『私の名前はカガミと申します。以後お見知りおきを・・・』
優雅に腰を下ろした女性はそう自己紹介しながら、ソファの肘掛け部分を二回、トントンと叩く。
すると、咲蘭と及川が座っているソファの前の時空がゆがむ。
咲蘭は警戒しながらその様子を眺めていると、美しいガラス細工をあしらったグラスが二つ姿を現し、咲蘭と及川が手に取りやすい位置にまでゆらゆらと移動する。
『どうぞ。とってもおいしいですよ?』
「悪いけどそういう気分じゃないわ。それよりも早くお兄ちゃんのこと教えてよ」
グラスに向けられた視線を今度は鏡へと向ける。
その視線からは警戒心や苛立ちといった感情が感じ取られる。
「これめっちゃうまいやんっ!」
そんな咲蘭とは裏腹に及川はそのグラスに入った飲み物を半分以上飲み干し、あまりのおいしさに感嘆を漏らしていた。
『ふふっ。そうでしょう?あのお店でも結構人気のドリンクなんですよ』
「だからっ!!!早く教えなさいって言ってるでしょっ!!」
宙に浮いているドリンクを勢いよく手の甲で弾きながら咲蘭は声を荒げる。
そのドリンクはおいしそうに飲んでいる及川の方へと飛んでいき、顔面へ勢いよく激突、そのまま全身にドリンクが飛び散った。
「のわっちゃっ!!咲蘭ちゃんなにすんねんなっ!!オレの一張羅がベトベトに・・・」
『そうですよ。もう少し落ち着かれた方がこれから話すお話も理解しやすくなると思いますよ?』
「そんな気遣いは無用よ。さっさとお兄ちゃんのこと教えて」
『・・・・・・分かりました』
小さくため息をついたカガミはどこから取り出したのか、右手にはハンカチを持っており、それを及川へと手渡す。
“おおきに”と及川が受け取り、服に着いたドリンクを拭いているのを横目に見つつもう一度“ふうっ・・・”と小さく息を吐く。
『今あなたがいるこの場所・・・ここは現実世界ではありません』
「はっ・・・?」 「なっ・・・?」
あまりに突然に突拍子もないことを口にしたカガミに二人の時間が止まる。
『この場所は正史と外史の狭間・・・正史でもあり外史でもある。そういう不安定な場所なのです』
「この場所なんてどうでもいいのっ!!私は・・・」
『聞きなさい』
咲蘭が大きな声を上げようとしたのを、カガミは一言でピシャリと止める。
『正史というのはあなた達の言う現実世界のことです。しかし、あなたの兄である北郷一刀は現在、現実世界に存在しません』
「えっ・・・そんな・・・」
「ちゅーことはかずっちはすでに夜空のお星さんに・・・」
及川のように口には出さなかったが咲蘭の頭にも一刀の死という言葉がよぎる。
『いえ、死んだわけではありません』
「ホントにっ!!」
『ええっ、断言します』
少し前の悲壮な顔とは全く違う喜びの表情をぱっと浮かべる。
しかし、すぐに別の疑問が頭の中によぎる。
そして、その疑問は及川の頭にも浮かんだようで
「ん?現実世界にはかずっちはおらんのやろ?んじゃ、どこにおるんや?」
『はい・・・。北郷一刀は今“外史”という世界にいます』
「外史・・・」
『おや?あまり驚かれないのですね。この女、正気なのか?とでも言われるかと思ったのですが・・・』
「この場所にきた瞬間、そして、床からソファが出てきた瞬間、そういう常識的な考えは捨てたの。この場所は、そしてあなたは普通とはちがうって」
『・・・そうですか。その順応能力、さすが北郷一刀の妹ということでしょうか』
「オレは十分驚いてんねんやけどな・・・」
そんな及川をよそに話は進んでいく。
『外史とは正史の中で発生した想念によって観念的に作られた世界のこと』
「えっ?どういうこと?もうちょっとわかりやす~く頼みます・・・」
『例えば誰かが正史の歴史で実際に起こった事件や出来事をベースにして物語を作ったとしましょう。その物語がまず初めの外史、私たちの言うところの“発端の外史”となります。もっと簡単に言えば作り話ですね』
「お兄ちゃんはいま、作り話の中にいるってこと?いったい誰が作ったの?」
『正史の人々・・・ですか。そして作られた外史を正史の人間が読んだり見たりすることで、その外史を面白いと思い、その外史を支持する人たちがその外史について考えることで、さらなる外史が生まれていきます』
二人はカガミの話に必死に着いていこうと耳を傾ける。
咲蘭は真剣なまなざしでカガミを見つめる。
その視線には先ほどのような感情は見られない。
『北郷一刀はこの“外史の連鎖”に飲み込まれています』
「そんなっ!って言うことは、お兄ちゃんが帰ってこないのは・・・」
『正史の人間が北郷一刀が登場する物語を紡ぎ続けるが故・・・です。それに、ここで少々言いにくいことを言わねばなりません』
「・・・なに?」
『北郷一刀は現実世界に戻ることができません』
「嘘よッ!!」
ある程度予想できたのであろう。
咲蘭はカガミが言葉を紡ぎ終わるのを待たずに大声を上げる。
『残念ながらウソではありません。もう既に正史が北郷一刀の存在を完全に消去してしまいました』
「・・・穏やかな話と全然ちゃうな。どういうことや?」
今までのおちゃらけた雰囲気があった及川であったが、ここで声のトーンがひとつ下がった。
