No.576105

紅蓮地異変同盟以前プレビュー「2 アンコンシャス」

FALSEさん

例大祭10新刊でございます/舞台は星蓮船から少し後くらい/詳細は特設ページをご参照ください http://false76.seesaa.net/article/360925547.html /とらのあな様での委託始まっております http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/12/35/040030123586.html

2013-05-14 00:07:12 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:807   閲覧ユーザー数:804

 

 一

 

 霧雨魔理沙は淀んだ瞳で眼前の光景を眺めていた。

 部屋は綺麗に片づいており、埃一つない。久々に露わとなった床面が元気に存在を主張する。

「……研究半ばで、こいつはきついぜ」

 魔法の森で探索採取した菌類満載のバスケットをテーブルに置いて、室内を見回した。元々は彼女の研究室だった場所だ。眉根を寄せたまま窓際に寄る。

「……広いな。自分の部屋が、ここまで歩き易くなるとは思わんかったぜ。ただこれからどうやって、実験を続けりゃいいんだ?」

 泥棒の類いにガラクタを含む一切が持ち去られた可能性を、彼女は最初に想定した。被害額を金額で表すのは困難だ。見当たらないものの中には希少な素材や自作のアーティファクトもある。

「だいたいあの中には二束三文のものも多いんだが。研究ノートは、と」

「正面の戸棚。一緒に積んであったすぐ使いそうな本も一緒に収めてあるわ」

「なるほど。その他の魔道書はどうした?」

「埃を被ってたのが多かったけど、見るの? あれ。ひとまず本棚にまとめておいたけど、返却した方がよくないかしら?」

「いやいや、あれは死ぬまで借りるつもりだから、直には読むぜ……って、おい!」

 空気に裏拳を入れる。そこで彼女はようやく別の誰かと、無意識に会話をしていたことに気がついたからだ。そう、無意識に。その存在を知らなければ、ずっと気がつかなかっただろう。

 最初からその場に座っていた趣で、一人の少女が背後のテーブルについている。シルバーブロンドの髪の毛、ベージュ色のシャツ。

「お前か、人のいない間に家に入り込んだ挙句懇切丁寧にここを掃除してくれたのは!」

「なかなかの大仕事でした」

 大仰に額の汗を拭う仕草を見せる古明地こいし。

「何が大仕事だ。実験途上のサンプルまで綺麗見事に片づけやがって」

「仕舞った所はだいたい覚えてるから心配しないで。ちなみに片づけたら拙そうなものは、ひとまず台所に移動しておいたから」

「それはそれはどうもご丁寧に……って、そういう問題じゃない! まずどうやって家の中に入った。私は戸締りをちゃんとしたぜ」

「朝あなたが出かける時に、扉を開けたでしょう? その時に入れ替わりで入ったわ」

「いや、そこで声をかけろよ……それでお留守番はいいとして、何で部屋を掃除する必要があるんだ」

「足の踏み場がなかったから、何となく」

「何となくで、徹底的にやり過ぎだ。本当に一人でやったのか? 整い過ぎてて逆に怖いんだが」

「一人よ?」

 平然と言い放ち、薄い笑顔――魔理沙が見る限りでは始終この表情を崩さない――を軽く横に傾ける。

「古明地の家訓でね。自分のことは自分でしよう。あなたの部屋は疎かだったわ。一人暮らしなのに」

「へえへえ、悪うございました。普通の魔法使いは多忙でな。それに雑然としてた方が落ち着くんだ。それで今日はまたなんで部屋の掃除までして、私の帰りを待ち構えてたんだ?」

 やおらこいしは立ち上がり、テーブルを回り込み魔理沙に擦り寄った。

「それは、もちろん。遊びにきたのよ」

「アポなしで他人の家に押しかけるのは相手に迷惑だって、家訓で教わらなかったのか?」

「だって、魔理沙ってば」

 上目遣い。魔理沙の体が弓なりに仰け反る。

「遊びに来てねって頼んでも、全然来てくれないし。だったらこちらから遊びに行かないと」

「そうなる理由が、どうにも分からんぜ。行けたら行くとは言った気がするがな」

「私ね。もっと人間のことを知りたいの」

「はぁ?」

 微妙に要領を得ない返答だ。続けて紡ごうとした二の句が次げない。表情は笑顔なのにこいしの目は深く淀み、魔理沙の心を深淵に落とし込もうとする。

「私を負かした人間のことは、特に興味があるわ。どんな暮らしをしてるかとか、どんなものを食べているのかとか、何を考えたら強くなれるのかとか」

「だからって、ストーキングはよくないぜ」

「仕方ないじゃない? 私はお姉ちゃんみたいに、心が読めないもの。自分で見て聞いて体験しないと、真実を理解できない」

 こいしは左手で心臓の辺りにあるアクセサリーを弄んだ。閉じた瞼がついた、群青色の球体。二本のチューブが伸びて彼女自身に絡みつく。

「だから、教えて。あなたの普段の生活」

「つってもなぁ」

 手を頭上に伸ばし、帽子に触れる。しばらく目を泳がせると三角帽子を両手で外し、壁に掛けた。

 そのまま踵を返し、籠を手に台所へ向かう。

「何から始めるの?」

「人間様の食事を作るところからだぜ」

 首だけを背後に向ける。こいしは依然としてその場に立ち尽くしたまま。

「二人分な。お前の分まで作ってやるから、それを食って満足したらさっさと帰れ」

 

 §

 

「……と、まあそういうことがあってだな」

「現在進行形で不法侵入してる奴の言葉じゃないね」

 パチュリー・ノーリッジは書物に視線を落としたまま、小さく早口で切り返した。

 場所は紅魔館の地下。十数メートルはあろう本棚が林立した、超巨大図書館の中心に彼女達はいる。

「私にそれを相談したら、何か策を授けて貰えると思ってるの? ご愁傷様。そのまましばらく彼女が飽きるまで、付き纏われるがいい。少しは不法侵入被害者の労苦を味わえば、私が常日頃どれほど白黒ネズミに心を傷めているか理解できるでしょう」

「そうつれないことを言うなって。元はと言えば、お前達があいつと会う切っ掛けを作ったんだろう? 地底から怨霊が湧いたあの異変は人間にとっちゃ、ただの温泉事件だったんだぜ?」

「放置すれば連中は人心にも悪影響を与えていたわ。あんた達が気づかなくとも、あれは立派な異変」

「私からすれば、今の状態の方がずっと異変だな。よって異変を解決するべく、行動に及んだわけだ」

「心を読む『第三の眼』を閉ざしたサトリ妖怪の本なんて、この図書館にはないよ」

 左手でコーヒーカップの位置を探り当てて、温くなった濃茶色の液体を微量口に流し込む。

「自分の能力を捨てた妖怪なんて、前代未聞だもの」

「別にそっち方面の知識には期待していない。私が知りたいのは、気配を消した妖怪の見つけ方だよ。すぐ近くに立たれても気づけない妖怪に気づくには、これまでの魔法とは別の知識が必要だ」

「パワー弾幕馬鹿に使いこなせる魔法じゃないのは確かだね。探知系の魔法でしょ? あっても無駄」

「侮って貰っちゃ困る。こっちは切実なんだ」

「私が言っているのは技量以前のレベル。お前は、まだ古明地こいしの能力が『気配を消す程度の能力』だと思っているのかしら?」

「あながち間違いではなかろう? 天狗の千里眼ですら、あいつを見つけることは適わない」

「お前は誤解している。あれの『無意識を操る程度の能力』がその程度の力だとしたら、サトリ妖怪の姉よりも強い筈がない。自分で体感したでしょう?」

「そうは言うがな。そもそも、あいつが操るという無意識ってものが曖昧過ぎて、何を操ってるのかもよく分からんのだ」

「早い話が、意識の反対。五感で取得できない情報、体験したけど思い出せない記憶、全てが無意識よ」

 羊皮紙のページを一枚、左にずらしていく。

「あの妖怪は第三の眼を閉ざすことで、サトリ妖怪がどんなに足掻いても読めなかった心の領域に踏み込む力を得た。少なくとも私はそう仮定しているわ。あいつはその領域のものを自在に引き出して、領域そのものを含め操る。気配を隠す力もまた、他者の無意識に干渉した結果の一欠片に過ぎない」

「それと探知の魔術で見つけられないことが、どう繋がってくるんだ? 魔力と意識は関連するまい」

「ところが、行使者の意識とは深く関連する。仮にレーダーが古明地こいしの接近を捉えたとしても、監視人がそれを見落としては意味がない。あいつの力はそれすらも、人為的に引き起こすでしょうね」

