No.622340

フェイタルルーラー 第十九話・偽りの平和

創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。死体表現・流血・残酷描写あり。R-15。21830字。

あらすじ・代行者たちが去り、大陸は一見平和を取り戻したように見えた。
だがレニレウス王カミオと、アレリア大公レナルドの苛烈な対立は、水面下で密かに続いていた。

2013-09-24 21:00:01 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:520   閲覧ユーザー数:520

一 ・ 偽りの平和

 

 森の木々は次第に色づき、華やかな赤と黄色のさざめきを立てる。その煌びやかさは森に囲まれた国、ネリアならではの美しい光景だ。

 季節が移ろい気温が下がると、青葉は競ってその色を変える。いずれ風の前に散る赤いさざなみは、その場に佇む一人の男を浮き彫りにした。

 

 鮮やかな赤の色彩からは似つかわしくない、黒い軍服に黒い髪。木々の陰影のようにも見えるその男は、枯れた落葉を踏みしめながら森の奥へと入って行った。

 彼の向かう先にはもう一人、蒼い衣装の男がいる。墓石の前に屈み込んでいた男は歩み寄る者に気がつくと、目線だけを向け立ち上がった。

 

「マルファス。……代行者たちの気配が消え失せたようだが、奴らは眠りについたのか?」

「ああ。恐らくは。クルゴスはすぐに甦る可能性もあるが、シェイルードは分からない。谷底へ落ちてそのまま消滅したのか、眠りについたのか、確認のしようがなかった」

 

 ソウの問いかけにマルファスは答えた。だがその表情は陰り、行く末を案じているようにも見えた。

 

「神器で心臓を貫かれただけでも相当な痛手だが、その上に生命転換の禁術を受けている。奴の『望み』が叶っていれば消滅しているだろうが、真の望みなど、当人以外知り得ないからね」

 

 マルファスの言葉に、ソウは静かに俯いた。

 

「奴らがしばらく目覚めないのなら、私はもう行こうと思う。エレナスとセレスを遠くから見守る事にする。人の中にいては、いずれ無関係な者を傷つけかねない」

「エレナスはまだ危機を脱した訳ではないよ。あの子たちの事を随分気に掛けていたのに、気が変わったのかい」

「……先日、銀盤を探しているという人間の王に会った。あの男は獲物を狩る猛禽の目をしていながら、エレナスに対しては一目置いているように見えた。ならば、人の事は人に任せるべきなのではないかと思ったのだ」

 

 ソウは意を決したようにマルファスに背を向け、そのまま枯葉の舞う風の中へ去って行った。

 

「人の事は人に任せる……か。僕は子供たちに対して過保護なのかな」

 

 そうひとりごちると、彼もまた大カラスを呼んで青空へと舞い上がった。

 

 

 

 シェイローエが谷底へ身を投げた後、エレナスとフラスニエルは呆然としたまま、マルファスによって山岳遺跡から連れ出された。

 二人は大切な人を失った事で立ち上がる気力すら尽きていた。そんな彼らをマルファスは王都ブラムまで連れ帰ってくれたが、追われている身のエレナスは気取られないよう姿を消すしかなかった。

 

 ――カミオの許へ戻らなければならない。

 失意に埋もれた記憶の中からエレナスが掘り起こせたのは、ただそれだけだった。

 生きて戻ると約束をし、剣を借りたからには帰らなければならない。だがそうする事で、カミオにも災厄が降りかかるのではないかと彼は躊躇した。

 カミオがいかに弁舌と情報戦に長けているとしても、エレナスを庇った罪を着せられたらひとたまりもないだろう。

 

「誰にも気付かれないよう、戻らなければ……」

 

 気を失ったままのフラスニエルの手当てをすると、エレナスは辺りを見回し立ち上がった。誰もいない事を確認し、彼は朝焼けの中ブラムを去った。

 シェイルードを葬り、姉を失った今、エレナスの心には黒く大きな空虚がぽっかりと口を開けた。息も出来ない苦しさに胸を押さえ、ただ義務を果たすためだけに、彼は王都ガレリオンを目指して旅立った。

 

 

 

「御召しにございますか。カミオ様」

 

 執務机で指を組む主に男はそう声を掛け、敬礼をした。

 薄暗い室内では、男の顔はさだかではない。紺色の外套を着込みフードを目深に被る様は、暗殺者のような風貌だ。

 

「来てくれたかペイル。ガレリオンに入城して以来だな、こうやって顔を合わせるのは。今日は折り入って……相談がある」

「何なりとお申し付け下さい。我が一族が今あるのは、カミオ様の後ろ盾があっての事。そうでなければ、とうに死に絶えております故」

 

 ペイルの言葉に、カミオが一瞬眉をひそめるのが分かった。

 鎧戸が下ろされている執務室の中は暗く、灯されているランプの芯が小さくゆらめくのが見えた。

 

「相談というのは他でもない。……お前の命を私にくれないか。こんな浅はかな下策しか打てない私を、恨んでくれても構わん」

 

 ペイルは二の句を継がなかった。

 ただ押し黙り、顔を上げて敬礼を返した。

 

「御意にございます。いつか、この日が来ると理解しておりました。私や我が一族は、そのために生かされたも同然。一命をもって一族の忠誠を御覧に入れてみせます」

「……そんな風に言うな。お前の一族――エスレ男爵家は、王家とユーグレオル家に対して忠義を尽くしてくれた。その恩に報いねばならないのは、我々の方だ」

 

 ペイルの目には、一瞬涙が光ったように見えた。

 

「そのようなお言葉……恐悦至極に存じます。此度の拝命、確かに承りました。必要な時はいつでも御呼び下さい」

「本当にすまない。あれがいると、こういった話はしにくいからな。本隊が戻る前に済ませたかった」

「リオネル様はきっとお怒りになるでしょうね。暗殺に関してはひどく敏感な方ですから」

「身内の大半を暗殺で亡くしているからな。詮方ない」

 

 忌まわしい記憶を振り払うように、カミオは目を伏せた。

 

「分かっていると思うが、この件に関しては誰にも口外してはならない。敵だけではなく、味方に悟られてもならん。頼むぞ」

 

 主の命に彼は敬礼し、静かに執務室を去った。

二 ・ 唯一王と王器

 

 エレナスが密かにブラムから去り、城門前に倒れていたフラスニエルを本隊が保護したのは、シェイローエが身を投げた翌日の朝だった。

 右腕の肘から下を失うほどの重傷を負いながら、彼には適切な手当てが施されていた。ネリア王が何故これほどの怪我をしているのか、共に旅立った参謀はどうしたのか、彼の意識が戻るまで、それは誰にも分からなかった。

 数日後に目覚めたフラスニエルは起き上がる事すら出来ず、ただぼんやりと天井を見つめるだけだった。回復次第、ネリア王を伴ってガレリオンに帰投するつもりだったユーグレオル将軍は、日程の変更を余儀なくされた。

 

