No.587658

すみません。こいつの兄です。63

妄想劇場63話目。美沙ちゃんは、ちゃんと恋愛小説になりますね。

最初から読まれる場合は、こちらから↓
(第一話) http://www.tinami.com/view/402411

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2013-06-15 22:32:22 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:989   閲覧ユーザー数:909

 俺の部屋で、妹が長く伸びている。

 床の上に漫画を積み上げて、それを読みながら寝落ちしている。

「おい。起きろ。寝るなら、自分の部屋で寝ろ」

寛容に妹の不法滞在を許していた俺だが、風呂に入って、歯も磨いて、すっかり眠る準備の整ったところでさすがに邪魔になってきた。足で妹の薄っぺらな身体を踏む。妹は、むぐーとか、むぎゅーとか、むにゅーとかのうめき声をあげるだけで、起きる気配が一切ない。

 面倒くさいことこの上ない。

 ここに転がしたまま寝てもいいんだが五月とは言え風邪をひかないとも限らない。こいつが風邪をひくと、俺にもうつるかもしれないし、看病もしないといけないかもしれない。面倒くさい。

 俺は、小さな寝息を立てる妹にそっと毛布をかけたりしない。両足をつかみ、廊下に引きずり出した。妹の部屋のドアを蹴り開け、ずるずると引きずり込む。ドアの戸当たりに妹の頭蓋がぶつかり、ごつごつと音を立てた。これでも寝てるとは、さすがは俺の妹だ。妹の部屋のカーペットの上まで移動させたところで、ベッドから毛布を引き剥がし妹の上にかけてやる。

 電気を消す。ここで一言。

「おやすみ…真菜…」

これさえ言っておけば、兄の深い愛情を示すシーンの出来上がりである。

 妹を運び出し、平穏の訪れた部屋に戻り天井の電気を消して、枕もとのスタンドを点ける。

 妹は隣の部屋で寝てる。ガン寝だ。足で踏みつけても、両足をつかんで引きずりながら、段差に頭を打ちつけても起きないほどに寝ている。

 エロゲをやるしかない。俺の脳内で、横山光輝先生の描く孔明が「今です!」と言っている。

 パソコンを起動し、モニターをベッドのほうに向ける。無線トラックボールとキーボードをもって、ベッドに移動する。頭には無線ヘッドフォン。

 何ヶ月ぶりだろうか。

 エロゲ、起動。

 美沙ちゃんに根こそぎ消去され、ディスクを奪われ、妹に妹モノエロゲをインストールされ、俺がアンインストールし、すっかりクリーンになった俺のパソコンだったが、先日、こっそりダウンロード販売で選びに選んだエロゲのインストールに成功していた。

 フルスクリーン表示が俺のジャスティス。意味がわからない。そのくらい、わくわくしている。

 

 たいへんにすばらしい。

 

 美しいグラフィックと、かわいらしい声、じわじわと盛り上げる甘酸っぱいストーリー。画面の中の美少女にマジで恋をする。これで、この子の名前がマナちゃんでなければ、もう少し堪能できるのだけど、それでもいい。これは、すてきだ。マナちゃんが切なく俺を求める。

 ここから先、十数分の出来事は割愛させていただかないと、ちょっとアレなので割愛する。アレがアレして、賢者モードで、眠気が一気に押し寄せる。

 そして、眠気に押し流される。

 

 ふと、熱を感じて目を覚ます。

 寝落ちしていた自分を思い出す。エロゲをやって、賢者モードで寝落ちとは、なんというリラックス睡眠。間違いなく健康増進した。ヘッドフォンをつけたまま寝てしまった。エロゲのBGMは意識に触らず、静かにシーツの下を滑っていくような滑らかさがある。安眠音楽でもある。そのBGMの流れるヘッドフォンを外そうとして気づく。左腕に熱を感じる。妹が、布団に入り込んで左腕にしがみついていた。

 なにしてやがる。こいつ。

 目が覚めた。

 たしか、エロゲを起動する前にコイツは隣の部屋に捨ててきたはずだ。なぜ、わざわざ俺のベッドに潜り込んでくるのだ。なぜ、わざわざエロゲ寝りした俺のベッドにもぐりこんで来るのだ。

