「今夜だ。」
茂みの中で男はつぶやく。
「本当だろうな?」
訝しげに女は聞き返す。
「本当だ、コレは間違いない。関の隣の扉、あそこに兵士たちが集まってるだろう。
今夜行ける。」
その様子は、傍から見たら不審者以外の何物でもなかった。
…
……
………
回想だというのに、時系列が前後している。
話はまた、少しだけ遡る。
許昌へ向かうことで利害の一致したドロシーと北郷改めトトは、宿を引き払いすぐに目的地へ…となるはずだったが、そこへ大きな障害が立ちはだかった。
「宿代が払えない…?」
長いこと宿泊を続けてきたドロシーの手持ちと宿代が吊り合わない状況になっていた。
「…はっ。傑作だな。」
「お前が言うなお前が!」
もちろん、トトも諸般の事情により手持ちはない。
まさかこんなに早く進退窮まるとは…と落ち込む…のもまだ少し早かった。
「…お?これは。」
トトが、なにかないかと、体中を弄ってみた結果。
この世にはないはずのもの、もう少し正確にいうならば、『この世界に二つとないもの』、本来だったら『持ってないもの』を発見した。
「おまけ…ってこれのこと…かな。」
羽織の裏に忍ばされていたもの、それはあたらしいタバコとライターだった。
あの筋肉の化身、見かけによらず粋なことをしてくれる。
「これならなんとか…なるかもな。」
せっかくのおまけを使わずに手放すのも心苦しいけど、背に腹は代えられない。
それに、コレがなくても困ることはないし、さらにいえば、あの約束もある。
こいつひとつで良い資金になるだろうし…
そうと決まれば、善は急げだ。
「いくぞドロシー、目指すは我が家だ!」
………
……
…
「たしかに、お前のその…なんだ?わからんが指先から炎を出すからくりのお陰で宿代はおろか通行手形代分まで賄えた。
だが、それがあってなぜこんなことに…」
「仕方ないだろ、まさか俺まで人相書が出回ってるなんて考えなかったんだよ…」
たまたま、村の近くに来ていた武器職人が目玉の飛び出るような額でライターを買い取ってくれたとこまではよかった。
それで宿代の支払いを済ませ、さあ、あとは許昌に向かうだけだ、となるはずだった。
しかし、大変な事実が判明したのはそのあとだった。
最初についた、役場もないような小さな村にて。
だから、そこではドロシーがいても全く騒がれることはなかった。
そのため、彼女が言ったことを忘れていた。わかっていたのだが、理解はできていなかった。
彼女自身が、尋ね人であるということを。
そして、手形を発行してくれる関所を構える少し大きな街についた時だ。
こちらのほうが、問題だった。
男の方もまた、尋ね人となっていたのだ。
『人相書によく似た男と女がいる』
その声をきっかけに、大勢人が集まってきた。
しして、通報を受けていた大変優秀な魏国警邏隊があっという間に手形を発行してくれる役場の周辺に集まっていた。
「貴様まで、尋ね人では意味がないではないか!」
「知らなかったんだからしょうがないだろう!?」
騒がれてしまっては、もう通行手形などと言っていられない。人相書が出まわるような人間に許可証なんか出るわけがない。
それどころか、捕まってしまっては目的を達成するどころの騒ぎではない。
逃げている最中そんなことをいった覚えがある。
ほうぼう逃げ回りながらなんとか街を離れ、山の中に逃げ込んだものの、これで当初予定していた正面からの帰宅は困難となった。
それもこれも、逃げている最中にも見かけた人相書というやつのせいだ。
それは、ところどころ掠れていて読めない部分も多くあったが、間違いなくこう書かれていた。
『生死を問わず。』
「これじゃ殺されてでも連れてかれるわな…」
「それで、どうするんだ?」
「え?」
一瞬で自分の世界に入り考え事を始めようとしていたのだろう、ドロシーの声に驚いて素っ頓狂な声を上げてしまった。
「えっ?ではない。貴様、これからどうやってあの都にはいるというんだと聞いているんだ。」
そんなこちらの様子はどこ吹く風、自らの欲するところが叶わなくなっては一大事と、ドロシーは矢継ぎ早に問いただす。
「こんなことで本当に大会に出られるのか?そもそも街自体に入れるかわからん。
入れるのか?やはり関を破るしか無いか?それともほかに…」
「いいから落ち着けって。俺も今考えてるんだ…。
しかし…さっきの手配書どこかで見たことがあるんだよな。
まぁ、それはもういいってことにして。
ここに来るときに確認したらあの森直近で使われてた形跡があった…
んで罠も残ってた。
ってことはあれは変わってない…?
