No.585924

混沌王は異界の力を求める 15.5

布津さん

幕間話 悪魔との生活

2013-06-10 21:05:11 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:6635   閲覧ユーザー数:6456

「悪魔の剣技を教えてほしい」

 

シグナムがそう言ったのは、いつも通り、スルトと一稽古やろうというその直前だった。

 

「む……?」

 

スルトは、シグナムの予想もしていなかった言葉に疑問を抱きつつも、構えていた簡易デバイスを納めた。

 

「悪魔の剣技が人間に使用できないのならばそう言って欲しい、そうならば私も諦めがつく」

 

「否、不可能ではないが……」

 

実際、悪魔の技を人間が使うことは不可能ではない。いくつか前の世界では、人間たちが携帯型のCOMPに記憶させたスキルを自らの肉体で使用していた。

 

「ほ、本当か!」

 

「無論、だが何故か? シグナム、貴様程の技量があるならば、我に教えなぞ請わずとも、独力でいくらで上を目指せるだろう?」

 

スルトの言葉にシグナムは首を左右に一度振った。

 

「たしかに、今のままの鍛錬を続け、貴殿と剣を交えてゆけば、私は強くなれるだろう、だがそれでは遅いのだ」

 

言ってシグナムは己のレヴァンテインに視線を落とし、そして続けてスルトが腰に差した、紅蓮を噴くレーヴァティンに視線を移した。

 

「先日のホテル・アグスタでの任務の際、私は貴殿達との実力の差を実感した。貴殿の屠った敵の総数を二で割っても、私の倒した総数では遠く及ばない。私の想像していたよりも貴殿との差は膨大だった」

 

「当然だ、我等は貴様達が生を受ける以前から剣を振るい、戦場を潜り抜けてきた、その差は一朝一夕で埋まる物ではない」

 

自慢するでもなく淡々とスルトは言った。その言葉にシグナムは深く頷いた。

 

「ああ、恐らく私は人間だ、悪魔のようには生きられないだろう」

 

恐らく、という言葉にスルトは首を捻ったがシグナムは構わず続けた。

 

「私はまだ強くなる、だが、それでは到底貴方に追いつけない、今のままでは駄目なのだ」

 

「ゆえに悪魔の剣技を身につけようと、そういうことか」

 

シグナムは力強く頷いた、その様子にスルトは鼻腔から息を吹いた。

 

「我に喰いつく為に、我に教えを請うか、されど我の後を追うだけでは我には届かぬぞ?」

 

「分かっている、私とて貴方に教えられるだけに留めるつもりは無い」

 

断固としたシグナムの表情に、スルトは先ほど納めたデバイスを左手で抜き

 

「良いだろう、教えてやろう、だが、我は我が主の部下、主の教えに従いいくぞ」

 

言ってスルトは笑い、腰に差していたレーヴァティンを右手で抜いた。

 

「痛くなければ覚えない。情け無用、容赦無用。泣き叫ぼうとも止めてはならん」

 

結果として、シグナムは久々の筋肉痛と数倍に膨れ上がった疲労を得ることになった。

 

 

(気まず……)

 

昼時、機動六課の食堂は沈黙が支配していた。だがそれは決して無音という訳ではない。

食物を喰い千切る音、咀嚼する音、嚥下する音。水分が喉を潤す音。食器が奏でる陶器音

しかしその音を鳴らすのはたった一人だった。濃い色の皮で出来た鎧と白のマントを来た大男、傍らに雷を放つ大槌を置いたトールだ。

今現在食堂に居るのはトール除けばただ一人、僅かに離れた位置に座る、鬼神に(すがめ)の視線を向ける、対照的に小さな体躯、ヴィータだ。

 

(ったく……)

 

ヴィータ鬼神から視線を離し、目の前の自分の食事に取り掛かることにした。両者は一言も交わすことなく喰らい続けた。

彼女はトールの事が苦手だった。その理由は言うまでも無い、先日トールに大敗したからだ。トールの側はそれを別に何でもないかの要に振舞うが、ヴィータの方は何となく気まずく、顔を合わせてしまえば口からは怒号が出そうで、なるべく顔をあわせることを避けていた。

 

(何で今日はコイツが居んだよ……)

 

トールの食事は殆どがスルトと共に行われた、しかし今日はスルトとシグナムの訓練が長引いている為、トールは食堂に遅く現れたのだ。

彼が食事を終えたときに食堂に入るようにしているヴィータは、食事を終えた筈の彼が入ってきた際に手を止めるほど驚愕した

 

 

(ったく……)

 

脳内で何度目になるか解らない舌打ちをつき、最後の食器を片付けた。

 

「ふぅー……」

 

食器を置き、満足の溜め息を吹き、ふとトールへ視線を向けた。

 

「……!?」

 

トールの食器の量が増していた。こちらよりも速い速度で食事をしていたにも関わらず、先ほどまでよりも料理の乗った皿が三割ほど増えている。彼が片付けた総量を見れば、今自分の目の前に有る物の七倍程ある。

 

「なぁ、アンタ」

 

思わず、肉体が精神を凌駕し、口が動いた。するとトールが呷っていた巨大ジョッキを口から離し、こちらに視線を向け言葉を待つ視線を取った。

 

「アンタ、その量じゃ結構かかんだろ? どうやって払ってんだ?」

 

トールの食事の量は尋常ではない、自分の七倍ということは常人の十倍を越えている。そんな量が続けばかかる金額は尋常ではない。

 

「払ってなどいない」

 

トールから返って来た返答は予想外だった。

 

「あ?」

 

「払ってなどいない」

 

「待ておい……んなら誰が払ってんだよ!?」

 

「知らぬ、大方、我が王かメルキセデクあたりだろう」

 

言うと、トールは再び異様な速度で料理を片付け始めた。心なしか先ほどよりも速度が増しているように感じられる。

 

「おい貴様」

 

全ての食器を片付け終え、四つ目の大ジョッキから口を離したとき、不意にトールが言葉を発してきた。

 

「あんだよ?」

 

こちらを向きもせず、飲み干したジョッキに視線を向けたままの巨人に返した声は、自然と不機嫌なものが混ざった。

 

「あの鉄槌の修繕は完了したのか?」

 

「あ?」

 

一瞬、トールが何を言っているのか理解できなかった。

 

「我の破壊した、あの鉄槌の修繕は完了したのかと聞いているのだ」

 

その言葉で理解が出来た、この巨人はグラーフアイゼンのことを聞いているのだ。

 

