一二一―一二三
【己が罪または】罪己にあるかさらずば己が親戚知友等にありて心その爲にやましき者は
一二四―一二六
【瘡ある處は】汝の言を聞きて苦痛を感ずるだけの弱みある人には苦痛を感ぜしむるがよし
一三三―一三五
山高ければこれを撃つ風いと強し、かくの如く、汝の歌の中なる人はいづれもその名世に聞えまたは現に時めき榮ゆる者のみなればそを叱咤する汝の聲は強かるべし、而してかゝる者をもたゞ眞理に從つて恐れず憚らず攻める事は即ち攻める人の價値をば遺憾なく表はす所以なり
一三九―一四二
【その根知られず】例の出處なる(即ち例として擧げらるゝ)人物が世に知られず
【明らかならざれは】適切なる例を缺く爲、具體的に證ず明し難きなり
【安まらず】滿足せず
ダンテ・アリギエーリ「神曲」天堂 第十七曲 一二一行以下
#0 オーブリーホール
「暗い夜道は怖いから外に出てはいけないよ?」
私に恐怖を植えつける為、心を舐め回すような言葉で両親は私にそう言った。
だから、私も両親に言われたように育てられてきた。
暗い夜道は眼が利かない。
躓いて、転んでしまって、怪我をしたら大変だ。
真っ暗な闇はきっとあなたを食べてしまうよ。
夜はお化けが出る。
こわいこわい牙を持ったお化けが、そろりそろりとやってきて食べてしまうよ?
だから、夜外に出て歩くなんてとっても危ない。
玄関のドアを開けて外に出たらとっても危ない。
ああ、玄関のドアノブに触るなんてもってのほか!
手を触れてはいけない!
そんな事を言って、子供を怖がらせて危ない事をしないように親は自分の子供へ戒めにする。
両親という絶対的に私を守ってくれる人からの言葉だから、私の心の中にも必然と「夜に外へ出るのはとても危険な事」そう覚えて頭に刻み込んでいた。
今考えるとあまりにも脚色しすぎた注意だと思うが、あながちそれは間違ってはいなかったと思う。
実際テレビやインターネットと言った無意識に見て拾う情報から、世間一般で言う『危ない人』が夜はうろうろしているという事実があるようだった。
私の住んでいた街も例外では無いようで、繁華街が近くにあるとあって治安はそこまで良くなかったようだ。
夕飯を食べながら地元のローカルニュース番組で老けた女性ニュースキャスターが『今日の事件はこういうことがありました。』と言っているのを見るたびに「ああ、やっぱり夜はお化けも出るし、危ない人もいるから出てはいけないのか」そう、小さい頭で漠然としたイメージを膨らませて感じ取っていた。
私もそれを事実と受け止めて色濃く、真っ黒な闇が恐ろしいと机に彫刻刀で彫った文字のように深く、永遠に消えないよう幼い私の心に刻み込んでいた。
夜は家の中。家の中から覗く夜の風景。自分の部屋の窓ガラス越しに、映る景色は昼間見ていた風景とは違い、眼を凝らさなければ見えてこない。
世界の中で一番安心できる空間。
真っ暗。
青白く輝く街灯。
偶に通る車のヘッドライトが一瞬だけ世界を明るくして通り過ぎて行く。
道路を挟んで向こう側の家の屋根を見ると、黒猫が鋭い眼光を見せて私を睨んでいた。金色に浮かびあがる眼が私の顔をじっと捉えている。
私は猫を睨みつけると、猫はプイッとあっちを向いてどこかへ消えて行った。
私は出来るだけ外に出ないようしっかりと家に閉じこもった。仮に外に出たとしても、何時も父親や母親の手を握り傍から片時も離れないようにした。
ギュッと父親と繋いだ手を握り締めて、何処にもいかないように私は握りしめていた。
怖いことは嫌だけれども、両親と一緒にいたら気が付いたらそんな怖いことも消えていた。
怖いところに出たとしても、何時の間にか通り過ぎて消えている。
そうして気がつくと何時もの家に帰れる。
昼間なら、何も心配する事も無く安心、安全な、誰も襲ってこない私を守ってくれる所に何時も戻ってくることができた。
そうだ、両親がいるから安全なんだ。
でも一人で外に行かなければならない時もある。
学校や友達と遊ぶ時がそうだ。
学校の帰りは、夕闇に暮れる道を一人で歩かなければならない。
不安の入り混じる中、一人で怖がって道を歩くなんて私には耐えられなかった。
だから、私はそこで友達というものを作っていくことにした。
別にわざわざこういう事があったからその対応策として作ったというわけではないのだけれども、結局のところ私を守るために自然に群れていた気がする。
最初友達を作ることはとても難しく大変な物かと思っていたが、私の姿を見ると周りは興味心身で私に話しかけてきた。
私の金髪と青い瞳に自分自身とは違う異色の、とても面白そうな人間がやってきたと興味が湧いて思ったのだろう。
とりあえず、そのおかげで私は友達をいとも簡単に作ることが出来てしまった。
何時も夕方付近になるまで遊んで、友人と馬鹿みたいなことを話していた。
友達も皆、私と同じように夜は外に出てはいけないと同じ事を言われているに違いない。
夜が近づいて来ると、誰に言われ無くとも皆帰るから。
その日の夕方も公園で楽しく遊んでいると午後五時を知らせる「夕焼け小焼け」の音楽が流れてきた。
この音楽が街のいたる所から流れ始めると「じゃあね、また明日」そう言って遊んでいた友達が帰っていく。
私も一緒に友達と手を握り、夕焼けに染まる街を歩きながらそれぞれの家まで歩いて行く。そして家に着くと「明日もまた!」と手を振る。
私も自分の家の前に着いた所で友達に手を振り「また明日」とさようならを継げた。
「ただいま~」
玄関を開け、私は家の中に入る。
家の中は薄暗かった。リビングの電気は消えて夕闇色の光が廊下を照らしている。
母親はいないのだろうかと一瞬思ったが、リビングの方から物音が聞こえる。
『ああ、今日もいっぱい遊んだ。お腹が空いたな~』なんてことを考えながら家の中の空気を少しばかり嗅いでみる。
少しだけどバターが溶けて、香ばしくなった臭いが漂ってきて、私の鼻孔をくすぐった。
お腹がすいて疲れきった私は急いで靴を脱ぐとそのままリビングへと足を運ぶ。リビングのドアを開けようとドアノブに手をかけ、時計回りに捻った。
私には重たいドアをゆったり、徐々に開いていくと母親が絨毯の上で座っているのが見えた。父親も一緒だ。
そういえば朝、父親が今日は早く帰れるみたいな事を言っていた気がする。
そうか、二人仲良く一緒にいたんだ。
リビングの机に二人寄り添って座っている。
眼を見開き、何も話す事が出来ないよう口にはガムテープを貼り付けて、自由に動けないように腕と体をガムテープでグルグル巻きにして、両親はそこにいた。
「……えっ?」
一瞬、私は異様な光景に声を漏らした。私は身動きの取れない母親の顔を見る。
母親は私と台所の方をしきりに何度も見ている。
口をもごもごとさせ、何度も私に話しかけようとしているようだった。
『声を出してはいけない!』と、言っているのがガムテープ越しにくぐもった声で聞こえる。
私は一歩、リビングに足を入れ台所を覗き込む。
部屋は夕焼けに染まって白い壁がオレンジと黒い影になっている。台所の食器棚の前、夕日に照らされた白いTシャツを着て黒いズボンを履いた男の人がそこにいた。
顔は――隠していない。
無表情で、突然現れた私を見ても微動だにせず、唯々じっとその二つの黒ずんだ眼で私を睨んだ。
男の人が一歩私に近づいたところで、私は振り返り走った。
後ろからガラスの割れる音が聞こえた気がした。
靴を履く時間も無く、私は家から飛び出そうと玄関へ走る。
飛ぶようにして土間を下り、玄関のドアノブに手を伸ばし外の世界へ飛び出そうと扉を開いた。
数センチだけ開いた扉から外の明るい世界が見えた。
助けを呼ばなくては!