「んな、馬鹿な。距離もお構いなしだってのか」

「自分で言っていたでしょう? 天狗の千里眼でも見つけられないと。そう仮定するのが妥当だわ」

「むぅ」

 唸りを上げたきり、魔理沙が黙る。パチュリーにとっては好都合。ページをめくる頻度が増えた。

「……探知は不可能。でもまあ、ヒントはあるな」

「ふぅん?」

「逆に考えた。探知できなくてもいいと考えればな。こいしが全ての意識を跳ねのけるのなら、無意識で捕獲する仕組みを作りゃいいってわけだ」

 椅子を引き動かす音だけを、パチュリーは聞いた。

「そうと決まったら、早速罠の敷設に取り掛かるとするぜ。引っかかったら檻に入れて飼育してやる」

「ふん。せいぜい自分自身が獲物にならないように気をつけることね。と、そうだ」

 初めて本から視線を外す。卓を離れかけた魔理沙の後姿が振り返っている。

「あなたここに忍び込むのなら、たまには地下室に行きなさい。妹様が愚痴っていたわ」

「行くのは吝かではないが私は多忙なんだ。それに、最近はフランも落ち着いているんだろう?」

「私から言わせれば全然多忙に見えないね。それに」

 ドーン。遠方から爆音。数瞬遅れ振動が図書館に伝わり、コーヒーカップの水面に細かい波紋を作る。

「妹様は今でも時々こんな具合よ。時折発散が必要。だけど地下室の封印は、前ほど厳重にしていない。それがどういう意味かは分かるわよね?」

 ドーン。断続的に爆音は鳴り響く。パチュリーを見る魔理沙の表情は、僅かに強張っていた。

「まあ、まあ、そっちの方もそのうち何とかするぜ。直近の悩みを解消せにゃならん」

「そのうち、ね。それは家に押しかけてくる妖怪が、一人から二人に増えるよりも後かしら?」

「前だ、前」

 魔理沙は歩き去った。声をかけるより前よりも、少々足早に。呼びもしない客が去ったのを見計らい、視線を本に戻す。集中力の奪回。

 地下の音は妹様ことフランドールが誰かと戦っている時のものだ。相応の実力者でなければ、生きて帰るのも難しい。今の相手は時折レミリアが招いている藤原妹紅とパチュリーは推理するが、図書館の外で起こっている出来事はあくまで推測だ。

 ――とは言えど、部外者の蓬莱人ばかりに妹様のお相手役を押しつけておくのも少々問題ね。

 昨今、フランドールの癇癪は頻度が上がっている。もし妹紅が音を上げれば、今度は紅魔館の住人達でお相手役を分担しなければならないだろう。その中には当然パチュリーも含まれる。

 何でも破壊するフランドールの能力と、どんなに破壊されても蘇る妹紅の能力は、かなり相性が高い部類に入る。しかしこれほどの逸材は滅多にいない。せめてフランドールと互角以上に弾幕ごっこができなければ、人件費の無駄遣いとなろう。

「妹様と、互角――」

 本を、閉じる。表紙を手で合わせたまま、さらに思考すること十数秒。彼女の脳裏を過ぎったのは、直前の魔理沙との会話である。

 ――確かに、あれなら妹様とも戦える。だけど、どうやって紅魔館に招き入れればいい?

 そこからさらに数分。奇妙な体勢で固まっているパチュリーに、黒いスーツの女が声をかける。

「パチュリー様、何してるんです? 錬金術ですか」

「……手を合わせたまま錬金する奴がどこにいるの。それより小悪魔、少々遣いを頼まれなさい」

 羊皮紙のメモに素早くペンを走らせて、小悪魔と呼ばれた司書に手渡す。彼女は横髪から伸びた蝙蝠の羽を僅かにはためかせながら、メモを一読して。

「全て既読本ですけど、いいんですか?」

「未読本に同等の研究書があるなら持ってきなさい」

「う」

 未だ読んでいない本は、読了した本の数十倍。

「少々席を外すわ。持ってきた本は順次集約」

「かっしこまりましたぁ」

 薄桃色のローブに袖を通し、席を離れる。床から数センチ浮上した状態で滑走し、図書館の入り口へ。さらに階段を上り、紅魔館の最上階を目指す。

 通常ならばレミリアは寝ている昼間だが、来客がある日は客間で茶を嗜んでいるだろう。

 その客間に到着するや、数度裏拳で扉を小突く。

「レミィ、まだ話せる?」

「ああ、パチェか。入っていいよ」

 窓のない、壁も絨毯も赤で埋め尽くされた客間に入ると、レミリアは一人円卓で紅茶を飲んでいた。テーブルに置かれたティーセットの数は二人分。

「誰か来ていたのね。妹様のお相手役かしら?」

「いや、妹紅はもう帰った。今は別のが相手してる」

 席につくやその横に咲夜が現れ、バチュリーの分の紅茶をカップに注ぎだす。

「代役がいたの? 魔理沙じゃないわよね。さっきまで話をしていたし」

「館に侵入した不届き者がいてね。使えるかどうかまだ分からんが、生きてはいるようだな」

「最近そんな手合いが雨後の筍みたいに現れているけれど、生き残るだけでも相当なものよ」

 くすり、とレミリアが笑う。

「地上に逃げ戻ってこれたら、労いの一つくらいはかけてやってもいいかもしれん。だが持続するかはまだ未知数かな。……実はね、妹紅がフランの相手を辞めたいと申し出てきた」

「あら、本当。それは少々、拙い事態じゃない?」

「無論、慰留した。しかし本人の意志が、なかなか頑健でね。所詮は奴も人間、死ななくてもフランの子守りを続けていれば気を病むか。結局呼び出しの周期を伸ばすことで妥協して貰ったが、しばらくは私が代わりに遊んでやらなきゃいかんね」

「代役にあてはない。今相手をしてる奴というのも、定着するか分からない。そんな認識でいいのね?」

「ああ、間違いないけど。何か策があるかい?」

 パチュリーはすぐには答えず、紅茶を口に含んだ。紅魔館ブレンドの甘いフレーバーが喉を潜った。

「適任候補を見つけたわ、レミィ。でも、少々難がある奴でね。咲夜達の力を借りたいわ」

 

 二

 

 こいしの自宅は、紅魔館が誇る地下大図書館より下にある。幻想の風穴を下って、現世と古い地獄を隔てる橋を渡る。鬼達が支配する旧都の中心に建つ古く大きな洋館、地霊殿がこいしの家。

 地霊殿の周囲に、気配は皆無だ。館の主、古明地さとりの能力を誰もが忌避しているためである。

 玄関の扉を開けると、獣臭さがこいしを出迎える。エントランスはペット達の遊技場に近い状態だ。

 足元を占拠する犬猫達を器用に飛び越え、通路を抜ける。最奥に突き当たる扉がさとりの私室兼書斎。

 こいしは何の躊躇もなく、ノックすらせずノブに手をかけた。扉を開けてまず目の前に広がるのは、いっぱいのハート。タペストリーやレリーフ、額縁、カーペットなど至る場所にハートを象っている。

 さとりは部屋の奥で木製机の上に置かれた書類の山に囲まれて、一心不乱に羽ペンを走らせていた。

「ただいま、お姉ちゃん」

 背後へと回り込んで、声をかける。さとりは一瞬ペンを止めたが、その後は構わず執筆を再開する。

「お帰り、こいし。でもノックはちゃんとしてから入ってきなさいと、いつも言っているでしょう?」

「そんなことよりお姉ちゃん。今時の魔法使いは、台所で素材を調理するわ?」

「いいのよ。今は伝統的な魔法使いが登場するお話を書いているのだから」

 羊皮紙の上には、魔法使いが大釜で触媒を煮込みながら陰謀を巡らせる描写が書き込まれている。

「童話にも、リアリティって必要じゃないかしら?」

「子供向けの小説を書いているわけじゃないのよ」

 さとりが苦笑して羽ペンを置く。こいしの乱入で集中が切れてしまったのか。

「今日はその魔法使いに会ってきたというのね?」

「そうそう。私を負かした魔法使いの家に行ったの」

「あらあら。ちゃんとお土産は持っていったの?」

「オミヤゲ?」

 きょとんとしているこいしを見て、もう一度苦笑。

「包んであげるから、後日挨拶していらっしゃい。それで、今時の魔法使いはいかがでした?」

「大変美味しゅうございました。夕ご飯が」

「お土産を持っていく理由が増えたわ」

 背もたれを離れ、机越しの正面へと迂回。

「代理で挨拶に行ってくれても構わないのよ? 次に向かう機会は無意識が働く時任せだから」

 机にもたれかかって、さとりの表情を見上げる。困った笑顔を浮かべたショートヘアが頭上に見えた。

「駄目です。無意識をどやしつけてでも、こいしが挨拶に行きなさい。あなたにはできる筈よ?」

「何だ、残念。外に出る理由になったのに」

 さとりが目を伏せて、深く息を吐き出す。

「外に誘い出そうとするのは止めてくれないかしら。外の連中の心を読むのは、正直うんざり」

「私も前から言っているわ? 第三の眼なんて閉じちゃえば、お姉ちゃんも気楽に生きられるのに」

 心臓の辺りを指差す。さとりの第三の眼は赤い色。不気味な瞳を輝かせて、さとりに合わせ瞬きする。

「私にはね、こいし。現在のあなたがとても幸せと思えないわ。どこに行くにも食事をするのも、手を上げることすらも無意識任せなんて」

「でも、嫌われなくはなったわ。地上は楽しいことだらけよ。こうしてお姉ちゃんに、自慢話もできる」

「私はここであなたの自慢話を聞いているだけで、お腹いっぱいになるわ。それで、魔法使いの家ではご飯を食べただけなのかしら?」

「それが彼女の家ったら、酷いのよ。足を上げたらゴミに当たるくらい散らかっててね……」

 地霊殿に戻るのは、長くて数日に一度。その間の出来事をさとりに教えることだけは習慣化している。

 生まれも同じ、育った環境も同じ。

 なのに片や姉は外界との交流を遮断し、ペットに囲まれた生活を続けながらもサトリであり続ける。

 片や妹は能力そのものを否定し、積極的に外界へと遊びに出るが希薄な存在になってしまった。

 唯一違っていたのは、物心ついた時に姉妹ができたか、物心つく前から姉妹がいたかの点に尽きる。姉は妹の模範であろうと欲し、誰からも恐れられる存在になった。妹は姉の背中を見て育ち、彼女に倣うことが正しいことだと考えるようになった。

