第二十一話 天命
夜霧。
そう言うには黒過ぎる粒子が辺りを覆っていた。
纏わりつく瘴気は天を覆う程に高く。
その元凶たる黒の人型は炎上するビルと辺り全体を覆う薄氷の世界を背に久重とソラの前に立ちはだかる。
【大香炉(ポタフメイロ)】
そうソラに呼ばれた人型達がゆらりと四つん這いの姿勢から立ち上がる。
背は優に三メートルは越えるだろう細くしなやかな姿態。
目も耳も鼻も口も無い。
無貌(むぼう)。
「こいつら、何なんだ?! 【連中】ってのの手先か?」
「ひさしげ」
ソラが久重の手を己の胸へと押し当てた。
驚く久重の手の中へと硬い感触。
横目に確認した久重は己の手の中に黒い塊が現れたのを知った。
「先に行って」
「ソラ!?」
久重には己の手の中のソレが何なのかすぐに解った。
ソラ・スクリプトゥーラという少女の唯一にして最大の切り札。
【D1】と呼ばれる【ITEND】の集積制御装置。
それ無くして少女は今まで生き残れなかった。
少女にとって力の全てとも言えるソレを他人に渡す行為は正気の沙汰ではない。
五体の敵を前にして、何を言い出すのかと久重はソラに視線だけで問い掛ける。
「もう増殖は完了してる。本体が無くても力を使うのに支障は無いから」
「いや、でも、どうやって」
久重の慌てた声に静かにソラが告げる。
「大丈夫。ひさしげが望めば【D1】はちゃんと力を解放してくれる。ほら」
ソラの声と同時、久重の手の中にある黒い塊が解(ほど)けて空気へ溶けるように消えていった。
「―――これが【D1】」
久重は全身が軽くなっていくのを感じた。
更には視界に様々な情報が流れ込んでくる。
ビルの見取り図やら現在の自分の肉体の状況やら現在使用できる武器とプログラムの一覧やら。
「ちゃんとひさしげにも解りやすいようにしておいたから」
「大丈夫、なのか?」
「うん。此処は任せて早く」
久重が唇を噛んだ。
「こいつらは人間を侵蝕するの。NDが無い人間は近づくだけでも脳にダメージを負う。こいつらを送り込んできた【連中】の意図は解らないけど、早くしないと手遅れになる」
久重が白くなる程に拳を握り締めた。
「すぐ戻ってくる。無理は絶対するな」
緊迫している状況にも関わらず、ソラは笑みが零れるのを止める事が出来なかった。
「うん」
「すまない!!」
久重が真正面から大香炉の群れへと突っ込んだ。
右手が輝きを帯びる。
その手の脅威を感じ取ったのか。
五体の大香炉が咄嗟に脇に退く。
中央を突破していく久重の背後へと殺到しようとした五体が振り向こうとして更に跳び退った。
虚空に突如として現れる輝き。
超高温の明滅が暗い辺りを一瞬だけ浮かび上がらせた。
「行かせない。ひさしげは、私が守る」
身を低く構えたソラが瞳を細める。
その貌に浮かぶ苛烈な視線が五体の大香炉を射抜き、再び世闇が明滅する。
No.03“fire bag”
【D1】に登録されたプログラムの一つ。
糸状にしたNDを対象の特定部位に複数貼り付け、急激に熱量を放出する事で一点の温度を急激に上げる。
本来は溶接作業用のプログラム。
現在は燃えるビルから放出される熱量を吸収し、威力は普段の数倍にまで上がっている。
【………】
