No.660355 クロッカス(C→D)2014-02-04 00:04:34 投稿 / 全1ページ 総閲覧数:1011 閲覧ユーザー数:1010 |
声が聞こえる。
朝・昼・夜と、絶えず聞こえる声。
聞こえる声の主である彼は、以前、別な男を話し相手にしていた。今は、私が彼の聞き役になっている。
いや、とうに「彼」は私の代弁者だ。
「やあ、カスティエル」
幻のルシファーが、病室に備え付けられている椅子に座って笑う。私を責め立て、煽り、言葉で嬲っていた男は、すぐに導き手と変わった。
「お前の罪が呼んでるぞ?」
ルシファーは立ち上がり、両手を空中に広げて部屋中を歩き回る。
「ほら、聞こえるだろ?お前のためだけのコーラスだ」
彼の言葉で、一瞬にして真っ白な病室の世界が一変する。血の海に人間が横たわり、同胞であった天使は羽を焼かれた骸と化す舞台へと。力におごった罰という幻の観劇に、今日も囚われる。
朝が来た。
「おはようカスティエル、朝ご飯よ」
扉を不躾に開けた女性が、トレイを片手に入ってきた。トレイの乗せられている皿の上には、彼女の言う朝ご飯が無造作に置かれている。
扉の横にある机に、彼女がトレイを置いた。ガチャンという金属音が鼓膜に響いて、これらが現実に存在しているのだと気づいた。
「おはよう」
私は現実の彼女に挨拶を返す。
「暇そうね、あんた」
私が暇かそうではないかは分からないが、彼女が暇そうと言うならば、私は暇ということだ。
「そうだな、暇だ」
「散歩でもしたら。あんたいつも娯楽室ばっかりでしょ。たまには気分でも変えたらどう?」
自分がどんな気分でいるのか自分では分からないが、私は頷いた。今の私には、自分の意志というものは不要だからだ。
「君の言う通り、散歩をする」
朝食後の自由時間を使い、私は施設内の庭に出た。とはいえ散歩をと言われたが、何をすれば良いのか、やはり分からない。結局、私は適当なベンチの端に腰掛けた。
今日は天気が良い。雲にかかっている太陽が時折り顔を覗かせれば、肌寒さも緩和されるのか、周りにいる人の顔の口角が上がる。
私には感じられない温度を、私以外のものは感じている。
「……彼は寒くしていないだろうか」
「彼」が誰かも分からないまま、ふと、自然と口に出た。
きっと看護師の彼女が言っていたように、「気分が変わった」のだろう。霞がかった記憶の中で、男が現れる。
私は座っているベンチの、反対側の端を凝視する。いつかどこかで、「彼」はこのような距離で、私の傍に居ていたようだ。
だが彼は何も言わない。座っているだけ。どうして何も言ってくれないのだろう。何かに耳を傾けているようにも見えるが、真意はそれこそ煙の中。
罪なき者の怨讐の声を浴び続け、足りぬ懺悔と告解に身を浸すしかない私には聞こえない声。
彼は、誰だろう。
何も居ない場所を見続ける私を、男性の看護師が「散歩の時間は終わりだ」と言ってきた。
私は言われるがままに席を立つものの、屋内に戻る時に、一度振り返って誰もいないベンチを視界に納めた。
席を立つのが離れがたいと思ったのだ。
それから次の日も、私は同じベンチの端に座る。横を見るだけで、彼は姿を現す。
相変わらず彼は何も喋らない。私の頭の中では、血まみれの死者が語りかけてくるのに、その中に彼はいない。
整った横顔に見える、ヘイゼルグリーンの目に吸い込まれる。幻だというのに、彼の目には意志の強さと覚悟がにじみ出ていた。
そして、底深くに見え隠れする微かな許容。
彼は、何に対して許しを与えていたのか。注意深く観察していると、微かに彼が頷いた。昨日推測した通り、やはり彼は話を聞いている。私の視線とは決して合わないが、間違いなく、これは私が何かを話したことによる頷きだ。
例え彼の許しが、話を聞くということでも構わない。
私は今、名も知らぬ彼の交差しない眼差しに、安らぎを受けたのだ。
横顔だけでは飽き足らないが、正面から眺めたい欲望は芽生えなかった。きっと当時の私には、この記憶しかないのだ。
彼のことを眺めているだけで、私の中に巣食う償いきれない澱みが薄れると同時に、罪悪感は深くなっていく。
これはどういう感情なのだろう。
「彼は……」
彼よ教えて欲しい。
「彼は、誰なんだ」
声は現実から響いた。
「散歩は終わりだ」
見上げると、昨日と同じ男の看護師が私を見下ろしていた。
私は昨日と同じ動作で男の後ろを付いて歩く。屋内に戻る途中、看護師は、芝生に座って本を読んでいる妙齢の女性にも声をかける。
「リリー、部屋に戻る時間だ」
彼女は聞こえていないのか、本に目線を降ろしたまま口ずさむ。
