No.620789

真・恋姫✝無双 ~夏氏春秋伝~ 第十二話

ムカミさん

第十二話の投稿です。

黄巾との最終戦に向けての準備回になります。

2013-09-19 08:29:06 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:9854   閲覧ユーザー数:7313

曹操軍一同は大梁での戦闘を終え、現在は既に陳留へと帰還していた。

 

その陳留城内、情報統括室に現在2人の人影があった。

 

「で?俺はいつまでここに居ればいいんだ?」

 

「張角達の為だと思って我慢して待て。曹操様に張角達の無害性と有用性を上手く説くことが出来るかどうかを上官に判断してもらわにゃな」

 

帰還して後、2人はこの部屋で軍議が終了するのをずっと待っているのである。

 

周倉は既に待ちくたびれてしまっていたが、先の一刀の言葉に、張角の為、と自身に言い聞かせる。

 

その後再び部屋は静寂に包まれたのだが、その静寂を破ったのは2人の待ち人達では無かった。

 

「隊長。曹操様がお呼びだそうです。室長が連れてこい、と」

 

「俺?わかった、行くよ。悪いな、周倉。ちょっとの間だけ待っていてくれ」

 

「…張角ちゃんを持ち出されたら俺に拒否権はねぇよ。さっさといって来い」

 

一刀は一体何事かと疑問を抱きながらも、周倉に一言かけてから部屋を出て軍議室を目指す。

 

しばらく廊下を歩いて軍議室に辿り着いた。

 

「失礼します。夏侯恩、参上しました」

 

果たして、軍議室には将軍、軍師が勢揃いし、皆が一様に一刀にその視線を向けていた。

 

「来たわね。では、一刀。貴方に質問があります。先程、大梁での戦の詳細にあった報告、つまり、貴方が数人の兵のみを引き連れて賊本陣に斬り込んだ、というのは本当なのかしら?」

 

場の雰囲気はまるで軍法会議のようである。惚けようかとも考えたが、華琳は嘘偽りは決して許さないと言わんばかりに覇気を発している。それを感じ取り、一刀は正直に、しかし最小限に答えることにした。

 

「はい、事実です」

 

「それは零の指示ではなく?」

 

「私の独断によるものです。司馬懿様には何も非はありません」

 

「…その独断を実行した理由を聞いても?」

 

「今回の黄巾は軍隊めいた賊ではありましたが所詮根本は賊です。その頭が討たれても尚目的を果たさんと奮闘する者は少ないでしょう。であれば、決死の作戦になろうとも賊の頭を討ってしまえば全体の被害は抑えられる、と愚考致しました」

 

「…なるほど、ね」

 

華琳は一刀の回答に何を思ったのか考え込んだ。

 

(全く物怖じせず、か。一刀自身の言い分も報告にあった内容と違わない。糾弾の雰囲気を感じつつも偽らない。己の信念に基づいた行動には躊躇いを感じない種の人間ね。中々に面白いじゃない。何故今まで気づかなかったのかしらね)

 

軍議場全体を重苦しい沈黙が満たすが、やがて華琳が上機嫌な笑いでその沈黙を破って一刀に結論を告げる。

 

「ふふふ、あはははは。一刀、此度の件、その功を認め、褒美を取らす!」

 

「…はぃ?」

 

華琳のこの発言にはさすがに一刀も思考が追いつかず、間抜けな声を出してしまった。

 

「悪かったわね、一刀。元々、貴方を罰するつもりは無かったのよ。ただ単に私の興で貴方を試しただけ。褒美の内容は…そうね、先の問答で貴方をより一層気に入ったわ。なので貴方にも私の真名を呼ぶことを許しましょう。それから、武功に応じ、将軍の位を与えましょう」

 

ここまで一息に言われた時点で、ようやく一刀は思考が回復した。

 

「そうでしたか。真名の件は有り難くお受けしたく思います。ですが、将軍職に関しては辞退をさせて頂きたく…」

 

「あら?私の褒美が受け取れないとでも?」

 

「いえ、単に自らの実力不足を痛感しておりますれば…」

 

「……」

 

華琳は黙して一刀の目を見る。一刀は一切引くことなく、華琳の目を真っ直ぐに見つめ返していた。

 

「…わかったわ。今回はそういうことにしておいてあげる。ただ、今後の軍議には貴方も出なさい。それ位なら別に構わないでしょう?」

 

「了解しました。ご配慮、誠に痛み入ります、華琳様」

 

