五日目:暖かくもなく、冷たくもなく
ピンポーン
ピンポーン
朝一刀が作ってくれたとーすとにままれーどを塗って食べていたら玄関から例の音が聞こえてきた。
ピンポーン
「……」
でも何故か一刀は誰が来たのか確認しに行きもせずとーすとを齧っていた。
「誰か来てるんじゃないの?」
「…誰か来てるだろうな。だがそれが迎えるべき客かは別だ」
ピンポーン
またまた音が鳴っても彼は玄関に迎えに行くつもりはまったくないらしく新聞を片手に砂糖たっぷりのコーヒーを飲んでいた。
しばらくして音がもうしなくなったけど彼の不機嫌そうな顔は緩むことがなかった。
「うん?ちょっと待って。それあなたじゃない」
私は彼が読んでいた新聞の裏面、つまり第一面を差しながら言った。
そこには先日彼が会社の前で記者をひっくり返す写真が乗っていた。
「こんな写真を一面にするとはいい度胸だ。向こうの記者から訴えられるぞ」
「あなたはなんともないの?」
「……法律に縛られずやれる」
何をよ。
その時だった。
ガチャと閉まった扉に鍵を通す音がした。
それを聞いた瞬間一刀は飲んでいたコーヒーと新聞を食卓に叩きつけて玄関に走り出した。
私は何事かと驚いて彼の後を追った。
「Mr.北ごうわぁっ!」
「ここがどこだと思って入ってきやがる!」
彼は多分門前の植木鉢に入った鍵を使って入っただろうと思われる白衣を着た中年の男が入って来た途端とび蹴りをかました。
人に先攻を打つ彼は多分初めて見たと思う。
玄関の前で仁王立ちしている一刀の後ろから外を覗くと、彼に蹴られて地面に転んでいる白衣を着た中年の男が一人居た。
「こ、腰が…」
「…アンビュランスは呼んでやろう。さっさと帰れ」
彼はそう言ってドンと玄関を閉めた。
「…今のは誰なの?知り合い?」
「俺の人生で何の関係のない人間よりもどうでも良い奴だ」
彼はそう言い捨てて椅子に戻って新聞を取った。
「あの白衣、あなたの会社で見た部下たちが着ていたのと同じね。彼もあなたの下で働く部下なの?」
「違う」
彼はそれ以上説明しようとしなかった。
どうも口にしたくもないぐらいに厄介に思う相手のようね。
「苦手な相手なら仕方ないけど、だからと言ってあのまま放っておくわけにも行かないでしょ?」
「…待っていれば処理班が来る。その間また騒いだりしたらその時はその時だ」
そんな時、外からこんな声が聞こえた。
「ドクター!?こんな所で何をしているんですか」
「おお、チョイか。少し手を貸してはくれないかね」
「どうしてこんな所に…取り敢えず立ってください」
どうも外にチョイが来ているようね。
あの男を見かけて手を貸しているみたいだった。
ピンポーン
間もなくして再び玄関から例の音が鳴った。今度は多分チョイでしょうね。
「開けて良いかしら」
「チョイは入れろ。だがアイツは一歩をこの家に入れさせない」
手厳しいわね。
そう思いながら私は玄関を開けるとそこにはさっきの中年の男を小さい体で頑張って担っているチョイの姿が居た。
「あ、ソウソウさん。おはようございます」
「ええ、おはよう、チョイ」
「あ、えっと…こちらの方はドクターブラウンです。社長の…」
「チョイ!さっさとそいつを置いて入れ!」
チョイが私にその男を紹介しようとしてる所を、チョイ君の声を遮って奥の一刀が叫びだした。
「は、はい!」
チョイは慌てながらそう言った。
「私は大丈夫だ、チョイ君。入り給えよ」
「すみません…もう少ししたら救急車が来るはずですから、それまでに一緒に外で待ちます」
「…判ったわ」
それから私はその中年の男をじっくり見ることが出来た。
髪は老いて灰色になっていて、目には何日も寝ていないのかクマが大きく残っていた。
着ている白衣は綺麗だったものの、その奥に着ている『スーツ』はちゃんと手入れしていなかったのか所々汚れていた。
「貴女が例の彼女かね」
「へ?」
「ああ、いや、すまない。実は朝のニュースを見て、どうしても彼と貴女のことが気になってしまってね」
男はそう言いながら私をじっくりを観察していた。
「彼を宜しく頼むよ」
「?」
「人に対して礼儀はあまりないが、自分が認めた人のためにはなんだってする。貴女が彼と一緒に居られるってことはつまり彼がそれだけ貴女のことを想っているという意味だろう」
「…あなたは一体誰なの?どうしてそんなことが言えるの?」
その時エーンエーンとうるさい音を立てながら走ってくる白い車の姿があった。
「…あぁ、迎えが来たようだね。チョイ君、ありがとう」
「乗るまで手伝います」
「済まないね…」
男は結局自分が誰か話さずその車に乗って去っていった。
「…社長、ドクターを見てどうしていました?」
「…見た途端蹴り飛ばしたわよ」
「やっぱり…だからボクは駄目って言ったのに…」
「あなたはあの男を良く知っているようね」
「……あの人はDr.(ドクター)ユースタス・ブラウン。社長の父親です。
「…へ?」
彼の…親?
