子供のころ、俺は物に命が宿ると教わって生きていた。
土にも、木にも、そしてきっと機械にも。
この物語は、とある出会いの物語り。
とつとつと、ろうろうと、積み上げられた日常の物語り。
俺が彼女に出会ったのは、吹き付ける風が痛む十二月。
世界で一番の成功者が生まれた前日、二十四日のことだった。
その日は雨が降っていた。
「あ~あ、もうちっと寒けりゃ、ホワイトクリスマスになるのに……もったいね」
雨だれで滲んだ窓越しに外を眺めて、俺は小さく息を吐く。
空は雨模様、気温は一桁だろう。けれど、大通りに面したアパートからは、駅へ流れる沢山の傘が見てとれた。
今日は聖夜。街灯とイルミネィションに彩られた街は、夜の帳をこじ開けて、今が盛りとばかりに輝いていた。
二輪咲きの傘の群れを見送って、俺は黙ってカーテンを閉める。
「さ~て、メールは届いてないかな?」
我ながら、悲しくなるような台詞を吐いて、余計悲しくなることを承知で携帯を開いた。
――新着メールが一件届いています――
「おっ!?」
一も二もなくメールを確認する。
件名:【お買い得】今ならロリックスの時計が五千円で!
スパムだった。
「……ちくせう」
るろ~ん、と。どこか遠くで犬の遠吠えが聞こえた。
「むなしい」
暖房がきいた部屋の中で、心だけが北風にさらされているように寒かった。
俺だって、年に一度のクリスマスに、好きで一人モモ鉄大会を開催してるわけじゃない。顔も知らない聖人の誕生日にかこつけて、誰かとクリスマスを過ごしたい。
だけど。
「相手が居ないんじゃなぁ……」
本日何度目かのため息を零して、またテレビの画面に向かう。
「おいっ、キングボ○ビー憑いてんじゃん!」
どうやら、モモ鉄にまで寒い思いをさせられそうだ。世の中甘くないと、ゲームにまで諭されてるようだった。
「ちくしょう……なんで俺はこんな日に独りでゲームしてんだ。俺にだって相手が居たって……」
コントローラーを操る手は止めず、呪詛めいた声を絞り出す。だが、現実が揺るぐことはなく、ゲームの中では土地を全売りされていた。
「相手が……土地が……」
不意に携帯電話が震えた。
リリリリリリリ。
数瞬遅れて着信音が鳴り始める。設定が面倒だからと、着信は初期設定の味気ない電子音のままだ。
「……またお袋か?」
二つ折りにされた携帯を開いて、ディスプレイを確認する。
090-****-****
着信者の名前は表示されていない。アドレスには登録されていないということだ。だが、この番号にはどういうわけか見覚えがあった。
「はい、どちら様ですか?」
「め、メリークリスマスっ!」
電話を切った。
リリリリリリリ、リリリリリリリ、リリリリリリリ。
「あの、悪戯はお断りなんですけど……」
「いえっ、そのっ、悪戯とかじゃなくてですね……えっと、よっ妖精一人いりませんかっ?」
まるで、八百屋で大根でも売るような口上だ。
「家は謙そんなゾロアスター教徒なんで。宗教の勧誘はちょっと」
「うぁ……そんなんじゃないんです。実はもうあなたの家の前に居るんです!」
「恐っ! 悪戯ですね、切りますよ!」
あまりにしつこい悪戯電話に苛立って、つい声を荒げる。
「ひぅ……あの、妖精、いりませんか?」
電話口から聞こえる声が震えていた。
なぜだろう、ほんの少し胸が痛む。なんともおかしな気分だった。被害者は一方的にこっちのはずなのに、俺の方が悪者にされている。その自覚があってなお、感じるのは罪悪感なのだ。
「話を聞くくらいなら」
だから、こんなことを訊いてしまったんだと思う。ほんの些細な気の迷いが、これから先の俺の人生を大きく変える、なんて思いもしないで。
「ほんとですか! じゃあ、今からそちらに伺いますね」
「ここに……? なんで? 電話で言えば……」
「それでは失礼します。明日までには伺いますので」
「ちょっと待て! ここに来るって――」
ヂッ、と。鼓膜を突かれるようなノイズと共に、電話が切れた。
慌ててリダイヤルする。しかし、受話器からは話し中のツーという音が聞こえるばかりだった。
「……えっと。悪戯、だよな?」
相手の目的も、なぜ俺に掛かってきたのかもわからないが、誰かに話すにはあまりにも馬鹿馬鹿しい話だ。下手すれば、医者を薦められかねない。
「……寝よ」
時刻は未だ九時を回ったばかりだったが、もう今日は何もする気が起きなかった。
「クリスマスは中止になりました……と」
テレビのスイッチを切って、もそもそと布団に潜り込む。一瞬、冷やりとした感触が背筋を舐めた。しかし、それも束の間。次第に俺の意識は、深いまどろみの中へと引きずり込まれていった。
「の……はよう……います……あの……」
声が聞こえた。女の声だ。どこかで聞いたことがある声。
「もう八時回ってますよ? 学校に行かなくていいんですか?」
「い……いんだよ。今は……冬休み……って」
布団を跳ね飛ばす。
「あ、おはようございます」
温和そうな微笑みを浮かべて、少女が一人、俺の隣に座っていた。季節外れな白いワンピースを着た、黒髪の少女だった。
「うぇ……あ……お……誰?」
「はい。携帯妖精のレナと申します。昨日の電話、覚えてますか?」
「電話って……あれ……? 悪戯じゃ」
自分の頬が引きつるのがわかった。
「悪戯、ですか?」
少女の顔に、軽い困惑が浮かんでいた。なんだ、要は俺が悪戯だと勝手に決め付けていただけか。
「どうやって中に……鍵は閉めて……」
「えっと、そこから」
少女が、枕もとの携帯電話を指差す。
「は?」
「ちょっと失礼しますね」
彼女の指が携帯に触れる。
一瞬、少女の姿がぶれた。そのまま、陽炎のように彼女は携帯に吸い込まれる。
「なっ!?」
リリリリリリリ。
携帯を取り、電話に出る。
「わかっていただけましたか?」
「お前……人間じゃねぇ」
「はい。妖精ですから」
どことなく弾んだ少女の声。
その時になって初めて、彼女が掛けてきた電話番号に思い至った。
ああ、あれは俺の携帯の番号だった。道理でアドレス登録されてないわけだ。
「話を、聞こうか。戻っといで」
彼女の言葉に嘘はなかった。ただ彼女そのものが、俺の常識を遥かに超えていたというだけのことだ。
「本当ですか? ありがとうございます!」
逆再生のビデオを見ているように、少女がまた陽炎のように俺の前に現れた。
嬉しそうに笑う少女の笑顔は、裏があるようにはとても見えない。
窓のサッシには、雪が積もっていた。恐らくは、夜更け過ぎに雨は雪へと変わったのだろう。
「ふつつか者ですが、今日からよろしくお願いします」
「……へ?」
少女が、三つ指ついて頭を下げる。
物語りは動き出す。
ひどくチグハグで、突拍子もなくて、馬鹿馬鹿しくて、だけどかけがえのない、俺とレナとの物語りが。
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「妖精、いりませんか?」
とある聖夜。一本の電話から始まるおかしなおかしな物語り。
携帯から始まる恋もある?
きっとコメディ、ついでにラブ。そんな話。