黄金の翼と銀の空
序章 翼獣の飛ぶ街
「竜観光?」
「はい。飛竜で街の上空を飛んでいただく、というサービスになります。料金は何人でご利用いただいても、一律で一周ごとに銀貨一枚になります」
「飛竜っていうと、戦時中は竜騎兵が乗っていた?なんか物騒だねぇ、落っことされたりしないのかい?」
「それはもちろん大丈夫です。僕がきちんと手懐けていますし、手綱もしっかりと引いています。万に一つも危険な目には遭わせません」
今日だけでも十回は軽く超えている説明を終えても、小さな女の子を連れた夫婦は不安げな表情でいる。
それもそのはずで、飛竜に一般人を乗せるなどという試みは、恐らくは僕ぐらいしか行っていないことだろう。未だに飛竜は戦争の道具という印象があり、次には精々、運び屋の相棒といった認識だ。子どもを連れた家族はほとんど乗ってはくれない。
だからこそ、格安料金でなんとか財布のヒモを緩めていただこうとしているのだけど、僕の思惑を外れ、中々利用してもらえない現状がある。
「騎竜は三頭の内から選んでいただけるのですが、よろしければご覧ください」
すぐに立ち去られないということは、まだ望みがあるということだ。なんとか興味を持ってもらおうと、小屋に繋がれている竜達を呼び出す。どれも僕が友人から「もういらないから」と譲り受けたもので、今では元の主人よりも僕に懐いてくれている。風貌はとても恐ろしげだけど。
「こちらは赤飛竜(レッドワイバーン)、少し揺れは大きいですが、力が強く、非常に速く飛ぶことが出来ます。お子様連れの方にはオススメ出来ないのですが」
赤い鱗と、飛竜の中でも特に大きく、力強い翼を持つのが赤飛竜だ。見た目ほど頑強ではなく、特に鱗のない腹部を狙う、地上からの対空射撃には弱いという欠点を抱えているが、戦時中に最も重用された種となる。この竜もかつては竜騎兵の乗り物であったため、眼光は鋭くやや気性も荒い。物珍しさに顔を覗き込んでいた女の子も、思わず泣いてしまいそうだ。
「これはさすがにお気に召しません、よね。では、こちらはどうでしょうか。黒飛竜(ブラックワイバーン)といって、全身が筋肉で出来たような竜になります。速度はあまり出ないのですが持久力があり、安定性もあって大勢で騎乗されるのには最適な種です」
その名の通り、闇色の鱗がびっしりと生えた黒飛竜は、戦闘竜とも呼ばれて、乗り物ではなく生物兵器としての調教を受けたものもいたほど、頑強な体を持つ種類だ。今の世の中でも大きな荷物の運搬用として使われていて、運び屋の騎龍の大半を占めている。気性も割と穏やかで、背中がごつごつしていて体温が少し冷たい、という点を除けば乗り物に最適と言える。もちろん、僕のこの竜は乗客を乗せるため、きちんとサドルを取り付けているのでその点も対策済みだ。
「少しおっかないけど、こういうのなら良いかもしれないね。……どうだい、シェリー?」
「んー……こわいっ」
こちらもまあ、あまり人相(竜相?)が良いとは言えない。一応、運び屋として働いていたものだから、赤飛竜のような険しさはないはずなのだけど、元々が竜なのでどうしても顔は恐ろしげだ。
「では、最後にこれはどうですか?翼獣(グリフォン)という、少し珍しい魔物です。ワシの頭に獅子の体と、見た目はやはり獰猛そうですが、竜に比べてずっと穏やかで、人懐っこい性格をしています。それから、羽毛もすごく柔らかくて気持ちいいですよ」
最後に繰り出すのは僕にとっての切り札だ。もっとも、今までのお客さんの大半はこいつに乗っているので、初めからこいつを見せれば良いのだけど、先に飛竜を紹介しておくのは一つの啓蒙活動のためだ。戦争が終わり、かつてそのための道具とされた彼等も、今はこうして人の生活圏で本当に細々とだが、確かに生きていることを多くの人に知ってもらいたい。
先の戦争の時、この国の兵隊は徴兵されたものではなく、士官はもちろん一兵卒に至るまで兵士の養成学校を出た志願兵だった。一般人はどこかスポーツ感覚で報道を聞くだけだったため、実際の兵士の乗り物のこと。それも戦後の結末に至るまで知っている人は、本当に少ない。だけど僕は、人によって生き方を捻じ曲げられた彼等に対して行われた、軍部のささやかな償いを忘れ去られたものにすることだけは避けたかった。
「翼獣?聞いたことがない名前だね」