 思想の違いが、決定的な精神力の差を産んだ。

 妹は「姉のような妖怪になること」を望んだが、「サトリ妖怪になること」は望まなかった。だからサトリ妖怪が他者から嫌われる理由を知った時に、彼女はその重圧に潰れた。

 現在の二人は、互いが互いを反面教師としている。半ばコミュニケーション恐怖症と化した姉に倣わぬように。自らが存在する理由すらも分からず、日々放浪を続ける妹に倣わぬように。永遠に埋まらないギャップを埋める抵抗が、姉妹の会話として現れる。

 その日は結局、二人が寝るまでの時間をほぼ全て外界の話題に費やすこととなった。

 

 §

 

「はて?」

 こいしが初めて疑問を感じたのは、大きな洋館の門前に自分が立ち尽くしていると知覚した時である。様式こそ地霊殿に似ていたが、その洋館は窓が少な過ぎるし外壁が赤過ぎもする。何より、青い空には地底で見られない太陽が強烈な光を放っている。

「私、どうやってここに来たんだっけ?」

「あら、お忘れですか? あなたはご自分の足で、ここまでお歩きになったというのに」

 横合いから声。目が丸くなった。何百年かぶりに体験する、驚愕の感情である。

 すぐ脇に、長身のメイドが立っている。こいしは自分の顔を見て微笑んだ銀髪の女をしばらく眺めたまま、何度も瞬きをした。

「私の顔に、何かついてます?」

「あの。えっと」

「ひょっとして、不思議なのかしら? どうして、私の無意識を操れないのかって。疑問でしょう?」

「え?」

 硬直して次の言葉が出てこないこいしを尻目に、彼女は正面へと回り込んだ。恭しく頭を下げる。

「改めましてご機嫌よう。ようこそ、悪魔の館へ。ええ、正直ここまであなたを誘導するのはなかなか大変でした。でももう少しだけ我慢して下さいな」

「え?」

 瞬時に、景色が一変する。

 こいしが立っている場所は、もはや館の門前ではない。赤い絨毯と赤く塗られた壁に囲まれた大広間。正面にはこれまた赤い背もたれに金装飾が施された大きな玉座があって、その半分もない体格の少女が肘掛の片方にだけ身を預けている。

「お連れしましたわ、お嬢様」

 そして先ほどのメイドはと言えば、いつの間にか玉座の脇に控えていた。少女が鷹揚に頷いて。

「ご苦労。毎度お前の仕事が完璧で助かるね。と、いうわけでだ。よく来たね、古明地こいしよ」

「……あの、何が起こったかさっぱりなんですけど。あなた達は誰で、何で私を知ってるのかしら?」

「そうだな、自己紹介してやろう。私は紅魔館の主、レミリア・スカーレット。脇のはメイド長の咲夜だ。お前は運命の導きによって、ここへ招かれたのだよ」

 沈黙。こいしの首がかくんと傾いた。

「あの失礼ですけど、もしかして残念な人かしら? 宗教勧誘は間に合ってます」

「違うよ、悪魔が神に頼ってどうすんだ。とにかくお前の力に少々興味があったんで、館に招待したの。私の友人が、お前のことを知っていたんでね」

「別に招待されたくないので、帰っていいかしら?」

「せめて話は最後まで聞きな。もっとも、今は外に出ると大変な目に遭うと思うけどね」

「どうして?」

 レミリアは咲夜に目配せをした。同時に外から、太鼓を一斉にかき鳴らす音が聞こえてくる。

 そして咲夜がカーテンを開ける、と。窓越しに、大量の水が叩きつけられる光景が見えた。豪雨だ。

「さっきまで晴れてたのに……」

「あーあ、また酷い雷雨になっちまったね。これはしばらく雨宿りしていくしかなさそうだ」

 くすくす笑うレミリア。

「雨になるのが、最初から分かってたみたい。外に出ると大変な目に遭うですって」

「運命を手繰ったんだよ。さあ、紅茶を飲みながらゆっくり話そうじゃないか。咲夜が淹れる紅茶は、格別に美味いんだぞ」

 無言でレミリアを眺める。

 すでに玉座の真横には、それまではなかった筈の丸テーブルと二人分のティーセットが置かれていた。レミリアは一人鼻歌を歌いながら一席につき、もう一席をこいしに勧める。

 結局こいしは、首を傾げながらそれに従った。

「それで、招待の目的は何かしら? 拉致監禁?」

「安心しろ、別にとって食おうってわけじゃない。お前に少々面白い職を紹介してやろうと思ってね」

「仕事?」

 咲夜が赤色の濃い紅茶を、ティーカップに注ぐ。

「そう、仕事。住み込みになるが一日三食昼寝つき。割と自由も保証される素敵な職場だ。それに何より人間のことがよく理解できるかも知れんよ」

 最後の言葉が、こいしの無意識を刺激した。

「それ、本当?」

「お前の話は聞いているぞ。白黒の魔法使い相手にストーキング紛いのことをやってるそうじゃないか」

 窓の外が激しく明滅し、雷鳴が轟いた。

「はっきり言えばお前のアプローチは間違っている。なりふり構わず奴の無意識に忍び込んだとしても、そうそう本性を曝け出すものではないね。それより合理的に白黒と顔を合わせられる機会を作った方が、奴もなんぼか素直になると思うぞ」

「合理的に、ねえ。あなたがその機会を作れるって言いたいのかしら?」

「その通り。話を聞いてみるつもりになったか?」

「仕事の内容にもよるかなあ」

「何、特段難しいことをやって貰うわけでもない。ただ普段から人間も襲わずにふらふらしてるだけのお嬢様に、少々の社会勉強をして貰うだけさ……」

 

 §

 

 同時刻、地下巨大図書館。

「触媒が切れる前に言いくるめなさいよ、レミィ」

 パチュリーが目にしているのは、頭の大きさほどある水晶玉。その内部にはレミリアとこいしが対話する謁見室の光景が映り込んでいる。

 紅魔館が建つ地にはフランドールが外に出ようとした時の緊急封じ込め装置として、雷雨召喚魔術の結界陣が構築されている。稲妻が落ちて、滝の雨が降っているのは実のところ紅魔館の周囲だけだ。

「あとは彼女が妹様の相手に興味を示してくれれば、なおいいのだけれど」

「あれが、パチュリー様の目星をつけた子ですか。なんかぽやっとした感じですね」

 背後から水晶玉を覗き見しながら、小悪魔。

「彼女、あんたの数段は強いわよ。無意識の怪物と戯れたいなら、別段止めはしないけれど」

「あ、いえ、遠慮しときます。でもあれが嫌われ者のサトリ妖怪と言われても、実感が湧かなくて」

「まあ、そうでしょうね。あいつは心を読まない。その代わり、曖昧な無意識を自分のものにできる」

「ええ、それで無意識に関する研究論文ばっかりを集めてたんですよね。それでパチュリー様、私よく分かんないことがあるんですが」

「言って御覧なさい」

「心を読むサトリが能力を封じたら、心が読めなくなるのは分かります。でも、それだけで無意識って見えるようになるんですかね?」

「ん?」

 水晶玉の映像が、一瞬左右にぶれる。

「いやだって、変じゃないですか。目を閉じたら、何も見えなくなるのは当然ですよね。だけど、別のものが見えるようになるのは普通ですか?」

 重い石臼の動きで首がゆっくりと回転し、小悪魔の方を向いた。赤毛の司書が当惑する。

「あの、私おかしなこと言っちゃいました?」

「いや、逆。あんたたまに鋭いこと言うわね」

「え、いやあの、それほどでも」

 今一度、視点を水晶玉に戻す。

「確かに、不自然だわ。彼女がサトリ妖怪だから? いいえ、それならもっと世界に第三の眼を閉じたサトリ妖怪が溢れていてもおかしくはない筈。でも、現実にあんな例外は古明地こいしだけよね……」

 以下ブツブツと聞き取れないレベルの考察が続く。小悪魔はそれをしばらく見下ろすと、そっと背後を離れて本棚の森に消えた。

 しばらくして、不意にパチュリーは新しい羊皮紙を手に取り、羽ペンをとって文字列を書き記す。

 「サトリ妖怪に関する生態考察」

 遅れて、小悪魔が何かを両手に抱えて戻ってきた。新たな羊皮紙の束である。

 役に立とうが立つまいが、知識欲の働くがままに。パチュリー・ノーリッジはそういう魔法使いだった。

 

