No.580055

フェイタルルーラー 第十話・災禍の火種

創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。ちょっと細かい説明回です。20182字。

あらすじ・シェイルードに恭順したクルゴスは自身の望みを告げ、『ヒトのやり方』で四王国を混乱させようと画策し始めた。
王都に運び込まれたソウの容態は思わしくなく、代行者の影に勘付いたカミオも、銀盤を取り戻そうと思索を巡らせ始める。
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2013-05-25 20:54:43 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:407   閲覧ユーザー数:407

一 ・ 災禍の火種

 

 ダルダン領最北に、エルナ峡谷と呼ばれる荒れた土地がある。

 鉱石や岩塩などの資源に恵まれながら、ダルダン王国ではこの一帯だけは手を着ける事が出来なかった。

 エルナ峡谷の更に北には、遥か昔に遺棄された山岳遺跡があり、近付く者は誰もいない。

 

 いつからこんな物が存在していたのだろうか。峻険な山々がぐるりと山岳遺跡を抱き、何人たりとも寄せ付けようとしない。時折巨大な鳥が遺跡に降り立つのを見かける者もいたが、それが返って不気味さを際立たせていた。

 古い文献にも存在しないこの城を鳥の声になぞらえて、人々は夜叫城と呼んだ。

 

 その夜叫城のバルコニーに、降り立つひとつの影があった。

 大きな翼を持った姿は鳥に似ているが、姿かたちは人間の女に近い。その背から降り立った老人は翼の生えた人形をその場に残し、独り城の内部へ足を踏み入れた。

 

 骸骨のような相貌の老人は、ひたひたと黒曜石の廊下を進む。灯りひとつ無いというのに、彼は迷う事なく大広間へと辿り着いた。

 観音開きの大扉を押し開けると、そこはドーム型の天井に覆われた広間だ。奥にある玉座を老人は見やり、神妙な面持ちで中へと進む。玉座には男がおり、おずおずと進み出る老人を冷たいまなざしで見つめていた。

 

「お初にお目にかかりまする。『死』の名を冠するお方よ。我が名はクルゴス。『執』を冠する代行者なり」

 

 座する影にクルゴスは跪いた。影は身じろぎもせず彼を眺めるとゆっくりと口を開いた。

 

「こんな山奥まで何をしに来た。貴様の助力など、私は必要としていない」

「滅相もございません。わたくしめはあなた様の『望み』に賛同しているだけにございます」

「賛同しているだと。ならば貴様自身の望みを言ってみるがいい」

「……わたくしめの望みは、ネリアとその王を手にする事にございます。これでご納得頂けますか」

 

 玉座の前にひれ伏しながらクルゴスは呟いた。

 代行者たちは対等な関係にあるが、実力によっては他の代行者に服従する場合があった。現に四人の中では最下位に位置するクルゴスは、より実力がある者に与する事が重要だと捉えたのだ。

 

「まあいい。私にとってはネリアなど目障りなだけだ。貴様がやりたいようにすればいい」

 

 シェイルードの言葉にクルゴスは平伏した。

 

「手土産と言っては何ですが、こちらへ伺う前に、ひとつ種を蒔いて参りました」

「種?」

「左様にございます。レニレウス王家に対し恨みを抱く者に、かの王の急所を教えてやったところです」

 

 黙りこむ玉座の影に、クルゴスは笑みを見せる。

 

「ヒトにはヒトのやり方がございます故。後は奴らが勝手に潰し合うでしょうぞ」

 

 クルゴスの言葉に眉ひとつ動かさず、シェイルードは玉座から立ち上がりそのまま掻き消えた。

 玉座の背後には奈落がぽっかりと口を開け、クルゴスがただ不敵に微笑みながらその場に跪いていた。

 

 

 

 獣人族たちの死闘を目の当たりにしたエレナスは、ひたすら王都を目指した。

 森を出た辺りでセレスと合流出来たが、ソウの容態は思わしくなかった。傷を洗い布を押し当てると出血は収まったが、流した量があまりに多すぎた。

 傷自体は浅く腹膜も裂けてはいなかったが、傷口が多いために体内にどれだけ血液が残っているのかが問題だった。

 

 彼らの乗った馬車は速度を上げ、王都に到着した。聞けば王都ガレリオンで医者を開業している者は二人だけで、うち一人は御殿医も兼ねている上にどちらも通い患者しか受け付けていないという。

 仕方なく彼らはソウを宿に運び込んだ。

 相変わらず顔色は悪いが脈も乱れてはおらず、そのままエレナスが一晩様子を看る事にした。

 

「キツネさん大丈夫かなあ」

 

 寝台の横で心配そうに覗き込むセレスに、エレナスは静かに振り向いた。

 

「後は本人の体力次第だと思う。君にお願いがあるんだけど、宿の女将にスープを作ってくれるよう頼んでもらえるかな。造血のために燕麦や肉、ほうれん草が入っているとありがたい」

「うん、分かった。頼んでみるね」

「ありがとう。君には迷惑ばかり掛けている気がする」

 

 セレスが攫われた時を思い出し、エレナスは呟いた。危険な目に遭わせ、今も自分では手の足りない部分を補ってもらっている。

 他人とあまり関わりを持たずに生きて来たエレナスにとって、セレスは初めて深く関わりを持った友達だ。彼を通じて暗闇を手探りで進むように、エレナスは人との関わり方を学んでいる気がした。

 

「……そんな事ない。お兄ちゃんがいたから、ぼくは頑張れたんだ。それにお父様も、すごく変わった気がする。だから迷惑だなんて言わないで。ぼくはいつでもお兄ちゃんの味方だから」

 

 無邪気に笑う小さな友人に、エレナスは心が救われる気がした。

 

「そういえば、ソウと戦っていた黒くて大きな獣人族がいただろう。神器の剣でも、あいつにはかすり傷しか与えられなかったんだ。危険な奴だから、ローゼルに報告しておいてくれると助かる」

「うん、分かった。まだレニレウス王がお帰りになってないし、途中で遭遇したら危ないもんね。ぼく行って来るよ」

「……国賓がレニレウス王だと君も知っていたのか」

「昨日、王城でお見かけしたんだ。そしたら『元気でなにより』だって。ぼくらを黒森でひどい目に遭わせておいて、よく言うよ」

 

 セレスの言葉にエレナスは思わず吹き出してしまった。

 レニレウスの王は、何とふてぶてしい男なのか。黒森が教団の本部と知った上で放置したのも、二人が教団を追うように仕向けたのも彼の思惑通りだったのだろう。

 まんまと掌で踊らされていた訳だが、何故か憎めない気がするのも事実だった。

 声を押し殺して笑うエレナスに、セレスも安堵の表情を向けた。

 

