気がつけば、覇乱王のご息女と入籍していた。
カネ払いの良いただのカモの一人に過ぎなかったのに。
つまり法縁は、いつの間にか妖ノ宮から攻略されてしまっていたのだ。
……もう逃げられない。
やむをえず妖ノ宮の婿に納まった法縁は、覇乱王の遺した国を滅ぼすべく、嫁とともに日々破壊工作に勤しんでいた。
――百錬京の風雲城。ある日の城主の間。
そこには夫婦水入らず、のんびりと過ごす二人がいた。
夫の逞しい太腿を枕代わりにして、まどろんでいる妖ノ宮。
文机に積まれた書簡の束を整理しながら、作業の片手間に、幼妻の相手をする法縁。
日ごろは別居生活だが、彼が風雲城に登城している際は、いつも秘書のような役割を果たしている。
退屈そうな妖ノ宮は、法縁の片手を適当にいじって遊んでいた。
最近は指圧の真似ごとにはまっているようで、彼の掌をもみもみと解している。
筋は悪くない……と法縁は思った。
やがて指圧ごっこにも飽きると、彼女は小さく欠伸し、丸くなって身じろぎした。
その仕草はまるで巨大な黒猫のようで、めんこい。
彼女のツンとした顔立ちもまた、猫を思わせる。
「……ねぇ、髪のない人。お祭りにいきたい」
先程までウトウトとしていた吊り目がちな一対の瞳が、法縁をまっすぐに捕えた。
「は?」
「女中たちが話しているのを聞いたの。近くの宿場町でお祭りがあるって。一緒にいこ」
「そんな危険な場所へは連れて行けぬな」
「つれてけつれてけ、お祭りつれてけ! 法縁と一緒にお祭りにいきたいんだ!」
要望を一蹴された妖ノ宮は、ジタバタと駄々をこね始めた。
その豹変ぶりに法縁は一瞬たじろぐが、次にはわざとらしく嘆息した。
「やれやれ。妖ノ宮様は、今年で御幾つに成られましたかな」
「十六」
「ったく。十六にも成ったなら、子供じみた真似はよせ。己の立場をよく考えるのじゃな。残念だが、諦めろ」
「けちはげ。変装していけば平気よ……」
しょぼくれる妖ノ宮。
「じゃあ、友だちの佐和人&数寄若と一緒にいく」
妖ノ宮の虜である佐和人&数寄若なら、確実に誘いを断らないだろう。
しかし、法縁からしてみれば浮気もどきは面白くない。
――日頃の激務の労をねぎらって、今日くらいは奉仕してやってもいいか……という気分になった。
どうせ、明日からまた政務に忙殺される毎日なのだ、彼女は。
法縁は強欲で利己的な男だったが、伴侶をいたわる人情くらいは持っている。
ただしこの見返りは、後でたっぷり要求しよう、とも彼は考えた。
「……仕方がない。きさまに機嫌を損ねられると面倒だ。付き合おう。
若い男を誘って出掛けるくらいなら、わしと共に行け! この法縁、喜んで御供致します!」
「うん!」
妖ノ宮は小動物のように夫に飛び掛かった。
嬉しそうに抱きつき、法縁を押し倒す。
「ちゅ☆」
飛び掛かったついでに相手の頬に接吻する。
「ただし、護衛はたァっぷり連れてゆくからな。よいな。アア、そうじゃ! 帰りに、護衛達とパーッと芸者遊びでも……」
彼の眼前には鬼の形相の妖ノ宮がいた。
「……今のは冗談じゃ。面白い冗談であろう? おぬしを笑わせようとしたのだ」
「フーン( ´_ゝ`)」
法縁はデート前の身支度として、入念に頭磨きをした。
キュキュッ♪
宿場町の夏祭りは大いに賑わっていた。
女王夫婦は民草が身に付けるようなお忍び用の浴衣をまとい、場に溶け込んでいる。
金魚のヒレを模した帯を結んだ妖ノ宮が、めんこい。
二人はまるで愛くるしい町娘と――髪のない町人。
そう言えば、法縁が妖ノ宮に「僧形」以外の姿を見せるのは初めてだった。
既に見せたことがあるのは僧形か、白衣姿か、全裸のみ。
「法縁たん。手、つなご」
行き交う人々の喧騒と祭り囃子を聞きながら、二人は仲睦まじく手を繋いで露店を回った。
一般人に扮した大勢の護衛たちが、少し離れてその後に続く。
法縁は珍しく嫁にサービスした。
「おぬしの為に金魚をとっ捕まえてやろうぞ、ヌフフ!」
「わあい! 金魚だ、金魚だ! ククク」
彼の見事な指さばき。
甘醤油の焼きトウモロコシをぽりぽり頬張りながら、妖ノ宮は幼女のように喜んだ。
金魚掬いの次は、広場の盆踊り大会にも参加した。
「ヌフハハハッ! 見よ、この盆踊りの切れ!」
シャッシャッシャッシャ!
