No.59379

その横顔に、

新屋敷さん

マリみてSS。由乃さんと令さまのふたりのお話。

2009-02-21 02:55:58 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1804   閲覧ユーザー数:1681

 由乃は安らかな表情を浮かべてすやすやと寝息を立てていた。朝迎えに行ったときは風邪だと聞かされたが、熱は、今はもう下がっているように見えた。念のため、額に張り付いた髪を掻き上げ、熱を計ったけど、手に感じたのは普段の由乃の体温だった。

 良かった。ベッドの傍まで椅子を引き出し、腰を下ろす。

 由乃は顎のところまで掛け布団をかぶっていた。思い出が一瞬脳裏に去来する。「由乃、ちゃんと蒲団をかぶって温かくしないといつまでたって治らないよ」「だって、暑いよ」「暑くても。顎のところまで掛けなさい」「……はぁい」。笑みがこぼれた。頬がゆるむのを、私は止められなかった。

 鞄を開いて読みかけの小説を取り出す。すぐには読み出さず、ぼんやりとカヴァーを眺める。表、そして裏。表にはタイトルとイラストが、裏にはバーコード、 C コード、定価、そして小説の粗筋が記されていた。

 この本を買ったのはほんの偶然と気まぐれからだ。いつもなら立ち寄らないコーナーをぶらぶらとぶらつき、タイトルが視界をかすめてしまったので棚から抜き出した。パラパラと頁を捲り、粗筋を確認し、悪い夢だと棚に戻しかけた。でも、イラストを見て、やめた。苦虫を噛みつぶしたような表情をしていたと思う。勿論噛みつぶしたことなどないし、客観視したわけでもないのでただの想像だが、首の辺りから嫌な何かが全身に広がっていく感じがしたのを覚えている。

 購入するとき、カヴァーを掛けるかどうか聞かれた。肯定すると思ったのだろう、既にその手には店のロゴマークの入った深緑のカヴァーが握られていた。私は「裏だけお願いできますか」と口走りかけ、すんでのところでそれを呑み込み代わりに断りの言葉を口にした。覆い隠しても消えるわけじゃない。そんなのはなんの意味も持たない。

「令ちゃん……」と不意に由乃の声がした。

「ん……、どうしたの」

 少しまごつきながら返事。しかし、それきり由乃は何も言わなかった。寝言なのだと思い至る。

 どんな夢を見ているのだろう。呼ばれたということは私が出ているのだろうか。どちらにせよ由乃にとって楽しい夢でありますように。そう祈り、願う。

 本を開き、栞を挟んだ頁まで一気に飛ぶ。

 そこはちょうど、姉が妹に想いを馳せ、彼女が幸せになるよう祈りを捧げるくだりだった。

 本は、妹に想いを懸けた姉が、その想いゆえに身を滅ぼすという内容だった。感情移入していないと言ったら嘘になる。

 夏の夜、何故私たちは姉妹として生まれてきてしまったのかと姉は過去から光を送り続ける星々に問うけれど、ただのひとかけらさえも答えは返ってこない。見上げた先の暗闇が僅かに動き、月がその片鱗を見せ、隠れ、また姿を見せる。音もなく、悲しさだけが押し寄せる。

 作中のふたりと違って、私と由乃は実の姉妹じゃない。でも、同じように未来がない。

 未来ってなんだろう。

 それがないってどんな状態なんだろう。

 未来じゃなく現在ならばあるのだろうか。

 私はそれを所有しているのか、という疑問。

 童話のような淡い色調で描かれた絵。

 リリアンの制服に似た色の制服を着た女の子が横から描かれた絵。

 由乃と同じ髪型の妹が由乃と違う横顔を浮かべた様子を描いた絵。

 それがぼやけて見えなくなっていく。

 由乃の笑った横顔を、私は覚えていない。見たことはあるだろう。でも、笑ったり嬉しそうにしたり勝ち誇ったりそういう時、由乃は横を向かない。正面から、私に見せつけてくる。これでもか、ってくらいに。横を向いている時は、逆にバツが悪かったり泣きそうだったり悲しかったり、そういう顔を浮かべるのだ。

 ぐいっと手を引かれる感覚にはっとなる。そうと気づいたときには、私は、由乃に覆い被さってしまっていた。

 由乃は笑っていた。両手を背中に回し、口唇を重ねてきた。私は動けなかった。

 私は急速に溶けていった。骨と骨の合わせ目に熱が篭もり、筋肉が弛緩する。その私を由乃がしっかりと支える。私を受け止めるように、自分を押しつけるように。

 何も聞こえない。時計の針の音も、由乃の心臓の鼓動さえも。残された感覚の全てが触れ合う口唇に向かっていた。

 ふっと。予告もなく。肩を押された。

 永遠が終わった。

 由乃が離れていく。

「結構長かった」

「多分一分ぐらいかと」

「久しぶりだった」

「一ヶ月ぶりぐらいかな」

「いきなりだった」

「そだね」

「何で」

「令ちゃんがキスしてほしそうにしてたから。……いや、違う……、か。……令ちゃんを見たら、キスしたくなった……、うん、それだ」

「……」

「令ちゃんを見たらキスしたくなったから」

 由乃が不敵に笑った。

「……うん」

「もっかいする?」

 こうして私たちがもう一度永遠を共有したとき、私は、手から滑り落ちた本が、表と裏、どちらを晒しているだろうということを考えていた。

 私は、目を瞑り続けるのでそれを確認することはできない。

 でも多分、それは横顔。

 

 

 

 いつか。

 

 

 

 その横顔に、私は堕落する。


 
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