No.60214

曹嵩という人がいた ―前編―

予定だと次は穏話のはずだったんですけど、急遽書きたくなって華琳の話です。
そういうことってあるよね。

しかも前後編になってしまいました。どうしてもテーマ起こして筋道立てて書くとこんな長さになってしまいます。

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2009-02-25 20:44:32 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:11181   閲覧ユーザー数:8721

「どうしたんだッ!」

 

 俺が厨房に飛び込んだとき、そこには胸を押さえて呻き苦しむ華琳の姿があった。

 

「華琳ッ!」

 

 悲鳴に近い叫び声で華琳に駆け寄る。傍らには親衛隊である季衣と流琉が、蒼白な顔で立ち尽くしていた。

 一体何があったんだ。

 俺は華琳を抱き起こすと、額に手を当てる、……凄い熱だ。

 厨房の床には、華琳が苦しみ紛れに 倒したのか、調理道具や食材が無秩序に散乱していた。

 

「あの、兄様…ッ、華琳さまが、今日は新しい食材を見つけ出そうって仰られて……」

 

 流琉が震える声で言う。

 

「それで、森の中から色んな珍しい木の実や草を集めてこられて、調理をしては味見してたんです。……そしたらいきなり!」

 

 苦しみだしたって言うのか。

 バカヤロウ、自然を舐めやがって。森林に生えている植物なんて、何がどんな毒をもっているかわかったもんじゃないんだぞ!本職の狩猟者だって見分けるのは難しいってのに……!

 

「北郷!そんなことはいい!華琳さまのこの症状、お前の天の知識で何とかならないのか!」

 

 俺をここまで連れてきた春蘭がヒステリックに叫ぶが、医者でもない俺に専門的なことは何もわからない。

 結局俺も、最初からいた季衣、流琉、春蘭らとともにアワアワ取り乱すだけだったが、そうしているうちに華琳の症状は見る間に深刻さを増し、息は乱れて汗は噴出し、さも苦しげな呻きまで漏れ出す。

 

「う…、ああ、……くぁあああ………!」

 

「華琳、しっかりしろ華琳!……くそっ、とにかくこれが毒のせいだって言うんなら、食べたものを全部 吐き出させるしかない!」

 

「しょ、承知した!……華琳さま、御無礼を!」

 

 春蘭が、華琳の口に指を入れようとするが、それすら跳ね除け華琳はのたうつ。

 

「うあ、うあああああ……!」

 

「華琳!」

 

「華琳さま!」

 

「華琳さま!」

 

「華琳さまァァァッ!!」

 

 

 

 

「うああああああああああああああァァァァァァァァッッ!!!!!」

 

 

 

 

 最後には、華琳は空気を裂くような絶叫を上げ、眼窩が窪むほどの強い力で自分の顔を手で覆い、背骨を海老反りにしてビクビクと痙攣した。皆すべて尋常ではない。

 

 やがて、あらゆるすべての症状が潮が引くように治まると、華琳はそれまでの苦しみが嘘であったかのように静まり、厨房の床の上にグッタリと横たわった。

 

「華琳…、華琳……?」

 

 俺は恐る恐る、華琳の身を揺さぶる。

 やがて華琳は目を開けた。春の日の、午睡からの目覚めのように やすらかな覚醒。

 

「おおっ」「華琳さま…!」「よかった!」

 

 他の三人も、その華琳の健やかな目覚め方にホッと胸をなでおろす。

 

「よかったぁ…!もしこれで華琳さまにもしものことがあったら、私どうしようかと……!華琳さま、もうこんな、見も知らない草木を味見するのは やめましょうね…!」

 

 安心したせいか、流琉がやたらと饒舌に華琳に話し掛けた。

 しかし当の華琳は、その話を聞いているのかいないのか、「ぼうっ」と表情定まらすにいる。

 

「華琳さま?」「華琳さまぁ…?」

 

 流琉と季衣が心配げに華琳の顔を覗きこんだ。

 

 

「おねえちゃんたち……、だれ?」

 

 と、華琳は言った。

 瞬間、そこにいる全員が凍りついた、呼吸をも忘れるほどに。しかし次に、春蘭がいち早く二人を押しのけて、華琳の両肩を掴む。

 

