No.661516

GIOGAME 23

Anacletusさん

それは見えない昼の月。

2014-02-08 08:38:51 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:489   閲覧ユーザー数:489

第二十三話 昼の月

 

狂気を孕んだ音色が世界を包み込んでいた。

 

肉の爆ぜる音。

 

強く蠱惑(こわく)する香り。

 

正気は瘴気に飲み込まれ、震える手を伸ばさずにはいられない。

 

騒々しさとは無縁の静寂が辺りを包み込んだ時、湯気を上げる肉に喰らい付く。

 

「?!!!」

 

何が起こっているのか解らなかった。

 

悪鬼が末期の夢でも見せているのか。

 

それとも自分の知る世界が実はただの虚構であったのか。

 

「旨いか?」

 

絶望する程に美味い。

 

本当に悲しい程に美味い。

 

そんな豚の生姜焼きとか言うらしい食べ物だった。

 

コクコクコクコクコクコクコクコクコク!!!!

 

久重はそんなに美味いだろうかと首を傾げつつ、首を立てに振るだけの機械と化した礼儀正しい少女を見つめ、昼飯時を長閑(のどか)に過ごしていた。

 

「ひさしげ。この子お箸の持ち方上手みたい」

 

「確かに・・・」

 

布深朱憐誘拐事件解決から数時間後。

 

我が家に帰ってきた久重とソラは数時間ほどの仮眠を取ってから、かなり重大な案件が布団の横に沈黙と共に鎮座しているという状況に頭を抱えていた。

 

「―――」

 

虎(フゥ)という名前らしい少女。

 

真夏にも関わらずトレンチコートを着ている少女は久重にデジャブを感じさせた。

 

名前の如く喰らって喰らって喰らい尽くしそうな勢いで白米やらおかずやらがその口内へと消えていく。

 

食い意地が張っているのはいいとして、何かと微笑ましい気分になるのも置いておくとして、久重は困る。

 

「本当にお前の仲間が何の為に朱憐を誘拐したのか知らないんだな?」

 

虎の箸が止まり、その視線が真摯なまでに真っ直ぐ久重へ向いて、首肯が返される。

 

「下っ端」

 

自分を指した虎の言葉に久重は嘘が無いと感じた。

 

「・・・解った」

 

遡る事午前零時。

 

久重はビル内部にいた五体の大香炉を倒した後、助けた虎に朱憐に付いて質問し、その行方を知るところとなっていた。

 

(・・・あいつには感謝しないとな)

 

遅れて駆けつけてきたソラと共に未だ危険かもしれないビルを降り、保護した虎の治療をしながら、その証言に従って朱憐を追い続けた。

 

二時間後。

 

久重は親友が朱憐をお姫様抱っこで持ち歩いているシーンに出くわした。

 

永橋風御から朱憐の身柄を預けられた久重はビルの惨状に付いて風御から聞かれ、ただ生存者は虎だけだった事を告げた。

 

その話に【あー、それならいいか】と何だか投げやりな風御は行く場所があるからと早々に消え、後には気を失っている朱憐とそれを心配そうに見つめる虎という図だけが残った。

 

詳しい話は後回しにして朱憐を実家に届けた久重は家に帰ってきてから風御の証言や虎の話を総合して、一応問題無いだろうとの見解に到り、虎の身柄に付いての相談は仮眠後という事にした。

 

(やっぱり悪そうには見えないんだよなぁ)

 

虎から自分は華僑系マフィア【黒星(ヘイシン)】という組織の末端構成員であると告白されたものの、久重は少女にそこまで悪そうな印象を受けなかった。

 

国際的には子供兵などが後進国で制度化されるような時代。

 

若い少女が何かしらの組織構成員として扱われるのも、日本以外ならばよくある話。

 

久重は虎の素直に話す様子に幾らか好感すら持っていた。

 

誘拐犯と被害者の間に特殊な信頼関係が構築されるという話は有名だが、それはあくまでかなりの時間を要する場合が殆どで、もしもそういった何かしらの関係を短時間で築いたというならば、それは取りも直さず虎という少女の心根が朱憐という少女と打ち解ける程に善良である事を示している。

 

たった十数時間の関係。

 

その繋がりの為に命を懸けて化け物と戦い朱憐を逃がした虎の行動は久重の中では大きい。

 

誘拐犯とはいえ、その組織構成員は全滅している。

 

帰る当ても無く、生活していく当ても無いだろう虎という少女を久重はいつものお人よしから、どうにかしてやりたいと思うようになっていた。

 