 液晶モニタは幸いなことに真っ暗。電力管理機能のおかげである。右手で、そぉっとヘッドフォンの電源をオフにしてから外す。危険なのは、俺の右側に転がっているキーボードとトラックボールである。うかつに触るとパソコンが目を覚まし、マナ(エロゲの登場人物のほうだ)の顔に向かって、プレイヤーである俺の分身の分身(比喩表現)を解き放った状態になっている美麗なグラフィックスが表示される。俺の記憶が正しければ、メッセージウィンドウには『俺の○○を浴びて、マナは幸せそうに微笑んでいる』と表示されているはずだ。妹、真菜に見られるのは、きわめてマズい。

 そうだ。

 妹を起こさないように最新の注意を払って、キーボードに手を伸ばす。ウインドウズキーとLのキーを押す。これで画面がロックされた。万事よし。

「おい。真菜…」

真菜とマナが混じる。変な気分だ。これからは、エロゲを買うときにヒロインの名前にも注意しよう。マナとかエロゲでもありがちな名前なのだ。世間の親御さんたちも、エロゲのヒロインと娘さんの名前がかぶらないように、なるべくダサい名前をつけるといいと思う。リアル真菜は軽く名前を呼んだくらいでは目を覚まさない。引きずって、頭をごちごちと段差に打ち付けても起きなかったのだから、当たり前と言えば当たり前だ。

 

1)起きるまで上半身にいたずらする。

2)起きるまで下半身にいたずらする。

3)そっと唇にキスをする。

4)鼻の穴に指をつっこむ。

 

目の前に選択肢ウィンドウを幻視する。寝るまでエロゲをやっていたからだ。1と2はリアルではありえない。リアル妹の身体に触ってなにが面白いのか?いや、別にエロゲの中でも妹キャラは攻略しないけどさ。3も無しだ。まぁ、兄妹で挨拶代わりにキスをする文化もあるかもしれないが、俺の文化にはない。デカルチャーすぎる。つまり、消去法でチョイスは4。

 俺は妹の鼻の穴に、指を二本突っ込んだ。

「ふがっ…ぐごごごごっ」

妹が口から面白い音を出している。

「ぶごっ…ぶごごっ。ぶがっ」

女子高校生として、いけない感じの音になってきた。俺は妹の鼻につっこんでいた指を引き抜いた。

「ぶしゅっ…ふがぁー」

これでも起きないのか…。選択肢4の色が変わって、選択不可能になる。俺のエロゲ脳もいい加減にしてもらいたい。なにがあっても1~3の選択肢は選ばないからな。

 選択肢以外の行動も取れる。ここはリアルだ。スカイリムより自由度が高い。

 俺は、妹の口の中に、指を五本突っ込んだ。(うち二本は、先ほど鼻穴に突っ込んだもの)

「ぶぐっ!がほっ!」

妹は目を覚ました。

「あにするっすかーっ!」

窓から差し込む街灯の薄明かりでもわかる程度には涙目だ。仕置き完了。

「それは、こっちの台詞だ。なんで俺のベッドに潜り込んできてるんだよ」

「妹が兄と一緒に寝ちゃいけないんすか?」

「俺が、お前のベッドに突撃したらいけないだろ」

「いいすよ」

「よくねーよ。お前は十六歳で、俺もあと少しで十八歳だ。普通、一緒に寝ない」

「確認したっすか?」

「は?なにをだ」

「普通というからには、事実を確認して統計取ったっすか?」

「…い、いや、取ってない…けど…」

というか、事実を確認ってどういうことだろう。他の妹のいるやつのところに行って、寝室をのぞいて来いとでも言うつもりなのか。

「他の兄と妹が一緒に寝てないところを確認したっすか?」

「してない…けど」

俺は『屁理屈を言うな』と言う大人の気持ちが少しわかった。だが、俺にも矜持がある。『屁理屈を言うな』は論理無視の宣言に他ならない。

「実は、兄と妹は一緒に寝ているの大多数で、それを言っていないだけかもしれないっすよ」

たしかに、妹と一緒に寝ているかどうかなどというのは、自己申告にすぎない。確認するわけにはいかない事象だ。

 たとえば世の中には、トイレで全裸にならないと排便できないタイプの人がいると聞いたこともある。そういう人はトイレで個室に入ると全裸になって、膝の上にたたんだ衣服を乗せて排便していると聞いた。それも確認していないので、事実かどうかはわからない。それがノーマルじゃないと当人もうすうす気づいているかもしれないが、誰も知らないので誰も指摘せず直すきっかけがないのだと聞いた。

