コナンの寝室から戻ってきた平次は、髪が顔にかかり、表情は見えなかった。
「服部君、どうしたの?」
平次は答えない。右手をポケットに突っこんだまま、ゆっくりと小梅に近づいた。
「平次……?」
小梅の車いすのハンドルを握っていた和葉も、平次の様子を不審に思ったようだった。
「……あんた、ボウズをどこへやった?」
「え?」
小梅は、質問の意味が理解できず戸惑っている。
「何言うてんのん平次?」
和葉が聞いた。
「……あんたなんやろ?ボウズさらったんは」
小梅は、大きく目を見開いて、平次を見つめた。
「お、おい、まさか小梅さんがコナンをさらったとかいうんじゃねえだろうな?」
小五郎が慌てた様子で言った。
「そのまさかや。これ見てみ」
平次は、右ポケットから封筒を取り出し、中の便箋をバッと広げて見せた。活字の手紙が入っていた。
親愛なる工藤新一様、
ご無沙汰しております、上村小梅です。その節は大変お世話になりました。新一さんのおかげであの大変な事件を解決できましたので、とてもうれしく思っています。
今回手紙を差し上げたのは、また一度、新一さんに解決していただきたい懸案があるからです。内容については、会ってお話ししたいと思います。ただ、お忙しいかと存じますので、今日の午前10時に、代理の方を国立妖怪博物館1階、常設展示室Bの前に来させていただいても結構です。急ぎの懸案ではないので、代理の方はどんな方でも構いません。お待ちしています。
「こ、これは……」
小梅は驚いている。
「あのボウズはこれ読んで、工藤の代わりに、血相変えて出かけてったんや。ほんでボウズさらってどっかに隠したんやろ。ちゃうか?」
「そ、そんな、私、こんな手紙なんか……」
「手紙や電話の言い方を見ると、犯人は最初から工藤とちゃう人を呼び出してさらおう思てたんやろなァ……工藤の代理人言うたら、工藤といっちゃん仲ええコナン君をよこすて読んどったんやろ?」
「ち、違います、私……」
「お、おい、何言ってんだ?」
小五郎が言った。
「さっき電話がかかって来たとき、小梅さんは俺たちと一緒にいたんじゃねえのか?」
「そ、そうよ!昴さん、誘拐犯から電話がかかって来たのはいつ頃ですか?」
「確か、11時くらいだったと思いますが」
「その頃て、ちょうどウチと小梅さんがトイレに入っとった頃や!せやったら、小梅さんのアリバイは完ぺきなんちゃう?」
「せ、せやな……」
ずばりと矛盾を指摘された平次はしどろもどろになった。
「こ、小梅はん、すんまへん、人違いやったみたいや」
「いえ」
小梅はほっとした様子だった。
「まぁ、車いすの梅子さんにはどっちみち犯行は無理だろう。それに、代理人だったら蘭が行く可能性だってあるぞ」
小五郎が言った。
「あ、それはないと思いますよ」
昴の言葉に小五郎は訝しげな表情になった。
「ん?何でそんなことが言えるんスか?」
「さっき蘭さんではなくコナン君に手紙を渡したのは、あまり本人以外に、特に女性には手紙を見せないでほしいという添え書きがあったからなんですよ」
「でも、だからってコナンに渡すことはないんじゃないスか?」
「彼なら確実に新一君に渡してくれると思いまして」
その眼鏡の奥に、不敵な笑みが光った。沖矢の頭の中では、新一とコナンの姿がダブって見えた。
「まぁ、これで分かったな。犯人が小梅さんの関係者だということが」
小五郎の言葉に、平次はうなずいた。
「その通りや。こないな手紙わざわざ作ったっちゅうことは、工藤を知ってる梅子さんの名前使て確実に代理の奴おびき出そ思てたんやろな……」
「でもなんで『代理の人』なん?」
和葉が言った。
「コナン君さらった犯人、代理の人は誰でもええて手紙に書いとったんやろ?コナン君に恨みなんかないはずやから、これは工藤君に向けた犯行なんやと思うけど……」
「確かにそうね……新一だけに恨みがあるなら、新一を狙うと思うけど、どうして関係ない人を巻き込んで……」
蘭も考え込んだ。
「自分と同じ苦しみを味わわせてやろうって腹なんじゃねえか?」
小五郎は言った。