『現実世界には“神隠し”という言葉が存在しますよね。しかし、そんなものは所詮人間がやっていることです。“神隠しにあったんだ”という言葉は行方をくらました人間を探すことができなかったという諦めからの逃げ文句です。本当に神が人を消したなら、そんな言葉すら残りません』
「・・・・・・」
『人がいなくなればそれだけ社会というものは混乱します。その消え方が不可解な現象であればある程にです。その混乱を防ぐために正史が世界にとある働きかけを行います。それが“正史の浄化作用”です』
「浄化作用・・・どこかで・・・」
咲蘭はこの言葉をどこかで聞いたことがあるような感じがした。
どこだったかを思い出すことはできないが、確かに聞いた。
そのような変な確信があった。
『大丈夫ですか?続けても?』
「えっ・・・ええ。ごめんなさい」
『正史の世界の理屈や理で説明がつかない何らかの超常現象が起きた時、その現象自体を無かったものとする。今回の場合は人が超常現象か何かで消え失せたので、正史はその消え失せた人物の存在そのものを歴史から消去したのです』
「それは何でや?」
『“その人物が居なくなった現在”と“その人物がいたというそれまでの過去”との矛盾が発生するからです。過去というのはその人物が現在という時を積み重ねてきた結果、形成されるもの』
ここでカガミは手元においてあったドリンクを手に取り、それに口をつける。
ちらりと咲蘭の方を見ると、まだこちらを真剣なまなざしで見つめている。
『その人物が正史の理や理屈で説明できる現象で正史からいなくなった時、つまり“過去を形成する作業を正式に終了した時”、その過去は歴史として昇華されそして紡がれ、語られる。その“正式な終了”を迎えられなかった過去は歴史として昇華されることはなくただ“消滅”する』
「今回のかずっちの場合はどないやねん?」
『あらかた予測は着いていると思いますが、とても正式に終了したとはとても言えません。そして“過去の消滅”とはその人物の存在したという形跡や痕跡全ての消滅を意味します。だから、正史はその消え失せた人物に関する記憶を持つ人物の記憶を操作、消去し、その人物が存在したという形跡・痕跡を消す。そうすることで超常現象により起きたひずみを正史が修正していく。つまり、正史に起きた矛盾を修正する』
「お母さんやお父さんがお兄ちゃんを覚えていないのって・・・」
「まさに“正史の浄化作用”の結果です」
「なら何で私はお兄ちゃんのことを覚えているの?それに何でこの人も?」
『それは残念ながら分かりません。特に及川さん。なぜあなたが“浄化作用”に屈しなかったのかも、全く分かりません』
「それはオレにも分からんな。特に体がおかしくなったとかそんなんもなかったし・・・咲蘭ちゃんはどないやねん?」
「私は・・・あった。頭痛がしたり、目の前が真っ白になったり・・・それで・・・お兄ちゃんなんていないんだって頭の奥底の方から響いてきて・・・それで・・・」
『まさに正史の浄化作用ですね。しかし、あなたはそれに打ち勝った。だから、私はあなた達に会おうと思ったのです』
そう言うとカガミはどこから取り出したのか掌に乗る小さな球を取りだした。
その球はポウッと赤色の光を放っていた。
『手を出して下さい』
咲蘭は言われるがままに両の手を差し出すと、カガミはその球を咲蘭に握らせる。
その球は歴史の教科書にある勾玉のような形をしていた。
『はっきりと断言します。北郷一刀は外史に存在します。そして、私はその外史を知っている。あなたを連れていくことができます。私についてきますか?』
「っ!?行き――」
『話は最後まで聞いてください。もし、私に着いてくることを選択した場合、もう正史の世界には戻れません』
「えっ!?」
あまりの衝撃的な言葉に咲蘭は手に持った勾玉を落としてしまう。
『北郷一刀の時と同じようにあなたの存在が正史の浄化作用により浄化されます。つまり、あなたの存在がなかったことになる。しかし、北郷一刀と会うことができます。そして、北郷一刀と会った後は、私と一緒に外史の管理者としての仕事を行ってください。もちろん北郷一刀と一緒に・・・です』
「もし・・・ついていかなかったら?」
『もし、北郷一刀のことをあきらめ、正史で暮らすならば、その勾玉を壊してください。そうすれば正史で暮らしていくうちに浄化作用が働き、北郷一刀の存在を忘れる。そして、あなたは何もかもを忘れて幸せに暮らしていけるでしょう』
カガミは咲蘭が落とした勾玉を拾い上げ、再び咲蘭の手へと戻す。
『直ぐに決めろとは言いません。時間をあげます。もし、決まったのなら、聖フランチェスカ学園の裏手にある歴史博物館へ来て下さい』
話はそれで終わりと言わんばかりにカガミは立ち上がり、スタスタと歩き去ろうとする。
「ちょっ!待ちぃなっ!!オレはどうなんねん」
『あなたは・・・好きにしてください。付いてきたいと思うならそうしてあげてください。しかし、あなたも例外ではないとおもいますよ。今度こそは・・・ね。それでは』
最後に優雅にお辞儀をしたカガミはそのままスタスタと去っていった。
END
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どうもです。
今回は創始編の核心を少し書いています。
興味のある方はお付き合いください。