No.656596

混沌王は異界の力を求める 18

布津さん

第18話 人の休日 悪魔の仕事

皆様、だいぶお待たせしました。リアルのほうが
やっと一段落つきましたが、これからは今まで以上に投稿ペースが
遅れるかもしれません。しかし、失踪する気は針先ほどもありませんので

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2014-01-21 23:36:09 投稿 / 全16ページ    総閲覧数:5862   閲覧ユーザー数:5517

「スルト殿、居るだろうか?」

 

ティアナが感情を吐露したあの日から数日が経過した。あの事件以降、新人や隊長達の間にあった若だまりやしこりが、無くなり。ただの同僚では無く仲間としてるき会うことができるようになっていた、事件そのものは嫌なものだったが、過ぎてみれば結果オーライだったと思う。そして今日、シグナムはいつも通りに、スルトの部屋の戸を叩いた。もはや自分とスルトの日の昇る前の訓練は日課に近いものになっており、薄暗いこの時間に戸を叩けば、すぐにスルトが戸を開けるはずだった。先日より彼から悪魔の剣術を複数学んでいる。簡単なものは幾つか学んだが、どうにもまばらにしか発動せず、とても実戦で使える範囲では無い、それに彼や人修羅の使う『虚空斬波』のような巨大な剣技は発動すら不可能だった。今日こそはせめてコツくらいは掴んでやろうと、意気込んで強くドアを叩いたが。

 

「おや?」

 

だが中から反応がなかった。もう一度彼の名を呼び、戸を叩いてみるが、そもそも部屋の内側に何かがいる気配がない。

奇妙に思い、失礼、と一応断ってから、部屋の戸を開ける。そこにはやはり炎の魔王の姿は無かった。

 

「ふむ……」

 

居ないのがスルトだけなのかと思い、他の悪魔の部屋も覗いてみるが、トールもオーディンも、いつもなら訓練の時間ぎりぎりまで姿を見せないセトの姿もない。この調子ならば人修羅もおそらく居ないだろう。

 

「いったいどこへ……」

 

行った? と口にしかけたが、彼等の行く先など限られている。この時間帯ならば一つしかないとすぐさま気が付いた。

 

「訓練場か……」

 

戦闘しかすることのない彼等だ、そこ以外に考えられない。そうと分かればスルトの居ないここに用はない。訓練場に足を向ける。

 

「しかし、何だ?」

 

彼等がここにやって来て、それなりの日にちが経過している。その間に分かったことは、彼等は皆が皆、各部隊の隊長クラス、Sランクオーバーの力を有しているということ、なのは、フェイトチーム対、メルキセデク、セトチームの模擬戦の際の動きから、それは分かっている。

次に、彼等は常にこちらの時間に合わせて行動するということ。人修羅やスルトに、何か頼み事などを依頼するときも、一度として断られたことはなく、そして何も無い時間帯は、己等の部屋か食堂、もしくは訓練場に必ず居るということ。しかし早朝よりも早いこの時間帯に何かあるとは考え辛い。

 

「まあ、彼等に直に聞けばいいか」

 

そこまで考え、思考を弾く。気が付けば、目の前には大扉があった。この先が訓練場だ、六課本部から直接入るならば入口はここしかない。

 

「スルト殿、ここか?」

 

声を出しながら扉を開く。転生訓練場は基礎状態ならば赤い大地と空、変異させれば都市や荒れ地、果ては密林や海原になる。まず見えるのはどれだろうと思いつつ扉をくぐった。

 

「む?」

 

しかし、まず見えたのはそのどれでもなかった。何か巨大な赤い物体がこちらに飛んできている、基礎状態の巨岩の一部が砕けて飛んで来ているのかと思ったが、それにしては形状が丸みを帯びておらず、奇妙に歪だ。

 

「まあ良い」

 

あの質量だ、軟質な物体であったとしても直撃を喰らえば、それなりのダメージは来るだろう。己の身の安全のために、とりあえず弾くか斬るかしたほうが良いだろうと、復元したレヴァンティンを腰元に添え、構える。飛んでくる正体不明が射程圏内に入り込んだ瞬間に、居合の一撃を叩き込む。

 

「紫電いっせ―――あっ!?」

 

だが放つその瞬間に、正体不明が何なのか気が付いた。奇妙に歪なそれはスルトだった。しかし放ってしまった剣技は自分でも止めることは出来ず、焔の居合がスルトの背に直撃した。

 

「ぐふっ!」

 

良い入り方をしたと、心底思った。どうやら今日も体調は好調なようだ。と現実逃避しかけた思考を無理やり現実に引き戻す。流石の魔王も、空中で踏ん張ることは出来なかったようで、切断こそなかったものの、右奥にあった巨木に派手に激突し砂煙と枯葉を舞い上げた。

 

「………まさか、彼に対する初の一撃が、こんな場面になろうとは……」

 

朦々と立つ土煙を見ながら、しみじみとそう思った。

 

「やんやややーん? 何だ今の?」

 

そのとき、スルトが飛んできた方向から声と足音が聞こえてきた。そちらに視線を向けてみれば、軽い足取りの人修羅がこちらに歩いてきているところだった。

 

「よう、お前か。スルトに用か? あいつなら、たった今奇怪な動きで向こうに飛んでったぞ」

 

「ああ知っている、私の目の前で起こったことだからな」

 

「そうか、まああの程度の動きなら俺もできるが、いつの間にかあいつが習得していたとは」

 

「ああ、日々の手合わせの中でも、彼は常に進化し続けている。数秒前に身に着けたのだろう」

 

頷いたそのとき、不意に右の頬に熱を感じた。そちらを見れば、螺旋を描いた業火が勢いよく、へし折れた巨木の根本から発射されているところだった。

 

『ファイアブレス』

 

「おっと」

 

それに対応した人修羅が、螺旋炎の前に飛び出すと、口から極寒の冷気を吐き出した。

 

『アイスブレス』

 

業火は、大冷気の前に一瞬だけ抵抗したものの、すぐさま飲み込まれ、押しつぶされた。人修羅が冷気を吐き終える頃には、見渡す限りの大地と木々の全てが凍り付いていた。

 

「相変わらず、見事なものだな」

 

「何、まだまだよ、慢心したら人間も悪魔もそこで終わりだ」

 

氷の大地を前にして、彼は笑った。そこに新たな声が入り込んできた。

 

「シグナム貴様ぁ……」

 

全身に霜や氷を張り付けたスルトだった。彼は見るからに息も絶え絶えで、こちらに歩いて来るのすら辛そうだった。

 

「邪魔をされぬよう他の者は客席に回らせたというのに、まさか貴様が我が王と結託しておったか……!」

 

「? 何の話だ?」

 

「惚けるな! 先ほど我の背に一太刀入れた者は、貴様だろう!?」

 

「何をバカな、たとえ私が不意打ったところで、今の私の技量では貴殿に当てることなどできないだろう」

 

そういうことにしたい。彼に対する初の戦果がアレでは、彼も私も不満だろう。分かってくれるはずだ。

 

「貴、様―――」

 

だが、彼の体力はそこで限界だったようで、氷の大地に膝から崩れていった。どうやら今日の早朝訓練は無理のようだ。

 

「何だったのだ?」

 

倒れたスルトを覗き込みながら言う。彼の手にある業火の太刀が、周囲の氷を溶かす際に発する蒸気で辺りが白く染まりだしている。

 

「ああ、罰ゲームだよ」

 

「罰ゲーム?」

 

「おお、この前の日のヤツのペナルティでな」

 

「この前? 何かあったのか?」

 

「ああ知らないのか、別に大したことじゃないさ。それでもケジメはつけなきゃいけないからな」

 

「良く解らないが、彼をぶちのめすことがケジメなのか?」

 

「うんにゃ、これは救済措置だ。俺にもし一発でも攻撃を当てることができたら帳消しってな」

 

無理だろう。と即座の思考でそう思った。

 

「ああ無理だよ」

 

思考を読まれた。

 

「それで、ケジメとは何をするのだ?」

 

「ああ、それはな」

 

人修羅の口から出た言葉は、ケジメとはほど遠いものだった。

 

「―――それが罰になるのか?」

 

「人と悪魔の価値観の違いだよ。それにこれは、面倒だが知った世界で無いなら、誰かがやる必要な事さ。お前等との契約は知識と戦力の等価交換だからな、それ以外は自分達で何とかするしかない」

 

「主はやてに掛け合おうか?」

 

「こっちから渡せるもんがねえよ」

 

流石にこれ以上望むのは立場が同等じゃなくなるしなと、彼は苦笑気味にそう言った。

 

「そう言うこった、お前には悪いが、スルトにはどこかで時間を取らせる」

 

「構わないさ、彼との訓練は私が一方的に頼んでいることだ。それに、用があるというならば今日は丁度良い日だ」

 

「丁度良い? 何がだ?」

 

「ああ、今日はな」

 

 

「休暇?」

 

早朝訓練の後のミーティングの最中、丘に姿を変えた訓練場の中で、セトは言われた言葉をオウム返しに尋ねた。

 

「そ、と言っても、新人の四人だけなんだけどね。そろそろ皆、新しい生活の変化にも慣れてきたと思うから、今日このあたりで一度一息入れたほうがいいと思ってね」

 

なのはの言葉に、オーディンが顎に手を当てながら口を開いた。

 

「ほう、鍛練と業務で兵のスケジュールを埋め立て、外出も許さぬ、厳格を越えた何かを孕んだ軍隊かと思っていたが、案外普通の軍隊だったのだな」

 

「ひょっとして馬鹿にしてます?」

 

「いやいや」

 

笑っていない笑顔のフェイトに手を振って応じる。

 

「だから、相対的に人修羅さん達も休暇になっちゃうんだけど……」

 

「ああ、そういうことですか」

 

メルキセデクは胡坐をかいた姿勢を前後に揺らしながら応じた。

 

「と言うよりも、そもそもデスクワークの無い我々は常日頃が休暇みたいなものですからね、変わりませんよ」

 

「毎日がサンデー?」

 

「セト、ニュアンスはあってますが止めてください、何故か虚しくなります」

 

「……ごめん」

 

何か知らぬところで大天使と邪神が落ち込んだが、どうしようもない、自分達で立ち直ってもらおう。

 

「我々は気にしてくれるな、本来我等は人修羅殿の補助として参った者、待つことには無限の耐久がある」

 

日陰のだいそうじょうがそう言って頬杖をつく。

 

「ま、そういう訳だ、訓練再開は明日からだから、お前等今日は好きにしろよ」

 

後頭部を掻きながらヴィータがそう言う。

 

「今日は皆お休み、街にでも出かけてくるといいよ」

 

はーい!!

