「さ、さやか! ……匿ってくれ!」
二時間目が終わった瞬間杏子は陰湿な顔というか、
「はい……?」
青白い顔で近づいてくるから、一体何事かと思ったんだけど、
「なんか知らない奴らがアタシにやたらとチョコを押し付けてくるんだ!」
あたしの机にラッピングされた色とりどりなバレンタインのチョコを大量に載せてきた。何これ……? ゲームセンターでよく見るゲーム機のお菓子の山みたい。
「へ、へぇ? それは良かったじゃない?」
拍子抜けしてというか、それ以外の言葉が出てこなかった。思考が停止しかけてた。
杏子がモテるのが羨ましいとか、憎たらしいとかそんなんじゃなくて腹立たしいって、やっぱり憎いのか! う、羨ましくなんてない!
というか女子に人気って、それはそれでどうなのって……少なくともあたしはまどかにあげたし、ほむらにもあげた。恭介にも、仁美にもあげた。お返しもらった!
友だちからもらうなんてどこもおかしくない……はずなんだけどさ、こんなにバレンタインのチョコをもらってる人なんて今まで見たことないよ。男子にしても山のようにって、聞いたこともない。
だから、ある種の幻でもみてるんだとかって勝手に落ち着かせようとすると、
「ふ、ふぇ!?」
杏子が目を開いてあたしの両肩を掴んで揺らしてきた。
「良くない! 全然良くないぞ、さやか!」
その影響でいくつか山からチョコが床に落下するのも全然気にせず、杏子はあたしを揺らし続けた。それでこれは現実なんだって、思い知らされた。
でも、これはこれで――信じられないものを見てる気分だった。杏子はパッケージされてるお菓子だろうがなんであろうが、食べ物を落下させるだけで怒る奴なのに、今の杏子はまるで別人を見てるみたいだった。
その表情があまりにも必死で、
「お願いだから助けてくれよ、頼むからさ!」
「え、えっと、う、うん?」
あたしは気圧されて思わず相槌を打ってしまった。
「それで、何から匿えばいいのよ? あたしに対処できるわけ?」
正直いって――お菓子大好きな杏子がお菓子を跳ね除けて恐怖する事態って一体何かって、興味があった。
杏子が深呼吸して、あたしの肩から手を放したので、落下してたお菓子を山の上に戻してくと、
「なぁ、頼むよ、さやか、一緒のお願いだから、匿ってくれ!」
もう一度同じことを両手で拝みながら言ってきた。ってか、さっき『うん』って言ったじゃん? それぐらい切羽詰まってるの?
こりゃ……明日は雪でも降りそう……というか間違いなくなんかトラブルに巻き込まれる気がする。眉根がぴくぴくした。
「匿うたって、学校の中じゃたかが知れてるでしょ」
隠れる場所なんてそもそも特別教室ぐらいしかない。後ろを見ても、左右を見ても、どの教室に誰がいるかなんて一目瞭然。わからないのは、隣の校舎の中ぐらい。
「じゃぁ、一緒に逃げてくれ!」
杏子にそう言われてから、あたしは問答無用で杏子の手を引いて学校の中を駆け巡ることになった。うん、どうしてこうなったのかって誰でもいいから文句言いたい気分。いや、きっと文句をいうなら、あの時『うん』って言ったあたし自身なんだろうけどさ……、
「……っ!」
あたしたちは同じところをグルグルと、追ってくる人がバラけるように走った。案外みんな……猪突猛進っていうのか、その繰り返しに気が付かないようで逃げること自体は楽だった。とはいってもさ、毎回必ず同じルートを通ってたわけじゃもちろんない。
もしそうだったら、待ち伏せされて――とっくに捕まってた。
……一応それに近い状況にはなったんだけどね……人壁っていうやつですかね、あれは……今思い出すだけでも、寒気がする。
「……ふぃ」
階段を登る足がちょっと震えてる気がする。今もまだ完全に逃げ切れてるわけじゃないから、余計にぞくぞくしてるのかもしれない。
いつ遭遇するかわかったもんじゃないからね。
「なんだよ?」
あたしの右手を握ってる杏子を振り返ったら、憎ったらしい言葉をかけられた。『助けて』って言ってたわりに全然余裕じゃない。
「べ、別に! 何でもない!」
というかなんでそんなに偉そうなのよ!
