生まれてからずっと田舎で育ったものだから、恐ろしい数の人が乗っている都内の電車ってのはまだ見たことが無いのだけれど、僕の稚拙な想像力を活用してそれを表現するとしたらおそらくラッシュ時間帯の満員電車が一番適切だろう。
成人男性の腰ほどの身長がある人型、とは言いづらいが便宜上の都合で「人型」の奴は、頭の代わりに首の上で鎮座している金色のタライをぐわんぐわん揺らしながら太陽の光を反射していた。何のつもりかは知らないが奴の不気味な風貌ではとても揺りかごの真似なんてできそうにないだろう。
頭の縁からはノリのようにどろっとした紅色の液体が井戸端会議の噂よろしく、止め処なくあふれ出ていた。あふれる様子がつまり、さながら朝の電車に乗るため押し合いへし合う人々のようであり、噂話なのである。液体というか何が溶けているのか知りたくもない溶液を制御するようにして中央部から生えている舌がぐにょりと動く。動くことでそれまで正面(僕に向いている方を正面とするならば)から伝っていたのが真横に流れるようになったので、奴も一応、視線の中に何かがあることで邪魔に思うことがあるくらいの神経は持っているのだろうことが予想できた。
タライ頭部の側面正面には二等辺三角形の目、から焦点が合っているんだか合っていないんだか判らないような瞳がこちらを見つめてくるので、僕はそれまで巡らせていた思考を(奴のためにわざわざ!)停止してから、ぎょろりと追ってくる視線から逃れるようにして目を背けた。
ごぽっ。
背筋にナメクジが這いずり回るような気持ち悪さを携えて、頭から人が、噂が流れ出ていき(あくまでこれは先ほどの比喩をもってきただけで実際に人や噂が流れているようには見えない)奴の頬を首をねっとりと赤い線を残しながら名残惜しく伝っていく。タライ側部の可愛い桃色リボンを濡らしながらねっとりねっとり。乾きつつも重力に従い下へと、液体が小汚い服という名の布切れに染み渡っていき、染み渡るごとに浮き出てくる赤い手形。
三角の形をした口が、端をゆっくりと引き上げ笑みを作り上げると液体は一層、量を増した。腹が減ったと言わんばかりに舌が縁を舐めだすと、呼応するようにリボンが風にはためく。合わせておそらく髪の毛であろう部分が揺れる。
洋服をもぞもぞさせながら背中からは紫の羽が生える。
口元はより嬉しそうに引きつり、期待を含んだ表情へと変わった気がした。僕に奴の気持ちなんてわかるわけがないし、奴は一切において言葉を発することはなかったし、タライに埋め込まれた口が嬉しさを含んでいるかどうかなんて信用できるもんじゃないだろうけど、少なくとも僕にはそう、見えた。
翼は優しく奴を包み込み、閉じ込める。
どうかお幸せに。
そうして僕はタライ野郎を見届けた。
野郎かどうかもわからないまま。
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きもちわるいシュールを目指す