「華琳さま!私のことは おわかりになりますか?春蘭です!アナタの第一の忠臣、魏武の大剣 夏候元譲ですぞ。わかりますよね華琳さま!」

 

「しゅん、らん…」

 

 華琳はやはり茫洋とした表情だったが、次の瞬間パッと顔を輝かせて、

 

「しゅんらんちゃんッ!」

 

「ええっ?」

 

「しゅんらんちゃん しゅんらんちゃん!いつ らくように あそびにきたの?きょうは おうちに とまってくの?」

 

「あああ、あの、華琳さま………?」

 

 この世の終わりみたいな顔で華琳のことを見詰める春蘭。しかし当の華琳は相手の動揺など意に介さず、無邪気に春蘭ちゃんが遊びに来てくれたことに浮かれ喜ぶ。

 

 そして極めつけ、ここにいる最後のメンバー、即ち俺へと視線を移すと、

 

「爸爸(パパ)!」

 

「ぱぱッ?」

 

「ねえパパ、しゅんらんちゃんが おとまりに きてくれたよ!きょうは よるまで しゅんらんちゃんと あそんでていいよね?いいでしょっ、パパ!」

 

 俺たちは そんな華琳を凝視して、どうすればいいのかと途方に暮れるのだった。

 

 

 

 

 ―――こういう時、殴り合い担当の春蘭や季衣では頼るに心許なく。

 やっぱり助力を求めるべきは冷静な秋蘭、博識な桂花となるわけで―――。

 

「…………忘却草ね」

 

 呼び出されたボクらの軍師・彧サマこと桂花は、厨房に散らばった食材と華琳の症状を照らし合わせて そう結論付けた。

 

「ぼうきゃくそう、というと……?」

 

「ああもうッ、人語を理解できないブタねッ!その名の通り、食べた者の記憶を消してしまう薬草のことよ!」

 

 記憶を消すッ?

 そんなものが存在するのか古代中国にはッ!

 

「この荀文若さまが一から説明してあげるから、その隙間だらけの脳ミソに がんばって情報を詰め込むことね!……この『神農本草経』によると、忘却草は 桃源郷の境に生える草で、俗世から来る者の俗なる記憶を忘れさせるためにあるそうよ。それを口に入れると……」

 

 俺は視線を下に落とす。

 そこには、俺の膝の上に ちょこんと座って、足をぶらぶら揺らす華琳がいた。

 

「ねぇパパー、おはなしまだー?」

 

 どうやら退屈らしい。

 

「ああ華琳さま……、麗しいアナタ様が、なんという痴態を………」

 

 桂花はうなだれる。彼女にとって、心の覇王ともいえる華琳のこの幼い仕草は、見るに忍びないものなのだろう。

 

「ああ、でもこれはこれで……」

 

 イヤどっちなんだ。

 

「ええと、…つまり華琳は、忘却草のせいで自分の人生の十数年間を忘れ、幼児退行を起こしてるってことか?」

 

「サル頭にしては理解が早いわね、その通り、恐らく今、華琳さまの英邁かつ高貴な頭脳の中には、哀れなことに生まれてから数年間の記憶しか残ってない。今の華琳さまは何年か前の、純粋で、純白で、純情な幼年時代の華琳さまになってしまったのよ!」

 

 やたら修辞句が多くてわかりづらいが、今の華琳は忘却草という摩訶不思議植物の効能によって記憶を失い、4~5歳の子供の頃の華琳に戻ってしまったということか。体は、その、それなりに発育したアレのままで。

 

「でもそれって、とりあえず命に別状はないってことだろ?ならひとまずは安心……」

 

「できるかッ!」

 

 脇から春蘭が吠える。

 

「この戦国乱世の時代に、そんな のんびりした考えでいられると思うのかッ?今の華琳さまの状態を知られてみろ、劉備や孫策どもがこぞって攻め込んでくるぞ!」

 

「…姉者の言う通りだな、華琳様のこの状態は、ただちに平癒させるべきだ。一刻も早く」

 

 秋蘭も追従するように言い添える。

 

「桂花、お前のことだ、すでに対策も立ててあるのではないか?」

 

「さすがに猪姉とは違うわね、秋蘭。……御名答よ。鮨魚(けいぎょ)という魚がいるわ、頭が犬、体は魚、鳴き声は子供という怪魚なのだそうよ」

 

