No.660355

クロッカス(C→D)

SPN のS7、キャスがサムの幻覚を請け負った院内での話。
兄貴出てませんが、C→Dです。
花言葉を台詞の最後にしております。
ムーパラ2/23 G08 (C)TEAbreak!!! C/Dスペで参加。BBCシャロクのJ/Sもあります。

2014-02-04 00:04:34 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1011   閲覧ユーザー数:1010

 声が聞こえる。

 

 朝・昼・夜と、絶えず聞こえる声。

 

 聞こえる声の主である彼は、以前、別な男を話し相手にしていた。今は、私が彼の聞き役になっている。

 

 いや、とうに「彼」は私の代弁者だ。

 

「やあ、カスティエル」

 

 幻のルシファーが、病室に備え付けられている椅子に座って笑う。私を責め立て、煽り、言葉で嬲っていた男は、すぐに導き手と変わった。

 

「お前の罪が呼んでるぞ?」

 

 ルシファーは立ち上がり、両手を空中に広げて部屋中を歩き回る。

 

「ほら、聞こえるだろ?お前のためだけのコーラスだ」

 

 彼の言葉で、一瞬にして真っ白な病室の世界が一変する。血の海に人間が横たわり、同胞であった天使は羽を焼かれた骸と化す舞台へと。力におごった罰という幻の観劇に、今日も囚われる。

 

 

 

 朝が来た。

 

「おはようカスティエル、朝ご飯よ」

 

 扉を不躾に開けた女性が、トレイを片手に入ってきた。トレイの乗せられている皿の上には、彼女の言う朝ご飯が無造作に置かれている。

 

 扉の横にある机に、彼女がトレイを置いた。ガチャンという金属音が鼓膜に響いて、これらが現実に存在しているのだと気づいた。

 

「おはよう」

 

 私は現実の彼女に挨拶を返す。

 

「暇そうね、あんた」

 

 私が暇かそうではないかは分からないが、彼女が暇そうと言うならば、私は暇ということだ。

 

「そうだな、暇だ」

 

「散歩でもしたら。あんたいつも娯楽室ばっかりでしょ。たまには気分でも変えたらどう?」

 

 自分がどんな気分でいるのか自分では分からないが、私は頷いた。今の私には、自分の意志というものは不要だからだ。

 

「君の言う通り、散歩をする」

 

 朝食後の自由時間を使い、私は施設内の庭に出た。とはいえ散歩をと言われたが、何をすれば良いのか、やはり分からない。結局、私は適当なベンチの端に腰掛けた。

 

 今日は天気が良い。雲にかかっている太陽が時折り顔を覗かせれば、肌寒さも緩和されるのか、周りにいる人の顔の口角が上がる。

 

 私には感じられない温度を、私以外のものは感じている。

 

「……彼は寒くしていないだろうか」 

 

「彼」が誰かも分からないまま、ふと、自然と口に出た。

 

 きっと看護師の彼女が言っていたように、「気分が変わった」のだろう。霞がかった記憶の中で、男が現れる。

 

 私は座っているベンチの、反対側の端を凝視する。いつかどこかで、「彼」はこのような距離で、私の傍に居ていたようだ。

 

 だが彼は何も言わない。座っているだけ。どうして何も言ってくれないのだろう。何かに耳を傾けているようにも見えるが、真意はそれこそ煙の中。

 

 罪なき者の怨讐の声を浴び続け、足りぬ懺悔と告解に身を浸すしかない私には聞こえない声。

 

 彼は、誰だろう。

何も居ない場所を見続ける私を、男性の看護師が「散歩の時間は終わりだ」と言ってきた。

 

 私は言われるがままに席を立つものの、屋内に戻る時に、一度振り返って誰もいないベンチを視界に納めた。

 

 席を立つのが離れがたいと思ったのだ。

 

 それから次の日も、私は同じベンチの端に座る。横を見るだけで、彼は姿を現す。

 

 相変わらず彼は何も喋らない。私の頭の中では、血まみれの死者が語りかけてくるのに、その中に彼はいない。

 

 整った横顔に見える、ヘイゼルグリーンの目に吸い込まれる。幻だというのに、彼の目には意志の強さと覚悟がにじみ出ていた。

 

 そして、底深くに見え隠れする微かな許容。

 

 彼は、何に対して許しを与えていたのか。注意深く観察していると、微かに彼が頷いた。昨日推測した通り、やはり彼は話を聞いている。私の視線とは決して合わないが、間違いなく、これは私が何かを話したことによる頷きだ。

 

 例え彼の許しが、話を聞くということでも構わない。

 

 私は今、名も知らぬ彼の交差しない眼差しに、安らぎを受けたのだ。

 

 横顔だけでは飽き足らないが、正面から眺めたい欲望は芽生えなかった。きっと当時の私には、この記憶しかないのだ。

 

 彼のことを眺めているだけで、私の中に巣食う償いきれない澱みが薄れると同時に、罪悪感は深くなっていく。

 

 これはどういう感情なのだろう。

 

「彼は……」

 

 彼よ教えて欲しい。

 

「彼は、誰なんだ」

 

 声は現実から響いた。

 

「散歩は終わりだ」

 

 見上げると、昨日と同じ男の看護師が私を見下ろしていた。

 