カチリと箸が揃えられる。

 

ご馳走様でしたの声。

 

「詳しいな」

 

「てれび、見たから。日本人、そうする」

 

久重が何の事を言っているのか解った虎がおずおずと語る。

 

三人での食事はそのまますぐに終わった。

 

洗い物を片付けた久重が湯飲みを三つ用意した。

 

お茶が注がれて夫々(それぞれ)の前に置かれる。

 

「で、だ。虎(フゥ)・・・でいいか?」

 

コクリと虎が頷く。

 

「お前の処遇を決めなくちゃならない。一応言っておくが、此処は日本で、お前は誘拐犯の一味、更には警察から見たら唯一残った犯人で証人だ。言ってる意味解るか?」

 

再びの首肯。

 

「お前がやった事は普通なら今の日本だと無期懲役。無期懲役が事実上の死ぬまでの投獄になってもう二十年近い。要は一生刑務所から出られない。無戸籍、無登録、不法入国、その他諸々の罪で刑は日本人の数倍になるが、お前の場合は若さや情状酌量の余地が認められる可能性もあるから、それよりはマシだろう。ざっと三十年は硬いだろうが・・・」

 

「そう」

 

僅か沈んだ様子で虎が瞳を閉じる。

 

すっかり警察に渡される事を受け入れた様子の虎に久重は罪悪感に駆られながらも更に続ける。

 

「これはオレ達がお前を警察に突き出した場合の話だ。そして、此処からが本題」

 

「?」

 

顔を上げる虎に久重が視線を合わせる。

 

「オレとソラはお前の仲間を襲った化け物がどういうものか知ってる」

 

「!」

 

虎が微かな警戒心を見せる。

 

「簡単に言うとアレはオレ達の敵が作った兵器、らしい」

 

「兵器・・・」

 

「ソラが言うには、オレ達の身近で事件が起こったから出てきた可能性が高い」

 

今まで口を挟まずに話しの行方を見守っていたソラが頷く。

 

「つまり?」

 

「お前の仲間が死んだのはオレ達の知り合いだった朱憐を誘拐したせいだ。直接的に言えば、お前の仲間の死因はオレ達だ」

 

「・・・・・・・・・」

 

虎が久重を見つめる。

 

その瞳の奥には窺い知る事の出来ない何かが宿っていた。

 

「あの場でお前が見た通り、オレがお前の仲間を確実に五人殺した」

 

虎が俯く。

 

久重は己の放った一撃で黒いNDに覆われた男達があの後どうなったのか鮮明に思い出す。

 

化け物と化した男達はNDから開放された後、人間とは思えない異様な人体模型の如き体を晒していた。

 

NDに弄繰り回された体からは皮膚が消え失せ、ドロドロと脂肪らしい何かを滴らせながらバッタリと倒れ臥す男達にもう鼓動は無く、息もしていなかった。

 

「もう、死んでた」

 

虎の呟きに久重はケジメとしてソラから聞いた事実を話す。

 

「化け物にされても生きてはいた」

 

「中身、違った」

 

虎が久重を見つめ、頭を下げた。

 

久重が驚きに固まる。

 

「救ってくれて、ありがとう」

 

「お前は・・・オレに怒っていい」

 

困った久重が顔を逸らす事もできず、虎に顔を上げさせる。

 

「少なくとも仲間を殺してるのは事実だ」

 

虎が首を振った。

 

「仲間とは違う。駒同士だった」

 

久重が少女の生きてきた世界の常識に口も挟めず虎を見つめる。

 

虎はそのまま己にとっての事実を淡々と呟く。

 

「幇(バン)は頭や腕や足以外、幾らでも代えがある。指や爪が死んでも、問題ない」

 

虎の瞳には嘘など一欠けらも無く。

 

久重が現実はそれどころではないのだろうと内心の重たい溜息を飲み込む。

 

中国裏社会には人材が腐る程に余っている。

 

人口爆発と貧困。

 

その結果は血で血を洗う裏社会に血河を築く。

 

数万人規模の組織同士が抗争で人命を消費しても、まったく問題にならない。

 

人間は使い捨ての弾となる。

 

そういった組織からすれば、三十人前後の人数など正に使い捨ての爪楊枝にも満たない。

 

「駒は殺されたら、補充されるだけ」

 

「お前はまだ死んでない」

 

「・・・どうして、怒ってる?」

 

