No.620892

俺妹 海へ

原作とは違う人間関係を描くノープロット物語の第一話

2013-09-19 21:10:59 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:2013   閲覧ユーザー数:1988

俺妹 海へ

 

「京介。私と一緒に海に行かない?」

 大学に入って初めての夏休み。

 数日ぶりにバイト帰りに落ち合った瑠璃は夕焼けを眩しそうに見上げながら話を切り出した。

「海……そうだな。悪くないな」

 8月も後半となり20日を迎えた。泳ぎに行くなら時間的な余裕はもうそうない。

「今年の夏は毎日一緒にいられた訳じゃないからな。俺も瑠璃と過ごしたい」

 大学生と高校生は夏休みの時期が少しずれている。

 具体的に言えば、俺は8月のはじめから9月の中ごろまでが夏休み。瑠璃は7月の後半から8月末までが夏休み。

 長期休みの前には試験やレポート提出がある。また、互いにバイトがある。そして住んでいる場所が千葉市と松戸。

 去年の様に毎日会うというわけにはいかなかった。

 もちろん2人揃って夏コミに参加したりもした。けれど、一緒に過ごしている時間は去年より短い。それは寂しいことだった。

 人ごみが苦手な瑠璃が海の話を持ち出したのもそういう流れからだろう。

「どこがいいかしらね?」

「泊まりで行けるのならどこでもオーケー」

 瑠璃の顔が赤く染まった。

「…………ばか」

 恥らう顔が可愛い。

「それで、欲望丸出しのオスは私をどこに泊りがけで連れて行ってくれるのかしら?」

 非難めいたことを言いながらも瑠璃は泊まりという部分を否定しない。瑠璃はそういう女の子だ。俺だけが知る彼女の可愛い面。

「有名観光地はどこも予約でいっぱいだろうなあ。8月はどのホテルも宿泊料金が恐ろしく高いし」

「…………やっぱり泊まり前提なのね」

「そりゃあせっかくの瑠璃との旅行だからな」

「…………本当にオス丸出しじゃない。ばか」

 瑠璃は更に赤くなって更に可愛くなった。

「けど、今から予約って言ってもなあ……瑠璃は出発はいつがいい?」

「そうね……泊りがけとなると、明後日出発がいいわね。8月最後の週はどうしても予定が立て込んでしまうわ」

 白いワンピース姿の瑠璃はスマホで予定を確認しながら答えた。

「了解。それなら俺も都合がいい」

 出発日を脳内で22日と決定。

 

「けど、明後日出発だと予約も何もねえな」

 ネット検索では24時間前まで受け付けるホテルもたまに見られる。まあそういう所はビジネスホテルだったりする場合が多い。

「となると予約の必要がないラブホでお泊りとかどうでしょうか?」

 ちょっとドヤ顔で提案してみる。彼女がいなかった過去の人生では全く選択肢に入ってこなかった宿泊方法。でも、リア充となった今ならっ!