一刀は平身低頭して謝意を述べた。

 

その後、一刀は未だ真名を交わしていない重臣と真名を交わして武官の列に並び立つ。

 

既に他の者の褒賞や凪達の役職の話は済んでいたようで、今後の話を2、3してその日の軍議は終了となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軍議終了後、一刀は秋蘭と連れ立って統括室へと向かっていた。

 

何故桂花も一緒でないのかと言うと…

 

「ちょっと!気安く私に話しかけないでよ!華琳様に変な勘違いされたら自殺物よ?!」

 

とのことである。

 

「まあ、何だ。気にするな、一刀。桂花は男に対しては大体いつもあんな感じだ」

 

「いくらあの部隊が機密とは言え、さすがにあれは凹むよ…」

 

本気で落ち込んだ様子の一刀を秋蘭が慰めつつ廊下を進んでいくのであった。

 

 

 

「待たせてすまんな、周倉」

 

統括室の扉を開きつつ一刀が部屋の中に声を掛ける。

 

「まったくだぜ」

 

「一刀、こいつは?」

 

「ああ、こいつは周倉。黄巾の将をやってた奴だ。張角達の情報を色々と知っていてな。ただ、それを聞き出すためにある条件を提示されている。俺自身は十分に利があると思うんだが、それに関しての意見を聞くために秋蘭と桂花を、な」

 

「なるほどな。では詳しい話は桂花が来てからにしようか。二度手間は面倒だろう」

 

「ああ、そうしてくれると助かる」

 

簡潔な説明で事情を正確に理解する辺りはさすが秋蘭といったところである。

 

その後3人の間には会話が無く、沈黙が部屋を満たしたままの状態で桂花の到着を待つ。

 

やがて聞こえた扉を開く音によって、短くも長いその時間はようやく終わりを迎えた。

 

「待たせたかしら?」

 

「いや、構わんよ」

 

「お越しいただきありがとうございます、室長」

 

入室してきた桂花に秋蘭と一刀が軽く返事をする。

 

そして桂花が室長席に付き、ここ統括室における緊急会議が始まった。

 

「まず、秋蘭には既に説明したのですが、こちらの者は周倉と申します。黄巾の将をしていた者で、今回の話し合いにおいて重要な人物となります」

 

「黄巾の将、ね。差し詰めそいつから張角達の情報を手に入れた、ってとこかしら?でもそれだけならアンタが第一種情報に指定するわけないわよね?」

 

「はい。実は張角達の正体の他に黄巾の実態も判明しまして。情報を聞き出す際の周倉からの条件も考えますと、曹軍にて張角達を『保護』することが大きな利となると判断しました。それについてお二方に意見を伺おうと思いましたので」

 

その一刀の報告に2人は眉を顰めた。

 

「黄巾の首謀者を我々が匿うことが利となると言うのか、一刀?」

 

「私にはとてもそうは思えないのだけど?」

 

2人のこの返答は当然予想の範疇であった。一刀は淡々と得た情報を積み上げていく。

 

「まず張角達の正体ですが、3人組の旅芸人の女性だそうです。黄巾は元々は彼女達の追っかけ達がその始まり。今ではその数は莫大なものとなり一部が暴走、それに各地の賊達が便乗しているのが現状のようです。張角達は首謀者では無く、どちらかと言えば巻き込まれただけ、と表現した方が正しそうですね」

 

「ふむ、なるほど。だが例えその話が真実だとしても、張角達を匿うことに利があるとは思えないぞ?それに、先程の軍議の初めに報告があったのだが、朝廷より黄巾の討伐令が届いた。首領が張角だと知っている陣営もすでにあるだろう。もし匿ったとして、それがバレたらどうする?」

 

秋蘭が提示したリスクに対して一刀は周倉への質問を交えて答えていく。

 

「それなんだけど。周倉、元々の黄巾、張角達の追っかけはその正体について口を割ると思うか?」

 

「まず、ないだろうな。俺たちは張角ちゃん達に希望を見出し、命を捧げることを決めていた。今の腐った漢王朝なんかに属している官軍には死んでも口は割らないだろうよ」

 

「なら、途中から黄巾に参加したものや同調した賊達はどうだ?」

 

「途中から賛同してきた奴にも2種類ある。張角ちゃん達の歌を直接聞いた奴と、黄巾党員の話を聞いて同調しただけの奴だ。歌を聞いた奴らは恐らくさっきと同じ理由で話しはしないだろう。ただ、同調した奴は口を割るかも知んねぇが、そう言う奴らは正体までは知らない奴らばっかりだ。そんな奴らから分かるのなんて名前くらいだろうさ。賊達も同じだ」