「お兄ちゃんが元気になってよかった。最近元気なさそうだったからさ」

「心配させてごめん。もう迷わない。君のお陰だよ」

 

 その言葉にセレスも微笑んだ。

 眠っているソウをちらりと見やり、行ってきますと小声で言うと、セレスはそのまま部屋を後にした。

 

 空気を入れ替えようと窓に寄ると、太陽は天頂をとうに過ぎ、今や傾き始めている。

 窓の外を眺めながら、エレナスはふと自分が微笑んでいる事に気付いた。

二 ・ 思惑

 

 レニレウス王カミオが宿泊している迎賓館は、ネリア王城の左側に位置していた。

 王城右側に軍事や国政などの重要な施設が集中しているのとは裏腹に、王城左側は国賓のために造られた施設だ。三階建ての邸宅がいくつも個別に建てられ、中庭には涼しげな植物園や東屋が設えられている。

 

 誰もがそれを、国賓に対する最大級のもてなしと受け取るだろう。 

 だがカミオの目から見れば、国の主要施設から切り離し隔離するための設計だ。勿論それは危機管理を賞賛するべき話であり、彼自身は自国では更に厳しく管理していた。

 小国と侮っていたものの、数百年の月日を長らえて来たネリアに、彼は敬意を抱いた。

 

 迎賓館側には目ぼしい出入り口も無く、石塀からは遥か高い青空だけが望める。

 外に出る事すら叶わないが、敵の侵入も許さないだろう。そしてそれは諜報員も同じだ。

 

「収穫はあったか、ノア」

 

 園庭を眺めながらカミオは呟いた。

 遮られた塀の影がちらりと動き、伏せていた顔を上げた。青灰の前髪から覗く薄緑の瞳は宝石のようにきらきらと輝く。

 

「はいカミオ様。やはりアレリアの件だけは、執拗に隠し通そうとしています。それと最近になって大臣が一人失踪し、それと入れ替わるように傍に女を置くようになった模様です」

「女、か……」

 

 愛でるように花壇の花に触れながら、カミオは冷たいまなざしを放った。

 

「女が国政に関わるとろくな結果にならないものだが、若造には理解出来んのだろうな。他には何かないか」

「ガレリオン北の森に、獣人族の姿をした代行者が現れたと報告がありました。銀盤を奪った者とは別人のようですが、いかが致しますか」

「ではそれに関する情報を探れ。銀盤を何としても取り戻したい。だがくれぐれも無理はするな」

「心得ております」

 

 ノアはかしこまると身の丈の倍以上はある塀を易々と乗り越え、消え失せた。

 何事も無かったかのようにカミオは園庭を眺め終わると側近を呼び、ネリア王へ面会する支度を申し付ける。

 

「さて報告があるまで時間稼ぎでもするか」

 

 カミオは含み笑いを漏らすと、早足で邸内へ戻って行った。

 

 

 

 王城に獣人族出現の一報がもたらされたのは、昼も過ぎた頃だった。

 執務室にいたフラスニエルの前に、血相を変えたローゼルが飛び込んで来た。彼女のただならぬ様子に、フラスニエルは状況を察した。

 

「フラスニエル様。正体不明の不穏な者が王都北の森に出現し、負傷者も出た模様です」

「不穏な者?」

「セレスの報告によりますと、身の丈は子供の倍以上はあり、黒い肌に黒い体毛の獣人族との事。相当な手練のようだと申しておりました」

「そうか。厄介だな。では駐留兵を二分し、ひとつを王都の警備に、残りをレニレウス王の護衛として国境まで送り届ける事にしよう」

「そんなに多くの兵をレニレウスなどに割いてもよろしいのですか?」

 

 ローゼルの疑問にフラスニエルはまんじりと彼女を見やり、口を開いた。

 

「ここで何かあれば、それを口実に仕掛けて来るかもしれない。それだけはどうしても避けねば」

「承知致しました」

 

 王の命令にローゼルは従った。

 敬礼をし執務室を退出しようとしたが、彼女はふと足を止めフラスニエルへ向き直る。

 

「あの……フラスニエル様。私事で恐縮なのですが」

「どうしたんだローゼル。何かあるなら言ってごらん」

「アレリア大公様からの……婚姻の件ですが。やはり私には分不相応ですので、どうかお断りして下さいませ」

「そうか。心に決めた人でもいるのかい」

 

 フラスニエルの言葉にローゼルは顔を赤くして俯いた。

 

「いえ、そういう訳ではありません……」

「分かった。その件については私から大公にお話しておこう」

「……よろしくお願いします」

 

 ローゼルは足早に執務室を離れ、父であるセトラ将軍がいる控え室へと向かう。フラスニエルはそれを見届けると自らも部屋を出た。

 赤い絨毯の敷かれた廊下を歩きながら、彼は今後について独り黙考した。レニレウス王からの提案を決断するには荷が重く、かの王が帰国したのちに会議を開くべきだろうという考えに至った。

 

 謁見の間に着くと、すでにレニレウス王は少数の従者と共にフラスニエルを待っていた。

 出立の用意が終わり、挨拶に訪れたのだろう。彼はそう受け取り、レニレウス王へと歩み寄った。

 

「畏れながら、ネリア王にお願いがあり参上致しました」

 

 物腰柔らかくへりくだりながら、レニレウス王は挨拶をした。だがじっと見つめる鋭い眼光は、狼そのものだとフラスニエルは思った。

 

「私に出来る事であれば何なりと」

「……では、此方への滞在期間を今しばらく延長したいと存じます。何卒よしなに」

「延長、ですか?」

 

 思いも寄らぬレニレウス王の言葉に、フラスニエルは一瞬聞き返した。

 傍にリザルもシェイローエもいない今、彼が自ら判断を下すほかない。まさかレニレウス王は、この状況を意図的に作り出したのだろうか。出立の挨拶程度であれば立ち会うのは近衛兵くらいだ。

 フラスニエル以外の意見を挟まない状況では、延長を認めざるを得ない。

 

「承りました。ですがひとつだけ条件があります。延長の理由をお聞かせ頂けますか」

 

 フラスニエルの精一杯の反撃にも、レニレウス王は怯みもしなかった。むしろ楽しげな微笑みを彼に向け、理由を口にする。

 

「何やら面妖な獣人族が王都の近くに出たとか。長年亜人種の研究を個人的にしているもので、そういった案件を耳にすると探究心が湧くのです」

 