「却下。調子に乗らないで頂戴」

 瑠璃のチョップ。

「…………せっかく京介と初めての2人きりの旅行なのに、それは風情がないわ」

 叩いた後に瑠璃は照れた。

「そう言えば瑠璃と2人で旅行するのは今度が初めてか」

 瑠璃と泊りがけで出掛けたことは何度かある。でも……。

「いつも私の妹たちか貴方の妹がくっ付いてきていたわね。特に貴方の妹が」

「まっ、それを言ってくれるな」

 軽く息を吐き出す。

「今回も付いてくるんじゃないの?」

「それはないな」

 首を横に振る。

「どうして?」

「今、アイツは陸上の合宿中。来週にならないと帰ってこない」

 ただの陸上部合宿ではなく、県選抜の強化合宿なのだから恐れ入る。高校でもアイツの運動能力は認められている。

「そう言えば貴方の妹は多才な持ち主だったわね。貴方と違って」

「俺と違っては余計だ」

「じゃあ、私とも違って多才な子ね」

 瑠璃は少しだけ寂しそうに俯いてみせる。

「まったく、優秀すぎて羨ましい限りだな。俺たちの妹は」

 沈み行く太陽を見上げながら大声で感想を述べる。

 勉学、運動、努力。何をとっても俺たちは桐乃の後塵を拝している。それは事実。年上としては少し悔しくもあるが、桐乃の力を認めないわけにはいかない。兄としては当然。

「…………俺たちの妹って」

 瑠璃が横から俺の顔を覗きこんできた。瑠璃お得意の試すような瞳。

「いいんだよ、俺たちので。それとも瑠璃さんは将来的に桐乃の姉になってくださるつもりはないと?」

「それを決めるのは貴方の方でなくて?」

「だからいいんだよ。俺たちの妹で」

「…………そっ」

 瑠璃も俺と同じように夕日を見上げた。

「本当に大したものよね、私たちの妹は」

 瑠璃の顔はとてもスッキリしたものに変わっていた。

「だな」

 もう沈む直前なのに、やっぱり太陽は眩しかった。

 

 

