三日目:恋人
華琳SIDE
朝、迎えに来た車に乗った一刀はとにかく機嫌が悪かった。
朝起きてからずっと無言のまま車の中でも窓の外側を見るだけでこっちに視線もくれない。
「そこまで嫌なの?」
「……」
こんな調子で何を言っても返事がない。
これじゃ無理言って行こうと思った意味が薄れてしまうんだけどね。
私が知っている一刀は無謀な上に人にまでムチャぶりを押し付けることはあろうとも無責任とは縁が遠い。
ちょっと驚いていることはそんな彼が自分が率いていた会社そのものに興味を失せていると言う淡白な感想を部下の前で述べたこと。
幾ら彼の中での時が流れたとは言っても部下たちにとって彼はまだ自分たちの長であることは間違いないだろう。
にも関わらず彼の口調には彼らに対しての尊重などがまったくなかった。
「はい。直ぐに…Mr.北郷、Mr.チョイからの連絡です」
その時、騎手が白い手袋をつけた手で一刀に何かを渡した。
一刀はそれをもらってから横顔に近づけた。
「俺だ」
『社長、チョイです。今本社の門前で大勢の記者たちが待機しています。どこから聞きつけたのか…』
「お前が俺の門前で半日座っていた時点で静かに行くことは諦めた。」
そしてそれに向けて声を出し始めた。
そしてなんとそのカラクリからは、昨日会ったチョイの声が漏れて聞こえていた。
「ちょっと、何なのそれは…」
『とにかく、駐車場周りはなんとか道を確保しています。それと、曹操さんに関しては…』
「それは俺がなんとかしよう。じゃあ…」
彼がカラクリを顔から離すと直ぐに声がしなくなった。
「離れた人間と話を通じ合える道具だ。電話…最近はスマートフォンという」
「すまぁとほん?」
ものを見ずに聞いたらどんな内容の本なのかと聞き返していたぐらいに訳の分からない名前だった。
「着いたな」
彼の言葉に窓の向こうを見ると、壁にAEPサイエンスと書かれた灰色の大きな建物が見えた。
そしてその下には、大勢の人が私たちを待っていた。
「華琳、あいつらは記者だ。お前の前に眩しいほどの光を浴びらせたり、しつこく付けて質問などしようとするだろうけど一言も喋るな。後、身体的接続で道を塞ごうとする場合でなければ相手にするな」
「…取り敢えず判ったわ」
「……はぁ…」
一刀は本当に面倒そうに深くため息をついた。
50名のほどの人間が車の近くにまで走ってきて一刀の言った通り白い光を出すカラクリをこちらに向けていた。
目が眩しすぎて私は目を閉じて視線を逸らした。
「うっ」
そのままゆっくり車が進むと、建物の入り口の前で黒い服を着た人たちが入り口までの道を確保していてその前にはチョイが立っていた。
車は私の方が建物の方に行くように停まり、一刀は私に座っていろと言って先に車から出た。
彼が出た途端外の記者だちが我が先と彼の前に集まった。
--Mr.北郷今までどちらに居られたのでしょうか。
--行跡を消した原因はやっぱり妻の死でしょうか。
--会社の経営は放棄するつもりですか?
--何か言ってください、Mr.北郷!
