No.603622

超次元ゲイムネプテューヌmk2 Reborn 第二十五話 【憤怒】

大変お待たせして申し訳ありませんでした……。
このところスランプ続きで、それを打開するために色んな小説を読みまくってました。
思い返してみれば私、実は一回もライトノベルって読んだ事ないんですよね。
誰かに借りて読んでみようかな……?
あ、ホラーの中篇はもうしばらくお待ちください。

続きを表示

2013-07-31 23:37:03 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1509   閲覧ユーザー数:1360

 

その部屋は、どうしようもないくらい、赤かった。

本来白で塗られていたその壁は、以前の面影が感じられないほどに、赤い。

それがペンキで塗られた赤でないことはこの部屋に踏み入れればすぐに理解できるだろう。

染めているのは、血だ。一人二人の量ではない。何十もの人間の血を一気に壁にぶちまけなければ、とてもではないがこうはいかないだろう。

四方八方に飛び散った血液が、真っ白な壁に飛沫を残している。おそらく何人かの血の主は頚動脈を切られたのだろう。心臓のポンプ機能に合わせて、波打つように残った血飛沫の後が、生々しく壁に残っていた。

そのどうしようもなく赤い壁の下、血の海の中に、いくつもの白い体が横たわっていた。

身に着けていた白衣は床の血を吸って赤く染まっていたが、血の気を失った肌は雪のように白かった。

そう、美しい、とさえ思えるほどに。

ついさっきまで歩いたり喋ったりしていた形をとどめない人間が、今ははっきりと形をとどめていた。

人間が人間の形を持って、そこに存在していた。

その光景は妙に幻想的だった。グロテスクだとか残酷だとかを通り越して、そこには一貫した美が存在しているようにも思えた。

死体の表情に苦痛の色は殆どない。恐らくはほぼ全員が失血性のショック死で死んだのだろう。虚ろな目で天井を眺めながら、だらしなく口を開いたまま死んでいた。死ぬ間際まで現実感が得られないような死に方をすれば、大体こんな風になるのだろうか。

その錆びた鉄に似た匂いが充満する美の空間の中に、俺は独りで立っていた。

体は、血に塗れていた。さっきまで温かかった、身にまとっている薄緑色の子供用の患者衣にまでしみこんでいたそれは、だんだんと冷たくなって俺の体の上で固まりかけている。

右手が異様に冷たい。

しっかりと握った小さな手のなかには、先ほどまで作業(・・)に使っていた医療用のメスが、血の中から白光をのぞかせている。

ボタリ、と固まりかけた血が髪の先から地面に落ちた。

この光景、この過去は、今でもはっきりと覚えている。

――俺はこの時、何も感じなかった。そう、何も……。

ただ目の前の光景を眺めていた。殺人を犯した罪悪感もなければ、憎い相手を葬った高揚感もなかった。

ただ殺した。どうすれば死ぬのか分かっていたから、そうした。無感情に、論理的に。

俺はこの時、確かに幼かった。だがこの行為がどういう意味を持っているかが分からないほどの年齢ではなかったはずだ。

なら何故、俺は何も感じない?

何故、何も言わない?

何故、その場から動こうとしない?

何故、こんな光景を何時までも見ている?

――自分で自分が分からなかった。

 

 

そのままの姿勢で、どれだけ時間が経っただろう。

不意に、自分からみて左側の扉が静かに開いた。

扉が開く音にあわせて、俺の視線もそこに向かっていた。

視線を移してすぐに、俺と同じ目線の高さから、深い黒髪が目に入った。そのすぐ後ろには、少し色の薄い青い髪が見え隠れしている。

俺と同じように薄緑色の子供用の患者衣を身にまとっている。身に着けているもので唯一違うのは、まるでどこかの市場の品物につけられているような、手首につけられているタグだけだった。だがそれも、俺とそいつらとで書いてある番号が違うだけである。

二人は呆然とこちらを見ていた。驚愕の表情の上に、死人の目があった。

黒髪の唇が震えていた。何かを言おうとしている。それは分かった。だが目の前の光景があまりに地獄絵図なだけに、それが声にならずにいる。

ほんの一呼吸おいて、ゆっくりと、だがはっきりと、黒髪が静かな声で言った。

 

「……D?」

 

 

 

 