 

手を広げてそう言うなのはの声に、四人の強い返答が長く帰ってきた。

 

 

時は僅かに進んで昼食時。

 

午後に街へ出かけるため、準備の必要のある新人四人は、早くに昼食を済ませているため姿はなく、居るのは隊長陣三人と、ヴォルケンリッターの五人だけだった。

 

『続いて政治経済です。昨日、ミッドチルダ時空管理局地上中央本部にて、来年度の予算会議が行われ、当日はレジアス・ゲイス中将による管理局の防衛思想が語られました』

 

天井から吊られた大型モニタから聞こえてきたその言葉に、雑談に花を咲かせていた一同は、ほぼ同時に口をつぐみ、モニタに視線を向けた。

 

『魔法は日々進化を続けています、既に十年前とは比べ物にならない水準となっているでしょう! しかし! それ故にそれに伴う災害や事件なども! その危険度を大幅に増大させているのです!』

 

字幕付きで語られるのは、自分達が所属する組織のこと。海と陸、別のピラミッドの所属とはいえ、完全に無関係な訳ではない。

 

『我々と同じ、進化した魔法を使う犯罪者! 近年突如として現れた強大な力を持つアンノウン! それらに対抗するためには! 我々こそが兵器を持ってそれ等を諌めなければならないのです!』

 

だが不意に、その場に居ないはずの者の声が、アナウンサーや中将の声を遮って響いた。

 

「何この人修羅が気に入らなそうな親父」

 

その声は食事をとる一段の中央、はやての机から来た。その場に居た全員が予期せぬ声に驚いて、そちらを向くと。

 

「ピ、ピクシーさん!」

 

机に座り込んでいたリインの左に、妖精の姿があった。

 

「お前……気配消して近づいて来んのやめろって」

 

「ん? 特に意識してたつもりはないんだけどなー、無意識にやっちゃうのかなー、ごめんねー」

 

抱えていた小麦のパンを頬張りながら、ピクシーは気の抜けた声でそう言った。

 

「って、あー!? それリインのじゃないですか! いつの間にとったんです! 返してください!」

 

「いいじゃん、堅いこと言わないでさ。んーでも、これはうちのよりちょっと固いなー」

 

「それは貴女が言っていい言葉じゃありません…ってもう無いー!」

 

自らの体躯を間違いなく上回るサイズのパンが、一分と立たずにピクシーに捕食され終えていた。

 

「甘いよ、食事は刹那に終えなきゃ、生物は物を食べる瞬間が最も油断しているときと言われているわ、なるべく早く済ませなきゃ生き残れないよ」

 

「そんな言葉じゃごまかされませんよー!!」

 

リインがピクシーに爪を立てて飛び掛かった。だが妖精はそちらを見もせずに。

 

「あーはいはい」

 

と、興味なさげな適当な声を出し、手の平だけを向け、壁を作り出した。

 

『蛮力の壁』

 

「うにゃ!」

 

不可視の障壁に弾きとばされて、リインが机の上をゴロゴロと転がり、はやての胸部に着弾して停止した。その様子を見て、ピクシーが小さく鼻で笑った。

 

「ほ、ほらリイン落ち着きい、パンならまだあるで、な?」

 

涙目になったリインをあやすように、はやてが笑顔を作って言った。

 

「うぅ……分かりました」

 

転がったときにどこか打ったのか、頭部をさすりながら、リイン差し出されたパンをあぐあぐと齧りだした。

 

「『テトラカーン』でなかっただけ感謝してよね」

 

などと言っているピクシーを、リインは涙目のまま眇で睨みつけているため、はやては何時でも割って入ることのできる位置に、椅子を微調整した。

 

 

「ピクシーさん、何故ここに?」

 

シャーリーが空気を割って、手の平に残った僅かなパン屑を払っているピクシーに声をかけるのを、はやては見た。

 

「んー、人修羅がさ、あー、無限図書だっけ? そこに行くためにターミナルで向こうとこっちで繋ぐって言ってさ、邪魔だからしばらくどっかで迷惑かけて来いって」

 

「貴女は鍛錬はしないのか? さっき見てきたがオーディン殿が居たぞ?」

 

今度はシグナムがピクシーに尋ねた。そういえば確かに、悪魔の内で人修羅とピクシーだけがどうも訓練や鍛錬をしている様子がないし、そのイメージがない。その疑問に対しピクシーは姿勢を変えることなく視線だけを向け。

 

「必要ないもの、あたしには。セデクとかトールみたいに体鍛えたりして強くなるならいくらでもするけど、あたしはそういうタイプじゃないから」

 

確かに、彼女が汗水流して基礎トレーニングに励むタイプには見えない。

 

「だからここに来たんですか」

 

「ん、人修羅はさー、最近あたしを蔑ろにしすぎだと思うのよね。構ってほしいわけじゃないけど、無視されるのそれはそれで不満よね、そう思わない?」

 

「え、ああ、そうですね……」

 

そうよ、とピクシーはフンスと鼻から息を抜き、不機嫌そうに足をじたばたさせた。足がテーブルを打撃するたびに食器が音を立てるので取り敢えずやめさせた。

 

「それで、ピクシーさん。さっきの……人修羅さんは気に入らないって、どういうことです?」

 

「ん? 別にそのままの意味よ」

 

ピクシーは何でもなさそうに手をヒラヒラと振り言う。

 

「あの親父の言ってることが人修羅の意思から大きく外れてるってだけよ」

 

一度だけ、人修羅の居るであろう方向に視線を向け、ピクシーは頬に手をつく。

 

「あいつは作業に集中すると、周りの音が気にならなくなるタイプだからたぶん今は聞こえてないね、もし人修羅が聞いたら苦笑いか、鼻で笑うかする動作が届くはずだもの」

 

そう言ってピクシー自身も鼻で笑った。

 

「そうなのか、彼ならむしろレジアス中将の言に諸手を挙げて賛成するかと思ったのだが」

 

「ないないそれはない。人修羅はあんな性格だから勘違いされがちだけど、Chaos……あー、武闘派って訳じゃないの」

 

「む、そうなのか?」

 

「そうよ、だって実際あたしとあんた達でこうやって話してるじゃん。人修羅が武闘派なら今頃ここは浄土だもの」

 

「ああ……」

 

ピクシーを除いたその場の面々が同じだけテンションを一段下げた。

 

「人修羅は交渉の際に己の武力をちらつかせることはあっても、交渉が決裂するまで絶対に相手に危害は加えないの」

 

ああ、そういえばそうやったなぁ。思わず苦笑いで交渉時の事を思い出した。

 

「先に交渉相手が手を出してきてもね」

 

その言葉に、シグナムとヴィータが、む、と声を出すのを眺めつつ、調子に乗り過ぎた相手を潰すことは何回もあったけどね、と自嘲気味に笑いながら付け加えた。

 

「まあ、Law……穏健派って訳でもないんだけど……言うなら、何だろ押し売り派?」

 

「? どういう意味だよそれ?」

 

「どんな損失を得ようと、執拗に喰いついて獲物を逃さないから」

 

「……性質悪いな」

 

「交渉相手からしたらそうね、強大であるが故に、ありとあらゆる抑止が意味を成さず、納得がいくまで逃がさない。最悪の相手だわ」

 

言葉とは裏腹に、ピクシーは笑顔で人修羅のことを話した。だが大型モニタから再び、レジアス中将の野太い声が聞こえてきたとき、ピクシーは一瞬で表情を喜から嫌に変えた。

 

「ホント気に入らない、性格似てないけどあのやり方、氷川のヤツみたい」

 

氷川というのが誰かは分からないが、彼女の機嫌は先ほどよりも悪くなった。ピクシーは機嫌が悪いとナチュラルに周囲に害をばら撒き始めとても危険だ。故に周囲の面々はアイコンタクトで方針を決め、ピクシーの興味をレジアス中将から反らすことに決めた。

 

「ピクシーさん、随分とレジアス中将のこと嫌いますね、そんなに中将の言ってる意見と主義が食い違いますか?」

 

「レジアスっていうのアレ? ふーん……ん、いや意見が食い違うわけじゃなくてさ、んー、根本から考え方が合ってないのよね」

 

「あ?」

 