 世の中には、プライベートすぎてノーマルがなにかを知れない事象がある。兄妹の寝る方法。トイレの個室の中でやりかた。どちらも同じだ。

「…たしかに、お前の言うとおりだが、一緒に寝ていると言う確認も取れないな」

それでも、俺は粘るぞ。

「つまり普通かどうかと言うのは、基準に使えないっす」

くそ。妹は、バカの癖に脳の性能だけは悪くない。異常記憶能力だけかと思っていたら、意外と論理思考も行けるじゃないか。

 論理では勝てない。屁理屈を言うなとは言いたくない。

 戦略を変える。違う筋道から俺のベッドに忍び込むのをやめるという結果を導き出そう。

「そうだ。俺がお前のベッドに潜り込んでいいと言ったな」

「いいすよ」

窓から差し込む水銀灯の明かりに見える妹の表情は、なぜ二度も聞くのかと言う表情だ。まだわからんとは。

 ここは二度とこんな馬鹿なことをしないようにしておく必要がある。

 つまり選択肢1もしくは2だ。

 いくぞ。

 1。

 俺は、妹の平坦な胸に手を伸ばそうとしたが、中断した。

「どうしたんすか?」

妹がますます疑問の度合いを増す。

 くそ。こいつの胸なんて触っても面白くないから中断したのだ。けっして、ヘタれたわけではない。

 2。

 意を決する。俺は、妹の両足を抱えあげた。そして、そのままベッドを降りる。

「ぎゃひっ」

引きずられた妹がベッドから落下し、背中を床に打ち付ける。俺は気絶した敵兵を運搬するソリッドでスネークなあの人のように妹を引きずり続ける。無言で。

「あぎゃっ!ひぎゃっ!あにするっすかーっ!」

 無言で妹の部屋のドアを開ける。妹ボディを妹の部屋まで引きずって、抱えていた両足を放り出す。自分の部屋に戻る。最初からこうすればよかった。欲しい結果は、妹が俺のベッドにいない状態だ。つまり妹ボディを物理的に移動させればいい。論理関係ない。関係あるのはニュートン力学だ。

 薄い毛布をかけなおして、目を閉じる。

 平穏。

 

 翌日からは、中間テストだった。

 理系クラスを選択した俺は、苦手な古文の試験を受けなくていい。いいことだ。それだけで試験期間に平穏さがあふれる。

 試験期間内は午前中で終わるしな。

 三教科分の試験を終わらせて、真奈美さんの教室に向かう。入り口から覗くと、とっくにカバンに荷物をしまい終えた真奈美さんがノソノソと背中を丸めてやってくる。相変わらずジャージだ。ばさばさで伸ばしっぱなしの髪とあわせて、暑そうだ。

「かえろ」

そうつぶやくように言って、真奈美さんが両手でカバンを抱きしめるように抱えたまま、肩を俺の腕にすりつける。

 二人で階段のほうに向かうと、ちょうど美沙ちゃんと妹が階段を上がってきた。

「お兄さん。まずいです。ぴんちです」

美沙ちゃんが、小走りで駆け寄る。小さくDカップが揺れる。俺の黒目も同期して揺れる。どうしても目が夏服になった制服の胸に行ってしまう。もうこれは男の不随意反応なのだから、しかたない。

「ありがとうございます。ありがとうございます」

至福の光景に、心からの感謝の言葉が口をついて出てきた。人は、本当に有難いものを目撃したとき、自然に心からの感謝の言葉が出てくるものなのだ。

「なにがです?」

美沙ちゃんがきょとんとしている。

「そ、それよりなにがピンチなの?」

「中間テストです。今回は三十点以上取れる気がまったくしません」

それはピンチだ。美沙ちゃんは『ばっちりです』と可愛くウィンクしながら赤点を取ってしまうのだ。その美沙ちゃんがピンチと言っているのだ。かなりのピンチだろう。漫画でしか見たことがない、伝説の零点を見れるかもしれない。少しわくわくしてきた。