「昔誘拐事件なんかがあって、あのボウズが解決しようとしかが人質は殺されちまって、あのボウズのせいで殺されたって逆恨みしてる、とかよ」
一同はハッとした。
「な、なるほど、それも一理あるなァ……」
平次は小梅に向き直った。
「小梅ハン、あんたの知り合いで、前に大事な人がさらわれて殺されたっちゅう人はいるか?」
「い、いえ」
小梅は言った。
「そのような人に、心当たりはないです」
「さ、さよか……」
小五郎の読みは外れたようだ。
「とりあえず、誘拐事件を起こしてる犯人の行方は分からないのですから、小梅さんの知り合いで現在居場所が分からない人を探してみるのが筋ではないでしょうか」
沖矢の言葉に、平次たちは賛同した。
「まず、2人やな」
平次は電話を切りながら言った。小梅の知り合いはほとんど大阪の人で、関東圏にいる、関東の地理に詳しい知り合いは数えるほどしかいなかった。そのうち、居場所が分からないのは2人。
「東都大学附属病院院長、柴田三郎。秘書の話によると、今度学会に提出する論文に煮詰まった言うて、朝方フラッと出かけたきり戻って来ぇへんそうや。この人は、小梅さんがここの医学部に通っとった時に世話ンなった人、せやろ?」
「ええ、柴田教授には研究で大変お世話になったわ」
「ほんで、もう1人は野崎秀雄、小梅さんの大学時代の同窓生で、今はフリーターやっとるんやけど、今朝は出勤してへんらしい」
そこまで言って、平次は顔つきを変えた。
「本題はここからや」
平次は野球帽のつばを前に回した。
「ほんでこの2人、どっちも小梅さんが工藤に解決してもろたっちゅう事件の容疑者だったんや」
「えっ!?」
蘭と和葉が驚きの声を上げた。
「まあ、真犯人は別におって、小梅さん含む3人の容疑は晴れたっちゅうわけや」
「その事件とは?」
沖矢が尋ねた。
「通り魔事件やったっちゅう話や」
平次は答えた。
「ほんでもう一人、あの人の事も調べてみたい。小梅ハン、あの人の電番、教えてくれへんか?」
『ああ、小梅ちゃん!どうしたの?』
スピーカーにした受話器の向こうから、若い男性の声が聞こえてきた。
(電話の相手は誰だ?)
(湯沢さんの友人で最上明義っちゅう人や)
小五郎がひそひそ声で尋ねると、平次も声を低くして答えた。
「最上さん、最近しょっちゅうお掛けして申し訳ありません。あれから、勉さんの事で何か進展はありましたか?」
『あぁ~、大有りだよ!今勉とソラマチ(東京スカイツリーに併設された大型商業施設)に遊びに来てるんだよ!』
『おい明義、何やってんだ?もうすぐ映画始まっちまうし、この子迷子みたいだから、どっか迷子受け付けてるところに連れて行かねえと……』
小梅は、久しぶりに聞いた湯沢の声に、笑顔になった。
『迷子なら、ほら、お前のすぐ後ろにインフォメーションセンターがあるだろ。そこに頼めよ』
『あ、ホントだ……』
ガヤガヤとうるさい人の声の中、困ったような勉の声と、ぐずるような子供の声がした。
『そういうことだから、後で顔見せるように言っとくよ。今どこにいるの?』
「米花町の、毛利探偵事務所よ」
一瞬、間が空いた。
「……それって、あの有名な、毛利小五郎のか?」
「ええ」
「へえぇ、そう」
最上の声が一瞬引きつったように感じたが、すぐにさっきのお気楽な感じの口調に戻った。
「じゃあ、また後で掛けるよ。名探偵さんによろしく!」
そう言って電話が切れた。
「どうやら、小梅さんの恋人は、誘拐犯ではなさそうですな」
子機のボタンを押して電話を切った平次に向かって小五郎が言った。
「それに、スカイツリーの近くにいることが分かった。行けばすぐに見つかるだろう」
「え?でも折り返し電話くれるって言ってたじゃないですか。待っていればいいのでは……」
「いやいや、さっきあなたおっしゃっていたじゃありませんか。昨夜、大阪の探偵ボウズたちと東京についてから電話を掛けたとき、最上さんのバックにもう一人いる気がしたと。それが湯沢さんかも知れないって……」
「え、ええ、そうですけど、だからって……」
