No.65483

夏色透かす桜の木陰と小さな貴婦人たち 1_interlude

維如星さん

「夏色透かす桜の木陰と小さな貴婦人たち」シリーズ第1章幕間劇。

2009-03-27 13:20:25 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:910   閲覧ユーザー数:869

Interlude: エンカウントⅡ

One More Gear Shift: A Minor Change

 

こうして彼女は、扉を閉めた。

決して放り出さず、後ろ手にもせず、真っ直ぐに自分の想い人と向き合って、最後まで手を添え静かに扉を閉めたのだ。

その瞬間、膝が崩れ落ちそうになる。

(ああもう! しっかりしなさい向坂環!)

と言っても、別に今まで彼女が虚勢を張っていたわけではない。今宵彼女が口にした事、彼女が取った態度、そして彼女が下した決断。そこに演技は一つもなく、それは全て彼女の自然な感情から流れ出たものだった。

──という確かな事実があろうとも、例えば自分が勢いで口走った台詞の数々や、思わず貴明に泣きついてしまった現実、そして仮にも相手から抱き締められてしまったささやかな嬉しさ等々───

(ほんっと、あの涙は私一生の不覚だわ)

ぐるぐる思考して思わず膝が抜けそうになる、それら大赤面の恥ずかしさが、別に消えてなくなるわけではないのだ。何だかんだ言っても、実際には色事には初心な環姉さんなのである。

「ま、それはそれ、だけどね」

と、彼女は敢えて声に出して呟いた。

今日この夜、自分のやったことは決して間違ってはいない。だったら、多少の──本当は多大だけど──気恥ずかしさは忘れてやろうじゃないのと、彼女はそう自分の内に宣言したのだった。

 

そう頭の中を整理しながら河野邸の門を出ようとする彼女の前に、けたたましいブレーキ音を響かせて一台の原付が転がり込んでくる。

「ちょ、ちょっと!」

とっさのバックステップで危うく衝突を免れたが、一方の原付バイクはそのまま文字通り転がるように急停止し、半ば投げ出すような感じで運転者が飛び降りる。バイクは派手な音を立てて道に転がったが、飛び降りたその少女はそんなモノを一切意に介していないようだった。

そして、二人は正面から互いを認識した。

 

 

「まーりゃん先輩──?」

「なんだ、タマちゃんか」

 

 

意外な顔を意外な場所で──そんな偶然の遭遇を訝しがったのはお互い僅か数瞬で、今日この日、この場所の持つ意味を双方がすぐに悟っていた。

二人の視線が交錯する。

普段はへらへらとした顔しか見せず、怒りや悲しみですら笑いと諧謔で表す、まーりゃんこと朝霧麻亜子。だが今の彼女に、かつて全校生徒に親しまれた愛嬌など微塵も無い。彼女の持つ「直情」という属性が怒りの側に振れた時、この全てを払う空気を纏うは必定だった。

一方、視線の鋭さでは余人の追随を許さない環だが、この日の麻亜子の眼光には流石にたじろぐものがあった。とは言え、ここで彼女が相手を恐れる理由は何も無い。

「どうしたんですか、こんな時間に」

無論、この場の全ての理由は久寿川ささらに関わる話以外ではありえない。だが彼女は分かりきった答えを敢えて無視し、目の前の小さな先輩に問いを発した。

「あー、タマちゃんが何でここにいるかは知らないんだけどさ」

その朝霧麻亜子も、分からないはずのない環の存在理由をあっさり知らないものと流し去り、

 

「──どいて。あたし、たかりゃんに用があるの」

 

ただ己の要望だけを、押し通した。

普段であれば、その鉛のような言葉で道を開けない者などいなかっただろう。だが、今彼女の前に立っているのは向坂環であり、その環は今、貴明の名前に強く反応する状態だった。

つまり。麻亜子のその言葉に、環はこの場の意味から目を逸らすのをやめたのだ。

 

「お断りします」

 