 

「ということらしい。つまり、張角という名前は知っていても容姿は言うまでもなく、性別すら分からない可能性がある。これを利用すれば最小限の危険で張角達を匿うことが出来るはず」

 

「なるほどね。確かにいけそうではあるわ。でも、それを華琳様に納得させるだけの『利』を示さないとならないわよ?そこはどうなの?」

 

一刀の説明を黙って聞いていた桂花が肝心要の『利』について聞いてくる。

 

これに対しては既に一刀の中で結論が出ていたのかスラスラと『利』の内容を挙げていく。

 

「先の周倉の話からもわかるかと思いますが、張角達の何が凄いかと言うと、その求心力です。この御時世に庶民である農民たちに希望を見出させ、さらには官軍に対して口を割らない程の忠誠心すら持たせるに至っています。もし、彼女達を匿い、その命を救う代わりにこの力を曹軍の為に使ってもらうことが出来れば、兵力増強にかなりの効果を得ることが出来るかと」

 

「ふむ…一刀、一つ聞きたい。張角達には本当に造反の意はないのか?」

 

「その辺りは周倉が…」

 

「彼女達はそんなこと望んじゃいねぇ!黄巾党の一部が勝手に暴走始めちまったのが悪ぃんだ!」

 

一刀が周倉に話を振ろうとするまでも無く、周倉が張角達に悪意が無い旨を叫んだ。

 

「張角達がアイドルみたいなもんだってんなら、大方歌った後のノリで、大陸を制覇する、とかなんとか言ったのを勘違いした奴らでもいたんじゃないのか?」

 

「うっ…た、確かにそうだったかも知んねぇ…」

 

「だってさ。というわけで、張角達には造反の意は無いと見ていいと思う」

 

この言葉を最後に暫しの沈黙が部屋を支配する。

 

一刀は語るべきは語り終えたと言わんばかりに沈黙を貫き、周倉は張角達への対応が決まるであろうこの会議の行く末を固唾を飲んで見守っていた。

 

やがて一連の情報を整理し終えた秋蘭が口を開いた。

 

「うむ、確かに『利』はありそうだ。上手く事を運ぶことが出来れば、だが。私は一刀の案を採用しても良いと思うが。どうだ、桂花?」

 

「…そう、ね。確かに秋蘭の言う通りね。となると問題は、他の諸侯に張角達の真実を漏らさないこと、それとどうやって秘密裡に張角達を捕らえるか、ね」

 

秋蘭に続いて桂花も今回の話の有用性を認めてくれたことに一刀は安堵の息をつく。

 

しかし、すぐに気持ちを切り替えて桂花の指摘した問題点の解決策の一例を提示する。

 

「その2点でしたら黒衣隊を動員すれば方法はあるかと」

 

「どんな方法よ?」

 

「情報戦としては至極初歩的な戦術ではありますが、黄巾討伐に乗り出した各諸侯に張角に関する虚偽の情報を掴ませます。それと同時にその情報を裏付けるかのような噂を流します。余程の情報機関を保有していない限りはこの手で事足りるかと」

 

「なるほど、ね……わかったわ。アンタの案を採用してあげるわ。情報を纏めて今の内容を話せば華琳様もご理解くださるでしょう。アンタは黒衣隊から人員選出してさっさと工作の準備に入っときなさい」

 

「はっ」

 

最終的に桂花も納得し、張角達の『保護』の為の作戦が動き出すことになるのだった。

 

 

 

「…これで張角ちゃん達は助かるのか?」

 

「ああ、華琳様は能力のある人材を集めるのが好きな面があるからな。きっと大丈夫だ」

 

「そうか…」

 

桂花が去った後の統括室で周倉と一刀が会話を交わす。周倉は安心しているのか、どこか呆けたような表情をしていた。

 

「それで、今後のお前の処遇なんだが…」

 

「ああ、張角ちゃん達を助けてくれる、って言ってくれたんだ。戦の最前線だろうがどこだろうが出てやろうじゃねぇか」

 

覚悟は出来ている、と周倉が構えていると、一刀は思いも寄らないことを言い出した。

 

「いや、周倉には黒衣隊に入って貰いたい」

 

「…本気か、一刀?」

 

一瞬間言葉を失った秋蘭が一刀に問いかけた。一刀はそれに事も無げに答える。

 