  ◆◆◆

 

 

 

 

血色が、たまらなく虚空を染め上げていた。

その中を黒い暗雲がちらほらと進んでいる。雨が降り出しそうなほどの量ではなかった。いまやこの色の空がここルウィーはおろか、ゲイムギョウ界全土を覆っているのである。

血色の空に影響されてか、ルウィーの中心街に程近い大通りを吹き抜ける生暖かい風にも、血臭が感じられそうだった。

否、確かにその風は、血の匂いを含んでいた。それもかなり濃厚だ。それは先ほどからこの大通りを、その風を切って真っ直ぐに飛んでいるブランにも分かっていた。

 

――数分前、マジェコンヌ四天王復活の知らせを聞きつけたブランの行動は素早かった。

心配そうに見送るミナにろくに声もかけぬままに、彼女は妹達を引き連れて教会の重々しい扉を押し開けた。

既にそこは避難を始めている人々でごった返していた。皆表情は一様にして暗い。殆ど何が起こったかも理解できないままに避難の指示が出たのであるから、当然といえば当然の表情だ。

だが今の彼女にはそれを構っている時間も余裕もなかった。事は一刻を争う事態なのだ。

押し開けた扉が閉まってから、彼女は一呼吸置いてまぶたを閉じた。気持ちを落ち着かせて、精神を集中させる。彼女の妹達、ロムとラムもそれに続くようにして同じ行動を取った。

刹那、彼女達を目もくらむような眩い光が覆った。この世のどんな照明をもってしても再現する事はできない、女神のみが放つ事を許された、神秘的な輝きである。

それと同時に、三人の体の頭から指先まで、電流のように力の波が駆け巡った。限りなく清純な力のシャワーが自らの肉体を清浄してゆく陶酔感が三人の頭を酔わせる。

が、それは長くは続かない。すぐさま溢れ出る力が自らの肉体に同化する感覚が、三人の頭の酔いを醒ます。光が徐々に弱まると共に、視界と思考回路がクリアーになっていく。彼女達にとっては慣れた感覚だった。

光が晴れた先に現れた三人の姿は、以前とは大きく変わっていた。

三人を包んでいるのは鎧である。だがそれは、決して重量を感じるような堅物の物ではない。三人の体を包み込むためだけに作られた、白を基調とした薄手の鎧――プロセッサユニットである。

青みがかった銀髪を風になびかせているブランの右手には、彼女の身の丈を優に越すほどの巨大な戦斧が鋭い刃を光らせている。どう見てもその小柄な体系とは釣り合いの取れない巨大な戦斧を、ブランは微動だにさせることなく、右腕のみの腕力で支えている。その凄まじい姿を見ただけで、気の弱いものは物怖じしてしまいそうなほどの迫力を誇っていた。

その隣には、透明感のある水色とピンク色の髪が、同じ高さで風になびいていた。

ロムとラムの両手に握られているものは、ブランのそれよりは遙かに軽そうであった。

そこに握られているのは、ふたりの身の丈ほどの杖である。大きさや形状から言えば、それは漫画やアニメで出てくる魔法使いが使う魔法の杖にも見ることが出来るが、それにしては随分と作りが機械的である。

これこそがルウィーの女神たる、ホワイトハートとホワイトシスターの本当の姿である。

「よっしゃあッ、女神化完了! 行くぜ、ふたりとも!!」

ブランが男勝りな乱暴な言葉と共に地面を蹴り、空へと舞い上がった。

「お姉ちゃん、怖い……」

「まぁ、お姉ちゃんがこうなるのは、いつものことでしょ?」

それに続いて、ふたりも地面から足を離した。

三人の居る高度はそれほど高くはない。せいぜい眼下の避難する人々から数メートル離れた位置を、三人は脇目も振らずに、四天王が出現したとの情報があった区画に向けて、一直線に滑空していた。

飛び始めて間もない頃は避難して行く人々が声を上げながら三人を仰ぎ見る事が多々あったが、数分もすれば避難する人々はほぼ見えなくなっていた。

――代わりに彼女達が切って進む風が、徐々に血の匂いを含むようになっていた。

同時に、いやな予感が彼女達の脳裏をかすめた。

その予感とは言うまでもなく、この匂いの元である血の主の事である。

既に四天王が現れたとの報告が入ってから、十分近くの時が経っている。そうなってくると、現場の方向から流れてくる血の主などは大体が想像がつく。

予感と共に今の現場の有様を想像してしまうと、恐怖さえもが彼女達のなかに芽生えた。その恐怖は、現場に近づくほどに濃くなる血の匂いを糧にして、徐々に自らを大きくしているように感じられた。