その背中に、護るべき者がいる。

この瞬間、環はもう一切相手の気迫に圧される事はなくなった。彼女は己の先輩をひたと見据え、

「今の貴明に必要なのは、一人で考える時間です。あのコを糾弾するだけだったら、もう大した意味はありませんわ。どうか、お引取りを」

そう、昂然と言い切った。

再び視線が交錯する。見えないチカラが互いの眉間を強く強く圧迫する。秒針が時を刻む事数回、二人の間の大気密度が臨界点に達したとき、

 

「──どーしてもか」

 

そんな言葉が、圧した空間に割り込んだ。

「どうしてもです。まーりゃん先輩は久寿川さんの専門家かもしれませんけど。貴明のことなら、私やこのみの領域ですから」

環は即答し、再び空白の時間が生まれる。だが空間に満ちる圧力は、目に見えて下がっていった。

やがて、朝霧麻亜子は小さく溜め息を漏らした。

「ま、タマちゃんがそーゆーなら」

さっきまでの気迫は嘘のように消え、彼女は大げさに肩をすくめて踵を返した。

「タマちゃんも帰るとこでしょ。とりあえず出よっか、長居してもしょーがないし」

彼女が後ろを向いたが故に、環からはそんな彼女の顔を見ることはできず、その瞳にどんな光が映っていたのかは分からなかった。

──だが。

「あのコも──久寿川さんと同じくらい、貴明も難しいコなんです、まーりゃん先輩」

ほんの少し立ち位置が違い、ほんの少し目線の高さが違うだけで、自分たちは本質的に同じところを見ている──それを環はこの瞬間に理解したが故に、麻亜子の背中にそんな言葉を投げかけたのだ。

「そんなこと、知らないわけないじゃん」

彼女は転がした原付に向かって歩き始める。

「まあそっちは二人掛りだもんなー。ずるいよなー。でも、そこまで言える君らが、二人もいるなら」

そして彼女は歩みを止め、再び環の方へと頭だけで振り返る。そこには、何処か疲れたような、自虐に満ちた笑みが浮かんでいた。

「任せたよ。あたし、バカっコだから。さーりゃんにもたかりゃんにも、本当にできる事なんて何もないの、分かってたんだけどさ」

そうだった。どんなに大切に想っても、相手の一番にはなれない存在。相手を気にかけているのに、その相手を傷つけてしまった矛盾。環と麻亜子の二人は、貴明やささらが似ている以上に、同じ立ち位置の存在なのだった。

環はゆっくりと彼女の後を追い、河野邸を後にする。この場で彼女とは帰途を違えるけれど、その前に向坂環は呟いた。

「私もそれは同じです。本当の意味で、私にできることなんて何もない。でも──」

一方麻亜子はバイクを起こし、掴んでいたヘルメットをおどけた調子でぽんと頭に載せ、そして仕方が無いな、といった調子でその呟きに答えを返す。

「いーんだよそれで。やらぬ善よりやる偽善って言うじゃん。あたしたちは、自分たちのやりたいようにやるしかないし、それでいいんだと思うよ」

夜は静かに更けていく。環は先輩の台詞に肯定とも否定とも取れる小さな息をつき、このささやかな対話を終わらせた。

月灯りの下、対照的な身長の二人が、それぞれの領域へと帰ってゆく。

 

 

「にしてもたかりゃん人気だなー。アレか。やっぱスゴいのか。あんな可愛い顔して」

「笑顔のままブッ殺しますよ朝霧先輩」

 

 

歯車がまた一つ、違う方向へと廻り出す。

 

 

 

4: 最後の前奏曲

the Last Observer: I Seek You.

 

そして俺たちは、独りになった。

 

まんじりともせぬ夜が明けた──とでも言えれば少しは格好がつくのかもしれないけど、昨晩タマ姉が帰った直後、俺は疲れ果ててベッドに倒れ込み、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。まんじりどころか、夢一つ見ない熟睡を俺は貪っていた。

無意識が朝を認識し、戻ってきた意識で身体を起こす。変な格好で寝ていたせいか、全身がぎしぎしと痛んだ。夕食を取らずに寝た胃袋が、じんわりと補給を要求する。

(はは──なんか、当たり前のことなんだけど)