「パパ、こわい~」

 

 華琳がお化けを怖がる子供のように俺にしがみつく。

 

「その魚の肉には、狂気を直すという効能があるらしいの。それを元にして華佗に華琳さまを正気に戻す薬を処方してもらうわ。私はこれから その魚を狩ってくる!」

 

「狩るんだ……」

 

「ちょっと待て、狩りに行くなら我々が出向いた方がよくないか?ひ弱な桂花にはとても適任だとは思えないのだが……!」

 

 と、春蘭が言うのも至極もっともなことなのだが…。

 

「アラ、そんな状態で何処へ行くって言うの、春蘭?」

 

 桂花が指摘するとおり、俺の膝の上に座っている華琳は、その右手で春蘭の袖を、その左手で秋蘭の袖を掴み、まったく放す気配がない。これでは秘薬の材料を狩に行くどころか、トイレだって どうやって行けばいいか……。

 

「やー、しゅんらんちゃんも しゅうらんちゃんも かりんとあそぶのー。どっかいっちゃ めー」

 

「うぬぬぬぬぬ……、か、華琳さま……」

 

「と、いうことだ姉者、今回、我々のすべきことは既に決まっているらしい」

 

 秋蘭はその辺既に観念しているようだった。

 

「自分の立場がわかったら、あとは大人しく この荀文若に任せておくことね。大丈夫よ、肉体労働になれば この二人がいてくれるから」

 

 季衣と流琉が身を乗り出す。たしかにこの二人が付いていてくれれば、頭脳派の桂花でも珍獣を捕らえることができそうだ。

 

「ウン、任せて兄ちゃん。ボク、絶対その変な魚 捕まえてやるから!」

 

「そもそも この事態、私がもっと強く華琳さまを止めていれば起こらなかったかもしれません。この失敗は、桂花さまのお手伝いをすることで雪いで見せます!」

 

 二人ともやる気満々だ。

 

「あと重要なのは、私たちが戻ってくるまで華琳さまの幼児返りには緘口令、絶対に秘密を外に漏らさないこと。理由はさっき誰かが言った通りよ!」

 

「おお、私が言ったヤツだな。敵に攻める隙を見せないためだ!」

 

「誰かが言った通りよ!」

 

「認めろよ!私が言ったんだぞ!」

 

「その間、華琳さまのお世話は秋蘭と春蘭と全身精液男に任せるわ、何故か麗しい子供になってしまわれた華琳さまがアナタたちに懐いているからね。……でも北郷!」

 

「な、なんだよ?」

 

「華琳様が子供化して普段の正確な判断力が鈍ってるのをコレ幸いと、いやらしいことをしたらダメですからね!」

 

「しないよ、さっさと出発しろ!」

 

 こうして、華琳の突飛な症状を治すために、桂花、季衣、流琉のパーティーは珍獣探索へ旅立っていった。

 

「ねえねえ、パパ」

 

「ん?」

 

「あの ずきんの おんなのこってナマイキ、ちょうじょうさまにいって、かんいを もらえないように てまわししとこうね!」

 

 しかし桂花はあまり報われていなかった。

 ところで華琳、4~5歳児の頭脳しか持ってないのに官位とか手回しとか、なんでそんなに腹黒いんだよ。

 

 

 

 こうして、子供化した華琳とすごす、奇妙な一日が始まった。

 

 人間の脳とは不思議なもので、5歳児に戻ってしまった彼女の周囲は、すべてが彼女にとって都合よく設定しなおされているらしい。

 その際たるものが春蘭と秋蘭で、5歳当時から華琳と面識のある この二人は、華琳の中ではそのまま お友達の春蘭ちゃんと秋蘭ちゃんのままだ。

 対して当時面識のなかった桂花、季衣、流琉は、見た目の年齢どおり「知らないお姉ちゃん」になる。

 もともとのスペックが高いせいか、うまく処理する脳である。

 そして最後、残るのは俺一人であるのだが……。

 

「どーして俺だけ別人と認識させられてんのかな……?」

 

 ここは城内の中庭。

 子供華琳の遊び場として指定されたこの場所は、出入り口を親衛隊に固められ、猫の子一匹入る隙はない。華琳は芝生の上をパタパタ走りつつ、ときに こっちを向いて「パパーッ!」と手を振っていた。

 