 北方の山岳遺跡で何が起こったのか事情を伺おうとしても、フラスニエルは頑なに口を開かなかった。

 今では王器を所持する王は彼のみであり、脅威の去った大陸においては重要な人物足り得る。フラスニエルが大陸全土の王権を主張すれば、王器を失った三人の王たちは従うか、反乱を起こす以外にない。

 だが反乱を起こしたところで、王器を所有していない王など、大義名分を持たない謀反者でしかない。挙兵し王器を奪い取ろうにも、兵たちは先日の攻略戦で疲弊している。アレリア大公の件もあり、将軍はまず主の許へ戻って指示を仰ぐのが適切だろうと考えた。

 この状況では、誰が王器を狙っていてもおかしくはない。将軍自身が護り切らなければ、レニレウス自体が簒奪者とみなされる恐れもあり、彼にとっては眠れぬ夜が続いた。

 

 フラスニエルが病床に伏せてから十日後、ようやく彼が起き上がれるようになった頃に、将軍は目通りを願い出た。

 痩せ衰えたフラスニエルからは王の威厳すら消え、目は虚ろでかつての快活さは失われている。何かあったのだろうと将軍は悟り、フラスニエルを刺激しないように病室で静かに事情を訊いた。

 

「……あの人は、谷底へと身を投げました。遺言だけを遺して」

 

 遠い記憶を思い起こすように、彼はぽつりと語った。

 

「彼女が自らの一命を賭して、山岳遺跡の代行者を滅ぼす事に成功しました。異形たちが出現する穴も塞ぎ、我々に敵対する勢力はもうありません。非常に大きな爪跡が残りましたが、これで……人の手に大陸を取り戻せたと言えます」

 

 掠れた声でぽつぽつと話すフラスニエルに、将軍は同情を隠し切れなかった。

 彼の体調さえ良好であれば、数日後には王都ブラムを発てるだろう。今や将軍の役目は本隊を率いるよりも、ネリア王とその王器を護る事へ変遷していた。

 

「了解致しました。体調を考慮の上、近々に王都ガレリオンへ凱旋と参りましょう。ネリアの民が王を待ち侘びております」

 

 将軍の言葉に、フラスニエルは静かに頷いた。

 

「ありがとう、将軍。臣民にはこのような姿を見せる訳にはいかないな……。私は王として、出来る限りの事をしなければなりませんね」

 

 微笑みを見せる顔は弱々しく、将軍の心に一抹の不安がよぎった。

 このまま王都へ戻しても、下手を打てば王位争奪戦が始まるだろう。だが将軍はレニレウス王の臣下であり、口を挟める立場ではない。彼の役目はあくまでもネリア王と王器を護る事だけだ。

 

「なるべく無理をなさらぬよう、御自愛下さい。五日後の出立を目途に、駐屯兵を選出する予定です」

「分かりました。将軍に一任します。よろしくお願いします」

 

 フラスニエルを軍医に任せると、将軍はすぐに本隊へ戻った。

 不安を拭い切れないまま、彼は駐屯兵の選出と糧食の確認に奔走した。

 

 

 

 夕闇深い王都ガレリオンに、怪しげな人影が夜毎現れるとの一報が入ったのは、本隊が王都へ戻る三日前の夕方だった。

 王不在ではありながら、ブラムを滅ぼした異形の怪物が現れなくなった事を誰もが喜び、平和の訪れを確信していた。

 

 そんな中、ガレリオンの王城付近をうろつく影の出没に、人々は様々な噂をした。

 戦で死んだ兵士が戻って来たのだと言う者もあれば、王族たちの首を狙う暗殺者なのだと、根も葉もない噂がまことしやかに囁かれた。

 庶民の喧騒に眉をひそめながら、カミオは諜報員がもたらした情報を精査している最中だった。

 

「確かなのか。エレナスが王都に戻っているのは」

「はい、陛下。まず間違いのない情報です」

 

 執務室で息を潜めるように話す二人の影は、ランプの灯火に映し出されて幻燈のように壁に揺らめいた。

 

「城下で噂になっている人影が、彼の事だと推測されます。一週間ほど前からガレリオンへ戻り、商業区に潜伏している模様です」

「一週間も前なのか。あいつの事だ。こちらに戻れば迷惑を掛けるなどと思っていそうだな」

 

 カミオの言葉に諜報員も同意し、彼は主に進言をした。

 

「わたくしめが迎えに参りましょうか。ダルダンへ出立する際にも抜け道を案内しましたし、面識がある者の方がよろしいかと」

「……いや、私が行こう。恐らくお前が行っても、素直に戻るとは思えない」

「しかし、陛下の御身に危険が及びます。将軍の御不在時にもしもの事があれば、我々密偵一同は首をくくらねばなりません」

 

 真面目な面持ちで説得をする諜報員に、カミオはふと笑みを見せた。

 

「よい。これは私の戦でもある。レニレウス王たるこの私と、アレリア大公レナルド。どちらかが相手の首を取るまで、この戦いは終わらん。エレナスを抑えられたら敗北は必至だ」

 

 主の決意に、諜報員は了解しましたと言い残して執務室を去ろうとした。

 その背にカミオはふと声を掛けた。彼の手には一通の封書があり、それを諜報員へと差し出した。

 

「この手紙を侍従に渡しておいてくれ。急ぎだ」

「畏まりました。手紙の類であれば、我らの手で密かに届けますものを」

「宛先はアレリアだ。さすがのお前でも、閉鎖された国境を往復するのは大変だろう?」

 

 見透かすように笑う主を見て、御見それしましたと彼は頭を下げた。

 手紙に視線を落とせば、レニレウス王家の封蝋が乗せられた正式な書簡であり、彼は驚いて目を見張った。

 

「先日『文通相手』が見つかったのだ。手紙も出してみるものだな。彼女が全てを終わらせてくれるだろう」

 

 嬉しそうに微笑むカミオに敬礼をし、諜報員の男は静かに姿を消した。

 独りになった執務室の中で、彼はゆっくりと指を組み、再び思考を巡らせ始めた。

三 ・ 戦後処理会議

 

 宵闇の中、フードを目深に被ったエレナスは、独り城門の外から王城を見上げていた。

 ガレリオンへ戻って来たのはいいものの、カミオの許へどうやって戻るべきなのか、彼は考えあぐねた。

 仮邸宅へ入る姿を誰かに見られようものなら、カミオの立場は非常に危うくなる。そして彼らを陥れようとしている大公の手先は、どこで見ているか分からないのだ。

 

 エレナスが王城付近に現れるようになって、一週間近くが経とうとしている。幽鬼だ亡霊だと彼の姿は次第に噂となり、すぐにでも今後の動向を決断せざるを得なくなった。

 このまま噂が大きくなれば、王城の警備も強化されるだろう。そうなる前に身の振り方を決めなければならない。

 

 辺りに誰もいないのを確認し、エレナスは城壁へ近付いた。以前脱出する際に使用した通路は城壁の北側にあり、そこには人の姿も無い。

 城主にすら忘れ去られているのか、錆び付いた鉄扉はぎしぎしと悲鳴を上げ、暗闇に不安げな金属音を響かせた。

 