「静岡の方の海辺で……夏の間は叔父さんが民宿やっているのよね。泊まるの、そこにする?」

 別れるのが惜しくて瑠璃を家まで送ることにした。

 松戸駅で電車を降りた彼女は歩きながら話をそう切り出した。

「宿泊場所に見当があるのはそりゃ嬉しいけど……いいのか?」

 瑠璃の話にはどうしても引っ掛かる箇所がある。

「叔父さんが経営するってことは……瑠璃はややこしい問題を抱えるんじゃないのか?」

 高校生の姪が男と2人で泊まりにくるというのは倫理的に面倒な問題になるだろう。

「桐乃は私たちの妹なんでしょ。なら、構わないわ」

 瑠璃の答えはキッパリとして勇ましかった。

「それにお正月に叔父さんが来たときに、結婚を考えている男性がいますと既に言っておいたもの。挨拶に連れて行く体裁を取ればいいわ」

「すごいな、瑠璃は」

「私は桐乃と違うから。常にはっぱを掛けていないと動けないのよ」

 瑠璃は輝きだした星を見ながら短く息を吐き出した。

 分かってはいたけれど、瑠璃の中で桐乃の存在は相当に大きいらしい。ほとんど偶然から始まった仲なのに……本当にすごい強い絆だ。

「瑠璃がそこまで頑張ってくれているのなら……叔父さんの所にお世話になるか」

「そうね。私をただの中二病患者としか思っていない従姉妹にも京介を見せ付けてやるわ。こんな立派な彼氏がいるのだって」

「その従姉妹さんは可愛いのか?」

「…………っ!」

 瑠璃に無言で背中に蹴りを入れられた。

「痛てぇっての! 何もそんな本気で蹴ることないだろうが!」

 背中でジンジン痛みが響いている。泣きそうなぐらいに痛てぇ。

「どこまでもいやらしい最低のオスね。フンッ」

「単に容姿を聞いただけなのにぃ……」

「貴方がそんな浮気者だとは思わなかったわ」

 瑠璃はとても腹を立てている。

 俺の彼女はへそを曲げるととても面倒臭い。

「悪かったって。浮気心なんて微塵もないっての」

「フン! どうだか?」

 瑠璃はスタスタ歩いて行ってしまう。

 俺の謝罪を全く受け入れてくれない。

「貴方なんて地獄の業火で3日3晩焼かれ続けてその灰で枯れ木に花を咲かせていればいいのよ」

 そして呪詛の言葉を放ってくる。人前だろうと昼間だろうが深夜だろうがお構いなし。

 傍若無人とは呪猫モードに入った瑠璃のことを言うのだろう。呪いと昔話が混ざっている気がするが、そこにツッコミを入れると余計怒るから言わない。

「俺が興味のある女の子は、愛しているのは瑠璃だけだって」

 そんな瑠璃の機嫌を取るには直球ど真ん中を投じるしかない。俺までも傍若無人となってバカップルぶりを発揮しないと瑠璃は機嫌を直してくれない。

「そんな戯言を信じられるわけがないでしょ? 性欲だけが原動力の卑しいオスの分際で」

「どうすれば機嫌を直してくださいますか、お姫さま?」

 恭しく頭を下げる。割と形式化した何度も繰り返したやり取り。

「私は貴方に恨みの言葉を吐きたくて仕方ない呪いに掛かってしまっているわ。姫の呪いを解く方法って物語的には何だったかしら?」

 白い目を俺をぶつける瑠璃。でも、彼女はちゃんと許すための条件を出してくれた。

 条件ランクがいつもと同じでホッとする。そんなには怒っていないらしい。

 

「瑠璃……」

 ①正面に回って瑠璃の両肩を抱く。

「な、何よ」

 ②瑠璃は顔を俺から反らす。

「愛してるよ」

 ③瑠璃の顎に手を添えて正面を向かせる。

「本当かしらね?」

 ④ツンを続ける瑠璃。

「世界で誰よりも愛してる」

 ⑤拗ねる瑠璃の唇をちょっと強引に奪う

「仕方のない男ね。今回は許してあげるわ」

 ⑥瑠璃からお許しが出る

 

「今のが瑠璃が機嫌を直すための工程。①から⑥まで全部まとめてワンセットだ」

「誰に向かって喋ってるのよ」

 瑠璃からチョップが入る。工程は全部で⑦までだった。

 

「あのさあ、毎回毎回家の前でチュッチュッチュッチュするの止めてくれない? バカップルな姉を持つあたしが恥ずかしくて死にそうなんだけど」

 いつの間にか日向ちゃんが玄関から顔を出して頬をピクピクさせていた。暗いので確認はできないけれど顔は赤い。

「いつから見てた?」

 深呼吸しながら尋ねる。

「①のちょっと前から。家の前でワイワイやってれば気付くっての」

「つまり、①から⑦まで全部ということか……」

「もう軽く2桁は見せられているセットだけどさ……あたしまだ小学生なんだよ。家の前でのラブシーンを自重する気はないわけ?」

 非難の視線が飛んでくる。

「このオスが私を怒らせるのだから仕方ないわ。文句ならこのいやらしいオスにしなさい」

 日向ちゃんの要望を瑠璃はあっさりと切り捨てた。

「じゃあせめてさ。もうちょっと別の機嫌の直し方はないわけ? ①から⑦っていつもじゃん。マンネリだとあたしは思うよ」

「日向には形式美、反復美の素晴らしさがまだ分かっていないようね。そんなことだから貴方の美的センスはいつまでも残念なのよ」

 瑠璃は鼻から息を吐き出して妹を馬鹿にしてみせた。

「ルリ姉に気に入ってもらえるような美的センスを持っていなくてあたしは心の底から安心しているよ」

 妹も負けてはいない。

 この姉妹、向いている方向性はバラバラだけど息はピッタリ合っている。

 