「……昨日戻ってきたばっかだよ、ブチ壊されたのも綺麗さっぱり、元通りだ」

 

「そうか……」

 

言ってトールは沈黙し、こちらの言葉を待つように沈黙した。

 

「……で、アイゼンが何なんだよ」

 

「そう邪険にするな、貴様に確認一つ確認をする件があるだけ、それだけだ」

 

そして、トールは初めてこちらに視線を向けた。

 

「武器を手にした貴様は、再び我に挑むか?」

 

「―――――」

 

「この数日間、貴様が我を避けているのは知っている、貴様の性格の(さが)か、武器を破壊された点前、我と面向かうことを避けたのだろう?」

 

「だったら……あんだよ…」

 

「話は最後まで聞けせかせか者。あのとき、貴様は我が王に牙を剥き、そして我に打ち倒され、その牙を折られた」

 

「…………」

 

「そして、貴様の手元には新しい牙が戻った。ならば貴様はどうする? 再び我が王に牙を剥くか、それとも大人しくじっとしているか。大人しくしているというのなら、我は貴様に二度と関与せぬ」

 

言ってトールは脇に置いていた雷槌を手に取った。

 

「だがしかし、まだ刃向かうというのなら、再び我が貴様の牙を折ろう、躾のなっていない主人からの待て(ステイ)も出来ぬ犬は、殴って躾をせねばならん」

 

そのこちらを馬鹿にした言葉に、思わずアイゼンを復元しかけた、が寸でのところで理性が肉体を押し留めた。

 

「さて貴様、貴様はどうするのだ? 何なのだ? 噛み付くだけの犬なのか、尻尾を巻く犬なのか」

 

「どっちでも、ねぇよ」

 

「ほう…?」

 

言って、待機状態のアイゼンを押しつぶさんばかりに握る

 

「あたしは鉄槌の騎士だ!!」

 

そして復元、右手に出現した鉄槌はいつもと同じ、破壊される前の重さを与えてくれた。

 

「あたしはヴィータ、鉄槌の騎士ヴィータ! そして(くろがね)の伯爵グラーフアイゼンだ! 犬でも貴様でもねえ!!」

 

アイゼンをトールに突き向ける、彼は興味深そうに、僅かに声を洩らしただけだった。

 

「あの野郎に刃向かうことは、もうしない。あいつはアグスタではやてを救いに行ってくれた、信用はしねえけど疑いもしねえ」

 

だがな

 

「てめえは別だ、てめえには個人的に殴らねえと気がすまねえ」

 

言ってトールを見てみれば、彼は驚いたように顔を上げると、そして双角兜の下で笑った。

 

「面白い、貴様を犬と評したことは謝罪しよう」

 

そして立ち上がる、立ち上がれば彼とこちらには三倍近い身長の差が生まれたが、トールはこちらから視線を離さない。

 

「ついて来い、鉄槌の騎士ヴィータ、(くろがね)の伯爵グラーフアイゼン。スルトの奴もそろそろ失せているだろう。この怪力の雷神トールと、(いかづち)の神槌ミョルニルが少し遊んでやろう」

 

マントを翻らせ背を向けた。振り向きながらもトールは言葉を作った。

 

「武器破壊はせんでやろう、砕くのは自信と闘志だけで充分だ」

 

そして彼は歩き出した。その巨大な背を前にして思わず相棒の名を呼んでいた

 

「アイゼン……」

 

【Kein Problem. Wir sind stark】

 

「……そうだな」

 

扉を通るのではなく潜るように抜けていく巨人の背を、駆け足で追う。

 

あたし達は強い、しかし奴の方がもっと強かったということをそのすぐ後に実感することになった。

 

 

「ダメか……」

 

「すいません、私の一存じゃ決められないですから……」

 

リインフォースⅡは、その日する仕事を全て終え、マイスターはやての仕事が一段楽するまで、六課の中を適当に散歩していた。ふと、メカニックルームの前を通りかかったときに男性と女性の声が聞こえた。

 

「シャーリーと……人修羅さん?」

 

ちらと中の様子を窺ってみれば、その通りの姿がそこにはあった、しかしそれだけではなく、二人の間には、まるで電磁を固めたような謎の存在が浮遊していた。リインはメカニックルームに用事が出来るわけの無い人修羅がいることと、その謎の電磁の塊に興味を引かれ、中の二人の声をかけた。

 

「お二人さん、何のお話ですかー?」

 

声に二人と一体が振り向いた、リインの姿を眼鏡越しの視界に入れたシャーリーが、ああ、と前置き言葉を作った。

 

「リイン曹長、人修羅さんがこの悪魔を……」

 

言って促すように人修羅を見た。シャーリーからの視線を受けた人修羅は黄色の瞳でリインを捉え、話し始めた。

 

「この間のアグスタの警備任務で敵悪魔の『エストマ』で俺達以外、敵の接近に気が付かなかったろ、だからシステムのメインにコイツを入れて、お前等が『エストマ』に感知できるようにしようと思ってな」

 

人修羅が電磁の塊に手を置く、すると電磁の塊が口を開いた。

 

「おっす、おいらは邪鬼グレムリンだぜ、ヨロシクな! 姉ちゃん達!」

 

「噂じゃ「電霊」ってそっち方面に特化した種族がいるらしいんだが、俺の仲魔にはいなくてな、だから仲魔のグレムリンの内で一番優秀なのをつれてきたんだが」

 

「おいらは天才だかんな! どんな機械も完璧に操作して見せるぜ!」

 

どうだろう? と人修羅がリインを見た。たしかにメインのシステムに関わることはシャーリーの一存では決められない。最低でもなのはかフェイト、はやての許可が居るだろう。

 

「えーと、その子をコンピュータに入れたとき、デメリットみたいな物は存在するんですか?」

 

「いや、特に無いはずだ」

 

「じゃあ逆にメリットみたいな物は?」

 

「多々ある。さっき言ったみたいに、『エストマ』を察知できるようになるし、コイツが電算の全てをサポートするから、基本計算速度が跳ね上がる。それに俺が仲介しなくても、お前等の念話と、俺達の脳話が繋がるようになるはずだ」

 

そう言われ、リインは言った。

 

「良いですよ、その子入れても。人修羅さん達との連携が上がるのは私もはやてちゃん願っても無いことですから、はやてちゃんにはリインから言っておきますから」

 

「おっしゃー!」

 

リインが言うや否や、グレムリンはメインコンピュータ目掛け飛び掛るとそのまま外殻をすり抜け、内側に潜り込んだ。

 

「どんな感じよ?」

 