「かっこいい! がんばれー!」
――異変はその時、起きた。
突如、空が赤く染まり、ゴォッと焦げ臭い熱風が押し寄せる。
最初は火事かと思ったが違った。
視界に現れたのは、首だけのおぞましい般若。
炎を帯びたトゲつきの車輪の中心に、赤鬼の首が生えている妖怪である。
その化け物の軌跡には、逃げ惑う民衆と屋台の火の海が見えた。
「グワーッハッハッハ!!」
燃えさかる赤鬼の首が、猛烈な勢いでこちらに飛んでくる。
祭りの場は一瞬にして阿鼻叫喚と化した。
「ヌファッ……! あ、あちィァ!」
法縁も爆ぜた火の粉をかぶる。
「皆、下がって。お客さん達を避難させて、すぐに火消しを呼んできて。赤月は呼ばなくていい」
護衛たちに指示を出すと、なんと妖ノ宮は、あやかし車輪目がけて走り出した。
「これ、危ないぞ、ミヤ!!」
彼が制止しても妖ノ宮は止まらない。
「法縁殿はここにいて! あの方と話してきます。大丈夫よ、安心して」
「……正気の沙汰とは思えぬッ!」
自ら進んで危難に接近するとは……法縁の理解を超えている。
大切なハニーを妖から守らなければ、とも考えるが、防衛本能が働いて立ち竦むことしか出来ない。
――いや、むしろ彼女にこの身を守って欲しい。
情けない男だ。
とっとこ駆け寄った妖ノ宮は、妖怪に親しげに話し掛けた。
「火炎車さん、久しぶり~☆」
「おおう……誰かと思えば。妖ノ宮よ、ワレェか。元気にしちょったか」
「今までどこにいたの? 会えなくて心配したのよ。夢路殿に聞いても狩ってないって言うし」
彼女は赤黒い妖力の燐光を全身にまとい、巨妖を抱擁した。
「ワシャあ散歩がてら、海の外に行っとったけぇ。ちぃとばかし人間どもを摘み喰いにな!」
妖ノ宮と火炎車は再会を祝し、仲良く一緒に燃え上がった。
その場面を、法縁と残った護衛たちは呆然と見ているしかなかった。
これ以上踏み込めば、即・焼死!
誰も火焔と妖気の渦に近づけない。
「なるほど、あれが話に聞く火炎車か! なんと禍々しい……世も末じゃな。しかも、若干わしとキャラ被っとるな」
案じていた法縁は少しだけ安堵した。
あの輪っかは、妖ノ宮の兄貴分の火炎車だ。
以前、彼女が話して聞かせてくれたことがある。
――つうか、夫の目の前で他の男に堂々と抱きつくなよ。
雄だろう、その妖。
「ンン~~? 匂う……匂うッ! どこぞから、鼻が曲がる程に"金"と"欲"の激臭がしよるわ」
法縁が緊迫して様子を窺っていると、巨大な金色の三白眼がギョロリと動いた。
「ヒィッ」
火炎車と視線がかち合う法縁。
硬直し、全身から嫌な冷や汗を噴き出しながら、地面に足を縫い止められる。
蛇に睨まれたカエル状態だった。
「ほぉう、喰いでのありそうな、欲の皮がつっぱった顔しちょる。こりゃあ旨そうじゃのう……」
火炎車は、上から下まで舐めるように法縁を品定めした。
ヨダレを堪えながら妖ノ宮に尋ねる。
「あやつ、ワシが喰ろうてもええか?」
「絶対だめ。あの人は私のよ」
「なんじゃい、ワレェの獲物かよ。ほうか、ワハハ! ワレェ、ええモンめっけたのう!」
どうやら法縁は、妖ノ宮の先輩から認められた?ようだった。
ちっとも嬉しくはなかったが。
「おのれ、あの可愛い半妖めがぁ……!」
まるで妖の仲間のように振る舞う妖ノ宮に対して、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「いや。落ち着け、法縁。落ち着くのだ」
しかしすぐ自分に言い聞かせる。
――やはりあの娘は、人間と妖の狭間に生きる者なのだ。
改めて確認した。
それは、あらかじめ理解していた条件……承知の上で彼女とくっついたのだ。
もう逃げられない、とっくに。
これからは妖ノ宮の婿として、妖ともお付き合いをしていこう!
きっと「妖の世界」にも人脈が広がる。
慈院の顧客を増やし、商売を拡大するチャンスだ。……とでも思わなければ、やってらんね。
このように、毛の生えた心臓をいくつも持った男でなければ、あやしの姫の夫は務まらないのだ。
毎日が命懸けの生存競争である。
「お初にお目に掛かります。妖ノ宮の獲物の法縁です。どうぞ、よしなに」
火炎車とは初対面だったので、とりあえず自己紹介しておいた。
――――終 劇――――
Tweet |
|
|
2
|
2
|
追加するフォルダを選択
喰わせる選択肢に「恩次郎」はあるのに「法縁」が無いのはおかしい。