10話 鳥籠(中)
恭が約束の場所に辿りつくと、九兵衛は全身ぼろきれのようになっていた。意識を改変させて周囲には普通の美少女が映るようにしているらしいが、それでも恭は安心できない。これだけぼろぼろにされている九兵衛が鳴の事を心配しているのだ。鳴がこれ以上悲惨な目に遭う事を考えないわけにはいかない。
「きゅう、べえ……」
「何だい、笑ってくれればいいよ。惨めだろ、きょうちゃんをあれだけ嘲笑ったボクが、こんな姿でさ」
「でも、そうも言ってられないだろ?」
「ああ……少し、いやかなり辛い役目を強いるけど、良いかな」
九兵衛の策は、恭が受けた魔女の口づけを逆に利用し魔女の結界を探すことだった。本来魔女の口づけは人間を結界の中に引きずり込む力がある。恭は口づけを受けても精神を乗っ取られる事が無かったが、深層心理の奥底では必ず結界の方へと向かう事が出来るはずなのだ。
だが、九兵衛は顔を俯かせる。普通の精神状態で魔女の結界に近づけば近づく程に、アザは恭を傷つけるだろう。魔女の口づけの力は魔女本体に近づくほどに強くなる。最接近した際に、恭の身体がどうなってしまうか分からない。
だが、彼女の口からそれを聞いてもなお、恭は向かう決意を強めるのだった。
「当然だろ。あと、その魔女ってのはどんな奴なんだ?」
「Robertaはさっきも言ったけど炎熱系の能力を持つ魔女だ。そして酒好きでもある。使い魔は炎熱系の能力を持たないから、魔女が使い魔を燃やして特攻させたりするんだ」
「使い魔ってのは俺でも倒せたりするかな?」
「奴の使い魔は憶病なんだ。酒の力で気分をトランスしてるに過ぎない。あと、酒気を全身に帯びてるから燃えやすいんだよ。殺す必要はない、酔いが冷めるまで頭を何かで殴るだけでも使い魔程度なら何とかなる」
それを聞いて恭は安心する。別に鳴と契約したいわけではないのだ。してもらえなくて元々、だったら魔女を倒す上で障害になる使い魔は自分が倒せばいい、そう思い立ったのだ。
近くに何かないかと見渡したが、町中では大した得物を期待できない。道中何か良い物がないか探す事にし(食費と交通費で5000円も割となくなりかけているため、金属バットのような大それた武器は買えなかった)、恭は痛みの増す方へと歩を進めた。
「はぁ、はぁ……」
方向性は大体定まっている。明確に痛覚が増しているのだから。だが自分の高校がある学区辺りまで辿りついた所でついに彼は地面に膝をつく。
「確かに近づいているんだけどね……この辺まで来てくれれば後はボク一人d」
「待て、まだ行ける……なあ、きゅうちゃん。少しでも気を紛らわせたいから、魔法少女の話をしてくれないか」
「強情だな……まあいいや、分かったよ」
恭は立ち上がり、痛みの増す方向へ歩きだす。九兵衛は心配すると言うよりは呆れながら、それでも気を紛らわそうと話を始める。
曰く、魔法少女は無限の時空、無限の空間を飛び回る存在であるらしい。魔女が巣食う世界に飛ばされ、そこで魔女を倒す。魔女を倒せば魔女が及ぼした世界の歪みが改変され、完全に修正が終わればまた別の世界へランダムに飛ばされるそうだ。
「前にも少し言ったと思うけどね、世界はほぼ無限に存在する。そして魔法少女が飛ばされるのは魔女の居る世界だから、きっとこの町には二度と戻ってこれない。だから鳴はきょうちゃんを騎士にしたくなかったのかもね。きょうちゃん、家族いるでしょ」
「まあな……そうか、全ての日常を失うってのはそう言う事なのか」
鳴は家族を理不尽に失い魔法少女になった。恭はその行為が、自暴自棄になった彼女の衝動的なものに思えてならなかった。失う物は無い、家族を殺した仇討ちをと躍起になる気持ちも分からないでは無かった。
だが、理解は出来ても納得は出来ないのが世の常で、恭も鳴のそれを許すつもりは無かった。彼女の悲痛な叫びが耳に残って離れない。別に嫌われたっていいじゃないか、それでも彼女を見過ごす方がよっぽど耐えられなかった。
「あ、そう言えばきょうちゃんは知らないと思うけど、魔法少女になる者は魔女と戦う運命を担う対価に何か一つだけ願いを叶えてもらえるんだ。願いは後払いだけどね。勿論騎士も例外じゃないよ」
「後払い?」
「ああ……昔は先払いだったんだけど、勝手が変わってね。何かあるかい? 自分の存在全てを賭けてでも叶えたい願いが」
「俺は……んぐっ!!!!!」