 四人で階段を下りながら、状況を聞く。

「美沙っち、意味がわからないっす。教科書に書いてあることを覚えて、丸ごと書き写すだけの試験がなんでできないんすか?」

教科書を改行の場所から、文字フォントまで完全に覚えられる妹に言われても困る。

「それは、真菜がおかしい」

「そうだ。お前がおかしい」

「……かしい…と…おも…」

「なんで、成績のいい方が責められる構図になってるっすか!?」

妹の言い分が正しいな。こいつ、クレイジーなんだが意外と理屈にあっているから困る。

「ちがうよ!真菜!理屈じゃないんだよ」

そうだった。妹は女のくせに、女の子の会話進行がわかっていない。そんなだと、お前、女の子の中で孤立するぞ。女の子の会話は理屈を求めていない。女の子の会話はいつだって共感を求めているんだ。

「そうだ。お前、なんで試験がピンチで落ち込んでいる美沙ちゃんに追い討ちをかけるんだ。鬼か貴様」

「やっぱり、お兄さんは私に優しいですね。私にっ!優しいですね!」

美沙ちゃんが、ぱぁっと花のような笑顔をひらめかせる。可愛すぎて死にそうだ。

「私には優しくないっす…モノあつかいしたっす」

妹がずどぉーんと、泥のようなオーラを垂れ流す。

「もの?あつかい?ってなに?真菜」

あ、このバカ。また余計なことを言いやがった。美沙ちゃんが、変なことに興味を示し始めたじゃないか…。

「俺の部屋で寝ちゃった真菜を部屋まで運んでやっただけだよ」

妹よ、わかったかこれが嘘を言わずに、事実のすべてを語らずに平穏を保つやりかただ。

「にーくんと一緒に寝てたのに、両足広げられて、ひどいことされたっすー」

妹よ、わかるか。それは事実の一部だけを語って、平穏を乱すやりかたに他ならないぞ。

「お兄さん。ちょっと話があります」

まずい。

 美沙ちゃんが、俺の手を引いて駅のホームの端に連れて行く。実の妹に劣情を抱いたと思われて、折檻されるのか?まさか『一緒に飛び込んでください!』とか言わないだろうな。今の美沙ちゃんだと、可能性がゼロじゃないから恐ろしい。

「お兄さんっ!なんで私じゃないんですか!」

え?そこ?実妹ってところはスルー?

「ちょっと待って、ご、誤解があるよ!あいつが日本語おかしくて正しく伝わっていないことは知ってるだろ」

「なんで私とは一緒に寝ようって言わないんですか!」

なぜと言われても、社会通念上の理由と刑法上の双方の理由がある。恋人でもない女の子と一緒に寝ちゃいけない。未成年の男女が、一緒に寝て自然に発生するアレコレは法で禁じられていた気がする。それに美沙ちゃんとそんな仲になったら、真奈美さんはどこにいればいいんだ。

 とにかく誤解を解こう。

「そうじゃなくて。真菜が勝手にベッドに潜り込んできてたから、脚を持ってあいつの部屋まで引きずり出しただけだよ。美沙ちゃんが想像しているようなことは一切ないから!」