「その時湯沢さんが一緒にいたのなら、あなたが東京にいることも湯沢さんは分かったはず。なのにあなたに会いに来ないでスカイツリーに行ってるってことは、何かあなたと顔を合わせづらい事情があって、そのまま大阪にとんぼ返りする気かも知れませんよ?いっそ、こっちから出向いて……」
「おい、そんなこと、いつ聞いたんや?」
平次が聞いた。
「さっきお前が血相変えてコナンの寝室に走ってった時だよ」
小五郎が答えた。平次は「さ、さよけ……」と消え入るように言うと、下を向いて顔を曇らせた。小五郎の推理は、平次が考えていたことと全く同じだったからだ。
「それより平次、大丈夫なん?」
和葉が不安げに言った。
「誘拐犯、30分後にまた電話かけるて言うてたんやろ?そろそろやで……」
「せやな……」
平次は子機をじっと見つめた。その様子を、沖矢が不思議な笑みを浮かべて見つめている。平次は黙って思案を巡らせる。
急に、平次が膝を打った。
「よっしゃ、こうしよ!」
平次は事務所内の人たちに向き直った。
「オレは工藤探して犯人の電話受けさせたるから、オッチャンらは小梅さん連れて、スカイツリーに行って欲しいんや。和葉とその姉ちゃんは、いつでも連絡来たら対応できるようにここで留守番しとってくれ……て、さっきの眼鏡の兄ちゃんどこや?」
「あぁ、その人なら、さっき急いで出ていきはったで。そしたら、入れ違いにこの知らない男の人入ってきて……」
和葉が指さした先に、色黒で茶髪の男性が立っていた。
「だ、誰や?この兄ちゃん……」
「この人は下のポアロでバイトしてる、オレの弟子の探偵、安室透君だ」
「探偵なんか?」
「ええ」
安室は答えた。
「以前、毛利先生の推理を目の当たりにし、感銘を受けて、弟子にしてくださるよう頼んだんです」
「ホォー……せやったら、安室さんとオッチャンで、小梅さんをスカイツリーに連れてったってくれ。オレはもう出かけるさかい」
「分かった」
小五郎が言った。
「和葉も、何かあったら連絡するよって、代わりばんこでええから電話の前についとってくれや」
「う、うん……でも、工藤君どないして見つけるん?」
「オレにはちゃーんとカンってもんがついとるさかい、すぐに見つけて犯人と話しさせたるわ。ほな、行ってくんで!」
平次は子機をつかんで、勢いよく事務所を飛び出した。歩道を一直線に走り、一つ目の裏路地に入って、平次は呼吸を整えながら悔しげに顔を歪めた。
「アホ……すぐに居場所分かったら、こないな事件あっちゅう間に解決してまうわ……」
その時、平次の携帯が震えた。「灰原哀」と表示が出ている。平次はすぐに電話に出た。
「もしもし?あの小っさい姉ちゃんか?」
「ええ。話は聞いたわ。江戸川君、誘拐されたそうね」
阿笠博士の家で、哀は後ろの沖矢を気にしながら言った。
「そうなんや……なぁ、犯人追跡眼鏡っちゅうヤツで工藤の居場所分からへんか?」
「無理ね」
哀の返事は無情に響いた。
「くど……江戸川君の事を聞いてからすぐにやってみたけど、反応はなかったわ。探偵バッジは探偵事務所のようだし、く、江戸川君の眼鏡の反応は確認できなかった……半径20キロから出てしまっているか、あるいは犯人に壊されたか……」
突如、電話の着信音が鳴り響いた。約束の時間になったのだ。平次は「堪忍、また掛けるよって!!」っと言って電話を切った。平次はごくりと生唾を飲んで、震える指で「通話」ボタンを押した。
『工藤新一か』
機械で変えた、無機質な声が聞こえてきた。
「ちゃうで」
平次の答えに、向こうは一瞬たじろいだ。
『ど、どういうことだ?工藤新一の家に住んでいるという男に、工藤新一以外誰にも電話の事を話すなと、釘を刺したはずが……』
「そら、掛ける相手間違うたっちゅうことやろ」
平次が静かに言った。
「そないなしょーもない脅しは効かん相手やったっちゅうこっちゃ。あるいはよっぽどの自信持っとったか」
そう言って、平次はふと思った。
(そういえばあの眼鏡の兄ちゃん、なんで誰にも言うな言われた電話の事、工藤も捜さんとすぐに毛利のオッチャンに知らせたんや?)