「アイツはさ、敵が強くなってるから俺等はもっと強くなって、武力をもってそれを潰そーぜ、こと言ってんでしょ? 人修羅とあたし達はそういう意見の一切を無意味って理解してるから、大声でああいうこと言ってる奴が気に入らないのよ」

 

「意味がない? 何でや? 人間が集まって動くんやで? 何かしらの主義は必要やし、悪魔もそうやろ?」

 

そう言うと、ピクシーはのけ反りの姿勢を強くし、上下逆さまでこちらを見た、その顔にはニヤニヤとした笑みが浮かんでいた。

 

「普通の悪魔はそうね。でも人修羅の下に居るあたし達は違うの。主義なんてどんなのでも変わんないんだし」

 

「同じ? タカ派とハト派やったら全然ちゃうやろ?」

 

「ん? 行き過ぎた穏健派は武闘派と同じになるけど?」

 

「は?」

 

「だってそうじゃない。極限の穏健ってことはつまり、一切の波風を立てず、淡々と物事が進む状態の事でしょ?」

 

「まあ、噛み砕いていえばそうなるわね」

 

「つまり、波風を立てそうな存在が現れた瞬間に、それを殺して行方不明にしちゃえば波風は起きない。これが究極の穏健派でしょ?」

 

ピクシーのその言葉に、その場が静まった。相変わらずモニタからは演説の声やアナウンサーの声が流れているが、頭に音として認識されるが声として入ってこない。だが構わずにピクシーは続ける。

 

「その逆も然りね。武闘派が武力を前面に押し出していけば、最後には歯向かおうとか、そんなことを考える連中も居なくなり、同じように波風は立たなくなる。これが究極の武闘派」

 

つまりわさ、とピクシーはこちらを一人ずつ弓に細めた眼で流し見る。

 

「あたし達から見ればどっちになっても別に最後に行きつくところは同じなんだから、別にどうでもいいのよね」

 

「待ちい」

 

と、ピクシーの言葉が止んだとき、こめかみに手を置いたはやてが静止の声を発した。

 

「待つも何も、あたしは言うこと全部終わったから。で何?」

 

「貴女の言うことにも一理ある。せやけど」

 

「けど?」

 

「いくらなんでも極論すぎへんかそれ? そこまで極端な主張なんてまず存在しないやろ」

 

「そう? それはまだこの世界が若いからそこまで成長してないからじゃないの?」

 

それにさ、とピクシーがバネのように跳ね上がり、こちらの眼前で停止した。

 

「極論で無いか否かなんて関係ない。例えば弱肉強食と平等主義。真逆に見えるこの二つだって、実際はどっちも、搾取する者とされる者に分かれただけの単純な構造。違うのはどっちが強者でどっちが弱者ってだけ、両方とも搾取主義ね」

 

ピクシーがこちらの眉間に突き立てるように人差し指を向けてきた。その指とピクシーの言葉に、頭の奥でチリチリと幻痛が響く。

 

「穏健武闘も同じ、どうやって敵対者を静かにさせるか、それだけなの」

 

くるりと回り、再びテーブルの定位置に座り込んだピクシーに自然と全員の視線が集まる。

 

「真逆に存在する全ては、同時に存在するんだよ。穏健武闘も、左右も、表裏とかね」

 

そう言って腕を組んで笑うピクシーにはその小さな身体からは想像もできないほどの貫禄があった。

 

「何か……ピクシーさんって、話し方の割に妙に達観してますよね」

 

「ちんちくりんな見た目の癖にって言ってもいいよ?」

 

ぶんぶんと手と首を振るシャマルにピクシーは微かに笑って言った。

 

「あたしはこれでも、生まれた世界から数えれば数百年は優に生きて、いろんな世界を巡って、いろんな政治体制や主義主張を見て、そしてその終わりを見てきたの。これでも同族(ようせい)の中じゃ最古参なんだから。亀の甲より年の劫ってねー」

 

はにかんだピクシーはいつの間にかその手に持っていたパンを頬張った。リインが叫んだのはその直後だった。どうやら数百年を生きた妖精と、生まれて数年のリインでは同じような体躯でも勝負にならないらしい。

既にモニターは次のニュースに移行している。

 

 

六課本館の裏手にある倉庫兼車庫。その内部に、一台のバイクを挟んでティアナとヴァイスが言葉を交わしていた。

 

「貸すのは構わねえけど、傷つけたりすんなよ?」

 

バイクの真横に座り込んで、若干不安げな表情で見上げてくるヴァイスをティアナは正反対の表情で答えた。

 

「大丈夫です、慣れてますから」

 

「メットは……あるんだったな。ゴーグルはあるか? 二人分」

 

「あっ そうだスバルのゴーグルが無いんだった」

 

しゃあねえなあ、と眼前のヴァイスが立ち上がり

 

「どっかに予備があったはずだ、ちと探してくるから待ってろ」

 

そういって倉庫の奥に消えていった。

 

「ティア――? こっちの準備もう終わったー?」

 

そのときヴァイスと入れ替わるようにスバルの姿が、陽光を遮るように倉庫前に現れた。

 

「まだよ、といってもヴァイス伍長が戻ってくるまでだから、そこらで待ってなさいよ」

 

はーい、とスバルがシャッターを潜り倉庫内に入ってくる。

 

「それで、何の物資が不足してたの? 燃料?」

 

スバルは、先ほどまでヴァイスが座っていた位置まで歩いてくると、同じように座り込んで問うてきた。

 

「あんたのゴーグルよ あんたこの前なくしたでしょ」

 

「……ああ」

 

眼に見えてスバルのテンションが低下した。まあ数分も放っておけば元に戻るだろう。

 

「スバル、ティアナ少し良いか?」

 

陽光が先ほどよりも大きく遮られた、見れば、半開きで解放状態のシャッターを潜るように、スルトの巨体が倉庫内に入り込んできた。

 

「あれ? スルトさん、どうしたんです?」

 

「先ほど耳に挟んだのが、今日は貴様等あちらの都市まで往くそうだな」

 

そういってその方角を親指で指す。

 

「そうですけど、何か必要物資でも? よければ買ってきますけど……」

 

「否そうではない。彼方への案内人を請け負ってもらいたい」

 

「え?」

 

「野暮用でな、我が主よりの令で往く必要が出来たのだ。しかし肝心の道程を我は知らぬ、故にこうしてここに来たのだが……」

 

「それは、構いませんけど、でも……」

 

「ああそうだ、忘れていた、少し待て」

 

こちらの言葉を遮り、スルトは己の額に手を当てた。その瞬間、スルトの身体の色が単純になり始めた。赤と灰の色彩が混ざり合い、真紅一色に染まっていく。そして徐々に巨大な体躯が縮み始め、太い手足は細くなっていく。そして再び色彩が一色から多色に戻るとき、そこには今までのスルトの姿はなかった。

 

「スルト…さん、です、か?」

 

「ふぅ……ああ私だ、どこか変だろうか?」

 

「いえ、そうじゃなく、て……」

 

その姿はシグナムに酷似していた。シグナムの背を伸ばし、髪を肩口まで切り、性別を逆転させればこうなるのではないかという姿がそこにあった。否、むしろシグナムが適当に男装をしたのではと思う方が自然だった。

 

「任務でないならば、人間の街に生身の悪魔が行くのはまずいだろう?」

 

言ってスルトはその姿を見せつけるようにクルリと踵を軸に一回転。

 

「思い返してみれば我は、今まで人の姿を持ったことが無かったのでな。シグナムの姿を真似た、どうせ成るなら近い志を持った者が良い」

 

「何でです?」

 

「悪魔が他の生物の形を取る際は、何らかの型が必要なのだ。たとえば我は人間の姿をこれに設定した。一度設定してしまえば変化は容易だが、別の人間に変化したい際は、この姿の型を捨て、新しい型を造る必要がある。他者の姿を得ることは非常に困難だ、下手をすれば己自身の姿を失う」

 

「ああ、セトさんが何時も人になるときあの姿なのは、そういうことだったんですか」

 

「うむ、一度決めてしまえば、以前の型を完全に忘れ去るのは相当に困難だからな。我等の内でも、複数の姿の人間に変われるものは数名しかいない」

 

腕を組んでそう言うスルトには、完全にシグナムの気配と気品を持っていた。

 

「ですけど、どうやって街まで行くんですか? あたし達はバイクで行きますし、人の姿になったからって、バイクと並走していれば驚異の眼で見られますけど……」

 

「移動手段ならば問題ない、既に先ほど向こうの仲魔から頂いてきた」

 

言ってスルトは倉庫の奥に姿を消す、そして一台の乗り物を引いて再び現れた。

 

「我等の仲魔の内に“地獄の天使達”なる走り屋集団がいるのだがな、そこの首領、魔人ヘルズエンジェルの愛機であるマシン、このヘルバイクを力ずくで強奪してきた」

 

「強奪って……大丈夫なんですか? バイクを取り戻しにこっちに来て暴れたりとかは……」

 

「それはない、我が王の許しが無ければ、勝手に我が王の居る世界に入ることは許されない。もしそれを犯した場合は我が王の裁断が降る」

 

「……おっかないですね」

 

「まったくだ」

 

言ってスルトは眼前の大型バイクに手を置いた。

 

「何て言うか、すごいですね」

 

「だろう? 元はそのバイクと変わらない体躯だったものを、改造に改造を重ねた結果だと、強奪する際に言っていた気がする」

 

「……ごついですね」

 

「いやスバル、突っ込むところそこじゃないでしょ」

 