やがて、彼女達が進んでいる大通りとルウィーの主要道路とが交じり合うこの国の中でも一際大きい交差点に、先頭を行くブランがさしかかったとき、それ(・・)は突然ブランの横目に飛び込んできた。

「待って!」

ブランは突然その場に静止すると、後ろにいる妹達に向けて手の平を開いてその進行を制した。

ちょうど交差点の真ん中辺りで、ブランの視線は左手の道路に向いていた。

 

 

そこは地獄だった。

それは十中、十までの人間が肯定するようなおぞましい光景であった。

まず目に入ってきたのは、赤だ。それも朱に近い、血液が持つ独特の赤色が、通路に入ってすぐの辺りを染め上げていた。その赤は今も己の色を広めんとして、煉瓦の敷き詰められた通路を伝い、徐々に交差点の方へと流れていた。

先ほどから風が運んでいた血臭の出所も、どうやらここのようである。

さらによく見ると、その血の中に肉片が転がっている。形や大きさには違いがあれど、その全てが鋭利な刃物で切断されたような断面をしていた。いくつかの肉片から這い出すように飛び出ている白い骨が、さらに生々しさを加速させる。

そして、その肉片も普通の物とは大きく違っていた。

まず、色だ。殆どが血で汚れきっているが、僅かに覗く皮膚の色が、人間ではありえないほどの色の濃い黄色であった。黄色人種の肌の色ではない。まるで、カボチャの中身のような濃い黄色である。

おまけに肉片のひとつひとつが大きく、そして奇妙な形状をしていた。通路に転がっている、足と思われる部分にしても、人間のそれとは大分違う。もはや、この肉片の持ち主が人間でない事は明らかだった。

「ひ――」

ブランに続いてその光景を見てしまったラムが、思わず声を飲み込むようにして、か細い悲鳴を上げた。顔には恐怖の色が濃い。

対して、その隣にいるロムは黙り込んでいる。いや、声が出せないというのが正しいだろう。全身が細かく震え、目の焦点が定まっていない。完全に放心状態だった。女神とは言え、まだ幼いふたりである。この光景を見てこうなってしまうのを誰が笑えるだろうか。

「―――」

ブランは絶句していた。

口の中がいつの間にか乾いていた。戦斧を握る右手が汗ばんでいる。

それはこの光景に対してではない。その光景を作ったであろう張本人のふたつの影が、通路の真ん中に堂々と居座っているからである。

そしてブランは見てしまった。手前の影が右手に抱えている、血に濡れた禍々しい大鎌を。意識を失いかけているときにぼんやりと見つめていた、あの黒い背中を。

――エスター

思い出すたびにも憎々しいその名を、ブランは心の中で呟いた。

ぎりり、と奥歯が音を立てた。恐怖と怒りとが綯い交ぜになった感情が、ブランの中で膨れ上がっていた。

「ロム、ラム――」

ブランがロムとラムの方に振り向いた。

それに合わせて、ふたりは同時に軽く頭を下げて頷いた。

プロセッサユニットの反重力機能を弱めて、三人はゆっくりと地面へ降り立った。ぱしゃり、と音を立てて地面の血が跳ね上がる。

ふたつの影は、三人の前方三十メートル辺りのところに、いまだ直立していた。

奥のほうに見える影は大きく、丸い。エスターよりも頭みっつ分ほどは高さがあり、横幅も比べ物にならないほどに、広い。

――トリック・ザ・ハード

その巨体の持ち主は、見るも無残な姿で、そこに存在していた。

手足の全てが切断されていた。出血はもう既に止まっているが、恐ろしいほどに華麗な切り口からのぞく、太く白い骨が痛々しい。

本来黄色を基調としたカラフルであったはずの巨体の肌は、今は固まりかけた血から僅かに以前の色を見せるばかりである。

死の決め手となった一撃は、頭が証明していた。

上顎から上が、ない。だらしなく開いた下顎から、だらりと下がった長い舌が、紅に染まっている。その切り口から流れ出た血が、垂れ下がった舌を目指して一斉に詰めかけた跡であった。

