「珍客が来てたらしいな」
先日の失策により謹慎を受けていた辛評の家を訪れた郭図。
ひとまず酒を酌み交わし、その目的を察した辛評が誘い水をまく。
すると郭図はいつもの得意げな笑みを口元に浮かべると珍客の正体を明かした。
「曹操と荀彧よ」
無論そのことはすでに辛評の耳に入っていた。
荀彧。
懐かしい名前。
かつて潁川郡にて共に働いた同僚である。
一時は同じ袁紹に仕えていたのだ。
辛評と郭図にしてみれば後輩分ですらある。
「あいつ元気だったか?」
「元気そうではあったな」
「そうか。そりゃよかった」
「よくない。いきなり押し掛けてくるなり術をしかけてきおったわ。まったく…」
なんとなくスネたような声音に、辛評は思わずカラカラと笑った。
「なんだ、術につかまったのか! 郭図らしくないなぁ」
「来訪すら知らなんだ。いったいどうやって対策をたてろと申すのだ」
だが辛評の笑いに郭図は「フン」とそっぽ向くと、手酌で椀に酒を注ぐ。
荀彧の術は発動するともはや防ぎようがない。
範囲だけでなく、彼の意識下に置かれた相手全てが対象となり得るのだ。
一度囚われれば、逃れる術はほとんどない。
今回のように「対象外の人間」に助けてもらうしかないのだ。
ひとしきり笑った後、辛評は空になった杯を机上に置くと、おそらく訪問の目的であろう主題へと切り込む。
「だがあいつらの来訪のおかげで、袁公がはっきりと方針を口にされた。ありがたいくらいじゃないか」
「もともとヤツラの目的も、それだったようだな」
「これで袁公は曹操とはっきりと決別できたわけだ。だが……曹操は放置するには危険すぎないか?」
「危険ではあるが、油断なく追い詰めれば相手になろうはずもない」
郭図は曹操の弱点を正確に見抜いていた。
なにしろ袁紹が通ってきた弱点をそのまま抱えているからだ。
袁紹も、曹操も、所詮は冀州にとって、エン州にとって余所者でしかなく、どちらも冀州・エン州の豪族の力を借りねば戦一つできぬ立場である。だから袁紹や郭図は、冀州士大夫として影響力の大きい沮授の顔を立てて、今までは漢帝への反逆の意志を表だって現したことはなかった。
一方の曹操は袁紹以上に豪族の力を侮ったため、エン州を失い掛けるという失態までおかしている。
今はエン州でも比較的影響力の大きい名士程昱と、同じくエン州豪族として名高い李氏のおかげでなんとか保っているといった有様だ。しかも日々糧秣にことかいているという。それは、エン州の豪族たちの力を完全に支配下に置けていないこととは無関係ではあるまい。
豫洲へと手を伸ばしたのは、豫洲豪族に影響力の大きい荀彧がいるからと郭図は読んでいた。
だが豫洲へ影響力があるのは袁紹とて同じこと。
潁川こそ荀彧の力で抑えられようが、汝南は袁家が握っている。
(どれだけ抑えられるかな?)
むしろ汝南は洛陽と潁川の間にあって睨みのきく位置である。
まさに曹操にとって喉元につきつけられた刃のようなものであろう。
すると、ふと辛評が神妙な、ともすれば郭図の顔を伺うような視線をよこしてきた。
サワサワと庭先の竹の葉が揺れる音がおさまると小さな声でポツリとつぶやく。
「オレは、文醜は荀彧を軍師に選ぶと思っていたよ」
「それはあるまいよ」
郭図は即座に否定した。
間髪いれない郭図の言葉に辛評が驚いたように尋ね返した。
「どうして」
「顔良がワシを選んだ時点で、文醜が潁川士大夫を選ぶことはできん。公はこの冀州を地盤とされるのだ。ナンバー1,2が潁川出身者ではこの地の官僚もおもしろくなかろう。それこそ曹操の二の舞よ」
「あー、なるほどね」
面倒臭い、とでも言いたげな投げやりな辛評の反応に苦笑しながら、郭図は更に言葉をつなぐ。
「それに、荀彧とて断ったであろうしな」
「え!? なんで!」
これにはさすがの辛評も思い当たらなかったらしい。
驚いたように目を丸くして郭図を見つめてきた。
「忘れたのか。荀彧は、あの何ギョウから「王佐の才」と評された、すなわち何ギョウが公のために見出した男だぞ? 無論、公もそれを知っていたからこそ上賓の礼でもって迎えた」
「それってつまり―」
「公以外の軍師になるつもりはなかった。だから荀彧がここを去ったのは「公が荀彧を軍師に選ばなかったから」か、もしくは荀彧が「公を見限ったか」のどちらかじゃ」