ヴァイスから借りたバイクは、所謂レーサーレプリカタイプなのに対し、スルトの持って来たヘルバイクなる代物は、メガスポーツタイプよりもはるかに大型で、凶悪で異常なまでの改造が施されていた。俗に言うモンスターだ。

 

「しかも何でタイヤが炎なんですか!?」

 

「それは元々だ」

 

「元々!?」

 

「無問題だ、乗り手が望まねばこの炎は他物に害を与えん」

 

「でもですね……」

 

「悪魔の乗り物に一々突っ込むな、我の業火の太刀と似たものだ」

 

「でもこれ、かなり目立ちますよ?」

 

「新しい炎熱魔法の実験とでも言っておくがいい、それに貴様等と並走するよりかは遥かにましだ」

 

「そうですけど……」

 

「つべこべ言うな、他に方法もない。安心しろ貴様等に迷惑はかけん」

 

有無を言わさぬその態度は、どこまでもシグナムに似ていた。

 

「おーいランスターこれでいいか、ってうお!? なんだこのバイク!?」

 

そのときヴァイスが再び姿を現した、その手には複数のゴーグルがある。

 

「あれ? シグナムの姐さん。イメチェンっすか?」

 

ヘルバイクから視線を外したヴァイスは、次に赤髪の長身に気が付いた。

 

「違う、私だ」

 

シグナムに似た、しかしシグナムよりも張りのある声が否定の声を発した。

 

「……スルトさんです」

 

「……は? スルトの旦那?」

 

「如何にも」

 

そう言ってスルトは、どこからか取り出した炎の剣を右手だけでで軽く素振りした。毎回の事だが彼等はどこから自分の武装を取り出しているのだろうか。

 

「はぁ――、成るほど、確かに姐さんとは違うな。それじゃ、この派手なバイクも旦那ので?」

 

ヴァイスはあまり驚いていないようだ。未だに彼等の奇行になれない自分がおかしいのだろうか? ヴァイスの適応力が異様に高いだけだとそう思うことにしよう。そう思い、つと彼の方を見ると、ヴァイスは何かを思案するように顎に手を当て、視線をスルトとヘルバイクの双方をうろうろさせている。

 

「なあ、旦那」

 

「何だ?」

 

「この火のバイク旦那のなんすよね? ちょっとその炎の剣持って乗ってみてくれませんかい?」

 

「? 構わんが?」

 

スルトは跳ぶようにヘルバイクに跨った。火炎の車輪と凶悪な形相のヘルバイクも、赤の髪と業火の太刀、そして長身痩躯の姿のスルトが乗れば、それだけで絵になった。

 

「カッケェ……!」

 

だが、やはりヴァイスの方がおかしいのだと、先ほどの認識を疑惑から確定に切り替えた。

 

 

「エリオ、キャロ。大丈夫? 忘れ物はない?」

 

「大丈夫ですってフェイトさん。その確認もう五回目ですよ」

 

そう言って、エリオは若干困ったように肩に置かれていたフェイトの手を取った。

 

「甲斐甲斐しいな、おい」

 

先ほどから年少二名と目線を合わせていたフェイトは、背後から聞こえたその声に振り返る。

 

「人修羅さん……!」

 

まあまあ、と人修羅は座っていた窓の縁から弾くように降り、いつものように軽い笑みを作った。

 

「流石に世話焼きすぎだろう。そいつらだって分別くらいはちゃんとついてるだろ。あんまりしつこいとそのうち嫌われるぜ?」

 

「でも私が立場的にこの子たちの保護者なんですから、ちゃんと面倒は見ないと」

 

「過保護な母親かよ……。いや、母親じゃなくて違うな……何て言うんだろーな、んー……」

 

「……何ですか?」

 

「老婆心?」

 

「怒りますよ」

 

「ごめんなさい」

 

人修羅は刹那の時間でフェイトに謝罪した。

 

 

「それでエリオ、キャロ。本当に大丈夫?」

 

土下座していた人修羅を起立させた後、再びこちらに手をついたフェイトにエリオは困惑を通り越して少々しつこさを感じだしていた。

 

「おこづかいは足りる? この間私にプレゼント買ってくれたでしょ? それでも足りる?」

 

「あ……」

 

しまった、そうだ忘れていた。ちらとキャロに視線を向けてみるが、彼女も困ったように小さく首を振った。

 

何という失態。先ほどまで散々フェイトの忠告に応答していたというのに、六度目にしてやっと自分の不備に気が付くとは。

 

「ほら、やっぱり。足りなくなるといけないし、どうする? やっぱり私がいくらか……」

 

それは駄目だ。自分も既に給料を貰っている身だ。足りない理由が上司であるフェイトに物を買ったからだというのに、その足りない分を上司に出してもらうのではあまりにも恰好がつかない。

 

「あ? 何だ、お前等金が足りてないのか? よしちびっこ共、ならば俺がお小遣いと称されるものを貴様等にくれてやろう」

 

天の助け! とエリオは思った、いや人修羅だから魔の助けなのだろうがそんなことはどっちでもいい。人修羅がどの程度金銭を持っているか知らないが、スルトやトールの食堂の様子を見る限り、貧しいとは程遠い存在であることは確かだ。

 

彼はどこからか小さな袋を取り出し、こちら目掛けそれぞれに放って来た。

 

「っと、良いんですか?」

 

意外に重量のあるそれを両手で受け取り、人修羅に問う。

 

「ああ構わんぞ」

 

「有難う御座います」

 

感謝に頭を下げたそのとき、隣で袋を覗いていたキャロが、おずおずと顔を上げた。

 

「あの……人修羅さん」

 

「ん?」

 

「ホントにこれ、良いんですか?」

 

「何が?」

 

「ちょっと……多くないですか?」

 

キャロの言葉に、袋の紐を解き中を覗いてみる。

 

「は!?」

 

思わず変な声が出た。中には、明らかに桁を間違えたのではないかと思われる額の金が入っていた。少々重かったのは小銭が主だったからではなく、紙幣が隙間なく詰まっていたからだった。今自分達の総残金にゼロを二つほど追加した程度の額だ。それを二つ人修羅はこちらによこしたのだ。

 

「いやいやいや、おかしいですって」

 

「何が?」

 

「いやっだって……額が……」

 

「少なかったか? もう二つ三つぐらいいるか?」

 

そう言って小袋を二つ三つどころか、大袋といっていいものを取り出し始めた人修羅に慌てて首と手を左右に振る。

 

「いりませんよ! 逆です、多すぎますって!」

 

こちらの態度を不審に思ったのか、フェイトさんがこちらの手元を覗き込んできた。

 

「!? あー……確かにこれはちょっと、いや、だいぶ……かなり……うん、凄く多いかな」

 

「そうか? この程度の額なら、ピクシーあたりに渡せば、一時間もあれば使いきるぞ?」

 

そういって指さす先が、小袋では無く大袋であることに軽い戦慄を覚えた。あの妖精は何なのだろうか。金を溶かす能力でも持っているのだろうか。結局は、フェイトさんと人修羅さんの口論の末、折衷案で一袋の一割だけ頂き、残りはフェイトの管理で貯金することにした。

 

 

「まったく、人修羅さん、あんまりあの子達に大金を渡さないでください」

 

エリオとキャロの背が見えなくなってから、窓の縁に再び座っていた人修羅に視線を向けた。

 

「はっ! お前本当に母親だな」

 

「誤魔化さないでください」

 

けらけらと笑う人修羅に、思わず眉がひそんだ。

 

「ああ悪い、あれがそんなに大金だとは思ってなかったんだが……こっちの金銭感覚にまだ慣れてなかったみたいだ」

 

「ああ、そうか……」

 

今更ながらに思い出した。人修羅は異界から来たのだ、そのあたりの感覚が違うのも当たり前だった。

 

「アマラを二回行き来した程度の金額だったんだがな。それでも多いのか」

 

彼が腕組みをしながらそう言ったが、意味はよくわからない。

 

「興味本位で聞きますけど、人修羅さん、他にも多世界を渡ってきたんですよね? 他の世界ではお金、どうしてたんですか?」

 

「ああ、ここみたいにその世界の住人の世話になることは少なかったからな、基本的には気にしてなかった」

 

それでも金が要ったときはな、と人修羅はおもむろに虚空に手を突っ込んで、赤色の何かを引っ張り出した。日光を吸い込んで美しく輝くそれは、握り拳程はある巨大なルビーだった。

 

「それ……本物の宝石ですか?」

 

「ああ、宝石はどこの世界でも人間相手なら価値が高い。サイズがあれば尚更な、安定して金が稼げる」

 

「人間相手?」

 

「おお、悪魔にとっては宝石はそこまで貴重って程のもんじゃないからな。信じられるか? このサイズがそこらに転がってたりするんだぜ」

 

言いながら人修羅は、まるでボールでも扱うかのようにルビーを手のスナップで転がす。彼にとっては貴重でないとはいえ、本物の宝石をそんな雑に扱うなど、見ているこちらがはらはらする。

 

「今日スルトにも、目的ついでにいくつか宝石を金に換えてくるように言っておいた。ここには今までに無いほど長居しそうだしな」

 

「でもそのサイズだと、まずくありません? 大きい宝石って結構噂になったり、争いの元になったりしませんか?」

 

「まあそうだな。前行った世界で、俺が金に換えたバスケットボールぐらいのエメラルドを巡って国同士が戦争を始めたこともあったな。あのときは笑った」

 

「………」

 

笑い事ではない。

 