そう無意識に私は体を動かし向かいの家に行こうと外の世界に手を伸ばす――だけれども、私の開けた扉は直ぐに閉ざされた。
扉を開けたところで私の体は後ろへ引っ張られる。
「たっ――」
助けてっ!と叫ぼうとしたが、私の口は大きな手で覆われる。
しきりに声を出そうとするが私の口に当てられた手に遮られ、くぐもった声しか出す事が出来ない。
必死になって暴れて、逃げ出そうと私は体を動かすが強い力で私の体は少しも動けなかった。見知らぬ男に私の体はいとも簡単に持ち上げられ、元のリビングへと戻される。
リビングに連れ戻されると、私は絨毯の上に放り出された。
落とされた衝撃で頭を打って一瞬意識が飛びそうになった。
くらくらと朦朧する頭で体を起こそうとする。テーブル越しに父と母が私の方を凝視している。
私を放り投げた男は今もまだ喋らない。
夕闇色に染まっていた部屋はもう暗闇になりかけている。
男は私に覆いかぶさった。
「逃げなきゃ」そう思い私は這うようにしてその場から逃げようとするが、直ぐに足をつかまれズルズルと床の上を転がされる。
爪を立てフローリングにしがみ付こうとするが、つるつるとした床はつかむことができずに私の手から離れていく。
「いや!いや!」
叫び声を上げ、逃げようと体を捻り、藻掻く。
このままでいたら私は殺されてしまう!
それは判っていたが、男に体を押さえつけられ逃げる事が出来ない。
唯一自由の利いている右手を振り回し、覆いかぶさっている男をどけようとするが私の力では押し返せない。
男は息を殺し、大きく両手を上げた。その手の先にはきらりと、包丁の流線型の刃が握られている。
「――――っ!」
背筋が冷たく引いていくのが判った。先ほどまで逃げることに専念していた思考が白く染め上げられる。
ここで――終わり?
迫り来る恐怖に一瞬、呼吸が止まる。やけに周りが静かだった。
――嫌だっ!
ここで終わりなんて嫌だ!
逃げるんだ。今すぐここから!逃げだすんだ!
右手を振り回し、周りにある棚や絨毯を掴む。だが、掴んで体を動かそうとすると小さな指先がするりと抜けてしまう。
何か、何か他に無いのっ!?
一心不乱に周りを見渡す。
男の姿、縛られた両親、夕闇に染まる壁紙、大きな木製のテーブル――
とその時、一本の白い糸が見えた。
私の右側にあるテーブル。その下に一本の糸が綺麗に一直線張られていた。
私は無意識にその糸に触れようと手を伸ばす。
藁にも縋る思いとはこの事だろう。考えている暇などなかった。
この糸を握って体を引っ張ることが出来るんじゃないか?そんな思いが無意識に働いたのかもしれない。
私は切れそうな程細い木綿糸の様な糸に指をかける。細く、私の体重なんて関係なく切れてしまいそうなものだったが、私は精一杯その糸を掴むと引っ張った。
その途端、その糸はふわりと指先を飲み込んだ。
――え?
切れ目に指を入れるように、簡単に指がその糸に沿って沈んでいく。
直後、私が触れた白い糸は私の指先を吸い込み、まるで伸ばした輪ゴムが伸縮するように一瞬で小さな点となった。
そして先程まで糸で線が引いていたところが黒い線として残り、グパッと大きく口を開ける。
絨毯を綺麗に裂いて広げたように、黒い口が開きそこから黒い影がシュッと音もなく飛び出した。
幾つも、触手のように長い影が音も無く絨毯の開けた口から飛び出していったのだ。
黒い影は、私に覆いかぶさった男が包丁を振り下ろそうとしたまさにその瞬間、あっという間に男を取り囲んだ。
包帯を体中に巻きつけるように段々と男の体が消えていく。
ぐるぐると、大きな蛇が動物を絞め殺すためにとぐろを巻くように男を締め上げる。突然の事で私を刺そうとした男は声も出すことができず、影によって口を塞がれていた。
ぐるぐると影に巻きつけられた男は「グチュ」とも「パキッ」とも似ても似つかない何か絞る音と折れる音がかみ合わさった音を鳴らす。
段々と影は小さく丸まって行き、そして終いには細い筒のようになった。
私はしばし、その筒状になった男を見ていた。
男は、ピクリとも動かなくなっていた。
影は、男が動かなくなった所を見計らってかズルズルとテーブルの下へと戻っていく。
そして、影は男を巻き込んだまま静かに消え、大きく開いた裂け目も綺麗に閉じられた。
呆然と、テーブルの下を私は見てみる。
自分の胸元を掴み、自分の胸に手を当てる。まだ耳元で心臓の音がする。耳鳴りがして、突然の出来事に息が詰まる。
――何が……起きたの?
呆然とする頭の中で、私は唯先程まで男の人がいた場所をじっと眺めた。
絨毯の上。
あるのは、刃が突き刺さった包丁と片方しかない革靴。
先程の男の人は、消えている。
跡形もなく、何処かへ消え去っていた。
「ひっ……はっ――ははっ……」
絨毯の上で、私は声にならない叫びを出した。
何が起こったのか、まるで判らない。
助かった――のだろうか?
先程まで捕まれた箇所がまだツキツキと痛む。
骨まで抉られたような感じだ。胸に手を当て、できるだけ息を整えようとする。
再度テーブルの下を覗くが、そこは何事も無い。
夕闇はどっぷりと暮れ、薄暗い場所になっていた。
先ほどまで見えていた白い糸も消えている。床には絨毯が轢いてあるだけ。
「……奇跡だ……」
口元に張られたガムテープを剥がした父親が、そう言ったのを今でも覚えている。
#1 カノープスの出迎え
1
三月中旬のとあるホテルの大広間。
天井には綺麗なシャンデリア、広間には純白のテーブルクロスをかけられた大きな円卓が幾つも置かれている。
出入り口に目をやると、歓迎を催す円形の花束が所狭しと建てられており、さながら結婚式でもやろうかという雰囲気だ。
この広間は、何か出し物や講演をするために専用のステージまで付随されたそこら辺のホテルにはそうそう無い場所だった。
そんな効率の良い場所が近所に在って更に格安で借りられる事を知った時、父親は飛んで喜んでいた。
「これで金になるぞっ!」と、声を荒げて眼を輝かせて新しい玩具にはしゃぐ子供のように、私に向かってそう言った。
私はと言うと、どうでもよかった。
ここの場所を借りようが借りられまいがどうでも良い。こんな馬鹿げた事をやらなければもう何だって良いと思っていた。
そして今も、一人静かにスモーク臭いステージ裏に小さく同じ気持ちを抱いて椅子に座っている。
『ステージの上に立つのは気持ちが良い』
そう答えるのは舞台俳優か相当の自信過剰者だけ、少なくとも私は好きではなかった。
私が自信過剰者になって自己満足でステージに立てるのなら、今の私の状況からするとよっぽど良い。
別に視線恐怖症とか、赤面症とか私が引っ込み思案の人前に出られない部類のいわゆるチキンだからというわけではない。
唯、単純に私がこれから見せるものがとんでもないまがい物で、インチキな事をするのがたまらなく嫌なのだ。
ここに来ている“観客”という人々は私が今からしようとしているインチキを本物だと思って来ている。
これから私は騙すのだ。
