No.600942

真・恋姫無双 EP.113 呪縛編(1)

元素猫さん

恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
楽しんでもらえれば、幸いです。

2013-07-24 02:00:15 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:2296   閲覧ユーザー数:2196

 気がついた時にはもう、暗い、暗い闇の中だった。押し殺すほどの感情もなく、ただ、軽薄な空気の中で息苦しさを感じるばかりだった。

 なぜここにいるのだろうという、疑問すらも湧き上がらない、混濁し、緩慢な時間の流れ。一日が過ぎるたびに、背中に重しを乗せられているような不安感が募った。

 

「おはようございます」

 

 決められた朝のあいさつ。物腰も丁寧で、腹の立つような事もない。細心の注意が払われた囲いの中で、彼はただ、カラクリの一部であるかのように淡々と過ごす。

 

(何で僕は生きているんだろう)

 

 誰でもいい。必要とされているのは、自分自身ではなく、その名に付随する肩書きだけなのに。生きる意味はただ、そこに居るというその事実だけだ。

 

「すばらしいです」

「さすがです」

 

 向けられる賛美は、安っぽく作り物めいたものばかり。心に響く事も無い。

 

(ここが僕の世界。狭く、薄汚れた、狡猾で人の顔色ばかりを伺うだけの人々が住む場所――)

 

 すべてを諦めて、心を堅く閉じる。いつか時間が、この命を奪うまで。そう思っていた彼の前に、彼女が現れた。

 中庭の池をぼんやり眺める彼に、彼女は偽りのない笑顔で話しかけてくる。

 

「私と、お話しませんか?」

「君は……誰?」

 

 彼が不思議そうに訊ねると、彼女は慌てた様子でぺこりと頭を下げた。

 

「ごめんなさい。自己紹介が先でしたね。私は董卓と言います、劉協様」

 

 それが、二人の初めての出会いだった。

 

 

 訓練を終え、汗を拭いながら愛紗は心配そうに桃香の天幕に視線を向けた。

 

「もう、五日か……」

 

 具合が悪いようで、天幕に引きこもったまま一度も顔を見せていない。食事は取っているようだが、食欲はあまりないようだ。

 

「こんな事は初めてだな」

 

 体調管理は誰よりも厳しい上に、多少の無理をしてでも他人の診療をするような義姉だった。これほど何日も寝込むような事は、少なくとも愛紗が桃香と出会ってからは一度もない。

 

(心労も溜まっていたのだろう。よし!)

 

 愛紗はすぐに身支度を整え、桃香の見舞いに向かった。

 警備の兵士に挨拶をし、天幕の入り口で声を掛ける。

 

「桃香様、愛紗です。お体の具合はいかがですか?」

 

 しかし返答はなく、愛紗はもう一度声を掛けてから、そっと中に入った。中は薄暗く、端の方に布団に包まる桃香の姿があった。

 

「桃香様?」

「……愛紗、ちゃん」

「はい」

 

 弱々しい声が聞こえ、愛紗は答える。布団からは頭だけが覗いていた。

 

「具合はいかがですか? あまりにお辛いようなら、医者に診てもらった方がよろしいかと思いますが」

「うん……ありがと。でも、大丈夫だから」

 

 少し強めの口調で、桃香は診察を断った。愛紗は何か言いしれぬ不安を覚える。一言でいえば、『らしくない』のだ。

 

 

 心配を掛けているということへの、申し訳なさがあった。けれどそれでも、今の自分の姿を他人に見せるわけにはいかない。

 

「一人にしておいて」

 

 わざわざお見舞いに来てくれた愛紗に、冷たくそう言うしかない桃香だった。布団の中で、静かに帰って行く愛紗の足音を聞く。一歩一歩遠ざかるたびに、胸が痛んだ。

 

(それでも、この右手は見せられない)

 

 剛毛に覆われた、化け物の醜い手。左手よりも二回りほど大きく、指は節くれだっていた。

 

(でも、もうこれ以上は隠しきれないかも知れない……どうすればいいんだろう)

 

 出口のない苦悩の中に桃香はあった。いくら考えても打開策は見つからない。

 

「そろそろ、諦めたらどう?」

 

 不意に、声が聞こえた。驚いて布団から桃香が顔を覗かせると、いつの間に忍び込んだのか、劉協の姿があった。

 

「一生、そうやって身を隠し続ける気かい?」

「……」

「まあ、なかなか踏ん切りがつかないだろうね。仕方がないから、協力してあげるよ」

「えっ?」

 

 驚いた桃香の体が、勝手に動き出す。

 

「その右手には僕の血を使って、術を掛けてあるんだよ。呪いを発動させるための術がね。そのお陰で、こうやって自由に操ることが出来るんだ」

 

 劉協は無邪気な笑みを浮かべ、ゆっくりと布団から出る桃香に告げた。

 

「嫌……やめて!」

「だめだよ。さ、行こうか」

 

 

 右手を隠すことも出来ない桃香は、自分の意思に反して天幕の外に出た。劉協は彼女のすぐ後ろで、楽しげに笑みを浮かべながら付いて行く。

 

「劉備様……!」

 

 警備の兵士が桃香に気づいて振り向き、その顔を強ばらせた。視線は、あまりに不釣り合いなその右手に向けられる。

 

「見ないで……」

 

 隠そうと身をよじるが、すぐに劉協によって戻されてしまう。

 

「領主をそんな目で見るなんて、失礼な兵士だね。桃香、こんな奴らは全員殺しちゃおうよ」

「――!」

 

 劉協の言葉が終わると同時に、桃香の右手が振り上げられる。鋭い爪は、十分な殺傷能力があった。

 

「逃げて!」

 

 桃香は叫びながら、その右手を兵士に向けて振り下ろした。兵士は咄嗟に身を引き、爪が頬をかすめる。

 

「ひっ、た、助けて!」

「あははははは!」

 

 逃げる兵士の姿を見て、劉協は嬉しそうに笑う。対して桃香は、辛そうに顔を歪めた。

 

「もう……やめて……」

「まだだよ。ほら、あそこに次の標的がいるじゃないか」

 

 そう言って劉協が示した先には、先ほど桃香の天幕を追い出された愛紗が、星と二人で話をしている姿があった。

 

「ほら、大事な義妹に君の新しい姿を見せてあげようよ」

 

 劉協に背中を押され、桃香は抗うことすら出来ずに愛紗たちのいる方へ歩き出した。


 
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