 レニレウス王の余裕が、フラスニエルには内心腹立たしかった。年齢でも在位期間でも彼に及ばない分、体よくあしらわれているようにしか感じられなかったからだ。

 そんな彼の心中を読み取ったのか、レニレウス王は意味ありげな微笑みを絶やす事がなかった。

 

「急な申し出故、不手際があるやも知れませんが、どうぞごゆるりと」

「ご好意痛み入ります」

 

 二人の王は笑顔で会話を交わしながら、それぞれ心の中では次の手を模索していた。相手が一手先を読むなら、十手先を。十手先を読むなら百手先を。

 

「では私はこの辺で失礼させて頂きます。国許にいる将軍にも連絡を取らねばなりませんので」

 

 丁寧に挨拶をし、レニレウス王は謁見の間を静かに退出していった。

 その後ろ姿を見送りながら、フラスニエルはその場に佇んでいた。

 

「面倒な事になったものだ」

 

 一族や重臣を招集して会議を開く予定だったフラスニエルは、ぽつりとひとりごちた。

 レニレウス王の親衛隊に間者が紛れていないともいえず、むやみに内部事情を探られる危険が増えた事になる。

 

 その時、扉の外から声が掛かった。

 衛兵が扉を開くと、そこには息を切らした門兵が跪いている。

 

「御報告申し上げます。ただ今ダルダンより使者があり、城門前にて目通り願っております」

「ダルダンから使者とは。すぐに通せ」

 

 程なく現れた使者はダルダン王国の正式な書簡を携えていた。王の先触れを知らせる内容にフラスニエルは驚き、使者に尋ねた。

 

「ダルダン王ギゲル殿は王都の復興でご多忙と伺っていたが、火急の用件でもおありなのか」

「先日王都奪還の際には偶然とはいえ王族の方々に御助力頂き、我が王も直接の謝辞を所望でございました」

 

 フラスニエルの疑問に、使者は深々と頭を下げた。

 

「王都ブラムを取り戻せねば、我らダルダンの民は今頃死に絶えていたでしょう。それほどまでに至高教団は脅威でございました」

「至高教団か。その件については私も聞いている。未だ残党が東にある遺跡を占拠しているそうだな」

「御意にございます。教団の動向には逐一目を光らせておりますが、沈黙を続けたままで依然動きはございません」

「そうか、大儀であった。ギゲル殿の御来訪を心よりお待ち申し上げる」

 

 その言葉に使者はかしこまった。

 フラスニエルは側近を呼ぶと、使者をねぎらうために部屋を用意させた。そのまま彼自身も謁見の間を後にすると、侍従に会議の準備を申し付けた。

 かしこまり静かに去る侍従を見送り、フラスニエルは城内一階にある鋳造工房へ自ら足を運んだ。

 

 

 

 フラスニエルの召集により、日が落ちる前に一族と重臣たちが会議室に集まった。

 セトラ将軍とその娘ローゼル、シェイローエはその場にいたが、当然ながらクルゴスの姿は無い。御前会議において誰もが驚いたのは、普段は出席しないリザルの姿があった事だった。

 父である将軍と折り合いが悪いのは、王家を知る者なら誰もが承知している。

 

「皆に集まってもらったのは他でもない。重要な案件がいくつかあるために、意見を聞きたい。まず一つ目は、レニレウス王カミオ殿が滞在延長を申し出られた件だ」

 

 静かに口を開いたフラスニエルの言葉に、一同はざわめいた。彼はそれを制止し、更に続ける。

 

「どうやら滞在延長の裏には、王都の北に現れた獣人族が関係しているものと思われる。負傷者が一人おり、それをエレナスが看護しているそうだ」

「弟が……ですか」

 

 シェイローエの呟きにフラスニエルは言葉も無く頷いた。

 

「そしてここからが本題だが、先日のレニレウス王との会談において、両国間の同盟を提案された」

「何ですと! レニレウスめ……何を考えておるのだ」

 

 何も知らなかったセトラ将軍は飛び上がらんばかりに驚き、うなった。

 

「それも正確にはネリア、レニレウス間ではなく、ネリアとアレリアの同盟に加わりたいという趣旨だ」

「レニレウスの性分を考えると、勝ち馬に乗る、もしくは此方を利用しようとしているのかも知れませぬな」

「可能性は十分にある。参加の見返りとして、先日ダルダンを襲った至高教団の情報を、全て開示すると言ってきた。この言葉に嘘は無いだろう。だが何かがひっかかる」

 

 フラスニエルはそこで言葉を切った。

 

「とりあえず、同盟の件について皆の意見を聞きたい。それと負傷者を城で看たいのだが、異存のある者はいるか」

「負傷者から事情を聴取するという事でございますか」

「そうだ。滞在延長の理由が獣人族の襲撃者である以上、こちらも情報を収集するほかない」

 

 その言葉に一同は押し黙り顔を伏せる。

 

「何よりも、その負傷者がセレスの窮地を二度に渡って救ってくれたという話なのに、我々が何もしない訳にはいかない。命を救えるかは分からないが、出来るだけの事をするつもりだ」

 

 見回しても王に反発する者もなく、議題は同盟加入の件へ戻った。悪名高いレニレウス王が持ちかけた話だけに、誰もが慎重な姿勢を見せる。

 決を採っても賛成と反対が半々となり、最終的な判断はフラスニエルとアレリア大公に委ねられる事となった。

 

「それと、先ほどダルダンから先触れがあり、近日中にダルダン王ギゲル殿がお見えになる。アレリア大公にも来訪を打診し、その時に私が自ら判断する。それまでこの件は他言無用」

 

 フラスニエルの言葉を最後に、会議は終了した。

 それぞれが席を立ち持ち場へと戻る最中、廊下へ出たフラスニエルの目に入ったのはセトラ将軍とリザルだった。

 二人の諍いを何度も見てきたフラスニエルは思わず足を止め、会議室へ戻ろうとした。だが彼の耳に届いたのは親子の口論ではなく、物静かな声だ。

 

「お前は何故戻って来た。今更セレスに対して父親のように振舞うなど、恥ずかしいと思わないのか」

「恥じている。だけど逃げていても始まらないとようやく理解出来た。セレスがどう思っているかは、これから本人に訊く」

「……言いたい事はそれだけか」

「父上には感謝している。自分が父親になって、初めてその重責に気付いたんだ。だからセレスが許してくれるなら、二人で暮らしていこうと思う。セレスのために、出来る事は何でもするつもりだ」

 