「何故アイツがこの場所を知っている」
チョイと一緒に家に入った途端、一刀は不機嫌そうな顔でチョイを睨みつきながら言った。
「えっと…すみません」
「……」
「し、しかし、ドクターブラウンがどうしても社長に会いたいと仰ってて…言ってはいませんでしたけど、レベッカさまの葬儀の時にもドクターが一番早く来てくれたし、色々と手伝ってもらえました。だから…」
「だから何だ」
「っ…」
「……今更親の真似事しようだって関わるつもりはない。次に来たら警察沙汰になるだろうと伝えておけ」
自分の父に対してひどく厳しい態度を取った彼はチョイをもひどく責めた。
「さっきのがあなたの父親なの?全然似てないのね」
「……継父だからな」
「継父…?」
「ドクターブラウンは社長の母親が……その…社長を捨てた後元の夫と離婚した後再婚した相手です」
「何それ」
随分と大変そうな家系になったわね。
「ドクターブラウンは社長がまだ孤児院に入る前にマサチューセッツ大学で社長の指導教授でした。でも社長が退学された後、色々あった後再び社長の母親に出会ったそうです」
「アイツの話がそれぐらいで十分だ。これ以上アイツのことを話題に出すな」
一刀がチョイを制止して私を見た。
「アイツとは以後会うことはないだろうからお前も気にするな」
「結構嫌ってるみたいね」
まあ、自分を捨てた両親にいい感情がないのは当たり前かもしれないけど、あの男の場合その事件以後に出来た継父。直接に嫌う理由なんてあるのかしら。
ピリリリ
その時変な音がした。
「あ、すみません」
その音がするとチョイは懐から『すまーとふぉん』を取り出して耳に近づけた。
「はい、チョイです。……はい……はい」
チョイはそう言って一刀の方を見た。
「社長、ドクターですが…受けますか?」
「……貸せ」
彼はチョイからすまーとふぉんを受け取った。
「何だ?……何?……お前とは関係のないことだ……それが何だと言うんだ」
会話はしばらく続いて、
「……判った。そっちに送るから変な事言ったりするな」
「?」
会話が終わって、彼がすまーとふぉんをチョイに返した。
「チョイ、華琳を連れて、奴の所に行って来い」
「はい?」
「へ?」
「華琳と話がしたいそうだ。俺は嫌だからチョイお前が連れて行け」
「ちょっと待ちなさいよ。私だけ会って何をどうしろというの」
しかも何いきなりそんな話私の意見も聞かずに決めてるのよ。
その上で自分は付いてこないって言うし。
「お前に何かしろって話じゃない。アイツがお前と話がしたいそうだから適当に合わせてやればいい。何か変な企みがありそうだったら刎ねても構わないから」
「社長、流石にそれはどうかと…」
「あなたはどうするつもりなのよ」
「アイツが家に凸って来ただけでも今日の気分は最悪だ。寝直す」
「あ、ちょっと…」
彼は自分の言いたいことだけ言って二階に上がってしまった。
「何なのよ、一体…」
「社長のドクターに対しての態度はいまいち掴めないところがあります。嫌ってるように見えて、それなりの尊重はしていて…社長にしては大変中途半端な態度ですよね」
「少なくも無視は出来ないってわけね」
「ご覧の通り、ドクターもかなりはかなりの行動派でして…」
「そのどくたぁというのは何なの?前に一刀が醫者のことをそう呼んでたけど」
「学位と言って、ある分野に置いて深い見識がある人を指します」
「分野と言えば?」
「えっと、ドクターの場合は……」
説明はされたけど、何の話がまったく判らなかったので、どんな分野だったのかも忘れてしまうほどどうでも良い話だった。
一刀を家に残して、チョイと一緒に(今度は車で)来た場所は『大学』と呼ばれる場所だった。
昔一刀が言ってた、この世界の知識のある若者たちが学ぶ場所ね。
チョイに案内されてある部屋に入ると、朝出会った男が自分の机で私を待っていた。