虎の純粋な疑問に久重は頭を掻いた。

 

「お前の国ならそうなんだろう。だが、此処は日本だ」

 

虎が首を傾げる。

 

「お前は命を拾った。だけど、此処でお前は駒じゃない。オレにとっては・・・朱憐を救ってくれた恩人だ」

 

「誘拐した」

 

「だが、お前は事実、朱憐を救った。命を掛けてだ。此処じゃそういうのを何て言うか教えてやる」

 

「?」

 

「お人よし、だ」

 

久重が虎に手を差し出す。

 

「・・・・・・」

 

「友人を命掛けで救った人間に礼を尽くさない奴は中国人だろうが日本人だろうが移民だろうが化け物だろうが、ただのクズだ。違うか?」

 

虎が久重を見つめ、その手を見つめ、己の手を見つめ、最後に胸に手を当てて。

 

「・・・違わない」

 

ゆっくりと差し出された手が掴まれた。

 

「オレは外字、外字久重だ」

 

「がじ・・・ひさしげ?」

 

「ああ」

 

「自分、小虎(シャオフゥ)・・・虎(フゥ)でいい。ヒサシゲ」

 

「解った」

 

決して強くは無い力で、しかし確かに硬く握手が交わされる。

 

 

何故だと問う事に意味はない。

 

哀れだと思う事に善意はない。

 

行動で全てを示す事だけが歩みを進める。

 

そう身を持って知っているからこそ、ソラ・スクリプトゥーラは一切の口を挟まず、ただ二人を見守っていた。

 

虎という少女は仲間の死の要因がどうであれ、きっと理由を問わなかった。

 

久重という男は誘拐犯達の末路や経緯がどうであれ、きっと少女を哀れまなかった。

 

つまりはそういう事だとソラは思う。

 

ソラの時もそうだった。

 

外字久重という青年は自分が馬鹿げたSF話に巻き込まれたのに理不尽への疑問など口にしなかった。

 

全てを語った自分を哀れむ事など無く、こちらに可哀想なんて言葉一つ吐きはしなかった。

 

それは普通とは乖離した世界に生きているから、というだけではない。

 

人間としての芯に他者への驕(おご)りが無いからだ。

 

自分のありのままで他人に触れている。

 

(だからこそ、ひさしげは私なんかよりずっと強い)

 

初めて久重がNDを使って戦闘を行った日。

 

ソラは聞いている。

 

薄れる意識の中で憎むと口にした声を。

 

己の弱さに、不甲斐なさに、目の前の誰かを救えぬという事実に、己を憎むと言った声を。

 

人を殺してしまったと暗闇の中で感情を抑えている声を。

 

(自分の弱さを自覚するからこそ・・・)

 

あの時からソラには解っていた。

 

外字久重という青年は身を置く世界こそ異質でも、その本質は普通の人間だった。

 

日本人にありがちな良心を持つ人間だった。

 

いざという時、人殺しを躊躇わない己とは違った。

 

どんな世界に身を置いても性根が真っ直ぐ過ぎる、傷付きやすく苦しみやすい、そんな青年だった。

 

(きっと、ひさしげは私達と違って壊れてない)

 

暗い世界に染まったソラ・スクリプトゥーラや敵とは根本的に違っていた。

 

「ひさしげ。いい?」

 

「ん? あ、ああ」

 

握っていた手を離した少女『虎(フゥ)』に向かい合う。

 

「?」

 

「ひさしげは五人だったけど、私は九人」

 

「ソラ?!」

 

止めようとする久重をソラは手で制止した。

 

「私はひさしげみたいに手加減はしなかった」

 

虎の視線に怯む事なく。

 

「全員を完全に融かした」

 

ソラは語る。

 

「跡形も無く」

 

虎の視線は不意打ちの告白に揺らがず。

 

「最後に何か、言ってた?」

 

静かだった。

 

「いいえ」

 

「・・・なら、良かった」

 

「え?」

 

ソラが驚き、虎が微かに笑む。

 

驚く二人を虎が見つめる。

 

「幇の男達は、誰も皆、弾で命を落とす。病気や命乞いで死ぬの、名誉と違うから」

 

唖然とする二人に虎は続ける。

 

「いつかそうやって死ぬの、自分の夢」

 

「――――――」

 

久重は虎の言葉に複雑な瞳で頭を掻き、ソラは自分よりも過酷な現実を生きている人間を初めて見た気がして、己の恵まれた境遇を思い知った。

 