 さて、瑠璃を家まで送る役目も無事に果たした。

「姉妹のトークをこれ以上邪魔するのもなんだし、俺は今日もう帰ることにするな」

 瑠璃と日向ちゃんに背を向けて歩き出し──

「待ちなさい」

「待ってね」

 姉妹2人に肩を掴まれた。

「何故だ?」

 振り返らないまま尋ねる。

「玄関までルリ姉を迎えに行く時に、お父さんが高坂くんと話がしたいって言ってたよ。2人でお酒飲みながら」

「俺……まだ19歳なんだけどさ……」

 切なく訴える。瑠璃のお父さん、お義父さんとの会話は肩が凝るので勘弁して欲しい。

「大学の新歓コンパで泥酔して公園で朝まで眠っていた男が今更何を言っているのかしら?」

 けれど瑠璃は逃してくれない。俺たちの今後の交際、そして結婚のためには俺とお義父さんが良好な関係を築くことが大事だと固く思っているから。

「ルリ姉がおつまみ作って差し入れてくれるサービスするんだから諦めて付き合いなよ」

 そしてそんな弱り俺を楽しむ将来の義妹。お義父さんと飲んだ翌朝には酔い覚ましのスープを作ってくれる優しさも持ち合わせているのだが。今日はもう勘弁してください。

「小学生の日向ちゃんには分からないだろうが……楽しくない席での酒ってな、本当に不味いんだぞ。すごく苦いんだよ」

 こればっかりは瑠璃や日向ちゃんには分からない問題だろう。

「つべこべ言ってないでさっさと家に入りなさい。旅行の許可ももらわないといけないんだから」

 瑠璃が背中を押してくる。

「旅行……やっぱり親父さんの許可が必要か?」

「当然でしょ、そんなこと」

 瑠璃の返事はにべもない。

「何々? ルリ姉、高坂くんと旅行に行くの? あたしも付いていっていいの?」

「今回は京介と2人で叔父さんの民宿に行くつもりよ」

「へぇ~。2人きりの旅行ねぇ」

 日向ちゃんがニタニタしながら俺を見る。

「今夜のさし飲みは長くなりそうだね♪」

 満面の笑み。

「まっ、頑張るさ。許可はちゃんと取らないとな。瑠璃はまだ未成年なんだし」

「貴方だってまだ未成年でしょうが」

 ツッコミを入れたところで瑠璃が笑う。

「お父さんには私たちのこと……全部認めてもらいたいから頑張って」

「ああ。そうだよな」

 頷き返す。

 義理の父親(予定)との戦いを前にして少しだけ元気が出た。

 

「頭痛てぇ……」

 翌朝、俺は五更家のリビングで床に突っ伏している格好で目覚めた。

 床とキスしながら寝ていたこと、残っている酒のせいでダブルパンチで頭が痛い。

 背中にタオルケットが掛けられている所を見ると瑠璃か日向ちゃんが俺を見てくれたようだ。

「どうせなら……ソファーまで運んで欲しかった」

 ひりひりする顔は絶対床の痕がついているに違いない。鏡で顔を見るのが怖い。

「寝ている高坂くんをあたしやルリ姉が動かせるわけないじゃん。無茶言わないでよ」

 台所からムッとした声が届いた。

「やあ、おはよう。日向ちゃん」

 立ち上がって台所へと入る。

「もう8時半だよ。おはようじゃないよ」

 エプロンをつけて鍋の前に立つ日向ちゃんにジト目を向けられる。

「普通の大学生にとっては8時半っていうのは早朝を意味するんだよ。大学生は基本的に夜行性だから」

「だらしのない生活を送っていることを誇るのは人としてどうかと思うよ」

 さすがは瑠璃の妹だけあってバッサリと切られてしまった。

 何か気まずいので話題を変えることにする。

「おお。また酔い覚ましのスープを作ってくれているのか」

 少し大げさに喜ぶ。

「高坂くん、昨日は頑張っていたみたいだしね。まっ、少しは美少女のサービスが必要でしょ」

 日向ちゃんは少し誇らしげに返してみせた。

「昨夜は……我ながらスゲェ大変だった」

 理由はもちろん瑠璃との旅行許可を取るため。

 昨日急に決めたから仕方ないとはいえ、いきなりの申し出に、しかも叔父さんの所に泊まることにお義父さんは渋い顔をした。

 まだ具体的には話し合ったことがない瑠璃との結婚話について根掘り葉掘り聞かれ、ああしろこうしろと大変だった。

 瑠璃はどうも高校を卒業したら俺と同棲するとお義父さんに話しているらしい。

 その話自体、昨夜初めて聞いたのだが……お義父さんは憤慨していた。籍を入れない状態での同棲など認めないと。

 それで、同棲するなら籍を入れてからにすることを誓わされた。

 そんなこんなでスッゲェ疲れた。

 お義父さんは俺に飲ませるだけ飲ませ、言いたいことを全部述べて俺に(無理やり)承諾させるとさっさと部屋に戻ってしまった。

 精も根も尽き果てた俺はソファーまで移動しようとしたがその途中で力尽きてそのまま眠ってしまったというわけだ。

 