あったぞ、1つだけ穏便に街に入る方法が…」
ドロシーの言葉を遮り、誠意一杯の余裕の表情を作り上げ、俺はそういった。
それから、できるだけひと目の付かない森や山のなかを伝って目的地の許昌の近くまで辿り着いて、今に至る。
「本当に入れるのか!?」
「しつこいな、今夜だって。入れるはずだ。
はいったら顔を隠すものと、大会の受付といろいろ忙しいぞ。
さぁ支度しろ、目的地はもう目の前だ。」
「その方法が心配なのだ。一体どうやって…」
「わかったよ、わかった、説明する。今夜かならず、この界隈が騒がしくなる。
懐かしいな。前まではやる側だったんだよな。
我が警邏隊名物、夜間行軍訓練だ。」
トトは、そう言うといたずらを嬉々として説明する男の子のような顔で笑った。
まだ大陸が戦火に包まれていた頃。
その中でも一際おかしな新兵訓練を行う国があった。
七日間の間に基礎体力から基本的な心構えをひと通り教えこむ訓練を行うもので、警邏隊としての新兵訓練と同時に、王直属の本隊への登竜門としての機能を有していた。
この訓練は過酷を極めた。
徹底的に体をいじめ抜かれ、人格を否定され…
しかし、それも最後に行われるとっておきの訓練には遠くおよばないものだった。
夜間行軍訓練。
かつての警邏隊の主たる面々がもてる知恵と悪乗りと悪ふざけと思いつきを詰め込んだ珠玉の訓練は、そこらの森一体を攻略不能な要塞へと作り替えて行われる。
表向きの合格条件は、その要塞の突破だが、これは幾度と無く試してみたものの、そんなことは作った本人たちでさえ不可能だった。
かつて挑戦した中で最後まで到達できたのは天下無双といわれる者、ただ一人。
その他、その国に関わったすべての人間がそこを突破しようと挑戦し、見事に散っていった。
そのため、この訓練はいわゆる度胸試しのお祭りのように考えられ、逃げ出さなければ全員合格となる、そういう訓練となっていた。
「だが、そうは言うが最初からそういう説明はされない。
そんなこと最初に言ったらみんなが適当に挑むからな。
で、その間、いっぱいでるんだ、怪我人が。
それを運ぶのが先輩隊員の役目で、そこからすぐに正式入隊祝が始まるってわけだ。」
「その混乱に乗じて侵入するわけか…」
「そういうことだ。出入りの時はいちいち身分を確認されない。
大体毎回、何人かは逃げ出すしな。
数の確認は実質不可能だから大丈夫だろう。
はいったら適当に身を隠す場所もあるはずだ。」
自分でも顔が緩んでいるのがわかる。
懐かしさと、嬉しさとが入り交じり、自分でも感情を抑えられなくなってきていた。
「さぁ、そろそろだ。準備はいいか?」
待ち焦がれた瞬間が近づいてきている。
ずっと、ずっと望んでいたその場所へいける。
もはや我慢の限界だった。
ずっと押し殺していた感情は、ついには体を動かした。
とにかく前へすすめることだけはわかったという顔のお供を引き連れて、暗闇の中へ2つの影がその身を踊らせていった。
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somewhere over the rainbow