「ああ、待っていたよ。そこに座ってくれ」
男は立ち上がって私とチョイを接客用のソファーに座らせた。
「お茶などは要るかね」
「こーひでお願いするわ」
「ボクは結構です」
自分の分と私のこーひを淹れてきた男は自分もソファーに座った。
「私については既にチョイ君から聞いてくれただろうと思うけど改めて紹介しよう。ユースタス・ブラウン、周りからはドクターブラウンと呼ばれている。Mr.北郷の継父にあたるな」
「曹孟徳よ。何故私に会いたいなんて言ったのかしら」
それは一刀が誰よりも大切にしていた女が死んで間もなく現れた彼女と言ったら継父として気にもなるだろうけど、一刀の態度からしてここまで関わることが出来るほどの仲でもないように見えたけど。
そもそも来ることを断ることも出来た。
それでも敢えて来た理由があるとすれば…。
「あなたが彼の継父ってことは、つまり彼の実の母親との再婚相手だというわけよ。何故彼女と再婚なんてしたの?」
「あぁ…その前に先ずどうやって私が彼との面識を立ててきたか、それから話そう」
彼の話はつまりこうだった。
彼は小さい頃天才と呼ばれた一刀の指導教授だった。
実際に一刀は優秀な人材で、学部水準だけで留まらず、自分の研究を手伝えるほどになれたとか。
だけど彼が安息年という一年ほどの休暇を送っていて大学に居ない間、一刀が熱病に倒れ、自分の才能を失い親に捨てられるまでの出来事があったそうだ。
休みから戻ってきた彼は自分が居ない間起こったこの惨事を嘆きながら一刀の行方を探した結果、一刀の母親に出会ったそうだ。
「当時Mr.北郷の実母は既に原因の知らぬ病を持っていた。息子と夫を同時に失った衝撃が体に響いたのが調子は急激に悪化していた」
「そんな彼女と再婚した、というわけ?」
「…馬鹿な話だとは思うが、当時の私はこの家庭が壊れてしまったのが自分のせいだと思えてどうしようもなかった。だから必死に彼らの行方を探したのに、その結果はあのような有様だった。私は贖罪するつもりで彼の母親を診ながら、彼の居た施設に寄付を入れたりもした」
彼の話には納得の行かない所が幾つもあった。
「そもそも一刀を捨てたのは母親の方で、一刀は捨てられた側のはずよ。何故彼の母親が心を病むなんてことがあって、しかもそれに同情しなければならないのかしら」
「…彼女のことを非情と思う気持ちも判らなくはないが、聞いて欲しい。熱病のせいで生死の堺をさまよってようやく生きた彼だったが、その後脳の以上で自閉症状が起こった。誰の声にも反応せず喋らなくなって、大学もそんな彼をそれ以上面倒を見ず退学させた。この件で言い争った結果夫とも離婚した彼女としては心を完全に閉じてしまったMr.北郷を見ていることすら辛かったのだよ」
彼から聞いた話。
そもそも大学に行かされたのも母親で、捨てたのも母親だった。利己的な母親だと思うかもしれないけど、自分の子を良い環境で育てたいと思う母の気持ちもあったのではないだろうか。
その過程が行き過ぎて、結果的には息子を壊してしまったわけだけれど。
「なにはともあれ、彼は親に捨てられた。彼が親を憎むとしてもそれは仕方のないことよ」
「…私もそこに異論を唱えるつもりはないよ。母の臨終が近づいた時にも、Mr.北郷は一切彼女の前に姿を表せなかった。それが自分の母親が望んだことの結果と言っていたな。彼なりの復讐だったのだろう」
「なら、何故あなたは今でも彼の周りでうろちょろしているのかしら」
「…既に彼のご両親は他界した。しかし、彼の人への不信感は未だ消えていない。私はなんとか彼のそういう歪んだ感情を戻そうと思って常に彼の近くでいた。だが、私が知っている限り彼が心を開いた対象はここに居るチョイ君と、そして、彼が居た施設で会った人たち、その中でも、一緒に住んでいたレベッカ君だけだったよ」