「これはガーベラ、これはパンジー」
近づいてから分かったが、本は花の写真だった。一つ一つ花を指さしながらページをめくり、花の名前をあげていく。
「そしてクロッカス」
そう言って、彼女はクロッカスのページを看護師に見せた。ハミングする声は歌っているように軽やかだ。彼女の見せた写真の中で、黄色・白・薄紫などの花弁色をクロッカスは色鮮やかに咲かせていた。視界の隅で見えたページには、「耐寒性の球根植物」という説明が添えられている。
だが看護師は彼女の歌を気にすることもなく、「また娯楽室から持ってきたな」とため息で歌を塞ぐ。
「リリー、部屋に戻る時間だよ」
傍まで来ると、ようやく呼ばれたのは自分だと気づいたらしく、彼女は無邪気に微笑んだ。
「いやね、私の名前はローズよ」
「ローズ、部屋に戻ろう」
「ええ、分かったわ」
あっさりと立ち上がり、彼女は一人で室内への扉へ向かう。
私は彼女の後ろ姿を眺めながら、気になったことを看護師に尋ねる。
「彼女の名前を、どうしてリリーと?ローズだろう」
看護師は肩をいさめて教えてくれた。
「彼女はとうに自分の名前を忘れているんだ。リリーもローズも、彼女がいくつもつける自分の名前なんだよ」
あの手に持っている本がお気に入りでね、と付け加えた。
「名前を忘れる……」
それはとても甘い響きに聞こえた。だが、なぜ甘く響いたのかは分からなかった。
私は名前を忘れられない。
私が私を忘れても、導き手の堕天使が私を忘れさせない。
夜が来た。
彼が、やって来た。
「カスティエル」
ルシファーから名前を呼ばれる。
私の罪が暴かれる。
「お前は天使の中では実に面白い存在だな。見えるだろ、お前主催のパーティー会場だ」
病室の床に、幾人もの死体が転がる。部屋中が血濡れに染まり、多重怨鎖の声が耳に響く。
「カスティエル、キャス、お前も歌え」
ルシファーが、どこかのテレビで見た指揮者の真似事か、立てた両方の人差し指を空中に踊らせる。
ローズと名乗る女性の歌とは程遠い、哀しみのコーラス。
「キャス」
私のしたことは間違っているのか。
私のしようとしたことは間違いだったのか。
私は、ただ……
「キャス」
分からない。私には間違いの基準すら、もう分からない。
「聞こえているんだろう」
ルシファーが私の横で、絶えず語りかけてくる。
罪、だとは思う。これが罰なら、そうなのだろう。
聞こえない、聞こえる、聞こえる、聞きたくない。もはやこれが誰からの物かも、もはやどうでも良い。
だが一つだけ、聞きたい声があった。
ベンチで、私の座る反対側に座る彼。
彼は、きっと私の声を聞いている。かつての私の言葉に耳を傾け、頷いてくれた。
彼は誰だろう。
そして彼の知る私は、誰だったのだろう。
「……彼(か)の者よ」
きっと彼なら、捨てられない私の名に意味があるのを知っている。
「僕の声が聞こえている君よ……」
君の姿が私の罪を鮮明にする。
君の瞳が私の罰を深くする。
そんな君という存在が、私の魂を震わせる。温度の分からない私の心が、暖かくなる。それはつまり、今の私は寒いのだ。
「君がいない僕は冷たい」
きっと僕は、彼が好き。
きっと彼も、嫌いじゃないと良い。
あの許しを宿した表情をずっと眺めていたい。幻の中でも聞こえない声を聞きたい。
そして教えて欲しい、私が好きに違いない君の声で。
ローズと名乗った彼女の、クロッカスと歌った声が血濡れの病室に、異質に混ざって消えた。
―そしてクロッカス。
耐寒性の花が記憶からこぼれ落ちずに咲いている。
私は想像の中で、その花弁を撫でる。
ああ、君にも触れてみたい。
私は私では贖いきれない、私の劇場からは出られない。指揮者はルシファー。演者は私の罪で死んだ人間や同胞たち。壇上から響く罪状のコーラスを、たった一人で観客席から眺めている。
かつてあった現実。今は終わりなき幻の観劇。
席から離れることを許されない私には、外にいる君を探すことは出来ない。
だから私が出来ることは一つだけ。
君を眺めたい、君の声を聞きたい、君に触れたい、そして、かつてではなく今の私に許しを施して欲しいから。
「私は、あなたを待っている」
了
クロッカスの花言葉「あなたを待っています」
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SPN のS7、キャスがサムの幻覚を請け負った院内での話。
兄貴出てませんが、C→Dです。
花言葉を台詞の最後にしております。
ムーパラ2/23 G08 (C)TEAbreak!!! C/Dスペで参加。BBCシャロクのJ/Sもあります。