「大丈夫だって、スルトに渡したのは屑宝石だけだ、少しの金にしかならんよ」

 

「少しって……あの袋と比べてどのくらいですか……?」

 

指さす先にあるものは、取り出されたまま放置された大袋だ。

 

問われた人修羅はルビーを転がす手を止め、無表情に窓の外に広がる青空を見上る、快晴だ。そしてややあってから視線をフェイトに戻すと。

 

「ご、五倍ぐらい……です、か?」

 

「何で疑問系なんです、後それは少しとは言いません……」

 

思わず溜め息一つ、彼と数言交わしただけだというのに、眼前の存在が完全無欠の存在から、手のかかる子供のように思えてきた。

 

「人修羅さん、ミッドでの価値観が良く分からないなら、私が教えてあげますからこれから少し出ませんか?」

 

「んー?」

 

人修羅が、疑惑の目でこちらを見た。彼は数瞬何かを思考するように、眉をひそめていたが、すぐに声を出した。

 

「あー……遠慮しておく。今日はこれからオーディンと無限図書館のほうに行くんだよ。そろそろ報告だけじゃなくてこの眼に文字を通したい」

 

それに、と彼は付け加えた。

 

「お前だって仕事あんだろ? ここんとこ文字通り色々あったし、今日の休暇は新人達の休息だけじゃなく、午後の訓練の時間を使って、滞った雑務を急いで片づけたいって思考もあんだろ?」

 

「バレました?」

 

「当たり前だ。人一人を見てそいつの疲労度が分からんようじゃ指導者にはなれんよ。隊長副隊長全員本調子じゃないだろ、流石にそろそろあいつらの訓練に制限つけたままじゃ厳しくなって来たってところか?」

 

「……やっぱりよく見てますね、人修羅さん。ええ、なのはもヴィータも表面上は何でもなさそうにしてるけど、内面結構無理してますから。二人ともいじっぱりですしね」

 

「意地っ張りな上司の下には、やはり意地っ張りな部下が付く。どこを見てもここは意地っ張りだらけだな」

 

「ふふ、でも疲れてるってことはそれだけあの子達が強くなってるってことだから、うれしい悲鳴かな」

 

「ただしそれが肉体的悲鳴なのがあれだな」

 

それはそうだ

 

「俺は部外者だから事務仕事を手伝うことはできんが、なるべくあいつらにも邪魔しないようには言っとく」

 

と、人修羅が腕を振り縁から飛び降りた。

 

「にしても、俺にまで世話を焼くのか、お前本当に母親だな、むしろお母さんだな」

 

「……人修羅さん、あんまり女性にそういうこと言うものじゃないですよ」

 

「ん? お前まだ薹が立つような年齢じゃないだろ」

 

「え? 私の歳知ってるんですか? 言いましたっけ?」

 

「セデクから酒が飲めない年齢ってのは聞いた」

 

「……女性に年齢の事を言うのはNGですよ」

 

「人間はな、俺は悪魔だから」

 

「それは免罪符になる言葉じゃありません」

 

「老婆心」

 

「ぶちますよ」

 

「申し訳ありませんでした」

 

人修羅は須臾の時間でこちらに土下座した。

 

「まあ、俺の調べものが終わって、その時間にお前の仕事も完了してたら、そのときはお願いするさ」

 

土下座から立ち上がった人修羅は微かに笑って、じゃあなと、こちらに背を向け歩き出した。

 

「あっ! ちょっと! どこか行くならあの袋持って行ってください!」

 

 

都市に来るまでにスルトのヘルバイクが奇異の眼で見られることは事前に予想していたことだし、それついての不満こそあれ文句はない。

 

「道のりさえ分かっていれば、後は大丈夫だ。貴様等は今日の休日をしっかり楽しんで来い」

 

と言ってスルトが人混みに消えていったことも承知したことだ。だが

 

「何なのよ……」

 

「あ、あはは……」

 

これは予想していなかった。今、眼前にあるのはアスファルトで舗装された大通りだ。しかしそれを彩る模様がペイントされた標示だけでなく、別の物が付いていた。

 

「これ、スルトさん、だよね?」

 

スバルが意味の無い同意を求めてきた。無視して空間モニターを開き、そしてスルトを呼び出す。

 

『む、何用だ?』

 

映し出されたスルトは何かを記し止めたモニターを消しこちらを見た。

 

「スルトさん、今から足元に視線を落として、それからゆっくりと視線を後ろに回してください」

 

言った通りの動きをモニタ先のスルトは行った。

 

『……おおっ!』

 

「おおじゃないですよ!? 何してるんですか!?」

 

今、都市の大通りには標示の上から重ねられるように黒い足跡が点々と穿たれていた。しかもそれは泥や土ではなく、高温で真っ黒に焦がされたものだった。それは大通りだけでなく、裏道や路地裏、果ては建物と建物の隙間に至るまでどこもかしこもスルトの足跡で埋まっていた。

 

『ふふふ、制御が甘かったらしい。石像になったことはあれど、人型になるのは初めての経験であったからな』

 

「それはどうでもいいです、それよりどうするんですか? 街中こんなにしちゃって、六課でも処理しきれませんよ?」

 

『心配はいらん、他の人間共の様子を見てみるがいい。貴様等以外には誰も足元を気にしておらんだろう?』

 

「あ、ホントだ」

 

言われてみると確かにそうだ、道行く人々の誰もが、足元の焦げ跡に何の興味も示さないどころか、一切気付いていないように見える。

 

「おっ」

 

ふと少々先で焦げ跡の真上にハンカチを落とした婦人の姿が目に入った、彼女はすぐにそれに気づきハンカチを拾い上げる。しうかし焦げ目の真上に落ちたというのに、それをちらと見ることもしない。

 

「どういうことですか? 何でみんなこんなに沢山あるのに気付かないんです?」

 

『話せば面倒になる、察せ』

 

「………」

 

「………」

 

『何だその眼は? まあいい、我は話さんぞ? 知りたければ我が主にでも聞け。焼け跡は我が消しておく』

 

そして一方的に空間モニターを向こうから閉じられた。

 

「何なのよ……」

 

ともあれ、ぼやいている間に眼前の焦げ跡が徐々にではあるが消え始めた。このペースならば数分も立てば消えるだろう。

 

「そういえばさティア」

 

いつの間にか両手に三段のアイスクリームを構えたスバルがその片方をこちらに差し出しながら訪ねて来た。

 

「スルトさんって何しに都市に来たんだろ?」

 

「ん、ありがと。そうね、人修羅さんの命令って言ってたけど、何かしらね? あの人ならその辺に手を突っ込んだだけで、何でも取り出しそうだけど」

 

「さ、流石にそれはないんじゃないかな……絶対にないって言い切れないけど……」

 

「そういう可能性も人修羅さんならあり得るってこと」

 

移動しつつ、受け取ったアイスを口に含む。白色の最上段はヨーグルト味だった。

 

「なら、必要な物じゃなくて別の何かってこと?」

 

「その確率の方が高いかもね。スルトさん短時間で街の隅々まで歩き回ってたみたいだし」

 

薄赤の二段目を口に入れる、赤色の果肉を僅かに含んだイチゴ味だった。

 

「なにか場所を探してるのかな?」

 

「場所、ね。だとしたらどこを探してるのか……」

 

「そもそも悪魔ってどうやって生きてるんだろ? だいそうじょうさんみたいに何も食べないでも生きて行けるみたいだし」

 

「それ以前に人修羅さんみたいに異常な力の持ち主が、今の今まで時空管理局に気付かれずに、何年も行動してたってのが分からないのよ」

 

「そうだね、悪魔自体も八神部隊長が言うには数年前の発生の前は、数十年前に一度確認されただけらしいし」

 

「まっとうな生き物じゃないっていうのは、人修羅さんが色々呼んだときに分かってるけど、普通じゃないってだけじゃ説明できないことがあるのよね」

 

「……そうだね」

 

僅かに沈黙、だがすぐにアイスを食べきったスバルがコーンの尻を口に放り込み、噛み砕いて口を開いた。

 

「いっそ人修羅さんに訊いてみる?」

 

「……それは何か嫌、負けた気がする」

 

あはは、とスバルが笑う横でアイスの三段目を口に入れる。薄緑色をしたそれは。

 

「!? スバルッ!?」

 

「うぇ!? な、何?」

 

「何よこれ!? 青リンゴか何かだと思ったら、何か苦いのか青臭いの良く分かんないのが来て! あー! うまく言葉にできない! 何!? 何買ったの!?」

 

ああ、とスバルはいつもの調子で言った。

 

「白菜。ティアナいつもイライラしてるから、野菜を取ったほうが良いと思って」

 

割と本気でスバルの頭を殴打した。

 

 

「さて」

 

と、ティアナ達の映っていた空間モニターを閉じたスルトは一息ついた。

 

「ふむ」

 

そして再度モニターを開く、しかし開くのは通信画面ではなく、大量に記述された大判画面だ。

 

「うむ」

 

そして先ほどまで書き込みを続けていたそれの端から端まで一度目を通す。どこにも問題は見受けられない。

 

「これで、我が主の令は完了か」

 

都市に来て何度目かの吐息を漏らす。最近自棄に吐息が板についてきたのが我ながら情けない。

 

だがしかし、さて残った時間をどう使おうか。今から急ぎ六課に戻り、技を鍛えるのも良いし、このまま街を散策するのも良いだろう。どちらにせよ、と移動を開始しようとしたとき

