Ⅰ 駆り出される者たち-4
宣言された内容を理解し、反芻し、彼は選別した言葉を紡ぐ。
「……それで」
イリルは話を急かす。戦争と聞けば、さすがに黙っていられない。クリスナはだんまりとして何も口に出さないが、その表情から窺えるに、明らかに焦っていた。
彼らとて、好きで戦争をする訳ではない。人と殺し合いたいが為に、騎士になったわけじゃない。戦いは、出来れば避けたいのだ。
グラドフィース国王陛下は、話を続ける。
「その会議にはティスもシェウリも出席することになっているんだ。オレは忙しくて顔を出せねえから、殆どあいつ等に任せる事になっちまう。……だがなぁ。このオレが、んな危険な場所に大事な跡継ぎであり、息子を盾無しで行かせると思うかぁ?」
「思いますが」
間髪入れない、イリルの素早い返事。それに、国王は押し黙った。あと、とイリルは呟いた後、ぺらぺらと言葉を並べ始める。
「それに、殆ど任せる事になる、とおっしゃいましたが、私の記憶違いでさえなければ年がら年中、二十四時間、殆どティスに任されていませんか? 本来は陛下が処理するべき書類も、ティスが片付けていますし」
意を突いている言葉に、もはや返す言葉も無い。しばらく、クリスナも呆然としながらその言葉を、何だかどんどん愚痴に変わっていく言葉を聞いていた。だが、少しして、クリスナはイリルの薄茶の制服の裾を引っ張った。
何だ、とイリルは頭一つ分下を見下ろした。
「イリルぅ。愚痴るのはいいけど、へーかの報告、ちゃんと聞いてからにしよーよ。陛下、あそこでいじけてるよ?」
びしっ、とクリスナが指差した先には(仮にも国王に指差しはどうかと思うが)、まるで子供の如く、のの字を壁に書いて小さく縮こまっているグラドフィース国王陛下の姿。いい歳した、子持ちの大人が何をやっているのだか。
仕方がない、流すか。
「陛下。それで、どうしました?」
何事も無かったかの様に、声音を変えずにイリルは国王陛下に言葉を投げ掛ける。
その声にぴくりと反応して、子犬の瞳のような視線を、ちらちら様子を窺いながら向けてくる。十代中盤頃くらいの平民の女性がその動作をしていれば話は別だが、仮にも一国を背負う国王で、いい歳した子持ちの大人がそのような動作をすると、見ている方が泣きたくなる。――いや、色んな意味で。
「……その様な目を、此方に向けないでいただけませんか」
声を投げ掛けてしばらくして、国王陛下が口を開いた。
「だから、イリル達に任せようとしただけだもん」
虫唾が奔る。もしくは、悪寒。
一国を背負う国王――略、の言動がこうだと、本当に寒気がする。寒気がするというより、気分や心持ちが大変悪くなってしまう。
血の気が引いたことを、イリルは自分の事ながらも気付いた。気を抜くと、かくかくと音を鳴らしつつも震えてしまいそうになる。精神状態は、とても悪い。――ああ、そろそろ本格的にやばい。微かに動いていた思考の一部が、そう悟った。
その様子を側から見ていたクリスナは、真っ青な顔をしているイリルを見かねて、国王陛下に声をかけた。
「へーか。気持ち悪いからやめてよぉ」
「気持ちわるっ――!?」
さすがの国王陛下もクリスナの言動に驚愕。それと同時に、年齢に合わない子供のような言動も無くなった。虫唾も悪寒も鳥肌も、ようやく治まり始める。とことん嫌な感覚続きで、身体が麻痺してきそうな勢いだった。
クリスナがグラドフィースに蹴りを入れる。仮にも、忠誠を誓うべき国王陛下に、断然自身の子供の方がどれだけ王に向いていても一応、一国を背負う王に蹴りを入れた。忠誠を重んじる騎士ならば、真っ青になって倒れそうな行動であっても、イリルは平然とした顔で見ている。平然と言うよりも、ざまあみろとでも言うかのように笑っていた。
対して、蹴られたグラドフィース国王陛下は、座り込んでいてもそこまで距離が離れていないクリスナの顔を、呆気にとられた表情で見上げていた。
「忠誠ってのは、案外薄っぺらいもんだなぁ……」
「ううん。だってぼくは、期限付きの騎士だもん。いちいち、ちゅうせーなんて誓ってられないものぉ」
きゃはっ、とでも言うようにクリスナは笑った。明るくて、眩しいくらいの笑顔。