 §

 

「さあ、これでいいわ」

 鏡台に映った自身を見て、こいしは目を見開く。紺のワンピースとエプロンドレス、頭にはフリルのついたカチューシャ。咲夜との違いは心臓の辺りに浮かぶ第三の眼くらいか。

「仕事は妖精メイド達に習いなさい。あいつらより使えることに期待するわ」

 メイド服をこいしに着つけた咲夜が言う。

「お姉ちゃんに一声かけたいんだけど」

「基本的に住み込みになるから、それは難しいわね。お望みとあらば博麗神社に来る黒猫に、お知らせの手紙を渡しておくけれど」

 ぼんやりと考える。筋道立てた思考はあまり得意ではない。いつも無意識で行動する彼女は、考える行為もまた無意識的だ。

「労働条件を説明しておくわね。三食個室付きで、休憩は任意。ただし魔理沙が図書館に現れた時には、優先的に対応して貰うことになるわ」

「こんなことで、人間のことが分かるのかしら?」

 咲夜が一瞬、天井を見上げる。

「それはあなた次第。ろくに仕事なんてしたことがないなら、得られるものも多い筈よ」

 笑顔で答える咲夜を前に、こいしは独りごちた。

「おかしなことになっちゃったなあ」

 

 三

 

 長い廊下には果てが見えず、距離的には幻想郷の端から端までを歩き切ったかもしれない。

 バケツにモップを突っ込んで絞り、床を磨く。塵一つ落ちてない通路を磨く作業は、なかなか不毛だ。

 紅魔館の内部は館の外見以上に広い。メイド長が空間を好き放題弄った上に時々組み替えてもいると、妖精メイド達から聞いた。就労経験の長い者ですら時々この四次元迷宮で迷うという。

 レミリアはともかくとして、咲夜から逃げるのは至難の技だろうとこいしは直感していた。どういう原理か、彼女の無意識にまるで干渉できない。

 例えるなら水を掴む感触に似る。握れば手応えは感じられるが、すぐに指から擦り抜けてしまう。

「掃除は進んでいるかしら?」

 こいしのすぐ背後から、その咲夜の声が聞こえた。まったくもって隙というものが感じられない。

「進んでいるように見えるのかしら? 全部終わる頃にはお婆ちゃんになっちゃうかもね」

「ご心配なく、私の方が先だわ。それより第一級の優先事項が発生したから、準備して頂戴」

「優先? 魔理沙が遊びに来たの?」

「幸運なことに違うわね。だけど不幸にもそれより悪い事態。まさかこんなに早く来るとはね」

「何が?」

「歩きながら説明するわ。着いてきなさい」

 こいしを先導して、通路を歩き出す。似たような赤い壁と景色が続くにも関わらず、迷いがない。

「この館に吸血鬼が二人いるのは知ってるかしら?」

「一人がお嬢様なのは知ってるわ」

「そう、そのお嬢様には妹がいる。時たまぐずって暇潰しの玩具を要求するのよね」

「その玩具を渡せば満足するのね?」

「そういうこと。玩具の役はもっぱら新入りの仕事」

「あらまあ」

 咲夜が振り返る。いつの間にかその手には一枚の盆が握られていた。クランベリーをふんだんに散りばめたスポンジケーキが二切れ。

「これを持っていきなさい。半分はあなたが食べてもいいわ。無事ならね」

「新入りに無事では済まない仕事を任せるなんて、いったいどういう職場なのかしら」

「実践主義と言って頂戴。習うより慣れた方が早い輩が多いのよ、特にこの館ではね」

 ケーキ皿を差し出しながら、通路の横手を視線で示す。身の丈の数倍に及ぶ大扉が一つ。

「ここから先へは、あなた一人だけで行きなさい。安心して、道中で襲われることは滅多にないから」

「滅多にはある上に、襲ってくるのね」

 メイド長は無言で微笑み、扉の横手に誂えられた金具に手をかけた。長い鎖が巻きつけられており、先端は天井に続いている。チェーンブロックだ。

「外側からしか開けられない仕組みになってるから。戻ってきたら、内側から扉を叩きなさい」

 鎖が引かれる。天井で何かの仕掛けが軋みを上げ、観音開きの鉄扉を左右にずらしていく。

「さあ、急いで」

「拒否権はないのかしらね?」

 こいしが扉を潜るや否や、その背後に残った地上の光が細まり、轟音と共に完全な闇へと戻る。

 暗さに目が慣れるのは早い。扉の向こう側は長い階段に続いていた。奇妙な魔方陣が左右に描かれたその通路は、地下深くまで伸びている。

「おかしなことになっちゃったなあ」

 トレイを片手で支えたまま、慎重に一段ずつ階段を下りる。飛んで下りるにしては天井が低過ぎた。

 

 §

 

 紅魔館地下巨大図書館。現在もなおパチュリーは、羊皮紙との格闘を展開していた。ページが埋まるとすぐさまそれを小悪魔が受け取り、空中のワイヤーにクリップで止める。吊り下がる羊皮紙は百枚近くを数え、頭上は万国旗を飾った商店街の様相だ。

「サトリ妖怪が読めるのは表層の意識だけ。だから眼を閉じたサトリ妖怪は無意識を読めるのか。それはサトリに対するアンチテーゼなのか……」

「パチュリー様?」

 背後に咲夜が現れる。パチュリーは動じない。

「何か面白い動きはあった?」

「面白いかどうかはさて置き、古明地こいしを妹様のお相手役に向かわせましたわ」

 羽ペンの動きが、ようやく止まる。

「ずいぶんと周期が早いわね。渡りに船かしら?」

「ええ、早速ですがやらせてみようかと。簡単には破壊されることもないでしょうし」

「妹様の部屋にも、遠見の隙間を仕込んであるわね」

 卓上の水晶玉に手を触れる。暗く無骨な地下室の映像が、玉の中に映し出された。

「ご興味、おありでしたか」

「吸血鬼の妹と、サトリ妖怪の妹」

 水晶玉の中に、膝を抱えるフランドールの映像。

「メンタリティに似たものを感じるわ。何となく」

「仲良くなれるとお考えですか?」

「一時でも打ち解けられれば、儲け物だとは考えているよ。その間に知りたいことを得られれば万々歳」

 フランドールが顔を上げる様子が見える。こいしの接近に気がついたのか。

「さてと、まずはお手並み拝見と行きましょうか。無意識がどこまで妹様に通用するかしらね」

 

 §

 