「ああ。だが、他の黒衣隊の様に完全な隠密に仕立て上げるわけじゃないんだ。しばらく黒衣隊、つまり俺の指導の下で情報の収集の仕方、扱い方を学んでもらう。その後にある重要な任務を任せたいんだ。その任務にはそれなりの武が必要なんだが、お前ならば問題無いと判断した。逆に言えば、その武があるから任務を頼みたいんだがな」

 

「なんかややこしいんだが、俺にやれるだけのことはやってやるさ」

 

その後、一刀が周倉に今後の調練の予定を伝え、周倉は部屋を去った。

 

「というわけで。この件に関しては俺を信じてくれないかな、秋蘭?」

 

「…一刀がそこまで言うのならもう何も言うまいよ」

 

秋蘭が諦めたように呟く。それに一刀が、ありがとう、と微笑もうとしたその時。

 

「くっ…」

 

突然一刀が呻きを上げた。突然の事に秋蘭は心配して声を掛ける。

 

「どうした、一刀?」

 

「いや、ちょっと頭痛がしただけだよ。意識してなかったけど、大分疲れてたみたいだ。もう収まったから大丈夫」

 

そう言って一刀は秋蘭に向けて今度こそ微笑む。

 

一刀の言葉は本当のようで、その笑みに無理をしている様子は全く無かった。

 

その後、2人は少し雑談をした後、それぞれの仕事の為にその部屋を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一刀達の会議が終わろうとしていた頃、調練場へと続く道から帰ってくる春蘭の姿があった。

 

しかし、豪快な性格の春蘭にしては珍しくその顔は浮かないものだった。

 

(う~…取れん!何なんだ、このモヤモヤした気持ちは!一体私はどうしたというのだ?)

 

実はこの春蘭、先程まで調練場で只管に丸太を自身の大剣で斬り付け続けていた。

 

その様子を間近で見ていた兵は、まるで何かを忘れようとしているようだった、と後に述べている。

 

それはともかく。今現在、春蘭は悩んでいるのだった。

 

その原因は先の大梁戦に遡る。

 

 

 

あの戦において、春蘭は初めは確かに皆の無事を只管祈っているだけであった。

 

大梁に到達して一刀を助け、その一刀と共に秋蘭達の下へと駆けつけたところまでは春蘭も何も迷いはしていなかった。

 

そして、皆の下へと辿り着いて無事を確認した春蘭は真に安堵していた。

 

そんな中、自身の最愛の妹を見やると、秋蘭と一刀は他の将を賊に嗾けた後に2人だけで何事かを話している。

 

今までにも何度かそのような光景は見たことがあった。

 

春蘭は自分の頭が良くはないこと、そして秋蘭と一刀は頭が切れることは理解している。

 

そのため、2人で難しい話でもしているのだろう、と今までは特に気にしていなかった。

 

のであるが。何故かその時だけは、そんな2人を目にした春蘭はそのことが無性に気になり、自分でも気がつかないうちにとある衝動に突き動かされていた。

 

その衝動が一体なんだったのか春蘭自身は分かっていない。

 

ただ、その結果として2人は内緒話を止めることとなり、その時点で衝動は収まったため、そのことは意識から零れてしまっていた。

 

ところが、陳留に戻ってから何故かその衝動が徐々に復活してきてしまい、先程の状態となっていたのである。

 

 

 

「あ゛~~っ!わからんっ!!」

 

「何を吠えているんだ、姉者?」

 

春蘭の思考回路が過負荷に悲鳴を上げたところに秋蘭が疑問の声と共に現れた。

 

「おお、秋蘭!実はだな…」

 

春蘭はこれ幸いと秋蘭に自身の悩みを打ち明けていく。

 

「~というわけなんだ。私はどうなってしまったんだ…わかるか、秋蘭?」

 

春蘭の話を聞いた秋蘭は暖かい眼差しで春蘭を見つめていた。

 

(そうか。姉者もようやく、か。だが、自分ではその気持ちに気づいていないのだろうな。ふふ、姉者はかわいいなぁ。ただ…)

 

秋蘭は春蘭の話を聞いて全てを理解していた。

 

しかし、その内容をそのまま春蘭に教えるようなことはしなかった。

 

「ああ、姉者のそのモヤモヤの正体も、姉者が今どうなってしまっているのかもよくわかるよ」

 

「本当か?!ならば…」

 