続く質問に一言も応えることなく、彼は私の方の門を開いた。
その瞬間、窓越しでも眩しかった光がもっとまぶしく私の目に刺さった。
「っ」
「行くぞ」
彼の手を取って私は車から降りた。周りから私が何者か聞いてくる記者たちの声と光がうるさい。
「社長、早くこちらに!」
チョイが中に案内する中私たちは建物の中に入ろうとした。
その時黒服の警備人たちから抜けだした一人の記者が真正面から私たち二人にカラクリを向けた。
--Mr.北郷、前妻の死一ヶ月も経たずに新しい女を連れ込む。これはいい記事になりそうだ。
「…!!」
その記者の口から漏れたその暴言に、事前に彼からの言質があったにも関わらず私はその無礼な輩を懲らしめようと思い潜んでおいた大鎌に手を付けた。
が、
「んなっ!!」
「…ふん」
一刀の脚が記者が持っていたカラクリを蹴りあげ、破片が散らばりながらカラクリは宙へ浮かんだ。
「な、なんてことを…!」
記者の声なんてものともせず彼は地面に転んだ壊れたカラクリに追い打ちを駆けた。
くしゃっと音を立てながら文ジリられたカラクリはもう元の形を失っていた。
「なあああ!!」
「…このメモリチップはいただこう。壊れたカメラは市価で弁上する。が、今直ぐにそこをどかなければ金で償ってもらえぬものまで失ってしまうだろう」
「こ、こんな真似をしてただで済むと思うのか?言論の自由を…」
「ならその自慢の言論の自由を使ってみろ。使えたらな、XTW誌の記者よ」
「……!!」
「あと…
退けっつってんだろうが」
彼はそう言うと同時に放心している記者の腕を掴み私たちの後ろにたたきつけた。
「ぐはっ!」
「…ふん」
「しゃちょお!!」
もちろんその姿はきっちりと周りの残った記者たちに見られていた。
これは明日の瓦版の記事が見ものね。
入り口を通って中に入ると黒服の警備人たちが入り口を完全に封鎖。
それ以上記者たちが入り込むことはなかった。
「社長!!!!」
「黙れ」
入り口に入ってから数歩、チョイの大声が層の全体に響いたけど一刀の返事はすごくあっさりしていた。
チョイが自分の隣で歩く速度を合わせながらくどくど話していたが彼は軽く視線を逸らして反対側を見ていた。
もちろんチョイが見える方の反対側には私が立っていたわけだけど、彼の目は焦点が合わず完全に見てはいるも見ることを放棄していたので私が呆れた顔で彼を見上げている私の姿も多分彼の目には届いていなかった。
「マスコミをこれ以上刺激してどうするつもりですか」
「向こうが俺を刺激するのが悪い。後あの記者を雇ってるとこの編集部に電話を入れておけ。仕事に熱心だか知らんけど度の過ぎた無礼はそれ相応の対応をしてもらうとな」
「社長…!」
ふと彼は足を止めて一階を見回ってチョイを見た。
「…会社は通常どおり動いているんだろうな。どうせマスコミのことなんかに影響を受ける業種でもないが、ちゃんと出勤してるんだろうな」
「は、はい…一応は…でも今はそれどころじゃ…」
「それどころじゃなくて俺が他にやることがあるなら言ってみろ。参考ぐらいにはしてやる」
「………」
チョイが彼の問いに黙り込んだ。
一刀は視線を移して私を見た。
「言ったはずだ。面倒なだけだって。面白みも特にない」
「…さあ、それはここから私が見て判断することね」
「……チョイ。彼女に社内の仕事を紹介してくれ」
「え?社長がなされるんじゃなかったんですか?」
「面倒くさい」
「……」
「俺よりお前の方が説明に向いている。終わったら俺の部屋に来い。それじゃ……」
彼は最後に私と目を合わせてから向こうで消え去った。
「すみません、曹操さん。あまり礼儀(エチケット)なんて知らない人ですので」
「構わないわ。そういうのを求めたこともないし」
それに口では面倒だの言うけど実際には本人よりチョイが適任だと思ったからそうさせたことには変わりはない。
そして私としても、今日に限っては彼と別で行動した方が都合が良かった。
「そういえば、あなたは何も聞かないのね」
「はい?」
「私が何者なのかとか」
「社長は自分の知人に迷惑をかけることを嫌う人なんです。『必要であれば俺が話す。好奇心を満たしたければ3流雑誌の記者にでもなれ』。以前社長に言われた言葉です」
でも、と彼は行く足を止めて私を見ながら言った。
「この時期だとやっぱり気になりますね」
「この時期?」