人修羅が何故かコンピュータではなくシャーリーの方を向いてそう言った。だがシャーリーが疑問の表情を作る前にそれは氷解した。

 

『おっけおっけ、全然大丈夫だぜ!』

 

フレーム契約をしていないはずの人修羅の前にフレームが立ち上がり、そしてその画面にグレムリンが映りこんでいた。

 

『親分と他の連中の登録がしてなかったんでな、勝手だけど登録しちまったぜ!』

 

画面の中のグレムリンがそう誇らしげに言った。

 

 

「お姉さんですか?」

 

虚空目掛け掌底をぶちかまし、大気を揺らすメルキセデクは、背後で声高いスバルの言った言葉を確認するように繰り返した。

 

「はい! ギンガ・ナカジマっていうんですけど! 三週間後にここに配属されるんです!」

 

「ははあ……(スバル)銀河(ギンガ)ですか、両親から良い名前をいただきましたね」

 

流石にセイファート、クエーサーなどは居ないだろうなと、メルキセデクは頭の隅で考えた。

 

(居た場合なら、聖覇亜斗(せいはあと)倶永沙亜(くえいさあ)とかでしょありえません)

 

思考の途中でメルキセデクはそれを打ち切った。気分を切り替え、掌底から平拳へ、そして貫手へと様々な型を試しながらメルキセデクは、三週間という日にちにふととあることを思い出した。

 

「三週間、三週間ですか……そういえば我が主が、明々後日には訓練場の改良が完了すると言ってましたね。訓練場が正常に機能するか等の実験の日時も含めて考えれば、丁度良いタイミングです、完璧な状態で姉上を迎えられるでしょうね」

 

そこまで言葉を作って、ふとメルキセデクは気がついた。

 

「姉上も貴女と同じ……シューティングアーツという格闘術を使用するんですか?」

 

「はい! ギン姉はあたしと違ってお母さんからシューティングアーツを学んでて、ギン姉からあたしはシューティングアーツを教わったんです。あたしよりも強いんですよ!」

 

「ほう……それは楽しみですね、恐らくここに来るということは、訓練なんかも貴女方と同時にやることになるでしょうし、そのときに拳を交えてみたいものです」

 

しかし

 

「そうなると比率が悪いですね、一人増えたくらいでは私たちが負けるとは思いませんが……」

 

「あ、なら人修羅さんに新しい仲間を呼んでもらったらいいんじゃないですか?」

 

「あー、そうしたいのは山々なんですが、恐らく主は許可しませんね」

 

「? 何でですか?」

 

「詳しい理由はまだ話せませんが、昨日にオモイカネとダンタリオンという仲魔二体が無限書庫の方に行きましてね、その際に我が主が、この世界ではもう止めたほうが良い、と言ってましたから、よほどの理由が無い限りはもう仲魔は呼べませんね」

 

「へぇ……」

 

「……すいませんね」

 

虚空に対するシャドウを止め、演武に移行した。正拳、貫手、肘打ち、踵落し、回し蹴り、ありとあらゆる武術を一つの型として、メルキセデクは蛇のように動く。

 

「ときにスバル」

 

「はい?」

 

「貴女は今でも姉上に敵わないと思っていますか?」

 

「……え?」

 

「貴女は自信のシューティングアーツに加え、私のトータルファイティングの動きも習得でき始めています。それになにより、貴女はこのメルキセデクから教えを受けているのです、それでも姉上には遠く及ばないと思っているのですか?」

 

「いあ、でも……ギン姉だって毎日の鍛錬はしてるだろうし……それにギン姉とあたしじゃ年期が……」

 

「我が主は、たった一年足らずで数百年戦い続けてきたスルトやトールを(くだ)しました。強さに年は関係ありません」

 

「でも……」

 

いつまでも弱気な発言を続けるスバルに、メルキセデクは演武を止め、スバルの方へと向き直った。

 

「貴女も結構ネガティブに強情ですね、いやはや、わかりました」

 

言ってメルキセデクは双手をスバルに向けて構えた。

 

「うぇ!? セ、セデクさん?」

 

「貴女がそんな弱音を吐く気も起きぬよう、私が明々後日までにとことん鍛えてあげます、とりあえず組手です、構えなさい」

 

 

「たっ!」

 

突きこんだストラーダにセトの左の掌底が横から打ち込まれた。軸をずらされたストラーダはセトの側面を抜けていく、しかしセトは髪を掠るランスを見向きもせず、開いている右手を左手とクロスさせるように動かし、こちら目掛け正拳を打ち込んできた。

 

「っ!」

 

攻撃動作を視認した瞬間、ストラーダの柄を引き脚を浮かす、そうすれば己の身体は逆にストラーダに引かれ、セトを脇をストラーダを壁として抜けることが出来る。

 

「シッ!」

 

脇を抜ける直前、セトの黄龍眼がこちらを捉えた、抜け行くこちらに対して右足を軸とした前回し蹴りを放ってきた。セトはその控えめな身長に反し、手足は異様なほど長く、スバルよりも長い。ストラーダの無い背に向けて爪先が届いた。

 

「ふっ!」

 

蹴り足は視認した、ストラーダの刃を掴み無理やりに引っ張り、身体とストラーダの位置を逆転させ蹴りに対する壁とする、直後に衝撃。蹴りの着弾にストラーダが震えた。

 

「甘い! 吹き飛べ!」

 

セトが強引に蹴り足を振りぬいた、空中にいたこちらは踏ん張ることは出来ず、宣言通りに吹っ飛ばされ、壁際においてあった複数の器具を巻き込んで衝突した。

 

「空中での攻撃は避けろ! 受けるな!」

 

片足を上げたままセトの叱責が聞こえた気がしたが、こちらはそれ所ではない。複数の器具と共に壁に衝突したが、手に握っていたストラーダの噴出力がまだ生きていた為、室内を豪快な音と共に壁伝いに暴れ周り、しばらくしてから

 

【Stop】

 

と言ってやっと停止した。

 

「エリオ君!? 大丈夫!?」

 

「おーい、少年、大丈夫?」

 

焦点の定まっていない視界の中、天井のライトを背に、二人の少女の顔が入り込んだ、片方は焦りを、片方は疑問を含んだ声を放ってきた。

 

「……大丈夫、です」

 

瞬きを数度行えば、キャロとセトの顔がはっきりと見えた。

 

「エリオ君、ホントに大丈夫? すごい音したけど……」

 

「キャロ、本人が大丈夫だって言ってるんだから、たとえ大丈夫じゃなくても、大丈夫として扱ってあげて。男の子には意地があるらしいから」

 