五体の大香炉の内一体が久重を追おうとして、その両足が明滅と共に融け崩れた。
全ての個体がソラへと体を向ける。
ソラは僅かに唇を噛んだ。
「あなた達が本当は人間だった事。巻き込まれてそんな姿にされた事」
大香炉達がソラとの間合いをジリジリと詰め始める。
「謝っても赦されないのは解ってる」
ソラは僅かに震えていた。
「でも、私はひさしげを守りたい。だから」
黒い巨体がソラへと殺到する。
「ごめんなさい」
脚部を融かされて明らかに移動速度が鈍かった一体の頭部がトプンと明滅と同時に融けた。
ワンステップで背後へ跳躍したソラに追い縋ろうとする残りの大香炉の動きが止まる。
同時に闇に紛れていたものが姿を現す。
薄氷に覆われたビルや道を薄く黒いベールが隔てていた。
【CNT defender】
NDによって編みこまれたカーボンナノチューブによる対弾防御機構。
その強度は相手が見える程に薄い布でも対戦車ライフルの弾丸を止める。
そんな強度を誇るベールが幾重にも重なって外界と内部を隔て四体の巨躯を浮き彫りにさせた。
ソラが両腕を背後へと引く。
全ての巨躯が釣られた魚のようにソラへと無理やり引きずられた。
「“fire bag”readjust mode HALO」
ソラが前へと踏み出す。
大香炉達が少しでも傷を負わせようとするが、ベールに絡め取られて思うように動けなかった。
ソラが化け物立の真横を通り過ぎる。
【……?】
大香炉達がベールを何とか切り裂き終えて気付く。
――――体の大半がまるで何かに抉られたように消えていた。
黒い瘴気が断末魔を上げる。
行動不能に陥った四体の巨躯が次ぎの行動を取る前に頭部を明滅させられ、融けた。
闇の中で赤熱し融け崩れていく巨躯が映し出したのは抉られた体が少女の周りに落ちて同じように解け始めているという事実。
ソラと大香炉達が交差した刹那に起きたのは“fire bag”による線の攻撃だった。
従来の一点へと熱量を注ぎ込む使い方とは違う。
点ではなく線となった“fire bag”は融かし崩すのではなく、融かし斬る。
背後に擦り抜けた時点で肉体の大部分を抉られてしまった四体にはもうソラの攻撃を避けるだけの余力など残ってはいなかった。
「さようなら」
目を伏せ黙祷した少女の背後には未だ余熱を持って輝くNDの輪が幾つか見て取れ、従来よりも多量の熱量を点ではなく線で出力したのは明らかだった
NDで構成さえた輪はホロホロと儚く崩れて消える。
「ひさしげ・・・」
久重を追う為にビルへ突入しようとしたソラの耳に叫びが聞こえた。
振り向いたソラが目を細め、NDによる情報収集プログラムを起動する。
近くで未だ生きていた情報端末の一つに侵入。
カメラ機能を起動。
映像がソラの瞳に張り付くNDから出力される。
完全武装の警察官らしき十数名が大香炉数体に襲われていた。
警察官の一人が解けた大香炉の一体に取り込まれる。
【松井ぃいいいいいいいいいいいい!!!!】
叫び声が聞こえる。
ザリザリとカメラからの画像がブレて途切れた。
大香炉の撒布するNDが端末を焼き切ったに違いなかった。
迷ったのは一瞬。
(此処で見捨てたら・・・ひさしげに胸を張れない!)
