機装とパワードスーツの最も大きな違いは、ロストテクノロジーの有無にある。
機装には生命電池の放電バクテリアにはじまり、電磁反射界と複合分子装甲、ド・ブロイ波通信、タイランシー効果アブソーバーといったロストテクノロジーが組み込まれている。
それでも、パワードスーツの操縦術マニューバを覚えていなければ宝の持ち腐れだ。
十全の能力を引き出すには、訓練あるのみだ。
そんなわけで朝一で訓練を受けているファントムコメットは、しゃくとりむしのようにうねうね地面を這っている。
イヅラホシの僕は呆れながら言う。
「マニューバ移動術のうちネックスプリングは基本だぞ。倒れた時、起きあがるために重要だ。首付け根の支点を生かし足を振り上げて立ち上がるんだ」
パワードスーツのマニューバにはいろいろとある。
障害物を乗り越えるヴォルト、高く飛び跳ねることができるアームスプリング、そして安全に着地するためのランディング&ロール。
どれも重要なのだが、少尉殿は全くご存じない。
ふと、格納庫の中で、教官と試合の段取りを相談している櫛江さんと目線がかち合った。
が、櫛江さんは目線を逸らせた。
あの件以降、櫛江さんは僕に冷たい。
まだ、御立腹のようだ。試合までには仲直りせねばなるまい。飯的な意味でも。
特に今日の夕飯は鰻だというのに。
脂汗を流す僕をよそに、切り株に腰かけていた鳴浜はスカイレースのコースを反復して確認していた。
一週目はラリー形式で地表のパイロンに沿って曲がりくねったコースをタイムアタックし、二週目は直円回廊を速度制限なしで競い合う。
なお格闘競技は、相手の競技耐久値を削りきるまで殴りあうだけで、ルールはないに等しい。
その鳴浜は僕のほうを見て眉をひそめた。
「なんだ、」
と僕が尋ねると鳴浜はこう言った。
「ガタユキさあ、気になってたんだけどお前最近はずっとイヅラホシになってないか」
「うん? そうか?」
その問いに僕はまんじりと答えた。
実は、イヅラホシを着装していないとどことなく落ち着かない。
機装依存症の言葉が思い浮かんだ。パワードスーツを初めて着た人間がたびたび陥る症状だ。
その心の病を懸念しているのは、鳴浜も一緒のようだった。
「ガタユキはもうベテランだから心配ないだろけどさ、一応、機装依存症には注意しろよ」
「ああ、わかってるさ」
鳴浜の言葉に考え込んだが、この症状は機装依存症とは違うと結論付けて僕は考えをやめた。
依存症なら吐き気や頭痛があるはずだ。
それに、僕とてパワードスーツで飯を食ってきた男だし、それくらいは克服している。
だが、イヅラホシの能力に強く惹かれている自分がいるのは、事実だった。
「それよりさ僕もずっと気になってたんだけど、なんで僕だけイヅラホシになってても安形呼びなん」
「だってガタユキは安形だろ何言ってんだ」
「それもそ、うじゃないだろ。いいこと言った風にして誤魔化すなや」
なぜ僕は安形呼びのままなのか、謎は残る。
その日の昼休み、ごったがえす教室の自分の机にて僕は嘆く。
「弁当の中身もさみしいよな……」
受け手の由常は、投げやりな反応を寄越す。
「そういや、俺はお前に飯をしょっちゅう奢ってる気がするんだが、それはいつ返すつもりだ」
「出世払いで」
「おい」
「吉岡は将校手当出るからええやんけ、僕はほぼタダな伍長手当やぞ」
そうやって由常と言い合いながら弁当を食べていると、前の席のクラスメイトが購買から戻ってきた。
いつも申し訳なさそうにほほ笑んでいる緒方と、いつもへらへら笑っている杉谷だ。
その緒方が席に座りながら言う。
「あれ、今日は櫛江さんと鳴浜さんはいないのか」
「今日は二人が昼の巡回任務なんだよ、ポッズをつれてね」
と僕は答えた。
と言っても警戒任務のほとんどは民兵隊が担っているので、もっぱら僕らは機装を着て、市井のおばちゃんとダベるだけのもんである。
緒方は席に座りながら購買で買ったらしい握り飯の包みを開く。
「安形たちは毎日、櫛江さんとロボットが弁当を作ってくれるんだろ? いいな」
「うんまあね」
僕は、アジの南蛮漬けしかおかずが入ってない弁当を見ながらぼんやり答える。
もう一人の、いつもへらへら笑いの絶えない杉谷が僕の机にある書類を見つけて尋ねてきた。
「そりゃなんだ。機装の設計図か?」
「軍機だぞ」
そう言って由常は睨むがお調子者の杉谷は全く怯まない。
「お堅いなあいいじゃないかよ。で、安形は設計図を見ながらなにしてんだよ?」
「イヅラホシの基礎設計を見ればアビリティデバイスの内容が掴めるかと思ってな。
イヅラホシにはブラックボックスが多すぎるんだ。イヅラホシは旧ESA
「あー、うん。だいたいわかった」
緒方に話を遮られ僕は白けた。
なんや。おもろいのはここからなのに。
聞いてきた杉谷はというとぼけーっとよそ見をしていた。
よそ見に文句を言うべく杉谷の視線を辿った僕は、その終点に焦点が合うと思わず苦い表情をした。
よく僕らの訓練を観察している、あの黒髪の女学生がそこにいたからだ。
制服の襟に、Ⅱを象った学年章をつけているから彼女は先輩だ。(歳はともかくだな)
いつもと違って、彼女の後ろには二人の女学生が付き添っている。
その二人に背中を押され、黒髪の彼女は僕らの教室へ押し出されてきた。
すると教室が、しんと静まり返った。
なんだ?