「その異形の姿から、魔物には区分されていますが、ほとんど聖獣のような珍しい生き物ですから。ほら、本当に穏やかなものですよ」
首の下を思い切り撫でてやると、すまして険しかった瞳がすぐに柔らかなものとなり、普通の鳥類がまず見せはしない笑顔を見せてくれた。
黄金の毛並みを持つこの生き物は、神の使いとも、神そのものとも呼ばれることがある。生息地は険しい山岳部で、滅多に姿を現すこともない。戦時中には十数頭が捕獲されたが、一頭たりとも死ぬことなく現存しているはずだ。それほど生命力が強く、また、本能的に危険を察知することが出来る。エサは動物の肉を用いているが、雲を食べて生きていると伝説に残るほど、絶食にも耐えることが出来る。もっとも酷使しているので、その感謝の意味も込めて、しっかりとエサをあげているけど。
「わー、もふもふー!」
「あ、危なくないですか?」
「大丈夫ですよ。見た目よりずっと大人しくて、少しだけ臆病なやつですから」
母親と繋いでいた手を自分から話した女の子が、背伸びをして羽毛を触りたがる。ぐいぐいと引っ張られ、少しだけ翼獣は嫌がってみせるが、子どもの力で抜けるほど羽毛の付け根はヤワではない。
主に資源や人員の輸送に使われたこの翼獣にのみ、僕は名前を付けている。他の二頭も可愛い奴には違いないのだが、どうも彼等には名前を持つという概念がないらしく、張り合いがないので「お前」などと適当に呼ぶことにしていた。
その名前とは、レグホーン。麦わらという意味を持ち、黄金色の毛並みを麦わらにたとえて付けたものだ。そして、この看板娘(繁殖を滅多にしないほど長命な生き物なためか、雌雄の区別はかなり付きづらい。とりあえずこのレグホーンはメスのようだが、身体的特徴ではなく、気性から予想したものに過ぎない。生殖器官や生殖方法は未だに謎だ)の名前はそのまま僕の店の名前にもなっている。すなわち「レグホーン竜観光店」。この街の店や通りには色の名前を付けるのが慣例だが、レグホーンという言葉自体に小麦色の、という意味もあったはずだからセーフなはずだ。
「どうですか?もう夕暮れですが、中々に見ごたえのある景色が楽しめますよ」
「う、うーん。どうしようか」
娘はすっかりレッグ(彼女の略称だ)に夢中だが、家長は未だに心配があるようだ。
「良いんじゃない?値段も安いし、竜よりはこの子の方が安心感もあるし」
「そ、そうだな。よし、お願いします。三人一度に乗れるんですよね」
「はい。こいつなら僕を含まず、四人か五人までは乗れます」
ちなみに、飛竜ならばもう少しだけ多く乗ることが出来る。飛ぶ力の強さは大して変わらないが、単純に背中の広さの違いだ。竜の胴体は肥大化したトカゲのそれと思えば良く、平たくて中々に広い。対する翼獣はライオンを少し大きくした程度のものであるため、どれだけサドルを工夫しても、馬より少しだけ多く乗せられる程度に過ぎない。戦時中の荷物の運搬ならば、丈夫な紐でくくり付けたり、ぶら下げたりすればかなりの数を運べたのだが、人で同じことをすれば景色を楽しむどころか、完全に拷問だ。
「さて……それは良いのだが兄さん、どうやって乗れば良いのかな。申し訳ないが、馬にすらロクに乗ったことはないんだ」
「大丈夫ですよ。僕の腕をしっかりと握ってもらえれば、引き上げさせてもらいますから」
「いや、しかしだね……」
お腹の出た中年のお父さんは、有り体に言ってしまえば見た目からして重そうだ。かといって、翼獣の背は高いため、ある程度の運動神経がなければ自力では登れそうにはない。
「ご心配なく。これでも鍛えていますから」
「そ、そうなのかい?」
飛竜乗りにとっては当たり前のことだが、上空というのはとても冷える。だから僕は夏場でも革の長袖ジャケットを羽織り、ズボンもかなり厚手のものだ。これ等は防寒具として最適だが、もう一つの作用があり、着る人の体型がわかりづらくなってしまう。人には僕のことを、風が吹けば倒れてしまいそうなほど頼りなさげに見せているのだろう。
まだお父さんはためらっているようだったが、素早くレッグの背中に飛び乗り、そのまま勢い任せにお父さんの手を掴み、そのまま引き上げると、するするとその体は持ち上がる。仕上げに腰の辺りをもう片方の手で掴ませてもらえば、体重に心配のあるお父さんも楽々と飛獣の上にまたがってしまえた。続く娘さんも、お母さんも、全く問題なく引き上げることが出来る。