確かにソラは自分が決して普通の人間よりは不幸なのだろうという自覚がある。

 

しかし、それでも久重という理解者を得た。

 

今まで多くの人間に支えてもらってきた。

 

自分で何かを変えられるだけの大きな力を持っている。

 

だが、虎はいつか自分も男達のように死にたいと、それが夢だと言った。

 

其処には未来への展望など無い。

 

過去への未練など一欠けらも無い。

 

力すらソラに比べれば微々たるものだ。

 

それでも組織に消費される事を良しとし、死に方は選べるからと、過酷な終わりがせめて良いものであれと、そう望んでいる。

 

そこに名誉はあるのか。

 

無いに等しい。

 

捨て駒に名誉という言葉は虚しい。

 

それを虎は解っている。

 

そもそも虎は自分で言っていた。

 

組織にとっては自分はただの駒にしか過ぎないと。

 

それを自覚しながら、男達の死に方を目にしながら、それでも虎は言った。

 

出来うるならば、男達のように戦って死にたいと。

 

有って無い、不名誉ではない死に方ならばいいと、自分の終わりを決めていた。

 

「どうか、した?」

 

 

本当に純真な瞳で聞いてくる虎にソラは強さを見る。

 

「私の名前はソラ。ソラ・スクリプトゥーラ」

 

「ソラ?」

 

「ひさしげの所に居候してるの。シュレンとは・・・友達」

 

「しゅれん・・・」

 

虎が心配そうに顔を俯かせた。

 

「大丈夫。シュレンは貴女のおかげで傷一つ無かったんだから」

 

ソラは大丈夫だと虎の手を握る。

 

「それなら、いい」

 

虎の薄い笑みにソラも微笑む。

 

「で、だ」

 

二人の少女が打ち解けた様子に久重が割り込んだ。

 

「虎。お前の処遇だが」

 

虎は最後にこの二人に出会えて良かったと全てを受け入れるつもりで久重を見つめた。

 

「とりあえず、これからの事を考える時間が必要だろ。何かしらの方針が決まるまでは此処で面倒を見てやるから安心していい」

 

「???」

 

何を言われているのか理解不能となった虎がソラに視線を映す。

 

「つまり」

 

ソラは本当によく解っていないらしき虎に今一度手を差し出す。

 

「【これからも】よろしくって事」

 

その手の意味に気付いて、虎は手を取るか躊躇い、青年と少女の笑みを見つめて、おずおずと手を差し出した。

 

「お世話に、なります」

 

「そうじゃない。一緒に暮らすかもしれないんだ。そういう時は素直に一言でいい」

 

表情の薄かった虎の頬に軽く朱が差した。

 

「あ・・・あ、ありが、とう・・・」

 

頭を軽く撫でてくる久重を見上げながら、虎は思う。

 

世界の広さと人の温かさ。

 

未だ己の知らないものが世には沢山あるのだと。

 

虎の胸が、高鳴る鼓動が、全てをそう教えていた。

 

 

GAMEに向けた準備を着々と進めていたアズの下に連絡が来たのは夕方もそろそろ終わろうという時間帯だった。

 

久重のお願いと大概の事情を聞き終えたアズが溜息を吐いたのは言うまでも無い。

 

自分の知らない間に誘拐事件を解決したら、何故か誘拐犯の一人である中国人らしい少女を拾ったので、これからの相談に乗って欲しい。

 

会話に「・・・」が多様に含まれてしまったのは仕方ないと言える。

 

日本の命運を掛けたGAMEが明日から始まるという事実を忘れているのかとツッコミたいのも山々にアズはその愛しい男の願いを聞き届けざるを得なかった。

 

最後の準備が終わったら行くと投げやりに端末を切り、クーペでアパートへと向かったのは九時頃。

 

いつもなら使わないアパートに近い駐車場へクーペを止めて、さて歩くかといそいそアパートに向かったアズの行く手に・・・いつの間にか暗い道を一人歩く学生がいた。

 

何処の夜遊び好きな女学生だろうかとアズの視線は女学生の制服に引き寄せられ、違和感を覚える。

少なくとも夜遊びするような人間が入れる高校の制服ではなかった。

 

「・・・・・・」

 

足音しか響かない道で不意に視線を感じて周囲を検索すれば、無数の男達が何やら物騒な代物を持ってあちこちから暗視ゴーグルで監視し集音マイクで音を拾っている。

 

更には数人の警察官らしきスーツの男達に公安らしき男達の影まである。

 