インチキをして、それが本物だと観客にアピールする。
私は、私を見るためだけに集まった大勢の人達の眼が怖いのだ。
「さあ、今日もやってまいりました!皆様、お集まりいただきましてありがとうございます!」
ステージの上でスーツ姿の男、私の父親はマイクを片手に広間に集まった観客の前でそう言った。
とても上機嫌そうに、ニコニコと笑顔を浮かべている。
父がわざとらしく拍手をすると、会場にいる観客たちもつられて拍手をする。
百人程が一斉にするはち切れんばかりの拍手。その音を私は全身で感じていた。
震える空気、その拍手が私の肌をピリピリと振動させて不快にさせる。
空気を吸う。
スモーク臭い空気が喉を通り、入り口が少しばかり冷やされる感覚がした。
それと同時にカラカラと喉が渇く。喉を鳴らして生唾を飲み込み、ごくりと私の耳元で鼓膜が震える。
『ああ、もうすぐなのか……。』と思い、眼を細め舞台の床板を見つめた。
目蓋が重い。壇上に上がった自分の姿を思い浮かべるたびに嫌な気分になる。
きっと私の姿はとても目立つだろう。
この国で生きている人からすると、とても異質に見えるはずだ。
鏡で映す私の姿は青い瞳、金髪と白い肌は外国人その物。この国では異端的な存在。
母親譲りのこの姿はとても気に入っていた。学校でも私の姿はとても綺麗と評判で、私は照れ隠しをしながらもこの容姿少しだけ自信を持っていた。
だけれども、こんな形で人前に立つなんて嫌だ。
ああ、ため息をついて私は静かに立ち上がる。
『このまま何処かへ行ってしまおうか? 』そんな事を考えるのもかれこれ数百回目な気がするが、結局私は何処にも行けず仕舞いに終わる。
顔を上げ、ステージを見つめると丁度父がこちらを向いていた。
にっこりと笑い、一回頷く。合図だ。
もう……今更遅い。
『此処まで来てしまったのだから私は出るしかない』
そう自分に言い聞かせ、私は重い足を明るく照らされるステージへ伸ばした。
父の手に誘われて私は舞台の上に登場する。スポットライトがあるわけでもないが立った瞬間、照明が私の眼を白く遮った。
「さぁ皆様! 私の自慢の娘、マエリベリーの奇跡の力をこの場で共感しましょう」
何が奇跡だ。
父親の横顔を睨む。
だが、私の思いとは裏腹に歓声と拍手が一層大きくなった。
父親も私が何をやっているのかわかっている。
私がこうして詐欺まがいの行為をやっているという事も、全部父親は知っている。
『ああ……嫌だ』
気持ちとは対称的に、私は観客に対して満面の笑みを向け浅くお辞儀をした。
ステージの上には私の名前、『マエリベリー・ハーン』と大きく書かれた横断幕が掲げられている。
私の為の講演会。二十歳そこそこのただの外国人とのハーフである人間を見たいが為にこんなにも大勢の人達が来ている。
観客の視線が、私に向いているのが判る。
痛く、突き刺さる。
『さっさと……終わらせよう』
観客が向けている視線を振り払うために、私は両手を前に突き出し観客に見せ付けた。
『種も仕掛けも何もございません。これから行うのは本当に私の能力を使った超能力なのです。』そう見せ付ける為だ。
証拠として両手を見せれば、私の両腕から何も出す事は出来ない。おっと、まだ疑っている人もいますね? では、こうやって袖も捲ってしまいましょう。
ほら、こうすれば腕に何も付いていませんし、隠し持つ事も出来ません。
でも……ここから私は何かを生んで見せましょう。
無言のまま、私は観客にそれを見せ付けると両手の手首をくるりと回す。
その途端、私の手のひらから透明なガラスの塊が出てきた。
おぉ、とどよめく観客。
そこで私はすかさず次の手を打つ。
今度はガラスの塊を宙に放り投げる。そして、右手で塊を掴むと塊を両手で押し潰した。
―― パンッ ――
一瞬の静寂。
私はガラスの塊を潰した両手を開く。
ほら、ご覧の通り。
先程出した塊は何処かへ消えてしまいました。
それを見た観客の割れんばかりの歓声と拍手。観客たちはお互いに顔を見合い、「本当に凄いな」と話し合っている。
よしよし、上々だ。
私は一度お辞儀をする。まだまだ終らない、今度は別の能力を見せ付けなくては――
今の結晶を消し去る物なんて簡単なものだ。相手を信じ込ませる為には、もっと具体的に知らしめる必要がある。
私は舞台から一旦降りると、一番近くのテーブルにいる貴婦人に話しかけた。
「少し……よろしいでしょうか?」
そう、やんわりと優しい口調で相手を包み込むように、舐めまわす声で話しかけ、笑顔も忘れないようにする。
「あ……私ですか?」
そう言って貴婦人は驚いた表情で私を見つめ返したが、その顔を見て鼻で笑いそうになった。
知らないフリをしなければいけないのに危ない、危ない。
だって、この貴婦人と私は何度も会っているのだ。
数日前からずっと彼女に依頼をしていた。そしてこのタイミングで彼女がこの席に座るようにしていたのも、彼女がこうして驚いた表情で私の奇術を一緒にやってくれるのもすべては計算の上で成り立っている。
私は貴婦人の顔の前に掌を向け、顔を撫でるように空を切る。
そして「貴女は――お子さんを亡くされていますね?」とさも知っているかのように聞く。
「――っ! はっ! はい、その通りですっ!」
「そして――いまその所為か、家族関係も悪化して――体の具合が悪いと……」
「なっ、何でそのことを!」
「ふふふ、やはりそうでしたか……」
不適な笑みを浮かべ、私は貴婦人に「私は全てお見通しなのです」と声をかけるとステージ上に戻る。
そして今度は俯き、顔に手を当てながら何やらぶつぶつと唱え始める。今日は面倒だったのでアイウエオをずっとぶつぶつ言うことにした。
しばしの時間。
数十秒唱え続けると私の体が宙に浮き始める。
それを見てまた観客はどよめく。
奇跡だ! 奇跡だ! と声を上げる。
ははっ、何ともあほらしい。
まあ、奇跡が本当にあると目の前で知らしめているのだから無理もない。
今まで何もなかった場所でいきなり人が空中に浮いたのだからそれは驚くだろう。普通のマジックであれば数センチ程度しか浮かないが、私がやっているマジックでは一メートル近くも上がっている。普通では考えられないような現象だ。
だが、ネタを明かせば何の変哲も無い一般的なマジック。
種を明かしてしまえば正面から見ている人でもわかってしまう。金属の棒を私の後ろに仕込んでテコの原理で体を釣り上げているだけだ。
私は宙を浮きながら、少しばかり右に左にと体を左右意に移動させる。興奮した観客の老人が立ち上がり近づいてきた所で、私の体はステージに静かに着地した。
「私には、こうした能力があるのです。奇跡ではありません、これは私に特別に与えられた力なのですから! 」
高らかに、私は観客に向けて力強く叫ぶ。
私は力になれます。
私はたった一人でも多くの大切な命を守りたいのです。
私こそが皆を救える!
私こそが、力になれる!
今まで荒んでいた人生は私の力によって全て変えられるのです!