 その言葉にセトラ将軍は無言でその場を後にした。リザルもまた廊下を去り、フラスニエルはただその場に立ち尽くすだけだった。

三 ・ 落日

 

 意識の戻らないソウを見守りながら、エレナスはすでに日が落ちている事に気付いた。

 テーブルの上にあるランプに火を灯し、女将が運んでくれたスープを傍らに置く。

 出血が多量の場合、臓器に血液が巡らなくなりいずれ死亡する。脈と呼吸を診る限りは生きているが、目を覚ますまでは安心出来ない。

 

 エレナスは両親が医者だったために、幼い頃から怪我や病に対するすべを目の当たりにしてきた。

 医術書は火事で燃え何も残らなかったが、彼の中には書物にも劣らない知識が息づいている。一人でも多く命を救いたい。それだけが今の彼を支える意志だった。

 

 不意に大きな呼吸音が耳に届き、エレナスは我に返った。

 急いでソウを見ると微かに瞼を開き、輝く金色の瞳が覗いている。

 

「大丈夫ですか? 俺が分かりますか?」

 

 朦朧としているソウにエレナスは呼びかけた。一命を取り留めたとは言えるものの、その意識は緩慢だ。

 

「私は……負けたのか」

 

 エレナスの声にソウはそれだけ答えた。

 黒い獣人族と彼との間には、何か深い因縁があるのだろうとエレナスは察し、その呟きには何も返さなかった。

 

「傷はそれほど深くありませんが、かなり血が失われていると思います。しばらくは安静にしていて下さい」

「そうもいかない。あいつはまたすぐに来るだろう。お前が割って入った事で、我々の決着に水を差されたのが気に食わなかったようだからな」

「無理をしたら今度こそ死にます。あの獣人族は普通じゃなかった」

「そうだな、普通じゃない。よく分からないが、あれが神の眷属というものらしい」

 

 ソウの言葉にエレナスは手を滑らせ、スープの器を取り落とした。

 床に転がる皿にも気付かず、ただ神の眷属という言葉だけが彼の頭を駆け巡る。

 

「神の眷属……。まさか、あの神殿で見た碑文の……」

「私はこの大陸の文化に詳しくはないが、桁外れの存在だという事は分かる。あれと対峙して命があっただけ良かったと思うべきなのかもしれないな」

 

 ようやく床にこぼしたスープに気付き、エレナスは後始末をした。

 

「すみません。取り替えて来ます」

 

 そのまま退出しようとするエレナスの背に、ソウは声を掛けた。

 

「お前がいなかったら、私は死んでいただろうな。礼を言う。……だがもうあんな危ない真似をしてはだめだ」

 

 それだけ言うとソウは、まどろむように再び眠りに落ちた。

 エレナスは静かに扉を閉めると、幽鬼のようにひっそりと廊下に立ち尽くした。

 

 

 

 不穏な一夜が明け、王都ガレリオンは慌しい朝を迎えた。

 宿の女将が起き出すのと同時に王城の衛兵たちが訪れ、エレナスとソウに面会を求めた。エレナスは予測していたのか、驚く事もなく彼らをソウの休む部屋に通した。衛兵と共にやって来た御殿医が診察をし、王城の医療施設へ移送するのが望ましいと判断を下す。

 

「重傷ですな。裂かれるというよりは肉を抉り取られている。致命傷を受けていないのが幸いですが、よく生きているものです」

 

 御殿医はエレナスの処置に感嘆の声を上げた。

 

「初期の処置が良かったと見受けられる。君はどこでこんな技術を学んだのかね」

「両親が医者を営んでいたので、ある程度の知識はありました。ただ手許には何も器材がないので、止血で精一杯でした」

「……そうか。この傷では痛み止めや縫合が必要だな。許可も得ているから移送する事にしよう。異存はないかね」

 

 エレナスは静かに頷いた。

 眠り続けるソウを衛兵たちは静かに移動させ、馬車で王城へと運び込んだ。

 彼が目を覚ました時のためにエレナスも同行し、ネリアの王城へ足を踏み入れる。

 城に入れば、いずれは姉と顔を合わせる事もあるだろう。それでもエレナスにはすでに覚悟は出来ていた。姉が自分を不必要としていても迷いは無い。自らが正しいと思った道を、ただ進もうと彼は決めていた。

 

 王城の医療施設は、衛兵の宿舎と同じ右側の建物に位置していた。

 ここ数百年間、目立った軍事侵攻も無い平和が続いたせいなのか、医師や看護師、薬師の数は驚くほど少ない。

 今は問題無いだろうが、いずれ国家間の争いに発展すれば手が足りなくなるのは明らかだ。

 

 病棟の窓際にある寝台にソウを移送し終えると、敬礼をして立ち去る衛兵たちを見送り、エレナスは傍の椅子に腰掛けた。

 ここなら適切な治療を受けられるだろうと、エレナスは安心した。問題はあの黒い獣人族が、再び襲って来ないとも限らない事だ。

 兵士が随時駐留している王城に仕掛けて来る者はまずいない。ただ、あの男が代行者だというのなら話は別になる。

 

 そもそも神話に登場する神々や代行者など、おとぎ話物に過ぎないとエレナスは思っていた。

 王権を象徴する王器など、造ろうと思えば人の手でも作製出来る。だが神殿遺跡で碑文を目にしてから、代行者の存在について認めざるを得なくなっていた。

 人類を凌駕する存在。そんなものが存在すると知ったら、人々はどんな反応をするのか。

 

 不意に近付く影を感じ、エレナスは顔を上げた。

 そこにいたのは白衣を纏ったリザルだ。一瞬分からなかったのは白衣のせいもあるが、不似合いな眼鏡をかけているからだろう。

 

「大変だったようだなエレナス」

「……見違えました。軍服じゃないとあなたらしくないですね」

「はは、言ってくれるな。オレはこっちが本業さ」

 

 そう言うとリザルは小さな薬包を彼に手渡した。

 

「痛み止めだ。縫合をするなら必要になるだろう。あまりに弱っていると使えないけどな」

「ありがとう。助かります」

「礼なんていいさ。オレはオレに出来る事をやるだけだ。この人が目覚めたら、セレスを助けてくれた礼も言いたいしな」

 

 眠っているソウを刺激しないよう、リザルはそれだけ話すと静かに病室を出て行った。

 残されたエレナスは薬包を大切に仕舞い込み窓の外を眺める。そこには血相を変えて走るセレスの姿が見えた気がした。

 

 

 