美沙ちゃんは、整った眉根を寄せて、たれ目気味のまなじりを精一杯にあげて怒った顔を作る。迫力よりも可愛さが先に来る。きゃわいいなぁ。もう。

「お兄さん。私が、なにを想像してると思いました?」

「えと…その」

なんてところを突いてくるのだ。

「妹とラクロスみたいなことをしてると想像してたかと思った」

婉曲表現。

「ラクロスって、あのスティック持ってやる競技ですか?」

美沙ちゃんが意味を捉えきれていない。グッド。ネットスラングに汚染されていない美少女だ。このまま、なんとかごまかすしかない。婉曲表現回路、出力全開。

「妹とスティック的なものを使って、ラクロス的なことをしているんじゃないかと想像しているんじゃないかと思っていました。」

「え?あ!?…そ、そんなこと思ってません」

美沙ちゃんのボブカットから覗く耳が赤くなっているのを見る。これほどの婉曲表現でも伝わってしまった。

「じゃあ、なにを想像してたの?」

俺のサド回路が接続され意地悪を言うと、美沙ちゃんが耳どころか頬までみるみる朱に染める。かわいい。

「…そ、その。ま、真菜に、い、痛いことしたんじゃないかって…」

ベッドから落下させたのは、それなりに痛かったかもしれないが背中からだったし、そんなに痛くなかったはずだ。

「そんなことしてないよ。それより、なんでそれで美沙ちゃんじゃないって怒るのさ…」

美沙ちゃんはマゾっ気があるんだろうか。

「ど、どうでもいいじゃないですか!せ、セクハラですよ!セクハラ!ほらっ!電車来ました。乗りますよ!」

美沙ちゃんがキレ直した。俺の手をつかんで、ホームに滑り込んできた電車の中に最後尾車両に引きずり込む。十五メートル先を見ると、ちゃんと妹が真奈美さんを連れて電車に乗るところだった。

 発車メロディが鳴る。圧搾空気の音にあわせて、美沙ちゃんが車内から俺を突き飛ばし、自分も降りてくる。ドアが閉まり、電車が発車して行く。俺と美沙ちゃんをホームに残したまま。

 俺はぼーぜんとして、空っぽになったホームから電車を見送る。

「み、美沙ちゃん?」

「お姉ちゃんは、真菜がきっとちゃんと送っていきます」

まぁ、そうだろうな。妹はああ見えて、意外と面倒見がよかったりしている。

 それはいいけれど、美沙ちゃんはどういうつもりなんだろう。

 ポケットの中で携帯電話が震える。妹からメールだった。当たり前だ。わかりきっている用件を確認するために二つ折りのガラケーを開く。美沙ちゃんが俺の手から取り上げる。瞬く間にバッテリーが外されて、本体だけ返してもらえる。

「しばらく禁止です」

そう言って、美沙ちゃんも自分のスマホの電源を切る。

「…うん」

美沙ちゃんの少し辛そうな瞳に、なんとなく意図を察してつぶやいた。

「まだ暑いってほどじゃありませんし…。歩いて帰ってみません?災害時に、自宅までの徒歩のルートを知っておくと良いそうですし」

「そうだね」

中間テスト期間中に避難訓練でもないだろうが、二人で並んで改札を出る。

 駅前の商店街を、ふたり無言で歩く。コンクリートの壁の向こうを電車が走り抜けて行く。

 道は、やがて線路と分かれる。歩道がなくなり、車道と一緒になる。俺は美沙ちゃんの右側、車道側に位置を変える。美沙ちゃんは、さすがの美少女っぷりだ。右から見ても、左から見ても鏡に映したみたいに左右対称だ。あらためて、美沙ちゃんの飛びぬけた美少女っぷりに感動する。

 美沙ちゃんの突然の避難訓練しましょう提案には驚いたが、新緑の季節に二人で一緒に歩いて帰るのは悪くない。それどころか、良い。

 俺、年を取ってから、今のことを懐かしく思い出すな。そういう確信がある。

「お兄さん。あと少しで誕生日ですね」

「うん」

よく覚えていたね、などとは言わない。美沙ちゃんは、鎌倉幕府開府の年代は覚えてなくても、俺の靴のかかとが剥がれかけてから、何日目かは覚えている。誕生日もチェック済みだ。

