第1通 普通の人生
大学4年の秋。
私、ハンナ=エッティンガーは事故にあったそうだ。
就職面接に向かう途中、赤信号を無視し突っ込んできたトラックと衝突し即死だったらしい。
迷惑極まりない話であり、自分で言うのもなんだが呆気ない最後だったと思う。
何故らしいと推測形かと言うと、私が名前やその事故に関しての記憶が何一つなく、目の前に居る案内人と言われる人に教えてもらったからだ。
あまりにも現実味が無い話だったからか、不思議と自分は死んでしまったんだと言う悲しみが湧き上がってこなかった。
一通り説明を受け、さてどうしたものかと考えていた時、私の背後にまだ10歳くらいの幼い男の子が立っていた。
「こんなに早く来ちゃうなんてね、可哀想に」
急にひどい眠気に襲われ、立っていられずその場にしゃがむと、幼い男の子の悲しげな声が聞こえ、私の頭に触れるのが見えた。
揺らぐ意識の中、ぼんやりとしていて顔は見えなかったが、私に微笑みながら手を振る誰かが見え、覚えている事は一つも無いはずなのに何故か無性に泣きたくなった。
*************
「…い!おい!エッティンガーいい加減起きんか!」
気持ちよく眠っていたのも束の間、耳元で大きな声が聞こえたと思ったら頬に鋭い痛みが走った。
バチンバチンッ
「いたいっいだだだ!!」
「きゃーっアタちゃんなんで叩くのよバカー!!」
「いつまで待っても起きないからだろう!俺はもう十分待ったぞ」
あまりの痛さに何事かと頬を押え飛び起きると、看護婦さんだろうか?
私の横で金髪の綺麗なおねえさんが慌てて氷袋を作り、そして私を叩いたであろういかにも体育会系な感じの眉の太い男の人が上から覗き込んでいた。
「やっと起きたか、これでもずいぶん待ったんだぞ。ほら、起きたならさっさと顔を洗って髪をとかせ、ボサボサだ」
「か、顔を洗うって、うえ?ってかなんで叩くんですかメチャクチャ痛いんですけど!これ腫れてますよねぜったい!」
男の人はズイッと私に真っ白なタオルを渡してきた。
なんなの、この偉そうな人は、いきなり人の顔を手加減無しで叩くその根性がすごいと思う。
ボサボサは寝起きなんだから仕方ない。
この痛みからして絶対に両方とも腫れてるはず、腹が立ったので私の中でこの男の人は太眉と呼ぶ事にした。
「そんなに力は入れてないはずなんだが…赤くなってきてるな、痛むか?」
「痛むか?じゃないわよアタちゃん…女の子を叩くなんて、しかも顔!傷ついたらどうするの?男の子じゃないのよ、私は起こしてって言ったんだけど聞こえなかった?誰が叩けっつったよ?あ”?」
おねえさんは今までの可愛らしい声とは打って変わり、女の人とは思えないくらいのドスの聞いた声を発し太眉を睨み付け、私の頬にタオルで巻いた氷袋を当ててくれた。
同時に、おねえさんには絶対逆らう事はしないと私が心に誓った瞬間だった。
「すまないエッティンガー!加減出来なかったとはいえ、君の頬をこんなに腫らしてしまうとは…!俺は…っ俺は女性の頬になんと取り返しのつかない事を…この事で嫁に行けないならば俺が君を貰い受ける、何も心配しなくていい」
「その言葉聞いたのこれで5度目な?毎回誰か口説きやがって、ふざけんのも大概にしろよアタル」
おねえさんが夜叉に見えた。いや冗談ではなく本当に。
太眉が全力で土下座をしてきた。
生で見た事はないが、きっとこれが以前テレビで見かけた日本の土下座というものだと思う。
日本人らしい謝罪の仕方だがやや胸が痛んだ。
「あぁあ、頭をあげて下さい、そんな大げさな事ではないですから、ほらっ赤みもだいぶ取れてきましたし!」
「ハンナちゃん、このクズ男にそんな優しい言葉はいらないの、何故か分かるわよね?そのまま土下座させときなさい」
「は、はひ…(目が、目が笑ってないですおねえさん…!)」
笑顔でこちらを振り返ったおねえさんは、顔こそ微笑んでいるものの目は全くと言って良い程笑っていなかった。
怒り狂うおねえさんをなんとか落ち着かせ、どうにか土下座を止めてもらうと、顔を洗う為洗面台へ向かった。
部屋へ戻ると、イスに腰掛けた二人が私をジッと見つめている。
「顔洗ったら、だいぶ頭とかもスッキリしてきたみたいです」
「赤みも取れてきたわね~急なことで頭が回らないのも分かるわ。良かった、この分だと明日には治りそうね」
「まだちょっと痛みますけどね」
「しばらくの間とことん言ってやりなさい!今回はアタちゃんが悪いんだからしっかり反省させなきゃ」
「ふふふ、そうさせていただきます」
「うぐっ、何も言い返せんな…反省するよ」
ガックリと項垂れた太眉を横目にクスクス笑いながら、やっぱり事故で死んだなんて夢だったんだ、きっと私は怪我を負っていて今まで入院していたんだろう、なんて微かな希望を見出していた。
これでまた、普通の生活に戻れるんだ!そう思った瞬間、一緒に笑っていた二人の顔がフッと真剣な表情に変わった。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか。ここが何処かも説明しなきゃならないし、ハンナちゃんのこれからの事や、私たちの事についても、ね?」
本当は気づいてた。
だってどこにも怪我が見当たらない、痛みもない、そしてなにより私の着ている服が面接に行った時のスーツのままだった。
分かってはいたけど信じたく無かった、あれは全部夢だと言ってほしかった。
おねえさんのその一言で、私の微かな希望は消え去った。
*************
普通に暮らして普通に結婚して子供が出来て、老いて子供の孫を見ながら、好きなことをして余命を過ごし、最後は家族に看取られ死んでいく、人生そんなものだとばかり思っていた。
普通が一番難しい、生前誰かが言ってた言葉の意味が、今なら少し分かる気がする。
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1話になります。
死後のお話になりますので、苦手な方はご注意ください。
なんなのこのごちゃごちゃした文章は…
もっと簡潔にまとめたいものです。
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