 私は昨日と同じ動作で男の後ろを付いて歩く。屋内に戻る途中、看護師は、芝生に座って本を読んでいる妙齢の女性にも声をかける。

 

「リリー、部屋に戻る時間だ」

 

 彼女は聞こえていないのか、本に目線を降ろしたまま口ずさむ。

 

「これはガーベラ、これはパンジー」

 

 近づいてから分かったが、本は花の写真だった。一つ一つ花を指さしながらページをめくり、花の名前をあげていく。

 

「そしてクロッカス」

 

 そう言って、彼女はクロッカスのページを看護師に見せた。ハミングする声は歌っているように軽やかだ。彼女の見せた写真の中で、黄色・白・薄紫などの花弁色をクロッカスは色鮮やかに咲かせていた。視界の隅で見えたページには、「耐寒性の球根植物」という説明が添えられている。

 

 だが看護師は彼女の歌を気にすることもなく、「また娯楽室から持ってきたな」とため息で歌を塞ぐ。

 

「リリー、部屋に戻る時間だよ」

 

 傍まで来ると、ようやく呼ばれたのは自分だと気づいたらしく、彼女は無邪気に微笑んだ。

 

「いやね、私の名前はローズよ」

 

「ローズ、部屋に戻ろう」

 

「ええ、分かったわ」

 

 あっさりと立ち上がり、彼女は一人で室内への扉へ向かう。

 

 私は彼女の後ろ姿を眺めながら、気になったことを看護師に尋ねる。

 

「彼女の名前を、どうしてリリーと?ローズだろう」

 

 看護師は肩をいさめて教えてくれた。

 

「彼女はとうに自分の名前を忘れているんだ。リリーもローズも、彼女がいくつもつける自分の名前なんだよ」

 

 あの手に持っている本がお気に入りでね、と付け加えた。 

 

「名前を忘れる……」

 

 それはとても甘い響きに聞こえた。だが、なぜ甘く響いたのかは分からなかった。

 

 私は名前を忘れられない。

 

 私が私を忘れても、導き手の堕天使が私を忘れさせない。

 

 夜が来た。

 

 彼が、やって来た。

 

「カスティエル」

 

 ルシファーから名前を呼ばれる。

 

 私の罪が暴かれる。

 

「お前は天使の中では実に面白い存在だな。見えるだろ、お前主催のパーティー会場だ」

 

 病室の床に、幾人もの死体が転がる。部屋中が血濡れに染まり、多重怨鎖の声が耳に響く。

 

「カスティエル、キャス、お前も歌え」

 

 ルシファーが、どこかのテレビで見た指揮者の真似事か、立てた両方の人差し指を空中に踊らせる。

 

 ローズと名乗る女性の歌とは程遠い、哀しみのコーラス。

 

「キャス」

 

 私のしたことは間違っているのか。

 私のしようとしたことは間違いだったのか。

 私は、ただ……

 

「キャス」

 

 分からない。私には間違いの基準すら、もう分からない。

 

「聞こえているんだろう」

 

 ルシファーが私の横で、絶えず語りかけてくる。

 罪、だとは思う。これが罰なら、そうなのだろう。

 聞こえない、聞こえる、聞こえる、聞きたくない。もはやこれが誰からの物かも、もはやどうでも良い。

 

 だが一つだけ、聞きたい声があった。

 

 ベンチで、私の座る反対側に座る彼。

 

 彼は、きっと私の声を聞いている。かつての私の言葉に耳を傾け、頷いてくれた。

 

 彼は誰だろう。

 

 そして彼の知る私は、誰だったのだろう。

 

「……彼(か)の者よ」

 

 きっと彼なら、捨てられない私の名に意味があるのを知っている。

 

「僕の声が聞こえている君よ……」

 

 君の姿が私の罪を鮮明にする。

 君の瞳が私の罰を深くする。

 

 そんな君という存在が、私の魂を震わせる。温度の分からない私の心が、暖かくなる。それはつまり、今の私は寒いのだ。

 

「君がいない僕は冷たい」

 

 きっと僕は、彼が好き。

 きっと彼も、嫌いじゃないと良い。

 

 あの許しを宿した表情をずっと眺めていたい。幻の中でも聞こえない声を聞きたい。

そして教えて欲しい、私が好きに違いない君の声で。

 

 ローズと名乗った彼女の、クロッカスと歌った声が血濡れの病室に、異質に混ざって消えた。

 

―そしてクロッカス。

 

 耐寒性の花が記憶からこぼれ落ちずに咲いている。

 

 私は想像の中で、その花弁を撫でる。

 ああ、君にも触れてみたい。

 

 私は私では贖いきれない、私の劇場からは出られない。指揮者はルシファー。演者は私の罪で死んだ人間や同胞たち。壇上から響く罪状のコーラスを、たった一人で観客席から眺めている。

 

 かつてあった現実。今は終わりなき幻の観劇。

 

 席から離れることを許されない私には、外にいる君を探すことは出来ない。

 

 だから私が出来ることは一つだけ。

 

 君を眺めたい、君の声を聞きたい、君に触れたい、そして、かつてではなく今の私に許しを施して欲しいから。

 

「私は、あなたを待っている」

 

 

 

クロッカスの花言葉「あなたを待っています」

 

 

 


 
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