「ご存知かと思いますけど、つい先月、社長の奥さんであるレベッカ=北郷さんが不意の事故で亡くなられました。社長はその件で傷心し、ボクにも何も言わず突然姿を消しました。そして丁度一ヶ月ぶりに、社長は帰って来られたのです。曹操さんと一緒に…」
「……」
「外に居る記者たちは社長と一緒に居た曹操についてこう記事を書くでしょう。一刀=北郷、隠していた愛人と一緒に姿を現る。妻がなくなった一ヶ月後、突然連れてきた妙齢の美人。レベッカ=北郷の事故、実は計画殺人?などなど…」
「……」
「まるで死体に群がる禿鷹のように傷ついた社長を更に追い詰めるでしょう」
かわいい顔だとばかり思っていたけど、この子、もしかしなくても私のことを恨んでいるのかしら。
「憎んでるの?私のこと」
「…そんなことはありません。社長が周りに置く人間は皆それだけ社長が認めている人たちです。社長が曹操さんを常に側に置くのはつまり曹操さんがそれほどの人物であることです」
「もしかすると、外の連中の憶測通りかもしれないでしょう?私が傷ついた彼をどこかで偶然見かけて、彼から更に何かを奪いとろうとする雌狐…だとしたら?」
「…そうなのですか?」
「……」
「もしそうだとすれば…
ボクは躊躇なく曹操さんをこの場で殺せちゃったりします」
一瞬とても早いチョイの動きに私は対応できず、彼は私に肩をぶつけて、腹に何か尖ったものを当てながら言った。
「あまり意地悪なこと云われると…怒っちゃいますよ……」
「……そうね。悪かったわ。謝りましょう」
最初見た時はこの子が大人しながらも朗らかな子だと思ったけど、今の姿は私にある子の顔を思い浮かばせた。
この子はまるで凪だった。彼を慕う気持ちや行動力、あくまでも彼を守ることを考えるところとか。
凪にそっくりだった。
「あと、強いて言うなら、私はあなたみたいな可愛い子が趣味かしら」
「ふえっ?!」
私がチョイの耳にそう囁くと、彼は驚いて何歩か後ろに引いた。
こういうところも凪に似てるのかしら。
ちなみに腹に当てられていたものは、この世界の筆、ペンだった。
「ちなみに、これは冗談ではないわよ」
「え?ええ?え?!」
頭が混乱したのか赤面しながらえ?え?と連呼しているチョイを見ながら私は軽く笑った。
そしたらチョイは正気に戻ってきた。
「か、からかわないでください」
「そうね。ごめんなさい。ところで、周りからいじめ甲斐があるとか言われないかしら」
「もう!!」
「こちらから研究室の様子を伺えます。基本外部人は出入り禁止ですし、中に入るにも色々と面倒な手順が必要ですからこちらから見学なさった方が何かと便利です」
チョイが案内してくれた場所に入ると瑠璃を通って下に白い部屋に白い服で全身をまとっている人々が何やら働いていた。
「ここは何をするところなの?」
「先ずはこの会社について概括的に説明します。このAEPサイエンスは本来技術研究開発を主に行う中規模の企業でした。ですが経営が難しくなり清算されそうになったところを、今の社長が私財を投資し、その後社長が進行させた色んな研究開発などでわずか3年で世界が注目するほどの会社と変貌したのです」
「その研究というのは?」
「太陽熱電池です」
私がそれが何か判らなくて頭を傾げるとチョイは咳払いをして説明を加えた。
「この技術は現代の生活に必要不可欠な『電気』を生産するための技術です。既存の化石燃料や原子力はその有限性と危険さ故に使うことがどんどん難しくなっています。そのうちに自然の風や波、太陽の熱をエネルギー源にするエコエネルギーはその効率が他のものに比べて悪すぎたので補給が遅れていました。ですが、社長が造られた我が社の太陽熱電池は既存の太陽熱電池の16倍にしてその燃費は原子力や化石燃料とも並べるようになっています。戦争で石を投げて戦っていたのにいきなり大砲などを持ち込まれたようなものです」
最後の比喩がとてもわかり易かったので私は頭を頷いた。
つまりエネルギー、この世界で車を走らせ、テレビをつけるなどのあらゆる所に使われる燃料の効率を彼の研究が画期的に上昇させた。
彼の才はこの世界でも一頭地を抜くようなものだったとはっきり判るわね。
「主な研究はその太陽熱電池ですが、それ以外にも社長命令によって研究段階にあるものも数十個以上あります。その中には後20年は発表することさえ恐れるような品物までも存在します」
「…天才」
「はい、社長はまさしく天才なのです。それもただある特定な部分ばかり長けてるせいで認められても大きく使われない、『殺された天才』たちとは違う、真の天才です」
天才。
『俺の頭は以前のような才能を失っていた』