恭は胸を抑えて倒れ込む。痛みは首だけにとどまらなくなっていった。じりじりと焼けつく太陽は全身を蝕み、アザから来る苦痛は心臓を貫くような痛みを供給し続ける。
「おれ、は……鳴に幸せになって欲しい」
「……馬鹿だよ、君は。君たちは……そうか、此処だったか」
立ち上がり進みだす恭の目の前には、彼の通う高校があった。普通の人間には視認できないだろうが、九兵衛はそのどこまでも深い闇と微かに臭ってくる酒気からそこが魔女の結界だと断定した。
恭は近くに立てかけてあった鉄パイプを握る。1mくらいだが杖としては非常に有用であるし、これで殴れば酔いなど一発二発でさめてくれるだろう。
「じゃあ……行くよ」
「……ああ」
一瞬だけ視界が歪むのを恭も確認した。いつもなら余りの暑さに景色が歪んだと思うだろうが、今回だけは違う。その先には九兵衛の言う『魔女』と、鳴が居る。
二人は、未知の世界へと足を進めた。
結界の中は不思議な空間だった。周囲は至る所から酒が湧き出し、小さな池を幾つも作っている。壁はチョコのような赤黒いドロドロした素材で作られており、あちこちに咲く花からは煙草の煙が噴き出ていた。
何と言うか、70~80年代の路地裏のBARみたいだった。勿論恭はそんな所へ行った事は無いのだが。
恭の体調は結界の中に入ってかなり回復していた。煙や酒の嫌なにおいを差し引いても外よりかなり動きやすい。恐らく、結界に落ちた人間は鮮度の良いままに頂こうとするからだろう。
「妙だね……」
「妙?」
「鳴は恐らくほとんど戦うだけの魔力が残っていないはずなんだ。だから極力使い魔との戦いも避けようとするはず。そして、酔っているとは言っても使い魔は臆病な事に変わりないから、本当なら一般人のボクらにもっと使い魔が襲って来てもおかしくないはずなんだ」
彼女の言う相場がいまいち分からない恭だったが、彼女の言葉を信じるなら使い魔は本来もっとたくさんいるらしい。だが、自分達に襲いかかってくる使い魔は皆無だ。どう言う事なのだろう、恭が考えを巡らせていると、九兵衛の顔が青ざめる。
「もしかしたら……中心部の魔女の所に使い魔が集結しているのかもしれない。仇敵である魔法少女を確実に屠る為に。魔女の目が光っている所なら、使い魔も臆病だ何だと言っていられない」
「だったら、急ぐしかないだろ。でも、この先はどうしたらいいんだ? もうアザの痛みがどうこうってのは無いんだけど……来たか」
遅れての登場だ。周囲の池から使い魔が這い出して来る。鳥や蜥蜴は以前も見た。猿や犬などの動物も追加されている。どれも恭がよく知る動物と同じ姿かたちをしており、それがどうにもやりづらい。もっと異形の姿をしてくれればふっきれた物をと彼は嘆息する。嘆息して……鉄パイプを両手で握りしめた。
「使い魔ってのは単純だよな。行って欲しくない所を護ってる」
「ボクは戦闘派じゃないんだ、申し訳ないけど、頼むよ」
「ああ、やってやるよ!!」
恭は鉄パイプを握りしめ、襲ってくる使い魔の頭部を正確に狙って打ち倒していく。酔っている相手なので動き出すと軌道が中々読めない。ならば止まっている間に打ち倒していけばいい。そして襲ってくる敵は自分と言う名のストライクゾーンに向かってくる。それを撃ち返す事など造作も無い。
殆どの敵をミスなく打ち倒し恭は進んでいく。その手際の良さに九兵衛は感心した。
「凄いね、きょうちゃんを初めてカッコいいと思ったよ」
「それはその口調で言うからには本音と取ってもらっていいか?」
「仕方ないね、それくらい許して……きょうちゃん後ろっ!!!!」
九兵衛の指示と背中に感じた重圧を頼りに恭は得物を振るう。鳥型の使い魔は頭を砕かれそのまま床にとけていった。
「ありがとな、九兵衛」
「さっさと行くよ。……もうそろそろだ」
大広間に出た。あちこちに通路が広がっている。規模的に考えても此処が中心部で間違いないだろう。しかし妙だ。魔女が待ち構えていると思ったら何も居ない。むしろさっきまでの通路の方が使い魔で賑わっていた。
そしてもっと妙なのが……鳴が居ない。もしかして別の通路を虱潰しに探さないといけないのか……などと思っていたが、恭の疑念は無駄に終わった。
「安い手を使うね……こう言う所でボクが居るんだけどさ」
九兵衛は地面に手を突っ込む。そして、声にならない叫びを上げて周囲を振動させた。