「ふーん」
「は、はやく屋上まで行くわよ」
震えてるのは寒気だけが理由じゃない――あたしはあの時のことを思い出して、頭が沸騰しそうになってるんだ。杏子にその顔が見られるのが嫌だから、あたしはすぐに正面の階段を見つめて一歩ずつ確実に足を進ませた。ここで立ち止まって、捕まってもしょうがないしね。
「そっちの方はまだ行ってないもんな」
あの時は――廊下の壁を蹴って人壁を超えたもんだから、黄色い声がキンキンに後ろから聞こえてきて、正直鼓膜が破れそうになった。
「う、うぅ……」
あたしも当事者じゃなければ、黄色い声でもあげてたかもしれない。生憎というのか、その状況をつくりだしたのは、あたしたち。正直……今軽く思い出しただけでも恥ずかしさで顔を隠したい気分だった。
だって……杏子にお姫様抱っこされたあたしが人の上空を滑空してたんだよ!
普通にあり得ないでしょ!
確かにそんなこと目の前でされたら――黄色い声の一つや二つ上がっちゃうよねって、今なら思えるんだけど、正直恥ずかしさの方があの時は強かったよ。というか、今でも強い。
「大丈夫か、さやか? あいつらの姿はまだ見えないぞ? 何か問題でもあるのか?」
「な、ないわよ! い、いいから急ぐ!」
手を繋いで引っ張るまではまだ良かったとしても、お姫様抱っこだよ? 生まれてこの方、一回もそんなことされたことないのに、こいつは本当にもう!
「……っ」
一瞬の出来事だったとはいえ、心臓が飛び出しそうだった。また同じことをされたら、本当に飛びかねない。今も頬だけはすっごい熱い。鏡がないからわからないけど、頬なんてもうトマトみたいに真っ赤になってるかもしれない。
そんな肉体的変化があったから、杏子が声をかけてきたのかもしれないけど、その声で余計に思い出せられた。……もしかして、わざとやってたりする?
「まぁ、アタシは別にお前がそういうんなら別に構いやしないけどさ」
兎にも角にも、あたしたちは逃げてた。こんなにも追われるのが怖いんだって、知らなかったよ。魔獣に感情めいたものがあるなら、こんな感情を抱いてるのかな?
キュウべぇがいうには魔獣は負の感情によって生まれた化け物だから、そんなものないって話だけど。
「……はぁ、はぁ……ふぃ、これで少しは撒けたかなぁ?」
やっとのことでたどり着いた屋上の扉を開いて、すぐに見つからないように扉から出て右端の奥まで移動すると、あたしは腰を下ろした。すぐ隣で杏子も胡座をかいた。
「さぁ……な。あいつらは人間だから感知しようにもできないからなぁ、今どこにいるか検討もつかない」
正面からきたら、後ろから逃げればいいし、逆に入ってきた扉からきたなら真正面に逃げればいい。反対側にあるもう一つの校舎の屋上からこっちが見えるから、それで発見されるかもしれないけど、その生徒たちがここに辿り着いた時はもう既にあたしたちは屋上にいない。裏をかいて――反対側に逃げる。逃げ方自体はもう頭の中にある。
それ自体はいいのだけど、
「なんとか、ならないの?」
念の為に言葉にすると、
「んー、どうだろう。あいつら魔獣並にしつこいからな……ってか、そんなん質問するまでもないだろう?」
首を傾げられた。
「そう、だね」
魔法少女で走り慣れてるとはいえ、ほぼ全校の生徒、それも女生徒を相手にするとなると、相当なルートの構築と、スタミナが必要だった。あたしは癒しの力でなんとかなってたんだけど、杏子は魔獣との闘いに慣れてるせいもあってか、呼吸すら乱してない。
あたしが『ぜぇぜぇ』言ってるのが何か馬鹿にされてる気がして、癪に障ったけど……あの時あんな表情されてお願いされちゃぁ、さやかちゃんも考えないでもないんですよ?