辺りを綿密に検索すると殆ど死角無くカメラが張り巡らされていた。

 

通信を拾って端末に接続する。

 

電話が掛かってきたフリをして耳に当てると大たいの経緯が解った。

 

公安の見知った顔は無かったものの、連絡口は持っている。

 

アズはすぐに端末でメールを送る。

 

すると二十秒もせずに辺りがざわつき始めた。

 

それを確認して、辺りのオンライン監視カメラと電子機器へ制限を開始する。

 

相手側は緊張が走っているものの、正体を知っている公安から説得されているらしく、男達も警察も手を出してはこなかった。

 

「ちょっと、いいかな。布深嬢」

 

「?!」

 

ビクリと体を震わせる朱憐はすぐにアズの方を向いた。

 

その体の強張らせ方から間違いなく本人だとアズは確認する。

 

「誘拐されて敏感になってるのは知ってるよ。でも、そう驚かないでくれないかな。君は僕を見た事があるはずだ」

 

「え・・・あ、た、確か・・・ひさしげ様の?」

 

立ち止まって近づいてくる朱憐に顔がよく見えるよう電灯の下にアズは歩みを進める。

 

「ご名答。君には一度か二度、顔を見られてる。久重に仕事を斡旋してる人間って言えば解るかい?」

 

「あ、アズさん、ですか?」

 

「アズトゥーアズ。何でも屋の主と言っておこうか」

 

「こんな夜にひさしげ様に何か用でもあるのですか?」

 

「明日の仕事の話と久重からの依頼の件でね」

 

「そう、ですか」

 

「それにしても誘拐されて救助されたその日に出歩くなんてよく許されたね?」

 

「お父様に物凄く止められました。でも、約束は守らせてくれた。それだけですわ」

 

「そうか。なら、一緒に行こう。五月蝿い連中も一応今は大人しいから文句は出ないだろう」

 

「・・・SPの方達ですか?」

 

「警察と公安もいるよ」

 

朱憐は何処か申し訳なさそうに辺りを見回した。

 

「警護対象に気を使われるとか逆にあっちが泣けてくると思うから知らないフリでもしてあげたらいいんじゃない?」

 

「・・・では、そうしますわ」

 

二人がアパートまでの短い道のりをトボトボと歩く。

 

「その・・・アズさんはよくこんな時間にひさしげ様のお家に?」

 

殆ど見知らぬであろう正体不明の胡散臭い女に話しかける度胸をアズは嬉しく思う。

 

愛しい男がそういう女に好かれているという事実が少し誇らしい。

 

「この間まではしょっちゅうだったかな」

 

「お仕事ですか?」

 

「今はさすがにそれ程でもないけど、借金を返そうと躍起になってたから」

 

「・・・ひさしげ様の借金に付いては知っていますわ。金額は如何ほどなのですか?」

 

「知ってどうするんだい?」

 

「もしも、わたくしに返済できる額ならば、肩代わりしても良いと思っています・・・」

 

「それを久重が望まないとしても?」

 

「今回の件でようやく解りましたから・・・」

 

「何がだい?」

 

「わたくしとひさしげ様の関係を知る人間は皆が皆ひさしげ様がわたくしに釣り合うかどうかを考えて話をしますわ。でも、本当は・・・ひさしげ様にわたくしが相応しいのかどうかが問題なのです」

 

「君は財閥令嬢で片や久重は借金地獄の苦労人だけど」

 

「社会的にはそうかもしれません。でも、わたくしには富があっても資質が無い。ひさしげ様に相応しいだけの女としての資質が足りない」

 

「買いかぶりじゃない?」

 

「・・・好きな男の人生一つ守れなくて何が女かと、そう・・・わたくしは思いますわ」

 

「男の台詞だよソレ」

 

「わたくしがひさしげ様を支える方法はひさしげ様には受け入れられないかもしれません。でも、わたくしがひさしげ様に対して捧げられるのはこの身一つとこの心だけ。その裁量でひさしげ様の人生が少しでも良く変わるのだとしたら、心身の捧げ方を選ぶくらいには恵まれているわたくしにも・・・価値があると思いませんか?」

 

アズが目を細める。

 

「・・・アズトゥーアズとしてなら君の決意は僕を動かすに足るよ。もしも、相手が久重じゃなければ、大幅割引で借金を立て替えてもらっても構わないくらいだ。けど」

 

「けど?」

 

「久重はそれを望まないし、僕もそれを望まない」

 