ソラの足はビルではなく背後の道へと向かっていた。
*
ビル周辺が慌ただしくなった頃。
息を切らしながら朱憐は狭いダクト内部を進んでいた。
「大丈夫?」
「は、はい・・・大丈夫・・・ですわ」
背後の虎(フウ)が平静な声を出しているのに年上である自分がどうしてこんなに弱いのか。
「大丈夫」
そう思い直した朱憐はハッキリとそう口にした。
「そう、ならいい」
二人で進むダクト内には薄く煙が充満している。
胸が苦しくなるものの、それでも二人はダクトを延々と渡っていた。
「この先、エレベーターシャフトある」
「そこから下へ?」
「そう。爆薬爆発したら、下の通路から逃げて主導権握る作戦」
「・・・教えていいのですか?」
「もう、関係ない」
虎の僅かに沈んだ様子が朱憐にあの映像を思い出させていた。
虎と共に閉じ込められてから数時間。
何かと話しかけていた朱憐と虎の間には犯人と被害者というより、何処か友達とお茶でもしているような空気が流れていた。
そんな空気が変わったのは日付も変わろうという時間帯。
いきなり虎が険しい顔つきで懐から端末を取り出したところから始まる。
虎が何か信じられないような顔つきになった後、取り出した端末を操作して何かの映像を見ながら凍り付いた。
その様子に警官隊でも突入したのだろうかと疑問に思った朱憐が数回虎に呼び掛け、我に返った虎は何かを悩んだ後、端末を朱憐にも見せた。
その端末の画面には幾つかの監視カメラの映像が流れていた。
問題は全ての監視カメラの映像に黒いものが蠢いていた事。
「警官隊、違う・・・」
人間が黒いものに取り込まれていた。
ビクビクと体の一部が黒いものの中から出て痙攣している。
カメラが一台ずつブラックアウトしていく中、ハッキリとは解らなくても・・・映っていた人間がどうなったのかすぐに想像は付いた。
「な、何ですのアレ!?」
「知らない。日本の?」
虎の疑問に思い切り首を横に振って否定した朱憐は何が起こっているのかと体を震わせる。
「今、八階突破された」
「虎・・・さん?」
虎が唇を噛んで何かを考えていたが、朱憐に瞳を向けると僅かに見つめ、拳を握った。
「仲間、アレに食われてる・・・アレ増えた」
「え?」
虎にどうしてそんな事が解るのかと疑問に思う前に虎が片目を手で覆う。
「たぶん、最新型のND機械、みたいなもの・・・爆薬で、完全に壊れてない。ダメ・・・止められない・・・」
虎の瞳に何が映っているのか朧げに朱憐は理解した。
「BMI義眼・・・」
「退却しない?! でも、勝てない。それ無理・・・」
ブツブツと独り言を言う虎の表情がどんどん泣きそうになっていく。
やがて、轟音が部屋を揺さぶった。
「・・・あ」
ガクリと崩れ落ちた虎が両手を床に付く。
その片目からは一筋だけ涙が零れていた。
それで何があったのか察した朱憐は虎に初めて近づいた。
不意に近づいた朱憐に染み付いた動作で虎が銃を向ける。
しかし、朱憐は止まらずにそのまま虎を抱しめた。
「――――――?」
朱憐を見上げてくる左目は哀しみに染まっていた。
「虎さん」
ただ名前だけを呼ばれ、そっと抱しめられた虎の手が銃を無意識に下ろす。
優しい朱憐の手にされるがまま撫でられていた虎はしばらく無言だった。
「しゅれん」
そう切り出した虎の表情にもう哀しみは無かった。
ただ、決意の感情だけが乗っていた。
「はい。何ですか虎さん?」
「逃げる。このままだと、死ぬ」
虎が立ち上がる。
そのまま朱憐に手を差し出した。
「・・・しゅれん、死なせたくない」
「虎さん・・・」
手を取った朱憐が立ち上がると真っ直ぐに虎が瞳を見た。
「信じて・・・貰いたい・・・」
「はい」
朱憐は切迫している状況にも関わらず微笑む。
二人はどうにかして逃げようとしたものの扉が開かず、監視カメラの映像が途切れた事から包囲されたと気付いた虎は見つけたダクトの入り口へと朱憐と共に逃れた。それから複雑に入り組んだダクトを二人は這い続け、ようやく目的の場所まで来る事に成功していた。
「次の角を右」
「はい」
答えと同時だった。
ダクトが大音響を立てて揺さぶられる。
「きゃ?!」
思わず縮こまった朱憐に虎が大丈夫だと告げる。
「たぶん、置いてきた手榴弾」
「え?」
「入り込んでくるものあったら、線が切れて爆発する。今ので距離解る。百メートル」
朱憐は百メートルという生々しい距離に息を呑んだ。
あの黒い人型。
人間を食って増えるという悍(おぞま)しい怪物。
それがすぐ傍にいるという事実に冷や汗が止まらなくなる。
「い、行きましょう」
コクンと頷いた虎に促されて更に這う速度を速めた。
すぐダクトの終着点に付く。
しかし、ダクトの終端はボルトで止められた格子が嵌っていた。
朱憐の気が遠くなる。
「大丈夫、少しだけ退く。耳塞いで」
朱憐がその言葉に従う。
僅かに身を捩って開いた狭い隙間から銃だけが出され、正確に四隅のボルトを打ち抜いた。
「すぐにアレ来る。シャフトの中、ロープある。飛び移って、足持つ」
「は、はい」
格子が外れ落下する。
そのまま急いで上半身を出した朱憐は底の見えない虚空に眩暈がした。
しかし、化け物がいつ襲ってくるかも解らないという状況にこうしてはいられないと虎に貰ったペンシル型のライトを点灯してロープを探す。
すぐにロープは見つかった。
手を伸ばせば届くだろう範囲。
グッと上半身を引き出した時だった。
ダクトに異様な音が反響した。
「来た!!」
(?!)