――と言うようなありきたりな言葉を羅列する。
「皆様、私の娘の力が判ったでしょうか? 昔の話になりますが、娘の力によって私も救われた過去があります。あの奇跡は今こうして大きな力へと変わろうとしているのです! 」
小さい頃、私が見たあの奇跡なんて物はもう起きてはいない。
だって、あの奇跡なんてものは二回も起こらなかったのだから。
いくら私を危険に陥れようとしたって、それは起きなかった。
当たり前だ。私にそんな能力なんて無い。
私がそんな能力を持っていたら私の方が驚いてしまう。
実際にこんな事なんてあるはずも無い。
小さい頃見たあの出来事は、きっと何かの見間違いだったんだ。
だから私は、今日もマジックをしている。
そして今のこの現状、見せる度に私のマジックが奇跡だと言って持てはやす人ばかり。
この人達は何も判っていない。
本物が無いって事を理解してない。
一通りの事を終え、私は深々とお辞儀をすると足早にステージを後にした。
「さあ、今日は皆様に私の娘の力を見て頂いたかと思います。その娘に、少しばかり力を与えた物たちを今日は皆様に特別にお手に取って頂く機会を与えられる事となりました」
私の去ったステージ上では父が品物の売出しを始めている声が聞こえてきた。
騙されていることも知らずに、簡単に数十万円もの金色の鐘とか如何わしい壷を買っていく。
何の疑念も持たずに出せるから出す、何とも気楽なものだ。そう札束を出す老人たちを見て思った。
ああ、心が痛い。
だけれども私は唯それを見ているだけでしかない。
今ここでその売っている物が偽物だと叫んだところで何も変わらない。
良心という物は私にもある。だけど、私はこの生活を壊したくない。
嫌だとは思う気持ちがあるにしても、現状を壊したくないと思う私もいる。
今ここで私がやっていた事はずべて種も仕掛けもあるマジックでした! と言ったらどうなるだろう。私が思いつく事を上げると、私達の家族が最悪路頭に迷う。
今の情報が高度化した社会では、宗教だとかそういうので金を作っていた事など直ぐにばれてしまう。
私の顔写真だって何処かにあるかもしれない。
大量の情報に埋もれた社会に生きている私にとって、とてつもなく大きい代償を払って今こういう場所にいるのだと思う。
逃げられないのだ――今更どうこうしても、逃げられないのだ。
逃げ出しても、直ぐにばれてしまう。
今こんな事を止めた所で、逃げ場なんて――何処にも――
ざわざわとざわめいていた声も、一時間ほど経つと最後の人がもう出て行ったようで静かな静寂が訪れていた。
「今日もなかなかの売り上げだったな」
舞台裏でうなだれるようにして椅子に座っていた私に、父は札束を手にしながらそう言った。とても、声は弾んでいた。
「そう……ですね」力ない声で私は答える。
「また次回も良い収入になるといいな」
父は笑顔で私に語りかけるが、私はその顔を見る事は出来なかった。
見たくない。嫌気が増すからだ。
今の私の顔は暗く、塞ぎこんでいる。
その顔を見てきっと父はどうしたのかと聞いてくる。
だから、私は塞ぎこんだまま答える。
「そう……ですね」
私の答えに父は耳を傾けていないのか、手持ちの金庫へ札束を纏めている。この人にとっては、お金というものが全てなのだろうかと思えてしまう。いや、私のことは考えてくれている。だからこうして……私に奇術をさせる。
家族と言う物を守る為に、自分の近くに子供を置いておきたい。そう思っているからこうやっていると私は信じている。
過保護――なのだろうと。
「じゃあ、今日はもういいだろう。早く帰ろうか」
「……はい」
笑顔の父親は小さな金庫を大事そうに抱えると、私を置いてその場から楽屋裏へ歩いて行った。
「はあ……」
父親がいなくなった所を見計らい、私はため息をついた。
舞台袖から誰もいなくなった広間を見渡す。
先程まで老人達の活気に満ちていたこの場所は、今はもうがらんと空いた広すぎる部屋になってしまった。
呆然と、舞台の縁にいる私がこの広間に飲み込まれてしまいそうな感覚に襲われた。
どうしようも無い私を簡単に飲み込んで――
見えなくなって――
白紙の紙に書かれた唯の黒い点のように、この場にいる私を白く染められていく様な気がした。
舞台の縁に座り込み、広間全体を流し見る。
「いつまで続くんだろう……こんな事……」
生きる為には手段を選んではいけない。
そう誰かが言っていた気がする。
こんな事をせず、もっと別の人生を選べたのではないか?
チャンスなんて、いつも其処ら辺に転がっているはず。
私はそれをみすみす見逃しているのではないか?
そんな事は……判ってる。
だけど、私は今までの生活に慣れてしまっていて外に出ることができないのだろう。
騙すことに後ろめたさがもっとあった気がするけど……今ではそれも段々と冷えて、消えている気がする。
『秘封教』
巷では最近話題に上がっている新興宗教だ。インターネットで検索をかければ公式ホームページがトップページに出てくる。詳細を見ると教祖の名前『マエリベリー・ハーン』と、私の名前が書かれている。
気が付いたら父と母が作り上げていた。
今ではもう、堪らなく嫌なのに……。
「どうしようも……ないのかしらね」
生きる為。そう、自分と家族を守るのが一番だ。
今更、生き方を変えろと言われてもどうしようもない。
私はかれこれ十数年、こうやる事でしか生きてこられなかった。
「よいしょっ……と」
まあ、くよくよしても仕方がない。
何とかなるわよ。きっと……。
そう自分に言い聞かせて悲しげにゆがんだ顔を私は掌で叩く。
うん、明日も頑張ろう。
学校も来週から始まるし、何とかなるはず。
さあ、笑顔を作って……元気良く父親の元に戻ろう。
「あら……もう終わってしまいましたか?」
笑顔を作って気を取り直していた時、その声が聞こえた。
先程まで誰もいないと思っていたのに、誰かまだいたのだろうか?
声のする方を見ると、ステージから見て右側。先ほどまで座っていなかった席に一人、女性が座っていた。
「パンフレットの時間ではまだ間に合うと思ったんですが……この様子だと終わってしまったようですかね?」
白いシャツに赤いネクタイ、黒いロングスカートとパッとしない服装。白いリボンの付いた黒い帽子が印象的だった。
女性と言うにしてはまだ幼い感じがする。容姿からすると高校生くらいだ。
そう、私と同い年くらいの――
「遅くなってしまいましたかね?」
ニカッと笑い白い歯を私に見せ、首をかしげながら彼女は言う。
彼女は席から立つと、部屋をぐるりと見渡し私に近づいて来た。
体を少し左右に揺らし、しきりに帽子の縁を触りながらわざとらしく吊り上げた口元で笑顔を作ってだ。
「ええ……すみません、今日はもうおしまいで……」
私は丁寧に彼女に対してお辞儀をして謝る。だが、彼女はあまり気にも留めてないのか「いえいえ、そんなことはないですよ」と言った。
「いえ、でも……」
「ああ、そんな気を使って頂かなくても問題ありませんよ。あははははっ」
私が重ねて謝ろうとしたところで彼女は笑って私にそう返した。別に気を使ったわけでは無く、いつもの社交辞令としてやったつもりだった。
一時、彼女は私の顔や着ている服をまじまじと見つめる。何か顔にでもついているのか? そう思ったところで「え~と、貴女がマエリベリー・ハーン様ですかね? 」と改めて聞いた。
「えっ……あ、はい。そうです」
「あ、やはりそうなのですね♪ あっ、決して疑ったわけでは無いです。パンフレットを見ると大分お年を召した方だと思っていたので――」
そう言って彼女は手に持っていたパンフレットの一ページを私に見せた。パンフレットは今日の講演用に作った小冊子だ。
確かに私の写真も大きく記載がされている。
最近の物だと紅白歌合戦に出てくる某歌手のように大がかりな衣装を着けている写真が出ているから、年齢が上の方に見えるのだろう。
「ああ、確かにこの写真だとよく勘違いをされる方がいらっしゃるみたいですね」
「いやあ、写真のお顔が少し小さく写ってるのも影響してるんですかねぇ~。いやはや、申し訳なかったです」
彼女はまたにへらと笑みを浮かべていた。
何とも奇妙な人だ。
彼女は私ににこりと笑みを向けているが、何か私の姿をなめまわすようにして見ているようにも感じる。
彼女が私に向ける視線が友人やここにいた観客たちとは明らかに違う。
例えるのが難しいが、彼女の視線はどこか私の中を見透かすために見ているようだ。獲物を狙う様な蛇の視線ではない。
唯、笑っている顔に対して彼女の視線があまりにも笑ってないのだ。
「ああ、名前を言うのが遅くなりましたね」
唐突に思い出したのか、手をパンと合わせて彼女は言うと被っていた帽子を脱いだ。
「苗字はうさみ、名前はれんこ。苗字と名前を合わせて宇佐見蓮子と申します。年齢は秘密ですが四月から京都國大一年生です」