「ははぁ、見た目はスマートなのに、たくましい兄さんだねぇ。もしかして、兵隊さんだったのかい?」
「まさか。僕はただの荷運び屋上がりですよ。ただ、重い荷物を運ぶことが多かったので鍛えられているだけで」
「いや、それでも大したもんだ。今時は、田舎でも若者は頼りにならないからね。腰の曲がったじい様の方が、ずっとよく田畑で働くことが出来る」
旅装では判断しづらかったが、この家族は田舎の地主の家系なのだろうか。今の季節は夏。秋の収穫に向け、ただの農民であれば田畑を空けることなんて出来ないはずだ。そうすると、失礼ながらお腹の出たお父さんのことも納得出来る。
「飛び上がりますよ。サドルに付いている持ち手をしっかりと握っていてください。もしも不安でしたら、僕の腰に手を回していただいても大丈夫ですので」
手綱を握り、軽く引く。力任せにしなくても、賢いレッグは合図を送るだけで黄金色の翼をはばたかせ、近くにいる人間など簡単に吹き飛ばしてしまうほどの風を起こした。鈍重そうな巨体が意外なほど軽やかに浮き上がり、地上はほんの数秒間の内に遠ざかっていく。
家族は前からお母さん、娘さん、お父さんの順番に乗っており、予想通りとなんと言うか、レッグの足が地面を離れた瞬間にお母さんは僕の腰に強く腕を回した。下手なことを言うべきじゃなかったとも思ったが、お客さんの安全性の方が大事だ。
「はい、これで大風車をぎりぎり飛び越すぐらいの高さになります。それでは、改めましてこの街、サルビアへようこそ。風車と水車の街の異名で知られるこの街は、風車では小麦の製粉が、水車では製糸が行われ、非常に工業が盛んです。街を通る大きな川は運河として利用されており、輸入品も多くありますが、この地域では非常に鮮やかな青色の染料となる植物が育ち、それが特産品となっていることは、既にこの街で半日を過ごされた皆さんはご存知でしょう」
僕の店は街のほぼ西の端にあり、はっきり言って目立たない。そのため、この家族の到着も今のような時間になったのだ。
まずは大きく南へと飛び、街の郊外。つまり、植物の栽培が行われている辺りからこの街を案内する。
「この辺りは、街に入る前に少しだけ見たよ。街の外で育てるのにはもったいないほど、奇麗な花だね」
「サルビア。この街の名前にもされている象徴的な植物です。特に咲く地域は選ばないのですが、多少は寒冷な地域の方が都合が良いらしく、ここに咲くものは他に比べて見事だとか」
「確かに、この辺りはそこまで北国という訳ではないのに、ずいぶんと涼しいものだね。風の関係かい?」
「北西の冷たい海の空気を、西から吹く強い風が運んでくるみたいです。避暑地として人気もあり、街の北にある建物は、大体が地主や貴族の別荘ですよ」
「ほほう……」
割腹の良いお父さんは、もしかすると別荘を建てる算段をしているのだろうか。まだ少しは街中の土地にも余裕はあるし、何も街にこだわらずとも、少し離れた所に建てても良い。静かに避暑地で過ごすならば、むしろその方が好都合だろう。残念ながら竜観光は定住する人に人気はないが、人が増えればそれだけ活気付き、また観光客も増える。最終的には僕の儲けも増えるという訳だ。
「街の南口のすぐ隣にあるのが、大水車です。傍の製糸工場で作られた糸が、そのまま川に面した仕立て屋に届けられ、衣服が作られる仕組みになっています。そして、その染料の内、青色のものは自給自足をしている訳ですね。他の色は輸入に頼っていますが」
「いくつか仕立て屋は巡ったけれど、そこまでおしゃれではないけど、とても着やすそうな服がたくさんあったわ」
「街とはいえ、やはり地方都市であることには変わりませんからね。洗練はされていませんが、伝統と長い歴史の中で培われた技術が生きているのだと思います。僕の今着ている内着も、あのお店で買ったものですよ」
上着を着込んでいるので見えないが、深い青色のシャツは僕のお気に入りの一着だった。指で示した小さな衣服店は、僕がこの街に定住するようになって以来、ずっとお世話になっている。歳のいったお婆さんと、その娘のおばさん、それからその娘さんが三代で切り盛りしているお店で、小さいながらも商品の質やセンスは抜群だ。異なる世代の人がいるからこそ、様々なニーズに合った商品が作られるのだろう。