「まっ、この日向ちゃんさま特製のスープを飲んで元気になってね」

「ああ、毎度ありがとうな」

 お味噌汁のお椀に入ったスープを受け取り口へと含む。

「ああ、美味しいぞ」

「へへっ。そうでしょうそうでしょう♪」

 去年から瑠璃に料理を習い始めた日向ちゃんはその上達が昨今著しい。

 師匠が優秀ということもあるのだろうが、我が家の妹にも日向ちゃんをもっと見習って欲しいものだ。

「高坂くんってば、あたしに惚れ直しちゃうでしょう♪」

「いや、それはない」

 手をブンブンと横に振る。

「ルリ姉からあたしに乗り換える?」

「滅相もない」

 この悪ふざけに悪乗りすると瑠璃にボコボコにされるのは過去の経験から分かっている。

「ルリ姉とあたしはそっくりだからねぇ。高坂くんがルリ姉より若いあたしにグッとくるのは歴史的必然。こりゃあ参ったね」

「日向ちゃんもこれ以上続けていると、瑠璃の粛清を受けるぞ」

「フッ。それなら大丈夫」

 日向ちゃんは胸を張った。

「ルリ姉はたまちゃんとお散歩の最中。経験則に拠れば後20分は帰ってこない」

 日向ちゃんはドヤ顔を作る。

「というわけで……今の内により若いあたしに乗り換えちゃおうよ♪」

 悪戯っぽい声を出す日向ちゃん。こういうノリを好む辺りは姉とは随分な違いがある。

 

「えっと……そう言えばこのスープの材料って何なんだ?」

 来てはならない悲劇を避けるために話題を変える。

「ルリ姉直伝のスープなんだけどね。漢方って言った方が分かり易いのかな?」

「漢方?」

 ちょっとだけ嫌な予感がした。

「そう。元の材料はヤモ……イモ……両生類とか爬虫類だったりするのかな。後他には昆ちゅ……まあ、色々だよ。あっはっはっはっは」

「…………知らぬが仏だったか」

 俺の酔い覚ましは瑠璃の黒魔術の産物だったらしい。

「まあまあ。スープの材料なんかよりあたしとのラブラブの時間の方が重要だって♪」

 日向ちゃんが楽しそうに抱きついてきた。

「頭に響くからくっ付かないでくれ…」

 二日酔いの状態で身体を揺すられるというのは本当に勘弁して欲しい。脳が体の外に飛び出してしまいそうな感覚。

「またまたぁ。高坂くん好みの美少女に抱きつかれて嬉しいくせに♪」

 離れてくれない日向ちゃん。俺は吐き気と戦うせいで彼女のなすがまま。そして──

「へぇ~。私の妹と浮気とは貴方もなかなか豪気よねぇ」

 とても冷たい声が俺たちを金縛りに掛けた。

「る、ルリ姉……今日の帰りは随分早かったねぇ」

 日向ちゃんがプルプルと身体を震わしながら俺の真後ろに立っているはずの瑠璃に挨拶する。俺からは瑠璃の顔が見えないものの、引き攣っている日向ちゃんの顔を見ればどんな表情をしているかは想像できる。

「今日は特別暑かったから早めに戻ってきたのよ。そうしたらまさか……義理の父親に結婚を誓った男が、交際相手の妹に抱きつかれてニヤニヤしている浮気場面と遭遇するとはねえ」

「ニヤニヤって……そこからじゃ俺の表情なんて分からないだろっ」

「黙りなさいっ! 妹を無理にでも引き剥がさない時点で貴方の罪は明白なの。覚悟なさいっ!」

 怖くて振り返れないが瑠璃の声はやたらと怒っている。

「いやぁ。あたしが美人過ぎるから修羅場になっちゃったねえ」

 頭を掻きながらヘラヘラと笑う日向ちゃん。

「そして日向。姉の男を盗ろうとは言語道断。貴方の自殺願望……この姉が叶えてあげるわ」

「ひぃえええええええぇっ!?」

 日向ちゃん涙目。でも巻き込まれた俺はもっと涙目。

「2人共……許さないわよっ!」

「「そんな殺生なぁっ!」」

「問答無用っ!」

「「ぎゃぁあああああああああああああぁっ!?」」

 俺と日向ちゃんが瑠璃のお仕置きにより意識を刈られるのはすぐのことだった。

 