 御殿医から移送が完了した報告を受け、フラスニエルはソウが目覚めるのを待つ事にした。

 先触れの話から察すると、ダルダン王ギゲルは明日到着するだろう。近衛にレニレウス王を監視させながら、フラスニエルはアレリア大公に送る書簡の準備を始めた。

 ここでレニレウスに勘付かれるのは、どうしても避けなければならない。伴って来ている親衛隊すら、その実諜報員の可能性があるからだ。

 

 執務室で書類の整理をしていると、扉の外から声が掛かった。

 入室するよう促すとそこには青ざめた表情のシェイローエがいる。

 

「御報告申し上げます。ダルダン王ギゲル様、ただ今王都へご到着なさいました」

 

 彼女の言葉にフラスニエルは驚き立ち上がった。

 ただ早めに到着しただけなら、シェイローエがこんな深刻な表情をするはずがない。

 

「何かあったのですか」

「それが、供も付けずにお一人でおいでなのです」

 

 フラスニエルは言葉の意味を即座に理解した。

 元から単騎の早馬、もしくは護衛の全滅。どちらにせよただ事ではなかった。

 

「すぐに向かいます」

 

 書きかけの書類もそのままに、フラスニエルは急ぎ執務室を離れた。シェイローエもすぐに追いかけ、二人は謁見の間へと入る。

 そこにはすでに憔悴しきったギゲルが待っていた。フラスニエルの姿を認めると立ち上がり一礼をする。

 

「どうぞ楽になさって下さい」

 

 父親ほどの年齢差があるダルダン王に、フラスニエルは椅子を勧めた。

 ギゲルはやつれた顔を強張らせ、再び椅子へ腰掛けた。

 

「ご到着は明日以降と伺っておりましたが、何かあったのですか」

「若き王よ。わしの話を聞いてくれぬか」

 

 力なく呟くギゲルにフラスニエルは頷いた。

 

「我が王都ブラムが、再び敵の手に落ちた。王としてこれ以上の生き恥があるだろうか」

「……ブラムが陥落したとおっしゃるのですか? まさか、あれほど堅牢な城塞王都が」

「至高教団を駆逐し神殿遺跡に追いやったが、そこに別働隊が加わったのだ。生き残りが多少いるとは思っていたが、これほどとは思っていなかった。わしの誤算だ」

「では、ダルダン軍は……」

「もう誰も、生きてはいまい」

 

 ギゲルは苦しそうに言葉を吐き出した。

 同じ王として、フラスニエルにはその苦しみが痛いほど理解出来た。そして同時に、教団の底知れぬ力に恐怖を抱いた。

 レニレウスの森を焼き、ダルダンの王都を陥落させる教団の狂刃が、いつネリアやアレリアに向けられるとも知れないのだ。

 

「ダルダン王ギゲル殿。どうか詳しくお話をお聞かせ下さい」

 

 フラスニエルの言葉に、ギゲルはただ力なく頷いた。

四 ・ 恥ずべき最後の王

 

 事の起こりは国境駐屯地からの早馬だった。

 

 数十人といたレニレウス側の警備兵が、ある日を境に無人と化した。

 長年の経験から危機を感じ取った駐屯隊長は、ガルガロスとブラムに早馬を出し警告に走ったが時すでに遅く、数百からなる暴徒の連隊が国境を蹂躙した。

 ガルガロスは寸でのところで防衛に成功したが、周辺の村々は見る影も無く荒らされた。食糧と水を奪った暴徒たちは進路を西へと変え、ブラムへ進撃を開始した。

 

 ブラムへ向かった早馬は追っ手を振り切り、王の御前へと参上した。暴徒は神殿遺跡で進軍を止め、立て篭もっていた教団の残党と合流したのだ。

 伝令の報告を受けたギゲルは、敵の足並みが揃わないうちに叩く方策を打ち出した。千にも満たない敵に対して、数を減らしたとはいえ一万の正規兵を抱えるダルダンには敗走など考えられない。

 ただ、神殿遺跡に集結している軍勢が陽動を図る可能性もあった。そこでギゲルは戦力を二つに分け、歴戦の将軍に王都の守備を任せる事にした。

 

 明朝自ら軍を率いたギゲルが見たものは、想像を絶する惨劇だった。

 神殿内部からあふれ出してきたのは人ではなく、見た事も無い異形の集団だ。どれもが獣じみた姿をしているが、獣人族という訳ではない。

 獣頭に人の胴と手足を持ち、その体躯にはびっしりと剛毛が植わっている。その姿は獣人族よりも遥かに獣に近く、まるで人と獣を直接掛け合わせた生き物のようにも見えた。

 

 異形の怪物たちはぞろぞろと現れ、ダルダン軍の兵士たちへ襲い掛かった。

 見慣れぬ敵に歴戦の兵も怯み、前線の一角が崩れ去ると完全に恐慌状態へと陥った。乗り手の動揺に軍馬さえ恐れいななき、或いは振り落として逃げ、或いはあらぬ方向へと駆け出していく。

 

「静まれ! 隊列を乱すな!」

 

 そう叫ぶギゲルの声も届かず、隊は半壊し落馬した者は異形に食い殺されていく。恐慌をきたした者は逃げ惑いながら首を吹き飛ばされて、辺りは地獄へと様変わりした。

 

「ギゲル様! これ以上は無理です!」

 

 大隊長の一人が駆け寄り、後退を進言した。

 ギゲルは歯噛みしながら進言を受け入れ、全軍に撤退命令を下す。

 王都まで戻れば篭城になるが、それでもまだ戦える。火薬を使用して砲撃も可能だろう。人外の者どもと正面から遣り合っても勝ち目は無い。

 

 初めて味わう敗走に苛立ち、ギゲルは追いすがる異形たちを馬上槍で突き払った。

 どれだけ打ち倒しても異形は怯む事無く、ダルダン軍を追い続ける。

 ようやく王都に辿り着いた頃には誰もが疲弊していた。兵士の数も半分以上減り、士気も保てない状態だった。

 

 追っ手を振り切り開門を呼びかけるが、王都内からの反応はまるで無い。振り向けば遥か地平に異形が迫っている。見張りの姿も見えず、彼らは焦燥感に駆られた。

 その時、一人の兵士が声を上げた。

 城壁を見やれば、白い衣を纏い弓を引く者たちがいる。その中に将軍の姿を見つけ、ギゲルは吼えた。

 

「貴様、何のつもりだ! 門を開けよ!」

 

 ギゲルの言葉に将軍は口の端を歪め、天にも響く笑い声を上げた。

 