「北に向かうほど、様々なお店がありますが、食事に関してはあの赤い屋根の酒場、ルージュが僕のお勧めになります。酒場ではありますが、もちろんお子さんも食べられるメニューが置いてありますし、昼間はパン屋として開店していて、こちらがまた街でも一番と言われるほどの絶品で」
「ほほう、それは楽しみだ」
やはり、と言えば失礼だが、食いついたのはお父さんで、声からもどれほどのものなのか期待しているのがわかる。あそこの女将さんからは、宣伝量ということで食パンの値段をおまけしてもらっているので、宣伝をしない訳にはいかない。もちろん、そんな裏の事情を抜きにしても、最高の料理とパンを提供している店だからこそ、こうして仕事の上で紹介しているのだけど。
「商店街の北区には、主に輸入品のお店が軒を連ねています。北方ならではの品々がありますので、お土産はそちらでどうぞ」
「北の方は一通り見たのだけど、これ、という物が決まらなかったのよ。お兄さん、何か良い物はある?」
「そうですね……一般的な話になりますが、人気が高いのは海の生き物の牙や骨を使ったアクセサリー類でしょうか。北の海には他とは大きく異なる生物がたくさんいますから、ここならではの物ですよ。……あっ、それから、一部のお店しか取り扱ってはいませんが、実は僕のお店から出品しているものもあります」
「お兄さんが?空から描いた絵か何かかしら」
「いえ、僕はそういったセンスがないですので、生え変わりの時期に抜け落ちた翼獣の羽を提供して、それで髪飾りなんかを作ってもらっているんですよ。丈夫で見た目も良いということで、たくさん買っていただけているのですが、一つ問題があって」
「問題?」
「翼獣の羽が生え変わるのは一年周期で、それも四分の一ずつなんです。ですから、既にそのストックがほとんどはけてしまっていて、品薄になってしまっていまして。まだもう少し残っているはずなのですが、もしも売り切れてしまっていたらごめんなさい」
翼獣が貴重な生き物となってしまったのは、精錬技術がまともになく、戦争の時に身を守る防具が作れなかった時代、その羽を集めて盾や鎧にしたから、という説がある。この説には、そもそも当時の人間が翼獣を仕留めるようなことが出来たのか、という問題ともう一つ、そもそも死骸から美しい状態で羽を取れるのか、というものがあるが、不自由であるからこそ、人は知恵を振り絞り、不可能を可能にする。罠にかけるなりなんなりして、本当に翼獣達は狩られてしまっていたのだと思う。あの大きなクジラでさえ、既に古代人達が狩猟していたのだから。
そう思うと、抜け落ちたものとはいえ、その羽を人間が勝手に商売の道具にするというのも、そう褒められたことではないのかもしれない。だけど僕がそうすることを選んだのは、翼獣を歴史の表舞台から消し去り、過去のものにしてしまうのではなく、人間の罪を含めて人々に知っていてもらうことで、その罪の償いと、翼獣達との共生の夢を果たしたかったからだ。啓蒙的なこの竜観光も、大きな狙いはそこにある。
もちろん、飛竜についても願いは全く同じで、彼等が人に対して恐ろしげな姿を見せるのも、かつての天敵で、今となっては下克上の相手だからだと僕は思っている。本来の彼等が穏やかな気性を持ち、弱い者には決して牙を剥かないということは、彼等の素の姿を知っている僕が実際に見て知っているからだ。
「そして、街の最北部にあるのが大風車……この街の象徴です。少し風が強くなるかもしれないので、しっかりと掴まっていてくださいね。周囲を一回りして、帰りましょう」
大風車の全長は、他のこの辺りのどんな塔や古城よりも大きく、たとえようがない。しいてその羽一枚一枚の大きさを表現するならば、ちょっとした商店が三軒はその上に乗ることが出来るほどだ。それが全部六枚回っており、風を受けてゆっくりと。しかし着実に空を切る。あの内部では巨大な臼が回り、たくさんの小麦粉やその他穀物の粉末が作られている訳だ。他にもたくさん風車はあるが、大風車で作られたものが一番美味しいと評判で、ルージュのパンも大風車の粉で作られている。他の地域にも輸出されるなど、ちょっとしたブランド商品だ。
