No.65774

帝記・北郷:十四~決戦合肥・後之一~


決戦合肥の後編
前回よりも一刀君成分は薄いですが、その分他の方々に焦点を当てています。


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2009-03-29 02:43:21 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:4862   閲覧ユーザー数:4331

 

『帝記・北郷:十四~決戦合肥・後之一~』

 

 

麺屋を出てから徒歩数分。馬に乗り換えさらに十分程いった所に、舟が一隻停泊していた。

龍志と風炎は馬を兵士に預けると、桟橋と船の間に架けられた板を渡り船内に入る。

二人の姿に軍礼をする兵士達に、龍志は微笑み風炎は重々しく頷くことで返した。

やがて二人が甲板の上に設けられた席に座ると、船はゆっくりと陸を離れる。

目指すは風炎率いる孫呉の船団…万が一に備えて低速航行を続ける一団だ。

「……孫呉の戦力、もとい特色は船にある。中原でも水軍の訓練は行われているが、この長江でそれを行っているという事の意義は大きい」

先程の麺屋談義の続きかと、龍志は頬杖を突いたまま風炎を見る。

「それは進軍はもちろん撤退でもだ…合肥でどれほど被害を受けても御主君が船で江上に出ることができれば、逃げおおせることは可能だろう」

「逆に言えば、渡河を妨害されれば蓮華の身も定かならず。ましてや新魏がその事を見逃すはずがない」

兵士から渡された茶を啜りながらそう言う龍志。

「…それで?」

同じように兵士から渡された茶を手に風炎は言葉の続きを待つ。

「俺の見立てでは運命の鍵を握るのは小師橋だ。あそこより先に兵を伏せているとは考え難い…というか、橋を落としたならばそれから先を気遣う必要性は薄くなるからな」

「つまりお前は、すでに小師橋は破壊されており、その破壊された橋をいかにして渡るかが鍵となると?」

「まあ、その前にあちこちに伏兵を伏せているだろうから、まずはそれを越えることからだろうがな」

再び茶を啜る龍志。

風炎も無言でそれに倣った。

彼女の胸に去来する、主への思い、戦場への不安、自由に動けないことへのもどかしさ。

それらを一瞬だけ忘れさせるほど、その茶はまた熱かった。

 

 

合肥。呉軍後方にある渡し場。

ここの守備を預かるは朱音。

本来ならば先陣に加わるはずだった彼女だが、冥琳や風炎といった諸将が合肥を離れたことによりここの守備に回されていた。

以前の彼女ならだだをこねてでも先陣に加わったことだろう。しかし、今の彼女は一味違う。

「こういう仲間の後ろを守るってことも…大切な役目なんすよね、先生」

先生とは言うまでもなく龍志のことだ。

数ヶ月の龍志の指導は、亜紗は勿論のこと朱音にも少なからぬ成長を与えていた。

「蒋欽将軍!上流より所属不明の船団が接近中!!」

楼船の上に設けられた見張り台の上から兵士の声が飛ぶ。

「数は!?」

「およそ七隻!いずれも大きな櫓のようなものを乗せております!」

「櫓…?」

「報告!西方より敵戦車隊が出現!しかしこちらへ攻撃をかける様子もなくなにやら積んでいた物を落として反転していっていますが……」

朱音が首をかしげた時、今度は伝令が駆けこんできた。

「積んでいた物ってのは?」

「枯れ枝や…臭いから硫黄なども入っているようです」

「臭いって…臭ってきたのか?」

「いえ、風上でしたので」

「風上……」

ふと龍志の言っていた事を思い出す。

『いいか。布陣、交戦、策の考案。いずれにせよ押さえていなければならないことは多い。地形、兵の指揮、天行…その他諸々を見極めた上で、自軍や敵軍の動きを予測していかねばならない』