セトの顔が視界から消えた。仰向け状態の姿勢を持ち上げると、伸びをしているセトの姿が眼に入った。

 

「セトさん、今日は有難うございました」

 

「ん。基本私は暇だしね。それに鍛錬の時間になってもオーディンが見つからなかったなかったんだから、私がやるしかないでしょ」

 

「それにしてもセトさん、格闘戦も出来るんですね」

 

セトは屈伸運動をしながらこちらの質問に答えた。

 

「適材適所って言葉があるでしょ? 龍のときの私は制圧戦しか出来ないから、適所を増やす為にこの姿のときは格闘術を使えるように学んだだけ。流石にメルキセデク程戦えるわけじゃない、あくまでサブ」

 

「そのサブでも僕じゃまだまだ勝てっこないですね……」

 

「そうでもないよ?」

 

手首を回しつつ、セトはこちらを見た。

 

「前の君に比べたら、段違いと言って良い程成長してる。技術や技は、オーディンから学んでレパートリーが結構増えてる、前の君なら突撃したらしたまんまだけど、今は避けられても即座の対応ができるようになった、ランスを盾にすることは前の君なら絶対しなかったしね」

 

でも

 

「エリオ、君は四人の内じゃスバルについで適応力が強い、即座の判断が可能なのは近接武術者にとってかなり重要。でも君は一手先は読めるけどその先が読めてない。さっきみたいに私の回し蹴りを受け止めることは出来る、でもその次に吹っ飛ばされることは予測していない。フェイトやシグナム、メルキセデクやスルトみたいのは数手先が読めるから強いの、君はまだまだその辺が力不足」

 

言ってセトは肩を竦めた。

 

「まあ、こればっかりはグイグイ伸びるって事はないから、日頃から組手とか試合とかして鍛えていくしかないからね。ほら、今日の鍛錬はもう良いから、医務室行って来たら?」

 

「え?」

 

その言葉に思わず首を傾げた、医務室に行けと言うのは勿論自分のことだろう、近接格闘の訓練を受けていないキャロで有る訳は無い、しかしセトの攻撃は全て非殺傷設定でこちらに傷は付けられない筈だ。

 

「集中すると周りが見えなくなるタイプ? 腕、右腕」

 

言われて右腕に視線を向けてみれば、なるほど、そこには何かで切ったのか、二十センチ程の一本の切り傷が確かに存在していた。

 

「え、あ……痛ッ!?」

 

傷を視認した瞬間、身体の方も今傷付きましたとでも言うように、痛みと出血を送ってきた。

 

「さっき壁を摩ったときに切ったんだろうね。利き腕は早めの処置が必要だよ。私は回復系魔法が使えないんだから。あ、キャロは直せる?」

 

「えっ……と、すいません、私も無理です……」

 

「ん、という訳だ、行け、ゴー」

 

セトに背を押され、右腕を押さえながら訓練室を出た。

 

 

エリオの背がドアの向こうへと去っていくのを見た、右腕を押さえている為に、半開きのままで放置されたドアを。しかしそのとき背後からセトの龍眼がこちらを覗き込んできた。

 

「何キャロ? どうかした?」

 

「あっ…・・・いえ、何でも無いです」

 

「ふーん……。さ―――て、エリオの次は君だけど……今日はどうしよう?」

 

いつの間にかフリードを両手で抱え、左右に揺れながらセトは言って来た。

 

「え、と……どうしましょうか?」

 

苦笑いでそう返した。今現在、六課の訓練場は人修羅の手によって完全に閉鎖されている為、室内の訓練室でしか訓練が出来ず、フリードやセトは大龍の姿での訓練が出来ずにおり、長い間キャロの訓練は基礎訓練のみとなっていた。

 

「とりあえず……これ、片付けますか?」

 

先ほどストラーダの暴走で軒並み薙ぎ倒されている、あまり使われることの無い訓練器具を指差した。

 

「そだね、まずはそうしよっか」

 

セトは頷き、その細腕では考えられぬほどの力で器具を片付け始めた。

 

「ねえ、キャロ」

 

両腕のみを黒龍のものに戻し、己の三倍ほどのサイズの器具を立て直しながら、セトが言葉を送ってきた。

 

「ふと流してて気がついてなかったんだけど、君さ、君達さ、私達のことどう映ってる?」

 

「?」

 

「あ、いや、聞き方が悪かった。君達はさ……私たちのことをどう思ってる?」

 

「え? あ、あの……」

 

「んー、これ別に深く考えるような質問じゃないから、気軽に答えてくれて良いよ」

 

こちらに視線を向けず、作業をする手を一切止めずセトは言った。

 

「内面外面の区別はしなくて良いから、あなたにとって私達は何?」

 

困った。セトの質問の意図はいまいち良く分からないが、困った。

 

(どうしよう……)

 

他者を評価するのは苦手だ。自分は今まで生きてきて、積極的に他者と関わったことは少ない。フェイトさんと出会う前に限定すれば更に激減する。

 

「……今でも、少し怖いですけど、皆さん良い方ですから、信頼してます」

 

嘘でない。今でも不意に、だいそうじょうの骸骨の顔が現れる時には悲鳴を上げてしまうし、スルトや黒龍状態のセトに上から語られるのは、叱られているようで苦手だ。しかし同時にメルキセデクのように口数の少ないこちらに合わせて、話し方を変えてくれる存在は、嬉しいし有りがたい。

 

「………」

 

発言した後、少々の沈黙が降りた。微かに顔に驚きの表情を浮かべたセトがしばらくして口を開いた。

 

「そ、良かった」

 

あいまいで短い答えを返した問うのに、セトの声は少々嬉しそうだった。

 

「……少し、話そうか」

 

僅かな無言の後に、セトが再び口を開いた。

 

「私達が今まで行った世界にはね、私達のことを理解不能の害敵として認識して、一切の交渉の場を持とうとせず、拒絶の姿勢をとった世界もあった」

 

仕方ないって言えば、仕方ないんだけどね。とセトは弱く笑う。それは良くわかった、自分もかつて、年不相応の竜召還の能力の為に、竜の里から追い出された過去がある。膨大な力に見た目も完全に違う悪魔が、手を差し伸べてきても拒絶してしまうのは無理からぬことだろう。

 

「それだけなら、我が主も私達も、向こうが慣れてくれるまで根気よく待つだけだからね。

 

でも、とセトの持つ鉄製の器具がセトの握力によってミシリと音を立てた。

 

