『帝記・北郷:閑話休題・壱~忠誠と愛情の狭間~』
冀州・鄴。
華琳の保護に成功した維新軍は、そのまま鄴に進撃。夏侯淵の脱走と典韋の離反により混乱する城を瞬く間に攻め落とした。
これを機に維新軍は当初の目的を果たしたこととなり、本拠地をそのまま鄴に定める。
それと共に今後の方針を予定から変更。奪取した領地を梁習と蒼亀を中心に安定させると共に、華琳を失った魏国を併呑すべく龍志を青州に派遣した。
龍志はその軍才をいかんなく発揮し、瞬く間に青州を制圧。徐州の臧覇に旧友である張遼を使者として送り、自らは青州の統治を田豫に委託して、兗州の境に軍を進めていた。
その戦勝の報告に湧き立つ維新軍であったが、一刀の心は晴れない。
その原因は、未だに眠り続ける一人の少女にあった。
「やあ、こんにちは雛菊」
鄴の府中にある一室。
その扉を開けて入って来た男は、眠れる少女の傍らに置かれた花瓶の水を換えていた少女に軽く手を上げる。
「あ、北郷様」
慌てて礼をする少女に一刀は畏まらなくて良いよと言った風に苦笑して、その後ろの眠り姫を見た。
「こんにちは、華琳」
「………」
少女は答えることなく、その目を閉ざしたまま浅い呼吸を繰り返している。
華琳を救出してからすぐに蒼亀が対呪治療を施したのだが、長い間最低限の治療だけで放置されていた為、なかなか意識が戻らずに今日にいたる。
「今日も色々と大変だよ…龍志さんが遠征先から屯田の許可を仰いできてね…なんでも、それを今度の戦に使うんだって」
以来、毎日一刀はこうして華琳に話しかけて続けている。
それが少しでも、彼女の目覚めを早めることを祈って。
「そうそう。霞が早く遠征を終わらせろって五月蝿いって愚痴ってもいたなぁ…はは、龍志さんには苦労をかけてばかりだなぁ……」
応えることない少女に、一刀は言葉を語り続ける。
それは華琳の美しさとあいまって、人形に話しかけているかのような感覚を横で見る雛菊に与えた。
梁習の勧めで華琳の世話役を命じられた少女は、このやり取りをほぼ毎日見続けている。
「龍志さんだけじゃない…蒼亀さんや青鸞にも……君主の役割って、こんなに大変だったんだな」
自嘲気味に笑い、一刀は華琳を見つめる。
「なあ、華琳。聞きたい事が沢山あるんだ…俺にとって、王の中の王たる華琳に…だからさ、どれだけ時間がたとうと構わないから…絶対に戻ってこいよ」
それに応える言葉は……やはりない。
「あら、美琉ちゃん」
青州・龍志軍陣地。
騎兵が歩兵よりも多いという中原では珍しい軍の陣営は…やはり馬臭い。
しかし、そんな陣の中でも美しいものは美しい。
維新軍屈指の頭脳を誇る美軍師・躑躅、その美貌で道行く兵の視線を引き付けながら、同じく維新軍の美しき重鎮である美琉と出会った。
「これは躑躅殿…その様子では霞の徐州での任務は上手く行ったみたいですね」
縁取りの無い眼鏡を軽く指で押し上げながら、美琉が言う。
「ええ、臧覇は快く承諾したそうよ、尤も他の城の者達を説得するのに時間がかかるみたいで、正式な投降はまだ後になるそうだけどね」
霞を使った徐州攻略を一任されていた躑躅の答えに、美琉は満足げに頷き。
「そうですか…ご苦労様でした」
無愛想な顔に微かな笑みを浮かべた。
美琉もふふっと笑みを浮かべ。
「それで、龍志様に報告したいのだけど、どこにいらっしゃるのかしら?」
「それが…どうやら散策に出られたようで、今華雄殿が探しに行っています」
「あらあら…一刀様といい龍志様といい、一人道中ぶらり旅が好きねえ」
「いえ、旅という程のものではないと思いますが」
「ものの例えよ」
パシッ。っと決まる躑躅の突っ込み。
手首の身を使った優雅さを失わないその美しさたるや上方芸人も目を見は……なんてことはさしあたって良い。
「これは…失礼しました」
「良いわよ。いちいち頭下げないで。そういう風だと、何時までたっても龍志様に振り向いてもらえないわよ」
「んなっ!?どうしてここでその話題に繋がるんですか!!」
途端に顔を真っ赤にして彼女らしからぬ取り乱しぶりを見せた美琉に、躑躅は蠱惑的に笑い。
