2026年12月24日、去年より寂しくなったイルミーネーション街を咲世は衛と歩いていた。
街頭テレビではニュースが流れていた。
ニュースは、いつも一緒だった。陥没が増えそれに比例して患者と死者が増えていっているというニュースだった。あの病気が世界中で発生してから戦争が減った。それは、平和になったという訳ではなく。その奇病が、あらゆる国家に対して平等に国家を成り立たせなくなるほどの打撃を与えていたからだ。戦争がなくても国家は減る、欧州では経営状態が悪くなった国家がいくつもEUの監督下という事実上の国家を保てなくなっている。アフリカにおいてはもっとひどい現状だった。衛は、いつだって悔しそうにニュースを聞いてた。咲世は、せっかくのクリスマスだから楽しもうと言った。それでもなかなか、仏頂面が治らない衛だったがレストランに入ると咲世のメガネは真っ白になり衛はそれを笑った。咲世は、いつ自分も死ぬかわからなかったが今の状況に対してそれほど悲観的にはなっていなかった。そして、幾つかの季節が流れていった。
ツクツクボウシが、鳴いていた。秋がもうすぐやってくる。そんな時期だった。民法放送が、以前の半分になり地方自治が機能不全となり、人口の99%が東京に集まっていた。とはいっても、その人口は2000年代初頭の10分の1程度にも満たなかった。奇病は、乳幼児に対し絶大な感染力を示し新生児の99%は1歳まで永らえることがかなわなくなっていた。仮設病院が増えていた、病気の治療方法もなくただただベッドに横たわり死を待ち続ける2029年の夏は人類最後の夏かもしれない、そうささやかれていた。医者も研究者も殆どが死に、今では看護士に対して医師免許が出される事態になっていた。数少ない動けるものは、過労で死ぬと言われていた。
衛もまたそのような患者たちと同じようにベッドに並んでいた。咲世にはただ手を握ってやることしか出来なかった。もう少し、もう少しだったのにね・・・咲世は衛に呟いた。衛は、奇病の原因の一端のヒントを得ていた、しかしそれは遅すぎた。メンテナンスが出来ない機械はガラクタだったし、外注できる専門家もいない。あと、5年あの奇病が発生したあの時に気付いていたなら、そうしたら・・・衛はそう呟き続けながら息を引き取った。咲世は、泣いた。それは、自分に腹が立ったからだ。衛と一緒にいる幸せに浸り、自分は何の努力もしていなかったのではないか?衛は最後まで人類の希望を見続けてきたのに。咲世は、眠るまで泣き続けた。とても寝苦しかった。9月も近く少し涼しくなってきたはずなのに、無人化っされた天気予報はこれだからあてにならない。暑さに飛び起きテレビを付けた。
2024年8月10日だった。
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事案2