長い話をしていた彼は一度お茶で喉を潤わせ話を続けた。
「レベッカ君に付いて知ったのはまだ彼の母親を介抱していた頃の話だったよ。再婚の事だって市役所に書類を入れただけで誰にもその事実を口にしたこともないのに、どういうわけか彼は母親ではなくこの部屋に私に会いに来た。そして「結婚したい相手が居るから籍を入れさせてくれ」と言ってきたのだよ。当時まだ自分の意思だけで結婚出来る年ではなかったのでね」
「彼女については知っていたの?」
「寄付金を入れていたぐらいで、中を覗いたことはなかったからね。それも後で聞いた話では院長であった人間が全て裏で自分の懐に詰めたそうだし。それを知った後、当時未成年(法律的な決定に保護者の同意が必要な年という意味らしい)Mr.北郷と共に孤児院を買収して彼の名義にさせたよ」
割とこの男も色んな所に関わっていたわけね。
手伝ってもらったものがあるから、一刀もただ冷たくは出来ないわけだわ。
「レベッカ君はとても不思議な雰囲気を出す少女だったよ。あまり顔を合わせたことが多くないが、Mr.北郷は彼女のことをとても大切にしていた。私が彼の幼い頃を知っている限り、それはまるで自分の母親に注いでいた愛を代わりに彼女に注いでいたというか…」
「孤児院から出てきた以来一刀は自分の母親のことは一切会っていなかったと言ったわね」
「そうだね。私が知っている限りは…臨終の時に彼が言った言葉を思い出すと今でも背中がゾッとするよ」
「なんと言っていたの?」
「「彼女が望んだことだ。俺は興味ない」、と」
なんとも彼らしい、そして冷たい言葉だった。
母の臨終を前にしてそんな言葉を口にするなんて、自分を捨てた母に対しての復讐と思うのも仕方がない。
でもその一刀が私が知っている彼と同じ人なら、その言葉は本当に言葉通りの意味しかないだろう。そう思うともっと背筋がゾッとする。
「自分の母親が死んだ時の彼はそんな反応をしていた。だけどそれに比べて彼の妻が事故に会ったと知った時は、彼は一息に彼女の居る病院まで向かったよ。そして病院で彼女と別れを告げた後、彼はすぐさま姿を消した」
そして私の世界で色んな事をした。
彼は彼女の失った悲しみから抜け出すには3年の時をかけた。
「そして一ヶ月ぐらいして貴女と一緒に世間にまた姿を現した。私の目に間違いがなければ、レベッカ君を失った彼を癒やしたのはきっと貴女だろう」
「……色んなことがあったわ。私が彼が出会った唯一の女ではないわ」
彼はほとんど一人でその悲しみを乗り越えようとした。
だけど結局、彼を失った私が自分の軍ちゃんと導けなかったように、彼も私無しでは自分の感情を抑えることが出来なかった。
謂わば共生関係。
互いを支えて生きていくべき仲。
夫婦。
「もうすぐすれば一刀は私と一緒に私が来た所に戻るわ」
「ああ、その事は知っているよ。私もその会社の顧問で居るからね。理事会にも参席した」
「彼を止めるつもりはないの?」
「…彼は親に捨てられた後何もかもを自分の決断の元でやってきたからね。それを止める資格を持つものは誰もいない。ただレベッカ君が死んだ後彼がどうなっているか心配だったが、寧ろレベッカ君と一緒に居た時よりも良くなっていると思ったね」
「……」
「ただ、私が望むことは、彼がここを去る前に、一度だけで良いから母の墓参りに行って欲しいと想っているのだよ」
墓参り…。
「彼は死んだ彼女の墓に行ってないわ」
「何?」
「本当です。社長は帰ってきて一度も奥さまのことは…口にもしようとしませんでした」
「……そうか…」
彼は過去を振り返るのが嫌いと言った。
ご臨終の時にも行かなかったのに、死んだ後の墓なんて行くつもりもないでしょうね。
…母の体が墓にちゃんと入ってるだけでもあなたは運がいいわよ。判ってる?