僕一人ならば、羽と羽の間を抜けたり、羽に追走したりするような技も出来るのだが、さすがにお客さんを乗せながらだと危険なので、ゆっくりとその雄大な姿を見物出来るよう、安全に飛ぶ。小さな鳥は風圧によって近寄れないのだが、翼獣は風に押し流される心配はなく、もたげられた頭は、乗客に風が当たることも防いでくれる。特に指示をしなくてもこういう動きをきちんとしてくれるので、やはり彼女は利口で優しい。
「この風車は、どれぐらい前からあるんだい?」
「きちんとした記録はないのですが、三百年ほど前からだそうです。以前は時計塔だったそうですが、街を大きくする時に改装され、今の姿になったとされています。時計塔は今、中央の広場に移されていますね」
「それは見たが、中々に立派なものだったね。三百年前のものだとは思わなかった」
「あ、いえ、今のあの時計塔は三代目だったと思います。五十年ほど前に大部分が倒壊してしまい、戦時中に立て直されました。まあ、この辺りはほとんど戦火の影響を受けなかったので、この街の人々で戦争のことを意識しているのは、輸出を主に行う商人の人達だけだったと思いますが」
「倒壊、ということは地震が多い地域なのかい」
「いいえ、そういう訳でもありません。自然災害ではなかったようなのですが、当然、僕はその時代に生きていませんし、気が付くと崩れかけてしまっていたそうなので、詳しくは記録もされていなくて」
一説によれば、大風車の建造に力を入れ過ぎて、時計塔はかなりおざなりに作られてしまい、元から耐久性には問題があったのではないかとのことだけど、恐らくはこれが正しいのだろう。その分、新しい時計塔は最新建築の粋を集め、何百年。いや、千年単位で残り続けるほど立派なものになった。僕は少し古くなった建物が好きなので、この時計塔も中々に好みだ。
「さて、そろそろ戻りましょう。もし差し支えなければ、宿の近くで降りていただけますが?」
「そんなことが出来るのかい?」
「翼獣は飛竜に比べ、少しのスペースの場所に下りることが出来ますから、割と街のどの場所にも下りることが出来ますよ。大体、馬の入れる場所をイメージしてもらえれば十分です」
「じゃあ、そろそろ宿に戻っても良い時間だし、そうさせてもらおうかな。えーと、宿の名前はなんだったか。赤っぽい屋根の、割と大きなところで……」
「バーミリオン亭でしょうか」
「ああ、そうだ!有名な宿なのかね」
「僕はおおよその宿の名前と場所と、ご主人のことは覚えていますから。でも、よい宿と評判ですよ。戦時中、近くを訪れた上士官もお泊りになったという話もありますし」
陸軍の、なんという佐官だったか。僕の友人の上官だったはずだけど、名前までは忘れてしまった。立派な白いヒゲをたくわえていたことから、サンタ、なんてあだ名もあったようだけど、愛されていた証拠だろう。実際、訓練は厳しくても人として武人として素晴らしい、名将だったと、年上のことなんて滅多に褒めない友人が絶賛していた。
大きくゆっくりと旋回して行き先を変え、少しずつ高度を下げて飛んで行く。翼獣の飛び方は、飛竜のそれに比べると、洗練された感があって美しく優雅だ。ただし、高高度飛行はそれほど得意としないからか、高度を急に変えるのは苦手としている。だから、前もって飛びながら高度を下げ、目的地に近付く頃に地上近くまで下りているように計算する必要がある。これがかつては苦手だったけど、割とすぐに感覚を掴むことが出来た。
着陸寸前、軽く翼で空を打って落下の衝撃を殺し、ふんわりと地上に下り立つ。今の世の中には生きていないが、伝説のペガサスもこんな優雅さと気品があったのだろうか。
「ありがとう、滅多に出来ない経験が出来たよ。……子どもも、名残惜しいようだ」
見ると、女の子はいつまでもレッグの羽を掴んで離さない。ここまで懐かれてしまうというのも、困ったものだ。これから彼女を小屋に入れてあげないといけないのに。
「……ごめんね、この子もこれからご飯を食べないといけないから、離してあげて?君もお腹空いているでしょ?」
正直、小さな子ども、それも女の子の相手をするのは得意じゃないんだけど、なんとかお降り願おうと交渉する。すると、お腹が空いているのは事実だったようで、案外素直にひょっこりと降りてくれた。
「ごめんなさい、ご迷惑をおかけして」
「いえ。お構いなく」
「では、代金を本当にこれだけで良いのかい?あれだけやってもらって、たかだか銀貨一枚なんて。せめて一人一枚ぐらいにした方が……」