 城壁に取り付けられた鉄扉を少しだけ開け、エレナスは内部を覗いた。

 脱出口として使われていたのか、地下への階段が続き、そこから通路は四方八方へ広がっている。

 素早く内部へ入ると扉を閉め、諜報員の男が案内してくれた道順を思い出しながら、彼は音を立てないよう階段を降りた。精霊人特有の暗視能力は、暗闇の中に彼の姿を覆い隠す。

 

 姉を救えなかった事で、彼は独り闇の中で苦しみ迷い続けた。

 リザルの死、そして離れから脱走を企てた件で罰を受けるなら、それすら受け入れても構わないと思うほどにエレナスは思いつめ始めていた。神器の剣をカミオに返却し、その足で自首をすれば、誰も巻き込む事はない。

 そんな事をぼんやりと考えながら石造りの通路を進むと、奥に見える枝分かれした廊下のひとつから、カンテラの灯りが明滅した。自分以外の誰かがいる事実に恐怖し、エレナスは咄嗟に身を隠そうとした。

 

 だが人が一人ようやく通れる程度の通路では、身を隠すどころか、すれ違う事すらままならない。

 相手が悪意ある者であれば――その先にあるのは死だ。

 

 天井は低く、幅も無い通路では剣を振るう余地は無い。もみ合いになれば不利なのはエレナスだろう。

 彼は剣も抜かず、ただ相手が迫るのを待った。その間にもカンテラの灯火は徐々に近付き、ついには相手の顔を暗闇に映し出した。

 

「エレナス……? こんな所で何をしている」

 

 冷たく響く声に顔を上げると、そこには爛々と輝く猛禽の瞳がある。

 見透かすような視線に、エレナスは再び俯いた。

 

「……剣を、お返しに上がりました」

 

 弱々しく呟くと、エレナスはベルトから剣を鞘ごとはずし、カミオの前に捧げ持った。

 今はただ、この息苦しさから逃れたかった。助力を受けながら何も出来なかった自分が腹立たしく、そして情けなかった。

 

「それを私に返却して、お前はどうするつもりだ」

「俺はこのまま、警備兵の詰所まで行こうと思っています。脱走が重罪なのは理解していますし、何よりも真実を話さなければなりませんから」

 

 エレナスの決意を黙って聞いていたカミオは、不意に口を開いた。

 

「お前は知っているか? 人には領分というものがあり、どんなに優れた人間でも、己の手に余る事柄は存在する」

 

 剣を受け取り、カミオは諭すように言葉を続けた。

 

「武人に多いが、一時の失敗を不名誉として命であがなおうとする者は存在する。よしんば恥辱を雪げたとしても、命を落とした者に次は無いのだ。死へ捧げる命は尊い。だがそれと同じように、生へ捧げる命もまた賞賛されるものだ。それを忘れるな」

 

 カミオはそのまま踵を返すと、元来た通路を戻ろうとした。

 不意に思い出したように足を止めてエレナスへ振り向くと、言葉を付け加えた。

 

「いずれにしても、お前が裁判で勝たなければ、一生を日陰者として生きる羽目になるだろう。自分の道は、自分で選べ」

 

 暗闇の中を去るカミオの背を、エレナスは静かに見送った。

 彼は拳を強く握り締めるとそのまま背を向け、振り返らずに入り口を目指した。

 

 

 

 エレナスが警備兵へ出頭した三日後、王都ガレリオンに本隊が凱旋した。

 戦死者を最小限に抑え、北方の脅威を取り除いたネリア王とレニレウスの将軍に、行進を見守る誰もが喝采を浴びせた。

 長年脅かされ続けてきたダルダンの王都ブラムは救われ、荒野を闊歩していた異形はもういない。各都市部に少数ながら潜伏していた教団の残党も全て捕らえられ、人々は戦の無い静かな日々が取り戻せるものだと思っていた。

 

 彼らは知らなかったのだ。

 四つの王国から三つの王器が奪い去られ、声高らかに王権を主張出来る者が一人しかいない事を。

 

 王器という名の錦の御旗は、それだけで力の均衡を有利に傾かせた。神から王権を与えられた証は、正統なる王の証でもあったからだ。

 可能な限り正統な、そして力のある側を見定めるのは、生存を賭けた人間の集団心理が働いているのかも知れない。殊に有力貴族や、権力を持つ領主たちにはその嫌いがあった。

 

 ネリア王の凱旋に際し、諸王たちはすぐに出迎えた。

 軍人たちの戦は終わった。だがここからは、彼ら王族の戦場となる。

 

 ユーグレオル将軍の騎馬を先頭に、ローゼルの騎馬、そしてフラスニエルの乗った馬車が城門をくぐった。

 フラスニエルは未だ体調が優れないのか、窓から顔を出すでもなく、馬車にはカーテンが引かれたままだった。馬車の後を正規軍が隊列を組んで行進し、その様はネリア王の権威を臣民に誇示した。

 

 城内に入るとフラスニエルはすぐさま寝室に移され、ローゼルと医師が急ぎ足で後を追った。

 それを見届けるとダルダン王とレニレウス王、そしてアレリア大公は静かに会議室へと向かった。

 彼らの後をユーグレオル将軍が続き、四人は席に着いた。将軍が持参していた包みを広げると、そこにはまばゆい輝きを放つ王器の弓があった。それを目の当たりにした三人は目を見張ったが、中でもアレリア大公レナルドは昏いまなざしでじっと魅入っていた。

 

「ご苦労であった。詳しい戦果を聞こうか」

 

 レニレウス王カミオの言葉に将軍は応え、報告を始めた。

 

「エルナ峡谷攻略戦においては、野戦砲を用い、峡谷を崩落させて敵の行軍を寸断しました。これにより日没前に敵殲滅を確認。友軍の死傷者は……」

「それよりも、ネリア王はどうなされたのだ? まさか、御命に係わる御病状なのではあるまいな」

 

 報告を遮り、レナルドは嫌な目つきで将軍を見据えた。

 言葉を挟まれた将軍は一瞬訝しげな表情を見せたが、すぐに答えた。

 

「大事ありません。幸い適切な処置がされておりましたので、しばらくお休みになれば問題無いと存じます」

「その言い方だとまるで『重傷を負った王が、いつの間にか手当てをされていた』と聞こえるのだが、私の聞き間違いかな」

 

 大公の物言いに、将軍は苦々しい表情をした。

 

「私は別に、将軍を責めている訳ではない。ネリア王が重傷を負い、参謀がこの場にいない釈明をして頂ければそれで納得しよう」

 

 その言葉に、ダルダン王ギゲルはようやく参謀の不在に気がついた。

 レニレウス王カミオはすでに理解しているのか、無表情なその面持ちを変える事はなかった。

 

「……お二人は別働隊にて峡谷の奥から異形が出現する穴を発見され、そこを塞いだのだと報告を受けております。その際、参謀は落命され、ネリア王は右腕を失ったとの事です」