「だが、私の口からそれを言うべきでは無いだろう。これは姉者自身が気付かねば納得も出来んだろうさ」

 

秋蘭の返答を聞いた春蘭は喜び勇んでその内容を聞こうとするが、秋蘭はその言葉に被せるようにして話を続けていく。

 

「ただ、姉者のことだ。このままでは真相に辿り着けないやも知れないからな。少しだけ助言しておこう。姉者は『誰の事を考えると』そのような気持ちになる?それを考えて見れば、自ずと答えは出るはずさ」

 

秋蘭はそれだけを言い残してその場を去っていく。

 

後に残された春蘭は秋蘭の言葉に更に首をひねって考え込むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は移り、深夜。

 

中天に満月が煌々と輝くそんな時間。

 

この時代の者は皆、通常は寝ているようなそんな中、中庭には零の姿があった。

 

「はぁ…また、だったわね。どうして私はこうも軍師の仕事だけ上手くいかないのかしら…」

 

零もまた悩みを持ってこの場にいた。

 

彼女自身も言っていることだが、今回の大梁戦然り、零が軍師として出陣した戦では元々の作戦を放棄せねばならない程の問題が生じてしまうのだ。

 

「昔からずっと、これだけは治らない、いえ、むしろ酷くなってないかしら…?」

 

実はこの零の性質、と言っていいものかはわからないが、とにかく『それ』は零が子供の頃からその片鱗を見せていた。

 

 

 

名門・司馬氏の次女として生まれた零は、家の方針もあって有名私塾に通っていた。

 

零の学力は他の塾生よりも抜きん出ていた。しかし、その成績は常々中の上程度。

 

何故このようなことになったのかと言うと。

 

ある時は試験時間の通達ミスがあったり、ある時は試験当日に酷い腹痛を催したり、ある時は解答欄がズレていたり、ある時は試験終了直前に解答用紙に墨をぶちまけてしまったり…

 

とまあ、何だかんだでまともに試験を受けることが終ぞ出来なかったからである。

 

このような事が毎回続くものであるから、子供の頃から”残念な天才”だとか”無冠の女帝”だとか言われ続けて来たのである。

 

なお、零の野心の強さはこの頃の経験がその大本となっているのだが、それについてはまたの機会に記すことにする。

 

 

 

「私は世で活躍することを許されないのかしら…」

 

自分で言って自分で落ちこむ。

 

落ちこむことで更にネガティブになる。

 

まさに負のループに陥ってしまっていた。

 

これではいけない、と零は両手で頬を叩く。

 

取り敢えず今日はもう寝よう、と零は立ち上がったところで、どこからか金属音が聞こえてきた。

 

「何の音かしら?」

 

暫く耳を澄ましていると再び金属音が聞こえてくる。しかし、その音は余りに小さく、先程もよく聞こえたものだと自身のことでありながら感心してしまう程であった。

 

「外、ね。でも、こんな時間に?」

 

第一に脳裏を過ぎったのはどこかの間諜。

 

しかし、もし間諜だとすれば、金属音が鳴り響く理由が分からない。

 

「…私が直々に確かめてやろうじゃない」

 

暫し逡巡した後、零は音のした方へと進み始めた。

 

もし零が普通の軍師であれば武官を起こしに行くか翌日に報告するかしたはずである。

 

しかし、奇しくも零は軍師でありながら武にもそれなりの自身があった。

 

それが故のこの判断であったのだが、この時のこの判断が零にとっての大きな人生の分岐点であったことをこの時の彼女はまだ知らない。

 

 

 

時々聞こえてくる音を辿っていくと着いた場所は第3調練場であった。

 

「武官の誰かがこっそり鍛錬でもしてるのかしら?」

 

隠れて鍛錬するような人物が曹軍の中にいただろうか。居たとすれば一体誰なのだろうか。その正体を暴いてやろうか。

 

そんな軽い気持ちで零は調練場の中を覗く。

 

次の瞬間、零は硬直してしまった。

 

調練場ではなんと夏侯恩と菖蒲が対峙していた。

 

そして零が覗いた直後に菖蒲が地を蹴って夏侯恩との距離を詰める。

 

振るわれる大斧の軌道はまさに彼女が必死の鍛錬の末に編み出したあの技であった。

 

ところが、相対する夏侯恩の武器もまた同じような軌道を描く。

 

両者の間に違いがあるとすれば菖蒲の軌道は完全に水平なのに対して、夏侯恩の軌道は右上から左下へと向かう斜めの軌道であったことくらいであろう。

 