「でもねぇ、考えて。面白おかしく会話が出来るのと出来ないのとでは、どちらが良いかしら?」
「そ、それはそうですが……」
「それに、華雄ちゃんを行かせたって…今頃二人、いい感じでしっぽりいってるかもしれないわよ」
「そ、そんな龍志殿に限って……」
「どうでしょうねぇ…男は獣という言葉もあるし…案外今頃……」
「つ、躑躅殿!!冗談にも程があります!!」
怒って躑躅を一喝する美琉だが、真っ赤な顔のままでは迫力も何もあったものではない。
「ふふ、ごめんなさい……でも、前々から思っていたけど美琉ちゃんが龍志様の事をそんなに好きだなんて意外だわ」
「それは…私が女らしくないということでしょうか……」
ふっと表情に陰を落とした美琉に、躑躅は目を丸くした後口元に手を当ててクスクスと笑い。
「馬鹿ねぇ…そんなわけないじゃないの。美琉ちゃんは充分綺麗で女らしいわ」
「そのようなお世辞など……」
「お世辞じゃないわよ……まあ、そう思うならそれでいいわ。私も競争相手は少ない方がいいし」
「え?つ、躑躅殿!?それはどういう……」
「さあねぇ…美琉ちゃんが自分は女らしいって認められたら教えてあげてもいいわ」
クスクスと笑いながら、躑躅はくるりと身を翻すとその場を後にする。
「つ、躑躅殿ぉ~~~~!!!」
普段の彼女からは想像も出来ない声に嗜虐心を満たしながら、躑躅はどこへともなく消えて行った。
それを見送った後、しばらく呆然としていた美琉はハッとするとぶんぶんと頭を振り。
「落ち着け…落ち着け私……心を乱すな…しかし、私が女らしい……ならばまだ私にも希望が…はっ!!何を考えている私は!!」
ぶつぶつ言いながら自分の天幕へと歩き始める。
(しかし、どうして好きか…か。言えたものではないな、初めて女扱いしてくれたからだなんて)
その思考がもう充分に女らしいということに、彼女は何時になったら気付くのだろう。
「競争相手…か」
一方その頃の躑躅。
「不思議なものね、王の子供を産むためだけに近づいたはずだったのに……」
あらゆる仕官の話を断り続けていた躑躅が、龍志の招聘を受けたのは彼に王の器を見たからであった。
王となった彼の子を産み、その後見人として天下を握る。
そんな野望-尤もそれも彼女の気まぐれな享楽の一つだったのだが-の為に彼の部下となり辺境で過ごし、反乱の準備も誰よりも積極的にやってきた。
そして今、乱の主が北郷一刀に代わった以上、野望の為には彼を籠絡するのが正解なのだが……。
(思えば彼が乱の主を代えると言った時、不思議と安心したのは野心抜きで彼に接することができると思えたからかしら……やれやれ、私らしくないわね)
自嘲の笑みを浮かべて歩いて行く躑躅。
しかし、彼女の心中とは裏腹にその瞳は驚くほど澄みきっていた。
「龍志様ー!龍志様ー!」
龍志軍の陣地近くの森。
そこに良く透る女の声が響いた。
主を探しにやってきた華雄である。
こうしてよく失踪する主を捜索するのが華雄の役であることは、もはや龍志軍の暗黙の了解となっていた。
華雄にしても、だいたい龍志の行きそうなところは察しがつくため探すのが楽ではあるのだが。
やがて彼女の耳に、小川のせせらぎが聞こえてくる。
小川は龍志が好む場所の一つだ。
「小川か……」
かつて、沐浴中の龍志を目撃してしまい取り乱した上に川に転落してしまったことを思い出す。
同じ轍は踏むまいと、華雄は水の跳ねる音がしないかどうか聞き耳を立てながら慎重に小川へと足を進める。
やがて道と視界が開け、澄み渡った水が穏やかな日光をキラキラと反射する清流がそこにあった。
その川端の大きな岩に身を預けるようにして、彼女の探している人物が静かに寝息を立てていた。
行水をしたのだろうか、何時のように纏められた彼の長い黒髪は土のつかないように肩を通して胸の方へと流され、濡れ鴉の羽のような色をしている。
そして髪を前に流した為、普段はあまり見えない彼の項が露になっていた。
一刀も美男だが、龍志もまたそれに劣らぬ美男である。ただ一刀がまだ少年の面影を残した闊達かつ精悍な美しさとしたら、龍志はまっすぐ延びた青竹のような清々しさに柳のような柔らかさを帯びた美貌という違いはあるが。