「ダルダンの王よ。もうあなたは必要ありません。王都は我ら至高教団が貰い受けました。将軍殿の首ひとつで部下どもの命を保障すると伝えたら、簡単に明け渡してくれて助かりましたよ」

 

 将軍に扮していた異形は人の皮を破り捨て、獣の咆哮で嘲笑った。

 背後にはすでに追っ手の姿が見える。死ぬまで戦うか、王都を捨てて逃げ延びるか。ギゲルは判断を迫られた。

 

「ギゲル様。ここは我らが引き受けます。どうか動ける者を連れ、ネリアへとお発ち下さい」

 

 大隊長たちはギゲルを護るように背後に立った。彼らの最期の忠誠に、ギゲルは唇を噛み締める。

 

「わしだけが生き延びてどうなるというのだ。王都を奪われ臣民を奪われ、この上生き恥を晒せと……」

「それでもどうか、お願い申し上げます。このままではネリアも巻き込まれるでしょう。ダルダンが滅びようとも、我々の誇りは滅びません」

「……分かった。亡国の王として生き恥を晒す事が、引いては大陸を教団から護る礎になると言うのだな。ならばわしはダルダンの誇りのために、恥ずべき最後の王となろう」

 

 ギゲルは静かに心を決めた。

 顔を上げたその双眸には、茨の道を歩く強い意志が垣間見える。

 

「動ける者はわしについて参れ。これよりネリアへ発つ。異形の軍勢がダルダンを蹂躙し尽くせば、その矛先はネリアへ向かうやも知れぬ。そうなる前に助力を仰ぐ。たとえそれが恥ずべき道であっても」

 

 最後の王が紡ぐ言葉に誰もが涙をこぼした。

 去り行くその姿に大隊長たちは敬礼をし、彼らは最期の戦いへと赴いた。

 

 

 

 最後のダルダン王ギゲルの話を、フラスニエルは黙して聞いた。

 供が一人もいないのは、彼らの王を護り力尽きたのだろう。採り得る選択肢が無かったとはいえ、国を捨て、王都を捨て、臣民を捨てたとギゲルは今でも苦しんでいるのだ。

 

「辛い御決断をされたのですね。その御英断が、我らネリアを救ってくれた。今からなら教団に対しての策も練れます」

 

 重く口を開きながら、フラスニエルはギゲルを見た。

 

「アレリア大公に書状を送り、四王国での会議を開きたいと思います。方針が決定するまで、ダルダンとの国境を封鎖させて頂きます。よろしいですか」

 

 フラスニエルの言葉にギゲルは静かに頷いた。

 憔悴しきったギゲルに客室を用意し、シェイローエに案内をさせて彼を休ませる事にした。独りになった謁見の間でフラスニエルは北の空を眺め、侍従を呼んで国境封鎖の指示を出した。

 

 しばらくしてシェイローエが戻ると、フラスニエルは深い苦悩を滲ませて彼女を見た。

 

「……ここからは激しい戦いになるでしょう。西アドナ随一と謳われたダルダン軍を壊滅に追い込むなど、尋常ではありません。今からでも遅くはない。弟御を連れてここを離れて下さい」

「いいえ。わたしはもう、心を決めております。弟とも決別して参りました」

 

 シェイローエは顔色ひとつ変えずに言葉を返した。

 

「フラスニエル様がわたしを心配して下さるのは、教団との戦いを御自身の戦と捉えておられるからと察します。ですが、これはわたしの戦いでもあります。教団の背後にはシェイルードがいる。あれはそういう男です」

「身を引くつもりはないとおっしゃるのですか」

「はい。あれを止めるのはわたしの本懐なのです。むしろそのために、わたしがあなたを利用しているのかもしれません」

 

 そこまで言うと彼女は口を閉ざして目を伏せた。

 

「シェイルードがこれほどの災厄を引き起こすなど、思ってもみませんでした。あの男の所業で今までどれだけの命が奪われ、これからも奪われ続けるのか。あれを止める事が出来なかったわたしの罪は。深淵の底よりも深い」

 

 細身のシェイローエは、今にも掻き消えてしまいそうに見えた。

 フラスニエルは思わず手を伸ばし、彼女の肩を引き寄せ抱き締めた。柔らかい花の香りが辺りに漂い、彼は静かに目を閉じた。

 

「あなただけのせいじゃない。私はアレリアが破滅していく真実を知りながら、あえて明かそうとはしなかった。本心ではあなたが私の傍にいてくれる事だけを望み、そのためにアレリアやダルダンを巻き込んだと言っても過言ではありません」

 

 シェイローエを抱き締めたままフラスニエルは呟いた。

 

「私は王でありながら、自身の望みのために臣民を犠牲にしようとしている。あなたの行いが罪だというなら、私の罪もまた深い」

 

 その言葉にシェイローエは涙をこぼした。

 フラスニエルは顔をうずめて泣く彼女の髪を優しく撫でた。

 

「どうか私の傍にいて下さい。後世に悪王と評されようと、大罪人と呼ばれようとも構わない。あなたが望むなら何でもしましょう。たとえそれが道理に背く道であったとしても」

 

 泣きじゃくるシェイローエを受け止め、フラスニエルは静かに囁いた。二つの影は誰にも見咎められる事も無く、ひっそりと窓辺に寄り添う。

 午後の日差しは柔らかい木陰を彩り、しばしの間二人を覆い隠した。

五 ・ 未来の選択

 

 ダルダン王の来訪は瞬く間に王都中へ広まり、市場や道端でもその話で持ちきりだった。

 セレスが宿へ行った頃にはすでに部屋は引き払われ、女将からソウが王城に移された話を聞いた。彼がダルダン王の話を耳にしたのもそんな中で、驚きながらもソウとエレナスの様子を窺いに王城へ向かった。

 

 商業区にある宿から王城まではかなり距離があり、近道をしようとセレスは裏通りに入った。

 不意に数人の影が見えた気がして、彼は反射的に身を隠し影たちを覗き込んだ。

 三人ほどだろうか。大きな麻袋を抱え、フードを目深に被った男たちは辺りをしきりに窺っている。

 

 人攫いだと、セレスは直感した。だがこんな日中に、しかもネリアの王都内で実行するなど普通では考えられない。

 麻袋を見ると子供か女性くらいの大きさだ。気を失っているのかぴくりとも動かない。教団の老人に攫われた経験を思い出すと許しがたく、セレスはこっそりと男たちを尾行した。

 男たちは麻袋を馬車の荷台に乗せると、そのまま表通りを走り去った。穀物を運ぶ荷馬車に偽装されているために怪しむ者は誰もおらず、人ごみの中セレスの足では追いつけずに、王都の大門から北へ向かうのをただ見守るしか出来なかった。