「え?」

 

驚く朱憐の顔にアズが微笑む。

 

「僕にとっても久重は特別だって事さ」

 

「アズさんも・・・まさか・・・」

 

「布深嬢。君は久重がどうして莫大な借金をしてるか解るかい?」

 

「いえ、その・・・聞いてはいけない気がして・・・まだ・・・」

 

「教えてあげるよ。久重の借金の殆どは僕と出会ってから出来たものだ」

 

「それはどういう?」

 

アズが胸元から一本タバコを取り出した。

 

もう目と鼻の先にあるアパートを見つめながら、塀に寄り掛かってジッポで火を付けて咥える。

 

「僕はこれでも資産家でね。そして、僕の仕事は所謂何でも屋。フィクサーって名乗ってもいいかな」

 

「裏の、ですか?」

 

「そうだよ。そして、最初あのどうしようもなく真っ直ぐな馬鹿は手下として雇ったんだ」

 

「手下・・・」

 

一吸いして煙を天に吐き出しながらアズは煙に過去を見る。

 

初めて久重と会った日もこうしてタバコを吸っていた気がした。

 

近頃めっきり吸わなくなったのはどうしてだったか。

 

「色々とあったよ。色んな人間と出会った。その度に僕はあの男に金を貸した。具体的には料金を取るべきところをツケにして仕事をした」

 

「ツケ?」

 

「ある時は死に掛けたホームレスに一輪の花を。ある時は何も無いスラムに学校を。ある時は病気の外国人の子供に手術代を。ある時は移民の男の子に奨学金を。

 

ある時は親の死んだ少女に養子縁組先を。ある時は死んだ子猫の為に十字架を。ある時は自国から逃げ続ける工作員に新しい人生を。ある時は戦わなくてもいい悪と戦う為の弾薬を。

 

終始そんな調子だったから借金は瞬く間に膨れ上がった。僕はその度に言ったよ。これは君の命の値段だってさ」

 

「そんな・・・ひさしげ様は他の誰かの為に?」

 

「ソラ・スクリプトゥーラ。ソラ嬢だって例外じゃない。今はまだ保留にしてあるけど、もしも時が来る事があれば、もう一度新しい人生を歩ませるだけの準備はしてある」

 

「・・・知りませんでした」

 

「当たり前だよ。君以外に喋ったことなんてないんだから」

 

「どうしてかな。人を好きになるなんて真昼の月みたいなものだって解ってたのにさ。いつの間にか、本当に知らない内に僕はあのどうしようもない男に惹かれてた」

 

「アズさん・・・」

 

「死ぬ人間に花くらいいいだろう。学校があれば体を売らなくてもいいんじゃないか。将来、肖像画を書いてくれるまでは生きてて貰わないとな。奨学金があれば大学くらい出られる頭はしてるみたいだ。未来を自分で決められるようになるまでは誰かの手があったっていい。自己満足だろうとも墓ぐらい作ってやりたい。まだお前はやり直せるとオレは思う。悪党と戦うなんてカッコイイだろ? 全部、外字久重の言葉だ」

 

「それは・・・」

 

「しかも、借金は誰の為でもなく自分の為だとあの男は言ったよ。何の衒(てら)いも無い眼差しで、何の驕(おご)りも無い表情で、自分の為だってね。止めてくれよ。僕はどれだけ薄汚い自分を洗えばいいんだ。そう思った事は片手の指じゃ足りない」

 

タバコはもうフィルター以外灰になっていた。

 

「借金は己の無力を購った証。それを返す事は久重にとって絶対に譲れない己の無力の証明。だから、久重はどんな事があっても借金は自分の手で返すだろう。自分の限りある人生を削ってね」

 

「わたくしは・・・」

 

「それに僕も君には返して欲しくないよ。僕にとってこの債務は人生を賭けて回収するに値した唯一のものだ。最初に言っただろう? 僕は資産家だって。別に僕は金が欲しいから金を貸してるわけじゃない。誰がどれだけ払おうと僕の手で久重から回収しない限り、この借金には意味が無い」

 

朱憐が完全に沈黙する。

 

「僕も君と同じなのさ。あの男に相応しいだけの女になりたい・・・ホント、馬鹿馬鹿しい限りだけど」

 

すでに火の消えているタバコをポイ捨てしたアズがゆっくりとアパートに向けて歩き出す。

 

その後に続いた朱憐は己が久重の何も解っていなかった事に少なからず衝撃を受けていた。

 