 

「ああっ。京介にーさまと日向おねえちゃんが仲良くお昼寝中ですぅ。珠希も一緒にお昼ねしたいですぅ」

「珠希は私と一緒にお昼寝しましょうね」

「珠希も京介にーさまと……あうぅ。珠希、ねーさまとお昼寝しますですぅ」

「フフッ。珠希は聞きわけが良い本当にいい子ね」

「あぅううぅ。さっきのねーさまとても怖い顔だったですぅ」

 

 

「ただいま」

 午後1時。千葉市の自宅へと帰還。

 気絶から覚めた後、瑠璃の機嫌を取るのがとても大変だったのは言うまでもない。

 明日から旅行だというのに既に疲労度はマックス。

「炭酸でも飲んで頭スッキリさせるか」

 コーラかサイダーで脳をシュワッとさせてリフレッシュしたい。うちに炭酸飲料なんて洒落たものがあったのか疑いながら台所に飲み物を取りに行くことに。

 扉を開けて台所へと続くリビングに入ると、やたら暑苦しいガタイをしたおっさんがソファーに座って新聞を読んでいた。

「オヤジ……何で平日の昼間に家に?」

 とても珍しい光景だった。

「人事部に夏期休暇を取るように強く言われてな。こうして無為に過ごしているわけだ」

 オヤジは見るからに手持ち無沙汰だった。

「趣味の1つもねえようじゃ、引退後に退屈すぎて死んじまうんじゃねえのか」

「母さんにも同じことを言われた。年金支給額の関係で俺に先に死なれると困るそうだ」

「切ねえな。その理由説明は」

 ちょっと目頭が熱くなった。

「で、その母さんは?」

「東京の高級ホテルが手頃な価格で昼食を提供しているとかで主婦仲間と食べに行った」

「どこまでも切ねえなぁ」

 千葉にもこんな泣ける話があったとは。

 