『まあいい。その様子だと、お前は工藤新一の知り合いらしいな。今すぐ、工藤新一を電話に出せ』
「そら無理や。ここにはおらへんさかい」
『なぜいないんだ?』
「そら言えへんけど……工藤は来ぇへんで」
僅かな沈黙が流れた。
『フン、だったら、お前に、工藤新一の身代わりに務めを果たしてもらおう』
「そら、出来へんわ。探偵が犯罪者の脅しに屈するわけあるかい」
『ホォー、大した度胸だな。だがこちらには人質がいる。お前が命令に従わなければ、この子の命がなくなることになるぞ』
「……」
平次は冷や汗を浮かべ、眉間にしわを寄せて押し黙った。
『まぁいい。お前が従う従わないは自由だが、一方的に指示を出す。従えば、この子の命は助かるぞ』
平次は黙ったままだ。犯人は話を続けた。
『まず、お前の携帯電話―スマホならなお良いが、そのアドレスを教えろ。教えれば、お前に有益な情報を送信する。どうするか?』
平次はしばらく黙った後、ぼそぼそと自分のアドレスを言った。電話の向こうでは、犯人が乾いた声で笑いを押し殺している。
『よし、では次の指示を出す。これから言う場所に行け』
そこは平次がいる場所から割と近い、廃工場脇の空き地だった。表面の緑色のエナメルが剥がれかけた歪んだフェンスがあり、その先は行き止まりになっている。
「着いたで」
平次が言うと、受話器の向こうでまた犯人が笑った。
『では次の指示を出す。一度しか言わない。ちゃんと聞くんだぞ』
平次は、寂れた工場とビルの間を吹き抜けていく秋風に負けじと受話器を耳に押し付け指示を聞いた。しかしその表情は、だんだんと驚愕の色に変わった。
「な、何やて……!?」
『いいか、これができなければ、この子の命はない。この子を救出できるタイムリミットは24時間以内だ。ただし他にもやってもらうことがあるのでね、この用事は日付が変わる前に済ませろ』
「ア……アホっ!!そないなこと死んでもできるかい!!」
『言っただろう。指示に従わなければ、この子の命はないと。やらなければ、私はこの子を死体で帰す。そしてやらなければ、お前の命も私が頂く。生きて帰ってきてほしいなら四の五も言わずにやれ。まぁ、お前が、自分の命が大事な薄情者なら別だがな』
「卑怯モン……」
平次は悔しげに、絞り出すように呟いた。
『さぁ、どうするんだ?工藤新一のお友達の探偵君』
返事など出来るわけがないと思った平次は、ゴミだらけの地面を睨みつけた。
『……仕方ない……君にはやる気がないようだ……では私がとっておきのやる気の起爆剤をあげよう……携帯の画面を見てみろ』
平次は受話器を一旦耳から話してスマホを取り出した。知らないアドレスから映像が受信されている。その映像を見た平次は、あっと声を上げた。
コナンが映っている。
丸太が剥き出しになった狭い山小屋のような建物だ。中に西日が差し込み、丁度影になっているところにコナンがいた。小さな肘掛椅子に縛りつけられ、口をガムテで塞がれたまま眠っている。
「工藤……!!」
平次は画面の中のコナンを食い入るように見つめた。
『見えるか?探偵君……』
受話器から犯人が訊いてきた。
「あぁ、バッチリな……」
『ならばいい。それが愚かな探偵への挑戦状だ』
小屋に誰か入ってきた。上下黒のジャージとトレパン、黒いスニーカーを履き、目出し帽で顔を隠している。片手には携帯電話を手にしている。その人は電話を耳に当て、カメラ目線になった。
『私の姿が見えるかな?』
またもや、小馬鹿にしたような笑いを押し殺した声がした。
「コイツが……工藤攫た……」
平次は怒りと悔しさで、スマホを強く握りしめた。
『よく見ておけ。従わなければ、どんなことになるか……』
犯人は懐から折りたたみナイフを取り出した。左腕でコナンの頭を抱え込み、折りたたみナイフを一振りする。鋭い刃先が格納された中から出て、夕日を受けてギラリと光った。
「な、何する気や……!?」
犯人は、その小さなナイフを、コナンの首筋に押し当てた。
「や、やめっ!!」
平次は慌てた。
「やめ!!そのガキ殺したらあかん!!」
犯人はクックックと笑いを堪えている。
『だったら、私の言うことに従ってもらおうか』
「……そらできん!!そないなコト……死んでも……」
『じゃあ死んだらやってくれるのかな?』
「は?」
『今に分かるよ探偵君も……君の命はすでに私が握っていると……』
その刹那、平次の目が、大きく見開かれる―
「では、後は頼んだぞ」
警視庁の地下駐車場で、目暮警部は佐藤刑事に指示を出していた。目暮警部は、昨日起こった事件現場に向かうために駐車場を出てタクシーを拾おうと思い、佐藤刑事と別れた後、財布を覗いた。
その背後に近づく人影があった。右手にナイフ、左手には、何やら得体の知れない赤い液体の入ったビニール袋を持っている。前かがみになり車の陰から様子をうかがうが、警部は気づかない。目暮警部は十分なお金があることを確認すると、方向を変えて歩き出そうとした。そこで何かが床の上で光っているのを見つけた。
「ん?何だこれは……血痕!?」
そしてさらに気づく。自分の目の前に立つ人物の靴。ハッとして目を上げると、野球帽を被った男が覆いかぶさっている。
「な、何を……!?」
数分の間、暗い駐車場で2つの影がもみ合った。やがて目暮警部がドサッと音を立てて倒れた。ナイフの男は、よろよろと後ずさる。
「な……何でや……!?」
狼狽した男は、踵を返して一目散に駆けていった。
<続く>
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コナンの救出に向かおうとする平次だが、そこには犯人の卑劣な罠が待ち受けていた。