 道は、川にかかる橋にさしかかる。電車の通る鉄橋が少し上流側に見える。いつも電車から見ていた歩行者用の橋を渡る少し手前。

「ちょっと、寄り道しません?」

美沙ちゃんが、俺の手をつかもうとして手を引っ込める。美沙ちゃんを振ってしまった俺にみせる気遣いと、花のような顔にわずかになにかが混じる。

「夏服は、袖がないから不便ですね」

美沙ちゃんが土手を降りていく。俺もついていく。川原を進み鉄道の鉄橋の橋桁のたもと。コンクリートの土台に、二人で腰掛ける。

「お兄さんの誕生日プレゼント。私が決めてもいいですか?」

「だめ」

ここで許可してしまうと、恐ろしいことが起きる。俺には、わかる。

「だめなんですか?」

「うん。もらえないものだと困る」

「ひっからないですね」

危ない。やはりトラップだったか。

「ちなみに、ちゃんと首にリボン巻いてお届けですよ」

もらっておくしかない。

 まて。いかん。がんばれ、俺の意志。ここでクニャっと折れてしまうような覚悟で決めていいことではない。それは美沙ちゃんにも失礼極まりない。

「それは、そういうことになったときにボーナスとしてやって欲しい」

俺を見る美沙ちゃんの瞳が一瞬ゆれる。

「私、今回のテストは本当にピンチです。零点をやっちゃったかもしれません。歴史も、古文も完全にアウトです。数学もあんまりわからなくて、試験中に寝ちゃいそうでした」

ずいぶん話が飛んだな、と思いつつ黙って聞く。美沙ちゃんがキラキラと光る川面を見つめながら続ける。

「…一応、一夜漬けをしようとしたんですよ。昨夜も二時まで机に向かっていました」

「そうなんだ。それでも、だめ?」

勉強の相談をされているんじゃない。そのくらいは、俺でもわかる。だけど鈍感を装う。俺は、臆病な卑怯者だ。

「つい逃避しちゃっているんですよね…。たぶん。ただの逃避だから気にしないでください…。教科書を開いても、ノートに向かっても思い浮かぶのはお兄さんのことばっかりなんですよ」

美沙ちゃんが、ちらりとこちらを見上げる。俺の動揺を見透かそうかと言うように…。

「美沙ちゃん、俺…」

言いかける俺の唇を細い人差し指が止める。

「…何度も振らないでください。これ以上、泣かさないでください。お兄さん。これ。独り言ですから…。っていうか、意地悪ですから、ただ聞いてて意地悪されてください」

唇を人差し指がすべる感触を感じて、俺はただうなずく。

「勉強は頭に入らなかったけれど、一つ知ったことがあります」

美沙ちゃんが、俺の目をいたずらっぽく見つめて話し続ける。

「『二宮直人』って、ノートに書くとドキドキするんです。なんだか、胸のこの辺がきゅってして暖かいんです」

美沙ちゃんが、夏服の制服を抑える。

「何度も書いちゃいました。自分の名前と並べて書いたり。二宮美沙なんて書いてみたりして」

ひどい意地悪だ。

 美沙ちゃんからそんなことを言われたら、俺だって明日のテストは破滅する。俺だって一夜漬けで乗り越えているタイプなのだ。それなのに中間テストの間に、世界一可愛い美沙ちゃんから、大好きなのに振った美沙ちゃんから、そんなことを言われたら、このあと何週間だって勉強なんて手につかない。

「お兄さん」

美沙ちゃんが、少しずつうつむいていた頭を持ち上げる。

「やっぱりあきらめられません。振られてもあきらめられません。最初は…」

大きなたれ目気味の瞳がかすかに潤むのを見る。

「…最初は、お姉ちゃんがうらやましいんだと思っていました。あんなに献身的にやさしくしてもらえるのがうらやましかったんだと…。でも、それを抜きにしても、やっぱりお兄さんが欲しいです。好きです」

まっすぐな瞳に胸の奥が締め付けられる。その瞳に、やっぱり真奈美さんの妹なのだと思う。真奈美さんが部屋から出て、世間の残酷さへ立ち向かっていったのと同じ強さがあった。違いは、美沙ちゃんが、その凛とした強さで向かっているのは俺の残酷さ。美沙ちゃんの、やわらかくて清らかな心を切り裂く残虐さ。

 それに恐れず、二度目の「好き」を口にする。

 美沙ちゃんの気持ちは、口にしなくてもとうに伝わっている。知っている。その言葉が伝えるのは、美沙ちゃんの心ではなく、覚悟。

「美沙ちゃん…」

死の河岸で見たワルキューレお姉さんを思い出す。今、俺の罪ログには、すごいスピードで罪が積みあがっているだろう。地獄行きがガンガン確定して行く。

 

 つんつん。

 

 美沙ちゃんのほっそりとした指が、俺の眉間をつつく。

「ふふ…眉間にしわ寄ってますよ…。意地悪、成功」

美沙ちゃんこそ、顔に寂しさとつらさの影が見えるよ。そう言おうとした俺の言葉は、通過する電車の音にかき消されて届かない。

 

(つづく)

 


 
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