 長い階段を下り、用水路だったと思われる場所を抜けると、再び眼前に鋼鉄の扉が立ちはだかった。

「何でまた、こんな所にいるのかしら?」

 こいしは紅魔館の複雑な事情を知らず、咲夜にも説明している余裕がなかった。しかし部屋の中から漂ってくる気配がまともでないことくらいは分かる。

「また安請け合いしちゃったかなあ」

 他人事みたいなぼやきを並べた後、扉を小突く。

「入ってよろしいですか?」

「……勝手にすれば、命知らずさん」

 中からの声。こいしは勝手にした。扉を開き中へずかずかと踏み込む。充満する血の匂い。

 フランドールは、広い部屋の奥にいた。ベッドに一人腰掛け、紅い瞳でこいしを穿とうとしている。

「まったくお姉様ときたら、次から次へと。あなた、新入り? にしては妖精でも人間でもないわね」

「まあその、成り行きで就職しちゃって。それで、おやつお持ちしましたけどどうされます?」

「適当に置いといて頂戴。食べるわよ、後で」

 傍の丸テーブルに皿を置く。フランドールは彼女の姿を無遠慮に眺め、不機嫌に目を細めた。

「あなた、私が怖くないの?」

 軽くテーブルに身を預けた体勢のまま硬直して、フランドールを見る。丸い目が数回瞬きした。

「あんまり感じたことないなあ、そういうの。眼を閉じた時に全部忘れちゃったから」

「何それ。変な子ねぇ、あなた。どいつもこいつも、私の前では多少は萎縮するのよ?」

 両足を空中に上げ、その勢いを使ってベッドから立ち上がった。前屈みになったこいしと、近づいたフランドールとの目の高さが釣り合う。

「さて、始めましょう。咲夜かお姉様の差し金なら、ここに来ることの意味くらいは聞いてるわよね?」

「玩具にされるとは聞いているわ?」

「あなたは、どんな玩具なの? すぐに壊れる方か、すぐには壊れない方か」

「どっちかを判定するのは、私には難しいかな」

 フランドールはこいしの眼前でにんまりと微笑む。

 間髪入れず、腕を振った。直前までこいしの頭があった場所を、鋭い爪が横切る。後方へ飛び退いたこいしの頬に走る、三本の赤い筋。

「それなら、私が見立ててあげる。できればすぐに壊れない方であって欲しいわ」

 フランドールの手に魔杖が現れた。それは彼女の手の中で真っ赤に燃え上がり、炎の剣に変わる。

 ――禁忌「レーヴァティン」

 剣を振るうと同時その刀身が勢いよく伸長して、周囲のみならず鋼鉄の外壁すらも真っ赤に焼いた。

 走り高跳びの要領で、光剣を避けるこいし。

「ほら、これはまだ優しい魔剣よ? すぐに壊れてしまわないで? ほら。ほら!」

 二回、三回、無限の斬撃が部屋ごとこいしを薙ぐ。逃げ惑うこいしを見るフランドールは凄惨な笑顔。

「紅魔館に就職したと言っていたわね? 私専属のメイドになりなさいよ。ずっとここで私と遊ぶの」

「どうして?」

 十数度目の側転を見せながらの質問。

「魔理沙も! ミス・アンブレイカブルも! 皆が皆、地下室に来なくなったわ! なのに私、この前来た奴を地上にあっさり帰しちゃった。後になって死ぬほど後悔したの!」

 魔杖から炎が消える。それを床に突き立てると、二枚目のスペルカードを宣言。こいしの周囲に光弾が格子状に配置され、囲い込む。

 ――禁忌「カゴメカゴメ」

「大口叩いた癖に弱々しくて。でもあの正体不明は壊れなかったわ。きっと、もうここには来ないわ。帰してから気がつくなんて、なんて馬鹿!」

 弾幕の檻に閉じ込められたこいしに狙いを定める。眼前に現れる、殺人的な大きさの新たな光弾。

「あなたは違うわよね。私の側にいてくれるわよね。何しろうちのメイドだものね? 別に答えなくてもいいわ。私、イエス以外の答は望んでいないもの」

 巨弾を投げつける。弾幕の檻を破って、こいしに向け殺到。檻の破片と巨弾が同時にこいしを襲う。

「大丈夫よ。なるべく壊れないように、大事に面倒見てあげるから!」

 爆炎。

 弾丸と粉塵が混ざり合い、四方八方へ飛び散っていく。フランドールはそこに目を凝らした。

「やだ……壊し過ぎちゃった?」

「一つ質問があるんだけど」

 目を剥いた。声が聞こえたのは、真後ろである。お化けを確かめるのと同じ動きで、背後を見た。

「正体不明、って言ったわよね。もしかしてこの前ここに来た奴って、封獣ぬえのことかしら?」

「……あいつのことを知っているの?」

 両腕を広げたこいしのメイド服は、方々が綻びていた。しかし、致命傷には程遠い。

「結構古くからの付き合いでね。プライドばっかり高い子だったでしょ。共通の話題ができたわね」

「私、その時が初対面よ? あなたとは付き合いが長いのね。どんな奴なの?」

「あの子からは、色々なものを見せて貰ったわね。あなたにも見せてあげる。私も見せて貰ったし」

 二人の周囲に何かの影が姿を表す。数十、数百と浮かび上がった影に視点を合わせ、二度目を剥いた。

 十数人の老若男女が周囲に湧き出し、立ち上がる。服装や人相は各々異なるが、一様に年代が古臭い。

 ――表象「夢枕にご先祖様総立ち」

「……これがあなたのスペルカード!?」

 叫んだ側から幻影は次々跳び上がり、人魂じみた動きでフランドールに向けて特攻を仕掛けてきた。

「ちょ、ま、こんなの知らない!」

 人型ミサイルから、慌てて飛び退く。幻影は床に着弾するなり消えるが、すぐに新たな人影が現れる。

「これのどこが『ご先祖様』よ!」

「私やあなたの、というより皆のご先祖様かなあ」

 幻影の中心から、こいしの能天気な声。

「さっき、私に聞いたわよね。私がすぐに壊れるか、壊れないかって。どっちでもない、が正解よ」

 人間ミサイルを避けながら、笑顔のこいしを見る。

「なぜなら私は、すでに壊れたものだから。そんな私だからこういうものが見えて、そして使えるの」

 フランドールもまた笑顔を浮かべ、身震いする。強い人間と対戦した時の武者震いとは質が異なる。

「なるほど。面白いわ、あなた」

 

 §

 

「サトリ妖怪ですって? あなたが?」

「正確には、元サトリ妖怪ね」

 フランドールはケーキを口いっぱい頬張る。一心不乱に咀嚼、嚥下。味覚刺激を噛みしめ天を仰いだ。

「ぬえから聞いたわ。サトリ妖怪は心を読むから、地底で一番の嫌われ者だって」

「だから私は、サトリを辞めちゃったの」

 こいしは硬く閉じられた第三の眼を指し示す。

「便利そうに思えるけれどね、心を読む能力って」

「仮にあなたが、心を読めるとするじゃない?」

「フランでいいわ。私もあなたを、こいしって呼ぶ」

「じゃあフランの周りの心の声が、食事時だろうと寝ている時だろうと聞こえてきたらどう思う?」

 フランドールは両手でケーキの残りを支えたまま、脳裏にこいしが提示した光景を思い描いた。すぐに耐えきれなくなり、最後の一欠片を一息に含んだ。

「狂い死ぬわね。想像しただけでどうにかなりそう」

「あら、どうして?」

「どうしてって、そんなことを考えて欲しいんじゃないの? 皆が私を疎んでるわ」

「でも、お嬢様とか咲夜さんが、あなたを嫌ってるとは思えないけどね」

「顔を合わせることがほとんどないの、あいつらは。騙し騙し付き合おうとしてるのが見え見えだわ」

「本当にそうなのかなあ」

 こいしもまたケーキの残りを平らげる。テーブルに立て肘をつき、その姿を見上げるフランドール。

「やけに拘るのね。あいつらは、私をここにずっと閉じ込めてきたのよ? 四百九十五年も」

「それって、フランのことを嫌ってるからなのかな」

「絶対、そうよ。それとも別の何かだって言うの?」

「分からないわね。私、心は読めないから」

 フランドールがむくれ返る。

「無責任だわ。結局あなたも他人事なのね」

「そうでもないわ。色々理由をつけて外に出たがらない妖怪なら、私も一人知ってるもの」

「あなたのお姉様は、どんな妖怪?」

「偏屈な妖怪ね。小説を書くのが趣味なのに、誰かに会うのが嫌いなの。だからいつまでも下手なのよ」

 思わずフランドールが吹き出した。

「不便なのね。そんなに不便でも、あなたのお姉様はサトリでいるのかしら?」

「そうね、きっと死ぬまでサトリ妖怪でしょうね。サトリ妖怪を辞めたら、死んじゃうから」

「へ?」

 間抜けな声が出た。自分の耳を弄るフランドール。

「死んじゃうから」

 

 四

 

「そりゃあ、死ぬでしょうよ。当然、それが当然に決まってるじゃないのよ」

「あの、パチュリー様?」

 当惑する小悪魔。その前で、パチュリーは水晶玉に対して言葉を投げかけながら頭を掻き毟っている。

「能力を捨てるということは、すなわち妖怪であることを止めるということ。妖怪が妖怪ではなくなるのは、死以外の何ものでもない。そう、それが普通」

『じゃあ、こいしはどうして生きてるの?』

 パチュリーが、引いてはその場にいた全員が抱く疑問を、フランドールが代弁する。周囲の視線などものともせず、水晶玉に文字通り噛りついた。

「そうよ妹様、それでいい……さすがは我が生徒。飽くなき知識欲こそが、あなたの狂気を減衰させる」

「いや実際知りたいのはパチュリー様じゃあ痛っ」

 小悪魔に羽ペンを投げつけた。

『知りたい?』

 水晶玉からこいしの声。再び映像に注目が集まる。

『それじゃあ……明日になったら教えてあげるわ』

『えええ? どうして?』

 全員がずっこけた。

『ちょっと長居し過ぎたしね。大丈夫、心配しなくても私はしばらくここで働いているから』

『……あなたも、ここに来なくなるの?』

 脱力から立ち直ろうとしているパチュリーの目の前には、テーブルの上で指をこね回しながらこいしを上目遣いに見やるフランドールの映像が見える。

『無意識が行きたいと思ったら、行くと思うわ』

『何それ、ずるい。ちゃんと確約してよ』

『ごめんね。こればっかりは、私だけじゃどうにもならなくて。案外不便なのよ、無意識って。でも』

 フランドールの頬に、こいしの手が触れる。

『あなたの方から私に会いに来てくれるんだったら、その限りではないかもね』

「ご冗談を。何で肝心な所を勿体ぶるの」

 歯噛みするパチュリー。

「……こいしを迎えに行って来ますわ」

 ぽつりと言い残して、咲夜が姿を消す。しかし、そんな言葉は机の前で肩を震わせる魔法使いの耳にもはや入っていない。

「何なの。いったい何なのよ。能力を捨てたくせに死なないどころか、新たな能力に目覚めたあなたはいったい何者なの。エラーケース? 突然変異?」

「そこら辺の推測は、私には何とも……」

 ぐるり。パチュリーの首が九十度動いて小悪魔の姿を視界に捉える。

「小悪魔、後でこいしをここまで連れてきなさい。こうなったら直接問い質してやる」

「それをやったら出歯亀してたのが確実にばれますけど、それでもよろしければお呼びしますが?」

「ぬう……」

 

 §

 

 階段を上っていくと、中から開かない筈の大扉が一人でに開き始め、淡い光が射し込んだ。こいしは何の感慨も見せずに扉を潜る。

「楽しめたかしら?」

 横合いから、咲夜の声。

「分からないわね。そういうこと考えられないし。まるで分かってたみたいね、戻ってくるのが」

「完璧な仕事が信条ですから」

 しれっと言い放つと、両手に何かを取り出した。新しいメイド服である。

「あなたボロボロだわ。着替えていらっしゃい」

 それを受け取って、更衣室に向かう。昼下がりの室内は妖精メイドが完全に出払って、無人だった。

 ――私は、また行きたいと思うかしら?