階段を上る足取りも遅くアズが背後の朱憐に語り続ける。

 

「布深嬢。【敵】として君には一つだけ塩を送っておこう」

 

「・・・はい」

 

「あの馬鹿の往く道は限りなく険しい。いつ死んだっておかしくない。実際、今まではそうだったし、これからは更にそうなるだろう。でも、付いていく僕もそれは一緒だ。だから、もしも僕がいなくなったら・・・その時は後を任せるよ」

 

「え、アズ・・・さん?」

 

目的のドアの前、振り返ったアズは飛びっきりの悪戯っぽい笑みで人差し指を唇に付けた。

 

「僕と君だけの秘密だ」

 

二人の間に下りた沈黙は短く。

 

「―――――はい。期待しないで待ってますわ」

 

二人は顔を見合わせてクスクスと笑い合う。

 

そっとドアノブが回された。

 

 

昼時の話し合いを持って幾らか虎と打ち解けた久重とソラは夕飯を食べ終えた後三人で銭湯へと赴き、すでに家まで戻ってきていた。

 

久重はアズが来るのを待っていたが、虎は部屋の端で一組布団を敷き、久重の予備のブカブカなパジャマ姿でソラと様々な事を話している。

 

主にソラが日本の常識や知識を与えているが、それは教師と生徒というより、仲の良い姉妹のように見えなくもなかった。

 

人種も肌の色も髪も身長も年齢も違う二人がそうやって布団の上で話している様子は微笑ましく、久重の胸の内に温かなものを灯す。

 

「・・・・・・」

 

「何、ひさしげ?」

 

「ヒサシゲ?」

 

二人が怪訝そうな顔で見つめてくる段に至り、久重は己が二人の少女を凝視している危ない人間になっている事に気付いた。

 

「な、仲良いなぁと思ってな」

 

「そう?」

 

「それなら、嬉しい・・・」

 

ソラは首を傾げ、虎が何故か褒められたような微かに嬉しげな顔をする。

 

「?」

 

不意に室内が闇に閉ざされた。

 

「寿命だったか?」

 

暗闇で立ち上がって久重が玄関のブレーカーを確認するもやはりブレーカーは落ちていなかった。

戻ってくる久重が部屋の中央に座る。

 

「今からはさすがにな・・・明日帰りにでも買ってくるか」

 

「虎?」

 

ソラが確認した時にはもうソラの傍に虎はいなかった。

 

プチッと音がして久重が世闇に慣れ始めた目で近くまで寄ってきていた虎を発見する。

 

「どうかしたのか?」

 

「・・・・・・上手く、出来るか分からない」

 

「何がだ?」

 

「借りを返す方法・・・」

 

「別に返さなくても――」

 

虎の手が久重の手を掴んだ。

 

「幇では仕事幾つも・・・ある・・・」

 

「あ、ああ。それで?」

 

「自分は・・・強かったから、しなくても良かった」

 

ジワリと久重の額に汗が浮かぶ。

 

「そうなのか・・・」

 

「でも、男に借りを作ったら・・・大たい皆そうしてた」

 

プチとまた小さな音が響く。

 

当然ながら、虎は下着なんてものを付けてはいない。

 

「ふ、フゥ!?」

 

ソラが驚きの声を上げる。

 

「ソラと・・・してる?」

 

「な、何・・・を・・・」

 

聊か後ろに引き気味になった久重の耳にシュルリと衣擦れの音。

 

暗闇ながらも飛び込んできた視覚情報に久重が顔を慌てて背ける。

 

「男と女・・・一緒に住んでたら、普通はしてる」

 

「いや、ちょ、待て小虎お前!? 凄い誤解し―――」

 

久重が虎を押しのける前にスルリとその胸に重さが掛かり、後ろに倒れた。

 

「初めて名前・・・全部呼んでくれた」

 

その無垢で儚げな喜びと笑顔が久重の脳裏に「結構可愛い奴だな」という一文を表示させる前にソラが慌てた様子で久重と虎の間に入ろうと試みる。

 

「虎!? そ、そそ、そういうのは!?」

 

「ソラも一緒に、したい?」

 

「な?!! な、なな、何言って!?」

 

「落ち着け!? とりあえず落ち着け!? というかさすがに洒落になら――」

 

「これでいい?」

 

シュルリと二回目の衣擦れの音。

 

ソラがパジャマが落ちると慌てた。

 

「ふぁ?!」

 