 今日の政務、華琳は病欠ということで人目に出ることを避けた。

 最初 春蘭が、「華琳さまは、顔が赤くなったり青くなったり黄色くなったりする病気」と無茶振りな説明をしていたため、俺が見かねて「生理が重い」と訂正しておいた。

 どちらにしろ あとで殺される気がする。

 

「なんで俺は『パパ』なんだろうなぁ……」

 

 俺が独り言のように呟くと、隣に座っている秋蘭が笑う。

 

「それはきっと、似ているからだろうさ」

 

「似てる?俺が華琳の親父さんと?」

 

「ああ、そうだろう姉者?」

 

「え?そうか?北郷には曹嵩さまのように髭も生えてないし、皺もないではないか」

 

「イヤ…、そういう表面的なことではなくてだな……」

 

 曹嵩(そうすう)、華琳の親父さんの名前か。

 

「それよりも北郷、お前が何故 曹嵩さまと混同されているのかは知らん。だが今の華琳さまにとってお前が曹嵩さまであるなら、必ず約束しなければならんことがある!」

 

「そうだな、私もそれを いつ言おうかと思っていたところだ。北郷、聞いてくれるか?」

 

「お、おう」

 

 春蘭、秋蘭が揃って俺へ勧告。よくわからないが、当時の華琳を知る数少ない人物として、助言として受け取っておこう。

 

「いいか、まず一つ、どんなイタズラをされても華琳さまを叱るな」

 

「はっ?」

 

「むしろ、イタズラをされたら華琳さまを褒めてくれ。具体的に、そのイタズラのどういう部分が精妙であったとか評価を添えて」

 

「なんだその採点シートッ?」

 

 俺が当然の疑問を吐き出そうとしたその時、芝生で遊んできた子供華琳が駆け寄ってきた。

 

「パパ、パパーッ!」

 

「早速来たな、頼むぞ北郷……」

 

 秋蘭が俺の背中を押す。やむなく俺は華琳へ腰をかがめ、

 

「ど、どうしたんだい、華琳?」

 

「んとね、んとね、パパにコレあげるーッ!」

 

 バッと差し出したのは、何かと思えば花束のように まとめられたクローバーの一房だった。この土地に四つ葉のクローバーが縁起がいいとかいう文化があるのかは知らないが、華琳の小さな手の中でまとまるクローバーは、緑一色ながらそれなりに美しくて風情を感じる。たまにはこういうのもいいか、とか。

 

「へぇ、華琳はいい趣味してるな」

 

「パパ、パパ、におい かいでみて!」

 

 華琳の求めるままに花を近付けてみる。鼻に香るのは、花の濃厚な甘さではなく、草の瑞々しさだ、主役をはれるほどではないが、コレもたしかに……。

 ブゥーーーーーン。

 

「ぶぅーーん?…うわはッ!?」

 

 俺は突如ひっくり返った。匂いを嗅ぐために鼻を近付けたクローバーの束から、何かが勢いよく飛び出したからだ。

 それはバッタだった。

 青い外皮に、すんごい長い後足をもった節足虫が、ブブブン、と羽を鳴らして俺に迫る。

 クローバーの葉の陰に隠されていたそれは、見事に鼻に直撃して、ブザマに俺、すっころぶ。

 

「キャハハハハ!わーいわーい!」

 

 それを眺めて大成功!とばかりに笑う華琳。

 

「こらっ、華り……ッ!」

 

 俺は咄嗟にイタズラを諫めようと声を上げた。悪いことをしたらすぐ叱る、それが北郷家の家訓だからだ。

 しかし、そうしようとした瞬間、背筋に冷たいものを感じた。

 二つの視線が突き刺さる。

 ホンゴウ、オマエハ サッキ ヤクソク シタコトヲ、モウ ワスレチマッタノカイ?と。

 

「……………」

 

 息、吸って吐く。

 

「………華琳は、上手いことするなあ。そうして俺に、驚きをプレゼントしたかったのかい?」

 

「うん!」

 

 華琳は満足げに頷く。

 それから、アレだ、もっと具体的に褒めろだっけ?