何ギョウとは、袁紹の「奔走の友」たる名士である。二人は協力して党錮で捕らわれた名士を幾人も助けたほどの間柄であり、袁紹は彼を友人以上に敬意をもって遇した。
そんな何ギョウが見出したのが荀彧であり、「王佐の才有り」と評したのだ。
その『王』が誰を指すかなど自明の理である。
「そうだったのか。ぜんぜん気づかなかった」
「そんな公のもとを去って走ったくらいじゃ、その曹操を「王」にするために懸命になるだろう」
「だったら、余計に天子を迎えることの危険を知らないわけはないだろうに」
「しかし他に方法もない」
「今のウチと同じだ。いや、それ以上に反動がくるぞ」
実際、今その『毒』に当てられ、この冀州が揺れているのだ。
その毒をぶちまけることで土台を腐らせようとしている彼が、その危険に気付かぬはずもあるまい。いや、むしろその「毒」を利用する分、反動はあちらの方が大きいはずだ。
だが郭図は辛評の荀彧を気遣う言葉すら鼻で笑う。
「曹操がのし上がるにはそれしか方法がなかろう。そもそも曹操は権威も名声も我が主君に遠く及ばない。ヤツにあるのは「宦官の孫」という肩書きだけだ。最近でこそ青州兵なぞと軍力を手にしたが、おかげでエン州の豪族から反発をくらったあげく地盤を失いかけた。もはやその毒を飲み込まねば、そもそも王になる以前に自滅しかねない」
「難しいな……」
「だがその道をやつは選んだ。より険しい道のりをな」
袁紹が、郭図や辛評が選んだ道も決して楽な道のりではない。
だが曹操が、荀彧が選んだ道は、それを遥かに上回る険しい道のりとなることは、容易に想像できることだった。
「そうそう、その荀彧の術を破ったヤツがいたんだって? お前の親族らしいな」
うって変わった話題に、いつものことだと郭図が記憶を少したどり、若き軍師の顔を思い浮かべる。
「なかなか見所がありそうな男じゃ。天子なんぞおらんとほざいきおった」
「へぇ! そりゃ一度会ってみたいな!」
「そのうち会うこともあろう。今は公から新たな命が下されたゆえ、先になろうがな」
「どんな?」
「洛陽へ向かい、曹操から天子を奪還し弑逆せよ、とな」
「……そうか、そこまで決意を固めたか」
辛評が静かに受け止めたのを見届けると、郭図は一つ頷きながら、
「曹操はつぶさねばならん。少なくとも今一番の脅威はヤツだ。それにもうひとつ目的がある」
「もうひとつ?」
「ヤツの下に沮授と許攸がつけられる」
「え!?」
辛評はわが耳を疑った。
沮授に許攸だって!?
天子を担ごうとしていた沮授?
そして、目下問題児の代表格たる許攸??
思わず辛評は、まだ見ぬ郭図の親族に同情してしまう。
「面白かろう?」
「面白いって、いやまぁ、その、大丈夫なのか?」
「フン、公への忠誠を試すちょうどよい機会よ。せいぜいきばってもらわねばな」
そこでとうとう辛評は口を閉ざした。
なにしろその時の郭図の表情ときたら。
まるでおもちゃを見つけたかのように、
あの、お得意の、非常に意地悪い笑みを浮かべていたからだ。
それについては何も言わずに、奴婢にほとんど空になってしまった酒壺の代わりを持ってくるよう命じるのだった。
郭図と辛評は、荀彧に対しては嫌悪感を持ってないといいな、という妄想全開なお話でした。
漫画でも「裏切り者め!」と叫んだのは沮授でしたしね。
あと辛評と郭図がこんなに親友っぽいのも私の妄想です。
だって漫画じゃまだ接点ありませんからね。。。orz
でも二人とも同郡同県出身だし、史実だとずっと一緒だから仲いいのかなぁと。
何ギョウが云々は、とある考察サイト様で書かれていたのをそのまま引用させていただきました。目から鱗でしたとも。
私は何ギョウは曹操を評してもいるので、てっきり曹操と荀彧を引き合わせたのは彼だと思ってましたから。
まぁ、曹操が袁紹からバディを奪い取ったとか妄想すると、とってもおいしいんですけどね!(ないな)
ということで、史実と妄想をないまぜにしたSSでした。
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王者の遊戯@パンチ8月号後ネタ。郭図と辛評が荀彧や曹操について語っているだけです。かなり妄想と推測の入った勘違いSSですのでご注意ください。