 

「―――?」

 

ふと、視界に色のついた何かが入り込んだ。それはビルの側面に張り付いており、明らかに見知った姿かたちをしていた。

 

「アイツは何をしている?」

 

鍛錬や散策よりも、それの行為に興味を引かれ、取り敢えずそれの位置まで跳躍した。

 

 

「トールさん、あの子達の様子はどうです? 何か変なところに行ってたりしません?」

 

フェイトは手元の書類にペンを走らせながら、展開したモニターに意識を向けていた。

 

(無問題だ、貴様の言っていた通り、前々から計画していたポイントにのみ向かっている)

 

モニターの先に映るのは、ビルの側面に四肢で張り付いているトールだ。

 

(見ろ)

 

と、表示先が、右下にややずれた。そしてその先に映ったのは、遠方のためか解像度の低い、しかしたしかなエリオとキャロが手をつないで歩いている姿だった。

 

(三ヶ所目、今のところは事前の計画そのままだ、次は―――)

 

と、そのとき、トールは口をつぐみ、こちらに手を向け待ての令を出した。張り付き身を倒すように視線だけで奥を窺がうと、数秒後に手信号で二人がこちら移動し始めたため、己も移動する旨を告げた。それに対しこちらも声を出さず、タイピングでトールにメッセージを送った。

 

『分かりました、引き続きお願いします』

 

頷いたトールを最後に、画面が閉じる。

 

「トールさん、結構ノリノリですね。こういうの嫌いそうな振る舞いなのに」

 

「あいつ居ねーと思ったらあっちに行ってたのか。つーかフェイト、いつの間にあいつと仲良くなったんだ?」

 

両手で大量の資料を抱えたなのはとヴィータが、机を挟んで向かい側から苦笑交じりに現れた。

 

「はいこれ、フェイトちゃんの分はこれで最後だから」

 

「ん、ありがと」

 

早速積み上げられた書類の頂上の一枚を取る。

 

「それで、どうやってトールさんに頼んだの? あの人、結構真面目そうだし、むしろこういう事を怒って止めようとすると思ってたんだけど」

 

一息ついてなのはが自分の隣のデスクに座る。

 

「なのはは怒らないの?」

 

「わたしが言っても、フェイトちゃんの過保護は治らないでしょ?」

 

その言葉に思わず笑みが浮かんだ。

 

「それで、あいつに何言ったんだ? 色仕掛けでもしたのか?」

 

「してないから……別にトールさんには何も特別なことは言ってないよ。ただ普通に食堂で彼に頼んで、了解してもらっただけ」

 

「じゃあ、なんであいつなんだ? 一番とっつきにくそうだろ」

 

「だって、彼しか居なかったもの。メルキセデクさんと、だいそうじょうさんは見つからなかったし。セトさんは眠ってるし」

 

「………」

 

ヴィータが半目になったが取り敢えず気にしないことにする。

 

「へえ、わたしトールさんとはあんまりお話ししたことないから、やっぱり意外。トールさんて、思ってた以上に柔軟な人なのかな?」

 

「はっ! どーだかね」

 

頭の後ろで手を組んで、眇めでヴィータがぼやいた。

 

「ヴィータ、やっぱりまだトールさんのこと苦手?」

 

先ほどからヴィータの態度を見るかぎり、やはりまだそうなのかと思う。なにしろヴィータは一度トールにプライドとデバイスを砕かれているのだ。だが返ってきた返答は意外なものだった。

 

「……そーでもねー」

 

お?

 

思わず片眉が上がった、見ればなのはも同じように驚いている。勝気なヴィータが、一度喰いついた相手に大人しくなるのは、何か心境に変化があったということだ。

 

「え? ヴィータちゃん何かあったの?」

 

「……何もねーよ。ただアイツ、等別にはやてに危害を加える気は無えって、ようやく分かったからだよ」

 

触れ腐れたようにヴィータはイスを軋ませた。

 

「へぇ……」

 

そんなヴィータに、なのはが嬉しそうに後ろから抱き付いた。

 

「な、何だよなのは! 離れろよ!」

 

「んふふー いやー」

 

そのままヴィータとなのはがゆらゆらと揺れているさまを見ながらふと思ったのは、もっとも溝のあると思っていたヴィータと対極の存在、シグナムの事だ。

 

元々がバトルジャンキーじみた彼女は、すぐにスルトと鍛錬をするようになったと聞くうえ、最近では師事も仰いでいるとも聞いた。交替部隊の長を務める彼女程の存在が、はるか各上と認め教えを乞うなど、いつの間にか最も六課で悪魔達と親しい仲になっている。やはり戦闘好きの性か、それともただ馬が合うのか、人修羅やオーディンと、戦闘に関する会話で意見を交わしている姿を何度も見た。

 

「あっ……」

 

そのとき書類の山に手を伸ばしかけ、ふと山がすでに平地となり、灰色のデスクの土を見せているのに気が付いた。

 

 

雑木林に姿を変えた訓練場の中、シグナムは今日何度目になるか分からない剣技の型を作った。

 

「ふぅ……」

 

眼を瞑り、思い出すのは以前に見た彼の動作。剣を一閃させる彼の動きを想える限りに再現する。

 

「はっ!」

 

呼気と共に一閃。

 

「………」

 

しかし、風を凪ぐことはするものの、標的とした樹木には何も起きない。彼の動きを完全にトレースしたというのに、彼のように衝撃波を発することができない。

 

「……何故だ」

 

一度はうまくいった、だがそれからはまったく成功しなくなった。誰も答える者は居ないというのに、疑問が口から出ることを止めることができなかった。

 

「簡単なことですよ」

 

しかし声が来た。気配を感じさせずに近づいてきたその存在に驚き、振り向いてみれば

 

「休日だというのに鍛錬ですか? 随分熱心ですね」

 

「……貴様か、何の用だ」

 

いつからいたのか、鋼の天使がそこにいた。いつもの鉄面に阻まれ表情は分からないが、どこか笑っているような気がする。

 

「いや、すみません皮肉ったつもりはなかったんですが……そんなことより、貴女のやろうとしてるそれ、もしかして『ヒートウェーブ』ですか?」

 

「そうだが、貴様判るのか」

 

「動きを見れば何をしようとしてるくらいは分かりますよ。それにその技は嫌というほど見てますからね」

 

彼は手を付いていた木から手を放し、ゆっくりとした歩調で歩いてきた。

 

「他の方々は皆書類整理をなさってますが……貴女は大丈夫なんですか?」

 

「無論だ。新人達の訓練に参加しているヴィータやテスタロッサと違い、私は人に物を教える柄ではないからな、その分時間が空く」

 

「ああなるほど、そういえば確かに貴女を見かけたことがありませんね。得心しました」

 

うんうんと頷いているメルキセデクに、ともあれ一応は尋ねておく。

 

「今からここを使うのか? 出来ればもう少し待ってほしいのだが……」

 

「ああいえ、そうではありません。ちょっと口を出しに来ただけですよ」

 

「……?」

 

「先ほどから見ているかぎり、どうも貴女は動きに重点を置いて技を出そうとしているみたいですが、それは間違いですよ。人として優れた戦士が悪魔の技を使おうとしたときに真っ先に落ちる罠ですね」

 

「む、どういうことだ?」

 

「人間の技は動作や構え、何か動きを通さないと形にできないものがほとんどです。しかし悪魔の技は、己の魔力やその他もろもろを技のフィルターに通して発動させるものです……っと」

 

こちらの左側に立ったメルキセデクが手刀を横一閃に振るう、その瞬間彼の指先から衝撃波が発せられた。

 

『ヒートウェーブ』

 

それはスルトや人修羅の物と比べれば弱いものだった、がそれでも先ほどまで自分が標的にしていた樹木に直撃し、更に数本をなぎ倒す程度の威力を発揮して、霧散し消えた。

 

「さらに……っと」

 

手刀を振った勢いそのままに、今度は足刀を同じように振るう、そして同じように衝撃波が出、またも木々をなぎ倒す。

 

『ヒートウェーブ』

 

「ふう、こんな感じです。自分の膂力に関係なく、慣れればありとあらゆる箇所から技を打てるのが悪魔の強みですね。裏を返せば、個人で悪魔の技全てを使うこともできるってことですね」

 

流石に羽根や口が無いとできないものもありますがと、彼は苦笑気味に言ったがそれを頭に入れる余裕はなかった。

 

「フィルター……か」

 

「ええ、動きだけ見ても、我々の技の会得は難しいです。見るのは魔力の動き、どう動いてどう渦巻くか、それさえ見えれば『ヒートウェーブ』くらいなら簡単にできますよ」

 

「だが、メルキセデク。私はこの技をスルト殿から学んだ際、武器を通して発動する技だと聞いたのだが、お前は四肢から出したようだがどうやったのだ?」

 

問いかけた先、メルキセデクは少し驚いたようにこちらを向くと、すぐに口を開いた。

 

「え? ああこれも簡単な事です、よっ!」

 

言葉と共に彼がこちらに全力の貫手を叩き込んできた。

 

「なっ!」

 

咄嗟に復元状態だったレヴァンテインで防ぐ、瞬間、金属同士がぶつかり合う音共に火花が散る。刹那の攻撃だというのにその重さに、おもわず怒りよりも先に驚愕が来た。

 

「何をする!」

 

だがすぐに怒りも来た、だがメルキセデクは悪びれる様子もなく手を引くと、その手の爪先をそろえて見せた。

 

「手刀も刀でしょう?」

 