秘密と言っておきながら大学の一年生と言ってしまっているのはどうなのだろうか……。
一年生ということは十九か二十歳くらいか。私と同い年だと思ったのはその所為か。
後、京都國大と言えば私が入学する学校だ。
「あ、じゃあ私と同じ大学にいらっしゃるんですね」
「あら、もしかしてマエリベリーさんも同じ大学なんですか? 入学式は一緒ですかね?」
「ええ、私も今年一年生なので、私は医学部なので入学式が一緒かは判りません……」
学部の多い大学だからなのかは判らないが、届いていた入学案には二日間で予定されている入学式が書かれていた。この宇佐見という人がどの学部に行ったのかは知らないが、医学部は切り離したように二日目の少数学部で形成される入学式に入っていた。人数もそこまで多くない学部が集まっているから会う事も少ないだろう。
「医学部ですか!? おおっ、エリート中のエリートじゃないですかっ!」宇佐見は体を仰け反る様にして声を大にした。
「いえ、そんな驚かれるほどの物じゃないですよ。将来は医者になることは考えていませんし……」
「あれ? そうなんですか?」
「ええ、どちらかというと研究機関とかに努めるのが夢で……」
「へえ! 貴女のような奇跡の力を持っている人がまさか医学部とは思いませんでした。てっきりこれから講演を続けて人を救っていくのかと思っていたので――」
「いえ、そんなことはないですよ。私は唯、もう少し多くの人を救えるようにと医学部に入っただけですから」
確かにこんなまがい物の職業をそのまま続けることも手だとは思ったが、このまま何も明かされないまま普通の職業に就くことが一番良いと考えていた。
こんな事を続ける事は嫌だが、あくまで医学部に入ったのは保険でしかない。
医学部なら絶対に腐らない職業だしリストラも早々無い。
だから、私が高校を卒業して医学部に行くことにしたのも、今の生活が終わってしまうことを見越しての保険のつもりだった。
ついでにこんな馬鹿げた事が終ってくれればと、少しばかりの期待を込めてこの学部に入ったのだ。
「それはそれは……同い年でもそう決心というかそう言う物を持っている人は少ないですからね。いやあ、流石はマエリベリー様ですね」
「ちゃんと卒業しなければなりませんけれども……だからそろそろ講演も数を減らしていこうと思っていますし」
「あら、じゃあ次回もう少ないんですかね?」
「はい、すみません。公演は今後はしばらくは――あ、でも次回もまたここでやると思います」
「あぁ~、それはよかったです。見れないかと思って焦ってしまいました」
一瞬曇った顔になった彼女も、私の話を聞くと笑顔が戻た。
まあ、実際にここで講演をやるかなんて事は未定だけど……。
「ええ、また近日中にホームページ等でご案内をさせていただくかと思いますので、その時にでも……」
「いえいえ、丁寧に言っていただいてありがとうございます。私も来る時間が遅かったのが悪いですから――あ~ところでですね――」
そう言って彼女は私を睨みつけた。先程まで笑っていた顔はどこかに消え、私の顔を真剣に見ていた。
「貴女は、本当の超能力者……?」
冷たく、鋭い口調で彼女は言った。
先程とは違う空気に、一瞬たじろぎそうになりなる。
何だ。この人は――。
「ええ、そうです。私は――」
違います。
そう口が動こうとしたが、私はグッと、真一文字にその言葉を飲み込んだ。
言ってどうするの?
今この現状が変わるわけでもないでしょ?
寧ろ、今言ったところで何も起きないじゃない。
「本物の超能力者ですよ」にこやかに笑って私は答えた。
「……そう、それは――」
そう言って私の姿を上から下へとしげしげと、再び舐めるようにして見た。じろっと、私の顔を見ると彼女はニカッとまた笑い。
「知っていますともっ!」
少しばかり弾んだ声で彼女は言った。
何だろう、先程から彼女の見方が少し別の人と似ている気がする。少しばかり彼女の口元が笑っているように感じる。
彼女はあごに手をあて、何かブツブツと独り言を言っているようだが、それが終わると今度は私に対して「私は、本物の超能力・霊能力者という者を見たくて会いに来たんですからっ♪」とまた弾んだ声で返した。
「は……はあ」
彼女の笑顔と、その答えになんだか拍子抜けしてしまった。
なんだ――彼女もこの類の人間なのか、と。
「いやあ、マエリベリー先生の起こす奇跡というものを一つお目にかかりたかったのですが、しょうがないですしねぇ~……」
「え……ええ、また次回の講演に来ていただければまた見せることはできると思いますので、その時にでも――」
「はい、その時には一番に来させていただきます♪」
「またやる時にはご連絡させていただきますのでその時に来ていただければ……」
「判りましたっ♪ 」
そう言って彼女は、私に微笑みかける。首を少し傾げながら帽子を取ると、紳士のようにお辞儀をした。
「貴女の能力、楽しみに見させていただきます。それではまた、次回にでも――それとマエリベリー・ハーン様、以後お見知りおきを」
それだけ言うと、彼女は広間から静かに消えて行った。
2
「つまりは―――xが自然数として――」
ぼうっとした意識の中で初老の男性の声を私は唯単に聞き流すようにしていた。
数学の授業はどうしてこうも退屈なのだろう。
意味不明な記号を並べて勝手に理由づけをしているような物に感じてしまう。
何故そういう理論なのかという説明が何とも長ったらしく意味不明な書き方をしているようで、私は数学の授業はとても嫌いだった。
今も授業を受けてはいるが半分上の空。
何となく、頭の中ではこの前出会った宇佐見のことを考えていた。彼女は一体何をしに来たのだろう……と。
彼女が再び見に来ると言ってから数日があっと言う間に過ぎようとしている。
あの子が一体どういう魂胆で私のマジックを見たいのか、どうしても不思議に思っていた。
彼女の年齢というか、私と同い年くらいなのだがこういった類の事に興味を示すのは大分まれな事だと私の中で感じている。第一、騙される人としては老人が多い。
それは老人達は今まで騙される経験が無かったり、老化に従い人間の判断能力が段々と低下していくから騙されてしまうのが多い。それと、老人達は体が衰える事によって人と接することが少なくなるのも有るか……。
人との接触が減る事によって他人への恐怖感や価値観がずれて来る。だから騙され易い。
最近でも若い人でもそう言った部類に含まれる人というのはいるらしい。だけど、彼女の様子を見た限りだとそう言う感じでは無いような気がする。
他に考えるなら、純粋に騙されやすいから騙されてしまうケースか……。騙されるというよりも信じきってしまう人がこの部類に入ることが多い。
若い人でも、ある先入観を根底に刻み付けてしまえばそれで出来上がってしまうのだ。
テロリストとかそう言った類の人々はそういうものに近い。
宇佐見蓮子は、どうなのだろうか……?
「どうなのかしら……」
そう独り言を呟いた所で授業が終わるチャイムが鳴った。それと同時に周りの同級生たちは荷物をまとめて教室を後にしていく。
まあ、今更どうでも良いか。そもそも彼女が私にまた会いに来るなんて事も判らない、彼女がそこまで興味を持ってないのであればそれはそれで手間が省けるものだ。
彼女が来たとしても、それはそれで何時もの事をやるだけ。私はそれ以上のことは出来ないし、彼女が騙されてくれればそれはそれで良い。
私だってそれなりの自信はあるつもりだ。人を騙すのには正直気が引けるが、彼女が何かしらの形で私の力を見たいということであれば仕方が無い。
「よし」
机の上に広げていた教科書とノートを鞄の中に突っ込むと、私は颯爽と教室を後にした。
今日は天気が良い。校舎の二階窓から見える外の景色は四月の桜色に染まっているようだった。
大学のキャンパスの周りは、桜の木が幾つも植えられている。四月だから桜の花が咲いていると思いきや、この時期になるともう桜も散って夏に向けて緑の葉を揚々と広げている。
春らしいのはどちらかというと桜の木ではなくて、その幹の下で元気に背を伸ばしているタンポポとかそういう草花の方だ。
ああ、春真っ盛りなんだ……と私はうららかな雰囲気を全身で浴びながら感じていた。
古ぼけた茶色い校舎から外に出ると、近くにあったベンチに腰を掛けて空を少しばかり仰ぐ。
空は丁度いい雲量で、白く染まりそうな水色の空が広く見える。
そんな空を見ていたら先程まで悩んでことが段々と薄くなってきた。
もう、本当にどうでもいいか。まだ学校が始まったばかりだけれども、医学部はこれから忙しくなりそうだし、他人より自分の事を考えて図書館にでも行って少し勉強しよう。
春の風が、私の髪をなびかせる。
もうあの子の事なんて忘れてしまおうか?