「あなたが私を呼んだ目的が、墓参りをするように説得して欲しいということなら、話はしてみるわ。だけど私も強く勧めるつもりはないわよ。彼に酷なことだと思うから」
「…彼の母は死ぬ前に彼が見たいと言っていた。それまで一度もそんなことは言っていなかったのにね」
「死に際だからね。そんな事も言うでしょうよ。だけど、死で全てを償えるわけではないのよ」
死ぬからと言って全て許されても良いわけではない。
ピリリリ
「あ、すみません」
その時チョイのすまーとふぉんが鳴った。
「はい、院長先生、どうしたんですか?……え?!」
チョイが高い声で驚くと私も男もチョイに注目した。
「あ、はい…判りました。直ぐにそちらに…」
「どうしたの?孤児院に何かあったの?」
「それが…社長が一人で孤児院に来て奥さまの墓参りに来てたそうです」
「「!!」」
今までここで行った話をぶち壊す彼の行動の速さに驚きながら私は口をぽかんと開けた。
「それで帰る時に家に戻られるのかと聞いたら、母の墓参りにも行ってくるって言ったそうで…」
「そ、それは本当かね!」
男は驚きにソファから立ち上がってチョイに尋ねた。
「院長先生が社長からそう聞いたそうですから、多分間違いありません」
「…こうしては居られない」
「私たちも一緒に行きましょう」
まさか彼が墓参りになんて行く気になるなんて…
一体どういう風の吹き回しだったのかしら。
一刀SIDE
母の墓は共同墓地にあった。
俺の知っている限り、日本から来た母は社交的でなかった。
こんな多くの『人』の前に居ることは生前になかっただろう。
『北郷桃季、ここに眠る』
俺がドクターを遠ざけないことには法律的理由もあるが、感謝の気持ちも含む。
おかげで俺は孤児院を出た後一度も母親の姿を見ないことが出来た。
母に捨てられた時、俺は一人だった。
でもその後レベッカが居て、彼女が俺にとって大切な存在になった頃、母親のことは俺の中で全く興味のない存在となっていた。
もし俺が再び母に出会ったらどんなことが起きただろう。
興味がなかったから考えたこともない。
自分を許してくれと言っただろうか。
それとも図々しくもまた才を取り戻した俺に食いつこうとしただろうか。
激しくどうでも良かった。
周りに居た人たちがあれだけ連れてきて欲しかったこの墓場の前に立っても全く何の興味も湧かないことに俺自身も驚く。
でも俺が自分に関してもっと驚いたことは、
レベッカの墓の前に立った時もこの気持ちは同じだったということだ。
全く何の感情もなかった。
別れる時にはあれだけ感情が爆発しそうでどうしようもなかったのに、今ではその墓の前に立っても涙の一つも出ないなどと…
自分が思っても俺はどうかしていた。
「Mr.北郷!」
「…ドクター」
後ろを振り向くとドクターが走ってきたのか息を荒くしていた。
思ったより遅かった。
「一刀」
「社長…」
「……」
後ろにチョイと華琳も来ているのが見えた。
もし華琳が今俺のこんな思いを知ったらどんな反応をするだろう。
呆れるだろうか。
怒るだろうか。
昨夜彼女が俺に言っていたその言葉があったから俺は墓の前に立ってみた。
だけどやはり俺にとって、どれだけ嬉しかった過去の思いも、過去になってしまってはもはや意味がなかった。今日それを確かに知った。
俺はそんな人間になってしまっていた。
「Mr.北郷…やっと君は…」
「貴方と顔を合わせることはもうこれっきりだ、ドクター」
「……な」
「…もう貴方に借りはない。二度と俺に関わるな」
ドクターは誰も側に居なかった母の側を最後まで守ってくれた。
小さい頃の俺の思いがそのまま母親に届いていれば、その場所は元々は俺が居るべき場所だっただろう。
だけど俺にとってはもう、どうでも良いことだった。
俺は固まったドクターを通り過ぎて、華琳の元に来た。
「一刀…あなた…」
「何だ?墓の前で泣きじゃくれている様子でも想像してきたのか?」
「………」
レベッカの墓の前に立った時もう俺ははっきりと判った。
もう彼女に関して隠すことなんて何もないことを。
目の前に居るこの少女に隠すようなことなんて俺にはなかった。
俺にとっては果てしなくどうでも良いその過去とやらを…。
「帰るぞ」
「へっ?あ、ちょっと、何いきなり…!」
「チョイ、お前はドクターを乗ってきた車で送れ。俺は華琳と一緒に俺のバイクで帰る」
「あ、はい……」
俺は華琳を抱き上げて、チョイとドクターをその場に置いて先に墓地を後にした。
もう二度と来ることなんてないだろう。
・・・
・・
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彼にとって過去なんて本当に興味のないこと。
それが口だけのことではないということをもう一度はっきりとさせる日。
韓国の朝ドラマならこの展開できっと10話ぐらいは引っ張れる