はっきりと彼が笑った気がした。全く邪気のないその声に、怒りも自然に引いてしまった。

 

「貴様はいつもそうしているのか?」

 

「え?」

 

「スバルや他の者からも聞いている。人修羅殿を含めた悪魔達の中、他の者がこちらから求めねば応じぬというのに、貴様だけがこちらに手を差し伸べてくると」

 

「ああ。他と比べ私だけLow-Lightというのもありますが……まあ、私の生きがいみたいなものですよ」

 

「生きがい?」

 

「ええ、迷える者がいれば助言し導くことが、私の生きがいというか、信念みたいなですから」

 

困ったように視線を迷わせたメルキセデクは、今度はせわしなく両翼を動かし出した。

 

「ああえっと……まあそんなところです。貴女にだって信念の一つくらいあるでしょう?」

 

おや? と思った。彼の口調が何故かやや焦ったように加速しているのだ。

 

「あっとすみません。『ヒートウェーブ』は一度自分で使えたことがあったんでしたよね? なら私やスルトに教わるよりもそのときの自分を夢想するほうがすぐに馴染むようになりますよ、じゃ私はこれで」

 

と言って急ぎ足どころか、背翼まで使った全力の移動で逃げるように居なくなった。

 

「……何なのだ?」

 

何か変なツボを突いてしまったのだろうか。首を傾げてみるものの、遠くで大扉の開く音だけが聞こえた。

 

「まあいいか」

 

気を切り替え、再びレヴァンティンを構える。標的としてしていた樹木はすでにメルキセデクに凪ぎ倒されてしまった。

新たな試し斬りのための手頃な樹木を探し、少し歩く。

 

「む?」

 

ふと靴裏からくる感触が、枯葉を踏むものから、ガラスを踏み砕くようなものに変わった。視線を落としてみればそこには凍り付いた大地があった。

 

「あれからもう九時間以上だぞ……?」

 

しかも室内設定で常に真上から日光の当たるように設定された要るのにも係わらずだ。

 

「……ふっ」

 

凍り付いた葉の一枚を拾い上げ、その冷たい感覚に笑みが浮かんだ。

 

「こんなものが私にもできるだと?」

 

葉を握り潰し、手頃な木に狙いをつける。

 

「良いな! 遥か上が見えるというのは!」

 

気分も高揚し、いざ! とレヴァンティンの握りを確かめ、一閃させた……ところでそれを妨害するものがあった。

 

『シグナム、ちょっとええ―――……

 

剣を振るうその軌道上に、はやてを映したモニターが出現した。寸前にそれに気付き、慌てて剣を引くものの、だがやはり一度一閃させた剣を途中で止めることなどできず。

 

「あっ!?」

 

紙風船を叩き潰すような音をして、空間モニターが上下に分かたれ、そして消えた。

 

「あ……」

 

思わず呆然としてしまった。今朝、すでに師とも言えるスルトに予期せぬ一撃を叩き込んでしまっているというのに、今度は主であるはやての顔を、虚像であるとはいえ切断してしまった。

 

「………」

 

先ほどまでの気分も何処へやら、許されるならば今すぐに部屋に戻って小さくなっていたいが、主はやてから通信が来たということは、何か指令がある率が高い。

 

『あ、あのー、シグナムさん?』

 

そう思っていると、先ほどと同じ位置に再びモニターが出現した。沈んだ顔を主に見せるわけにはいかない。無理やりにでもいつも通りに振舞えるよう意識を集中させた。

 

「はっ、何でしょうか主はやて」

 

『あー、今怒ってたりせえへん?』

 

どうやら寸前の映像は向こうに行っているようだ。逃げ出したいがそうもいかない。

 

「いえ、あのそれで私に何か?」

 

『ああ、怒ってないんならええ。何かいやなことあったんなら、私に言いなや?』

 

主優しい! と心の中ではやてに対する評価を跳ね上げながら、続く言葉を聞いた。

 

『それでな、シグナムにちょっと頼みたいことがあるんやけど』

 

「頼み事?」

 

『聖王教会に行ってくれへんか? 陸士部隊の合同捜査の件で、最後の煮詰めを聖王教会で、行うことになっとんのやけど、副隊長以上の役職持ちで、手ぇが空おってるんがシグナムしかおらへんのや』

 

「成るほど、了解した。すぐに向かいます」

 

『ん、気をつけてな』

 

そう言い、モニターが閉じた。

 

「さて」

 

と準備のために私室に戻ろうとしたとき、ふと視界の端に妙なものが映った。

 

「これは……」

 

先ほどまで標的としていた木と、それの左右に挟むように生えていた木々の三本が凪ぎ倒されている。レヴァンティンで斬ったにしては断面が荒々しく、しかも振ったあのときはモニターに当てぬように引いたはずだ。つまり

 

「………」

 

この木々の現象が意味するところに思わず笑みが浮かんだ。

 

 

マントラ軍本営と並ぶだろうかという巨大な建築物を右に、トールは地上四十階ほどに右の手足で張り付いていた。

視線の先にあるのは、何かを談笑しながら歩くエリオとキャロの姿だ。聴覚を強化すれば聞き取れるだろうが、流石にそれは野暮だろうとそれはしていない。

 

「何をしているトール」

 

そのとき背後から声が来た。ビルの側面だというのに、堅い足音も後からやってくる。そちらを見てみれば、人型になったスルトが垂直に立っていた。髪や衣服だけが重力に従って垂れ下がっているが、立ち振る舞いはそれに従わない。

 

「見てわからんか」

 

「分からんから聞いているのだ」

 

顎でエリオとキャロの方を示す。スルトが二人に気が付いたことを確認し、言った。

 

「尾行だ」

 

「……追跡か? あまり感心する行いではないが……」

 

「奴等の保護者からの依頼だ、一応は我等の契約者でもあるのだ、無下には出来まい」

 

「保護者? ああテスタロッサのことか。貴様は黄金の長髪に弱いのだったな、ならば仕方ないか」

 

「そうだ、仕方ない」

 

そういうことになった。

 

「ふざけるな馬鹿者」

 

そういうことにはならなかった。

 

「貴様は昔からそうだな。世界樹(イグドラシル)の世界の頃からそうだ。美しい金の長髪に弱い、それで何度痛い目に会っている?」

 

「片指を過ぎたあたりからは数えていない」

 

半目のままスルトがこちらを見たが、面倒になりそうなので無視を決め込む。だが放置しようとしていたその矢先

 

「……スルト、何故貴様もいそいそと尾行の準備に入っている。貴様には我が王からの令が下っているだろう」

 

「既に完了している。宝石類は金に換え、主任務も先ほど終えた。別に良いだろう、我が居た程度で支障は無い筈だ」

 

それはそうだが、とトールは応じ、そうならば、とスルトを見た。

 

「何の理由があって貴様が尾行に参加するのだ。貴様は無駄を嫌う性格だろう」

 

 

トールの言葉に対し、スルトは鼻から息を通し言った。

 

「言っただろう、貴様が痛い目を見ぬように私も行くだけだ」

 

「……了承した、依頼主には我から伝えよう」

 

それ以上言葉を作る気はない。エリオとキャロが移動を開始したからだ。目線だけでトールと会話する。こうなればあとは互いの行動は早い。

 

曲がり角に二人の姿が消えたのを皮切りに、トールは跳ねるように、こちらは翔けるようにビルの側面を往く。

 

(止まれ!)

 

角の直前で、地上であればスキール音が響くだろう勢いで宙で急停止をかける。そして視線だけで奥を窺がう。見ればどうやらよそ見をしていたエリオが他の通行人に衝突したらしい。その通行人に焦点を合わせようと視力に力を込める。

 

「!?」

 

「なっ!?」

 

そこにいたのはキャロとほぼ身長の変わらぬ少女だった。金の髪に白のカチューシャ、そして群青のワンピースを着込んだその姿は。

 

「スルトッ!」

 

「ああ、分かっている声を立てるな」

 

気配を完全に消し、様子を見る。平謝りをするエリオに少女は笑顔で応じていた、そして少しして、少女は手を振りながら二人の傍を離れ、背を向け去って行った。

 

(他人のそら似か……?)

 

あの少女がこちらの想像している者ならば、戯れにここいら一帯が浄土と化してもおかしくないが、しかしその様子はない。

 

(それは無かろう、我が王が奴の姿を確認したのは先日の話だぞ?)