「本当かな? まあそれはそれで、別にいい」

 

 大公レナルドの言い草にギゲルは顔をしかめたが、それすら気にする様子もなく彼は言葉を続けた。

 

「ところで王器の件ですが。ここにあるネリアの王器が、我々人間の手許にある最後のひとつ。そうでしょう? お二方」

 

 いかにも全てを知っているといった口調のレナルドに、ギゲルとカミオは口を閉ざした。

 

「ブラムに現れた代行者が黒曜石の剣を持っていたという話は有名ですし、レニレウスの銀盤にしても、とある者から奪われたと聞いております故」

「……何が言いたいのかね」

 

 顔色ひとつ変えずカミオは訊いた。

 

「民衆は、四王国の力量が拮抗した、平和な時代が到来すると思っております。ですが我々には疲弊も多く、しばらくは立ち行きに困難を極めます」

「ただ一人……王器を所有するネリア王に、統一王にでもなれとでも言うつもりなのかね」

「そうです。いにしえの昔、この大陸には国など存在せず、王器を巡って壮絶な争いを繰り返して来たといいます。ならば今こそひとつにまとめ、一人の王が皇帝となればよい」

「……夢物語だ。国の垣根を取り払うなど、理想論にしか過ぎない」

 

 カミオはそう言い放ち、再び黙り込んだ。

 峡谷攻略戦でネリアとレニレウスの兵力は限界まで削がれ、ダルダンに至っては王都が壊滅して正規軍すらすでに存在しない。

 唯一無傷なのはアレリア軍だけであり、事を構えるにしても分が悪かった。やりようによっては、アレリアが王位を簒奪する事すら可能だ。だがこの男はもっと他の……更なる何かを考えている。

 

「いずれにしてもそういった話は、ネリア王に御臨席頂いてからだろう。今ここで、我々が論ずるべき内容ではない」

 

 それだけ言うと、カミオは席を立った。

 それに倣うようにギゲルも席を立ち、その日の会議は閉会した。将軍はネリア王家の侍従を呼ぶと王器を保管させ、彼も主の後を追って席を離れた。

 残されたレナルドは不気味に口角を吊り上げると、声も立てずに独り笑い続けた。

四 ・ 月の女神

 

 右腕を失ったフラスニエルの容態は、少しずつ回復の兆しを見せ始めた。

 体を動かす事はそれほど出来ず、エレナスの裁判のために判事が事情を伺いに訪れても、彼は全てを知らぬ存ぜぬで通した。

 それは山岳遺跡での夜を思い出したくなかったからかも知れない。それに加えて、シェイローエを失った後の記憶がさだかではなかったのもあった。

 

 腕の傷についてユーグレオル将軍は適切な処置だと言っていたが、恐らくエレナスによるものなのだろう。

 それすら思い出せず、フラスニエルは混乱した日々をぼんやりと過ごした。

 

 姉を追って脱走までした彼は、身の潔白を証明するために再び戻って来たという。

 どこへともなく一人で逃げてしまえばよかったものを、とフラスニエルは思った。もし彼が王という立場でなければ、とうにそうしていたかも知れない。姉を失ってさえ輝きを失わないその高潔さに、フラスニエルは嫉妬さえ覚えた。

 今やフラスニエルには、独力で事を構える余裕はすでに無い。三つの王器が失われた今、弓の王器を巡って壮絶な争いが起きるだろう。運命は完全に彼の手から離れ、一人歩きを始めていた。

 

「どうなさったのですか。ぼうっとして」

 

 居室の寝台で身を起こし、窓から北の空を眺めていると、傍らにいたレナルドが声を掛けた。

 フラスニエルが王城へ戻ってからというもの、レナルドは見舞いに日参した。誰にも言えなかったが、フラスニエルはこの男がひどく苦手だった。

 温和な表情や声で相手を油断させ、蛇のような眼光で相手を睨み牙を穿つ。見目だけは好いために、暗澹とした内部を見透かせない者は、全て彼の餌食となった。

 

 レナルドは次の獲物を見定めたのだ。

 恐らくそれは王器であり、王の座であり、フラスニエル自身だ。

 王器を所持するただ一人の王を抑えてしまえば、誰もレナルドには勝てなくなる。

 

「……山岳遺跡の事をあまり思い出せなくてね。あれが夢だったのか、現実だったのかすら解らない。でもあの人がいないから……現実なんだろう」

 

 フラスニエルの言葉に、レナルドは静かに頷いた。

 

「残された者は、亡くした者を胸に秘めながら生きていかなくてはなりません。以前お話して下さった、シェイローエ様の御遺言を形にするのが、唯一王としての役目と存じます」

「大陸を平定し、世界の行く末を導けと……?」

 

 最も護りたいものを護れなかったのに。爪が食い込むほど拳を強く握り、フラスニエルは心の中で叫んだ。愛する女一人護れなかった者に世界を導けなど、これほど滑稽な話もない。

 

「あなたにしか出来ない事です。御自分に出来る限りの力を尽くされるのが、シェイローエ様への何よりの手向けかと」

 

 うやうやしく言葉を紡ぐレナルドにこれ以上はない嫌悪を覚え、フラスニエルは黙り込んだ。

 

 不意に、扉の外から女の声が掛かった。

 入って来たのは、ずっとフラスニエルの看病をしていたローゼルだった。ブラムに駐屯していた頃とは異なり、王女らしい風格のある衣装を纏っている。

 彼女はブラムに滞在していた頃から献身的に看護を買って出ていた。今ではフラスニエルにとって家族と言えるのは、彼女とセレスだけだった。

 

「フラスニエル様。お薬の時間です」

 

 処方の用意を始めたローゼルを見やり、レナルドは椅子から立ち上がった。

 また明日参ります、とだけ言葉を残して彼は居室を立ち去った。フラスニエルとローゼルの二人だけになった居室は、先ほどよりも幾分空気が軽くなったように思えた。

 

 医師が処方してくれる薬は、ひどく苦い上に副作用も大きかった。一度飲めば起き上がれないほどのだるさを覚え、頭は霞がかかったように朦朧とする。

 彼自身あまり飲みたくはなかったが、ローゼルの真剣な表情を見ればそうもいかなかった。

 

「今度大きな会議があると聞きました。それまでには御体が楽になるといいですね」

 

 ローゼルの問いかけにもろくに応えず、フラスニエルは震える手で粉薬を取った。

 こんな時、リザルがいてくれたら。シェイローエやエレナスがいてくれたら。もう叶いもしない思いに、いつしか自分が涙を流している事に彼は気付いた。

 フラスニエルの様子にローゼルは後で参りますと呟き、静かに部屋を後にした。

 扉の向こうから聞こえて来る微かな嗚咽に、ローゼルは胸を抉られる思いでその場を立ち去った。

 

 ローゼルはその足で、会議の設営に入る予定だった。

 凱旋に沸く国民に不安を与えないためにも、早目の決断が迫られていたからだ。折しも四王国の王族が集う王都には、絶好の機会でもあった。

 何も決定しないうちに同盟関係が終了してしまうと、疑心暗鬼の中、大陸は再び乱れる事になる。

 