朱憐が慌ててロープを掴んだ瞬間、足が虚空へと放り出された。
後に続いて虎が這い出た。
その手を掴んだ朱憐に引き寄せられ、ロープに片手でしがみ付いた虎が銃を正面に向けて撃つ。
一発、二発、三発。
一発目の火花で目標である反対側に固定していたロープを見つけ、二発目で狙いを付け、三発目で命中させた途端、ダクト内部から黒く長い腕が迫り出した。
「――――――?!」
その腕を真直に見てしまった朱憐が叫ぶより先にロープが落下し始める。
「最初だけ!! ちゃんと掴んで!!」
最初の二秒間の落下後、ロープの落下速度が減速し始める。
緊急脱出用のものだったのか。
減速する仕掛けが成されているようだった。
それでも結構な速度でシャフトを降りていく二人は十秒後には地面に転がっていた。
速度が落ちたとはいえ、コンクリートの上に落ちた朱憐が衝撃に咳き込む。
「早く!!」
受身を取っていた虎が起き上がり朱憐へと駆け寄って支えた。
二人の前には落ちたライトに照らし出され非常用と書かれた鋼鉄製のドアが一つ。
扉は開いている。
すぐさま扉の中に入って虎が扉を閉めた直後だった。
何かが落下してくる轟音。
重い鉄製の扉を閉め切った虎は慌てて鍵を掛ける。
小さなツマミを回した途端に周囲のロックが作動し、鉄製の扉を棒がガッチリと固定した。
しかし、ドカンと轟音と共に扉が僅かに内側へと凹んだ。
非常灯が僅かに二人の顔を照らし出す。
「「~~~~」」
二人の顔が引き攣り、同時に頷いた。
同時に走り出した時には鋼鉄の棒は曲がり始めていた。
「で、出来の悪いホラーですわ・・・」
「悪鬼・・・」
顔を蒼白にして二人は同時に呟かずにはいられなかった。
*
二人が走る通路の先にはゴミ処理用のパイプラインが設置されている。
本来は都市計画時に設置されたゴミ焼却施設へと直通するはずだったパイプは建設途中で業者が変わった事により、殆どの人間に知られる事なく眠っていた。
「♪」
一度も使われなかった保守点検用通路に風御の姿があった。
いつもの着崩したスーツに小さなトランクを持っただけの姿。
眠っていた電源は入れられていて、通路の明かりは十数年前まで使用されていたLEDの青白い光で煌びやかに飾られている。
本来はゴミのパイプだけではなく非常用の電源や水道も引くはずだったのか。
通路は数メートルの直径を持つトンネルの左側を通っている。
「ほんと、だるいよね」
一人ごちた風御がそろそろ準備でもするかとトランクを開けようと立ち止まった時だった。
いきなり、パイプラインの一角の扉が開いた。
「?」
「「!?」」
走り出てきた二人がいきなりの明るさに立ち止まる。
そして、風御に気付いた虎が咄嗟に銃を向けた。
「・・・どういう状況?」
「え、あ・・・まさか、ひさしげ様のお友達の・・・えっと・・・風御さん、ですか?」
「しゅれん?」
三者が三者とも何とも言いがたい顔で互いの顔を交互に見る。
「どうして君が此処に? 確か久重のとこにいつも来てる子でしょ?」
「あ、あの! 誘拐されて、それで化け物が、すみません。わたくしにもよく解らなくて」