 

少女の背が小さくなっていき、そして路地を曲がって見えなくなった。

 

(……我がアイツを追尾する。スルト、貴様はあの二人を追尾しろ、何かあったら雷鳴を立てる。我が主は今は調べ物の真っ最中だ。我等だけで片を付けるぞ)

 

そう言ってトールはこちらの返事も聞かず、音もなく側面を蹴り、高速の三角跳びでエリオ等の頭上を気付かれることなく通過し、同じく路地を曲がって消えた。

 

「さて」

 

トールを見送り、再び二人に傾注する。見れば二人は既に小走りで移動を開始している。だが何やらエリオとキャロが、ばれぬよう背後を気にする仕草が、拙いながらも行われているのが見えた。

 

「さきのトールの声で感付かれたか?」

 

元々聴覚の優れているエリオと、カンの強いキャロだ。無音で頭上を通り越したトールに気付かずとも、音のしたこちらには気が付いたらしい。

 

「だがまだまだ、素人だ」

 

『エストマ』

 

完全に気配を断つ。人間化しているとはいえ、己は業火の魔王だ、本気で気配を断てば並の人間では気付くことはできない。正面二メートルに近づいても気付かれない自信はある。

 

「おっ」

 

エリオと視線が合った。しかしすぐに彼は前を向いた。視線が合っても気が付かない。久方ぶりに使う『エストマ』だったが、腕は落ちていないようだ。

 

「………」

 

ちらトールの向かった先に視線を飛ばす。すでに彼も彼女の姿もなく、雑多な人混みだけがあった。同界の出身者である彼のことを一瞬思うが、彼なら無問題だろうと、エリオとキャロの背に視線を戻す。無論トールの雷鳴をいつでも聞き取れるよう、聴覚は尖らせたままだ。

 

だが、自分の思いとは裏腹にトールの雷鳴は鳴ることはなかった。

 

 

時空管理局の中で最も巨大な一室、無限書庫で一つの動きがあった。

 

「こんなかんじかね」

 

宙にばら撒かれたハードカバーやソフトカバーの書物と本棚が埋め尽くす空間の中、二人の青年がその中心にいた。

 

一人は金の髪を後ろでくくり、ライトイエローのシャツを着こんだ青年。もう一人はむき出しの上半身に、複雑で緻密な入れ墨を入れた青年だ。

 

「いい感じだ、だがもう少し……」

 

入れ墨の男、人修羅は手の中で異常に発光しているこぶし大のそれを見て呟いた。

 

「それは?」

 

金の神の青年、ユーノは人修羅の手の内にあるものを見て尋ねた。

 

「圧縮魔力だ」

 

「圧縮魔力? でもただの圧縮魔力には見えないが………」

 

魔力の圧縮はミッドチルダではメジャーな技術だ。効率よく魔法を発動、及び運用するための技術で、管理局の魔導師ならば誰もが使える簡単な技術だ。

 

「しかし、それは違うだろ? 魔力圧縮をしたとしても見た目はほとんど変わらない。それのように魔力光すら特定できないほどの発光は起こらないはずだ」

 

「ああ、貴様等の使う圧縮の一万倍ほどに加圧したからな。こうもなる」

 

「え? 一万倍?」

 

「おお、貴様等は運用効率のためだけにこいつを運用するが、ここまで圧縮すれば地域限定の大破壊にも使える。まあお前等の中にここまで加圧できる奴が居ないってのもあるんだろうが」

 

「へ、へえ……」

 

「この中には俺のスキル『メギド』を圧縮したものを込めた。恐らくこいつを一気に解放すれば、この書庫の八割を消し飛ばすぐらいにはなる」

 

 

人修羅が何のためらいもなくそう言うのを、ユーノは引き気味で応じていた。

 

(どうしてこうなった……)

 

無限書庫内を見まわす、右方向にオモイカネ、後ろ側にダンタリオン、そして真上に何か言い争いをしているオーディンとトートが居る。時折、熱風が届いてくるのが気になるが、ここは書庫だ。流石に火炎魔法は使っていないようだ。

 

(誰もいない……)

 

入口扉に視線を送ってみる。半開きの扉の向こう側に、ここからでも自分の部下や司書、それにフェイトの使い魔であるアルフの姿が垣間見えた。

 

(誰か来てくれ……!)

 

しかしどうやら自分の願望は叶いそうにない。最近になってやっと職員達も、共に書庫で作業をしている悪魔にも慣れてきたというのに。

何故今日来たんだ―――! 無限書庫のど真ん中に、雷鳴のような音とともに衝撃波を纏って降臨した人修羅は、傍らにオーディンを従え、高笑いをしながら現れた。

 

「おもわずテンションが上がってな。悪かったと思うが後悔はしていない」

 

人修羅が悪びれずにそう言うのを、既にそのときユーノは一人で聞いていた。

 

(くそ、あいつら……)

 

時折扉の奥からアルフが両の手で、頑張れ系のジェスチャーをしているのが眼に入る。後で叱ろうと思いつつ視線を人修羅に戻した。

 

「しかし、何故そんなものを? なのはに聞いたけど、君は万能なのだろう? これに近しい戦技ぐらいはあるんじゃないのかい?」

 

まあそうだな、と人修羅は頷き、手の魔力塊を霧散させた。

 

「だがな、俺は万能だ。だが全能ではないんだぜ」

 

「え?」

 

「俺はこの世界を去っても、また新しい世界に行き、そこで新しい戦いを始めるだろう。だがその相手が、万能である俺を超える全能だったら、そのとき俺はどうしたら良いと思う?」

 

「ど、どうしたらって……」

 

「そうだな言い換えよう。お前の情報収集不足のせいで、例えばそう、六課の連中死亡するようなことがあった場合だ、それは誰のせいだと思う? 弱かった六課の連中か」

 

それは、と言いよどんだ。なのはやフェイトとは、十年近い仲だ。彼女等が死亡するなど、想像したくもない

 

「……それは、そのときは彼女達のせいじゃない。努力を怠った僕のせいだ」

 

「そう、それは俺の場合もそうだ。俺が万能であるが故に慢心し、全能に至らなかったばかりに、敵に敗北する。だから俺は強くなる努力を怠らない。似た戦技? 似ただけで全く違うものかも知れないだろ? 覚えておくに越したことはないさ」

 

そう言い切った彼は、再び手の内に圧縮魔力を作り出した。

 

「主、主、おもしろいもんがあったスよ」

 

そのとき、右後ろから人修羅を呼ぶ声が来た。振り返ってみれば、そこには一冊の本を抱えたトートが居た。白い毛が僅かに切り裂かれ、赤い色が零れていることについてはあまり気にしないことにする。そろそろ慣れなければついていけない。

 

「おう、何だ」

 

「これ、これ見てみて」

 

人修羅が手を振り、トートの広げた本を覗き込んだ。それを後ろから覗き込んでみると。

 

「闇の書?」

 

そこに描かれていたのは、はやての持つ夜天の魔導書の前の姿。“闇の書”の概要だった。

 

「闇の書。世界を廻り魔法技術を蒐集する蓄積型の自動ストレージ。これに近いものをボク等で造れば、戦技蒐集効率も上がるんじゃないスか?」

 

「ん―――。だがこの本の描いてあんのは概要だけだろ? 実物を見てみなきゃ回路やシステムも解んねえし、お前等“知識と探究の泉”でも造れねえだろ」

 

「ああ……やっぱそう思うっスよねえ……それについてさっきオーディンの野郎と言い合ってたんスけど」

 

「可能だっ!」

 

風切音と共にオーディンが上から降ってきた。片膝付きで着地した彼の、至るところが焦げているのも、やはり気にしないことにする。

 

「だから無茶っスよ。東郷平八郎にビーフシチュー作れって言われるくらいの無茶っスよ」

 

「さりとて肉じゃがはできるのだ! 最後はどうあれ完成までは漕ぎつけるだろう!」

 

「でもデミグラスソースと醤油じゃ全く違うっスよ。既に真逆っスけど、明後日どころか来週な方向に走って行っちゃったらどうする気っスか」

 

「具材を細かく煮込みをメインにすればいけるだろう! 来月までなら問題ない! 締切には間に合う!」

 

「編集長に何て言って待ってもらう気っスか!?」

 

「お前等テンション上げて意味不明な会話展開するのやめないか?」

 

人修羅の一声で双方は口をつぐんだ。

 

「はあ……ま取り敢えず実物を見て決めれば良いだろ」

 

「あ、それは無理だよ」

 

え? と三者の視線がこちらを向いたことに、若干の緊張を覚えつつ言葉を作った。

 

「闇の書は既に、はやてが彼女用にに改造しているから、君達の創作に役に立たないと思うよ。人修羅君は見たことがあるだろ? 金の十字架をあしらったハードカバーの本だよ」

 

「ああ、あれか―――あ? だがあいつはあの本の事を夜天の魔導書って呼んでたが?」

 

それは、と彼等に説明する。

 

「闇の書には致命的なバグがあってね。それは闇の書のマスターの生命を危険にするものだったんだよ」

 

「ふむ、でそのバグを?」

 

「ああ、闇の書の闇“ナハトヴァール”と呼ばれたそれをはやてが取り除いてね。闇の書と決別の意も込め、真の名である夜天の魔導書の名を付けたんだ」

 

「成るほどね」

 

と、人修羅が顎に手を当て何かを考える仕草をした。

 

「オモイカネ! ダンタリオン!」

 

顔を上げた人修羅が二人の悪魔の名を呼んだ。

 

「私を呼んだか? 呼んだな? 呼んだだろう? 我が主」

 

「我ノ名ヲ呼ンダカ?」

 

「おお呼んだぜ、それとトート」

 

「何っスか」

 

三名の名を呼んだ人修羅は、しかし彼等に眼を向けず、最後の一人であるオーディンに眼を向けた。

 

「オーディン」

 

「何か?」

 

「お前、造れると言ったな」

 

「ああ、最後がどうなるか分からんがな。作成は出来る。断言しよう」

 

良いねえ、と人修羅が笑みを作った。ならば、と

 

「訓練の合間合間で良い、設計図、造ってみろ。何もしないより前向きだ」

 

「―――御意」

 

「お前等三人はそれを元に取りあえず一つ作ってみろ、使用可能不可能はそれを見て俺が判断する」

 

「了解シタ」

 

「……うーッス」

 

人修羅はもう一度、良いねえと呟くと、笑みを更に深くした。

 

「自動収集か。良い世界だなここは。結果がどうなろうと、面白くなりそうだな、おい」


 
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