「まあ、確かに。期限付きじゃあほとんど客員剣士も同じだしな、それは同意できる」
会話に割り込んだ。無意味で、あっても無くてもどうでも良いような会話に、イリルは割り込む。そして、無駄なものを引き裂いて、話の核へもつれ込ませる。それが。
「ところで陛下。私達に任せる、と仰りましたが、そのお話を詳しく伺えませんでしょうか?」
クリスナの少し鋭い蹴りを喰らって尻餅をついた国王陛下が立ち上がってから、イリルは尋ねた。拍子抜けした様子を、陛下はしない。大体、流れも展開も予想できたのだろう。何時だってそうであったから、多分、質問をしても返ってくる言葉も同じ。
もう既に、今からでも一週間前でも無くて、何年も前から、ボロは出ているというのに彼は敬語を使い続ける。――理由は知らない、誰も。
彼自身ですら、きっと。
「あー。そのスール国との会議での王子の護衛に、話し合った結果、お前らの名前が上がったんだよ。理由は簡単、『騎士になってからそこそこ位しか経ってないし、実力もある。そして何より、あまり外に顔が知れていない』だ。ちなみに拒否権なし。明日の朝早くにだから今日の夜くらいに出発するぞ。準備は各自して置けよー」
言いたい事だけ言って、そのままイリル達の横を通り抜けて国王陛下は去っていく。話しの展開の速さに少しの間、頭が回らなかったイリル達は、少ししてようやく用件を理解した。
ようするに、無理矢理ティス達の護衛に付けられた、と言うこと。
彼は前に、同じような仕事を任された事があった。その時はまだ引き篭もりがちであったティスの顔も、名前すら知らなかったほど前の話だ。当たり前にティスと彼は友人では無かった。弟のシェウリは女たらしで有名で、尚且つ、行動範囲が恐ろしく広いため、城に勤める者なら誰だって顔を合わせるほどであったが。
但し、その時はティス一人の護衛で、彼も一人での護衛だったため、今とは状況が違う。
「記念すべき初仕事が、ティス殿下たちの護衛になったねぇ。シェウリ様ともお友達になれたらいいな」
暢気な友人の横で、彼は頭を抱えるのであった。
しばらくしてから頭を回転させ、もう一人の友人の事について考え始める。
「迎えに行ったほうが、いいよな……。場所によってはかなり危険なところも在るし、ティスに何かあったら困る。まあ、誘拐とかは無いと思うが――」
「ティス殿下、意外と人なみには剣扱えるって、貴族の間ではゆうめーらしいからねぇ。……まあ、今回は剣、持ってないと思うけど」
横からクリスナが意見した。ティスの実力などの情報は、何処から洩れているのだろうと、イリルは思う。
「それなら、もう帰ってきたから大丈夫だ。イリル、仕事がないからと言っても、気を抜くな。だから、私のような未熟者でも背後に立ててしまうのだぞ?」
後からの不意打ち。少し面食らったイリルは、声の聞こえた、顔よりも少し下を振り返る。
金の髪に、整った顔とそれを彩るかのような翡翠の眼。本来は真っ白なはずの着衣は、所々、泥や砂で汚れてしまっている。その眼は少し、睨んでいるかのように細められていた。
「私は父様に用があるから直ぐに部屋に赴く。イリル、分かったな?」
城に居る間も仕事の一種だろうと、言葉を付け足し、ティスはそのまま歩き出そうとする。
それをイリルは、言葉で引き止めた。
「分かりましたが、――泥を被ったままで行くつもりですか? 一度部屋に戻られる事をお勧めいたしますよ」
少し沈黙の間。
「……訂正する。着替えてから赴く。――これで、いいよな?」
一度確認してから、ティスは止めていた足を再び動かす。その進む先は、国王陛下の通っていった廊下。基本的に将来を約束されている王族の部屋は一箇所にほとんど集められているため、否応無しに同じ道を通る事になる。
ただし、第二であるシェウリは王族としては認められるが王子としては認められていない。つまり、将来を約束されていない王族、として東の離れで十数人程度の数の召し使いと、侍女とで生活をしている。
シェウリが男児であったこそこのような扱いをされている訳で、もしも女児であった場合、生まれた後すぐにでも中流層あたりの家に養子として引き取られていく。