「慣れて、私達が無害な討たれる為の存在だと勘違いするのは間違い、ミステイク。勘違いの果てに私達の仲魔を無意味に傷つけて、それで主の怒りをかって、主たった一人に滅ぼされた世界もあった」

 

「……え、ひ、一人?」

 

たった一人で世界一つを滅ぼす、その言葉に思わず手を止めていた。

 

「ん、闘争の結果なら死んでも主も文句は言わない。でも和平の使者として送った子がボロボロで帰ってきたときあの人は一撃で………」

 

セトは言葉に詰まり、何かを言おうとしてそれを飲み込み、一度頭を振った。

 

「まだ怖い、信頼できる、君がそう言ってくれて良かった。私達は皆君達のことはそれなりに気に入ってるけど、それが一方的じゃない事がわかっただけでも、今日君に聞いた意味があったよ」

 

言って、セトは気分を切り替えるかのように、よしっと言うと袖を捲くり上げ本格的に器具を元に戻し始めた。

 

「ふー、終わった終わった!」

 

そして数分後には台風の後の様だった訓練室は見違えるほどではないにしろ、使用可能までには元に戻った。

 

「あー、疲れたあ……」

 

セトが伸びをするために姿勢を反らし始めた、だがその動きが不意に止まった。

 

「……エリオ遅いな」

 

微かに仰け反った姿勢で、ぼそりとそう言った。

 

 

時間は少し遡り、医務室。

 

「今日は、これで……終わり、と」

 

白衣姿のシャマルは今日の仕上げる予定の最後の書類を書き上げていた。訓練場の閉鎖により医務室を利用する者が減り、必然的にシャマルが患者ではなく、机に向かう時間も増えていた。

 

「ザフィーラもありがとう、手伝ってくれて」

 

「役目だ」

 

足元に伏せている青狼が言った短い言葉に、僅かに笑みを得た。

 

「さて、と……」

 

デスクワークは終わったが、今日はまだ時間がある。たしか最近は医療道具の確認をあまりしていなかった、ならば今日の余った時間をそれに当てるのも良いだろう。隣の医務準備室に向かう為に、腰を浮かせかけた、そのとき

 

「失礼する」

 

声と共にドアを開けて入ってくる者があった。長槍を携えたその痩躯の姿は、オーディンだった。

 

(……?)

 

オーディンの姿を見たとき思わず疑問を得た。しかし、その疑問が何なのか一瞬自分でも理解が出来なかった。

 

(あっ、そうか……)

 

僅かな熟考を得て気がついた。悪魔がここに入ってきたことに違和感を感じたのだと。彼等は大なり小なりどのような傷でもすぐさま自分達で治してしまうため、医務室に入る用事が一切無いのだ。

 

「……ふむ」

 

入ってきた魔神は一瞬こちらとザフィーラに視線を向けたが、すぐさま視線を外すと室内を物色するかのように見回し始めた。

 

「あの……? オーディンさん? 何か御用ですか?」

 

こちらが声をかけると、隣の医務準備室に続く部屋に視線を向けていたオーディンはやっとこちらに声を出した。

 

「ああすまない、一つ頼みがある。不躾なことだが、良いだろうか?」

 

「? 良いですよ、何の御用ですか?」

 

オーディンは一つ頷くと、長槍で医務準備室へのドアを示した。

 

「あの部屋を数刻ほど貸してはくれんだろうか?」

 

「? 構わないですけど……一体何に使うんです?」

 

何、大したことではない、そう言ってオーディンはこちらの許可を得たものと判断し、薄暗い医務準備室に入っていった。

 

「何かしら……?」

 

足元のザフィーラも首を捻っているが、彼等は元から自分達には判断不可能な行動を取ることがある。しかし今まででそれがデメリットを産んだ試しはない、故に多少の興味はあったが、オーディンの邪魔をせぬ為に、今日の医療道具の確認は見送ることにした。

 

その後二時間ほど経過しても、オーディンは出てこなかった。

 

「あのー……」

 

医務準備室のドアが再び開くよりも先に、正面のドアが開いた。次の来客は同じく槍を携えてはいるものの、痩躯とは程遠い、小さな人物だった。

 

「あら、エリオ。どうかした?」

 

質問をするがそれよりも早く、答えが眼に入った。エリオが右腕を押さえており、その下に鋭い傷口が見えた。

 

「切り傷ね、少し待っててね……」

 

「あ、はい」

 

エリオが椅子に腰掛けるのを見、そして薬棚に手を伸ばす。引き戸を開け、消毒液とガーゼ、それから包帯を取り出す。

 

「あ………」

 

しかしそこで問題が発生した。包帯が足りないのだ。

 

しまった、と、心の中で後悔が発生した。

 

「シャマル先生?」

 

こちらの動揺を悟ったのか、エリオが疑問の声を飛ばしてきた。

 

「ううん、何でもないわよ」

 

さてどうしようか、たしか隣の医務準備室には、まだ包帯があった筈だが、今はオーディンが何かに使用している。しかし、エリオの傷は早めの処置が必要な物の類だ。オーディンが何をしているかは解らないが、本来の管理者は自分だし、邪魔にならぬようにすれば大丈夫だろう。

 

「ザフィーラ、手伝って」

 

(まあ、大丈夫よね)

 

そう思い、ザフィーラを従え医務準備室のドアを開ける。

 

中で心臓を自身の愛槍で貫かれているオーディンが首を吊っていた。

 

………。

 

……。

 

…。

 

思考が一瞬止まった。

 

「―――――え」

 

反射的にドアを閉めた。医務室からの視線を防いだが、同時に光も防ぐことになり、室内が更に薄暗くなる。

 

(待って、どういうこと? 意味が解らない。落ち着けシャマル。貴女は冷静な騎士であり、医師です、この程度のトラブルなど造作も無いでしょう?)