 

「どうしよう……。とにかく知らせなくちゃ」

 

 元来た道を戻り、セレスは王城へ走った。

 医療施設がある建物の塀をよじ登り、敷地内へと飛び降りる。二階の窓にエレナスの姿を見つけ、急いで正面へ回り込むと階段を一息に駆け上がった。

 

「お兄ちゃん!」

 

 勢いよく飛び込むセレスに驚き、エレナスは静かにするよう合図を送った。

 眠っているソウを見つけ、セレスは慌てて口を塞いだ。足音を立てないよう近付いて椅子に座ると、彼の容態を訊ねた。

 

「脈は正常だし、体温も下がってない。一時的に血液濃度が薄まっているんだと思う。縫合してきちんと食事を摂れるようになれば大丈夫だよ」

「縫合って傷を縫うの? 痛そうだなあ……」

「リザルに痛み止めももらったし、大丈夫さ。それにこの人はこんなにひどい傷を負いながら、それでもまだ戦う事を諦めていない。動けるようになればすぐに出て行くだろう。だからその前に、出来るだけの事をしなければ」

 

 ソウを看るエレナスの目に、セレスは黒森での出来事を思い出した。

 あの時も死に掛けた修道士たちを何とか助けようとしていた。人を救いたいと願う手で剣を握る、相反する心。いつしか彼は相容れない思いのために、致命的な傷をその身に負うのではないだろうか。

 セレスのそんな杞憂も知らず、エレナスはソウの容態を確認すると静かに立ち上がった。

 

「さてそろそろ行かなければ。姉さんに話をしてこないと」

「あ、お兄ちゃん。あのさ、さっき大変な事があったんだ。商業区の裏通りで人が攫われてて、そのやり口が教団によく似ていた」

「教団……! あいつらこんなところまで来たのか」

「分からないけど……ぼくフラスニエル様に報告してくる」

 

 セレスもさっと立ち上がり、病室を出ようとした。

 扉を開けたところで背の高い男に出くわし、セレスは彼を見上げた。鳶色の髪に神経質そうな灰色の目は、彼自身よく知っている人物だ。

 

「あ……レニレウス王カミオ様?」

 

 セレスの声にエレナスも振り向いた。

 果たしてそこには路地裏で会った男の姿がある。彫刻のような無機質な表情を浮かべながら、カミオはエレナスに声を掛けた。

 

「後でも良いから私の宿泊している邸宅に一人で来たまえ。話がある。それとこの件は他言無用」

 

 それだけ言うと、何もなかったように彼はその場を後にした。

 カミオの後姿を見送り、セレスは怖々とエレナスに訊いた。

 

「ねえ、お兄ちゃん。カミオ様に何か無礼でもしたの? すごい怖い顔してたけど」

「そんな事してない……と思う」

 

 何もしていないのに、今度こそ殺されるのだろうかとエレナスは恐怖した。だが呼ばれた以上行くしかない。

 

「先に姉さんのところへ行かなくては。どこに行けば会えるかな」

「図書室でよくお会いするけど、約束とかしてないの?」

「姉弟が会うのに約束なんてやっぱり必要無いよ。行って来る。人攫いの話も姉さんにしておくよ」

 

 エレナスは鉄砲玉のように飛び出し走り去った。セレスは呆気に取られたが、彼が戻って来るまでソウを看ている事にして、寝台脇の椅子に腰掛ける。

 

「キツネさん、早くよくなるといいな」

 

 ぽつりと呟きながらセレスは窓を開け、空を見上げる。

 うららかな午後の日差しは風と共に緑葉の匂いを運んで来た。

 

 

 

 独り図書館を訪れたエレナスは、ためらう事なくノックをし室内へと入った。二部屋分はある広い図書室はがらんとし、そこには軍服を着た人物が一人立っている。

 人の気配に振り向いたその顔は紛れもなく姉シェイローエだ。

 本を探していたのか書棚と書棚の間にひっそりといたが、エレナスを認めると驚いた顔でその場に立ち尽くした。

 

「姉さん。ひとつだけ言いたい事があって来た」

 

 未だ立ち尽くす姉にエレナスは口を開いた。

 

「姉さんが俺を必要としなくても、俺はあなたを護る。どこへ行こうともついていく。姉さんがネリアの兵士として戦うつもりなら、俺もそうする」

「……何を言っているの。そんな事はわたしが許さない」

「たとえ姉さんが許さなくても、医師が足りないこの国では俺のような知識を持った者を必要とするはずだ。教団の状態を見ていれば、この戦がどれだけ大規模になるかは俺にだって理解出来る」

 

 エレナスの指摘にシェイローエは口をつぐんだ。

 教団の状態。医師不足。それはどれもエレナスの指摘通りで反論を挟む余地が無かったからだ。

 

「姉さんは俺を心配してくれているんだと思う。でももう、俺も子供じゃない」

「……いいや。お前は子供だ。成年にも満たない子供だ。子供が戦場になど出る必要は無い」

 

 話を切り上げようとシェイローエは扉へ向かった。

 動揺を隠し切れず、ノブを握る手が汗で滑る。それを見たエレナスは姉の細い背へ静かに声を掛けた。

 

「俺たち、たった二人の家族じゃないか」

 

 その言葉にシェイローエは身を硬くした。思いを振り切るように図書室を後にし、走り去る足音が遠く響く。

 独り残されたエレナスもまた図書室を離れた。顔を伏せて歩く姿は思い悩んでいるようにも見えたが、その瞳には力強い光が宿っていた。

 

 

 

 エレナスは王城左側に位置する迎賓館を一人で訪れた。

 レニレウス王カミオがどの邸宅にいるのかを知らなかったが、すでに通達があったのか衛兵が案内をしてくれた。

 三階まで昇り豪奢な執務室の前へ来ると、衛兵は敬礼をしてその場を去った。意を決してノックをすると中からはカミオが姿を現す。

 

「遅かったな。入りたまえ」

 

 多少いらついているのだろうか。無表情な白い顔は、更に蒼白に見える。

 椅子を勧められエレナスは着席した。執務机に着き押し黙ったままのカミオに、エレナスは質問をした。

 

「何故俺を呼ばれたのですか? ノアの事は本当に何もなくて……」

「その件ではない」

 

 カミオはぼそりと呟いた。

 

「ノアの話ではあるが、もっと重大な件だ。これを話すのは君で二人目となる。君を信用しての事だ。重責を担う覚悟が無ければ、何も訊かずこの場を去れ」

 