僕の疑問はしだいに狼狽へと変わる。
彼女は、僕に向かってツカツカと歩いてきたからだ。
頭の後ろで一つに結い加えてある彼女の長い黒髪が、ふわふわと揺れる。
とうとう彼女は、椅子に座る僕の前までたどり着いてしまう。
すらりとした長身がこちらを見下ろす。
彼女と顔をこんなに近づけて面と向かうのは初めてだった。
顔はむすっとしたような無表情だった。
それでも凛と整った美貌は、とても可憐だった。
きっと、微笑んだりすればもっと綺麗だろう。
「あの、何か」
御用ですか?の言葉は言えなかった。
いきなり彼女が、僕へ抱き付いたからだ。
「私は貴顕家の天田すばると申します。これまでお声をかけることができなかったことをお詫び申し上げます。教育隊の皆様、特にあなたには感謝してもしきれません」
詫びられても、何も反応を返せない。
天田すばるさんが身体を離すまで、僕は顔を上に向けて天井を睨み続けていた。
ふわっとした感覚がなくなり、天田さんは僕と正対する。
「行政部長の兄がっ廃港で……青い機装に救われた……申しております。あなた方……救われた者はたくさん……いるです」
その言葉で、天田さんが僕らを遠くから眺めていた理由を察した。
あの行政部長はイヅラホシの乱入のおかげで難を逃れていたのか。
いままで夢中だったので、僕が救った命があったことに気づいていなかった。
それよりも天田さん。どんどん言葉の勢いが削がれてるんですが。
目線をおろすと、天田さんの右手に握られていたカンニングペーパーに気づく。
覚えきれとらんやん。
「…………よしなに」
その言葉を、消え入りそうな声で告げてから火照った頬を伏せて、天田さんは教室から逃げ出すように駆けていった。
相当な口下手らしい。
しかし、なんだったんだ……
ざわつき始めた教室で椅子に座ったまま呆然としていると、杉谷緒方由常の順で毒づいてきた。
「なに? なんなの? ヒーローだからモテるの? 俺もヒーローになるわ」
「そういうものちゃうやろさっきの」
「ふぅむ。僕も美女から一目ぼれされたいもんだ」
「なんでそうなんねん!」
「お前のチャンバラも役に立つときがあるんだな」
「やかましい泥男!」
そして、教室の天井裏から聞き慣れた声がする。
「ミタゾー」「ハンセイノイロナシデゴザル」「リトル シスター イズ ワッチング ユー」
こいつらは、どこにでもいる。
確かにあのとき、櫛江さんは鳴浜と共に巡回に出ていた。
が、教室の顛末はトイポッズによって脚色されて告げ口されたらしい。
僕が不真面目だという印象はさらに強められた。
櫛江さんとは更に気まずくなってこの日も過ぎてしまった。
日暮れになるといつも訓練の倦怠感が身体をいびるが、泣き言も言ってられない。
僕には整備員としての仕事もある。
格納庫の管理室に鍵を求めて立ちいると、そこにもう一人の居残りがいた。
「お前はこれに会ったんだろう」
由常が映写機の映し出すホログラムを指さして僕に聞いてきた。
ホログラムには、去年の春季リーグ、豊田鉄騎軍対富士ファイアバスターズの射撃戦が再生されていた。
由常は敵との決闘を前にして、たびたび研究を重ねている。
「ああ、あいさつ程度だったけど」
軍基地倉庫での模擬戦を映すビデオは、佳境に差し掛かりつつあった。
ファイアバスターズの赤い機装、『テイカージャクソン』が、背中を向けて突っ立っているロディを狙って倉庫の屋上から飛び出る。
迂闊な動きをとった敵を、ロディのアビリティ『ダーディーハンド』は逃さなかった。
ロディが振り向くと瞬く間に、紅い機装は燈色に染まる。
袖から伸びた無数のワイアーアームがシングルリボルバーの薬莢を交換し、不可能なはずの連射をジャクソンに叩きこむ。
僕の口から感想が漏れた。
「一方的だな」
ペイント弾の粘着力でジャクソンが行動不能になったことを確かめてから、黒背広の審判員は鉄騎軍の勝利を宣言した。