「何かもう巻き込まれ臭半端ないんですけど・・・」
何かにとんでもない事に巻き込まれるのが確定してしまった気がして、風御が脱力した。
「しゅれん。もう来る!?」
「と、とにかく風御さんも一緒に逃げてください!! 化け物に追われてます!!」
「化け物?」
「誘拐犯の方々が全滅して、人間を食って増える化け物です!!」
「・・・・・・」
「そ、そんな風に見ないでください!?」
自分が何を言っているのか解っている故に、風御の微妙な表情に耐え切れなくなって朱憐は頬を軽く染めた。
「しゅれん!!」
「は、はい!!」
急かされた朱憐が虎と共に風御の下まで走ってくる。
「早く!」
「いや、僕も一応仕事だから。化け物だろうが誘拐犯だろうがADETの敵だろうが一応は殺(や)っておかないと後でどやされるし、君達だけで逃げたらいいよ」
サラッと流した風御がトランクを開けて中身を取り出した。
「銃も効かないみたいで、それに爆破されても生きてるような本当の化け―――」
「来た!!」
風御の袖を引っ張り必死に説得しようとしようとした朱憐が虎の声に固まる。
轟音。
通路の反対側の壁が爆砕し、更に二人が通ってきた通路から黒いものが這い出してくる。
「「!?」」
二人が完全に言葉を失った。
挟撃されていた。
唯一の逃げ道である反対側の通路にはコンクリートの粉塵が舞っている。
その中から黒い巨躯が姿を現す。
「へぇ、確かに化け物・・・ジーンプラント計画か、それとも亡国の次世代遺伝子組み換え生物か、ってところ?」
トランクから取り出した中身、金色の粉が詰まった小さな試験管の蓋を開けて自分の頭に掛けながら、風御が何やら一人呟く。
「・・・しゅれん。必ず、守る」
虎がもはや逃げ道は無いと懐から銃を取り出し安全装置を外す。
「とりあえず、君達にも、はい」
幾らか残った金色の粉を二人の上にサラサラと掛けた風御がトランクの内部にあるスイッチを押した。
内部に備え付けられていた画面に赤い文字が表示される。
LIMIT11。
【………】
【………】
青白い輝きが満ちる通路で大香炉が全身を広げるように立ち上がった。
長い手足、貌の無い頭部。
皮のような質感の全身。
悪夢に姿があるとすれば、正にそのような化け物かもしれない。
「とりあえず聞くけど、アレの正体か使われてそうな技術に心当たりは?」
「ND機械、かもしれない」
虎の声に風御が頬を掻く。
「人体のND魔改造なんてムズい研究成果出てたっけ? ま、それなら幾らかやりようは・・・」
風御がおもむろに懐から三種類の試験管を取り出して、ひょいと無造作にビル側の大香炉へと投げた。
反応した巨躯がそのまま高速で三人へと突っ込んでくる。
風御が腰のホルスターに収められていた拳銃を抜き打ち様に撃った。
巨躯に接触し割れる寸前の三つの試験管を一発の弾丸が一直線上で割る。
直後、混合した三種類の液薬は大香炉の表面で弾けた弾丸の衝撃に反応し、通路内を莫大な衝撃と爆風が突き抜けた。
―――――――――――――――――――マジ?