 フラスニエルの病状を医師に報告し一階の中央回廊に戻ると、見覚えのある男が佇んでいるのが見えた。

 ローゼルは軽く会釈をして通り過ぎようとしたが、男にいきなり腕を引っ張られて悲鳴を上げた。

 男は構わず回廊をはずれ中庭まで行くと、彼女を城壁近くまで連れて行った。逃げられないよう壁際に追い詰めると、男はローゼルに覆い被さるようにその顔を見つめた。

 

「ごきげんよう、ローゼル姫。此度の戦勝まことにめでたく、心からお祝い申し上げます」

「……レナルド様。何の御用ですか」

 

 覆い被さるレナルドの目線を避けながら、ローゼルはその場から逃れようと横目で辺りを探った。

 まだ日も高いというのに廊下や中庭に人通りは無く、助けを求めたくても誰もいない。レナルドの息が髪にかかり、ローゼルは恐怖のあまり身を固くした。

 

「何をそんなに怖がっておいでなのです? 一度は断られたとはいえ、私はあなたの婚約者候補だったのですよ」

「その件については、考え直すつもりはありません。どうぞお引取り下さい」

 

 恐怖のために、声が震えているのがローゼルにも分かった。

 上手くやり過ごさなければ、フラスニエルを心配させるだろう。怪我が治り切っていない状態で心労を掛けるのは、はばかられた。

 

「いいえ、ローゼル姫。私の花嫁に相応しいのは、あなたしかいない。どうか私の妻になって下さい。それとも……」

 

 レナルドの冷徹な瞳が、ローゼルの目線を捉えた。

 

「他に思いを寄せる男でもいるのですか?」

「……あなたには関係ありません!」

 

 掴まれた腕を振り払い、ローゼルは逃げようとした。

 だが中庭は思いのほか広く、走りにくいドレスが彼女の動きを制限する。もう少しで廊下へ戻れるところで腕を掴まれ、彼女は再び捕らえられた。

 

「ならば、近いうちに婚約だけでもしましょう。正式な婚姻は日を置いても良いのですから。いずれ大陸は統一され、私はその後継者となる。あなたは皇帝の妻になれるのですよ」

「あなた一体……何を言っているの?」

 

 レナルドの言っている言葉の意味が解らず、ローゼルは混乱し震え上がった。

 統一、後継者、皇帝。全ての単語が理解出来ずに、ローゼルはレナルドの顔を見た。

 

「そうですね。婚約の証に、まずあなたの兄上を殺した少年の首でも贈りましょう。あなたも憎いでしょう? あの精霊人の少年が」

「やめて!」

 

 乾いた音が辺りに響き渡り、レナルドは自らの頬を見た。

 じわじわと痛む左頬に、それがローゼルに打たれたからなのだと、彼はようやく理解した。

 

「エレナス様は……そんな方じゃないわ。私は、あの方を信じています!」

 

 真っ直ぐに見つめるローゼルの瞳に、レナルドは頭から冷水を浴びせられた気がした。

 腹の奥底から湧き上がるどす黒い嫉妬と憎悪を覚え、内臓が灼き尽くされる感覚に彼は支配された。

 

「うるさい! 王族の女など、子を産む道具でしかないんだ。来い! 今からそれを教えてやる」

 

 レナルドはローゼルの手首を強く掴み、仮邸宅がある西廊下へ無理やり引きずり込もうとした。

 彼女は必死に抵抗したがレナルドの力は強く、逃れようともがいても、がっちりと手首を固定されて身動きがとれなかった。

 

「やめて! やめて下さい!」

 

 泣き叫び暴れるローゼルを抱え上げ、レナルドは廊下を進んだ。

 あと数歩で仮邸宅への通路に到達する直前、眼前にがっしりとした人影が現れ行く手を塞いだ。

 恐る恐る人影を見上げたローゼルは、よく知る男の姿に涙を流した。

 

「……レニレウスの将軍か。邪魔だ。どけ」

 

 凄むレナルドに一歩も引かず、ユーグレオルはその場に立ちはだかった。

 

「無体はおやめ下さい、大公殿下。その者はネリア王族である前に、一人の軍人でもあります。同盟が解消されていない今、当方の副官にそのような真似をされては困ります」

「だったら何だと言うのだ。剣を抜いてでも止めてみせるか? やれるものならやってみればいい」

「……殿下のお望みとあらば我が剣技、御覧に入れましょう。城内で抜けば死罪。王族を手に掛けても死罪。ですがそれも、粋やも知れませぬな」

 

 幾多の死線をくぐり抜けて来たユーグレオルの表情にレナルドは怯んだ。

 騒ぎを聞きつけて来たのか、いつの間にかあたりには女官や侍女、御用商人などが足を止め彼らを遠巻きに眺めている。

 体裁が悪いと思ったのかレナルドはローゼルを荒っぽく放し、捨て台詞を残すと身を翻し仮邸宅へ戻って行った。

 

「大事無い。各自持ち場に戻れ」

 

 ユーグレオルは一喝して野次馬を散らすと、座り込んでいるローゼルに跪き手を差し伸べた。

 

「お怪我はありませんか、王女。女官たちの詰所までお送りしましょう」

「あ……ありがとうございますユーグレオル様。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」

 

 ユーグレオルの手を借りて立ち上がると、ローゼルはおずおずと口を開いた。

 

「助けて下さった方にこんな言葉は無礼かも知れませんが……無茶が過ぎます。あんな男のために、ユーグレオル様に何かあったらと思うと……」

「どうか御気になさらず。護れたかも知れないものを護れなかったなどと、後悔はしたくない。私はそのように考えているだけです」

 

 そう言いなら笑うユーグレオルに、ローゼルもまた微笑んだ。

 

「さあ、参りましょう。ネリア王が心配なされるといけない」

 

 ローゼルに付き従うように、ユーグレオルは一歩後ろに下がり、彼女を護衛した。

 その様は月の女神もかくやと行き交う者たちの目を惹き付け、離そうとはしなかった。

五 ・ 王都を冠する者

 

 フラスニエルの容態が安定した頃を見計らって、四王国の王族が集う大会議が開催される運びとなった。

 その知らせを仮邸宅で受け取ったカミオはすぐさま正式な書状を書き上げると、侍従に手渡した。立ち去る侍従と入れ違いに執務室に入ったセレスは慌しさに驚いたが、カミオは気にも留めていなかった。

 

「お呼びですか」

 

 その言葉には何も返さず、カミオは椅子を勧めた。セレスが椅子に腰を下ろすと、彼は静かに口を開いた。

 

「ようやくこの時が来た。これまでの準備と根回しも無駄ではなかったと証明出来るぞ」

「……会議の日取りが決まったのですね」

「そうだ。エレナスの裁判は会議に割り込まれて先送りになっている。レナルド大公殿下が、強硬に会議の開催を推し進めていたようだからな。こちらはむしろ助かったと言える。アレリアの王子様は、戦略や情報というものを軽視しておられるようだ」