まあ、何はともあれ重要なのは、華雄の目の前の龍志の姿は彼女が見入るに充分なものであったということだ。
(は~…今日もお美しい)
正直、そう言われても龍志は微妙な顔をするだけだろうが。
龍志の周りには、数本の竹巻が散らばっていた。
龍志の元へ歩み寄りながらちらりと華雄が見たところ、青州や兗州、徐州の今後の統治方針についての具申書のようである。
それを拾い、軽く目を通した後で華雄は難しげに唸り。
「やはり…進撃を続けられるか……」
「ああ、まずは徐、兗、豫州を落とし、司隷州か…場合によっては揚州北部を攻めるつもりだ」
「!!」
「おはよう、華雄」
「お、おはようございました……」
何時の間に起きていたのか、目の間を左指で軽く揉み龍志は身を起こす。
「うたた寝をしてしまったようだな…いつもいつもすまないな華雄」
「いえ、とんでもございません」
僅かばかり驚きの名残を残しながらも、華雄はいつもの調子で返事をした。
そんな彼女に、龍志はふっと笑うと散らばった竹巻を拾っていく。
「揚州…となると、孫呉とも再び戦戈を交えることになりますな」
孫呉の軍勢は孫策が維新軍に捕らえられているという事を聞くや、下手な争いを避けて自国に帰還していた。
その後、孫策の身柄引き渡しを交渉するための使者が何度か来ているのだが、悉く蒼亀にのらりくらりとかわされて未だ孫策は鄴に軟禁されている。
まあ、勝手に屋敷を抜け出しては一刀に会いに行ったり祭と酒を飲んだりと自由気ままにやっているので、本人は別にいいのだろうが。
「ああ…そしてそれは維新の当初目的から大きく逸脱することになるな」
「それを承知でこのような計画を立てるとは……やはりお館様…北郷様を大陸の覇者になさるおつもりで?」
「………」
龍志は答えることなく、手にした竹巻をじっと見る。
自分でも、その心を計りかねているかのように。
「……龍志様」
「うん?」
自分に向けられた視線を、華雄は正面から受け止める。
「私は、あなたがいかなる道を進まれようとも、あなたの傍らにあります……それが、生きる場所を失っていた私を救ってくださったあなたへの忠義の形です」
「……そうか」
龍志は短く答えると、すっと後ろを振り返り視線を空へと移した。
しばらく、小川のせせらぎだけが二人の耳朶を打つ。
「……頼りにしているぞ」
「……はい!!」
力強い応えに、龍志は振り返り柔らかな笑みを浮かべる。
ああ、これは最近見る事が出来なかった顔だと、その笑みに見惚れながら華雄は心の中でそれを噛みしめた。
後書き
どうも、タタリ大佐です。
今回は、インターバルの一回目ということであえてオリキャラに主眼を当ててみました。ですので、原作キャラの活躍を期待していた方はすみません。本編が一刀中心になる以上、こういうところで保管しておかないと美琉とかが単なるモブになりかねないので(まあ、それを含めて本編を書くのが作者の技量なのですが)。
これからも、女性にはオープンかつ来るもの拒まず愛燦々な一刀と、基本的に女性に興味がない(というより恋愛ができない)龍志。二つの恋模様を楽しんでいただけたらと思います。はい、色々書きたい作者の我儘です。すみません。
しかしあれですね、前回予想以上の反響だった阿蘇阿蘇。あれも元ネタがあったりするんですが……まあ、自分で自分の首を絞めることはないので多くは語りません(え?もう充分に絞めているって?)
インターバルは後二話程です。希望のあった三羽烏の投降と、まだ書かれていないオリキャラの心中、そして華琳の覚醒。この三つを書いてから第二部に入りたいと思います。
では、色々とまとまりのない文章でしたがまた次の作品でお目にかからん事を。
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帝記北郷の第壱部と第弐部のインターバル小説。
今回は一刀よりも龍志メインですので、その辺は事前にご理解を。
オリキャラ注意。