そこでホログラムは終わった。
ロディはアウトレンジからの射撃を得意とするスナイパーだ、インファイターの由常とは食わせが悪い。
「お前はどう見ている。こいつの特徴を」
「嫌になるほど基本に忠実な操縦だ。多分、『機幹』出身だろう」
陸上機装パイロットは大体、海兵隊の少年機兵学校と陸軍の機装幼年幹部学校に出身が別れる。
『少機』卒は血の気の多いあらくれもの、一方『機幹』卒はお上品なぼっちゃまだと揶揄される。
「俺も機幹卒と同じ、培養品の一つだったんだがな」
由常の皮肉めいたつぶやきを聞いて、ずっと頭の隅にあった疑問がもたげた。
唯一、機幹よりも高位にある少年兵学校は歩兵幼年士官学校、由常の母校のはずだ。
由常の過去に、聞いてはならない『イワク』があるのは感じ取っていた。
潰れかけの弱小教育隊に無任所で配属される歩兵将校がどこにいる。
普通ならば現地試用の後、少尉任官で連隊勤務となるはずだ。
「歩兵科将校のお前がなんでこの機装教育隊に入ったんだ」
それでも、僕は彼に聞いた。
すると。
「あの森で誓った約束のためだ」
そう答えた由常の意識が、管理室から遠のいた。
恍惚と哀惜に満ちたその表情は、僕の知っている奴からはるか遠いものだった。
「あの森だけが俺に生きる意味を与えてくれる」
尋常ならざる反応に、僕は彼の肩を揺する。
由常はこの街ではないどこか別のところへと迷い込もうとしていた。
「おい、どうした? お前は何を隠してるんだ」
由常の澱んでいた眼孔が怪しく揺らめきだす。
そして、毒の一言を放つ。
「町谷の誘いを隠す貴様へ、話す過去なんぞ無いな」
虚を突かれ、唇をかみしめた。
なんでそれを知っている?
いや、それよりも疑いを晴らさなければならない。
「た、確かに町谷大尉から誘いは受けた。だけど乗る気も隠す気もない! あの後だって大尉とは一度も会っていない」
「なら、なぜ貴様は誘いを受けた後にすぐ断らなかった。大方、奴の野望と隊を天秤に賭けてるんだろう」
……こいつは何をどこまで知っている。
野望とは何だ。何故、由常は上官であるはずの大尉を呼び捨てで呼ぶんだ。
図星に言いよどんだ僕へ一つ息をついて、由常は言い捨てた。
「お前が何をしようが知った事ではない。だが、試合をぶち壊すつもりなら容赦せんぞ。俺はどうしても試合に勝たねばならん。舞台を整えない限り復讐劇の主演は出てこない」
復讐。
そういうと由常の表情はヒビのように歪む。
歯が軋み、白目に血管の網目が浮かび上がった。
顎の古傷が鈍い赤みを増したようにさえ見えた。
静かな狂気が、眼底で蠢いていた。
そのまま由常は、ただならぬ怒気を纏わせたまま席を立ち、扉の外へと出ていこうとした。
このまま、奴はどこへ行く?
いつもそうだ。こいつは度々僕らの前から姿を消す。
復讐と由常は言った。
もし復讐を果たせば、こいつは二度と戻ってこないのではないのか。
由常の足取りは変わらない。
先の見えない未来へと突き進む同僚を止める言葉が見つからない。
焦りから、僕は何も考えずに口を開いた。
「夕飯時には帰ってこいよ。今日は鰻だぞ」
間抜けな引き止めだった。
それでも由常は止まらなかった。
だが、去り際に彼は振り返り、僕に言った。
「そうか。好物だよ」
そう言い残して、同僚は暗闇へと消えていく。
その時ほんの少しだけ見せた、悪ガキじみた笑顔が素の由常の表情なのかもしれない。
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就活、延長。
SFライトノベル第十三話となります。
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一話→http://www.tinami.com/view/441158
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