 

「ふぅ……」

 

目蓋を落とし、息を大きく吐き出し、頭の中をクリアにする。先ほどからオーディンが居る位置あたりから響いてくる水音のがどうにも気になるが、なんとか思考の外へ追いやる。

 

(落ち着いた、落ち着いた……)

 

そう自分に言い聞かせると眼を開き、もう一度ゆっくりと目の前の光景を受け入れる。オーディンが吊られている、兜で目元は隠れているが間違いなく死んでいるだろう。

 

「他殺……いやどう見ても自殺よね……」

 

「うむ……」

 

ここに入る方法は医務室を経由する他にないし、医務室には自分とザフィーラがいた。しかし、流石に自分でも死者蘇生は出来ない。さて、困った。それなりに長い時間主治医として活動してきたが、室内で悪魔に首を括られたのは始めての経験だ。動揺か混乱か、思考が異様なほど冷め切っている。

 

「あっ……そういえば」

 

冷め切った思考のお蔭で、とあることを思い出した。以前人修羅の治癒魔法について問うたことがあった。

そのときに彼は、生きてさえいればどんな致命傷も治せるし、死んだとしても一週間以内なら蘇生が出来ると豪語していた。

 

そのことを思い出した瞬間、安堵と疲れがいきなり襲ってきた。

 

「あら?」

 

安堵に頭を下げたとき、ふと、力なく垂れ下がっているオーディンの胸の傷口に眼がいった、彼のその傷が部屋の暗闇に反して妙に輝いて見えたからだ。

 

「これって……」

 

彼の傷口に刺さっている槍を避けるようにして、灰と蒼と翠の紐で通された複数の黄金の指輪がネックレスのように装備されていた。

オーディンから視線を外し、代わりに自分の胸に視線を落とす。そこにあるのは自身のデバイス、鎖に通された黄金の指輪、二対の指輪の形状で待機しているクラールヴィントだ。

 

「似てる……」

 

「クラールヴィントか……?」

 

彼が首に掛けてあるものは、倍の四対、しかし細かな装飾等を除けば、異様なほどにそれはクラールヴィントと酷似していた。

しかし彼の指輪にはクラールヴィントならば、藍と碧の結晶が収まっているべき所に赤の結晶があり、指輪自体にも細かな文字で何か掘り込まれていた。

 

「んー…?」

 

よく見ればその文字は、はやてと出会う前、まだ闇の書の呪縛から逃れていなかった頃に、別世界でその文字を使っている所を見たことがあった。

 

「えっ―――と……」

 

解読の仕方はそのときに学んでいる。細かな文字で部屋全体が暗いこともあって読み取るのには難儀したが、何とか読むことは出来た。

 

「ドロ…ドラップ……ドラウプ、ニル? ドラウプニル?」

 

この指輪の名称だろうか。全ての指輪に一切の違いも無く同じ文字が刻まれている。そのとき不意に目の前の指輪の高度が下がった。

 

「え?」

 

続いて響く、何か大きな質量の水を吸った物体が叩きつけられる音と、液体の飛び散る音が鳴った。

 

「ひっ……!」

 

「むっ……!」

 

思わずして変な声が出た。何事かと音のした方、足元を見てみれば、赤の液体に塗れたオーディンが横向きの姿勢で倒れていた、首に巻かれた縄は中ほどから千切れており、粗い断面を晒していた。

 

「え……え?」

 

そのときむくりとオーディンが起き上がった。しかし理解が追いつかない、先ほど確認したときは間違いなく死んでいた。死んでいたはずだ。

 

「ぐ……抜かった…また縄が切れた……やはりただの縄では強度が持たんか、レージングかドローミを使うべきだった……」

 

ふらふらと立ち上がったオーディンはこちらに気付き、視線を向けてきたが良く見えていないのか眼を細めた。

 

「ぬっ!?」

 

焦点の定まっていない眼でこちらを見ていたオーディンはふと足元に居たザフィーラに視線を止めると、いきなり胸に刺さっていた槍を引き抜き、一直線に突きこんだ。

 

「貴様っ!!」

 

ザフィーラがなにか粗相を働いたのだろうか、という疑問を挟む余地すら与えぬ速度で、彼は石突を突き出し、ザフィーラを穿たんとした。それと同時に背後のドアが開け放たれた。

 

「ちょ……ちょっと何してるんですかっ! オーディンさんっ!」

 

しかし神速の槍は割り込んできた別の槍に止められた。突撃槍を盾のように構え、壁となって立ちはだかったのはエリオだ。高速の石突の一撃に、金属同士の衝突の悲鳴と火花が飛ぶ、しかし魔神の一撃をエリオは確かに受けきった。

 

「モンディアル……貴様、我の元で軍法を学んだにも関わらず、その大狼フェンリルにかどわかされたか」

 

「え、フェ、フェンリル……?」

 

「もはや是非も無し、大狼につくというのなら、貴様であろうと容赦はせん」

 

オーディンの眼に光が無い、言動こそはっきりしているものの節々がどこか虚ろだ。

 

「ちょ、オーディンさん!? さっきから何言ってるんですか!?」

 

「是非も無しと言っただろう! ゆけっグレイプニル! 大狼とその眷属を捕縛せよ!」

 

言うや否や、オーディンが首から提げていた灰と蒼と翠の紐が解け、まるで蛇のように身を躍らせ、ザフィーラとエリオに絡みついた。その衝撃で開いていたままのドアが閉まる。

 

「ぬぅ……」

 

「なっ……っぐ」

 

オーディンが装備していた際は絹糸のようだったそれは、今や注連縄の如き太さを持って一人と一匹の動きを完全に封じていた。

 

「無駄に足掻くな、グレイプニルは神の紐、世界を司る程の力が無ければ切れはせん」

 

オーディンが双の手を軽く振るった、すると先ほど紐から外れ、床に転がっていた四対の指輪が宙に浮き、そしてオーディンの両の人差し指から薬指全てに黄金の指輪が嵌った。

 

「我が宝具が一、ドラウプニル、本来ならば治癒と再生こそがこの宝具の本領だが、八つ揃えば我の魔力を増幅させる魔具にもなる」

 

オーディンが両の五指を前に突き出す、右はザフィーラに、左はエリオにだ。

 

「そうだモンディアル、一応安心はしておけ。貴様を葬ってしまうと(われ)が主に葬られてしまう、情けだ貴様だけは昏倒程度ですませてやろう」

 

言いなつつも、八の指輪の赤の結晶が徐々に光を宿していく、それぞれ赤、青、緑、黄の四色にだ。

 

「果てよ」

 

八色の光が更に強さを増した、だがそのとき

 

「――――!」

 

何かが勢いよく自動スライド式のドアを力ずくで開け放ち、その場に居た誰もが音を立てたドアに注意を向ける前に、反応できぬほどの高速で魔神の正面に回ると

 

「ハッ!」

 

その顎先に膝を叩き込んだ。鋭利な角度で打ち込まれた膝は、魔神の顎に快音を立ててクリーンヒット

 

「ぬおっ!」

 

魔神は一度は白眼を剥き、仰け反ったものの、しかしすぐさま眼に力を取り戻し、正面から膝をくれた者を視認しようとした。だが

 

「ダッ!」

 