「大丈夫です。そのお金は、もしよろしければこの街の他のお店で使ってもらえれば、僕としても嬉しい限りです。僕の仕事は、この街のよさをもっと知っていただくことと、彼女達のことを理解してもらうことだと思っていますので」
僕にも生活はあるし、ほとんど無償のボランティアでこの仕事をしている、と言えばそれは嘘になる。だけど、僕はこの他にも各商店への荷運び等でも収入を得ているし、決して裕福な生活は出来ていないけど貧乏をしている訳でもない。僕は元来、物やお金に関しては無欲な性分らしいし、飛竜達のエサ代が稼げればそれで十分だった。
「なんだかすまないね。じゃあ」
「よい夜を。明日からも旅行をお楽しみください」
家族が宿へと入っていくまで見送り、僕もまた飛び立った。陽は落ち、夜の時間がやって来る。夜間の飛行は危険なので可能な限り避けたいけど、夜の空気は好きだった。胸いっぱいに冷たいそれを吸い込み、僕の住処へと戻っていく。華やかな街の夜は、それもまた美しく賑やかなものだけど、僕の家の近隣は夕暮れ時から既に音と色を失い始め、闇に包まれればもう深夜と変わらない静けさだ。騒がしさの中を生きた人間には、丁度良い隠居の場所かもしれないな。
そんな風に考えてみたりもした。
フレド・エッジウッド様へ。
受け取った封筒にはそう書かれている。僕に宛てられた手紙なので当然だ。差出人はアイリ・リトル。二つ離れた村に住む女性であり、今、この手紙を届けてくれた女性でもある。
「アイリは好きだね。手紙で僕をからかうの」
「えへへー、だって、こっちの方が色々と工夫出来て面白いじゃん?あたしってほら、嘘とかつけないし」
「それが良いところだからね。逆に、手紙のアイリはちょっと意地悪だ」
「……嫌、かな?」
「ううん。そういうところもまた、君の魅力だから」
朝から、砂糖が口から吐けそうなやりとりをしているのはわかっている。
郵便屋であるアイリの最近の趣味は、僕にラブレターを自分の手で渡し、僕を大いに困惑させることだった。
黒一色のセミロングの髪を後ろでまとめていて、大きな琥珀のような瞳が特徴的な彼女は、僕がお付き合いをさせてもらっている相手で、もう付き合い始めて二年にもなる。遠距離恋愛で二年も続いているのだから、自然とただの恋愛ではなく、最近では結ばれることも視野に入っているけれど、僕はやむを得ず一人で。アイリもまた、故郷に両親を残して一人で暮らす身。結婚をするようなお金の余裕はなく、先延ばしになってしまっている。
「でね、最近また、服のサイズがきつくなって来たんだ」
手紙を受け取った後は、少しだけ雑談するのがお決まりになっている。郵便配達の時間は決められているけど、戦後になって移動に飛竜を使うようになったため、かなり時間に余裕が出来るようになった。かつての馬か、完全な徒歩で運んでいた時代に比べれば、ずいぶんと手紙や物品のやりとりは楽になったものだ。
それにしても、アイリはわざとらしく体をくねらせ、やたらと服の襟元を触ってみせている。つまり、胸が大きくなったと言いたいんだろうな。背丈は低い彼女だけど、どうやらその分の栄養が胸に行っているらしく、スタイルが抜群に良いのが彼女の特徴だ。しかし、単純にそのことを賞賛するのでは面白くない。
「最近、お菓子を食べ過ぎなんじゃないかな。買い食いはほどほどにした方がいいよ」
「なっ……!そ、そんなことないもん!」
「本当かな。ほら、腰周りとか、怪しいよ?」
言いながら、腰を軽くつまんでみる。あれ、冗談のつもりだったのに、本当にむにっ、と柔らかなお肉を掴めてしまった。これは本当に食べ過ぎだな。
「フ、フレドのばかぁ!あたし、怒ったんだからっ」
顔を真っ赤にして、アイリは走り去ってしまう。しかし、従来の馬での輸送から、飛竜での輸送にスムーズに乗り換えられた彼女でも、自分の足で速く走るのは苦手だ。この辺りは石畳も不揃いだし、決して歩きやすい道ではないから……。
「アイリ、そんなに急いだら転ぶよ?」
「そんなことないじゃな……ふにゃっ!」
頭から。それはもう、堂々と頭から転んでしまった。ちょっと怪我が心配になる転び方だったけど、バランス感覚は素晴らしく良いし、よく転ぶ分、上手な転び方を心得ている節もある。特に怪我はないか。
「うぅ……。鼻、打ったぁ」