 

 カミオは楽しげに笑いながらセレスを見た。

 

「会議は一週間後だ。翌日には良い知らせを君にも伝えられるだろう。これが決定すれば、君はもう無関係ではいられない。大公殿下と正面から殴り合いをするような立場になる」

「覚悟は出来ています。ぼくはもう、何も恐れない」

 

 握り締めた拳を押さえて重々しく答えるセレスに、カミオは頷いた。

 

「そうだな。エレナスを救うにはそれしかない。ただの子供の証言など、誰も聞き入れはしないだろう。……ならば方法はひとつだけだ」

 

 意味ありげな笑みを見せ、カミオはそう呟いた。

 

 

 

 一週間後、大陸の命運を決める大会議がネリアの王都ガレリオンで開かれた。

 五百余年に渡る四王国の歴史上、この会議が最後の王国間会議となったが、今は誰もそれを知る由はない。

 各国の王族が一同に会し、何日にも渡り協議を重ねた。最大かつ最重要な議題は失われた王器の話題だった。王権の証である王器は、実に五百年もの間、争いを最小限に抑えて来たのだ。

 

 協議の結果、疲弊しきったネリア、ダルダン、レニレウスの三国は、これ以上の争いを望まない方向で意見が一致した。

 ダルダンは数年以内に主要都市をブラムから東方のガルガロスに移す事に決め、各国はそれを了承した。

 ブラムの都市機能が完全に失われた訳ではなかったが、治水工事を行えばガルガロスも今まで以上に機能を拡大させられるとの判断からだった。

 

 アレリアを代表する大公レナルドは終始口を閉ざしたままだったが、議題が王器と王権に移行すると、次第に目を爛々と輝かせ始めた。

 ただひとつの王器がネリアにある今は、一人の王を戴く方法が最も平和的であり、合理的であると言える。

 だがこれは他の三王家に対して臣下になれと通達するに等しい。仮にも数百年に渡って存続して来た王たちが、そう易々と軍門に降るとは思えなかった。

 

「私は構いません。アレリアは古くよりネリアと縁深き国。ネリアがあればこそ、アレリアも繁栄を約束されたとも言えます。私はフラスニエル様に御仕え致します」

 

 誰よりも先駆けて、レナルドはそう言い放った。

 ダルダンとレニレウスの出方を窺ってもよかったが、国民や領土、王都をことごとく亡失したダルダンや、至高教団という闇を生み出したレニレウスは反対など出来ないだろうと踏んでいた。

 レナルドの思惑はたがわず、両国はネリアへの忠誠を誓った。そもそも無傷で正規軍が残っているアレリアに敵う者などいないのだから、当然の結果と言える。

 

 予定通り事が運んでいる状況に、レナルドは一人ほくそ笑んだ。

 あとは魂の抜け殻のようになったフラスニエルに取り入り、自らを後継者として指名させるだけだ。

 

「大陸の平和を望む御心は良く解りました。アレリア、ダルダン、レニレウスの三国を公爵位とする形式を提案します。それぞれの領地を公爵領とし、これまでのように治めるのは如何でしょうか」

 

 意思の無い操り人形のように、フラスニエルは言葉を発した。

 

「ダルダンの復興に関しては、公共事業での支援を考えています。ガレリオンの遷都工事を任せ、現ネリア領の大部分をアレリアに割譲するつもりです」

「遷都、とは申されましてもどちらへ築城されるおつもりですか?」

「大空洞を埋め立て、その上に城と都市を置こうと思っています。ダルダンは優れた建築家や石工が多い。山を切り出せば資材も調達出来る。アレリア卿の案ですが、私もそれに賛成しました」

 

 フラスニエルの答えに、ギゲルは表情を曇らせた。

 確かに公共事業を行えばダルダンは活気を取り戻せるだろう。だが地下水が流れる大空洞を埋め立てるには、相当の年月と費用がかかる。

 長い間ネリアの財政を圧迫する形になるために、ギゲルは首を縦に振らなかった。そして何よりも、遷都にあたってネリア領をアレリアに割譲するという内容に納得がいかないのもあった。

 

「案ずる事はありません。これから税率の調整や貨幣価値の統一、都市と都市を結ぶ公路の整備など課題は山積していますが、少しずつ解決していきましょう。そこで、私の補佐をしてくれる者を決めようと思っています」

 

 フラスニエルの提案に、一瞬その場がざわめいた。

 補佐をする者とは、宰相もしくはそれに準ずる者だ。いわば統一王に次いで権力を持つ者という事になる。

 フラスニエルが推挙するのは自分に違いない。ようやくこの時が来たのだと、レナルドは密かに喜んだ。

 

「この一週間、私に出来る事とは何なのかを、ずっと考えていました。レニレウス卿から心ある手紙を受け取り、私はようやく決心する事が出来たのです」

 

 その言葉にレナルドは驚いた顔をしてフラスニエルを見た。

 

「故王女の孫であり従兄の子、セレス・ルベル・セトラを我が養子とし、王太子として立てます。そしてその後見であるカミオ・エレディア・レニレウス卿を宰相として選任する事にしました」

 

 思いも寄らない勅令にレナルドは唖然とした。

 これまで毎日のように顔色を伺い、しきりに働きかけたというのに、この仕打ちは何なのか。

 

「失うものが多く、辛い日々を過ごしていた私に、アレリア卿は出来る事をやるべきだと教えてくれました。私がこの真実を見出せたのは他でもない、彼のおかげです。私が最も信頼のおける友とも呼べる」

 

 一体何を言っているのか、フラスニエルの言葉も今のレナルドには理解出来ない。

 ローゼルを娶り、ネリア王族の席に列せられるつもりでいた彼の目論見はあてがはずれ、彼はただ呆然と場の進行を見守るだけだった。

 

「なるほど。アレリアは領地の下賜、レニレウスは宰相の座という事であれば、我がダルダンも復興事業をお受け致しましょう。この御恩を忠義という形でお返しするのも悪くはない」

「忠義などではなく、平和の維持という形でお願いしたいと思っています、ダルダン卿。争乱の元を断てば、ある程度の期間を平和に治める事が出来る。私はそう考えています」

 

 その言葉にギゲルは頷き、カミオは涼しい顔で微笑んだ。ただ一人、レナルドだけは言葉も無く俯いたままだった。

 公爵位や官位の発令、法改正などは更に会議を重ねる方向で調整が進み、四王国における最後の会議はつつがなく終了した。

 

 

 

 大会議の数日後、エレナスが収監されている牢に近付く者たちがいた。

 以前いた離れとは異なり、ここは重罪人を管理する施設だ。そのため廊下にすら頑丈な鉄扉が取り付けられ、脱走不可能なほど堅牢な造りになっていた。

 

 一行はエレナスが収監されている牢の前に着くと、主が護衛たちをその場に置き、看守に命じて鉄扉を開けさせた。

 彼が独りで扉をくぐると看守はゆっくりと扉を閉じた。

 