彼は以前そう言っていた。
自分はもう天才ではないと。
しかし、彼がこの世界でしたことは、確か人々に認められていた。
彼の才は確かに天の才と呼ばれるに相応しいものだった。
そのほかにも色んな所を見まわった後、チョイは私をエレベーターという乗り物で建物の一番高いところまで連れて行った。
「社長の部屋には限られた人しか入ることが出来ません。ボクや亡くなられた奥さん、そして……」
チョイは途中で話を止めて扉の横にある機器を操作した。
そしたら扉が開いて、中に入ると今まで見回ってきた無味乾燥な空間の並びだった場所とは違う安楽な雰囲気を出す広場が現れた。
その中央にあるソファに一刀は一人で座ってコーヒーを飲んでいた。
「見学は楽しかったか?」
「ええ、なかなか興味深かったわ」
「それは何よりだな」
コーヒーに六面体に固められた角砂糖を幾つか入れながら彼は無関心そうに答えた。
私は彼が座った反対側のソファに座って、チョイは私と彼の間に立ったまま話した。
「社長、ここ社長が居なかった一ヶ月の間の報告書や書類などが積もってあったはずですけど」
「適当に目は通した。そして全部処分した」
「全部処分?!」
「何一つ興味のある話がない。まったく一ヶ月の間お前らがここで何をやっていたのか…期待もしていなかったが。大量を紙を損耗してあんなくだらない報告書ぐらいしか書けないなら、全部紙飛行機にでもした方がまだ面白みがある」
「とほほ……社長はいつもそうですよね」
チョイがガクッと頭を落とした。
チョイの苦労がどれくらいか大体想像がついた。
「理事会を招集して、俺の辞退を発表する。理事会も一ヶ月の間色々と準備をしていただろうから問題はないだろう」
「社長、考えなおしてください。社長が居なければこの会社はそのまま空中分解するかもしれません」
「そう簡単に壊されるようなものではない。大体持分はそのまま置いておくし、経営権だけ譲るというだけの話だ」
「社長が経営していたから今まで成長できたのです。社長の天才的な才能があったからこそ…」
「くどい。俺はここには用はない。お前が口煩く言った所で再考の余地なんてない」
「……」
チョイが頭を俯いたけど、こればかりは仕方がない。
一刀は私と隣で私の覇道を支える役割をしてもらわなければならない。
「…それとチョイ」
「…はい」
「俺がまた居なくなったら…孤児院の件はお前に任せる」
「はい?」
「俺の資産管理を任せるから、この会社から出てその仕事に専念してくれ」
「ちょ、ちょっと待って下さい、社長。まさか本当にもうここには帰って来られないつもりじゃないですよね」
「……」
一刀が何も言わないからチョイは顔を蒼白にした。
「社長、ごめんなさい。もう怒ったり叫んだりしませんからどうかまた消えるなんて言わないでください。どこかに行かれるのでしたら、せめてボクも一緒に連れて行ってください!」
「……」
「社長…!」
チョイは一刀の腕を掴んで懇願したが、一刀の顔の表情は変わらなかった。
「お前はこの世界で俺が唯一俺の周りを任せられる人間だ。そういうお前がここに居るから安心して孤児院のことも任せて俺は去ることが出来る」
「しゃちょう…!」
「…悪いがお前を連れて行くことは出来ない」
「……!」
一刀が再びそう告げるとチョイはそのまま膝を崩して倒れ込んだ。
「ちょっ、大丈夫なの?」
私が席から立ってチョイを見ると、チョイはそのまま気を失ってしまっていた。
「しっかりしなさい、チョイ!チョイ!」
「…あそこに寝かせておこう」
一刀は倒れたチョイを抱き上げて部屋の片隅にあった寝床に寝かせた。
「チョイは俺がこの会社を経営し始めた頃にこの会社に入り込んだ産業スパイ…謂わば間者だった」
「間者?」
「こちらで研究していた技術の情報を奪い他の会社に売りつける、そういう仕事を専門的にする奴だ。どこかに所属してそこのために働くのではなく、独立してただ報酬をより多くくれる所に情報を渡す、そういう間者だった」
「…それであなたは彼をどうしたの?」
「最初は俺に興味のないくだらない技術幾つかを盗み取るのを見かけたけど、別にどうでも良かったから放っておいた。が、そのうち社員のうち一人に発覚された。それで俺の所に連れてきたから……」
彼は一度自分の寝床で寝ているチョイを見て言い続けた。
「連れてきた奴を首にしてこいつを俺の秘書にさせた」
「いや、待って。何でそうなったの?」
連れてきた奴は何も悪くないでしょう?