 ただならぬ様子にエレナスは居住まいを正した。

 

「……お伺いします」

 

 エレナスの青い瞳を覗き込み、頷いたカミオは静かに語り始めた。

 

 

 

 カミオの父、先代レニレウス王であるオルゴは、豊かな資産すら食い潰す恐るべき浪費家だった。その浪費癖と欲望は留まるところを知らなかったが、決して暗愚な訳ではなかった。

 急進派が王家を排除しようとしているのも理解していた上に、急進派に属するブレミア伯爵が、財務大臣である事を利用し私腹を肥やしていたのも知っていた。

 王家を護ろうとした穏健派は、十歳にもならないカミオを擁立しようと躍起になったが上手くいかず、穏健派と急進派の衝突は避けられなかった。

 

 そんなさなか、オルゴ王に二人目の子供が生まれた。

 次代の王には正妃との子、カミオが決定していたが、急進派は二人目の子供に目をつけた。

 精霊人の妾妃が生んだ王女には、王位継承権が存在しなかった。それでも彼らはその利用価値をよく知っていたのだ。

 

 オルゴ王に王権を放棄させるために、急進派は王女の誘拐を企てた。

 穏健派が強固に保護しているカミオには手が出せなかったために、幼い王女を狙ったのだ。

 急進派の目論見をいち早く察知した王は、追放という形で妾妃と王女を王都から逃した。成長した暁には王の娘を称するための証をその手に握らせて。

 

「その証となる物が、君の持つ神器の剣だと言ったらどうするかね」

 

 カミオの話にエレナスは言葉を失った。

 

「父が急進派を粛清し、王女とその母親を取り戻そうとした時にはすでに遅かった。病魔に冒され、その願いは果たせなかったのだ。だから私が探し出した。異母妹ノアとその母親を」

「ノアが、あなたの妹……」

「まるで似ていないから、誰もそうは思わないだろうな。それがむしろ私には好都合だった。血の繋がった妹だと知れたら、あれはまた利用される」

「ノアはその事を知っているのですか」

「私が知らせると思うかね? この件を知っているのは国許にいる将軍だけだ。誰にも知られないよう探し出し、直属の部下として手許に置いた。これが最も安全で利口なやり方だ」

 

 思わぬところでノアと剣の出自を知り、エレナスは混乱した。

 

「では何故、神器の剣が俺の家にあったんでしょうか。ノアの母親が持っていた物なのに」

 

 そこまで口にして彼は気付いた。あの剣は診察料金の代わりに持ち込まれていたものなのだ。

 彼らも気付かないうちに、エレナスとノアはどこかで会っていたのかもしれない。

 

「落胤の証である剣を手放すほど、生活に困窮していたのだろう。こればかりは私の情報網でも分からなかった。ノアを探し出した時にはシオンは焼かれ、母親は殺されていたからな。奴ら……至高教団の手によって」

「教団……!」

 

 シオンの惨劇を思い出し、エレナスは湧き出る怒りに拳を握り締めた。

 亜人種を駆逐するためなのか、神器を手に入れるためなのか。それとも王女を掌中に収めるためだったのか。或いはその全てか。

 教団に対する激しい怒りがエレナスの中でどす黒く渦巻いた。

 

「そしてここからが本題だ。先ほど、ノアが教団の手によって攫われたと報告が入った」

「……どういう事です? 王都で人攫いがあったとは聞きましたが、ノアはもうレニレウスへ戻っているはず」

「戻ったふりをさせて、私が王都ガレリオンで調査をさせていた。数日分の物資を用意していたのを君も見たかと思う。私もすぐに帰国する予定だったから、一緒に連れて帰ろうと思っていた。だがそれが裏目に出た」

 

 口調は穏やかだが、組み合わせた手は血の気を失うほど白く握り締められている。

 

「ノアに内情を探らせているうちに、ネリア北に代行者が出現したとの報告があった。王器を奪い返すために、代行者を捕らえようと思った隙を突かれ、ノアが攫われたのだ」

「レニレウスの王器……銀盤を奪われたのですか?」

「そうだ。厳密に言えば王権を失った。本当はすでに、私は王ではないのだ。王権に目が眩み妹を攫われるとは、愚劣極まりない」

「……俺がノアを取り戻します」

 

 エレナスはは静かに決意を口にした。

 

「レニレウス王家とは関わりの無い俺なら、怪しまれずに行動出来ると思います。後はノアが捕らわれている場所さえ分かれば……」

 

 その言葉にカミオはふと微笑みを漏らした。

 

「そうか。やはり私の目に狂いはなかった。これを見たまえ」

 

 差し出された書簡を開くと、そこには脅迫文とも取れる内容がつらつらと綴られている。差出人の名は無く、ただ一方的な要求が記されているだけだ。

 

「ダルダンにある神殿遺跡まで、神器の剣を携えて来いとある。場所の指定などから犯人が教団である可能性が極めて高い。行ってくれるなら、君に全て任せる。ネリア王フラスニエルは四王国による会議を開くつもりのようだから、私はしばらくここから動けない。情けない事にな」

「分かりました。必ずノアを助け出してみせます」

 

 書簡をカミオに戻し、エレナスは席を立った。

 

「ひとつだけ、約束をしてくれないか。私はあれの出自を明らかにするつもりは無い。神器の剣はレニレウス王家にとって不都合な代物なのだ。君の所有する剣として、最後まで誰にも渡さないで欲しい」

 

 カミオの言葉にエレナスは一瞬戸惑ったが、すぐに頷いた。

 一礼をし部屋を出ようとしたが、気になる事があって彼は振り向いた。

 

「こんな重要な話を俺にしてくれた事に感謝しますが、もし俺が救出に向かおうとしなかったら、どうするおつもりだったのですか」

 

 カミオは何も答えず、ただ部屋の隅を指差した。

 そこには極限まで研ぎ澄まされた抜き身のサーベルが立て掛けてある。

 

「腰抜けに用は無いからな。それにすでに返り血で染まったこの手で、今更何人殺そうとも関係無い」

 

 訊かなければよかったとエレナスは一瞬後悔した。

 そのまま退出していった彼を見送り、カミオは微笑みを見せると独り呟いた。

 

「私の目に狂いはなかった。この選択がいずれ未来を変える」

 

 席を立ち窓辺へ寄ると、カミオは小さく窓を開けた。

 窓の桟には白い鳩がふわりと降り立ち、彼が手を伸ばすとそれは僅かに小首を傾げた。


 
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