人生にどんなに辛い事があったとしても、眠くもなるし腹も減る。目が覚めれば日は変わり、押し寄せる無数の現実は決して歩みを止めやしない。そんな当たり前のことに、これだけの実感を覚えられる日が来るとは思ってもいなかった。

とりあえず、俺は昨日のタマ姉の提言に従って熱いシャワーを浴びなおし、コーンフレークと牛乳で胃袋を軽くなだめすかした。幸いにも、鏡の中の俺を殴りたくもならなかったし、身体が食い物を受け付けないってこともなかった。昨夜晩飯を抜いた割りにはささやかな食欲だったけど。

(傷ついてる振りをする暇なんて)

昨日の風呂場に較べれば段違いにまともな思考で、そう俺は心に言葉を刻む。

(今の俺には無いんだからな)

身体の外と内に火を入れて、今日という現実が始まる。誰も替わってはくれない、俺自身が向き合わねばならない現実の日々が、また始まるのだ。

 

 

考える事、考え続ける事の大切さを言い残し、昨晩のタマ姉は帰っていった。自分がこれまで何をどう感じ、どう言い訳を続け、そして誰をどう傷つけたのか──昨晩の告解は、自分が何を考えなければばいけないのか、それを明らかにしてくれた。

ホント、タマ姉には感謝するしかない。

昨日の夕方、いや一昨日久寿川先輩に誘われたあの瞬間以来、真っ黒に固まって動かなかった俺の思考回路。それが薄鈍くはあっても、一応は歯車が回ってる実感がある。

もし昨日タマ姉に会わず、そのまま独りで悩んでいたとしたら。どんなに一晩中考え込んだとしても、まともな思考は戻らなかった気がする。いや、俺は身勝手な自己憐憫から、悩むことすら辞めてしまっていた可能性も高い。

(結局一人じゃ何もできないってことだけど)

逆に言えば、一人で考えてみせるなんて酷い欺瞞に過ぎないのかもしれない。余程強い意志を持った論理的な人間で無い限り、最初に立てた仮定を覆す勇気は普通持てるものじゃない。誰かに話を聞いてもらい、誰かの話を聞くというのは、決して相手に頼りきり、縋ってしまう行為とは違う──変な見栄を削ぎ落した今、なんとなくそんな気がしてくる。

 

俺は朝食を片付けて自室に戻り、再びぼふっとベッドの上に大の字になる。もう十年以上見慣れた天井。昨夜、怯えて見上げたタマ姉の向こうに見えた天井。それが同じものだということが、あの劇的なワンシーンが自分の部屋で起きたのだという実感を若干の可笑しさと共に伝えてくる。

(自分のつけた傷に向き合え、か……)

天井を眺めながら、少しずつ昨日起きたこと、昨日言われたことを頭の中で整理していく。

だがしかし、道を知ることと、道を歩むことはまた別物である。思考の道筋は分かっていても、いざ思い悩めば相変わらずのループが始まってしまう。

人間急には変われない。得体の知れない──昨晩で得体自体は知れたかもしれないが、感情としては同じことだ──恐怖は今もある。誰かを傷つけるのは相変わらず怖いし、嫌われたくないという独善も消えはしない。

それでも、タマ姉のくれた信頼に応えるため、裏切ってしまった久寿川先輩の信頼を取り戻すため、俺は考えねばならないのだ。

「とは言え──ほんと、どうすればいいんだろ」

ぽつっと、思わず弱音が口に出る。

考えねばならないこと、更にその彼方にある、やらなければいけないこと。自分がつけた先輩の傷に、どう向かい合い、どう癒していけばよいのか。

ただ先輩の下に駆けつけて謝っても、多分何も解決はしないだろう。表面的には、きっと先輩は謝罪を受け入れてくれる。もし俺が告白すらしても、今なら先輩が頷いてくれる可能性は高い。

(こんなことを臆面無く考えられるようになったのは、それこそタマ姉のおかげだな)

でもそれだけだ。好きです、付き合ってください、そしてその後は今までと何も変わらない。先輩は笑顔を取り繕うために無理をし続け、俺は踏み込む場所を見失ったまま、きっと何処かでまた同じ過ちを繰り返すだろう。