あ、そうだ。図書館に行く前に今日は少し大学の周りを散策してみよう。
折角の京都だものスイーツの一つや二つくらい見つかるかもしれない。
あ、それと今度の大型連休の計画を考えよう。折角の機会だから新しく出来た友達と何処か旅行に行くのも良い。温泉か何処か観光地に行く予定でも立てて見ようか――
「まるべりーさああああん! 」
とりあえずスイーツの専門店を検索しようと鞄から携帯電話を取り出した所で、何処からかそのような叫び声が聞こえてきた。
「まるべりーさああああん! 」
声は段々と大きくなって近づいてくる。
初めは私の事ではなく、何処かの体育系サークルが練習で誰かを呼びつけているかと思ったが、私の方向に向かって声が大きくなって来ているのと叫んでいる言葉がどうも私の事を呼んでいるようだった。
声のする方向は、丁度私の後ろ。振り返ろうとした途端に誰かの走ってくる足音が聞こえてきた。
足音の主は、革靴の軽快な足音を立てながらまるで元気いっぱいな小学生が友達を見つけて走ってくるような感じだった。
「ああっ!やはりマリンガーさんでしたかっ! 」
「あの……えっと……」
戸惑いながらも私の名前はマルベリーでも、マリンガーでもなくマエリベリーだという事を頭の中で正しながら走ってきた人物が誰だったかと思い出してみる。
走ってきた人物は白いシャツと赤いネクタイをして、黒い帽子を被っている。
宇佐見蓮子だ。
思い出したがネクタイだけは前回黒色だった気がする。
「あ……そういえば貴方もこの学校だったわね……」
「ええ、まさかこんな所で出会えるなんてとっても奇遇ですねぇ~♪いやあ、今日はとても天気が良いですね。実に良い日だ」
宇佐見は私と会えた事がそんなに嬉しいのか満面の笑みで私の肩に手を回すと、わざとらしく何度も揉むようにして触ってきた。
無意識なのか判らないが私の体を自分の方に付けて来る所為で宇佐見の顔が自分に当たりそうになっている。
「あの……えっと……」
「ああ、とりあえずマルガリーさん。そこのベンチに座ってお話でもしませんか? 」
暑苦しさに戸惑いながら宇佐見は私をベンチに座らせる。
……と、言いますか。私はマルガリーじゃなくて――。
「あの、宇佐見さん……」
「ん?なんでしょうか?」
「私の名前はマエリベリーよ」
「あっ……あははははっ、すみません。なんだか頭の中でこんがらかってきてしまいまして、あははははっ」
宇佐見はそう言って笑いながら「失敬失敬」と帽子を脱ぐと、頭を掻いた。
「所でマイリベリーさんは授業はもう終わり? 」
「ええ、今日はこれで終わりだけど……」
「私も丁度終った所だったんですよ。まあ、高校から大学までの移行期間っていうんですかね。今の時期は何とも基礎的な所ばかりでうんざりしてるんですよね」
「まあ確かにそういった所はあるけれども、しょうがないんじゃないかしら? 」
「私は基礎的な所はある程度詰めて来たからいきなり専門的な授業をやっても大丈夫だと思って来たのよね。それなのに毎日毎日基礎基礎基礎、でもう……私はもっと自分の知らないことを知りたいのにこういったことばかりだと退屈で仕方がないわ。マイリベリーさんはそう思いませんか?」
「いえ、私はそういうのも勉強だと思いますから……」
「なるほどぉ……まあ、確かにやったことが無い事をいきなりやれと言われても難しいですからね。学生全員を右に振り向かせる為には、私もそうしないといけないと思いますよ。はっはっは」
宇佐見がまた高笑いをしながら話している最中、私は『何なのよコイツは』と思っていた。
最初に会った時から少しばかりおかしいと感じていたが、やはり何か違和感を感じる。
何というか……何だかとても馴れ馴れしいのだ。
私とこの宇佐見という人間とは初対面では無いけれども、そこまで親しい仲という訳でもない。普通の友達が話すのであれば遊びの事がほとんどだと思うけどいきなり自分の事を話し出すとかなんだろう――嫌な予感がする。
「ああ、所でマイリベリーさん」
私が怪訝そうな目で宇佐見を見ていた時、彼女が話しかけてきた。
「はい?」
「今日は――奇術を見せてもらえないですかね?」
「……は?」宇佐見の発言に、一瞬耳を疑った。
「いえ、以前お話をした奇術を見せてもらえないかって聞いてるんですよ」
「あの……えっと……」
「ああ、別に良いんですよ。今日じゃなくても」
ベンチに座ったまま、彼女は少しばかり体を前に倒し私の顔を覗き込むようにして見てきた。
薄く開いた眼に不気味にほくそ笑んだ口元が気持ち悪い。
「唯、私は貴方の奇術が本当かどうかを見たいだけですから。いつでも、どこでも、私はそれまで待ちますから」
「あの……私の能力が見たいっていうのは確かに前回聞きましたし……それに、また講演があるからその際にでも――」
「貴女が見せてくれる奇跡は私にとってはまがい物の偽物にしか見えないのです」
私が話している最中、宇佐見は大きな声で割って入った。
「自信が無いのも判りますよ。能力を使うのにある条件とか体調とかその当たりが必ず必要だとは思いますから」
宇佐見は立ち上がると二、三歩前に行き、近くに桜の木を見上げた。
何なんだ、コイツ……。
「でもそれって、結局は偽物ということも考えられますよね?マイリベリーさん?」
「あの、言っている意味が判らないのですけれど……」
「貴女にとって今この場で見せられないっていうことは――それは偽物でまがい物であるってこと以外に何物でもないんですよ?」
「いえ、違います……私の奇術は本物の能力ですよ。だって実際に助けられた人もいますし……」
「それはこの前のパンフレットに書いてあった人達ですね?」
宇佐見は何時の間に取り出したのか、以前の講演会で広げたパンフレットを再度開き、そこの一項目を指さした。
「こんな情報に信憑性なんて無いですよ。情報を媒体に移行させた瞬間に真実は見えなくなるんですから。良い例が通販番組のコマーシャルがそうですよね。その商品を使っている人がいるけれどもその人が使ったから本当に効果があったなんて見ている人達からはわからない」
宇佐見が指している場所は、私の能力の素晴らしさについて実体験を書いたところだ。数人の年配の方々が顔写真と一緒に実体験について記載がされている。
私も書かれている内容は記憶している。『マエリベリー先生の能力によって離れ離れになっていた家族がまた一つになることができました。』とか『マエリベリー先生のおかげで救われました。』とかそう書かれている。
「何が……言いたいんですか?」
宇佐見が言いたい事を何となく私は感じていたが、あえて聞いた。宇佐見は私の方に振り返り「結局は詐欺ですよね? 」そう言い切った。
「これって、明らかに詐欺まがいの行為じゃないですか? 」
予想通りだったが、その言葉に私は背筋がサッと引いていくのが判った。
「貴女のやっていることは通販番組の広告と一緒なんですよ。本当に効果があるなんて事は、全て仕込の可能性があるんです」
「それは……」
「私は本当に助けて欲しいから貴女の能力を見たいんです。貴女が私を救ってくれると思っているから、貴女様に助けて欲しいから懇願しているんです」
「…………。」
「私は唯、事実を見たいんですよ」
ああ、そう言う事か。
先ほどまで彼女がどういう人間なんだろうと少しばかり考えていたが、ようやく判った。
彼女はテロリストのように洗脳されて右翼的な考えに固執しているという訳でもなく、感受性が高くて人の言った事をそのまま鵜呑みにしてしまう人という訳でもない。
彼女は、研究者や科学者といった筋の人間だ。実際にその現象について目の前のことを見ないと満足できない部類の人間だ。