周囲の映像が砕け散る。そしてその先に広がっていたのはおびただしい数の使い魔と、変身が解け満身創痍の鳴、そして中央に座す、半径3メートルを超え、ロープも無いのに地面から数十センチ浮く巨大な鳥籠。中に居たのは、女性の首から腰までにかけてしか無い肉塊の異様な姿だった。
「これが、魔女……っ、鳴!!!!」
恭は襲いかかる使い魔をなぎ倒し、鳴の元へ駆け寄る。そのままの位置ではあまりに魔女に近いため一旦彼女を抱いて後方へ下がった。
恐ろしい程に軽かった。彼女を抱きかかえるどころかまともに手すら触った事がなかった恭だが、彼女はこんなにも軽く儚かったのか。こんな身体で、今まで戦ってきたのか。しかし。
彼女がどれほど強い想いで真田恭を護ってくれていたのか。恭はその全てを知らない。彼女がどれほど深く彼を愛し、どれほどの苦痛を以て彼を拒絶したのかその真意を明確には知らない。それでもその一部、片鱗に触れただけでも彼女の想いは恭に伝わっていた。
「……真田、くん……どうして、何でここに……」
「九兵衛に頼まれた。俺につけられた魔女の口づけを使って鳴の居場所を探してくれって。でもまあ……俺が木村さんを助けたかったんだよ」
「……まずいね。ソウルジェムが真っ黒じゃないか。これじゃあ変身も魔法も使えない、恭ちゃんとの契約も出来やしない。無理にすれば……死ぬよ」
九兵衛からの無慈悲な宣告。たとえこの結界を脱出したとしても、鳴は魔法少女になれない。魔法少女にならずに魔女を倒すなど不可能だ。魔女を倒さなければこの世界を飛び越え別の世界で魔女を倒しグリーフシードを得て魔力を供給する事も出来ない。
絶望の袋小路。しかし、鳴はある意味で吹っ切れてもいた。彼女の頭を膝に枕する恭、消えそうな笑顔で、彼女は恭に微笑みかける。
「契約……してくれるかな」
「鳴……死ぬ気かい。自分が死ねば、きょうちゃんは生き残れる。この世界から拒絶されても、別の世界で別の幸せが見つかるからってさ」
「……真田くん、幸せになって。それが……私が九兵衛と契約した時の願いなんだから」
「……………」
恭は声を出せなかった。声帯がわなわなと震えていた。音も無く雫が零れ落ちそれは鳴の頬に落ちて伝っていく。
これは愛なのか。恭は彼女の献身を本当に愛と取って良いのか躊躇っていた。だが、そんな事はどうでもいいのだ。愛でもそうでなくとも、彼女が恭に向けた感情はどこまでもまっすぐで力強く、そして優しい。
「九兵衛、頼む」
「良いのかい? さっき言った事は脅しじゃないよ」
「ああ……俺の願い、それは木村さんの、木村鳴の幸せだ」
やれやれ……と九兵衛は嘆息し、契約の陣を描く。白い光の中にいくつもの光球が湧いては弾けて消える。蒲公英(たんぽぽ)の綿毛のように。
「我、契約の使徒インキュベーターが命ず」
「我、魔道の導手、白巫女(ヴァイスガイスト)木村鳴が命ず」
「汝、闇の使徒を打ち破る剣、魔法少女を護りし盾となれ」
「私と契約して……ずっと私を護ってくれますか?」
「……護るよ。だから死ぬな、俺が木村さんを、鳴を護る」
『契約・完了』(エンゲージ・レコグニション)
『契約No.XIII『黒騎士』(シュヴァルツ・シュヴァリエ)』
白い光の奔流。それは恭を温かく包みこみ、衣装を作り変えていく。
騎士、と言うよりは高級将校のようないでたちだった。黒い長ズボンに腿を全て覆う程の深い黒のブーツ、そして蒼いシャツに上半身を覆う漆黒のコート。髪は根元から九兵衛のような白色に変わり、九兵衛の瞳のように、いや彼女以上の純度と輝きを持つ深紅に左目を染める。首には鍵を模したエンブレムの首飾り、鍵の中心には黒いダイヤのような小さなソウルジェム。
右目を瞑ると周囲は赤い世界に包まれる。近場に居る敵とボスである魔女がロックオンされ、左上にはメニュー画面が開いている。恭はWeaponを選択した。中央に表示される謎の文字コード。
『唸れ、愛染(あいぜん)』
声も無く自分の意識から発せられた指導キーは、恭の魔力の結晶となって彼の左手に一本の剣を握らせた。柄から刃の先端まで真っ黒な、刃渡り50~70cmに厚くもなく太くも無い小型の剣。分類としては『スクラマサクス』に大別される。
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私の考える普通の剣の長さって竹刀の長さを基準に考えてるんですが(昔剣道やってたので)、これでいいのかな……ううむ。