風御の呆れるような声が二人に聞こえた。
目と耳がすぐに回復した二人が頭を振る。
ズダンと通路を蹴る音と共に鈍い殴打音が続く。
二人が見たのは逃げ道を塞いでいた巨躯が吹き飛び、自分達の横を抜けて起き上がろうとしていたビル側の化け物にぶち当たる瞬間だった。
「硬った。あ~~~確かに化け物なみ。撤収かな、これは・・・」
「だ、大丈夫ですの!?」
朱憐の心配そうな声に風御が笑う。
「大丈夫大丈夫。どうせまだNDで守られてるから。君達もまだ大丈夫でしょ? それよりアレは今の装備じゃ殺し切れないみたいだから逃げるけど、動けるなら早くした方がいい。あっちはまだまだやれるみたいだし」
肩を竦めた風御は早くも起き上がろうとしている大香炉へと銃を無造作に乱射し始める。
「しゅれん」
「はい!」
「レディーの足だと遅い。乗っけてくよ」
風御が銃を投げ捨て二人の下まで来ると朱憐の体をお姫様だっこした。
「な、なな、何を!?」
「ちびっ子は走る事」
風御が疾風の如く走り出す。
背後に付いた虎が頷いた。
二十秒程ノロノロとしていた大香炉達がようやく銃撃の痛でから起き上がる。
二体は腕を伸ばしてガッチリと通路の数メートル前に固定した。
そして、腕が急激に縮む。
巨躯が瞬時に加速し、ミサイルの如く飛翔した。
「おいおい」
三百メートル近く離していた距離が瞬時に百メートル以上縮められるという瞬間をさっと振り返って確認した風御は溜息を吐きたい気分に駆られた。
「ちょっといい?」
「は、はい!」
懐にある情報端末を取り出すように風御が朱憐に告げる。
「この端末の左端、そう、そのボタン。言ったら押して」
ギュッと端末を握り締めて朱憐が頷いた。
「後ろのちびっ子に言っておくけど、遅れたら見捨てるから」
「了解した」
「な、何を!?」
慌てる朱憐の声に風御が罰が悪そうな顔をした。
「気付いてないかもしれないけど、さっき逃げ道の方の奴を殴り飛ばした時に脇腹をやられてる」
「え、虎さん?」
朱憐の瞳に虎が首を振る。
「問題、ない」
「何が、何が問題ないですか!? ケガをしてるならどうして!?」
「大丈夫。心配しなくても、いいから」
風御はそれ以上は何も言わなかった。
化け物が二人の横をすり抜けていく途中に朱憐を掴もうとした。
その指先から庇ったとまでは・・・。
顔色こそ変わらないものの、虎の足が少しずつ遅れ始める。
「虎さん!?」
「気にしなくていい。どうせ誘拐犯、だから」
息が上がり始めた虎が風御の背から離され始める。
「ま、待って、待ってください!!」
「死にたいなら止めないよ。後ろ」
もう二体の大香炉と数十メートルも距離は開いていなかった。
「―――!?」
「この先に、何がある?」
虎が風御の背中に問う。
「ゴミ処理施設側からの悪臭対策と侵入者対策に厚さ四十センチの分厚いシャッターがある。パイプライン以外は完全に切断するやつ。ま、上を爆破してロック外すだけだけど」
大香炉二体との距離はもう三十メートルを切っていた。
「もし、死なせたら、鬼になって出る」
「幽霊は信じてない。けど、ウチに出られると居候が泣き喚いて困りそうだから承知しておくよ」
二人の会話に不吉なものを感じて朱憐が口を挟もうとしたが、虎と瞳が合った瞬間に言葉が口内に消えた。
「・・・・・・後は任せる」
虎が立ち止まった。
「餞別だ」
風御がサッと己の腰から銃を落とした。
「虎さんッッッ!!!」
朱憐が暴れようとした。