 破れ目だらけになったメイド服を脱ぎ捨てながら、薄ぼんやりと考える。

 フランドールに自身の真相を語らなかったことに、深い考えはない。ただ何となくだ。しかし、咲夜の命令がなくともあの血生臭い地下室に再び足を踏み入れるであろう予感を、漠然と感じてはいる。

 なぜか? 不意に、脳裏に蘇った映像があった。今も地霊殿の奥深くで動物達に囲まれ、ひっそりと過ごしているであろう、自らの姉の姿が。

 さとりとフランドールは、よく似ている。

 だったら、自分はフランドールをどうしたいのか。こいしはそれを考える力を失っている。

「よう、こいしちゃん。調子はどうだい」

 聞こえてきた声に、着替えを止める。足元からだ。

「悪魔のメイドなんぞ始めちまって、ようやく身を固めるつもりになったのかい? さとりが喜ぶかな」

「……あら、お久しぶり。しばらく見ないうちに、あなたずいぶん縮んだわね」

 足元にいたのは、一尺にも満たない双角の鬼。

「おいおい、我が力の質くらいは覚えていてくれよ。それで、どういう風の吹き回しだい。メイドなんて。悪魔の尖兵として恐怖をばら撒く気になったのか」

 こいしは萃香から視線を外し、首を傾ける。

「私にもよく分かんないの。いつの間にかお嬢様の口車に乗せられた感じ。でも、私の無意識が興味を覚えたものが、あるかもしれないわ」

「あれか。紅魔の妹君か。実に勿体ないね、あんな凄まじい力の使い手を地面の下に閉じ込めとくとは。お前さん、あいつをどうしたい?」

「何だっけ、四百九十五年って言ってたかしら? ずっと地下に閉じ込められてたんだって?」

 新たなパニエを履き直す。

「あそこは真っ暗で何もないわ。地霊殿よりも酷いかも。あんな所で過ごすのは、私には無理かな」

「だけど、あの娘は過ごしてきた。大したもんだ」

 萃香がこいしを見上げる。彼女は上着に袖を通しかけた体勢で、萃香を見下ろしたまま固まっていた。

「ひょっとして、焚きつけにきたのかしら?」

「私が望んでるのは人と妖怪の、命を賭した戦いの場ができることだけさ」

「ただ言葉をすり替えただけのような気がするわ。何となくだけれども」

 黙々と着替えて、萃香にもう一瞥。

「でも踏ん切りはついたかな。あとは私の無意識がその気になってくれるかどうかだけど」

「また、それかね。何でもかんでも無意識任せだな、こいしちゃんは。たまには自発的に動いてみなよ」

 エプロンを身につけ、僅かに微笑む。

「無意識とお話しができるようになった代わりに、そういうのはできなくなっちゃったから。私はただ祈るだけよ。みんな上手く行きますようにって」

 軽く手を振って更衣室を出る。一人残った萃香は、不動で腰の瓢箪を取り上げ一口呷った。

「まあ私も祈ってやるよ。ただこいしちゃん一人に任せておくのは、少々頼りない……どれ、もう一人増援を見繕ってやるとしようかねぇ」

 言葉と同時に萃香の姿は霧散して消え、更衣室は今度こそ再び無人となったのである。

 

 §

 

 その翌日、夕方。

 吸血鬼にとっては目覚めの時間だ。フランドールの居室に続く地下通路内部を、妖精メイドの一団が言葉なく歩んでいた。

 仮にフランドールの機嫌を損ねれば一撃で爆散も免れえない危険な役回りに、全員とも表情は固い。一回休みで再生しても、痛いものは嫌なのだ。

 メイド達は部屋の前に到着すると、緊張の面持ちで鉄扉をノックする。

「妹様、おはようございます」

 十数秒の間。返事はない。これはよくある話だ。ただし寝起きが悪ければ寝ぼけついでに破壊されることがあるので、油断ならない状態ではある。

 両側の扉をそれぞれ二人がかりで抱えて、可能な限り軋みの音を立てずに開く。その後も極力足音を封じながらベッドに近づいていった。

「妹様、まだお休みですか?」

 枕元でもう一声。シルクのカーテンで隔てられたベッドの内部は朧にフランドールの寝姿を映す。

 メイド達は一斉に顔を見合わせた。この中の誰が確認のためにカーテンを開けるのか。

 彼女達は無言で指を差し合い、手を振り、挙句の果てジャンケンによってスケープゴートを決めた。

 勝負運のない哀れな妖精メイドが、最後に出したチョキを呪いつつカーテンに手をかける。

 そして、全員が目を丸めた。

 

 §

 

 暗い絶望の淵の、さらなる深淵にこいしはいた。

 何も見たくない。

 何も聞きたくない。

 限りない暗闇、限らない静寂こそが、全てに否定された自分にとっての安息の場。彼女はそう信じて止まなかった。ああ、それなのに外界は騒がしい。

 閉じた筈の第三の眼に、二人分の影が映っている。見る影もなくやつれ果てた片方は、見間違えようもない姉の姿。では、もう一人は?

 ――無論、選ぶのはあんた。私にとってはただの気紛れだからね。データが取れれば運がいい。

 ――ええ、存じていますよ。あなたが嫌われ者の妖怪ですら、捨て置けない性分であることも。

 意識が朦朧とした、むしろ死にかけていた彼女に会話の意味を理解するのは難しい。ただ、さとりに対してその存在は何事かを提案したようである。

 ――いらんことを読むな。それで、どうする。

 ――お願いします。意外ですか? 精神を病んだサトリ妖怪が辿る道はただ一つ。だったらあなたの正体不明に賭けてみるのも悪くはないと思いました。ええ、そうです。実際、捨て鉢なんですよ。

 ――よかろう。どんな結果になっても恨むなよ。

 言って、その存在はこいしの心臓に向かって手を伸ばす。いったい何を。そう思う暇は、押しのける力は、その時のこいしになかった。

 次の瞬間、世界が一変した。

 果てしなく広大な宇宙空間。上も下も分からない、そして理由のない不安に襲われる異界に彼女はいる。

 周囲には原生の植物。不定形の、それでも生き物と分かる何か、そして魚や羽虫が空間を揺蕩う。

 さらに、背中。彼女は確かな実存を見出した。

「あら?」

 こいしと同じ声をしたそれが、振り向いた彼女の視界に収まる。背丈も顔立ちも全く同じ。それが、心底意外そうな顔でこいしを見ている。

「おかしいわね。あなたはどうして振り向けるの? 私の存在を感じられるの?」

「あなたは誰なの? 私にはお姉ちゃんしか家族がいない筈なのだけれど」

「あらまあ、大変。あなたには見えてしまうのね。誰にも見ることの適わない筈の存在が」

 それは少しこいしから距離をとって、スカートの裾を持ち上げ行儀良く挨拶した。

「私はあなたであり、あなた以外であり、全てでもある。言うなれば全ての心に潜む無意識よ」

「無意識、ですって」

 不意に無意識と名乗ったそれが、左胸を見る。

「なるほど、なるほど。それのお陰で、私を捉えることができたのね。意識を読み取る第三の眼、その見え方が狂わされているわ。それが転じて無意識を読み取れるようになった、ということかしら」

「見え方が狂ってるだなんて。いったいどうして、そんなことが起こったの?」

「誰かがあなたの目に悪戯でもしたのでしょうね。でも、凄いね。これは大した化学変化だわ。認識を狂わされたことで、無意識と波長が合うなんてね。あなたが心を読むサトリ妖怪でもなければ、きっとあり得なかった話でしょうね」

 若干興奮した口調でまくし立てる無意識。一方、対するこいしに表情はない。

「よく分からないわ。あなたが見えるのは、そんな凄いことなのかしら?」

「凄いも、何も。有史以来私とお話ができたのは、あなたが初めてよ。他の連中はみんな譫言ばっかり。ねえ、私達お友達にならない? 私達、きっといいコンビになれると思うの」

「友達……別にいらないかなあ」

「あら、つれない反応。何か楽しくないことでも?」

「心が読めてもいいことなんて何にもないんだもの。だからサトリ妖怪は辞めようと思ってたんだけど。今さら、別のものを見聞きできるようになってもね」

「だったら、いい方法があるわ」

 双肩をがっちりと掴まれる。目の前に迫るのは、自分自身の顔だ。

「私があなたの代わりに、あなたを操ってあげる。あなたはここで、ゆるりとしていればいいわ」

「操る? できるの、そんなことが」

「できるも、何も。反射行動。無我の境地。日常のあらゆる場所で私は皆を支え続けているの。全身を動かしたことだってあるから、きっと問題ないわ。俗には夢遊病とか遊行症とか言われてるけどね」

「ええ、それはちょっと嫌だなあ。やっぱり私には、そんなもの必要ないかしら」

 肩を掴んだ手を外そうとする。外れない。

「あなたが嫌かどうかは関係ないわ。だって、もう決めたんだもの。このままあなたが意識を閉ざしてしまったら、私とお話しできる子は二度と現れない」

「え、そんな勝手な。ちょっと」

 有無を言わさず体を反転させられる。再び背後に回った無意識の腕が、こいしの首に回された。

「安心して、あなたの悪いようにはしない。私達、お話しできるのよ? あなたを操るのは私だけれど、そんな私を操るのは、あなた。お互いが、お互いの手綱を握るの。運命共同体って感じで素敵ね」

 こいしは寒気を感じた。肩越し背中越しに、服を肌を通して無意識が全身へと浸透してくる!