 牢の中、ただじっと椅子に腰掛けていたエレナスは、入って来た人物を見上げた。

 小さめの革靴に王冠を模った帽子。白の生地に金糸で縁取られた正装。その上から羽織るサーコートは王族でも特に位階の高い者が着用する青だ。

 

 漏れる陽光に輝くその姿を、エレナスは神の使者のようだと思った。

 ぼんやりと見惚れているエレナスに歩み寄り、彼は微笑んだ。

 

「来るのが遅くなってごめん。早く行かなければと思っていたけど、どうしても必要なものがあったから」

 

 スミレ色に輝く瞳は、エレナスに遠い記憶を思い起こさせた。

 

「セレス……。どうしてここへ……。いや、それよりも俺は、君に謝らなくてはならない」

「それは、父の事ですか」

「俺は……深淵の侵食を止めるためとはいえ、君の父さんをこの手で……。許される訳がないのは分かっている。本当にすまない」

 

 エレナスは懐から一冊の小さな手帳を取り出し、俯きながらセレスへ手渡そうとした。

 血の痕が残る革表紙をセレスは泣き出しそうな目で見つめると、それを再びエレナスの手に押し戻した。

 

「それは、あなたが持っていて下さい。父があなたに託したものですから」

 

 セレスの言葉にエレナスは顔を上げた。

 

「ぼくはあの夜、あなたの後を尾けたんです。そこで全てを見てしまった。あなたが父を殺せなかった事も、父が自ら死を望んだ事も、何もかも全て」

 

 十歳にも満たない子供でありながら、セレスの表情はひどく大人びて見えた。

 

「父は確かに、あなたの手に掛かって死ぬ事を望んでいた。でも、どこかで考え直したんだと思う。あなたを護らなければならないと、そう思った。だって残された者は、いつでも一番傷つくから」

 

 父はそれを痛いほど理解していたと思います、と彼は呟いた。

 

「二人で旅をしていた時、あなたはぼくをずっと護ってくれた。何度も助けてくれた。だからぼくは誓ったんです。何があっても、今度はぼくがあなたを護ると」

 

 セレスはベルトに下げていた小剣をはずし、鞘ごとエレナスへ手渡した。そこには王都の名を冠した芳名が入れてある。

 鞘に彫り込まれた文字を指でなぞり、エレナスは呟いた。

 

「セレス・ルベル=セトラ・ネリア・ガレリオン。王都の名を冠した君は、ネリアの王太子となったんだな」

「ただの子供ではなく、王太子が裁判で証言をすれば、判事でも聞かない訳にはいかない。カミオ様……レニレウス卿には随分迷惑を掛けてしまいました」

「……あの方は、気の向かない事はなさらない。だからきっと迷惑ではなかったと思うよ」

 

 地下通路での件を思い出し、エレナスはふと微笑んだ。

 

「ああ見えて本当は優しい方なんだと思う。でも王として生きるからには、優しさを見せてはいけないと考えているのかも知れないね」

 

 小さな通風孔から漏れる陽光は雲の陰に隠れ、次第にその色を失い始めた。

 鉄扉の外がざわめいているのを感じたエレナスはセレスに告げた。

 

「そろそろ行った方がいい。王太子ともあろう者が重罪人と関わりがあると知れたら、きっと面倒な事になる」

「……最後に、ひとつだけ言わせて下さい。もう、二人で話せる機会も無いかも知れないけど……それでもぼくは、あなたの友達だから」

 

 俯きながらそう呟くセレスを見て、エレナスは微笑んだ。

 

「いつだったろう。君は俺に、いつでも味方だって言ってくれた。こんな風に言ってくれる友達がいる。俺には支えてくれる人がいるんだと、そう思えた」

 

 その言葉に顔を上げたセレスの表情は泣き出しそうにも見えた。

 

「……ありがとうエレナス。法廷で会おう。必ず助けてみせる」

 

 袖でそっと目元を拭うと、セレスは小剣を下げて扉を開けた。ちらりと振り向き去って行くその姿に、エレナスは胸元を押さえ、椅子の上でうずくまって俯き続けた。

六 ・ 暗殺者

 

 大会議が終了した直後のレナルドは荒れに荒れた。

 仮邸宅へ戻っても、使用人は誰も彼に近付こうとはせず、遠巻きに機嫌を伺っているだけだった。

 ただ一人、侍従のトルド伯だけは普段通りレナルドに接し、彼を居室へ導いた。

 

「許さない……。レニレウスめ。これほどの侮辱を受けた報いは、必ず返してやる」

 

 怒りに震える主人に暖かいワインを給し、トルドはただじっと彼の傍に控えていた。

 渡された杯を一息に干し、銅製のカップを床に叩き付けるとレナルドは昏い目を伏せたまま侍従に告げた。

 

「トルド。『影』を呼べ。一人だけでいい。……最も暗殺に優れた奴を、こちらに寄越せ」

 

 陰惨な表情でそう呟く主に、トルドは畏まりましたとだけ告げ、主を残して居室を後にした。

 

 

 

 宰相の座を勝ち取った日から数日後、カミオの許をユーグレオルが訪れた。

 この日はノアやセレスもおらず、邸内はがらんとしていた。昼前だというのに空には暗雲が垂れ込め、今にも雨が降りそうな空模様だ。

 

「お話があります」

 

 いつになく真剣な表情をしているユーグレオルに、カミオは怪訝な顔をした。

 

「どうした。王権を放棄した件なら、何も話す事がないぞ」

「……本当によろしいのですか。このままではネリアの一人勝ちになりますぞ。我が王がネリアの臣下になるなど、私には到底耐えられません」

 

 ユーグレオルの鬼気迫った表情に、カミオはふと笑みをこぼした。

 

「笑っている場合ではありません! 私はレニレウス王家の行く末が心配なのです」

「お前ならそう言うだろうとは思っていた。だがな、リオネル。王器が手許に無い以上、正統な王として名乗りを挙げても国内に混乱を招くだけだ。そして王器を奪おうにも兵力が無い。これ以上の消耗戦を仕掛けるのは金と時間の無駄だ」

「お言葉ですが……カミオ様はそれで良いとお考えなのですか」

「構わん。時の変遷というものは残酷で、その移り変わりに沿える者だけが生き残っていく。川の流れに逆らうのも良いが、見極めも重要だと思うぞ」

 

 主の言葉に、ユーグレオルは深いため息をついた。

 付き合いが長い分、一度言い出したら曲げない事を、嫌というほど思い知らされているからだ。

 

「それにな。私は父の失政を正す事にも疲れた。ただ必死に生きて敵を屠り、影に光を当てようとしても……それを望まぬ者も多く、常に犠牲を払い続ける」

「カミオ様らしくありませんな」

「そうか? ……そうかも知れんな」

 

 微笑んでいるとも憂いているとも見えるカミオの表情に、ユーグレオルは真剣な顔で頷いた。

 

「解りました。ユーグレオル家は、どこまでもお供する所存です。それをお忘れなきよう」

 