「風上で火計の準備、櫓を積んだ船……しまった!!」

朱音が声を上げるとの、もうもうと煙が渡し場を覆うのはほぼ同時だった。

そこを狙って、遠方より降り注ぐ火矢の嵐。

先の煙は敵が枯れ枝に火を点けたもの。後の矢は七隻の船からのものである。

ほとんどの兵が前線に向かっているとはいえ、渡し場の兵も少なくはない。しかし、煙で視界を遮られた状態では指揮系統は麻痺したも同然であった。

「ぎゃ!!」

朱音の足元に落ちてきたのは物見台の兵士。

その胸には数本の矢が刺さっていた。

「く…落ち着け、落ち着け……」

煙を吸わないように息を整え、思考を覚ます朱音。

現在の状況を一つ一つ確認し、理解していく。

(自分の任務は渡し場の守備、しかし現状において全ての船を守れるかは解らない、ならば……)

大刀を手に、自分の周りにいるであろう直属の兵士に檄を飛ばす。

「いいか!!我々は御主君が乗られる分の船だけを守る!!他は撃ち捨てても構わん!!」

すでに前線の旗色が悪いという報告が届いている。

そこでこのように背後を突かれたのだ、崩壊はもはや時間の問題。

「しかし蓮華様…あなただけでも!!」

大刀を握る手を強くしながら、朱音は煙の薄い方を目指して駆けだした。

 

「あらあら、血迷ってこっちに突っ込んでくるかと思ったけど、そこまで馬鹿じゃなかったみたいねぇ~」

戦車隊に弩を構えさせたまま、煙の中から響く怒号や悲鳴に冷ややかな笑みを浮かべた紅燕がクスクスと笑う。

流琉の指揮する船団からは絶えることなく火矢が撃たれ続けている。

「そろそろ私達も動こうかしら…全軍!斉射!!」

号令一過、宙を行く強弩の咆哮。

紅燕達には別に渡し場を壊滅させる必要はない。ただしばらくの間使用不可な状態に追い込めばいいのだ。

その間に、本軍が決着を着ける。

「とはいっても…やるからには徹底的にしないとねぇ」

 

 