「お願い、止めて。私、こんなの望んでない!」

「いいえ、あなたは確かに望んだの。サトリ妖怪の力の破棄を望んだ以上、あなたは見返りを受け取らなければならないわ。だから、ね」

 全身の筋肉を蛆虫が這い回る。動けない。

 

「お休みはもうおしまい。早く起きなさい」

 

 仮眠から、目を覚ます。

 こいしはぼんやりと、ベッドから身を起こした。窓の外が赤い。そろそろ夜がやって来る頃か。

 彼女は再びメイド衣装を身につけると、身支度もほどほどに外へ出た。無意識が彼女の足を動かしていたが、行き先については何となく察しがつく。

「……そう。私はそれを望んでいるのね」

 

 五

 

 レミリアの寝室へと、咲夜が入る。彼女が主人を起こしに向かう時は、常に一人であった。

「おはようございます、お嬢様」

 彼女の言葉を聞いてから、レミリアもゆっくりと身を起こす。そうして全ての身支度を咲夜に任せるのが、彼女達の日常である。

「おはよう、咲夜。新入りは真面目に働いてるかい」

「あら、気になりますか?」

 嘲るような笑みを咲夜に見せる。対象は咲夜か、それともレミリア自身か。

「手前で引き寄せた運命だからね。気になりもする。幸い私の側には優秀なメイドがいるが、フランには未だ素敵な運命を引き当ててはやれなんだ」

「あの妖怪が、妹様の運命になるとお考えですか?」

「まだ分からん。外れを引くことも多い力だしな。自分ならともかく、それ以外には如何ともし難い。でも、そろそろ――」

 階下で、爆音が響く。振動が部屋まで伝わった。

「――時止めを許可する。三秒で支度だ」

「畏まりました」

 直後、レミリアの佇まいは一変していた。薄手のネグリジェは桃色のドレスとナイトキャップに変じ、ベッドの側に降り立つ。ここまで三秒どころか一秒。

 レミリアは自身の出で立ちを確認すらもせずに、ずかずかと扉まで歩き勢いよく部屋を飛び出した。通路を滑空し、爆音の方向へと向かう。慌ただしい妖精メイド達に、状況を尋ねながら。

「何の騒ぎだ!?」

「い、妹様と、新人が一階で!」

 舌打ち。同時に、二度目の爆音が周囲を満たす。階段を飛び降りながら、右手を振り上げた。

 妖精メイドの逃げるのと反対の方向に走りながら、手の中に真紅の槍を形成する。

「あっははははははははっ」

 トーンの外れた笑い声と共に、曲がり角から嵐の勢いで弾幕が飛び出し赤い壁を抉る。やや遅れて、襤褸雑巾となったこいしが現れた。

 

 §

 

 数分前。こいしは迷っていた。

 彼女が向かっていたのは、恐らくフランドールがいる地下室だったのだろう。しかし、ここに問題があった。咲夜が頻繁に空間を入れ替えている所為で、どのように歩いたら入り口に辿り着くのかさっぱり分からないのだ。当てもなく通路を歩くだけである。

 通路を行く妖精メイド達が、普段とは違う動きをしているのに彼女が目を止めたのはそんな時だ。

 彼女達は頻りに通路の一方向を指し示しながら、姦しくしている。中には今までの作業を中断して、その方向とは逆向きに走りだす者も。

 ふと、こいしのすぐ脇を擦り抜けていこうとした妖精メイドの手首を捕まえてみる。

「何の騒ぎ?」

「え、い、妹様が、外に」

「あら、そう」

 探さなくては。漠然と、そう思った。メイド達の示す方角へ、素直に歩き出す。

 突き当たりの角には、直立不動で極端に畏まった様子の妖精メイドが何人か見える。それを無視して悠々と歩く赤いツーピースは、見間違いようもない。

「フラン?」

 短く呼びかけると、それはぐるりと首を捻る。

「探したわ、古明地こいし」

 フルネームで呼ばれたのに対し、少し首を傾ける。

「私も多分、あなたの所へ行こうとしていたわ」

 応えるこいしに対し、口の端を吊り上げる。

「正直、ね。あなたみたいな人妖は初めて見たの。霧雨魔理沙。藤原妹紅。あの封獣ぬえという妖怪も、腫れ物に触れるように私を扱ってきたわ」

「へえ、そうなの?」

 のほほんと反応。一瞬フランドールの顔が歪む。

「あなたがどんな妖怪かなんて、私にとってはもうどうでもいいの。ただあなたは掴み所がなさ過ぎて、私の心を惑わせる」

「私はあなたが何者なのなのか、聞いてみたいわ」

 フランドールの顔から、笑みが消える。彼女は、右の掌を軽く上に向けた。無音で手の中に浮かび上がったのは、小さな光点……破壊の目。

「だから、ね。古明地こいし」

「フランをいったい、どこへやったのかしら?」

「死んで頂戴、私のために!」

 

 §

 

「伏せろ、古明地!」

 叫ぶと同時、床を斜めに蹴りT字路の壁に移る。慣性に任せて壁に貼りつき、その向こうを睨んだ。

「何やっとんだ、馬鹿妹がっ!」

 ――神槍「スピア・ザ・グングニル」

 怒気と疾風を孕んだ槍が投げ放たれ、弾幕を薙ぎ払いながら一直線に飛ぶ。その斜線上には……引きつった笑みを浮かべる、フランドールの姿。

 貫通! 音速を超える槍の一撃をフランドールに躱す手立てはなく、彼女の体は胴体から真っ二つに千切れた。胸から上が空中をくるくると舞う。

 顔を上げたこいしは確かに見た。逆さまになったフランドールの笑みが、凄惨味を増すのを。

 次の瞬間、彼女の体は黒く染まり爆散する。

「館内を封鎖しろ!」

 咄嗟に叫ぶレミリアの脇を、黒い塊が擦り抜けた。一つ一つに黒い羽が現れ、無数の蝙蝠となり通路を四方八方に散っていく。

 蝙蝠を振り払いながら、パチュリーが現れる。

「レミィ、結界を発動したわ。妹様は出られない」

「ご苦労。あとはローラー作戦で何とかする」

 薄暗くなった館内で、こいしがレミリアを見る。

「あの子は、誰?」

「紛れもなく我が妹だよ。あれが奴の本性だ」

 レミリアの言葉と同時に雷鳴が響き、窓に雨滴が垂れる。豪雨の騒音が、館内で反響した。

「発作みたいなものだ。何が楽しいのか知らんが、あいつは一番のお気に入りを無闇に壊したがる」

「つまり私が、そのお気に入りになったってこと?」

「ああなったが最後、破壊するまで収まらん。お前、暇と傘をくれてやるから好きな所へ逃げるがいい」

「何で?」

 他人事じみた疑問に片方の肩が落ちる。

「何でってねお前……悪魔の情けだ、滅多にない。フランに相手を見繕っているとな、たまにあるんだこういうことが。気が変わらんうちに、出ていった方が身のためだぞ」

「フランの目当ては私なのでしょう? だったら、話をしてみるわ。どうしてこんなことするのかって」

「おいおい、正気か……」

「お嬢様」

 レミリアの横に、咲夜が現れる。

「あれを見てもなお妹様と接しようと考える者は、実際初めてです。ご自分の引き寄せた運命を信じてみるのも、悪くはないと思いますが?」

「ふむ、運命か」

 レミリアが思案する……合間にこいしはその脇を通り過ぎた。当然、止める。

「こら待てどこに行く気だ、話は終わってないぞ。それに、フランがどこに潜んでいるかも分からん」

「私の無意識は、分かってるみたいだわ?」

 レミリアに背を向けて、五、六歩ほど歩き出したところでもう一度振り返って。

「フランの部屋にはどう行けばいいのかしら?」

 

 §

 