 

「…えっと、ただバッタを出すだけじゃなくて、あえて草の束に隠すところとか工夫が見えるよな。その場合普通だと花束だけど、バッタの青を隠しやすくするため あえて緑の草だけで覆った辺りが芸が細かい」

 

「うん!うん!」

 

 華琳はますます満足げに頷く。

 どうだ、満足か?俺は後ろの二人へ振り向いた。

 

「うむ、よくやった」

「見事だ北郷。貴様の背中に男を感じた」

 

 ねぎらいの言葉どうも。

 

「さて、北郷も説明が欲しいところだろう。……姉者、頼めるか?」

 

「よかろう!…華琳さま、ほんご、いえ、父上さまはお疲れのようなので私が遊んで差し上げましょう。ささ、あちらへ」

 

 春蘭は、俺に呼吸を整える時間を確保させてやるために、華琳の遊び相手になろうとする。しかし…、

 

「やだーっ、かりんはパパと あそぶのーッ!」

 

「華琳さま、そう仰られずに、私と遊んだ方が ほんご…、ゲフン、父上より楽しいですぞ」

 

 と春蘭は必死に華琳の興味を惹こうとするものの、

 

「そんなことないもん、しゅんらんちゃんよりパパと あそんだほうが まんばい たのしいに きまってるもーん!」

 

「そんなっ!」

 

 子供の率直な一言はときに大人を傷つける。

 

「それに、しゅんらんちゃんてば、『あそんであげる』なんて なんだかエラそう。しゅんらんちゃんのくせに、いつから わたちに そんなくちがきけるように なったの?」

 

「あの、それは…華琳さまぁ……」

 

 おい、今の華琳5歳児だぞ、なに押されてるんだ春蘭。

 

「いいもーん、しゅんらんちゃんと あそぶくらいなら、かりん ひとりであそぶー」

 

「お、お待ちください華琳さま!」

 

「なーに?しゅんらんちゃん?」

 

「あ、あの……」

 

「いいたいことが あれば はやく いってー。かりん いそがしいのー」

 

「お願いです華琳さま!どうか私と一緒に遊んでください!」

 

 嗚呼、哀れ春蘭。

 

 

 

「はいよー!そうこうひでんーッ!」

 

「ひ、ひひーん!」

 

 どうやら遊びの種目は お馬さんごっこに決まったようだ。馬役の春蘭が さも哀れ。

 

「……なんつーかさ」

 

 そんな春蘭の悲哀を眺めつつ、俺は呟く。

 

「華琳って、実際に昔もああいう子供だったのか?」

 

「ああ、まるでそのままだ。あまりに そのまま過ぎて、私自身も十数年前に帰ったようだよ」

 

 秋蘭が感慨深げに言った。

 

「ふ~ん、そっか……」

 

「どうした北郷、なにやら腑に落ちぬ様子だな」

 

「いや、ちょっと意外かなって」

 

 俺の想像する子供の頃の華琳といったら―――――、

 

 

 

 サンタ?そんなのいるわけないじゃない。

 

 

 

 ―――――とか見下すように言う こまっしゃくれたガキとしか想像できないのだが。

 

「三太?なんだそれは?」

 

「…いや、なんでもない」

 

 ここでは通じないネタだったか。他にも、

 

 千葉に住んでいるネズミの中にはアルバイトのお兄さんが入っているのよ。

 とか、

 

 縁日でヒヨコを買ったって、ニワトリになったら飼いきれずに捨てるしかないのよ、しかも全部オンドリよ。

 とか、

 

 赤ちゃんは お父さんとお母さんがセッ……、

 いやいやいや、

 

 とにかく言いそうじゃね?子供の頃の華琳って。

 

「北郷の言う話の内容は理解できんが、大まかなところはわかる。だがな、華琳さまはアレで意外と わんぱくで明るい子供でいらしたのだ、まさしくあのように……」

 

 と秋蘭の指差す向こうには、

 

「ああっ!華琳さま!いくらお馬さんごっこだからって!いたっ、竹鞭で、お尻をぶたないでくださッ、ああっ!お尻がッ!なにか変……ッ」

 

 …………。

 無視しよう。

 

「昔の華琳さまが お転婆であられたのも、やはりお父上である曹嵩さまの影響が大きいだろうな。子供時代の華琳さまは、よく皆があっと驚くようなイタズラをされたものだが、曹嵩さま叱ることなく、逆に華琳さまを褒めちぎったのだ」

 

「さっきの俺みたいに?」

 

