いかけていると、
(私ね、生まれ変わったら鳥になりたい。あの抜けるような広い世界を自由に駆け巡りたい。白い翼をはためかせながら、広大で果てのない世界をいつまでも旅し続けるのよ)
ふいに、懐かしい言葉が脳裏に溢れた。
それはかつて姉が語ってくれたおとぎ話の一つ。
なんで今になって、そんなことを思い出したのか、自分でも分からない。
きっと白いハトを見て、姉の真っ白な肌に関連づけていたのだろうか。
「今となっては……白いのは私も同じだけどな」
乾いた笑い声が漏れた。
今の自分を姉が見たらどう思うだろう。白い肌の自分をみて、仲間が出来たと、喜んでくれただろうか。
そんなことを考えかけて――空しくなってやめた。
今ごろ姉は生まれ変わって、世界を旅しているのだろうか。
仮にそうだとしたら、誰にも縛られることなく、自由気ままに生きているのだろう。
あの広大な空に白い翼をはためかせながら、あてどもない旅にいつまでもいつまでも身を任せているのだ。
そうであって欲しいと切に願う自分がいた。
しばらく頭上をゆっくり飛び回っていた白いハトが、頭上で大きく旋回した。
かと思うと、身を翻して、海の向こう側へ飛び立っていった。
「あっ……」
イヴは衝動的に、ハトの後を追いかけていた。
しかし、それも虚しい努力に終わる――
ざぶん、と足が勢いよく海水を弾く音で、足が止まった。
自分に翼はない。この海を越えていくことなど無理だ。
そんな単純な事実に、今更のように気づいた。
ひとり立ち尽くしながら、水平線の彼方へ遠ざかっていく白いハトを見送り――
その姿が完全に消えてなくなってから、ふっと恨めしげな視線を海に下ろした。
なんだか自分ひとりが置いてけぼりをくらったような気分になって、イヴはひどく哀しい気分に包まれた。
いっそ、この海に身を任せてしまおうか。
そんな思いが、身体の奥底から湧き上がった。
なんでもっと早くこうしなかったのだろう。
今までそうしなかった自分が、馬鹿みたいに思えてくる。
誰も自分のことを知らない場所に行こう。あてどもない旅に出よう。
たとえこの旅の先が、行き着く先のない無だとしても――
それでも構わない。そう思った。
そうして波の流れに身を任せ、全身を海に委ねた。
自分は泣いているのかと思った。
だけど、涙は出なかった。
やっぱり自分は何ともないのだ。
泣きたくても涙なんて流せない。その資格は失われてしまったのだ。
一万年前のあのとき――姉を殺してしまった日に、そんなものは置いてきてしまったのだろう。
もう自分は十分に生きた。一万年も生き続けてきたのだ。
自分はもう傷つけるのも、傷つけられるのも嫌だ。
だから、もう休んでもいいよね?
諦観にも似た思いが胸の奥から広がり続けてきたそのとき、
(今に見ているがいい! やつらは今の女神が気に食わなくなれば、すぐに手のひら返しを始めるぞ! そうなったとき、現代の女神はどういった決断を下すのか。あぁ、非常に楽しみで楽しみでたまらないですよぉ。そこにはきっと数多の悲劇と、身の毛もよだつ滅びが待ち構えている!)
唐突に――レイの言葉が頭の奥に響き、はっと我に返った。
海面からゆっくりと身を起こし、底に足がちゃんと着くことを確認してから、両足で立ち上がる。その頃には、全身をおもりのようにを包んでいた諦観はすでに消え去っていた。
自分にはまだやることがある。
七賢人も、黒の教団の背後にいる何者かも、まだまだ決着が着いていない。
それを果たすまでは終われない。
リンダを守ること――かつて、それが自分にとっての罪滅ぼしだったように。
こんなところで、まだ死ぬわけにはいかない。
そして、両親を目の前で殺されてから、胸の奥で抱き続けた誓い――
今度はそれを守り続けなければならない。
一万年前の悪鬼を生み出してはならない。悪夢は早いうちに潰さなければならない。あのような悲劇が繰り返される前に。
「私は――女神を殺す」
それが自分に守れるせめてもの誓いだというふうに。
心からそう呟いていた。
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あともう一話で第一部が終了予定です。長くなってすいません。