 がごん、という音と共に鉄扉が開く。それなりの抵抗はあったが、鍵はかかっていなかった。

 昨日と変わらない、血の匂いが染み付いた部屋。奥のベッドに、小さな影が座っているのが見える。

 確かに、フランドールはそこにいた。先ほどとは打って変わって憔悴した目で、枕を胸に抱え込んで近づいてくるこいしに眼差しを向けている。

「酷い格好ね」

 前日にも増して満身創痍なこいしの姿を見ると、フランドールはそんなことを言った。彼女自身も、グングニルを受けて酷く破れた服を着ている。

「理由は聞かないで欲しいのだけれど」

 枕を掴む手が、きゅっと締まる。

「もう、この部屋には来ないで頂戴。あなたが近くにいたら、私はきっとあなたを壊しちゃうから」

「壊れないわ?」

「もっと酷い壊れ方になるの。戻せないくらいに! 止めて、それ以上近付かないで!」

 フランドールの悲鳴に近い叫びに構わず、こいしは前に出る。同極磁石の反発に似た動きでベッドの奥に引き下がるフランドール。枕が傍らに転がった。

「私一人じゃ、もうどうしようもできないことなの。お願い、あなたは壊したくないの。またきっと私、おかしくなって、あなたを」

「知ってる」

 貼りついた笑顔を見せながら、こいしがベッドによじ登る。フランドールが後ずさるが、背後は壁だ。

「あなたがおかしくないのは、よく知ってるわ」

「そ、そんな筈が」

「だってフランの無意識は、悪戯していないもの。私を壊そうとしているのは、別のフランだわ」

 マットレスの上、四つん這いになってじりじりと擦り寄る。彼我の距離は限りなく近づいた。

「あなたは、私を壊さない」

 細かく震えるフランドールの頬に、こいしの手が触れる。片手。両手。そして、胸元に引き寄せた。

「う……」

 体を拘束するこいしの両腕が、強く締まっていく。

「う……あ……」

 こいしに抱かれたフランドールの顔が、みるみる真っ赤に染まる。空いていた腕が宙を泳ぎ、彷徨い、やがてこいしの背中に回った。

「――ね? 壊したいって、思わないでしょう?」

「……うん」

 溜め息が漏れる。蒸気が出るほどに上気した頭が冷え込んできたところで、フランドールはこいしの腕を取り、引き剥がした。

「……あ、あのね、こいし」

「フラン、外に出てみようか?」

 何かを言おうとした状態で、フランドールの唇が硬直する。瞬きを数度。

「もう日は落ちたし、今ならきっと平気だわ」

「ちょっと、待って。何でそうなるの、いきなり。しかも、い、今から!?」

 フランドールが当惑から回復する前に、こいしは彼女の腕を取り、ベッドの中から引っ張り出した。されるがままに引きずられるフランドール。

「ねえ、待ってったら。外に出て、どうなるのよ」

「ここは悪い場所よ。無意識を操る何かがいるわ」

 フランドールの目が、大きく見開かれる。僅かに汗ばんだ顔で、周囲を見回した。

「安心していいわ、私がいるから。あなたの姿も、そいつらの意識から遠ざけてあげる」

「どうやって……」

 フランドールの体は、ついに地下室から引っ張り出された。そのまま地下通路を駆け抜けていく。

「ねえ、わけが分からないわ。無意識ってこいしには、どんな風に見えているの?」

「そこにあるけど、そこにはない。見ようと思えば、見えなくなる。それが無意識よ」

 フランドールは腕を引かれながら、頭を振った。

「まるで難しい謎かけね。あなたには見えるの?」

「何も見ないようにしたら、見えるようになったわ」

 階段を上り、大扉が迫ってくる。無論、外側からしか開けられない鉄の門は固く閉ざされた状態だ。

「フラン、あの扉を開けられる?」

「問題ないわ。だけど私が外に出て行ったら、また騒ぎにならないかしら?」

 フランドールが扉に手を当てると吸血鬼の怪力で、あっさりと重い鉄片は奥に押しやられた。そのすぐ近くを妖精メイドが通り過ぎていく。

 二人に全く目をくれずに。

「え?」

 目の前を素通りするメイドの姿を、フランドールは口を半開きにしたまま右から左へ見送った。

 こいしが彼女の手を引いて。

「さあ、行きましょうか」

 未だ左右を見回しながら、フランドールが従う。その後も妖精メイド達と数度すれ違ったが、彼女達の姿を気にするそぶりもなく。

「これが、無意識……」

「少しだけ見つけるのを、待って貰っているだけよ」

 何のこともない風で、こいし。

「多分館から少し離れた方がいいと思うのだけれど、そう簡単にはいかないかもしれないわ。一人だけ、無意識を操れない人がいるから」

 そんな話をしながら、扉の一つを開く。

 通路の先は、床に魔法陣が描かれた大部屋だった。その中心に二つの影が見える。

「妹様を連れ出すのは、許可してないのだけれど」

 咲夜はしっかりと二人の姿を捉えながら、数本のナイフを指に挟み込んでいる。一方その傍らにいるレミリアは、こいし達から僅かに視点を外しながら。

「咲夜には見えてるんだね? 不出来なメイドと、不出来な妹の姿が」

「目の前におりますわ、お嬢様」

 息を吐いて、咲夜から離れる。

「メイドの仕置はお前に任せる。紅魔のメイド長が伊達ではないことを思い知らせてやりな」

「畏まりました」

 一方こいしは、フランドールを見て微笑んだ。

「少し外で待っていて貰える?」

「咲夜の相手だったら私が」

「あなたが出たら、お嬢様が黙って見ていないわ」

 渋々引き下がるフランドールを背後に、咲夜へと無造作に歩み寄る。

「少しここにお勤めして、何となくあなたの能力が理解できるようになったわ」

「理解できたら、どうだというのかしら?」

 腕を振る。同時に、無数のナイフが宙に静止した状態で周囲に展開。銀色の戦陣がこいしを睨む。

「あなたの時間も私のもの。気配を消したところで無駄と知りなさい。時間をかけて見つけてあげるわ」

「あなたは、無意識をよく理解していないと思う」

 くすり。笑いながら歩み出る。

「無意識はもっと大きくて、広いのよ。あなたは、その先っぽをナイフで振り払っているだけ」

「ならば、見せて御覧なさい。あなたの無意識を」

 ――幻符「殺人ドール」

 銀のナイフが一斉に飛び出して、空中で不自然に軌道が変化、全方位からこいしを狙う。彼女は依然、取り囲むナイフに目もくれず棒立ちのまま。

「……見せるわ」

 ゆっくりと、両腕を上に。

「あなたの無意識を見せてあげる」

「……何ですって?」

 ナイフがこいしに向けて殺到した、その瞬間。

 ――記憶「DNAの瑕」

 巨大な何かがこいしの周囲を通り過ぎ、ナイフを根こそぎ薙ぎ払っていく。

「何だ!」

 それは壁際にいたレミリアへと突っ込んでいった。彼女が跳びのいた足元で大きく炸裂して、大理石の破片を散らす。

 言うなれば、それは蛇であった。赤と青の図太い縄が、互いを絡め取りながら螺旋を描き進む。

 背後から再び突撃して来たそれを横っ飛びで躱しながら、咲夜はその正体を探った。

「何なの、あれは」

「あなたを形作る二重螺旋。それを目に見える程度に大きく見せているだけ」

 蛇の合間から、こいしの声。

「でも、凄いね。傷つく分だけ二重螺旋は鋭く強くなるのだけれど、あなたのは最初から傷だらけ」

「何を言っているのか、さっぱり分からないわ!」

 叫んだ咲夜の頬を、何かの破片が掠める。歯噛みして周囲を見た。二重螺旋が壁に衝突する度に破片が大きく飛び散り、新たな粒弾に変化している!

「咲夜、しばらくで構わん、時間を稼げ!」

 レミリアが壁沿いに、弾を避けながら走りだす。狙いは明白。フランドールがいる反対側の扉だ。

「あら、手数を使うのは反則だわ?」

「地上ではツーマンセルもありになったのよ!」

 咲夜の投げるナイフが、こいしの動きを止める。その間にレミリアがホールを百八十度回り込んで、扉に手をかけた。

「フランを押さえられればこちらは十分……だ?」

 向こうに立ってたものを見上げ、凍りついた。

 大きく、太く、毛むくじゃらの腕。それが扉から突き出て、レミリアの胴体を貫いた。

「お嬢様!?」

 咲夜が動揺して攻撃の手を止める。こいしもまた振り返って、目にしたのはその全貌。

 原子的な類人猿を彷彿とさせる、異常に上半身が発達した巨躯。背中から生える、巨大な蝙蝠の翼。そして、渦巻く双角が生えている山羊の頭。そんな実に悪魔的な姿を持った怪物が、片腕にぐったりとしたフランドールを抱えて室内を睨む。

「あなたね? フランの無意識を弄っていたのは」

 断言するこいしに、咲夜が目を見開いた。

「あんなものを地下に飼っていた筈は……」

 その悪魔が、吠える。

「ガアアアアアアアア!」

 一足飛びにこいしへと跳びかかる。その側面から、二重螺旋が悪魔に突撃した。

 衝突。悪魔の体が大きく横にぶれる。そこへ容赦なく襲い掛かる咲夜のナイフ。

 それらを弾き飛ばし悪魔が再び跳んだ。こいしのすぐ脇を擦り抜け、ホールの壁に向かい体当たりを敢行する。轟音。崩れ落ちる大理石。

 雷雨が悪魔の身を焼くが、構わず外へ飛び出した。無論脇には、フランドールを抱えたままで。

「フラン!?」

 悪魔の腕の中のフランドールに、返事はない。

 二人の悪魔の姿が、遠ざかっていく。


 
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