それじゃ、意味が無いんだ。

俺の心と、先輩の心、その両方に決着をつけてからでなければ、ただ俺たち二人が付き合えば済むという話ではないはずなのだ。

「──久寿川先輩、今頃どうしてるんだろう」

ふと、そんな考えが頭を過ぎる。こんな平凡で当たり前の心配が、一晩経ってようやく湧く辺りが本当に情けない。

もちろん、考えたところで答えの出る疑問ではないけれど、きっと深く傷ついた心を抱えて、それでも相変わらず自分だけを責め続け、そしてきっと明日の学校には、何事もなかった風を装って──とっくにボロボロになった仮面を付け直し、なんでもないと笑う先輩の姿を想像して、俺は吐き気すら覚えるほどの悲しみを感じた。

 

この悲しみを忘れてはならない。

今この瞬間にも、先輩は苦しんでいるはずだ。

 

「気合を入れて考えろ、河野貴明──」

俺は敢えて、強気の決意を口にする。そうしなければ弱音ばかりを呟いてしまいそうな、そんな気すらしていたからだ。

 

 

と、気合を入れた俺の耳に玄関のチャイムが鳴り響いた。思わず脱力してしまう。

正直今出たくはないのだが、ドアチャイムはしつこく鳴り続けていた。シャワー後に着替えていたのが幸いで、俺は再び階下に降り、はいはい開けますよと声を掛けながら何気なく扉を開けたのだが───

 

「おはよう、タカくん」

このみが、いつもの笑顔で立っていた。

 

意外な顔ではなかった。日曜日の昼間に家に来る人間なんて、予想外の宅配便かこのみぐらいのものだった。

でも、今はこのみの素直な笑顔が眩しくて、そして心がずきりと痛んだ。妹分には自分の情けない姿を見せたくない、という妙なプライドも絡み、俺は思わずこのみの顔から目を逸らしそうになる。

──そこで、気がついた。今までなら見逃すところだったけど、流石の俺にも昨日からのタマ姉の薫陶が効いてるらしい。

そう、それは素直な笑顔なんかじゃなかった。

このみは何処か不安そうな、無理をした笑みを浮かべていた。それをただ、俺がこのみの中に無邪気な日々の残照を見出したくて、勝手にいつもの笑顔を重ねていただけだったんだ。

「──どうしたんだこのみ、こんな時間から」

それでも俺は気づかぬ振りをしたまま、当り障りのない会話を試みる。

「あーそうか。そういえば明日のイベントの景品を買いに行かなきゃいけないんだよな。忘れてた」

そう口にしてから、これも向き合わなければならない現実であることに改めて気づく。俺と先輩は明日、同じ時間を過ごす事を強要されるのだ。

一度そんな焦りに気づいてしまうと、もう後はまくし立て続けるしかなかった。

「っていうか隠し場所とかヒントとか全然考えてないし、えーとまずどうしたらいいんだ。とりあえず買い物先に行っても平気かな、あとは──」

明日を控えた現実に対する不安と、このみに対する変な気まずさが相まって、俺はこのみから目を逸らしかけたまま喋り続けたが、

「──タカくん」

遮られた。

このみの瞳が静かにこちらを見据え、俺も目を逸らしきれずに口をつぐむ。いや、黙らされたと言う方が正しいかもしれない。小さい頃からお馴染みの、こいつのこの瞳。母親の春夏さんにも似た、何か強い意志を持ったときの表情だ。

俺の意識が自分に向いたのを確認したのか、僅かな間の後にこのみが口を開く。

「タカくん、あのね」

だが、そこから聞こえてきた言葉は、まったく予想もしていないものだった。

 

「昨日、久寿川先輩とお話してきたんだ」

 

思考が一瞬空白に満たされる。

(このみが、先輩と──?)

一体何故。どうして。何を。

もちろんこの期に及んで、ただの茶飲み話をしてきたなんて発想は俺にもない。それが昨日の話ということは、このみはあの直後、あんな状態の久寿川先輩と会ってきたってことになる。

 

回り続ける運命の歯車は、その上で踊る人々の意志は、一体俺たちの未来に何をもたらそうとしているのだろう───

 


 
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