「いやいや、あんなものではないぞ。曹嵩さまは、華琳さまのイタズラで御自分が墨で真っ黒になったり粉で真っ白になっても、そのイタズラの工夫を取り上げ、軍師のような妙策だと褒めちぎったものだ。それで、こんな頭のいい子はきっと将来博士か大臣になるぞ、と親戚中にふれまわってな」

 

「なに、その親バカ?」

 

「実際 曹嵩さまも愛娘の華琳さまが可愛くて仕方なかったようだ。そして華琳さまの幼いなりの明敏さをも愛されたのだろう。そして当時の華琳さまも、そうやってお父上に褒められるのが嬉しくてたまらず、次のイタズラに更なる工夫を凝らしていった。たとえばホラ、そのように……」

 

「え?……うおッ!」

 

 気付けば、いつの間にやら春蘭にまたがった華琳が、俺の目の前まで接近していた。

 

「はいよー、わが あいば しゅんらんーッ!てきたいしょうへ とつげきーッ!」

 

「ひ、ひひーん!」

 

 春蘭はほとんどヤケクソのような顔で俺目掛けて突進すると、四つん這いのまま俺の胸部に猛牛の如き頭突きを食らわす。

 

「ぐふおッ!」

 

 畜獣と成り下がっても魏随一の武将、不意を突かれた俺に彼女の攻撃を避けられるわけもなかった。

 押し倒されて、踏みつけられ、

 

「てきたいしょう、パパうちとったりー!」

 

 子供華琳は馬上にて高らかに宣言するのだった。

 

「は、はは……、華琳は馬の扱いが上手いなあ、コレは将来 立派な武将になるぞぉ……」

 

 慣れてきたので、俺も秋蘭に指摘される前に賞賛の言葉を用意できた。

 

「ほんとー?りょうしゅうの、きばむしゃ みたいだった?」

 

「ああ、華琳だったら どんな騎馬武者にも絶対負けないさ」

 

「わーい、わーい!」

 

 華琳は喜び勇んでまた春蘭を駆って行った。……というか春蘭がこのままではDMCのライブに出演できそうになってしまうんだが。

 

「……ったく、これでいいのか、秋蘭?」

 

「上出来だ、と言いたいところだが。本物の曹嵩さまは もっと上をいくだろうな」

 

「なに?」

 

「『こんな小さいうちから騎馬に興味を覚える華琳は、きっと末は大将軍になるぞ!』と親戚中にふれてまわるだろう」

 

「そんな親バカ聞いたことない!」

 

 どんだけ華琳至上主義なんだ その曹嵩パパというのは。

 

「だがな、そんな曹嵩さまだったからこそ、華琳さまはあの方のことが大好きだったのだ。……なあ北郷」

 

「なに?」

 

「今の華琳さまが、お前のことを曹嵩さまだと思っているうちは、けっして華琳さまのことを叱らないでくれ。華琳さまの あの頃の夢を、壊してほしくないんだ」

 

「……………」

 

 俺は秋蘭からの真っ直ぐな眼差しを受けた。

 

「………わかった」

 

 その眼差しを真っ向から受けて、俺は頷いた。

 

「俺はその曹嵩って人のことは知らないけれど、その人が華琳のことをどれだけ愛していたのかは、秋蘭の話でなんとかくわかったよ」

 

 子供華鈴が、そんな曹嵩パパを俺に重ねてくれるなら、それは光栄なことだ。俺はたとえ この身が墨や粉やクリームや一斗缶塗れになろうとも曹嵩パパを演じ、子供華琳の期待に応えることを誓う。

 

「…ありがとう、北郷」

 

 秋蘭は満ち足りるように笑った。

 

「それより秋蘭、お前ものんびりしてないで華琳の相手をしたらどうだ?そろそろ春蘭一人に任せておくのも限界だぞ?」

 

 向こうから「華琳さまー、お尻をぶつのは、もうかんべんしてー」と泣き声が聞こえてくる。

 

「おや大変だ、姉者が変な性癖に目覚める前に 助けて差し上げねばな」

 

 秋蘭は芝生の草を払いながら、幼き日をともに過した仲間の下へ行くのだった。

 

 こうして俺たちは、しばし昔に帰って遊びに楽しむ。

 

 

 ――後編へ続く


 
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