オーディンが視認するよりも速く、影は魔神の背後に回り、今度は後頭部に踵を打ち込んだ。前後からの脳を揺らす衝撃に、再び白眼を剥いたオーディンは今度は力を失い。

 

「ぬ……」

 

という短い息を洩らし、その場に仰向けに倒れる。倒れようとしたが、影はそれを許さない。

 

「いくよっ!」

 

倒れようとするオーディンの頭部を両膝で挟み、そのまま後方に勢いを付け回転、空中でオーディンもろとも一回転した影はオーディンを床に叩きつけた。フランケンシュタイナーだ。

 

「ふっ……」

 

兜をつけてはいるものの、頭上からの殴打ではなく、下へ叩きつけられる形である為、リノリウム製の床ではなく、金属製の兜に頭部を叩きつけられた形となったオーディンは今度こそ気を失う。それと同時に、指輪の光も急速に薄れ、大縄の縛鎖も解けていった。

 

「まったく、首吊るなら誰かに言ってから吊ってよ、朦朧するのは解りきってるのに、騒がれると面倒なんだから」

 

倒れた魔神の背に着地し言うのは黒の少女、セトだ

 

「これ片付けるの私だよね……トールかスルト呼んでこようかな……」

 

はぁ、と肩を落とすセトに今この場の誰もが抱いている疑問を尋ねた。

 

「あの、オーディンさんは一体何を?」

 

しかし、セトが述べたのは質問に対する返答ではなかった。

 

「んー、確かにここになるね。バカだなオーディンも、トートからの定期連絡を待てば良いのに……」

 

「あの……?」

 

「ん、ああ御免御免。何?」

 

「オーディンさんはここで一体何をしてたんです?」

 

「ああ、ここでコイツは知識を得ようとしたんだ」

 

――――?

 

セトを除く誰もが同じ疑問を持った。

 

(知識?)

 

こちらの疑問を感じ取ったのか、セトが、ああ、と取り繕った。

 

「御免、どうもこの姿だと言葉が足り無いな私は……。オーディンはね、ある特定の日時、気候、座標が合わさって、更にその場所で己を槍で貫き、首を括ることでその世界の知識を軒並み得ることが出来るんだ」

 

トートが無限書庫っていうところにいるから自分も我慢できなくなったんだろうね、とセトは朗らかに笑いながら言うが、他の者はとてもそんな気分にはなれない。

 

「知識を得るためだけに、自分で……?」

 

エリオがぼそりと呟いた言葉にセトはすぐに反応した。

 

「そうだよ、見て」

 

セトは気絶したままのオーディンの頭を持ち上げ、隻眼の顔をこちらに向けた。

 

「この隻眼だって、知識を得るための対価に失った物。こいつやトートは、知識を得るためなら両目どころか、命すら失っても良い、泉の如きに湧き出る、知識に対する飽くなき探求と欲望がある。こいつら自身は“知識と探求の泉”なんて洒落た呼び方するけど」

 

知識狂いだね、とセトは言った。人間にも似たようなのはいるでしょ? とも付け加えた。

 

「理解できないならしないほうが良いよ、私だって理解できないし」

 

それよりも

 

「エリオ、傷付いた身で無茶するね、早く治療してもらいな」

 

え? と視線をエリオの傷口に向けてみれば、オーディンの石突を受けたときだろうか、傷口が大きく開いており、バリアジャケットを赤く染めていた。

 

「うわっ!」

 

当の本人もやはり気付いていなかったようで、驚きの声を上げた。

 

「ほら、早く早く」

 

セトに急かされ、急いで準備室の引き戸を開け包帯を掴み、エリオの傷を塞ぐ為、医務室に駆け足で戻った。

 

その後やってきたスルトによってオーディンは引きずられて回収されていった。

 

 

夜も深け、月明かりと電気のみが周囲を照らす時間帯、にも拘らず、六課の中央広場に橙の魔力光で周囲を照らし、草を踏み、風を切る存在があった。

ティアナ・ランスターだ。

 

「はぁ…はぁ…」

 

肩で息をし、疲れきっているが、眼からは一切の光が失われておらず、果敢に動き続ける。

 

「なるほどね、毎晩毎晩こんな事してりゃ、そりゃ思考も成績も落ち込むか。で、お前は止めるの?」

 

「止めはせんよ」

 

そのティアナを六課の屋根の上から見下ろす存在があった。光る全身を見事に闇夜に紛れ込ませて座る人修羅と、その側に控えるだいそうじょうだ。

 

「へぇ……理由は? それともアレが心配じゃない?」

 

首を回し、だいそうじょうを見る人修羅、口調とは打って変わって顔には笑みが浮かんでいる。

 

「明解だ、助言をするならば代案を出すのが普通だろう? ただ単に止めろと言うのでは、それは不満不平の類に過ぎん」

 

だいそうじょうは頬杖をつき、詰まらなそうにティアナを見下ろす。

 

「なんと言って止めさせる? 身体を壊すからか? それでは無理だ、奴は聡い、己の体力の限界を心得ておる。毎夜、限度ぎりぎりで止めている。貴様は充分に強いとでも言うか? 否だ、あの鍛錬は周囲に対する劣等感からきているものだ。言っても奴は信じまい。」

 

儂等の存在がそれを増長させてしまっているのだがな、と僧衣の魔人は付け加え、更に言葉を重ねた。

 

「奴を止めてしまっては奴の望みは叶わぬ、奴が望んで止まるか、今のままでは無理だと判断するまで、儂は奴を止めん」

 

「スパルタだねぇ、その結果、あいつが再起不能になってもか?」

 

「その程度で止まるなら所詮その程度ということだ、悪魔との戦いで必要なのは己を支える強靭な精神力だ。単なる劣等感程度で圧し折れる程度の物ならば、廃人になる前にいなくなった方が良い。御主にとっては釈迦に説法だろうがな」

 

だいそうじょうの言葉に、人修羅は軽く笑う。

 

「なるほどね、ま、なら俺からは何も言わないよ、あいつ等がどうなってもな」

 

言って人修羅はその場から立ち去ろうとする為に立ち上がろうとした。しかし

 

「いつまでその態度を続けるつもりか、人修羅殿」

 

人修羅を上から押さえつける言葉が、だいそうじょうの口から放たれた。

 

「あ?」

 

「人間を信頼せんその態度をいつまで続けるのかと、問うたのだ」

 

人修羅が立ち上がるのを止め、再びその場に座り込んだ。

 