「それよりも京介」

 オヤジが非難の瞳を向けてきた。

「何だ?」

 何かばつの悪いものを感じながら返事する。

「昨日の無断外泊の件についてだが」

「無断って言い方はおかしいだろ。ちゃんと泊まるってメールは送っただろうが」

 昨夜瑠璃の家の中でお義父さんに会う前にメールをオヤジとおふくろの両方に送っておいた。

「メールではなく電話で連絡をよこせ」

「同じだろう」

「同じではない。あれでは一方的な通知に過ぎん。俺や母さんの許可がないのであれば無断外泊と変わらん」

 オヤジはムッとしている。

「仮に無断外泊ということを認めても、俺はもう大学生。しかも男。オヤジは一体何をそんなに心配してるんだ? 桐乃ならともかく」

 大体、俺に1人暮らしを命じて2ヶ月も手綱を離したのはオヤジだというのに。

「そんなもの、お前が世間様に迷惑を掛けないために決まっている」

 オヤジの声はキッパリしていた。

「信用ねえな、俺って」

「では尋ねる。昨夜はどこに泊まっていた?」

「メールに書いただろ。瑠璃の家で向こうのオヤジさんと酒を飲むって。で、そのままバタンキューだよ。この顔の痕は床に頭引っ付けて寝てたからできたんだ」

 オヤジに赤くなっている額を見せる。オヤジは天井を見上げた。

「京介は瑠璃くんと結婚するつもりなのか?」

「そのつもりだ。瑠璃もそれを強く望んでいる」

 1度目の破局があって、その後もう1度結ばれて。結局俺には瑠璃なんだって強く想うようになった。

「そうか」

「反対はしないんだな」

「結婚自体を反対する謂われは何もない。お前のような男の元に嫁いでくれるというのなら俺は瑠璃くんとその家族に土下座して許しを請わねばなるまい」

「土下座なら昨日散々したからオヤジまでするのは勘弁してくれ」

 嫌な所で親子であることを確認してしまう。

「母さんもお前と瑠璃くんの結婚を望んでいる。そして瑠璃くんとの同居を望んでいる」

「それはあの人が楽したいだけのことだろうが」

 頭が痛くなる。

 しかし、これで図らずも俺と瑠璃のゴールインに家族という障害は存在しないことが確認された。

「俺はお前たちの結婚自体には反対しない。しかしお前は大学生で瑠璃くんは高校生だ。何故相手方の親と1対1で飲んで泊まるような展開を急に迎えるんだ? 何があった?」

 さすがはオヤジ。警察官だけあって不審な行動には目ざとい。

「実はオヤジにそれで話があるんだ」

 姿勢を正して話を切り出す。

「一体何だ? 話してみろ」

 俺は瑠璃と明日から旅行に行くことを打ち明けた。

 

「1つ確かめておきたいことがある」

 話を聞き終えたオヤジは意外にも怒り出したりはしなかった。

 代わりに質問を投じてきた。

「その旅行……瑠璃くんのご両親は納得済みなのだな?」

「ああ。説得するのには骨が折れたけどな」

 昨夜のことを思い出しながら頷く。瑠璃の援護射撃がない中でよく頑張ったとは思う。

「なら、旅行に行くことに俺は反対せん」

「何か意外だな。オヤジが瑠璃と2人での旅行を許可するなんて」

 ぶん殴るぐらいしてくると思ったのに。

「実は俺も……学生の頃に母さんと2人で旅行に出かけたことがあってな。しかも無許可でな。だから、俺にお前を責めることはできん」

「へぇ~オヤジも結構やんちゃしてたんだな」

 門限門限うるさいオヤジからはちょっと考え難い過去だった。

「京介ももう子どもではない。だからこそ言っておくぞ」

「何だ」

 オヤジの目を見つめる。

「瑠璃くんをちゃんとエスコートして楽しい旅行にしろよ」

「当たり前だろ、そんなことは」

 力強く頷いてみせる。

 去年より少しは、2年前よりはだいぶ大人に近付いたはず。

 それは高校生が大学生になったとか背が少し伸びたとかそういう変化ではなくて……。

「勢いだけではない。少しはマシな目をするようになったな」

「…………俺だって、色々人生経験積んできてるんだよ」

 オヤジに背を向けて台所に向かって歩き出す。

「京介。台所に行くのか?」

 背中から声が掛かる。

「ああ」

 振り返らないまま答える。

「だったら……俺の昼食も作ってくれ。母さんが何も準備してくれなかったので腹が減った」

「自分で用意しろっての。アンタは子供かぁっ!」

 オヤジとの会話にはしっかりオチまで着いた。

 

 

「海に行くのに……水着がねえ。どこしまったか?」

 午後3時。旅行に行く荷物をまとめていた所で水着がないことに気付く。

 探してみるもののタンスの中にもどこにも見つからない。この部屋は去年、桐乃によって勝手に倉庫化された間に大胆なモデルチェンジを受けている。

 水着も桐乃がどこかにやってしまったのだろう。最悪捨てた可能性も高い。

「買いに行くしかないか……」

 合宿中の桐乃に尋ねるのは気が引ける。そしてアイツの性格上、俺の私物をどこに置いたかなんて覚えているはずがない。

 よって買いに行く以外の選択肢はなかった。

「まっ、家の中にずっと居ても退屈なだけだからな」

 自分に言い訳しながら部屋を出る。

「京介。出かけるのか?」

 いまだ新聞を読んでいるオヤジが声を掛けてきた。

「ちょっと水着買ってくる」

「ついでに俺の分の夕飯も買ってきてくれ。母さんが夕飯も外で食べてくると連絡してきたので」

「自分で何とかしろっ!」

 オヤジの老後は本当にヤバいんじゃないかと思いながら外に出た。

 