この部類の人は右翼的かと言われるとそうではない。あくまでも自分の理想を追い求めるが、それが理に適っていなかった時点で軌道は修正される。
だから、彼女の言葉に対して私は答えることができなかった。
だって彼女の言っていることは合っている。
こう言う時の対処法は……。
「でもそれは、あくまで宇佐見さんの憶測じゃないですか! 」
口調を強く、印象付かせる為に私が怒っていると判らせる。相手を威圧するのだ。怒った相手に対して人間は臆病になるからだ。
「そう言いたいのは判りますが、私の能力が偽りだと言う証拠が何一つ無いじゃないです。貴女の言っていることは確かに理にかなっています。だけれどもそれは、あくまで憶測であって明確な答えというわけではありません」
威圧的に返す事によって、相手は急な激情で混乱する。
『何故いきなり怒るんだ?』と。
だから、相手は怒ったらひたすら謝るか逆に逆上するかのどちらかになる。
初対面の人間に対してこれをするのはどちらのパターンでくるのか判らないのでこれをやる事は望ましくない。
だが、彼女には一回会っている。先ほどの話を聞いた限りだが、彼女は急に逆上するような人間には感じられない。
相当訓練を受けているのであればこういった手法は使い物にならない。だけれども彼女はまだ学生だ。
こういった耐性が付いているとは思えない。
「何も証拠が無いのに憶測だけで全部片付けようとしないでください! 貴女の言っていることは何一つ根拠なんて無いわ! 」
そうは言ったものの、私は苦し紛れの発言をしているに過ぎなかった。
この話し合いは答えなんて出ることが無い。
証拠が無いと言ってもそれは、こちらから提示しなければそれは永遠と繰り返し同じ返答をするいたちごっこになる。
彼女がこれで引き下がってくれれば良いのだけれど――
「いやいや、そんな怒鳴らないでください。私も唯疑っているわけではないのですよ……」
宇佐見は私の怒鳴った声に、初め一瞬眼を白黒させおどおどと眼が左右に振れ出した。目蓋を少し萎縮させ、起こっている私をあまり見たくないと拒絶するような素振りをする。
「貴女みたいな人が大勢いるから困ってるのよ! 毎回毎回同じような事を聞かれて私はうんざりしてるわ! 怒鳴りたくもなるわよ」
「まあ、まあ、落ち着いてください」
「だから、落ち着けるわけ無いでしょ! 根拠があるのならそう言っていただけるのはいいですけどねっ! 」
「へえ……なるほど……」
その言葉に、私は妙な違和感を感じた。宇佐見は直ぐに「ふむ」と顎に指を沿え、足元を少し見つめ考えるしぐさをする。
何か企んでいるような素振りだ。普通の人ならそこですみませんと一言謝ることが殆どだ。
言い過ぎて相手を逆上させてしまったと錯覚してしまうから、だから謝る。
これで大体は撃退できる――そう思ったが、宇佐見は私の怒鳴り声に「なるほど」と言った。
宇佐見は私の隣にまた座ると、私の顔を見ながらこう言う。
「では、私が見つけた根拠という物を見せて行きましょうか? 」
「……えっ? 」
宇佐見は自分の鞄からノートパソコンを取り出すとその場で開き電源を入れた。と、なにやらファイルを一つ開く。
ファイルのアイコンからすると動画ファイルのように見える。
直ぐに動画の再生ソフトが立ち上がり映像が流れ始めた。
パソコンの画面にはどこかの結婚式場のような映像が流れている。
しかし、どこか変だ。
この映像の場所がどこか見たことがあるのだ。
映像は先ほどまで歩いて撮影をしていたのかしきりに上下に揺れていたが、それが今度はピタリと止んだ。
カメラが向いている先は見たことのあるステージ。
「貴女のこの前の講演ですね……実はカメラで隠し撮りをしていたんですよ」
カメラは綺麗にステージ上につけられている私の名前を映し出していた。『秘封教 マエリベリー・ハーン様講演会』と大きくでかでかとはっきり映っている。
「撮影は禁止と言われていたので怒られると思っていたのですけれども……すみませんね。それにしても最近のカメラはすばらしいですね、遠くからでも解像度抜群に良くて小さな文字まで見える。あ、ほらここです」
そう言って宇佐見が指差した場所。ステージ上で空中浮遊する私の後ろに何か金属の棒が見えている。
黒塗りをしたので光ることは無いが、何か少しばかり見えている。
「普通なら映ることは無い物が映っています。舞台の後ろからこんな棒が出ていることはまず無いです」
「……光の錯覚じゃないかしら? 」
「そうですかね?」
「映像だって加工したりすれば確証なんて無い代物じゃない。だからこういった事だって嘘になるわ」
「はははっ、確かに映像ならそう言うことが言えてしまいますね」
宇佐見は静かに再生していた動画を止めるとパソコンを閉じ、そのまま話を続けた。
「ですが、そう言った場合に何を証拠にすれば良いのですかね? 警察も裁判も、今となっては映像や音声というものに頼らざるを得ない状況になってます。確かに私は現段階で証明できる物を一通り全て出し切ったつもりです。だからこれ以上の証拠は出すことは出来ません」
はあ、と短いため息を宇佐見はついた。眼を閉じ、少しばかり誇らしげな表情をしている。
「私の全ては出し切りました。私はあの講演を目撃もしている。だからこれが確固たる証拠だと言える代物だと私の中で自負しています。これ以上の証明をするのだったら貴女の能力を見るしかないと思っていますが……いかがですか? 」
「…………。」
何だろう。すがすがしく負けた気分だ。
彼女は理論武装をして私の所に来たと言えば来た。だけれどもそれは自分の弱み以上の所も突いてだ。
映像や写真なんかで実際に起きたことを証明することが難しいのなんて彼女自身わかっている。だけれども、それを判った上で私に対して確証だと言える代物を見せてきた。
おそらく……いや、これ以上言っても多分彼女の気持ちを変えることは出来ない。
なるほど、小説や漫画で見る探偵が犯人を追い詰める時はこういう心境なんだろうなと思った。
ここで講演に来てくれと言っても再度来たところで同じことは変わることは無いだろう。今のうちに手を打って置いた方が、後々のことを考えるとそのほうが効率が良いことは眼に見えて判る。
「はあ……負けたわ」
私は、とりあえず潔く負けを認めることにした。
「仕方ないわ。見せてあげる」
「マイリベリーさん、ありがとうござますっ♪」
先ほどのいやらしい笑顔ではなく、今度は満面の笑みを浮かべて宇佐見は私の手を握った。
彼女の手は汗ばんで何か……やたらと熱い。それにしきりに何か揉み返しているような感じもする。
「良いです。やってあげます……後宇佐見さん」
私は彼女の手を強く握り返しながらこう言った。
「私の名前はマエリベリーです。マイリベリーではないです。」
3
完全に宇佐見に踊らされてしまった気がするが、今となってはもう遅い。私は宇佐見と一緒に校舎に戻ると空き教室を探した。
運良く誰もいない教室があったので、そこに宇佐見を連れ込むと扉の鍵を閉め、再度教室に私達二人以外誰もいないことを確認する。
「ちょっと状況が状況なので、大した事は出来ませんが……」
再度誰もいないことを確認する。そして、私は宇佐見を教卓まで招くと鞄の中に入れていた新品のトランプを取り出した。
「とりあえずこれを使いましょう」
私はそう言って宇佐見にトランプを手渡す。
見た目は至って普通のトランプだ。練習用として買っていたのでそこらの量販店で買える代物、値段も三百円位だったと思う。
まだ未開封のためトランプは綺麗にビニールで梱包がされていた。