「うっ――」

思わずブランは顔をしかめた。

この悲惨な光景に加え、生臭いような、鉄臭いような匂いが充満するこの空間は、正直な所一秒たりとも居たいと思える空間ではない。

後ろにいるロムとラムも、先ほどから涙をためた瞳を、自分の背中とトリックに交互に向けていた。

が、今は引き返せるような状況ではない。

ゆっくりと血溜まりになった道路へと足を踏み出した時――

不意に、エスターの右腕が上がった。血に濡れた大鎌が、鎌首を持ち上げた蛇のように、エスターの右拳の中から伸びている。

「――っ!!」

咄嗟に、後ろのふたりを庇うように、ブランの左腕がふたりの前に伸びた。

だが、エスターは背後など見向きもしなかった。

直後に大鎌が、トリックの大きく出っ張った腹目掛けて、斜めに走った。

ほとんど音も立てずに、トリックの腹は斜めに裂けた。もはやそこからは一滴の血潮もこぼれはしなかった。

大鎌はトリックの腹を裂いたスピードを緩めずに、地面に刃を突き立てた。この時初めて、硬質な音が辺りに響いた。

エスターは大鎌から右手を離した。視線は相変わらず、トリックの死体に向いている。

すると、エスターは大鎌から離した右手を、いきなりトリックの腹の中に突っ込んだ。

ぞぶり――

ぞぶり――

と、いやな音を立てて右手が動く。

しばらくして、右手が腹の中から出てきた。その手の中には、大きな赤黒いゼリー状の肉塊が握られていた。

肝臓である。

ろくに確認もしないで、エスターはそれに生のままかぶりついた。

「不味い」

ぐちゃぐちゃと音を立てて肝臓を噛み締めながら、エスターがぼそりと呟いた。

エスターは後ろを振り向かない。

静寂に包まれたこの空間で、エスターが背後から近づいてくる足音に気付かないはずはない。ましてや、地面は血に濡れている。音は乾いた地面を踏みしめるときのそれよりも、はるかに大きいはずである。

あからさまな挑発であった。

「おい、てめえ――」

威圧感のこもった低い声でブランが言った。

数メートルほど離れているが、地面を蹴って飛び掛れば、瞬時に間合いに入れる距離であった。

左手はすでに肩の下へと下がっていた。戦斧を握る右手に、一層力がこもる。

返事はない。代わりにエスターは、右手に残っている肝臓を一気に口へ放り込むと、ろくに噛まずに喉へ流し込んだ。

空いた右手はすぐに地面に突き刺さっている大鎌へと伸びた。

無造作に大鎌を引き抜くと、エスターは三人のほうへと振り向いた。

血に濡れた体だった。先ほど肝を喰らった口まわりはおろか、返り血で全身の至るところが、赤い。

所々が紅に染まった黒いスーツを身にまとい、大鎌を持ってたたずむその姿は、あの世から生者の魂を狩りに来る死神をも震え上がらせるほどの恐ろしさを誇っていた。

「てめえか、白い女神――」

言って、エスターはぎらりと肉体の中に獣の牙を見せた。

背筋に冷たいものが走るのを三人は感じた。

三人が感じたもの―――それは獣の()であった。

ふつふつとエスターの肉体の内側から生じるそれは、真正面から三人へと向けられていた。遠慮のない気である。三人を包み込むように膨れ上がる殺気は、本物の獣の臭いさえ感じられるほどであった。

それは、エスターの顔にも表れていた。

獣の凶相をしていた。獲物を追い詰める時のそれではない。縄張りを荒らしに来た、憎い、憎い相手のみに向ける、押さえ切れない憎悪を含んだ肉食獣の目が、エスターの顔に表れていた。

「後ろにいるのは――ああ、女神候補生。つまりは、てめえの妹か」

脅すような口調でエスターが言った。

「ふぇ……」

微かに声を上げて、ロムの全身が震えた。

その透き通った瞳には涙が溜まっている。

「なっ、なによアンタ! さっきから私やロムちゃんに、お姉ちゃんのことまで睨みつけて!」

怯えるロムを庇うように、ラムがロムの前に出てエスターを下から睨んだ。

並べているのは強気な言葉だ。だが、その声は微かに震えていた。

犬が吼えるのは、相手が恐ろしいからだという話がある。

相手が恐ろしいからこそ、その恐怖を隠そうとして。あるいは、自分を奮い立たせるため、相手に自分を大きく見せるために吼えるのだと。今のラムは、まさにそれに当てはまっていた。