「血は出てない?」
「それは大丈夫だけど、可愛い顔に傷がぁ……」
「自分で言ってたら世話がないよ。見せて。……うん、大丈夫。いつも通り、可愛いよ」
「やった!じゃ、行ってくるね」
「うん、気を付けて。僕も一日、仕事頑張るから」
少し褒めてあげると素直にアイリは喜び、さっきの怒り顔も忘れて元気に次の配達先へと向かう。今度は少しだけゆっくりと走って。
それを見送ってから、僕の日課が始まる。まずは軒先の鉢植えに水をやり、朝ご飯の準備をする。郵便屋に合わせた生活は、普通の街の人のそれよりもかなり早い時刻から活動することになるけど、そこまで早起きは苦にならないし、アイリの顔を見れない方がもっと苦しい。
早朝の街に人通りは少ないが、商売熱心なお店はもう開いているし、仕入れのために走り回っている下働きの少年は元気だ。観光客の見込めない時間帯の僕の仕事は、街の中に限った荷物や人の輸送で、その都度ほんの少しの賃金をもらって働いている。やっていることは「辻馬車」にも近いが、乗っているのは翼獣なのでなんと言えば良いのだろうか。
「これ等を全部、リラ商店にですね?」
「ああ、頼むよ。全部乗り切らないなら、数回に分けてもらっても良いけど……」
「いえ、大丈夫と思います。中身はちょっと揺れても大丈夫なものですよね?」
リラ。ライラックという紫色の花の別名から付けられたこのお店は、この街に数多くある雑貨屋の一つだ。とはいえ焼き物やガラスのような繊細な商品はこうして大量輸送はしないはずなので、多少は強引に積み込んでしまっても大丈夫だと思う。
「木の加工品ばかりだからね。ウチで扱っているのは品質も抜群だし、心配はないよ」
「わかりました。では、確かにお届けさせてもらいます」
「お代は向こうでもらってくれ。きちんと伝えてあるから」
荷物を送ろうとしているのは、品質自慢のカクタス木材のご主人だ。南国のサボテンという意味のお店ではあり、実際にその鉢植えを売ってはいるけど、主に使用する木材はオークとチーク、それから北国ならではのシラカバとなっている。僕の家の家具や鉢植えの大半もこのお店で揃えたし、今の主人は三代目で歳も近くて話しやすい。……まあ、三十そこそこなので、結構な先輩ではあるけども。
小さな木箱を二つ、それから麻の袋を四つ、きちんとレッグの背中に乗せて、心配なので袋の方は紐できっちりとサドルに固定する。木箱は手綱を握りながらも腕で押さえておくことにした。正直、手綱を握らなくてもレッグから振り落とされるようなことはないのだけど、空路は何が起こるかわからないのもまた事実。いきなり鳥がぶつかって来るかもしれないし、強風に煽られればどうなるかわからない。
ともすれば緊張感が欠けてしまう日々の営みだけど、とりあえず現時点での僕は初心を忘れず、日々安全輸送を心がけることが出来ていた。ついでに言えば、アイリにもくれぐれも気を付けるよう、日常的に注意するようにしている。
農家に生まれ、牛や馬の世話をすることが家の手伝いであり、それはそのまま将来の仕事に繋がるはずだった彼女は、ある時から郵便屋の仕事に憧れるようになったという。アイリは別に筆まめな人ではなく、幼い頃に文通相手がいたという訳でもないのだけど、手紙は人に幸せや、大事な人の不幸を知らせるという、大切な役割を果たしている。その不思議さと、それを配達してくれる人の偉大さを感じた時、彼女の将来の夢は郵便屋に決まっていたそうだ。
明るく元気で仕事の要領もよく、乗馬は小さい頃からしていたので、郵便屋として問題は何一つない。十五歳から彼女は郵便屋として働き始め、十八歳には相棒を飛竜に変えることとなった。
その理由は、他でもない。終戦により、飛竜が一般に流れるようになったためだ。当然ながら、陸路よりも空路を選んだ方が手紙のような軽く小さなものは効率的に輸送出来る。郵便屋が積極的に飛竜を受け入れるのは物の道理というものだったし、乗馬が達者だったアイリは、僕が少し指導をするだけで飛竜を乗りこなしてみせた。
……思えば、それが決め手で僕は彼女と愛し合うようになったのだろうか。人と人との関係というものはわからない、そう今更にして思う。
僕が街の上空という、小さな空を飛んでいる間も、きっと彼女は広い空を縦横無尽に飛び回っている。大空を忘れてしまった僕にとってそれは、少しは羨ましいことではあるけど、同時に僕は今の飛び方に安心も感じていた。