まぁ……実際のところ、杏子一人でも逃げ切れるんじゃないかって思う。こいつ、普段から体育でも魔獣相手でも足が早いしね――それこそ……あたしをお姫様抱っこしてって、人壁を飛び越えるぐらいだし。
「っ……!?」
もうあの時のことを思い出すのはやめようと首を左右にふる。
「どうかしたか?」
「どうかしたか、じゃない! どうかしたんだよ!」
「な、なんだよ、怒るなよ? 今は怒るより少しでも休んだ方が得策だろ?」
そりゃ、そうだけど……誰のせいでこんなトラブルに巻き込まれて……誰のせいで黄色い声を浴びたと思ってるのよ。
「……はぁ」
ようやく一息つけたところで、
「学校の外に出ればよかったんじゃない?」
頭にふとそんな考えが過ぎった。
「ばーか……まだ授業あるだろ?」
でもそれはすぐに杏子に首を傾げられた。
「あぁ……」
そうだった。今は昼休み……まだ半分近く授業が残ってると思うと憂鬱になりそうだった。というか、授業はまだいい……その間々にある休み時間が問題。
その度にこの地獄のような鬼ごっこがずっと続くのかと思うと、今すぐにでも早退したい気分だった。
『うん』って、答えなきゃ良かったなって思う時にはもう遅くて――三時間目の休み時間には、
『あ、あの佐倉さんに渡してください!』
中間地点の役割人としてあたしも狙い始められた。だから、二人でこうして逃げる羽目になってる。
普段から一緒にいるし、まどかや、ほむら、マミさんよりも学校の敷地内で仲良さそうに見せてたのが原因かもしれない。あたしの家に下宿してる情報は既に校内に浸透済みだったみたいだし……知っておくんだったよ。杏子の人気とかさ……。
あたしがそんな騒動に巻き込まれたこともあってか、ほむらの奴はまどかを杏子に近づけないようにってか、あたしにも近づけないようにガードし始めた。明らかに頼りにするなと門前払いされてた。
唯一頼りになるはずだったマミさんは、今日寝込んでてなぎさに面倒を見てもらってる。
だから、あたしたちで解決するしかない。相手はただの人間だから、魔法を使うわけにもいかない。まぁ……自分には使ってるんだけどさ。
「……お腹空いたな」
「今なら時間あるから、少し食べれるんじゃない?」
それこそ休憩するなら、いっそのことご飯まで済ませた方が今後に支障がでないと思う。食べてすぐ動いちゃいけないって、マミさんに怒られそうだけどそんなこと言ってる状況でもないしね。
逃げ出す時にどこかで食べる時があるかもとカバンを持ちだしてきて正解だった。
「そうだな、とりあえずこれにするか」
杏子は自分のカバンの中からバレンタインのチョコを取り出し適当にカバーを外すと、チョコを頬張りはじめた。甘い匂いがこっちまで飛んできた。
「それ、今食べるんだ」
お弁当じゃないの?
「当たり前だろ、これはあたしがもらったんだから、あたしが食べる。別に飯ってのはかならず飯じゃなくていいだろ?」
それマミさんの前で言ったら、怒ってくるよ。それに食べるなら、
「じゃぁ、こうやって逃げなくてもいいんじゃないの……」
全部もらって食べれば問題解決、簡単な答えだった。
「……それは嫌だ」
子供みたいなわがままに、
「なんだよ! 笑うなよ!」
「ごめん、ついね!」
口がにやけてしまう。
「……ここまで逃げてきて言うのもあれなんだけどさ」
あたしはカバンの中から赤と緑のストライプ柄にラッピングされた箱を発見すると、
「杏子にはいらないよね? いっぱいあるし」
杏子用に残しておいたバレンタインのチョコを取り出して、見せた。
「えっ――?」
なんで残念そうな顔なのよ。しかもどうして、手を伸ばしてくるのよ? まだ食べかけでしょ、その手にあるのは!
「い、いらなくない!」
赤く頬を染めながら、食べかけてたチョコを一気に口へ放り込むと、両手をまるで水を掬うみたいにこちらへと、向けた。
「べ、別にさやかのが欲しいとか、特別に欲しいってわけじゃないからな! 」
「何それ……」
やってることと言ってること違うじゃない……。
「だから、なんで笑うんだよ!」
「べ、別におかしくて笑ってるわけじゃ、くははは」
笑いすぎて、お腹が痛くなりそう。
「マミさんと一緒に作ったやつだから、まどかたちのと中身は一緒だけどね」
「でも、さやかのだ。さやかが作ってくれたのに違いない」
お腹を抑えながら片手でチョコを渡すと、
「……おう」
杏子はそれをしばらく見つめながら黙りこんで、カバンの中になぜかしまった。
「えっと、なんでしまうの……?」
気になって、つい言葉が出た。
「別に後で食おうが、今食おうがアタシの勝手だろ?」
「そうね」
確かにその通りだわ。
あたしは普通にお弁当を開いて食べようかとお弁当をカバンの中から取り出すと、
「……これお前の分な」
「白い箱……?」
ラッピングされてない箱をお弁当の上に乗っけられた。
「こういうのは……交換しあうんだろう?」
「あぁ、これバレンタインのチョコなのね」
……何かの景品かと思った。こいつ……やたらとゲームセンターの景品をあたしに押し付けてくるんだよね。おかげであたしの部屋はその景品で圧迫されつつある。
そのくせ、こいつ他の誰にもあげようとしないんだから、不公平だよね……誰かにあげなくたって、最終的にうちの中に置かれるんだもの。お母さんも気にしてないし、被害感じてるのはひょっとしてあたしだけ……?