「それがこいつが俺の前でその社員の横領した事実や色んな不正の数々を晒してくれてな。数字まで丁寧に揃えてな。そこまで来ると流石に気になるだろう。研究の本業を忘れて盗む奴と、本業に充実して盗む奴は格が違う。どちらを重用すべきかは明らかだ」
「…それでそれから彼はずっとあなたの側に居たわけね」
「そうだ。秘書とは言ったが、別に俺の時間管理なんて俺が勝手にするし、実務関連の仕事のほとんどはこいつを通って行った」
「随分と信頼していたんだね」
「それだけこの世界で俺の目に適うやつが居なかったというわけだ」
そう言って彼は顔をしかめながら寝床に腰かけた。
彼も内心チョイを連れて行きたいと思っていたのかもしれない。
「連れて行きたければ連れて行ったらいいじゃない」
「言ったはずだ。この世界でチョイは俺が唯一俺が去った後のことを任せられる奴だ。俺がここから居なくなってもここには俺の手が届かなければいけないところもある」
「さっき言った孤児院っていうの。あなたが小さい頃送られたという施設のことでしょう?」
「…あそこは今でも沢山の親無き子たちが居る。俺がいなければそこに居る子たちを守れる者が居なくなる」
一刀だって完全にこの世界に居る意味を持たないわけではない…か。
私は彼に無茶を押し付けているのかも知れない。
ここが彼が元居るべき世界だ。彼は元々私たちが居た場所に居てはならない人。
彼自身が言った通り、ここには彼が居なくてはいけない理由だって沢山ある。
だけど、
それらを全部踏まえた上でも最初に私の前に現れたのは、
そんな彼を求める人たちを全部見捨てて私の世界に訪れたのは、
北郷一刀、あなたでしょう。
勝手に現れては、
あなた無しではやっていけないようにしておいて、今更あなたの個人の事情を知らされても私は引くわけには行かない。
「あなたは私と一緒に居るのよ」
「……」
「何が起きようと、もう二度と他の誰にもあなたを渡すつもりはないわ。それが過去の友人でも、妻だとしても…」
「……妻?」
一刀は目を細めたが、直ぐにため息をつきながらこう言った。
「彼女は…北郷レベッカは俺の妻ではない」
「…へ?」
今更なんてことをいうの?
あなた今まで散々…
それにチョイは他の人たちだって皆あなたの妻のことを……。
「俺が愛した人間とは言ったが、妻とは一言も言っていない」
「でも…だったらなんだというのよ」
「姓が同じなのを見てわからないのか。日本やアメリカならともかく、中国に配偶者の姓を引き継ぐ風習はないはずだが」
「…じゃあ…」
「アイツは俺の妻だったわけじゃない。俺の義妹だったんだ」
北郷SIDE
華琳とチョイが会社を見て回っていた頃、俺は机に山ほど積もってある書類の山に目を通していた。
…チョイの奴、相変わらず良い仕事をする。
理事たちは恐らく俺を蹴り飛ばしたらチョイをCEOにしようと企んでるだろうがそうは行かない。
チョイはこの世界で数少ない俺が『名前』を覚えて呼ぶ相手だ。
俺があの世界で相手を真名に呼ばなかったのは、ただあの世界での変なこだわりではない。
俺にとって曹操や劉備という名は、単なる歴史に残るも英雄たちの名称であって、その相手に対しての固有名詞ではなかった。
この世界でいうと相手の名前を呼ばず課長、部長と職級で呼んだり、デブだとかメガネっ娘とかそういう相手の特徴から作り出した呼び名を使ったり、そういうものと一緒だった。
現代ではこういう人の名前を呼ばずに過ごすことが通用する。
現代の人関係にとって名前というのはほぼ何の意味もなさない。
常に人は誰かの親だったり、誰かの上司、部下だったり……。
大学の教授は自分の教える子の名を呼ばない。学生も教授の名を呼ばない。
呼ばないから知る必要がない。
だから俺が彼のことをチョイと呼んでいるのは、実際には華琳のことを『華琳』と呼んでいるのと一緒であった。
「悪いな…チョイ」
あまりにもお前を長く手放していた。
お前が考えてるよりずっと長くだ……。
そして俺はまたお前を見捨てなければならない。
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7月で番外編を終わらせよう(絶対無理
少しずつ一刀のことを知っていく華琳。
かつてここまで彼が心を開いた女はたった一人しか居なかった。
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