飛竜乗りにとっての空とは、生きる場所でもあり、死ぬ場所でもあった。警戒はしていたし、飛竜も対空砲撃があれば気が付きはしたけど、回避行動が間に合わなかったり、ぶ厚い弾幕によって回避を封じられたりで、飛竜とそれを駆る者が次々と戦争の暗雲の立ち込める空に散っていった。もちろん、兵士だけではなく僕のように戦わなかった者も数多く、だ。
だから、僕は空を愛するのと同時に、本能的には苦手意識を。もっと言えば、トラウマを抱えている。それでも空に生きることを望んでいるのだから、ずいぶんと倒錯的なことなんだけども。
だけど。だからこそ、アイリにはどうか無事で、明るい気持ちで空を飛んでもらいたいと思っていた。混乱が収まり、痛みを乗り越えた人々を待つのは、光に溢れた雲ひとつとしてない青空だと思うから。
――上空から俯瞰で見るこの街は、竜観光のお客さんの多くが漏らしてくれる感想と同じように、美しく、輝かしく見える。国の全ての都市がこの街のようになってくれれば、それは戦後の復興が完了し、新たな一歩を踏み出せたことになるのだろうか。僕が生きている間に、そんな時代は来てくれるだろうか。もしそうならなかったとしても、今の僕が為すべき仕事とは、この理想郷のような街から輝きを失わせたいことだと考える。
この国が戦争を繰り広げていた相手は真南にある国で、当然ながら主戦場も南方になった。しかし、北方の国も決してまだ安定はしておらず、友好条約はあるものの、それが握り潰され、戦後の衰弱したこの国を狙うことも十分考えられる。そうなった時には、この街が戦火に巻き込まれることは免れない。
それを防ぐ手立てはただの一般人でしかない僕にはないけど、せめてこの街だけでも疲弊した姿を見せなければ、牽制程度にはなるのではないだろうか。そう信じて、今日も僕は飛ぶ。同じ痛みを分かち合った有翼の聖獣と共に。
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当初はファンタジー世界でのんびり、ほのぼのとしたものを書ければ、と思って書き始めました
ですが、夏頃から本格的にはまり始めた「あのゲーム」のためなのでしょう、一度あのゲームと、そこから読み始めた書籍から受けた衝撃を自分の中で一度消化、昇華するために、当初の予定を大きく外れ、恐ろしくきな臭く、しかし、残酷にはし過ぎない、ある種の「あの出来事」へのアンチテーゼの意味を含ませた小説となりました
自分でも、書きながら「ああ、これはまずいな」と自覚出来るほど、本来の自分の得意とするジャンルや書き方、そもそもが商業として「ウケそうな」題材、作品形式からどんどん離れていき、中頃まで書いた辺りで「これは、きっと恐らく、よほど不作な年でない限り、一つたりとも選考は通してもらえない」と思いました。ですが、そもそも自分が小説を書いている理由、それは選考に通るためではなく、書きたいから、そして、出来るならば読者の方に何かしらを感じてもらえるのなら、それほど嬉しいことはない、ということに従い、途中で投げ出すことなく書き切りました。万に一つも、商業的な価値を見出されない、と自覚していたものを
その結果がこれになります。もっと幸せな物語が、幸せな結末があっただろうに。どうしてこうも、不必要に世界をかき回し、キャラクターを傷付けているのか、自分でもたまに理解が及ばなくなります。ですが、少なくとも当時の自分にはそれが必要なことでした。また、まとまりにも間違いなく欠けています。決して読みやすくは仕上がっていません。「ライトノベル」として書いていたのにも関わらず
そういう訳ですから、公開することにはためらいがありました。そのために、既に選考結果は出ていたのに、あえて今まで投稿することも見合わせていました。ですが、手元においておくだけでは、選考員の方の一人か二人にしか伝わっていることにはなりません。自分でも欠陥のわかっている未熟な作品ですが、それでも書き終えようという意志があって書いたものなのですから、これを公開しないのは、何よりも「自分に失礼だ」と思い、投稿に踏み切りました
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