あぁやだやだ、やめよこんな考え。もらえるものはもらう。それでいいじゃん。杏子っぽい考え方だけど、
「なんだよ、お前はここで食べるのか?」
あたしは白い箱に手をかけた。
「うーん、これから走ったら、この箱の中ぐしゃぐしゃになっちゃうかも……だしさ」
既になってるかもしれないという可能性もあったけど、折角もらったのをぐしゃぐしゃにしちゃうのはなんか悪いなって。
もちろん杏子みたいに家まで大事に持って帰って食べたい気持ちもわからなくもない。それが本命チョコとかだったら、なおさら目の前で食べられたりすると、こっ恥ずかしくなっちゃうしね。
「……アタシはそれでもいいけどな」
じゃぁ……なんでそうあからさまに視線を逸らすのよ?
「ふーん、そう」
そんな杏子は置いておいて、早速白い箱を開けると、
「え、えーとハートマーク……? にしてはなんか形がいびつなような……?」
ハートマークっぽいチョコが壊れてない状態で中に収まってた。どこか削れてるわけじゃない……よね?
それにあたしの声一つ一つにどうしてだか、杏子の肩が震えてるように視界の隅の方で見えた。
「あぁ、なるほど――もしかして、これ杏子が作ったの?」
かぁーとわかりやすく真っ赤になった杏子は、
「な、なんだよ! アタシが作っちゃ、ダ、ダメなのかよ! い、いらないなら、返せよ!」
そうはいうけど、杏子は視線を明後日の方向に向けて、返して欲しいなんて意思表示がどこにもなかった。
『食べて欲しいなら、食べて欲しい』って言えばいいのに、ほんとこいつは素直じゃないなって、そう思いながら一口サイズにした杏子のチョコを口にすると、
「ねぇ、あんたこれ……?」
違和感がした。
「なんだよ、アタシのチョコがうまくないって言うつもりなの……か?」
あたしの不安めいた声に杏子がやっとこっちを振り向いたのだけど、まだ顔は赤い。さっきはあたしがそうさせられたのだから、気にする必要はどこにもないのだけど、
「なんだよ! 不満そうな顔しやがって! 食ったんならはっきり言えよ!」
いや、美味しいって話どころじゃない。
「ううん……」
こんな間違いするのは杏子らしいけどさ、
「甘くないチョコって新鮮だなって、思っただけだよ」
甘くないチョコもあるだろうけど、これは塩っぽい。明らかに材料が違う気がする。
「そんなことは――」
そういって、杏子も一口サイズにちぎってチョコを口にして、
「あれ……おかしいな、マミのやつに手伝ってもらったのに、なぎさが『これを入れるのデス』っていうから、入れたんだけど違ったのか?」
自分の作ったものなのに、首を傾げた。
「あんたねぇ、まさかとは思うけどチーズ入れたの?」
「まさか、アタシでもそんなのいれねぇよ!」
あぁ、最悪な状況ではなかったのね……。
「……おっかしいなぁ。試作品の時にはこんな味がしなかったのに……どうして」
杏子の顔にはもう赤さはなくて、逆に青白くなりかけてた。
もう、こいつはしようがないなぁと、
「でも、『あんたが作ってくれたのに違いない』んでしょ?」
あたしは白い箱にあるチョコを次々に口にしてった。
「お、おい……」
「これで、完璧」
白い箱の中にはチョコのかけら一つなくなった。代わりに口の中が塩辛いけど、杏子に辛い顔されるのは嫌だし、
「んっ――杏子、聞こえた?」
「えっ!? あぁ、階段の下の方だな?」
一瞬虚を突かれた表情をしたかと思うと、真剣な表情になってあたしに頷いた。
「あぁ、結局お弁当は食べれずじまいかぁ」
お弁当と、白い箱をカバンの中へと入れると、
「チョコは食べられただろ?」
真面目な顔を向けられたので、
「チョコまがいなもののならね!」
皮肉をこぼした。
あたしに『こいつ!』と杏子が手を伸ばそうとした時にはあたしは既に立ち上がって、正面にあるにある扉へと向かってた。
「おい、さやか待てよ!」
「待たないよ、あははは!」
あたしを追う鬼がまた増えてしまった。
でも、杏子ならそう悪くないかもなって、思った。
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
バレンタインデー、それは少女たちを追いかける地獄の鬼ごっこ。