「あのちびっ子は君を助ける為に残った。君が出て行けば、あの子は君を守ってすぐに死ぬ」
「――――?!!」
風御の言葉に朱憐が固まる。
バッと路の明かりが消えた。
電源が落ちたのか非常灯も付かない。
「あの子を一秒でも生かしたいなら黙って助かれ。助かった後にどうにかしろ。それが君に出来る唯一の方法だ」
「そんなッッ、そんなのありませんわ!!!」
「あるさ。幾らでもある。そんな話は五万とある。君が知らないだけの話だ」
「あの子はまだきっと何も知りませんッッ!! お友達がどんなに大切なものかッ! 好きな人が出来たらどんなに嬉しいかッ! 甘いものが好きかもしれませんッ! 可愛いお洋服に興味を持つかもしれませんッ! そんな、そんな未来があの子にはッッ?!」
「なら、君は死体に友情を語るの? 恋愛事を話すの? お茶をして洋服の話をするの? 君の言ってる事はそういう事だよ」
「――――わたくしは!!!」
泣きそうに、何よりも強い瞳で、朱憐は風御を睨み付けた。
「後、二十メートル。僕は君にスイッチを任せる。もしも、そうしたいなら君を下ろしもしよう。ただ、あの子の寿命はその時点で零だとだけは言っておく」
朱憐の耳に銃声が響き、目に一瞬だけ銃を撃つ虎の姿が映った。
「あ・・・」
「今だ!!」
その時、朱憐は端末のボタンを押す気など無かった。
しかし、虎の必死に戦う姿にまだ生きているのだと、そんな僅かな安堵が生じ、指は―――――。
爆破。
風御達の背後に迫っていた数メートルは伸びている腕が、上から落ちてきたコンクリート壁に押し潰され、地面へと落ちた。
*
遠方で爆破の火の粉が上がった時にはもうその場から走り出していた。
チャラチャラした男が置いていった銃は反動が殆ど無いにも関わらず凄まじい威力を発揮し、暗闇の中で命中した化け物の体へ大きく孔を開けるのが見て取れた。
(これなら、行ける)
化け物の動きが鈍った時点で撤退の為のルートが幾つか浮かんでいた。
化け物に対して背を向ける恐怖はあった。
それでも両肩への銃撃が腕を伸ばさせないとの確信もあった。
四肢が十分に動けるように回復するまで一足でも遠くへ。
元来た道を走りながら図面を義眼に呼び出す。
パイプラインの点検用敷設通路は一つだけだったがその通路の真横には工事用の通路が存在する。
いきなり背後へと出てきた化け物がいたのはたぶんそういう事だと解っていた。
道は二通り。
工事用の通路へと侵入して今は使われていない郊外の出口まで走るか。
再びビルへと戻るか。
工事用の通路にはたぶん殆ど出入り口が無い。
それはつまり化け物と出くわせば死ぬまで戦わなければならないという事。
再びビルに戻れば出入り口こそ多く隠れる場所や死角はあるだろうが、確実に化け物と遭遇し、切り抜けれなければならない。
どちらもどちらだったが、すぐに回答は出た。
(立ち回りで、切り抜ける!!)
再び通路の終点へと戻った。
化け物が追ってきた通路はまだ崩れていない。
「・・・・・・」
そのまま走り込んだ。
慎重になれば死ぬ。
何処までも大胆に走り抜けなければ命は無い。
そう理解していた。
背後には未だ音が無い。
それでも確実に近づいている事は感じ取れていた。
すぐに出口であるエレベーターシャフトの真下まで辿り着く。
そこで思わぬものを拾った。
ペンシル型のライトが未だに光を放ったまま生きていた。
拾い上げた時、その光が小さな偶然を起こした。
シャフトの真下に扉がもう一つ存在していた。
(これは・・・?)