「甘寧将軍率いる奇襲部隊が壊滅!甘寧将軍は捕縛された模様!!」

「曹操隊に阻まれて徐盛将軍の突撃は失敗に終わりました!!将軍は血路を開いて戦線を離脱されました!!」

「申し上げます。後方の渡し場が襲撃を受け、蒋欽将軍が懸命の防戦をなさっていますが、現状での渡河は困難かと…」

「……聞いた通りだ」

五組の二張来々から絶えることない伝令がようやく止まるや、蓮華は静かにそう言って穏、亜紗、明命の三人を見た。

「もはや戦況は如何ともしがたい…正直、新魏軍がこれほどまでに強いとは思わなかった」

ふう。と息を吐く蓮華。

それは深く…どこまでも深く。

「ま、まだ終わってはいません!!小師橋を渡れば領内に帰還することもできます。建業に戻って再起を計りましょう!!」

「また敵に背を見せろというのか!!」

激昂の声を上げた蓮華に、三人は身をすくませ息を呑む。

「三度も敵に背を向けた王に着いてくる兵が…民がどこにいる!!」

合肥へと出陣してから今に至るまで、やむをえなかったとはいえ蓮華は二度、無様な逃げ姿を曝している。

一度目は龍志、二度目は二張。

「これ以上逃亡を重ねるなど…私の仲の孫家の血が、呉王の血が許せぬ……」

「蓮華様…」

蓮華の言葉に三人は何も言う事が出来ない。

三人とも蓮華を連れて建業に退却したい。

しかし、それは蓮華の誇りと彼女が何よりも重んじる王の責務に泥を塗ることになる。

王に仕える臣として、三人には何も言えない。

『死んでは元も子もなくなる』という話でもないのだ。

「……孫呉の王として恥ずかしくない最期をしたい。これより本陣は敵本陣めがけて最後の突撃をかける!!」

「れ、蓮華様…!!」

「それは…あまりにも」

無謀。しかし、他に三人に策はない。

蓮華の誇りを守り、命を守る策は。

「いやいや、それはまっこと賢明な判断!!」

不意に響いた声に四人がそちらを見ると、返り血に頬を濡らした韓当が大薙刀を手に立っていた。

「今ここでその命を捨てられれば、御主君は自己満足と引き換えに王の責務を捨てた暗君として歴史の燦然たる名を残しましょうぞ!!」

「何っ!?」

「そうでございましょう。我が軍の将兵は孫呉の未来を貴方様に託して今この時も命を落としているのです。その思いを無碍にしてまで背を見せたくないなどと言う我儘をなさろうとする…いやはや、これでこの韓当も迷いがなくなり申した。三代に渡りお仕えした孫家が無くなるならば、某の道もここまででこざいますからのう!!」

薄く笑いを浮かべながら、それでいて目だけはギラギラと輝かせて言い放つ韓当。

彼の言葉に蓮華は何も言えずただ唇を噛む。

「だが…だが……」

「甘えられるな孫仲謀殿!!王とは一人にして一人にあらず。その背に数多の命を背負うもの。その重みがお解りになるならば、己を殺してでも生き抜かれよ!!」

それだけ言うと韓当は蓮華に背を向け再び戦陣へと歩き出す。

「この老骨ができるだけ時間を稼ぎ申す…逃れられよ」

最後に首だけで振り返り、小さな笑み見せて韓当は馬に跨るやその場を後にした。

蓮華は呆然とその背を見送る。

「……蓮華様」

「穏…」

「行きましょう。私達も韓当将軍と同じです」

「……王として、民をその背に負うものの生き方か……」

再び長い息を吐く蓮華。

だが今度は先程のような重さは無く、むしろ吹っ切れたかのようなものだった。

「……龍志に認められた王の内、一方がその重みに耐えているのに、もう一方が絶えないわけにはいかないな」

蓮華は踵を返して愛馬の元へ向かう。

それを慌てて穏達が追いかけた。

「これより小師橋へ向かう…これは逃亡ではない。孫呉の道を絶やさんが為の前進だ!!」

蓮華の言葉に、三人は満面の笑みで礼を返した。

 

 

所変わって江上。龍志と風炎の乗る船。

「しかしあれだ。お前もつくづく恐ろしい奴だな」

流れに乗った船の速さは、逆らうそれとは比べ物にならないほど速い。

船が纏う風に後ろで結んだ長い黒髪を遊ばせていた龍志は、突然の風炎の言葉に怪訝な顔をして彼女を見た。

「いや、戦場から遠く離れた場所にいながらその場にいるかのように戦場を語るだなんて…もはや化け物じみているぞ」

「化け物か…言いえて妙だ」

「あ、気を悪くしたか…?」

ぶっきらぼうに応えた龍志に、少し焦りながら風炎が問う。

「そんなことはない…自分でも言われてみればそうだと思っただけだ」

苦笑する龍志に風炎はホッとしたような納得できないような複雑な顔をする。

そんな風炎にさらに笑みを深くして、龍志は甲板の上から雲一つ無い蒼天を見上げる。

(化け物…か)

人間でありながら五百年を生き、その気になりさえすれば大地を血で染めあげることすら容易い力を身に付けたこの身には化け物という言葉すら生温いのかもしれない。

(五百年か…)

五百年。自らの意思か、それとも超常的な何かによって生きてきた日々。

最近は自分の思考すら、外史に毒されているのではないかと思えてくる。

もしそうだとしたら。

(俺の思考を超える…そんな結末を合肥に求めているのかもしれないな、俺は)

麺屋から線上にかけて思いを寄せた合肥決戦。

その結末は彼の思うとおりに蓮華が捕まるのか、或いは予想を越えて逃げるのか。

「いずれにせよその答えも、小師橋の果てを覗かないと解らないな…」

「うん?何か言ったか?」

「……いや、何でもない」

果たして合肥の結末は龍志の予想通りに終わるのか、それを超えるのか。

それは、誰にも解らない。

 

 

                     ~続く~

 

 

 


 
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