久重が頬を赤くして首を完全に横へ向けた。

 

もはや暗闇と月明かりの合間で展開される事件をまともに見ていられなかった。

 

「ヒサシゲ。いつもは、どうしてる?」

 

「ぶッ?!! いつもとか無いから、いや!? ありませんですはい!?」

 

ガツッと後ろの壁に後頭部を強打した久重がそれでも何とか壁際まで後退する。

 

「それじゃ、奉仕からでいい?」

 

「ゴフッ?! 何処でそんな単語覚えた!? 女の子がそういう意味でそういう言葉を使っちゃいけませんて習わなかったのかオイッ?!」

 

「? 女なら知っておけって、幹部の女達が・・・」

 

色々な意味で無垢過ぎる少女がそっと上へ跨ろうとして、久重は慌ててその腕に引っかかっていたパジャマを引き上げようとした。

 

「ヒサシゲ?」

 

「・・・こういうのは基本的に日本じゃ好きな奴に対してやるもんだ。少なくとも昨日今日出会った人間にする事じゃない」

 

「そういう、もの?」

 

「ああ、そういうもんだ。だから、こういうのは大事な人が出来るまで取っておけ。いいか?」

 

「・・・分かった」

 

素直に頷く虎に久重が安堵の溜息を吐く。

 

「ひさしげ!!」

 

ソラが慌てた様子で虎の上着をちゃんと着せようとした時だった。

 

いきなり電灯が点いた。

 

『ひさしげ。邪魔するよ』

 

『ひさしげ様。今日のお礼に参りました』

 

「?!!!」

 

久重はその場から逃げ出す事も出来ず、固まってしまった。

 

その一瞬が生死を分けた。

 

「久重。とりあ――――」

 

「ひさしげ様。今日は――――」

 

沈黙。

 

刹那か無限大かもよく分からない沈黙が降りた。

 

一瞬で久重の脳裏に状況が実況される。

 

青年の上にブラも付けていない上半身裸の少女が乗っている。

 

更に青年の手はそのパジャマに掛かっている。

 

更に更に二人目の少女がまるでそのパジャマを脱がす手伝いでもしているような格好で、やはり上半身裸である。

 

パジャマを脱がされかかっている少女は無垢な瞳で自分の守った者を見つけて顔を輝かせ、パジャマを脱がそうとしている少女は裸を見られた為に涙目だが、この場合は脱がすのを強要されたようにも見える。

 

導き出される答えは無論、最悪である。

 

【【・・・・・・・・・】】

 

終始無言で事態が収拾されていく。

 

女四人に男一人という絶望的な状況。

 

完璧な女神のような笑みを浮かべる二人の女。

 

どうしようもないが死にたくない男の本能が逃走を選択しようとするも、久重の足は世界最高の強さを誇るカーボンナノチューブ製の糸で雁字搦めになっていた。

 

久重の視界でふくれっ面のソラが涙目でそっぽを向いている。

 

「久重」

 

アズが微笑む。

 

「ひさしげ様」

 

朱憐が微笑む。

 

「どう見ても誤解だという事を分かってもらえると信じてる。いや、信じたい。ごめんなさい。信じさせてくださいマジで」

 

神も仏も無い地獄とやらが始まるまでの猶予はソラと虎のパジャマが着付けられるまでだった。

 

「さ、行こうか。久重」

 

「何処へッッ?!」

 

「大丈夫ですわ。ひさしげ様」

 

「いや、大丈夫じゃないだろッッ?! 絶対大丈夫じゃないだろッッ!?」

 

ガシリを両腕を二人に引っ張られズルズル外へと向かう久重が最後の望みとばかりに二人の居候に視線を向ける、が・・・虎はよく状況が分からないらしく布団に入って小さくバイバイと手を振っていたし、ソラはまだ涙目で顔を背けていた。

 

「ひさしげの馬鹿・・・」

 

そんな呟きを最後にバタンと小さなアパートのドアは閉まった。

 

アパートを監視していたSP・警察・公安の人間が、その夜の記録を公式に残さなかった事は世の男達にとって幸いな事だったかもしれない。

 

女は愛するものだが、怒らせてはいけない。

 

そんな単純な事を彼らは一生肝に銘じ続ける事となる。

 

その光景を見た誰もが生涯浮気もせず昇進したという事実は後年彼らの集まりでのみ分かる笑い話だが、今はただ男達のこの悲鳴が早く終わって欲しいという祈りばかりが世界を包み込んでいた。


 
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