「って、外はまだ暑すぎるっての……残暑って何だよ」

 午後3時の気温は8月の後半とは思えないほどに暑かった。

「こんな中、外を歩き回るとか正気じゃないぞ」

 10日ほど前のコミケを思い出す。あの汗臭くてむせ返るような熱風吹き荒れる空間を体験する度に……夏に弱くなる。

 人間は困難に直面して必ず成長するとは限らないのだ。

「ペットボトルの1本でも持ってくれば良かった」

 家を出て3分で弱音を吐く。

 千葉駅まで頑張るのを諦めてとりあえず水分を補充することに方針を転換する。

 自販機が置いてある児童公園へと寄り道して入る。

 わき目もふらずに自販機へと近寄り、150円するペットボトルのお茶のボタンを押した。

「プハァ~生き返る」

 一口飲んでようやく生きた心地が蘇る。

 昨日飲んだビールや焼酎、ブランデーよりこっちのお茶の方が断然美味い。

「まあ、これ1本あれば駅までは倒れずに済むか」

 ペットボトルを選んだのは途中で水分補給をこまめに行うため。熱中症対策を忘れない。

「じゃあ、改めて駅に向かうか」

 水分という力強い味方を得たことで精神的な余裕を得た俺は再び駅に向かって歩き出す──

「あれって……」

 ブランコに水色のノースリーブのワンピース姿の女の子が俯いて座っている。

 高校生ぐらいの年齢であの艶やかで真っ直ぐな黒髪。

 顔は見えないけれど間違いない。あの子は……。

「よおっ。ラブリーマイエンジェルあやせじゃないか。久しぶりだな」

 右手を軽く挙げて数ヶ月ぶりに見た妹の親友に挨拶する。

「ラブリーマイエンジェルって……相変わらずなんですね、お兄さん」

 あやせは苦笑しながら顔を上げた。

「どうしたんだ、暑いさかりにこんな所で?」

「桐乃にちょっと相談したいことがあって近くまで来たんですけど、連絡を取ったら合宿中で千葉にいないって言われて」

「それで帰るのも面倒になってブランコに乗って休んでたのか」

「まあ、そんな所です」

 あやせは力なく笑ってみせた。

 その顔は……去年の俺がよく知っているエネルギッシュな彼女とは違っていて……。

「その、何があったのか良かったら俺に話してくれないか?」

「えっ?」

 あやせが口を半分開けたまま驚きの表情を示した。

「俺じゃあ役に立てるかは分からないけれど、話せば気が楽になる時もあるしさ」

「わたしと2人でお話をしているのが知られたら……黒猫さんに怒られますよ」

 あやせは少しだけ意地悪な目つきをした。

「アイツには昨日散々怒られたからな。また怒られても別にいいさ」

「開き直ってますね」

「まあ、瑠璃に怒られるのは日課みたいなもんだから」

「そういう関係……羨ましいです」

 あやせは目を細めて俺を見る。

「わたしはお兄さんとそういう関係に……なれませんでしたから」

「うっ」

 あやせを振ってしまった時のことを思い出す。

「まあいずれ、お兄さんと不倫関係になって黒猫さんとの仲を引き裂いてみるのも面白いかもしれませんが」

「あやせにそういうことを言われると本当にそうなりそうだから勘弁してください」

 あやせに頭を下げる。俺は彼女に弱い。純粋に顔だけなら世界で一番可愛いとは今でも思っている。そんな彼女に火遊びを持ち掛けられるのは本気で怖い。

「じゃあ、わたしがお兄さんと黒猫さんの仲を引き裂かない代償に、わたしの話をちょっと聞いてもらえますか? 人生相談です」

「だから俺は最初からそれを提案してるっての」

 2人して顔を見合わせて笑う。

「じゃあ、ちょっとお話を聞いてもらいますね」

 あやせは髪を撫でながら自分の悩みを話し始めたのだった。

 

 

 続く

 


 
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