2人の武器が激しくぶつかり合う。

 

力が拮抗しているのか、どちらの得物も弾き飛ばされず、されど技の性質故に共にその刃を滑らせていく。

 

共に相手を弾ききれないまま技の第二段階、回転動作に移る。

 

そして2人は再び初撃と同じ軌道で武器をぶつけ合う。

 

しかし、今度は結果が異なった。

 

2人の獲物がぶつかったと思った数瞬後、菖蒲の手から大斧が弾き飛ばされてしまったのである。

 

決着の態勢のまま、2人は暫く動かない。

 

「と、まあ、こういった改良はどうかな?重力も利用するから威力も上がるし、武器を振るう力も節約出来る。問題は回転動作の際に今まで以上に力を使うことだけど…」

 

「いえ、それを補って余りある威力の増加が見込めます。今までより幾分か動きが自然になりますから切り替えの判断にも余裕が出来そうですし」

 

夏侯恩が沈黙を破ったのを皮切りに2人は会話を始める。

 

その様子にも零は驚かされる。

 

彼女の知っている菖蒲はかつてのこともあって男が苦手であったはずである。

 

その菖蒲がこんな深夜に男と2人で鍛錬をしているだけでなく、親しげに会話すらしているのである。

 

しかも、菖蒲は自然と会話をしており、そこに無理をしている様子は感じられない。

 

それは零にしてみれば信じられないものであった。

 

(あの菖蒲が?本当に何者だって言うの、あの男は?!)

 

決して菖蒲が苦手を克服しきったわけでは無い。それは普段の城での様子を見ていればわかる。

 

つまり、この状況はすべてここにいる男、夏候恩が作り上げたということである。

 

以前から何かがあるとは考えていたが、ここに来て更にその隠していると思しき事柄に興味が湧いてくる零であった。

 

そんな零の内心などいざ知らず、2人は会話を続けている。

 

「やはり一刀さんはさすがですね。私の技をこうも簡単に進化させてしまうなんて」

 

「いやいや、これだけの技を生み出せる菖蒲さんの方がすごいよ。菖蒲さんの能力を遺憾無く発揮出来るいい技だし、ね」

 

「一刀さんにそういって頂けると光栄です」

 

先程の立ち合いにしてもそうだが、どうも夏侯恩の方が菖蒲に指導を行っている様子である。

 

昼の軍議でも言っていたが、夏侯恩自身の武はそこまで高くは無い。それは今までの観察から零自身も判断していることである。

 

確かに夏侯恩は季衣に武を指南している。その指南は的確な物で、季衣の実力がグングンと伸びていることも事実ではある。

 

しかし、それでも実力が上であるはずの菖蒲に夏侯恩が指南出来ることがあるとは零には思えないのであった。

 

そこで2人の会話から何か手掛かりを得られないものかと聞き耳を立てる。

 

「それにしても、菖蒲さんも熱心だね。あれ以来、3日と空けずに鍛錬に来るなんて」

 

「あの、もしかしてお邪魔でしたか…?」

 

「あ、いやいや!そういうわけでは無くて、純粋に感心していたんだ。普通、こんな時間まで鍛錬なんてしてたら、多かれ少なかれ次の日の仕事に影響が出そうだしね」

 

「私も武官の端くれです。目標に近づく努力は惜しみませんよ」

 

笑みを浮かべつつ菖蒲は言う。

 

零にはその目標とやらが一体誰なのかは分からない。

 

しかし、菖蒲の表情からその目標とする人物は相当な者であることは察することができた。

 

菖蒲よりも腕の立つ武芸者。零に考えつくのは春蘭くらいであったが、2人の武にそこまで差があるようには感じられない。

 

そのような考察をしている間に2人の会話は終わりを迎えようとしていた。

 

「さて。もう月があんなに高いし、今日はそろそろ終わりにしようか」

 

「そうですね。今日もありがとうございました、一刀さん」

 

「こっちこそ。やっぱり技の鍛錬は相手がいた方が色々と捗るからね」

 

どうやらこの日の鍛錬はもうすぐ終わるようだ。

 

そうなると必然2人は出口、つまり零のいる方へとやってくることになる。

 

さすがにここで鉢合わせるのはまずい、と判断した零は2人に気付かれないようにその場を離れた。

 

幸か不幸か、零は調練場での光景に、先程まで抱えていた自身の悩みを綺麗さっぱりに忘れ去っていたのであった。

 


 
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