「妹――妹ねぇ……」

ラムの発言に答えることなく、エスターはその単語を低く転がした。

一瞬、エスターは三人から視線をそらした。

そのとき、ブランは見た。

目だ。

何処を見つめるわけでもないような、しかし、真剣に空気の中にある何かを見つめているようにも見える、不思議な目だ。思わず、”何を見ているの?”と聞いてしまいそうな、捉えようのない目が、ブランの目に入り込んできた。

それに釣られるように、そのときだけ、エスターから殺気が消えた。

あの獣の凶相すら、何処かへ行ってしまっていた。

思わずブランは息を呑んだ。

そこに居たのは、あの(・・)エスターではなかった。

右手に持つ大鎌さえ気にならないほどに、今のエスターはただの歳相応の青年であった。

彼の持つ非人間性が、跡形もなく消えていた。

ブランはこのとき、初めてエスターを、人としてそこに見た。しかし――

「てめえら一体どんな用でここにいるんでィ。邪魔だからとっとと失せやがれ」

視線を戻した瞬間、エスターは再び双眸から獣の牙をのぞかせた。

気がついたときには、もうエスターの周りには()が張り詰めていた。先ほどよりも濃い獣の気である。

青年が、血と肉に飢えた野獣に豹変していた。

「――こいつみてぇに怪我したくねぇならな」

エスターは自分から見て右側に視線を送った。

そこにあるのは、小さめのマンションだった。他の国では中々見かけない、ルウィー独特の色使いと造りが見られる洒落たマンションだ。

それは、他の国にはない文化を誇るルウィーの側面を、そのまま形にしたような光景だった。

この通路の一帯は居住区画であるから、他にも様々なマンションが立ち並んでいる。個々の建物のセンスや色はバラバラだが、その建物空間は決して乱れているわけではない。むしろ、ある種の赴きさえ感じられる。その光景は、さながら中世の欧州のそれに似ている。

