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本艦は、大正9年「八八艦隊計画」にのっとり起工された。「金剛型」「扶桑型」「長門型」に続き、その性能をさらに強化しつつ建造費用を抑えた意欲的な新型艦であったが、各国の建艦競争の激化を懸念して締結された「ロンドン軍縮条約」および「ワシントン軍縮条約」により、戦艦の保有数が制限されることになり、建造が中断された。
次善の策として、建造途中だった新鋭戦艦「天城」「加賀」の2隻を改造し、航空母艦へと転用することが計画された。
しかし、そこに関東大震災が発生。「天城」は建造中の台座から滑り落ち、竜骨に深刻な損傷を受けた。
調査により、修復は困難と判断され、空母へと転用されるのは一番艦の天城ではなく、二番艦の「赤城」となった。
こうして、天城型巡洋戦艦一番艦「天城」は解体処分、加賀型主力戦艦二番艦「土佐」は訓練用標的艦とされ、歴史の流れから脱落することになる。
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