見れば、シャフト点検用通路との文字。
気が動転していて気付かなかったもう一枚の扉を開けると階段があった。
「しゅれん・・・」
暗闇の中で、誘拐した少女の名を呼んで、まだ助かったわけではないと気を引き締める。
扉を閉め、階段を走り出した。
螺旋状の階段はどうやら他の階とは繋がっていないらしく何処まで上に伸びている。
たぶん、エレベーターシャフトの最上階、ビル屋上から直接降りてくる為のものらしいと気付いた。
だが、もしもそうならば逃げ場は無い等とは考えない。
壁をよじ登る事も降りる事も訓練の内だった。
指先だけで断崖絶壁からビルの隙間まで、とっかかりのある場所ならば上り下りする技術は叩き込まれていた。
息が上がっていくのも構わず階段を上る。
下から何か近づいてくる気配は無かった。
苦しくて足が鈍り、速度が歩く程になっても進む。
よろめいて不意に脇腹を触った手がネチャリと音を立てる。
出血はそれなりにあったが、内臓が出ていない事と歩くのに支障が無い事からまだ無視できそうだと思わず笑みが浮かぶ。
最後の一段を上がり切った。
「はぁはぁ、はぁ・・・」
階段を登り切った場所には巨大なエレベーターの巻き上げ機があった。
稼動していないソレの横。
屋上へと続く扉を押し開ける。
「・・・・・・?」
風を感じた。
熱風と寒風。
煙と薄氷。
ビルは燃えていた。
しかし、屋上の床は凍り付いていた。
夏にこんなにも熱く寒い場所。
化け物がいるのだから、こんな事もあるのかもしれないと日本の不思議を思う。
「ぅ・・・く」
何とかビルの淵まで辿り着く。
ギィィィィ。
そんな音がして、振り返る。
屋上へと続く通常階段からのドアが開いていた。
並ぶのは五体の黒い人型。
三体は何の傷も無く。
一体は両手両足に傷を負い、一体は片腕が無い。
逃がしたくないのか。
いきなり襲い掛かってくる事もなく。
散開した五体がゆっくりと距離を狭めてくる。
持っていた銃で正面の化け物を撃った。
頭部を狙ったものの、頭を横に傾けるだけで回避される。
しかし、銃の威力が大き過ぎるのか。
目の横の部分が僅かに吹き飛んで、中身が見えた。
「大兄・・・・・・」
今回の件のリーダー。
いつも威張り散らしてはいたが金回りは良く、女には他の幹部より優しかった。
自分を何故かいつも重用し、友人になろうなんて冗談を言って、自分をいつも撫でていた。
周囲の大人達にどうしてかと聞けば生温い視線と下卑た笑みが返ってきて、その意味を近頃は少しだけ理解できていた。
そんな間柄の男の顔が見えた。
【………虎(フゥ)】
感傷が奇跡でも呼んだのか。
男の声が聞こえた。
「!」
しかし、
【……神の御意思を】
もう、中身が違うのだと悟った。
【・・・大兄。残念です】
最後に口にするのは祖国の言葉。
「・・・・・・」
片目を閉じる。
義眼で周囲の電子機器に接続する。
予め用意していたものは全て全滅していた。
どのチャンネルからも応答が無い。
それが切り札を使い切った末の結末ならば、惜しくはあっても、悔いはない。
ドロリと黒いものが解けて体に纏わり付いていく。
せめて、敵は増やさないでおこうと、まだ自由になる腕で銃を頭に当てる。
引き金を引いた。
「?」
弾切れだった。
死ぬ時は誰かに弾を貰って死ねたら本望だと思っていた己が、そんな死に方すら出来ないとは笑うしかない。
(しゅれん。ごめんなさい)
ほんの少しの時間だけ何故か打ち解けられた・・・朋友とは言ってはいけないだろう少女の名を内心で呼んで、諦めようと瞳を閉じる。
そして、耀きが世界を覆った。
死とはそんなものか。
己が無くなるとはそういうものか。
そう、思っていたのに。
目を開ければ、世界の光景は未だ死を否定する。
黒く覆われた地に一本の雷光が落ちていた。
右手の耀きに照らされた男。
その背中はとても似ている。
三国志に出てくる猛将のような、誰かを背にして立つ、物語の主役に似ている。
「動けるか」
声は軽やかに優しく、耳に響いた。
「は・・い・・」
「なら、死ぬな。まだ、やりたい事くらいあるだろ?」
地に突き立つ拳。
“Exhaustion Crest” Dividing Penetrate.
地から放たれる五つの雷。
「・・・はい」
悪夢が掻き消えていく。
世界が再び耀きに閉ざされていく。
「お前達が誰かは知らない」
その日、天命に出会った。
「だが、そんな姿にした奴らなら知ってる」
黒い災厄を払う天命に。
「だから、敵(かたき)は・・・いつか取っておいてやる」
そんな、敵(ばけもの)に優しい言葉を掛ける人に・・・出会った。
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夜霧に紛れてソレはやってくる。