 ユーグレオルはふと、カミオが書き上げた書面に目を落とした。

 その視線に気付きカミオが目を上げると、再び笑って封蝋を手に取った。

 

「いろいろとやる事が多くてな。この半月ほどでどれだけの書面を書いた事やら」

「最近はアレリア方面に書簡を出しておられるようですね」

「あれはな。切り札だ」

 

 封をし侍従を呼ぶと、彼は現れた侍従に書簡を手渡した。

 侍従が去るとユーグレオルは思い出したように言葉を続ける。

 

「時にネリア王の養子となった少年の事ですが。王太子ともなれば矢面に立つ形になり、命を狙われる機会も増えます。本当にこれでよろしかったのですか」

「その件については、本人が望んだ事なのだから問題はあるまい。人は何かを護りたいと思った瞬間、覚悟を決め、強くなれるものだ。同時に弱点も抱える羽目になるがな」

 

 淡々と書面を綴る主を邪魔しないよう、ユーグレオルは敬礼をして執務室を出ようとした。

 扉に手を掛けた時、不意にカミオが言葉を発した。

 

「そうだ。お前には言っておかねばなるまい。不測の事態が起こるかも知れないが、冷静に対処してくれ。頼むぞ」

 

 暗号めいた言葉ではあったが、カミオが意味ありげな言い方をするのは今に始まった事ではない。

 主の発言を心に留め置き、ユーグレオルは仮邸宅を後にした。

 

 

 

 大会議から二週間ほど経った頃、各国民に向けた声明を発表するための式典開催が発案された。

 大陸を四分する国々が統一に向けて動くのは並大抵の話ではなく、足並みを揃えるのは容易ではない。

 王器を持つ三人の代行者が去った今、ただ一人王器を所持する人間の王が皇帝となり統一を果たす事に、異を唱える者は皆無に等しかった。

 

 反対する者の多くは都市の裕福層や地方領主であったが、彼らは所有資産と権益だけを気に掛け、全てを保障すると言えば揉み手をしながら喜ぶ始末だった。

 そんな有様ではあったが、腕の振い甲斐があるとカミオは豪語した。彼から見れば、法整備や都市計画に手を着けるのが楽しみで仕方なかったのだ。

 

 式典では皇帝と共に三公爵の宣布も予定され、ネリア以外の地域からも民衆が続々と押し寄せた。

 未だ式典の日取りも公示されていないのに、王都ガレリオンはまるで祭りのような騒ぎになりつつあった。大通りのそこかしこに屋台が置かれ、人々の間を行商人が行き交った。

 

「この分では当日が思いやられますね」

 

 王城の二階に位置する会議室のバルコニーから大通りを見やり、カミオは呟いた。近くにいたギゲルは、悲しみに塞ぎ込むよりは良いと豪快に笑い飛ばした。

 この日は遷都に先駆けた公路の建設や用地の選定が議題に挙がり、首脳陣で意見をすり合わせていた。ただあまり体調の思わしくないフラスニエルは早々に切り上げ、付き添ったレナルドも退席したために、会議自体が頓挫していた。

 

「それにしてもレナルド殿の戻りが遅いですね。そろそろ一刻ほどは経ちますが」

「時間も守れぬとは、王族としては不出来な男だな。女王や先王の時代は良かった。あの頃はアレリアも調和の取れた素晴らしい国であった。世も末とはこのことだ」

 

 嘆くギゲルを振り向くと、彼の背後に見知らぬ男が立っているのが見えた。会議室に入れるのは新皇帝ほか三公爵だけであり、たとえ家臣であろうとも室内には入れない。

 

「何者だ!」

 

 カミオの声にギゲルが振り向く暇もなく、フードとマフラーで顔を隠した男は一瞬のうちにバルコニーへ詰め寄った。

 男はベルトに忍ばせていた短剣を引き抜くと、驚くべき速さでカミオの喉を掻き切った。返す刃で喉の下を貫くと、倒れるカミオを尻目に男はバルコニーから飛び降り、瞬く間に駆け去った。

 

 一瞬の出来事だった。

 

 残されたギゲルは言葉も出せず、ふらふらと床へ膝をついた。

 会議室の喧騒に気付いたユーグレオルが隣室から踏み込んだ時には、すでに暗殺者は逃亡した後だった。

 

「カミオ様!」

 

 ユーグレオルは倒れた主の許へ駆け寄った。

 大理石製の白い床は血溜りに赤く濡れ、喉からはとめどなく血液が流れ落ちている。鳶色の髪は床に落ちて、力無く広がった猛禽の翼のように見えた。

 すぐさま主を抱きかかえ、ユーグレオルは脈を診た。だが左の首筋は脈打つ事をやめ、指先からは体温が逃げていくばかりだった。

 

「……亡くなっておいでです」

 

 ユーグレオルは噛み締めた唇の下から、ようやくそれだけ口にした。

 彼は羽織っていた礼装用のマントを外し遺体を包んで床へ降ろした。もう一度確かめるように首筋に触れてから立ち上がると、怒りに燃えた形相でバルコニーを睨んだ。

 

「賊はどのような者でしたか」

「一瞬の出来事で顔は見えなかった。フードで顔を覆っておったから、今頃は外套ごと脱ぎ捨てて人ごみに紛れただろうな」

「まさか式典の準備を利用されるとは……」

 

 統一の決定が下されてから、日中の王城は城門も開かれていた。門兵は置かれているが、実質誰でも出入り出来る状態になっていたのが仇となった。

 

「とんでもない事態になった。よもや暗殺が王城で起きるとは」

 

 呆然とするギゲルに、ユーグレオルは声を掛けた。

 

「ギゲル様。この件は皇帝陛下と三公爵の方々のみにお伝え頂けませぬか。我らレニレウスにも体裁というものがあります故、あまり騒がれたくないのです」

「そなたはどうするのだ。カミオ殿の亡骸を抱えたままにもいくまい」

「私は今夜にでも国許へ出発するつもりです。賊を捕らえたいのは山々ですが、御遺体をこのままにしておけません。国で密葬を執り行ってからこちらへ戻り、賊の捜索に移る予定です。それまで警備の強化をお願い致します」

 

 ユーグレオルは信頼のおける部下を密かに呼び寄せると、誰にも知られないよう遺体を運ばせた。血溜りを丁寧に拭き取ると、彼らは静かに会議室を後にした。

 会議室に一時の平穏が戻り、ギゲルが一息ついた頃、ようやくレナルドが姿を見せた。

 まるで見計らったかのような登場に、ギゲルは疑念と共に怒りをあらわにした。

 

「貴様! 今まで何をしていた? 今ここで大事があったのだぞ!」

 

 目をむいて激怒するギゲルに、レナルドは驚く様子もなく微笑んだ。

 

「どうやらそのようですね。嫌な血の臭いがする」

 

 惨状の痕跡を目にしても気にせず、むしろどこか嬉しそうなレナルドを見て、ギゲルは背筋が凍る思いがした。端正な顔を歪めて笑う彼は悪鬼によく似ていると、ギゲルは思った。


 
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