「セデクやセトは気付いておらんが、あの世界から御主に従っておる者は皆気付いておるぞ? 人修羅殿、貴殿はあのときのことを未だに引きずっておるのだろう? あの場に居合わせた儂等には解る」

 

人修羅は言葉を返さない。ただ顔から表情が消えただけだ。

 

「貴殿に仕えて以来、我等魔人も皆変わりつつある。ただただ死のみを望む存在ではなくなり始めている。しかし貴殿はあの日以来、一切の変化をしなくなった」

 

「………」

 

「いい加減に人間を信頼したらどうか? 奴等も今は弱いが(いず)れは強くなる。貴殿の期待はずれになることはないだろう」

 

「だろうな」

 

人修羅は苦笑い混じりに言った。

 

「だがな、あいつらだって強かったさ、強かった筈さ、覚えて()えけど」

 

虚空を見据え、人修羅は言った。そして人修羅はすっくと立ち上がった。

 

「だがこれは俺のトラウマであり、契約であり、憎悪であり、能力限定なんだ。たとえピクシーやルイに言われても、直す気は微塵も()えよ」

 

人修羅が黄色の瞳を、一瞬で深紅に染める。そしてその深紅の瞳でだいそうじょうを見た。

 

「だいそうじょう、お前忘れてないか? この世界だって何れは“大破壊”が来る、そのときにあいつ等が敵になる可能性だってあるんだぜ? そのとき、お前はあいつを殺せるか?」

 

人修羅が眼下のティアナを指差す。

 

「……無論」

 

「ふ、どうだかね、魔人も変わってきてるんだろ? 死を望む存在ではなくなってるんだろ? まあ、お前が出来なきゃ代わりがやるだけだ。いくら強くなるって言っても、シヴァやミカエルに真正面から勝てるほど化け物にはなれないしな」

 

言って人修羅は身を(ひるがえ)し、入墨で残光を引きながら屋根の上から姿を消した。

 

「………」

 

残されただいそうじょうもしばらくはその場でじっとしていたが、ティアナが鍛錬を終えるのを見届けると同時に姿を消した。

 

「自身でやろうとはせんのだな」

 

そう言い残して。

 

 

「ふふふのふー、この非殺傷設定ってのも使い方によっちゃあ、おもしろそうだねぇ!」

 

そう呟きながら珍妙なステップで空中を移動する白いヒヒ、そして少し離れた位置には全身にある眼球の付いた触手を伸ばし、手当たり次第に本を漁る、橙色の脳髄のような物体。そして更に離れた位置には空中に数十の本を浮かべそれらを同時に読んでいる、多頭の伯爵のような姿の者。

 

(随分と混沌としたなあ……)

 

それらが全て視界に入る位置でそう思うのは無限書庫の長、ユーノだ

 

(本当ならトート君だけのはずなのに、何で二人も増えたのかなあ……)

 

ユーノが苦笑いを浮かべるその理由は、書庫のあまりの本の冊数にテンションが有頂天に達したトートが、勢いで仲の良いオモイカネとダンタリオンを呼び寄せた為だ。

 

今現在、無限書庫には悪魔三人とユーノを除く、他の人影は一切無い。皆が皆、悪魔を恐れて一切近寄ろうとしないからだ。唯一気にせずに入ってくるフェイトの使い魔である、アルフも今日はいない。

 

(まあ、しかたないかな……)

 

実働部から死亡者が出てから、管理局内部で悪魔を恐れる人物が増えている。機動六課のように、悪魔に慣れている身なら良いが、本部にはそんなものは一人もいない。

 

しかし、悪魔達は自分達が恐れられていることに気付いてはいるが、一切気にせずに本棚に向かい続けている。

 

「どうだい? 何か面白い物はあったかい?」

 

手持ち無沙汰になったユーノは不思議な踊りを踊り続けるトートに話しかけた。話しかけられてもトートは奇妙なステップをやめず、踊りながらユーノに答えた。

 

「そっスね。この“収束”と“拡散”ってのは魔法の式が解ければ、すぐに使えそうっスね。人修羅君の『地母の晩餐』を一点に“収束”させてみたり、『至高の魔弾』を“拡散”させてみたりしたらおもしろそうっスね」

 

聞くものが聞けば、恐ろしいことをトートは述べるが、意味の良く分からないユーノは曖昧に相槌をうつしか出来ない。

 

「向こうじゃいつもオーディン君とかオモイカネ君と、アル・アジフとか無名祭祀書とか突っ突いて喋ってるのが主っスからね、新しい本が沢山あるのは、楽しいっスね」

 

“どれも写本じゃなくで元本っスよ、凄いと思わないかい”だの“この間はムドダインを作り出そうとしたんすよ”

 

「そういえば、何で君達はここに来たんだい? 人修羅君の代理というのは解るけど…」

 

「本当ニソウダト、オモイカネ?」

 

「うわぁ!」

 

いきなり眼前に無数の触手と眼球が現れ、ユーノは思わず声を上げた。

 

「我ラハ、(オノ)ガ意志デココニ来タ。主ノ意志トハ無関係」

 

オモイカネの言葉を聞いていたのか、ダンタリオンの首のうちの一つがこちらを向いた。

 

「然り、一つ目はただ単純に知識を得るため、次に新なる技を得るため、我が主の命というのはその次だ」

 

そして、オモイカネとダンタリオンは言うべきことは言ったとでもいうように、それぞれ散って行った。

 

「………アグスタで君達、凄い激しい喧嘩してたから、仲が悪いと思ってたけど、違うのかい?」

 

「そだね、僕らいつも喧嘩ばっかだけど、楽しいっスからね。楽しくなきゃ組んでないっスよ」

 

鉄枠に納められた巨大な本を棚に戻しながら、トートは言った。

 

「新しい技作ったり、一緒に本読んだりするのも、楽しいからっスね」

 

ヒヒは仰け反りユーノを下から覗きこんだ。

 

「楽しくなきゃ動かない、それが悪魔ってもんすよ」

 

言ってトートはニヤリと笑い、ユーノから離れていった。そして再び離れた位置で本を手に取った。

 

「……凄いな、悪魔って」

 

ユーノは本に釘付けになっている白ヒヒの悪魔を見てそういった。しかし、ユーノは気が付かなかった、離れた位置でトートが本を読んでいたために、「S級犯罪者名簿」と題された本を手に取っているトートの動きが釘付けではなく凍り付いていることに。

 

「……まじっスか」

 

「S級犯罪者名簿」そこに書いてある始めの三名の名を見た瞬間、トートは絶句の表情でそう呟いた。

 


 
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