男児の、しかも長男のみしか認めない国家、と言うわけだ。
思えば、王子と認められているのと認められていないのとでは、生活が大きく違うのだな、と改めてイリルは感じた。
うん、うんと頷きながらイリルは考え事を始める。
「……――あっ! クリスナ、食堂の小母さんが用があるから仕事にきりがついたら来てくれ、って言われてるんだ! 俺、行かないと」
昨日言われた言葉を、イリルは思い出す。なんでも、食材を運ぶのを手伝って欲しいとの事だった。
日々、何時もお世話になっている人だから出来るだけ早く仕事を終わらせて行くつもりで、だから仕事も早く切り上げた。だけども戦争との朗報を受けて参謀総長の元へ行き、それからずっとクリスナと行動を共にしていた。
おかげで、忘れていたのだ。
「うん。じゃあ行ってらっしゃい。ぼくは部屋に戻って、荷物のせいりしてるからぁ」
クリスナがそう言って笑いながら手を振った後、行ってくる、とイリルは駆け出した。
イリルの後姿が米粒程度になり、クリスナ振っていた手を下ろして、無表情に変わる。今までの子供っぽさが一気に抜け落ちてゆく。
「これはこれは、クリスナ=グラフィ殿では無いか。もう戻ってこられたのか。……二度と戻ってこなければよかったのだが」
背後から声を掛けられる。低めの声音と、嫌味。思い当たった人物を想像して、心中渋い顔をしながら、クリスナはゆっくりと後ろを振り返る。
「――ホゼア大尉どの。お久しぶりですねぇ?」
ホゼア大尉は、クリスナの事を好いていない。
周りはその事をよく知っているためあまり顔を合わせないように、と努力をしているが、絶対に鉢合わせにならないとは限らないため、度々このような事が起きる。ホゼアは愉快そうに嫌味を言うが、対してクリスナはあまり言葉を発しないし、嫌味に反応する事など無い。
「――看取ったそうで。姉の、貴方の義母の最期を、フィアリアの最期を、フォルトパーソン公爵夫人の最期を。……いつまで本当の身分を隠して、イリル殿の傍に居るつもりです?」
「……あんたなんかに、イリルの名前を呼ぶ資格なんて無いよ、下種。フィアリア様の名前も、姉弟といえどお前が呼んでいい名前なんかじゃない」
クリスナの口調が変わる。ふざけた様な訛りも無くなり、ちゃんとした発音で話す。
腰につけた剣の柄に手をそえつつも、ホゼアの顔を睨みつけた後、クリスナはもう一度ホゼアを一瞥してから顔を背けた。その様子を見てから、ホゼアはにやにや笑いつつもクリスナに話しかける。
「下種? 十戒も守れない、騎士の片隅にも置けない貴方には言われたくないな。イリル殿に何も打ち明けず、のうのうと生きている。――でなければ、誰が放火の大罪を犯した親の子供と共にいるものか」
その言葉を聞いて、クリスナは物凄い形相で振り返る。舌打ちをしてから、溢れんばかりの怒号を轟かせた。
「お前にイリルの何が分かるッ!? お前は何時もねちねちと、嫌味を言い募るだけじゃないか! ――知らないから、何にも知らないからそう言えるんだ、お前は! イリルの事も、全部知らないから、そう言えるんだ!」
ホゼアは顔をしかめる。何を言ってるのか、とでも言わんばかりの顔で、ぜえぜえと息を吐いたクリスナを見下ろす。
反論も無く、しかめっ面のままホゼアはその場を立ち去った。一人残されたクリスナは、顔を上げて上を見上げた。
そして、一言。
「知らないのは、ぼくも一緒だけど、さ。それでも――」
彼はしばらく、顔を上げたまま目を瞑りながら、その場に止まっていた。
後ろの角で、相手から姿が見えない方の壁に、彼は目を瞑りながら背を預けていた。
先程までの会話も、怒号も、彼の耳に届いていた。
相手が目を顔を上げながら目を瞑っている間に、彼はもたれていた壁から離れた。陰りを帯びた金髪が少し揺らいで、瞳が少しだけ開眼する。
彼は何も言わずに、その場を立ち去った。
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騎士と王子、城に勤める者たちが織り成す、願いと思惑の物語。
第一章です。
Ⅰ駆り出される者たち は、4つに分けて投稿し、Ⅱが始まり次第まとめます。