だが正確に言えば、エスターが見ているのは建物ではない。彼が見ているのは、建物と建物の間にある、細い裏道だった。

人ひとりがやっと通れるぐらいの細さである。

奥のほうは建物の影で完全に闇に隠れてしまっている。

その細道に少し入った所に、人影があった。

目の前の光景に圧倒されて、三人は完全に見落としていた人影であった。

「誰よ、あれ」

ラムが人影に駆け寄った。

「あ――ラムちゃん、待って……」

右手の袖で涙を拭って、ロムがラムを追いかけるように人影に駆け寄った。

人影はうずくまっている。目を堅く閉ざしたまま、ぴくりとも動かない。どうやら気を失っているらしかった。

その傍に細長い棒のようなものが落ちていた。

剣である。それも手入れの行き届いた、両刃の西洋剣であった。細身の刀身から覗く刃は、一振りすれば日本刀にも勝るとも劣らない切れ味を秘めているようにも見えた。

人影を挟んで、剣の反対側には茶色のバイオリンケースが落ちていた。大きさから見て、どうやらその剣をそこに収めていたらしい。

「あれ? アンタは確か――」

「ファルコム……さん?」

ふたりは鮮やかな赤色の髪をした女性――ファルコムに向かって言った。

「ぅ――」

ふたりの声に応じるように、ファルコムは薄っすらとまぶたを開いた。

「ちょっと、しっかりしなさいよ」

「大丈夫……?」

心配そうにふたりはファルコムの顔を覗き込んだ。

「あれ? 君達は確か……ははっ、情けないところを見せちゃったかな……」

うずくまった姿勢のまま、右手で左腕を押さえながらファルコムが力無く笑った。

全身が傷だらけだった。

身に着けている服のあちこちに、鋭利な刃物で切り裂かれたような跡があった。その下からは血が滲んでいる。

が、それ自体は大して深い傷ではなかった。一番の深手と思われる左腕の傷も、もう出血は止まっていた。

よく見ると切り傷とは別に、額から一筋の赤い線が頬に向かって伸びていた。

どうやら頭を打っていたらしかった。今まで気を失っていたのも、それなら辻褄があう。

「てめえがやったのか」

恐ろしく低い声でブランが言った。

思わず、ロムとラムが目を見開いた。それは、今までふたりが聞いてきたブランの声のどれとも一致しない、深い怒りがこもった声だ。

もし目の前にブランの姿がなければ、ふたりは今の声が自分の姉の物だとは、決して思わなかっただろう。それは、そんな声だった。

ブランの体の中で、炎が生じていた。

エスターとは別の、熱く、そして高圧なエネルギーが、ブランの周りに渦巻いていた。

それはエスターの獣の気と交じり合い、周囲に強烈なプレッシャーを放っていた。

「俺がこの黄色いデカブツに仕掛けたときに傍でチンタラ()り合ってたそいつが悪いんでィ」

「ンだとてめえッ!」

ブランの全身に業火が噴き出した。

先ほどより一層強烈な()が、エスターに向けて放たれた。

直接その殺気を向けられていない三人が、思わず背筋に冷たい物を感じるほどの、凄まじい殺気だった。

「怪我したのが紫の女神じゃなくて怒ったんですかい? 安心しろ。すぐにあいつらはこの黄色いのの後を追うんだからよぉ」

「なっ――」

ブランは狼狽した。

声にならない恐怖が、ブランを襲った。

今考え得る最悪の光景が、頭を過ぎっては消え、過ぎっては消える。

身体が、小刻みに震えていた。

「てめえっ! あいつ等に何しやがった!!」

「別にまだ何もしちゃいねェよ。まぁ、これからしない保障もねェんですが」

「あいつ等に手を出してみろ! 私がてめえをブッ殺してやる!!」

「――殺し合ったのに、ですかい?」

エスターが囁くように言った。左の唇が吊り上がっていた。

ぞくり、とブランの心の中で何かが膨れ上がった。先ほどの恐怖とは別の、何か(・・)が。

「黙れ!」

何かを振り払うように、ブランは左手で目の前を振り払った。

完全に動揺していた。

みりみりと、殺気が膨れ上がった。抑えようのない殺気が、ブランの肌を食い破って外に這い出していった。

頭が沸騰し、理性が崩壊して行く。

「そうだ。この後、お前を殺す前に、代わりに俺が紫の女神も殺しておいてやるよ」

その言葉を耳にしたとき、ブランの中で何かが弾けた。奥歯が鈍い音を立てる程に噛み締められる。

瞬間、目の前が完全に白い霧で覆われた。

目が思い切り吊り上がった。白い霧に覆われた視界は、その向こうにいる標的のみに集中していた。

ブランの精神が、遂に限界に達した瞬間だった。

「ッだらあ!!」

叫びながら、ブランは地面を蹴った。

吸い込まれるように、ブランの身体がエスターの方へと迫った。フェイクも何もない、文字通りの一発勝負だった。

両手で戦斧を握り締め、思い切り振りかぶったその腕を、全身全霊の力をもってエスターに振りぬいた。

鬼神のごとき唸りを上げて、戦斧が虚空を切った。

エスターは動かない。右手に持つ大鎌を持ち上げようともしなかった。

戦斧の描く弧が、エスターに触れようとした、その瞬間だった。

――ブランの目の前から、エスターの姿が消えていた。

戦斧はそのまま、誰もいないその空間を切り裂いた。

――かわされた!?

そう思った刹那、ブランの背中に恐怖が走り抜けた。

今の自分は完全に無防備な背中を、相手にさらしていた。こんな状況を、エスターが見逃すはずはなかった。

振りぬいた戦斧を戻そうにも、手遅れである。

――殺られる

ブランはそう思った。自分の背中に大鎌が突き立てられる感触まで、分かるような気がした。

が、その背中に来るはずの攻撃は、何時までたっても来はしなかった。

ブランの足が地に着いた。その足は小刻みに震えていた。

額から頬に向かって、一粒の汗が流れ落ちた。

それなのに、ブランの身体には言いようもない寒さが張り付いていた。

ブランはそのまま、しばらく動こうとしなかった。

身体を支配していた熱が、完全に冷めていた。

 

 

 

 


 
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