宇佐見は確認する為に包装を剥ぎ取り、トランプをケースから取り出す。そして、机の上に全てのカードを広げ一枚一枚丹念に調べていった。
もちろん何も仕掛けは無い。角に色が付いていたり、印もつけてい無い。何も疑いの余地は無い新品のカードだ。
エースからキングまで、ハート・ダイヤ・クローバー・スペード・そしてジョーカーと種類も数字の順番も綺麗に並んでいる。
「じゃあ、そのカードを混ぜて三つの山を作ってください」
宇佐見にそう指示をすると、黙って宇佐見はカードを切り始めた。静かに何回もカードをリフルシャッフルし、混ぜ終わると宇佐見はカードの山を三つ作った。
同じ数だけ山を作って欲しいと言わなかったので、宇佐見が作ったカードの山はそれぞれ枚数はばらばらだ。もちろん宇佐見にカード全てを触らせているので私にもどのような順番でカードが並んでいるのか見当も付かない。
恐らく宇佐見自身も流石にわからないのではないだろうか。
「何をするんですか?」
カードの山を作ったところで宇佐見が聞いてきた。
「透視をします」
「透視……ですか?」
「今からこのカードの三つの山、それぞれ一番上に置かれているカードが何かを当てて見せます」
そう言って私は、先ほど宇佐見が作ったカードの山に手を伸ばす。
まずは私から見て右端の山、カードの山を手に取り、両手で挟み込むと何のカードが来ているのか探る。
指先からはつるつるとした新品のカードらしい滑らかな感触を感じ取た。カードを握った手を頭に付けて強くそのカードが何かを念じて見る。
眼を閉じ、少しばかり俯きながら私は何のカードが来ているのかを確かめる。
うん、何も判らない。
私はカードを一通り確認し終わると、先程授業で使っていたノートの一ページを破りボールペンで一番上のカードが何かを記して行く。
順番にカードの山を触り、カードに手を沿えるとまた再度何が書かれているかを確認する。
二つ目、三つ目の山も……もちろん何が来ているのかは判らない。最後のカードの予言をメモに書き記した後、私はメモを宇佐見に渡した。
「先ほど手を置いて一番上のカードを見ました。私の透視が出来ているのなら、このメモに書いた通りのカードがある筈です」
宇佐見に渡したメモにはそれぞれ一番上に、『ダイヤの4』『クローバーのK』『ジョーカー』と記載がされている。
「では、開けて見ましょう」
静かに私はそう言うと、それぞれの山の一番上からカードを捲る。
緊張したピリピリとする空気の中、一枚目に現れたカードは『ダイヤの4』だった。
よしっ!
心の中で私はガッツポーズをとる。
一枚目の勢いそのままに、続けて残ったカードを捲って行く。
カードはもちろん決まっている。『クローバーのK』そして最後は『ジョーカー』だ。
宇佐見を見てみると、しばし呆然とした顔で私をまじまじと見ていた。だが、すぐさま机に置かれたカードを手に取ると順番に並べ始める。
AからKまで、一枚一枚カードを並べて行くが残ったカードは先程の三枚を抜いたカードが残るだけ。
決して増えたりはしていない。
元の新品のカードが綺麗に揃っているだけだった。
まさかと思ったのか宇佐見は私の書いたメモとボールペン、そして机まで丹念に調べ始めるが机の上にはもちろん小細工などしていない。
机の上にあるのはトランプの山だけだ。
鞄は足元だし、この空き教室は先程見つけたばかりだ。
宇佐見はこの状況に「ううむ」と唸ると、顎に手を当て考え始めた。だが、しばらくして彼女は「失礼いたしました」と言い。
「いや、本当にすばらしいですっ!」と先程まで怪訝そうな表情をしていた宇佐見は拍手をして、私に笑顔を向けてきた。
「いやあ~、やはりマエリベリー様はすばらしいですね。流石は本物の霊能力者だけはあるっ!」
「いえ、そんな……」
「いやあ、すばらしかった。本当にすばらしいですよ」
宇佐見は熱の入った声でそう言うと、またしつこく手を握ってきた。
きらきらと感銘を受けてた眼で私を見つめている。
暑苦しく眼を背けたいほど顔が近いので少しばかり引いてしまったが、彼女がこれで少しばかり気持ちとして整理がつけばいいだろう。
上手く行けばこのまま宇佐見もしつこく私に言い寄ってくることも無くなる。
「じゃあ、これで私の能力が本物だと言うことが判りましたか? 」
「はい、もう疑うことも無く本物だと言うことがわかりました」
「それは――何よりです」
笑顔で答える宇佐見の顔を見て、私は内心ほっとしていた。
実はこれもマジックなのだが、これで本人が納得しているのであればそれで良い。
即興で思いついた物だったが意外にも成功したようだ。
「じゃあ、私はこれで――」と私は足元に置いていた鞄を手に取ろうとした。
「すみませんがマエリベリー様」
安堵している所で、宇佐見が私に話しかける。
「はい?」反射的に私は宇佐見の声に応えると、宇佐見は申し訳なさそうに私を見つめていた。
「折り入って一つ、ご相談したい事があるのですが……」
「……何でしょうか?」
とりあえずで話を聞いてみるが、再び何か嫌な予感がした。
「貴女様の力で、私を助けて欲しいのです」
宇佐見からその台詞を聞いて私はああ、こういうパターンなのかと呆れると同時にそう言えば助けてほしいとか何とか言っていたような気がすると思った。
「いえ……すいませんが、私には何も出来ないのです」
「いえいえ! どうしても貴女様にお願いしたいのですっ! 」
偶に、『奇跡を見てその能力がある人を自分の専有物のように扱いたい人間』がいる。
昔、そんな人と接する機会があって困ったことがあった。その人と付き合ったばっかりにストーカーに発展して、最終的には誘拐未遂事件にまで発展しそうになった。
今は極力表に出ることも避け、怪しい人物と交流する事も避けていたから私がそう言う事件に巻き込まれることは無くなったが、そういう人間が全て消えたわけではない。
「……あの、そう言うのはちょっと……」
そう宇佐見に言うが、彼女は一層私の手を固く握り締め、私の眼をまじまじと見つめる。流石に粗い鼻息が顔にかかってきたので暑苦しく顔を逸らした。
宇佐見は恐らくそう言った人間とは少し違ってまともな感じかも知れないが、私にとっては同じだ。どちらにしても私を良い様に使いたいだけに違いない。
宇佐見の考えだと恐らくだが、何か実験でもしたいような雰囲気を感じた。
「いえ……はぁ……」
私はうろたえる素振りを見せながら、何とか彼女の手を振りほどこうとするが、暑苦しい手は中々振りほどくことが出来ない。
そもそも今回はあくまで宇佐見をなだめるだけにするつもりだったし、宇佐見の為に何かをやると言うことは論外だ。
「どうか! どうか私に力をお貸しください! 」
ああ、もう良い。
オーライ、オーライ。
お帰りいただこう、そうしよう。
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C84の新刊作品でサンプルになります。入稿も終わりましたので問題が無ければ配布する予定です。去年の夏コミで配布した『Sirius #0』の続編?でドラマ『SPEC』『TRICK』と東方のクロスオーバーみたいな作品です。表紙はキヨみんさん【PixivID:131779】に描いていただきましたっ!
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引用先:著者/ダンテ・アリギエリ 翻訳/山川 丙三郎 1982(昭和57)年1月20日第24刷 岩波書店「神曲 03 天堂」 青空文庫より
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